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◇社会思想全般◇

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  • 2014/06/14 01:25
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  • >>161

    何千年も昔から、国家は国民を抑圧する装置なのだ。

    スノーデンは、その真実に気付き、告発したのだ。

    だが、スノーデンの告発は徒労に終わるだろう。

    国民主権、これは幻想に過ぎないのだよ。

    歴史を勉強なさいよ。

  • No.39368
    Re: 国民のために国家があるのではない。
    kinouお気に入り無視
    2014/06/13 22:59
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    >>No. 39349
    あほくさー

    Kinou が君であることは、最初からわかっていたのだよ。

    知らないふりをしていたのだ。

    僕を普通の人間と考えてはいけないよ。

    上には上がいるのだから。

    さあー答えなさい。

    国民主権が幻想である、、、この主張のどこが、あほくさーなのかね?

    僕は真摯に答えた。

    君の答えは、あほくさーなのか?

  • >>156

    どうしてこうも表層的なルソー批判をしたい人が多いのだろうか?

    例えば、ジャコバン派による恐怖政治の原因、責任をルソーに見るのだろうか?

    あるいは現在に至る衆愚政治や、そこから全体主義への道程の原因、責任をルソーに見るのだろうか?

    なんという無責任というか甘えの態度であろうか。

    実際に政治に参加するのは我々なのに、

    今この政治状況にいないルソーに何を言い得るのか?

    ジャコバン派の恐怖政治については、ルソーの思想がなかったらどうなっていただろうか?

    共和制全否定で王政か、あるいはもっと悪辣な体制に移行したかもしれない。

    例えば。ルソーのおかげで民主主義の正しい原則を知り、それと紛い物民主主義を見分けることができるのである。

    空気のように、恩恵がありすぎてそれに気づけないのは残念なことである。

  • >>154

    性善説で批判するのはいかがなものでしょうか。

    やはり程度が低いと思います。

    しかもこの人(永井さん)、素人じゃあるまいし。

    ヘーゲルやってらっしゃるようで。

    廣松に師事していたようですね。

    システム論っていうと機能主義かな?

    なら私の趣味にも合いますねw

    ならば、なおのこと性善説批判は稚拙ですね。

    まあ悪い人じゃなさそうだけど(反韓ぽいしw)・・・

  • >>152

    ルソーは、

    文明発達以前には、人々が(性善説的な)自己愛に基づいて、平和*平等に暮らしていた、

    とした。


    しかし、弱肉強食は、生物界の避けられない原理であり、猿社会にも不平等はあったし、新石器時代にも戦争行為は存在した。

    *************

    まぁー、筆者の意見はこうなる。僕は、大部分、妥当的な意見だと思う。

    でも、ルソーって、毀誉褒貶が激しいんだな。評価が正反対に分かれる。

    君は、ルソーの思想そのもの以上に、ルソーの人格に魅力を感じてるんじゃないのかな? 一匹狼みたいな感じ。


    ちなみに僕は、ルソーの [ 告白録 ] を3ページ読んだだけ。他は読んだこと無い。

    笑い

  • >>152

    結局、核心は、

    いきなり核心で申し訳ないがw

    こういうことなんだよね。

    それは義務だ。

    人間関係とは義務の構築にほかならないわけだ。

    義務みたいな仰々しい言葉を用いなくても、約束事でもよい、そういう最広義の結局義務の構築が人間関係であり、社会である。

    権利だって、義務があるから、義務でないという意味で、非義務=権利といった具合に、実は義務に規定されているにすぎない。

    禁止されてない以上、他は何やってもいいに決まっている。

    したがって、人間関係を、そして社会を円滑にするためには義務の確立が不可欠、というよりその確立があって初めて関係や社会が始まるのである。

    先にルソーは、権利→義務で、義務は権利の仮現形態みたいなことをいったが、正確には、欲望→義務→権利、になる。権利は社会内存在となって初めて顕現化するものだ。

    義務は必要不可欠なのである。

    それは倫理道徳的に必要という意味でなく、より根源的な意味で必要なのだ。

    先の文章の執筆者は、よく『社会契約論』も読めていないのだろう。

    性善説だとかあさっての批判もどきになる。

    義務、秩序は必要だが、誰が何を措定するのか?←これが社会思想の核心的テーマである。

    私が、冷酷非道な人間と誤解されるのにもめげず、厳しいマッチョなことを日々主張する理由も簡単だ。

    権利は黙っていても増殖するが、義務はなかなか形成されないということだ。

    市場の価格のようには決定されえないものだ。

    権利を各々が主張しても義務にはならないのだな。

    それとも、そう思えないだけでなっているのか?

