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家畜民族の行方

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  • 2016/09/06 18:27
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    おーーいニッキーーさ~~ん(^O^) ぷよーるっきゅい♪

    そいつはただのどスケベですよ~~

  • そうか。おれが自警団映画でマフィアを射殺する白バイ軍団の動画をはりつけたのも影響したな。そんなもんフィクションに決まってるだろうが。ワイルド7やマッドポリスの「黒い狼」が本当にあったら危なくて町を歩けないだろ! 

    ガリ勉くずれはこっちがテレビ感覚で言ってることを真に受けて真剣に怒り出すから困る。

    家畜民族の行方 そうか。おれが自警団映画でマフィアを射殺する白バイ軍団の動画をはりつけたのも影響したな。そんなもんフ

  • >>135

    無視リストということで猫をかぶるのをやめて本音書いちゃいます。おれにしてはよくがんばったべ?まったく猿芝居も疲れるぜ。このマヌケは法学部かなんか出てるのかな。おれは法学部なんて丸山眞男クラスでないと認めない。学問でもなんでもないからね。そんでこのマヌケは自尊心を満足させるために投稿しているようでおれのように自分と違う考えを聞こうという気はないらしい。議論をポケモンGOと考えてしまう投稿者は後を絶たないが秀才さんには困ったもんだ。おれは劣等生くずれでとにかくおもしろさだけを追求している。原理原則がどうだのやりたければ数学や哲学をやればいいわけでさ。 
    このマヌケにかかると奇抜な議論をすると注目を浴びていい気分になれるそうだ。おれが奇抜な意見のために現実生活でいかに迫害され憎まれ損してきたか。おれにとっては自然でも他人にとってはそうでないとわかるまで相当時間がかかってるんだよ。これは社会が悪いぞ。国家の戦争はいいが個人の殺人はだめだとかそういう事態が多すぎる。これをおれは二枚舌整合性、表面流通倫理と命名してる。要するにそのときの人間の都合によって社会の規範も規則もころころ変わる。所持金や地位や住む場所によっても判断は違ってくる。

    議論の力量ってなんだ? 豪邸の庭でティーカップ片手に愛想笑い浮かべながら教養薀蓄合戦やってるイギリスのバカ貴族みたいなことをやれってのかな。おまえは白樺派か!

    家畜民族の行方 無視リストということで猫をかぶるのをやめて本音書いちゃいます。おれにしてはよくがんばったべ?まったく

  • >>134

    あのね、指摘済みのことについて反省できない馬鹿をずっと相手にする趣味はない。

    >レイシストは思想ペストをまき散らし最終的には大量虐殺を引き起こす可能性があるので多様性の中にいれるわけにはいきません。そんなもん長い目で見ても評価が変わるとは思えませんし。<

    人種差別は戦争や虐殺の動因のひとつに過ぎないと指摘済み。
    護憲派は、戦争ができる国になったこと、アメリカの戦争に巻き込まれること、その可能性を危惧している。しかし、その可能性を理由に、私のような積極的平和主義を支持する人間や、改憲派を社会から排除したり、ましてや殺戮してはならない。

    >大量殺人犯や連続強姦犯と共存などしたくないのと同じです。<

    共存したくないと考えたり、そう主張したりすることは自由だ。しかし、それは殺戮の理由にならない。刑罰の理由はざっくりと以下になる。懲罰的制裁(こらしめ)、隔離(社会防衛)、償い、更生、犯罪抑止です。死刑にするには強い理由が必要になるが、あなたの議論には根拠のない可能性に基づく印象操作しか見当たらない。指摘済み。

