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  • バレーは舞踏だが、あらゆる舞踏は視覚芸術ではなかろうか?
    何故ならば、それは(バレー・舞踏)は音楽を伴わずとも単独で十分表現されている。
    バレーならば目の前に大きな鏡を設け、それに写る自分の姿・動きを観察しながら踊りを作り上げる。
    ”どう見えるか”を考えながら身体を動かす。
    身体を道具に表現を見せてくれるわけだ。身体は道具であって表現の主体ではない。
    バレリーナが芸術として自分の踊りを創作するとき(振付師と共に作り上げる時)、必ずどう見えるか?の計算をしている。
    よってバレー(舞踏)は見るモノで、視覚芸術である。
    画家は色彩を道具にあらゆる工夫を施し絵画を創作する。”どう見えるか?”の計算を無意識だったとしてもしている。
    絵画同様バレーも視覚芸術である。
    全ての(身体表現芸術も絵画も彫刻も)芸術はイメージを主体としてあらゆる異なった道具を駆使して表現されたものである。
    イメージを主体として表現する行為を今でいう「表象行為」と言うのではなかろうか?
    その行為には具現の為の道具が必要で、その道具は数限りなくある事から多種多様な芸術が存在するのではなかろうか?

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