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《倫理学》

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  • 2017/11/07 14:19
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    > > しからば、その土壌とは何から生まれたのか?
    >
    > キリスト教の 神の前の平等 ではないか。

    フリーメーソン

  • >>2854

    > しからば、その土壌とは何から生まれたのか?

    キリスト教の 神の前の平等 ではないか。

  • http://www.asahi.com/articles/CMTW1703270400001.html?ref=chiezou

    東日本大震災の復興。福島及び秋田県にて発生した大雨に由来する災害。

    復興と主張すれば、メディアも政治家も否とは口が裂けても言えない。しかし、私の正直な感想は、東日本をなぜ復興しなければならないのか理解できないし、山間の過疎地に大規模な人員と予算を投入する理由も理解できない。

    上記朝日デジタルにて或る人は、「居住権はある」と主張している。恐らくは、人は自分が望む土地に住み続ける権利を持っており、政府はその権利を保障する義務があるという程の意だろう。しかし私には、そのような権利は存在しないように思える。

  • ヨーロッパで人権や平等が広まったのは、教育の結果じゃないだろうか?

    ヨーロッパには、その教育を可能にする土壌があった

    しからば、その土壌とは何から生まれたのか?

  • >>2850

    『エミール』は関心が無くて読んだことはないなぁ。
    カントの『永遠平和のために』は何度か読みました。自然法をはじめ、原理的説明の部分はさすがに難解です。

    カントは大変にルソーを尊敬していたようで、彼の道徳哲学はルソーの発想を引き継いでいます。
    道徳的観点には、「幸福」や「美徳」などありますが、「自律」と「尊厳」の倫理学の系譜がルソーとカントです。

    あなたにとって、実り多い西洋哲学との出会いであるといいですね。

  • >>2848

    >しかし、人権や平等が純粋な思想運動として欧州各国に膾炙したなどという事実は無いんですよ。国民の政治的平等や人権が欧州各国に膾炙していった原因は、徴兵制を敷き徹底的な殲滅戦を行うナポレオンのフランス軍に対抗するためであって、そこにあったのはシュミット的な政治力学の問題です。日本においてすらそうだったじゃないですか。<

    ナポレオンに対抗するため平等や人権が欧州に広まったと?
    あなたの最初の主張は、共和国軍における徴兵制が平等を生んだという話です。↓

    >となると平等とは歩兵の平等のことです。現実の人権とはここから発生したものですよ。<

    徴兵制が人権を生んだのですか?それとも、徴兵制を敷く共和国軍に対抗するために人権が各国に広まったのですか?

  • こんにちは😊

    今日、本屋に行ったら、NHKのテレビ講座100分de名著の『ルソー・エミール』のテキストが置いてあって、
    今までまったく興味なかったのですが、ミカエルさんに教えてもらったりした縁で、立ち読みしたら、その考え方が新鮮に感じたりして、テキストを購入してしまいましたf^_^

    西研さんという先生の執筆で、ルソー以外の哲学者や思想家や時代背景もからめ大雑把なうねりや流れも最初に記述されてあり、無知の私にもわかりやすく親しみやすく書かれてある感じです。(まだ最初の方しか読んでなくて)

    西洋哲学と仏教思想はあまり接点がないと、私は私の無知ゆえ思い込んでいたのですが、
    世界で、こんなにも豊かに、いろんな人がいろんなことを考えていて、真剣に真理を探究してたんだなぁ、と、すこし感動します。

    同じ人間なんだから、接点があるのは、当たり前なのかもしれませんね。

    接点、ではなく、もっと、同じなのかもしれませんね。生き物、として。

    同じく、『カント・永遠の平和のために』のテキストも買っちゃいました。
    こちらは萱野稔人先生の執筆です。

    カントさんも、名前しか、知らないなー(ー ー;)