    >レイシストはカウンターの側にも無惨な事態を引き起こします。人間が潜在的に持つ悪はリアルに持ち込まず文学や学問で表現すればいいと思います<

    だったらレイシストを不当に差別するあなたもまた、文学表現にとどめ、社会からの排除や殺戮を主張するべきではない。ともあれ、知識がないだけでなく、頭がどうしようもなく悪い人間とは議論しても無駄だからこれ以上は関わりたくない。未熟な人間は、過激な事、奇抜で独創的な事を口にして種目を惹き付け自尊心を満足させたがる。実際に議論の力量がある人間はその必要がないからしない。まぁクズは反省できないからクズなのだろうが、私はあなたを無視リストに入れ関わらない自由を行使する権利を持つ。しかし、あなたの言論を封じたり、殺戮することは許されない。重ね重ねリベラリズムに感謝することだな。というわけで無視リストだ。

  • >>133

    レイシストは思想ペストをまき散らし最終的には大量虐殺を引き起こす可能性があるので多様性の中にいれるわけにはいきません。そんなもん長い目で見ても評価が変わるとは思えませんし。大量殺人犯や連続強姦犯と共存などしたくないのと同じです。社会が健全になろうがなるまいがどうでもいいです。気持ちの悪い連中が近所にいたらやだという心理。どっかの島に世界各国のレイシストを集めて殺し合いをさせる見世物でもあれば喜んで見物しますが。レイシストしばき隊によるリンチ事件というのもありました。レイシストはカウンターの側にも無惨な事態を引き起こします。人間が潜在的に持つ悪はリアルに持ち込まず文学や学問で表現すればいいと思います。

  • >>131

    >レイシズムというのは、全く正当な理由なしで一部の人々を排除するという実に頭の悪い発想で、こんなものは社会にとってマイナスでしかないことはサルでもわかるだろう。<

    ま、ともあれそこが問題だ。
    正当な理由があるのか否かが。

    >オリンピックを見ればはっきりしていると思うが。
    バドミントンチームのコーチは韓国人だし、陸上短距離のケンブリッジ選手はジャマイカ出身だ。
    つまり出自などにこだわるのはアホ。<

    それは参加の目的によると思われる。
    単に能力を競うなら人種や民族・宗教は、ある選手の取り扱いにおいて他と区別するような理由にはならないだろう。しかし、参加が国威発揚あるいは民族団結にある場合、国家への忠誠や出身は意味のある区別となりうる。

    >結局のところ、レイシズムが社会に影響を与えることはマイナスなのだから、その社会に影響を与えなくなるまでは排除に努めなければならないのではないかな。<

    レイシストはマイナスだとは考えていないだろう。
    無縁氏は全体主義的多様性について、通時的に判断することだと説明していた。規則功利主義も似たように考える。レイシズムが一定に存在することが、長い目で見れば社会全体としてその健全を維持するのに必要かもしれない。私は規則功利主義のJ.S.ミルが大好きなんですが、彼は次のように説く。人間から悪なる本性は無くならない。重要なことは、その悪性を凌駕する良心の涵養にこそあるのだと。『ティアーズ・トゥ・ティアラ』『テイルズ・オブ・ベルセリア』というゲームでは、人間の業や悪癖を排除した完全な社会が追及され、愚なる人々は排除される。しかし主人公たちは愚なる人間を肯定し、統制的社会と戦っていく。私はそっちの社会の方がいい。

  • >>130

    >日本の家畜民は「道徳」というのを支配欲丸出しのバカから押し付けられてありがたがっているが、倫理というのはそういうものではないね。<

    あなたの言うように一般的議論では、個人が信じる善き生や行為を名指して「道徳」とし、それら異なる道徳を持つ個人が共生していくためのルールである上位規範を「倫理」と考えているのかもしれない。しかし、倫理学では道徳と倫理の区別というものはそれ自体が論争と定義の問題です。

    >アマルティア・センの経済学なら半分は倫理学だよね。<

    センにおける経済と倫理の統合は、社会選択理論のもつ欠点の修正として独自の意義は認めるが、リベラリズムにおいては、そもそも経済と倫理は一体のものです。まぁだから、センはちょっとカッコに入れておいた方がいいと思う。

