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仏教って何?

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  • 2018/10/18 06:49
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     仏教って何でしょう?哲学?宗教?
    経典も宗派も部派も多すぎて何がなんだか。
    仏教にいて、総合的に会話しましょう。

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    san***** 10月18日 06:49

    https://ja.wikipedia.org/wiki/法華曼荼羅

    信仰する者が礼拝する対象の中心として、お寺の本堂正面や、家庭の仏壇の上段中央に祀られる仏様を本尊徒言います。浄土宗、浄土真宗における阿弥陀如来、真言宗の大日如来、禅宗の釈迦牟尼仏などがある。
    日蓮宗も禅宗と同じく、お釈迦様を本尊とするが、禅宗のお釈迦様とは、大きく異なります。
    禅宗のお釈迦様は如来寿量品が示される前のお釈迦様ですが、日蓮宗では、如来寿量品で明かされた、本仏としてのお釈迦様、つまり、時間的にも空間的にも、過去にも未来にも永遠で大宇宙に広がった無限大のお釈迦様。
    宇宙大のお釈迦様を木像などで表現することは不可能であり、紙面に図示することも不可能です。それを日蓮聖人は南無妙法蓮華経のお題目を中心として、その周囲に仏様や菩薩、善神など十界それぞれの代表者の名称が記され現わしています。
    慈悲を以て、一切を包み入れる事で、宇宙と一体になっておられる、お釈迦様の生命を紙面二現わしたものが、大曼荼羅本尊です。  法華経本門における、救済の世界、お釈迦様の救済の世界を現わしている。 紙面は小さくても、真の大きさは無限大です。
    題目の五字はお釈迦様のすべて、 題目の五字はお釈迦様の御魂であり御生命です。  宇宙大に広がったお釈迦様の姿は、「妙法蓮華経」の姿そのものです。  この事は大曼荼羅の中央が「南無妙法蓮華経」になっていることに関わります。

    南無妙法蓮華経

  • >>53565

    >簡単に教えるぞ  笑

      末法無戒  仏のことば

      現実を観よ !


    どこに 真実の教えは あるのかな ?

    さんこうくん 応えて <



    法華経の浄土と念仏の西方浄土の違いでしょうね。
    法華経には「私(お釈迦様)は常にこの娑婆世界に在って法(教え)を説き衆生を導いている」と記されている。
    お釈迦様は無限の過去より無限の未来にわたり、常にこの娑婆世界で法(教え)を説いておられる。 つまりこの娑婆世界は元々法華経が説かれている場所、即ち霊山浄土です。

    浄土宗や浄土真宗は、この娑婆世界を捨てて極楽浄土に往生して生まれ変わる事をひたすら願う。
    この汚れた娑婆世界をを厭い娑婆世界から離れる事を願わなければならない。 徹底して娑婆世界を嫌い、徹底して、娑婆世界からの脱出を願う教え。

    これに対して日蓮聖人は法華経の教えを実践している者の住処は浄土であると思いなさい。なぜわざわざ他所に浄土をもとめようとするのでしょうか、

    一念三千は法華経における、重要な教えの一つです。 その一念三千が教えるものは、知恩報恩。法華経特有の教理である開会も一切に対する感謝が基本です。

    私達はこの娑婆世界に生じて以来、この世界で多くの人の世話になり、世界の多くの動植物によって、命を育まれ大地の野や山、川、海などの恩恵受けつつ生きてきました。

    この娑婆世界から逃れようとする行為は、お世話になっている世界からの〝食い逃げ〝であり、法華経の教えに反する者です。

    皆で努力しあい、世話になっている娑婆世界を理想の社会にしようというにが、法華経日蓮聖人の教です。


    地球は常に自転している、従って西方浄土の西方はその方向が常に変化している。 この問題をどのように考えればよいか?  この問題の解決は法華経の如来寿量品によって、解決する。 寿量品によれば、宇宙全体がお釈迦様の生命であり、宇宙全体が浄土です。
    法華経以前の経で示された、十方の浄土と法華経の迹門で示された十方の浄土とは、如来寿量品が説かれた事により、悉く仮の国土と化した。

    一乗戒

    南無妙法蓮華経

  • >>53566

    >過去につくった 業により 今があり   ヒント

    六道輪廻を絶つことができたのは仏陀ひとりかね。笑

  • 鈍いからなあ

    なになに せよで   全員可能かなーー



    とにかく 鈍い    こころのありよう  これ仏教


    以上だ




    過去につくった 業により 今があり   ヒント

  • 簡単に教えるぞ  笑

      末法無戒  仏のことば

      現実を観よ !