  • >>150

    誰の文章なんですか?

    まあ、誰のであれ、内容的に感じることは、

    随分稚拙な批判だなといったところでしょうか。

    性善説ってもともと原始的な議論で登場するもんでしょう。

    宗教か哲学かは知りませんが、

    ほとんど真面目な議論テーマとしては死語というかw

    卵が先か鶏が先かに近いんじゃないでしょうか?w

    なんというかとにかく頭の悪さを感じます、この手の批判?にはw

    例えば、誰とは言いませんが、こちらが武装しなければ攻めてこないみたいなこという人とか、単なるお人好しっていうか、間抜けというか。

    そう、単なる間抜けなんですよ。

    性犯罪の前科者を野放しにするとかね、人権派的な間抜け性善説ならわかります。

    そしてこんなんは、ルソーには全く当てはまりません。

    そういう人間のズルさは百も承知でしょう。マルクスも然り。

    百歩譲って、ルソーが性善説に立っていたとしても、当てはまるのは文明以前の未開人でしょう。

    文明人たる近現代人の前に何らかの原因で無政府状態が出現してもかえって平和になるとか、警察権力等が消失すればかえっておとなしくなるとか、軍隊がなくなればかえって平和になるとか、そんなことは言ってませんよw

    じゃあなんでしょうか?

    民主主義を否定して、王政がよかったなどとまさか言うのでしょうか?それこそ王様が常に善人だとする性善説を前提して言える話でしょう。

    マルクスを性善説で批判するのはまだわかりますが、それはルソーの民主主義の立場から初めて可能でしょう。

    統治者を徹底的に監視しチェックする、というより自分自身が統治者になるべきだというルソーが能天気な性善説のはずがありません。

    というか、そもそもどういう意味で性善説を批判しているのか?

    少なくとも二つ考えられますね。

    統治者、支配者に対する性善説。

    被治者、人民に対する性善説。

    さらには、誰とは言いませんが、ファーストさん的な、隣国に対する性善説というものもありますがw、ここではどうでもいいでしょう。

    マルクス主義については、両方の性善説で一応攻撃できますね。

    ノーメンクラトゥーラでもポルポトでも金王朝でもいいですが、腐った支配階級。

    それとサボってウォッカ飲んでばかりの労働者。

    ルソー(民主主義)については難しいんじゃないかな。

    人民性善説を批判するなら、支配者性善説に立たんといかなくなる。

    民主主義に巣食う、人権屋とかさ、そういうのを性善説馬鹿って言うんならわかるけど。

  • >>150

    4000年前のものと推定されるスペインのモレリャ・ラ・ビリャ遺跡の岩壁画には、弓矢で武装した3人と4人の集団が戦っている様子が描かれている。これに対しても、ルソー派の考古学者は、「ここで描かれている戦争は、儀礼的・競技的なもので、実際に殺し合いが行われたことはないだろう」と解釈して文明以前の戦争を認めようとはしない。

    結局のところルソー派の人類学者や考古学者を説得する決定的な証拠はない。しかし彼らが思い描くユートピアは、ユートピアの語源通り、(彼らの頭の中以外には)どこにも存在しない場所であるような気がする。

  • >>149

    「ルソーのノスタルジーは正しいのか」です。論文編に掲載していたのを削除し、書き直して「読書備忘録」に分類する予定だったのですが、そうしないまま放置していた原稿を、このカテゴリーで再度掲載します。

    1999年12月4日発行のメルマガの内容

    STEP1 今週の用語解説  

    自己愛(amour de soi)と利己心(amour-propre) 

    ルソーの言葉。ルソーによれば、文明と理性以前の自然状態においては、自然人(未開社会の人々や子供たち)は、自己愛を持っているが利己心は持っていない。自己愛とは自分の幸福を求める自然な感情で、個人は、この自己愛を持つがゆえに他者の自己愛を理解し、他人の不幸に対して哀れみを感じることができる。これに対して利己心とは、他人の幸福を踏みにじってでも、自己の利益を極大化しようとさかしい計算をする近代ブルジョワジーのメンタリティーである。自然状態において人々は、平和で平等に暮らしていたが、土地に囲いをして「これはおれのものだ」と言うことを思いつき、人々がそれを信じることを見出した人が、利己心に満ちた社会を作り、戦争と階級支配をこの世にもたらした。ルソーは、文明と理性が人々に不幸をもたらしたとして、自然に帰れと提唱した。

    **********************************************************************

    STEP2 今週のコラム

    ルソーのノスタルジーは正しいのか?