    >経済というとすぐに弱肉強食の発想になる経済大好き家畜日本人からは1人もノーベル経済学賞の受賞者か出ていない。<

    そうかな?日本人には市場原理よりも社会主義的な保護政策と、厚生経済、福祉国家リベラリズムがなじみがあるように思うが。ところで、市場原理に倫理がないといいたいらしいが、市場原理の信念はとても倫理的なものです。優勝劣敗は進化論的に社会共通善を追及する手段で、市場は資源の最適分配をもたらす正義だとされています。

  • レイシズムというのは、全く正当な理由なしで一部の人々を排除するという実に頭の悪い発想で、こんなものは社会にとってマイナスでしかないことはサルでもわかるだろう。
    オリンピックを見ればはっきりしていると思うが。
    バドミントンチームのコーチは韓国人だし、陸上短距離のケンブリッジ選手はジャマイカ出身だ。
    つまり出自などにこだわるのはアホ。

    結局のところ、レイシズムが社会に影響を与えることはマイナスなのだから、その社会に影響を与えなくなるまでは排除に努めなければならないのではないかな。
    別にレイシストは生まれつきではないので、「転向」は不可能ではない。
    もっとも、もともと頭が悪いからレイシストになるわけで、そう簡単になおったりはしないだろうが。
    (注:レイシスト自身は転向出来たとしても、あのヘイトスピーチをやられた人は、一生、心に傷が残るかもしれない)

    ドナルド・トランプの支持者(兼レイシスト)が、
    「ヨーロッパはアラブ系に、アメリカはヒスパニック系に乗っとられる。日本(人)はレイシストだから、大丈夫だ。われわれも日本のレイシストを見習おう」
    といっていたそうだ。
    日本は現在差別大国ということだね。
    病人が出て電車が遅れた時に舌打ちする日本人が非常に多いということは、外人にしばしば非難されているようだ。
    この国は倫理が崩壊しているね。
    与党の政治家がどんなに出鱈目をやってもセーフだが、貧困の問題でテレビに出た女子高生は、ネット民から非難されデマを流され個人を特定され嫌がらせを受け、それに国会議員が便乗する国。
    殴り返してこない相手を延々と集団で殴り続けるのが日本の国技ということだ。
    日本というか、家畜民族自体がもう末期に来ているかも知れんね。

  • 「今だけカネだけ自分だけ」VS倫理

    1週間以上前の投稿をちら見しただけで書いているので、すでに話題とはずれているかもしれないが、
    倫理的であることは、社会にとって(コスト面でも)プラスだろうね。

    「今だけカネだけ自分だけ」のバカが世の中の迷惑であることは疑いの余地がないが、
    その「バカ」の反対側が「倫理」だよ、という話。
    日本の家畜民は「道徳」というのを支配欲丸出しのバカから押し付けられてありがたがっているが、倫理というのはそういうものではないね。

    例えば、街を歩いていて倒れている人間を見つけた場合、その人物を助ける行為は、助ける側にとって時間的なロスがあるし余分なカネ(や手間)がかかるかもしれないが、
    1人の人間がその場で死なずに助かってしばらく生き続けることは(ほとんどの場合)本人にとっては多大な利益になるし、社会にとっても普通にプラスだろうね。
    無論、倒れているのがアベシンゾー君だったらスル―したほうがいいとは思うが。
    ちなみに、大抵は、人助けをすれば気分が良くなるので助ける側もあまりロスはないと思う。
    家畜は違うかもしれないが。

    倫理的であることは、社会(人類)全体にとって、長い目で見て(コスト面でも)プラスになるだろ。
    功利主義の倫理学というものもあるし、
    アマルティア・センの経済学なら半分は倫理学だよね。
    経済というとすぐに弱肉強食の発想になる経済大好き家畜日本人からは1人もノーベル経済学賞の受賞者か出ていない。
    (日本で研究しているというだけで一切評価されないらしい)

    レイシズムというのは、全く正当な理由なしで一部の人々を排除するという実に頭の悪い発想で、こんなものは社会にとってマイナスでしかないことはサルでもわかるだろう。
    オリンピックを見ればはっきりしていると思うが。
    バドミントンチームのコーチは韓国人だし、陸上短距離のケンブリッジ選手はジャマイカ出身だ。
    つまり出自などにこだわるのはアホ。