    どこに 真実の教えは あるのかな ?

    さんこうくん 応えて


      小学生にも 教えを開示すれば 解ける時代だよ


      笑われるぞ

  • >>53563

    人は息を吸って吐くような短い間に死んでいる。人の命ほどもろいものはない。人の身には三つのものがある。身体が死んだならば識、心、意が移動する。この識・心・意の三者は常に一緒に移動している。悪を行ったり、悪に布施したものは、地獄・餓鬼・畜生・鬼神の中に入る。善を行ったり、善に布施したものは、識・心・意の三者がそれにしたがって、あるものは天上に生まれ、あるものは人中に生まれる。この五道(地獄・餓鬼・畜生・人・天)に墜ちるものは、皆坐ったまま、心を整えていないせいで墜ちるのだ。


    坐して心を清浄に整えないと、墜ちる。 

    南無妙法蓮華経

  • >>53562

    どこの宗派の祖師達も自分の教えが一番とした。 宗祖ならばある意味当たり前。
    現在は多くの宗派の考え方が、誰にでもわかるようにブログなどからわかる時代になっている。
    そのうえで、しっかり自分が有っている教えを踏襲すればよい。一歩間違えれば、餓鬼や地獄を覚悟して信仰すればよい。

    命に合掌

  • >>53560

    》四箇格言の吹く夜は恐ろしい。

    観音菩薩に救っていただこうか――ーオン・アロリャカソワカ。<


    法華経の観世音菩薩は、すべての人を平等にいつくしみ、その人その人にふさわしい姿になって教えを説く普門示現、やすらぎと生きる希望を与えてくれる菩薩様だよね。  その観世音菩薩の心を私たち一人ひとりが自分自身のものとして、人々に安らぎをもたらしていくことで穏やかで調和のとれた世界を作っていく大切さを教えているのだよ。

    観世音菩薩、私を救ってください、お願いしますだという教えは外れている、違うよ。 迹菩薩の心を自分自身の心として調和のとれた、娑婆世界仏国土としてつくってゆく。

    南無妙法蓮華経

  • >>53560

    ≫こりゃダメだ。
    創価学会よりも酷い。
    四箇格言の毒に侵されて、無間地獄に堕ちそうだ。

    泣き言をいうんじゃないのよ。 この娑婆世界を穢土ときめつけ、この娑婆世界で仏陀の教えを守らないでひたすら他力で救われるという教えは、阿弥陀経の中にそのような教えは無いのよ。 浄土経が良いのなら、法華経を観るなではなく、ひたすら、空だけれどこの娑婆世界で修行しなさいという釈尊の教えを守らないから念仏地獄と経典に沿って示した事。 人の勝手な読み方で 浄土経を根拠にする無量寿経をしっかり守らないとね。 もし、法然や親鸞が勝手な解釈をしたら、それを信じる人は、無間地獄に落ちる可能性がある ♪

    禅天魔も経典を用いないで自分勝手な解釈をする輩の事だね。 道元も経外別伝を批判している。文句があるなら、道元に言いなさい。 ♪

    毘盧遮那仏や大日如来って、何も語る事がない迹仏だよね。 そのような仏と真言密教は同体になるの?
    それで、人々がどのような益があるの?  権経だという事を知りなさい。 少なくても、華厳経を信じる人や大日如来を信じる人は、 法華経の教主釈尊を示すために仮に説いた仏。 同仏とするべきだよね、空海は法華経の仏は迷いの仏とし、法華経を低く観た。
    密教と仏教の違いのようだね。♪

    創価学会は教主釈尊は過去の仏、日蓮大聖人こそ、久遠元初の仏だとする、江戸時代になって、経典に無い仏で騒ぎ立てた。日蓮聖人の書には出てこない考え方。当然、最大の間違い。 

     日蓮は、比叡山等の遊学から、法華経こそが釈尊の真意とわかり、経典を師として、経典にそって、間違いを指摘し命がけで法華経を身読された。 日蓮は三証を重んじた。 経典に文証があるか?  理法の証に適っているか? 実際の現証の証? 法華経に書かれている通りの迫害を受け、それでも、自身は釈子日蓮として、弟子たちに南無妙法蓮華経を人々の救済の為に布教しなさいと、遺言された。