    ルソーやマルクスは、文明成立以前の発展段階に戦争も階級もないユートピアをノスタルジックに想定した。今でも人類学者や考古学者の多くは、未開社会や原始社会は、本来平等で平和であったと考える傾向にある。例えば三内丸山遺跡の発掘でも、「当時すでに貧富の格差があった」などという言い方がされる。「すでに」という言いまわしは、「かつては平等な社会があったはずだ」という思い込みを前提にしている。

    もっとも近年、戦争は先進国より発展途上国で頻発するし、辺境の未開社会でも大量の死者を出す戦争が行われている。しかしルソー派の人類学者は、未開社会での戦争は、グローバルに広がっている近代資本主義の影響を受けた結果起きているのであって、近代以前はそうではなかったと主張する。

    過去のことは直接観察できないので、間接的に推論するしかない。人類はサルから進化してきたので、まずサルの社会から観察してみよう。サルの社会は平等ではない。ボスザルを頂点に厳格な順位性がある。ボスザルはメスと餌場と安全な樹上の住処を独占する。しかしボスザルの地位は安泰ではない。強い流れ者のオスザルとの戦いに敗れてその地位を失うこともある。新任のボスザルは、前任者を追放するだけでなく、前任者がもうけた赤ん坊ザルを噛み殺し、その母親たちと交尾を始める。これは前回紹介したエスニック・クレンジングに似ている。エスニック・クレンジングの起源だと言って良いかもしれない。

    もちろん現在のサルの社会に当てはまることが、我々の祖先である類人猿の社会にも当てはまるという保証はどこにもない。だからルソー派の考古学者を説得するには、考古学的証拠を用いなければならない。

    母親から子に伝わるミトコンドリアのDNAの分析によると、現代の人類集団が持つDNAの種類は、人類と共通の祖先を持つチンパンジーやゴリラと比べてずいぶん少ない。これは、かって人口が激減したことが原因で変異の数が少なくなったことを暗示している。ネアンデルタール人のDNAを調べたところ、この人口の激減はネアンデルタール人と現代の人類が枝分かれした数十万年前よりあとに起きたと見られる。

    ネアンデルタール人の脳の容積は、現世人類とあまり変わらない。だが、クロマニョン人は、ネアンデルタール人とは異なって、前頭葉が発達していた。きっとクロマニョン人は、ネアンデルタール人よりも「利己心」に基づく戦略的思考に長けていたにちがいない。ネアンデルタール人はクロマニョン人によって滅ぼされ、クロマニョン人自身も相互に殺し合った結果、人類のDNAの種類は激減したのではないだろうか。

    実際ネアンデルタール人の骨には損傷を受けたものが多い。中には明らかに先鋭な石器によると思われる傷もある。しかしルソー派の考古学者たちは、「ネアンデルタール人は天災で滅びたのだろう。骨の損傷は事故によるものかもしれず、戦争の結果とは限らない」と言って、原始時代の戦争を認めようとはしない。

  • >>143

    主権概念は厄介なんですよ。

    私自身まとめきれていないから厳しい追及は勘弁してください。

    シュミットによると、主権どころこか「政治」にも統一的な定義は定まってないんですね。

    したがって、パル氏が簡単に間違いと言いたいわけではないんです。

    ある側面において、鋭い見方をしている方だと思います。

    主権とは法を超越しているとも言えるししてないとも言えるものです、おそれくは。

    私の見解としてはですね、既に倫理トピでも述べたことだと思いますが、

    事実的な力とも関係しています。この意味で法を超越しています。

    王は力を持つから主権も持つのですね。

    しかし、果たして本当に王は力を持つのでしょうか?

    王一人だけを見れば、それなりに腕力も剣術も戦略を練る知性も備えている王もいるかもしれませんが、流石に全国民を強制する力はないですよね。

    当然取り巻きがいるわけです。貴族とか軍隊とか。

    つまり、王自身が強い実力者であるわけではないということですね、当たり前のことですが。

    王が強いわけじゃあないんです。何らかの法や法以外の秩序があるわけですね。

    例えば、銃を持ったテロリストか強盗に占拠された施設内で、何十人もの人質が大人しくしている。これは、逆らったら→殺される、という暗黙の法を内面化しているからでしょう。