    どんなこと書いてあるのかなー、と、楽しみながら読んでみますね。

    ほんとありがとうございます(^O^)/


    では失礼します♪

  • >>2846

    こんばんは
    丁寧に書いていただいたのでわかりやすいです、ありがとうございます。

    > 結論すると以下のようになる。
    >
    > ニーチェの洞察は正しいが、それは、男権的社会における男性をモデルに抽出されたものである。したがって、男権的社会を自明ものとする限りにおいての適用限界を持つだろう。

    そうですね。
    でも、実際の法制度などを決めるのがほとんど男性なので、どうしても階級闘争的な性質を含んだ社会になりがちなのかもしれませんね。

    > NASAは、火星への有人探査を目標に、どのようなグループ編成が最も優れているのか実験を繰り返した。
    > 男女の比率を変えて150回ほど、グループの問題解決能力を判定したところ、男性だけでは競争心が強すぎて組織的活動として破綻する。一方、女性だけではリスク回避傾向が強すぎて、これもうまくいかないらしい。男女混成が最強だったらしい。狩猟採集時代の社会的分業によって生まれた性差と、その混成組織が最強だということになる。

    いろんな性質を持った者が、お互いに全体のことを思い行動できると、そこにやさしい世界が生じるのかもしれませんね。

    > 弱者に対する慈愛の心理学的基礎は女性の脳に刻まれている。共感能力、協調能力も本性としてある。その幾らかを男性も持っているはずで、教育や医学が変容してゆくように、道徳と倫理もまた変容していると予想できる。
    > 以上かな。

    ミカエルさんがそう考えてること、了解しました。

    ありがとうございます🍀

  • >>2838

    >その前がありますよね。さんざんにロックに言及してきたのだから、自然権(人権)の考え方を忘れてはいけない。

    「その前」がどうだろうと、しかし、人権や平等が純粋な思想運動として欧州各国に膾炙したなどという事実は無いんですよ。国民の政治的平等や人権が欧州各国に膾炙していった原因は、徴兵制を敷き徹底的な殲滅戦を行うナポレオンのフランス軍に対抗するためであって、そこにあったのはシュミット的な政治力学の問題です。日本においてすらそうだったじゃないですか。

    もっと言えば、フランス以外の欧州各国は人権や平等と言ったフランス革命の思想を危険と看做し、これを抹殺しようとしてフランスに干渉したわけですよ。それがナポレオン戦争の発端じゃないですか。
    つまり、欧州各国は理念としては人権や平等に反対していたはずで、それなら人権を純粋な思想運動であるかのように看做すのはまったく正しくないでしょう。

    ようするにそれは政治力学に国民を総動員するか、しないかの問題でしかなかった。

    となると、あなたの言うように人権や平等は国家やその政治力学、あるいは近代国家による大量殺戮等と決して無関係でも対立しているわけでもなく、むしろ共犯関係にあると考えるのが正しいのであって、それをナイーブに対立しているかのように見るとおそらくろくな結論はでてこないと思うんですけどね。

  • >>2843

    >横から失礼。
    ニーチェの解説は、まぁそのとおりかな、とも思えるんですが、ここはちょっと違うと思うんですけどね。
    現実の人権はその大量殺戮から産れたものだからです。<

    違うも何も、私は人権の生まれた経緯を説明したのではありません。

    >具体的に言いますと、国民の平等とはもともとナポレオン戦争によってヨーロッパ各地にに膾炙してきたものですが、その原因は徴兵制であり、要するに、国民の平等とは兵役の平等のことです。しかし、大量殺戮、すなわち徹底的な殲滅戦をやり始めたのがそのナポレオンなんですよ。<
    >それで、兵役の平等ですが、当時の密集戦ではちょっと訓練さえすれば歩兵ならバカでも勤まったんですよ。
    となると平等とは歩兵の平等のことです。現実の人権とはここから発生したものですよ。<