    南無妙法蓮華経
    南無妙法蓮華経

  • >>53558

    こりゃダメだ。
    創価学会よりも酷い。
    四箇格言の毒に侵されて、無間地獄に堕ちそうだ。

    四箇格言の吹く夜は恐ろしい。

    観音菩薩に救っていただこうか――ーオン・アロリャカソワカ。

  • 水月氏の投稿を考える。

    >実際問題は、そうは理屈通りにいきません。
    というのは、無意識から起こる感情は強烈なものがあり、
    それは身体も巻き込んでいく、激しい運動です。
    これに巻き込まれないためには、かなり力がいります。

    坐禅でもして、巻き込まれなければ、それはいいんですが、
    日常で、どうしても巻き込まれてしまう場合の対処法は、
    以前にも書きましたが、話としては矛盾していますが、
    感情になり切ってしまって、思考を起こさないことです。  <

    ここで仏法を知らない、大きな間違いがある。

    感情は現在の自身の心の思いそのもの、 その心の思いが、八正道の正見に適っているかどうかを、自ら思考する事です。思考しなければ、悪魔に侵されている心は悪心のまま。 雲、愚か、とり は、最低でも道元の教えを守れ。 百合万発菩提心をはっして、自身の心を律する。

    ● 自己中心的な見方や、偏見をせず前記の如く中道の見方をすることが正見です。
    怒り、貪り、愚痴は、意の三悪、
    嘘、両舌、悪口、綺語は、口は災いの元、口の四悪
    意味なく殺生、盗み、邪淫は身の三悪


    正思
     自己本位に偏らず真理に照らし物事を考える事。例えば貧欲(自分だけの為に貪る心)・瞋恚(自分の意に添わないと怒る心)・愚痴(不平・不満などの邪心で小我を通すよこしまな心)という「意の三悪」を捨て去り物事を考えること。
    正語
     恒に真理に合った言葉使いをする事。社会生活の上で慎まなければならない事で妄語(嘘)・両舌(都合や立場で使う二枚舌)・悪口(破壊的な悪口)・綺語(口から出任せのいいかげんな言葉)という「口の四悪」を行わないということ。
    正行
     本能に任せるままの生活ではなく、仏の戒めにかなった正しい行いをすること。仏が戒めたのは殺生(意味なく、或は楽しみの為に生き物の生命を絶つ事)・偸盗(ちゅうとう)・邪淫(道ならぬ色情関係)という「身の三悪」です。

    十悪は反省し、出直さなくてはならない。

    南無妙法蓮華経

  • >>53557

    >厳経の自証三昧の毘盧遮那仏の境界ですね。
    釈尊の悟りの内容は深く、人によって方便が違うのですよ。
    阿弥陀仏の本願は、「すべての人を救いたい」という釈尊の御心です。
    それは釈迦牟尼の開示悟入の本願と同じでしょう。

    それぞれの仏は、みな「すべての人を救いたい」という本願をもっているということです。

    「自分と他人との区別もない」――自分の釈迦牟尼と他人の阿弥陀仏との区別もありません。<


    阿弥陀仏の前身の法蔵菩薩は法華経の本仏を師として自分も仏に成りたいと、誓願し、西方に赴き修行し阿弥陀仏になった。 十劫という始まりがある佛様ですね。 華厳の毘盧遮那仏は真理仏だというだけで、智慧も慈悲もない。
    浄土教のかたは、阿弥陀仏の本願は釈尊の御心だなんて思わないよ。 本門の教主釈尊は紺娑婆世界にあっても他土であっても法をといている本仏です。 阿弥陀如来は十方諸仏の一人。

    いいかい、大事な事は阿弥陀仏に帰依しても、誰も、阿弥陀仏と同体だと思うような人はいないでしょう。
    どこの仏で何を言いたいのか、示されていない毘盧遮那仏や大日如来にきえしても、自分たちはこれらの仏と同体だと思う人はいない。 釈迦牟尼仏だからこそ、実際に人としてこの娑婆世界に出でた、聖者の本地は本当は久遠の生命を持つ、無始無終の生命で、釈尊が菩薩道を行じた寿命は滅していなく、今も続いていると言われている。 釈迦牟尼仏だからこそ、私達がこの本仏の本因の行を行じる事で、御仏と同体になれる。

    下記は禅宗のブログからです。
    法蓮華経如来寿量品第十六が法華経の最大のテーマの部分になります。
    いままで人間として生まれられたお釈迦様が悟りを開かれて仏になったと思っていたのが、実は久遠実成の釈迦牟尼佛であったといわれるのです。つまりもともと永遠の仏であるといわれたのです。そして、我々も釈尊と同じ仏性(仏としての本性)をもっており、衆生も本来悟っている仏であるといわれます。一般的にいうと、釈尊も我々も大いなるもの、宇宙のもともとの実在の絶対者(慈悲の当体である神的な存在)と本来同じということです。