    その複雑な力関係で浮上した地位の一つが王なんですね。

    だから、王政=弱肉強食の体制、とは必ずしも言えないのですね。

    本当の弱肉強食は、マッドマックスのような世界ですねw

    いやあの世界にも暴徒集団にもボスがいますから、本当の弱肉強食はバトルロワイヤルのような世界かもしれませんね。

    主権はルソーの段階で本当は消去されてもよかったんですよね。いや、実質消去されているんではないでしょうかね。

    政府と同様に主権も無化されているというのが私のルソー読解ですが、ついでに言えば、義務もそうですね。

    主権は人民にある。ということは裏を返せば誰も持ってないということです。

    政府も人民の便益のため、義務も権利の行使のためであり権利の一変移形態というべきでしょう。

    社会が道具的な軽いものであるとされるため、逆に強力になるというのはルソーのパラドックスですね。

    ルソーのいう国民主権は法治の下での主権ということですね。

    そこがパル氏に疑問に感じるところでしょうか。

  • >>144

    これが、パルマーが観念論者である所以だ。

    そうじゃなくて、現実を優先させなければいけない。

    現実を見れば、国民主権が幻想であることは、否定できないのだから。

  • >>143

    [アメリカの属国である日本国国民に、主権なぞ、ある筈がない] byイストラン
    全く同感。
    そもそも [ 日本国の主権が、国民にあることを、明確にする必要がある ]というパルマーの主張自体、日本国の真の主権者が国民なのかどうか? あやふやな点に起因する。
    実は、日本国においては、*国民主権*なんて幻想に過ぎない。そう思っているだけなんだ。

    結局、西欧型民主主義は、日本には馴染まないんだ。というより、オリエント国家には馴染まない。日本が民主主義体制だったことは歴史上一度もなく、現在もそうだ。

    パルマーは、日本国が民主主義国家である確証を得たい。だが、日本においては民主主義なんて幻想でしかない。日本はフランスやオランダとは違うんだ。

    国民主権、それは幻想なのだ。

    ただ、パルマー君は、それを認めることを、無意識のうちに拒否しているんだ。

    つまり、今回の憲法論争では、パルマーの立論の、前提そのものが間違っていたのだ。

  • >>142

    >主権とは、やはり法に要請されつくられる物だという気がします。<

    君のこの意見は、パルマーの今までの言説を、根本から否定することになってしまう。

    彼は、[主権とは、法概念に優先し、法を超越した概念である。従って、法によって規定されない]

    と主張していたのだから。特にミカエルとの論争で。

  • >>135

    パルマー氏には非常に鋭いところを感じるのですが、

    私に問題に映るのは、やはり実力行使を重視しすぎではないかというところですかね。

    平和主義的にいくべきだからって反対しているわけではないですよ。

    もちろん平和は最優先ですが、血で勝ち取る民主主義も究極的には当然認められねばなりません。

    反対なのは、実力行使だからといって、正当であるとはもちろん限らないわけで、つまり国民の一部の行動ではなく、大多数の国民の意志に基づく行動とは限らないわけだからですかね。

    国民の実力行使はもちろんいろいろありますね。デモから始まって、暴動、テロ、内戦。

    様々な規模、形態がありえますね。

    クーデターなどもそうでしょうね。

    クーデターは国民が率先してやるわけではなく、政府の内輪もめでしょうけど、ある程度国民の不満があり、それを代弁するような側面も持っているケースが多いでしょうね。

    クーデター成功後に国民に承認される。

    国民の実力行使の例に含めてもいいとも思います。

    まあ、国民がデモやら暴動やらで実力行使したあとに、軍の一部が寝返ってクーデター、といったパターンが多いのかもしれません。

    まあ、とにかくいかがわしさがあるし、最後の手段でしょうね。

    パル氏は最近、クルクル氏と東哲でやりあったようですが、

    クルクル氏の言うこともなんとなくわかる気がする。

    主権とは、やはり法に要請されつくられる物だという気がします。

  • No.37368
    Re: ウィトゲンシュタイン
    ixtlanお気に入り無視
    2014/06/03 00:43
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    >>No. 37356
        
     なぜトートロジーの話が驚くべきようなことではないのか。

     というと、それはカントがすでに分析性として認知していたからです。まあ命題論理としてではないですが。

     カントは分析性と総合性の間を架橋しようとして四苦八苦していた。それに比べると、トートロジーを指摘してお仕舞いのウィトゲンシュタインはやはり貧相な感じ。
     
     もっと別の表現では、アプリオリな数学(トートロジック)がアポステリオリな物理(ヘテロロジック)を実際に先取りしてしまっている、というようなことです。
     
     しかしカントは難しいことを考えたのではなくて、時空間を処理する数学は、物資に先立っているだろうとみなしただけです。

  • >>138

    韓国人のロビー活動家と、ユダヤ人ロビー活動家は、裏で結託して、自己の利益実現を図っているのだ。

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