    その前がありますよね。さんざんにロックに言及してきたのだから、自然権(人権)の考え方を忘れてはいけない。
    市民社会の台頭で国家は国民国家に変容してきた。共和制あるいは民主化とは、軍の民主化をもたらすものです。兵役の平等から国民の平等すなわち、人権が生じたのではなくて、逆ですよ。

  • >>2845

    医学でもまた性差が注目され出した。
    アルツハイマーは女性が男性に比べて二倍のリスクがある。自閉症は男性の方が女性の2.5倍らしい。
    ある女性は胸部の息苦しさを慢性的に抱えていたが、何度受診しても問題が見つからなかった。ところがある日とうとう自動車の運転中に意識を失い、検査したところ、心臓内部の小血管に梗塞が見つかった。これは、従来考えられていた心臓の周辺を走る冠動脈に閉塞が生じることによって起こる心不全のモデルでは、発見することができない。

    研究が進むと、女性における心不全の凡そ34%が心臓内部の小血管が原因であることが分かってきた。
    言い換えると、多くの女性が検査で問題なしと診断され、死んできただろうということになる。

    フィッシャー博士は指摘している。
    「医学は、過去50年、男性のみを対象に研究されてきたのです」と。

    結論すると以下のようになる。

    ニーチェの洞察は正しいが、それは、男権的社会における男性をモデルに抽出されたものである。したがって、男権的社会を自明ものとする限りにおいての適用限界を持つだろう。

    NASAは、火星への有人探査を目標に、どのようなグループ編成が最も優れているのか実験を繰り返した。
    男女の比率を変えて150回ほど、グループの問題解決能力を判定したところ、男性だけでは競争心が強すぎて組織的活動として破綻する。一方、女性だけではリスク回避傾向が強すぎて、これもうまくいかないらしい。男女混成が最強だったらしい。狩猟採集時代の社会的分業によって生まれた性差と、その混成組織が最強だということになる。

    弱者に対する慈愛の心理学的基礎は女性の脳に刻まれている。共感能力、協調能力も本性としてある。その幾らかを男性も持っているはずで、教育や医学が変容してゆくように、道徳と倫理もまた変容していると予想できる。
    以上かな。

  • >>2844

    その離婚原因だが、夫婦の口喧嘩に注目した研究がある。
    どのように夫婦間の会話が口喧嘩に発展するのか実験を繰り返したところ、原因はその多くが男性にあることが分かった。男性の思考は、狩猟時代の進化によって原因追求型だ。ランダムな自然現象や動物の生態から法則を見つけ出して狩の成功率を上げる必要からそうなった。つまり会話としても、誰に原因があって、責任はどこにあるのかと追及してしまう。一方で女性は、採集を担当し、子育ては集団で行い、協調型コミュニケーションをする。女性が感情的だといのは科学的に根拠がないことも分かった。口喧嘩が始まると男性の心拍数は急激に上昇する。問い詰められると血圧を上げて攻撃の体制に移行するからだ。一方で女性は心拍数がほとんど上がらない。口喧嘩に耐えられず一方的に会話を打ち切るのは85%が男性だった。ペンシルバニア大学の感情読み取り実験でも、男性は女性に比べて他者の感情が読み取れないことが分かった。

    アメリカでは、この性差によって学習効率を高める試みが進んでいる。
    フロリダ州の公立校ではすでに500校程で男女別クラス編成が行われている。端的には次のような男女の性差を利用する。男子の教室では、教師は自分がボスであることをはっきりと示す。そうして会話は命令口調が基本だ。支配被支配のタテ組織に順応する男性の本能を利用する。女子の教室では、子供たちにペアを組ませて学習させた方が能率がいいらしい。男子は競争させ、女子は協力することが成果につながる。

    男性が権力に強い関心を持ち、征圧的、競争的本能を持つこと。逆に女性が、弱者の保護に強い母性を発揮し、協調協和的問題解決能力を発達させてきたことは、狩猟採集時代の役割分業に起因していると考えられる。