    南無妙法蓮華経

  • >>53556


    ●かたよらず、こだわらす、とらわれず●

    >この日こそは、偽わざる真実のご自分の姿をはっきり観た。
    >この時の本当の御自分は時間、空間を限りなく超えた広大なる生命だった。
    >空間的には、全宇宙を包む、大きな生命だった。 すべてと溶け合って、自分と他人との区別もない、
    >だからオレ、オマエもない、全てを慈悲で包み込んでほ御自分の中に納め、全てと一体になっている。

    華厳経の自証三昧の毘盧遮那仏の境界ですね。
    釈尊の悟りの内容は深く、人によって方便が違うのですよ。
    阿弥陀仏の本願は、「すべての人を救いたい」という釈尊の御心です。
    それは釈迦牟尼の開示悟入の本願と同じでしょう。

    それぞれの仏は、みな「すべての人を救いたい」という本願をもっているということです。

    「自分と他人との区別もない」――自分の釈迦牟尼と他人の阿弥陀仏との区別もありません。

    区別のし過ぎなんですよ――かたよらず、こだわらす、とらわれず、広く広く、もっと広く。

  • >>53555

    》 皆、「釈尊の悟りの内容」でしょう。それを実体化すると「偶像崇拝」になってしまいます。
    釈尊の悟りの内容として平等です。

    あなたが、そのように、思うには、自由だが、この辺りは、天の月と池に映った月ほどの差がある。  今まで難行苦行してもどうしても真理である、四苦八苦の解決に至れなかった、永遠に解けないであろうと、思われた時、ゴータマはスジャータから乳粥を頂き、体力が回復したところで、菩提樹の下で瞑想に入り、この日ついに解決を観た。 つまり悟られた成仏をした。今まで経験したことのない、すがすがしい喜びの世界を知った。 この日こそは、偽わざる真実のご自分の姿をはっきり観た。  この時の本当の御自分は時間、空間を限りなく超えた広大なる生命だった。
    空間的には、全宇宙を包む、大きな生命だった。 すべてと溶け合って、自分と他人との区別もない、だからオレ、オマエもない、全てを慈悲で包み込んでほ御自分の中に納め、全てと一体になっている。 時間的にもお釈迦様は始まりがなく、終わりもない、過去、現在、未来にわたっての大きな生命だった。 仏様のこの時空を超えた大きな生命を久遠実成といって、久遠の大昔に事実として成仏している。 つまり、悟られたこの時のお釈迦様は、後に法華経の如来寿量品の説法によって、解き明かされるところの、久遠実成の本仏だった。  それまではこれを打ち明けられなかった。  つまり、もともとの本仏が人々を救済するために人間の姿となって、インドに応現した、これがこの時に御自分だった。  インドに応現した菩薩の仏陀は迹仏です。 このことを人々に話しても、理解ができない、だから多くの方便仏を示して、本仏に入らしめようとされた。 阿弥陀仏等十方諸仏は皆、この本仏の分身諸仏です。 密教の毘盧遮那仏や、大日如来は、法身といっても、どのような修行をされたのか示されていない。久遠実成教主本仏の仮の姿の釈仏と捉えるべきでしょうね。  一番大事な事は、久遠実成教主本仏の姿と無始無終の生命と私達も同じなんだよと教えてくれるところ。 それを信じるか信じないかで、不老不死の益にかかわる。

    南無妙法蓮華経

    南無妙法蓮華経

  • >>53551


    ●執行猶予を狙っています●

    >カズマさんは、 どこの仏かわからないが毘盧遮那仏とか、西方阿弥陀仏の土だと思っていました。

    皆、「釈尊の悟りの内容」でしょう。それを実体化すると「偶像崇拝」になってしまいます。
    釈尊の悟りの内容として平等です。


    >なぜそのように思うの? 地獄に落とされたら、そう簡単に許されて、故郷にはゆけないのでは?