  • >>2842

    >私が思ってること、伝わりますでしょうか?
    つまり、自然法があって、その世界で、人為的な創造物もある。<

    うん。分かります。
    ウィキで「自然権」と検索してもらえれば、人は昔から道徳を人間本性に基づかせようとしてきた歴史がある、ということは理解できると思われます。人為規約的法は置いといて、道徳の自然本性的基礎づけにおいて、私になりに、ニーチェの正しさと限界を説明してみたい。

    脳科学の進展により、男女の性差が脳に起因することが色々と分かってきました。

    ラトガーズ大学、ヘレン・フィシャー博士は、恋愛の仕組みを30年にわたって研究しているらしい(笑)
    男性が女性と会話しているとき、脳のどの部位が活性化しているかを調べたところ性差があった。男性は視覚野が働き、女性は帯状回(記憶)が働く。これは、男性にとって、女性が健康か?出産に適している年齢であるか等を見分ける本能を反映し、女性にとっては、男性が信頼できる人間かを無意識に会話から判断していることを顕しているとされる。

    この差がなぜ生じるのかは進化人類学で次のように説明されるらしい。

    凡そ400万年前、人類は二足歩行を始めた。その際に、骨盤が圧迫されて大腿の間にある産道も狭くなった。そのため、人間の胎児は極めて未熟な状態で生まれる。十分に育つと産道を抜けられないからだ。生れ落ちるとすぐに歩き出し母親から乳を吸う馬の映像などを見たことはあると思う。ところが人間の新生児は何もできない。母親が付きっ切りで面倒を見なければならない18~36か月の間、男女は共同生活し、役割分担して子供を育てる必要が生じてきた。全生物の中で、つがいで子育てする生物はおよそ3%だが、人間のその期間はずば抜けて長い。この期間において、男女と子供が強固に結びついて一つの最小単位社会を維持するために、恋愛システムが発達したというのだ。これは、恋が3年程で冷める理由でもある。国連の統計によると離婚のピークは結婚して4年目だそうだ(笑)

  • >>2838

    >国家の振る舞い(意志)を掣肘する原理、人権と功利主義は否定され、かつて人類が経験したことない大量殺戮の世紀に近代ヨーロッパは突入していきます。

    横から失礼。
    ニーチェの解説は、まぁそのとおりかな、とも思えるんですが、ここはちょっと違うと思うんですけどね。
    現実の人権はその大量殺戮から産れたものだからです。
    具体的に言いますと、国民の平等とはもともとナポレオン戦争によってヨーロッパ各地にに膾炙してきたものですが、その原因は徴兵制であり、要するに、国民の平等とは兵役の平等のことです。しかし、大量殺戮、すなわち徹底的な殲滅戦をやり始めたのがそのナポレオンなんですよ。
    現代の戦争はナポレオン戦争に端を発したものですね。

    それで、兵役の平等ですが、当時の密集戦ではちょっと訓練さえすれば歩兵ならバカでも勤まったんですよ。
    となると平等とは歩兵の平等のことです。現実の人権とはここから発生したものですよ。
    しかし、今日においてこの歩兵の平等は怪しくなっています。高度な訓練が要求される近代的軍隊はもはやバカを必要とはしていないからです。

    まさにマルクスの言う、「下部構造と上部構造の爬行進行」と言うべきか、ことほどさように、人権なんて時代のイデオロギーに過ぎませんし、それが望ましいことかどうかはともかく、自由はさておき、平等のほうは今後大幅に見直されていく運命にあると思いますけどね。

  • >>2839

    > さらには、懐疑主義も認めない。
    > 何が正しいかについて、人間は結局見解が分かれて合意できないのだから、議論しても無駄という考え方を拒否する。

    はい。

    > あなたも東哲の議論で、このいずれかの主張を耳にするでしょう?
    > 議論しても無駄、みんなそれぞれでいいよね。オンリーワンだし。という風に、比較不可能性や決定不可能性に依拠するか、方便と称してどの教えも一緒とやる。それが、真理を扱う宗教に接近する態度として正しいのだろうか?


    > 人権に戻れば、人権(道徳)は、人の意志によって決まるのではありません。人の意志に左右されない不可譲・不可侵の権利です。性別にも、障害の有無にも左右されない。働いて国家に貢献しているか否かにも左右されない。容姿の美醜、才能、などあらゆる道徳的考慮、社会的な利益算定にも従わない。無条件的に持つ権利だと考えられています。

    はい

    > そうして仏教もまた普遍主義の思想なのです。

    はい、教えてもらって、私もそう思いました。

    > 慈経を覚えているでしょう。釈尊が繰り返し執拗に述べているのは、どのような人間にも無条件にして慈愛が注がれるというものです。その仏教倫理の基盤になっているのは法、すなわちダルマです。倫理学では自然法と呼ばれるもので、人為非ざる普遍法則によって仏教の倫理が支えられている。この考え方が真理ならば、認めてはならない考え方があるはずなのです。

    自然法か、人の意志から出るものが全てか、ってかんじなのかな、
    それで、ミカエルさんは、人権や道徳が自然法であってほしい、そう信じたい、ということかな。

    ここまでの時点で考えたこと書きます。

    私も、道徳や人権は自然法と信じたいです。
    そして、もし、それらが自然法とした時、現状を見ると、人為的な道徳もいっぱい現れてると思いました。
    その人為的道徳は、人の意志から発現してるものだと思いました。
    私が思ってること、伝わりますでしょうか?

    つまり、自然法があって、その世界で、人為的な創造物もある。

    そして、人が、人為的な道徳に付き合わざるを得ないのなら、それは、優しい意志から出た道徳を選択できるなら、私は幸せだと思いました、し、みんなも幸せなら嬉しいと思いました。

  • >>2838

    こんばんは

    > 私が人権の立場から、何故にニーチェに反論しなければならないのか説明しましょう。

    > 人権とは、人は生まれながらにして、生地や人種、性別などに関わらず、無条件に持つ権利だとされています。この無条件性こそ普遍主義の骨格です。再度マッキンタイアの説明を用いてニーチェの道徳把握を述べれば

    > 【彼の議論の基礎的構造は次のようなものだ。「もし道徳には意志の表現以外に何もないとすれば、私の道徳は私の意志が創りだすものでしかありえない。<自然権>、<功利性>、<最大多数の最大幸福>といった虚構のための場所はあり得ない。】みすず書房、『美徳なき時代』140p

    > 言い換えると、道徳は意志以外の基盤を持たない。ということです。

    はい。

    > この考え方は、政治学的には二つのテーゼに展開してくことになる。ひとつは、国家主権の絶対です。国家の決定は、その意志以外の基盤を持たず、その意志が正しいとか間違っているとか、判断する客観的基準は何もないということです。

    はい。

    >ふたつめは、独裁の肯定です。もし主権が意志によるものならば、合議体による意思決定は意志が備えなければならない人格の決断的要素を欠いているという考え方です。

    ?

    これは、法学上の法の決断主義や、主権者命令説と連動しています。このようにして、国家の振る舞い(意志)を掣肘する原理、人権と功利主義は否定され、かつて人類が経験したことない大量殺戮の世紀に近代ヨーロッパは突入していきます。

    国家の意志が基盤で、第一で、民衆のことなんかどうでもいいってかんじになるのかな?
    人命よりも国家の意志、ってかんじで。

    > また普遍主義は、価値相対主義(文化相対主義)、価値は相対的に決まるもので、互いの価値を比較してどちらが優れているとか判断することは不可能で、議論しても無駄という考え方も認めない。カースト制度について何も語れないという立場を拒否する。

    はい。

    > また、主観主義も認めない。価値は主観によってそうであるだけで、それを正しいとか間違っているとか判定する客観的基盤は何もないのだから議論しても無駄という考え方を拒否する。

    はい。

    無条件性の普遍主義かぁ

    色々教えてもらってありがとうございます。

  • >>2838

    さらには、懐疑主義も認めない。
    何が正しいかについて、人間は結局見解が分かれて合意できないのだから、議論しても無駄という考え方を拒否する。

    あなたも東哲の議論で、このいずれかの主張を耳にするでしょう?
    議論しても無駄、みんなそれぞれでいいよね。オンリーワンだし。という風に、比較不可能性や決定不可能性に依拠するか、方便と称してどの教えも一緒とやる。それが、真理を扱う宗教に接近する態度として正しいのだろうか?