    念仏十念で許されるとか…
    また、物語的には、観音菩薩は、最勝の弁護士さんです。
    ですから、今から、「オン、アロリャカソワカ」と一心称名しています。

    食物を必要以上に貪って殺生戒を犯し、心の意業で「あんなやつ死んでしまえ」と人を殺してきましたよ。
    また、嘘をつくまいと思いつつ嘘をついて生きている。
    また、人を傷つける暴言も吐いて悪業三昧をしてきた身です。
    地獄に堕ちないはずはありません。

    逆上せ上がった分だけ臨終時(中有)では必ず堕ちます。
    堕ちて懺悔を済まさなければ浄土(本有)に行けそうにありません。

    必ず地獄の門まで堕ちますが、57億6000万年の出向猶予が付くよう
    仏と共にある修行に勤しんでいます。

    ですから、釈迦牟尼仏の説法の場で、弥勒菩薩と共に、57億6000万年の修行ができればと思います。

    戒も守れない私が、必ず地獄に堕ちるのも自業自得でしょう。

  • >>53550

    > >信仰者は皆、そうですよ。笑
    >
    > それはよかった !(^^)!

    皆、嘘でした。熱心に信心されている方は少数かもしれません。笑

  • >>53547

    もとい・・

    四つの真理、四聖諦(苦・集・滅・道)でした。苦笑

    「修行僧らよ、真理の体現者の悟った中道とは・・それはじつに聖なる八支よりなる道である。すなわち、正しい見解、正しい思惟、正しい言葉、正しい行い、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい念い、正しい瞑想である。
     じつに苦しみという聖なる真理は次のごとくである。生まれも苦しみであり、老いも苦しみであり、病いも苦しみであり、死も苦しみであり・・
     じつに苦しみの生起の原因という聖なる真理は次のごとくである。それはすなわち、再生をもたらし、喜びと貪りをともない、ここかしくに歓喜を求めることの妄執である。
     じつに苦しみの止滅という聖なる真理は次のごとくである。それはすなわち、その妄執の完全に離れ去った止滅であり・・
     じつに苦しみの止滅に至る道という聖なる真理は次のごとくである。これは実に聖なる八支よりなる道である。
    すなわち、正しい見解、正しい思惟、正しい言葉、正しい行い、正しい生活、正しい努力、正しい念い、正しい冥想である。」 サンユッタ・ニカーヤ

    四つの真理、「苦・集・滅・道」であります。まず第一命題が苦しみ「苦諦」であります。第二命題は苦しみの原因「集諦」であります。なぜ苦しみ起こるかといえば、妄執があるからです。苦しみを除くにはどうしたらよいか、妄執を滅することであります。これが第三の命題の「滅諦」になるのです。そして、妄執を滅し、苦を消滅するための実践、これが「道諦」になります。

    以上、正見とは、四つの真理対してありのままに見ることです。

  • >>53549

    >>今も絶えずお釈迦様の説法を聞いている。身はこの娑婆世界に置きながら、心はお釈迦様の霊山浄土。

    >ですね。
    久遠の本仏(法身・釈迦牟尼仏)の光明に照らされて、この娑婆の穢土を生きている。
    久遠の本仏(法身・釈迦牟尼仏)の説法で、煩悩の整理整頓をしつつ生きている。

    そして、私たちを生かしてくれている、釈迦牟尼仏の説法の場である「霊山浄土」に帰る。
    来世は、「釈迦牟尼仏の説法の場」に帰るということではないのでしょうか。



    >私のような者は、一度地獄に立ち寄って行く身だと思っています。
    無事に故郷に帰還されんことをお祈りしたします。

    なぜそのように思うの? 地獄に落とされたら、そう簡単に許されて、故郷にはゆけないのでは?

    私の場合は地獄に行くならば、法華経、釈迦牟尼仏も地獄という思いでいます。

    カズマさんは、 どこの仏かわからないが毘盧遮那仏とか、西方阿弥陀仏の土だと思っていました。

    私の場合は地獄に行くならば、きっとその時は、法華経、釈迦牟尼仏も地獄。

    南無妙法蓮華経


    南無

  • >>53548


    ●「釈迦牟尼仏の説法の場」に帰る●

    >今も絶えずお釈迦様の説法を聞いている。身はこの娑婆世界に置きながら、心はお釈迦様の霊山浄土。

    ですね。
    久遠の本仏(法身・釈迦牟尼仏)の光明に照らされて、この娑婆の穢土を生きている。
    久遠の本仏(法身・釈迦牟尼仏)の説法で、煩悩の整理整頓をしつつ生きている。

    そして、私たちを生かしてくれている、釈迦牟尼仏の説法の場である「霊山浄土」に帰る。
    来世は、「釈迦牟尼仏の説法の場」に帰るということではないのでしょうか。

    私のような者は、一度地獄に立ち寄って行く身だと思っています。
    無事に故郷に帰還されんことをお祈りしたします。

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