    人権に戻れば、人権(道徳)は、人の意志によって決まるのではありません。人の意志に左右されない不可譲・不可侵の権利です。性別にも、障害の有無にも左右されない。働いて国家に貢献しているか否かにも左右されない。容姿の美醜、才能、などあらゆる道徳的考慮、社会的な利益算定にも従わない。無条件的に持つ権利だと考えられています。

    そうして仏教もまた普遍主義の思想なのです。
    慈経を覚えているでしょう。釈尊が繰り返し執拗に述べているのは、どのような人間にも無条件にして慈愛が注がれるというものです。その仏教倫理の基盤になっているのは法、すなわちダルマです。倫理学では自然法と呼ばれるもので、人為非ざる普遍法則によって仏教の倫理が支えられている。この考え方が真理ならば、認めてはならない考え方があるはずなのです。

  • >>2837

    >まあ、別に、私個人は、ニーチェさんに反論しなくてもいいと思ってますけど、と、言ったら、怒られるかな(^^;;

    怒りはしませんが、やはり、仏教を選好の問題にしてしまっていいの?とは思う。以前に言ったように、仏教がもし正しいのなら、許容してはならない考え方があります。反論しなければならないはずなのです。真理の問題として。

    私が人権の立場から、何故にニーチェに反論しなければならないのか説明しましょう。

    人権とは、人は生まれながらにして、生地や人種、性別などに関わらず、無条件に持つ権利だとされています。この無条件性こそ普遍主義の骨格です。再度マッキンタイアの説明を用いてニーチェの道徳把握を述べれば

    【彼の議論の基礎的構造は次のようなものだ。「もし道徳には意志の表現以外に何もないとすれば、私の道徳は私の意志が創りだすものでしかありえない。<自然権>、<功利性>、<最大多数の最大幸福>といった虚構のための場所はあり得ない。】みすず書房、『美徳なき時代』140p

    言い換えると、道徳は意志以外の基盤を持たない。ということです。
    この考え方は、政治学的には二つのテーゼに展開してくことになる。ひとつは、国家主権の絶対です。国家の決定は、その意志以外の基盤を持たず、その意志が正しいとか間違っているとか、判断する客観的基準は何もないということです。ふたつめは、独裁の肯定です。もし主権が意志によるものならば、合議体による意思決定は意志が備えなければならない人格の決断的要素を欠いているという考え方です。これは、法学上の法の決断主義や、主権者命令説と連動しています。このようにして、国家の振る舞い(意志)を掣肘する原理、人権と功利主義は否定され、かつて人類が経験したことない大量殺戮の世紀に近代ヨーロッパは突入していきます。

    また普遍主義は、価値相対主義(文化相対主義)、価値は相対的に決まるもので、互いの価値を比較してどちらが優れているとか判断することは不可能で、議論しても無駄という考え方も認めない。カースト制度について何も語れないという立場を拒否する。

    また、主観主義も認めない。価値は主観によってそうであるだけで、それを正しいとか間違っているとか判定する客観的基盤は何もないのだから議論しても無駄という考え方を拒否する。

  • >>2835

    こんばんは

    まあ、別に、私個人は、ニーチェさんに反論しなくてもいいと思ってますけど、と、言ったら、怒られるかな(^^;;

    >NHKスペシャル『男と女』を見たことはありますか?

    見たことはないです。

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