    つづく

  • >>118

    >いずれも独自の定義がなされており

    太宰治の「家庭の幸福」という短編(青空文庫で読めます)を読めば「生活原理主義」とはなんであるのかわかると思います。私はあまり文才がないのでいきなり説明抜きの用語で始めるクセがあります。ウィリアム・ギブスンのスプロール三部作の猿真似とでも思ってください。

  • >>120

    >あなたの主張は予め存在する特定の見解を基礎とするものではない。議論の中でキーとなる重要概念が変節することは、後付けの取り繕いであることを示している。

    ものわかりの悪い堅物相手に妥協の産物としてわかりやすい例を出してるだけです。文化や社会を論理や数学と同様に扱うことはできないと思っているので。

    >証拠を示さなくていい無責任な発言を繰り返しても、凡庸以上であるかのように自らの自尊心を維持する

    世界をどう解釈するかそしてどういう感想を持つかを示すことが「自尊心」だの「戦略」だのになぜ結びつくのかわかりません。そういえば土下座ゴキブリは「劣等感」から数学にしがみついてるようですがある種の投稿者は豊富な知識で他者を圧倒することが動機になるようですね。学問や芸術は娯楽であると考えたほうが楽しいと思います。

  • >>117

    >その理由を尋ねると奇妙な見解ばかりが続く。

    私も奇妙な態度には悩んでましてね。正義や倫理について飽きもせず議論し続けるが満州に25万人を置き去りにしたり都市爆撃を行う人間は野放しにする態度とか。レイシストが民族浄化を行ってる間もリベラリズムがどうしたとか学問がどうしたとか立身出世論文に余念のない学者もいましたが。

  • >>120

    >根拠のない誹謗中傷をなし、特定の人々を不公正に扱うよう主張するあなたこそが差別主義者ではないか。

    誹謗中傷に根拠がいるというのは不思議ですな。根拠がないから誹謗中傷なんです。

    >その程度の知的白雉がレイシストに太刀打ちできるものかね。

    全体主義者は太刀打ちしようなどとはしません。ゴキブリやハエは駆除するだけです。現実はポケモンGOや三文アニメのように単純ではないですから。

    >特定の人々を不公正に扱うよう主張するあなたこそが差別主義者ではないか。

    レイシストを人々とは思っていません。病原菌や産業廃棄物と思ってるので。

    >その程度のクズでもリベラリズムはその言論を寛容し、成員の一人と多様性の中に許容する。

    私は寛容でもないしレイシストを許容する気もないのであなたも無理しなくていいでしょう。全体主義者は駆除すると主張すればいいんですよ。

  • >>119

    私は、レイシストを自称する人間をひとり知っていた。ビスマルクという法学畑の人間だが、言うまでもなく豊富な事例と判例、学内コンセンサスを論拠とする。もう一人、レイシストかもしれない人間を挙げればイストラン氏だ。私はそう判断していないが、東哲の書き込みと、直近の倫理学トピにおいて桜井氏への賛同を表する記述から、レイシストと判断する人間も当然にいるだろう。しかし、イストラン氏もまた、豊富な歴史資料と考証資料を背景にしており、具体的明証に開かれている。

    ところがあなたには何もない。
    その程度の知的白雉がレイシストに太刀打ちできるものかね。
    根拠のない誹謗中傷をなし、特定の人々を不公正に扱うよう主張するあなたこそが差別主義者ではないか。
    だが、その程度のクズでもリベラリズムはその言論を寛容し、成員の一人と多様性の中に許容する。感謝したまえ。

  • >>118

    「進化」を後に言い換えてなおかつ内容を与えなかったり、「社会資源」を「文化資源」と訂正したりすることから推測すると、あなたの主張は予め存在する特定の見解を基礎とするものではない。議論の中でキーとなる重要概念が変節することは、後付けの取り繕いであることを示している。

    「根拠なんて~後付けだよ~~♪」(ガールズ&パンツァー主題歌)としても杜撰に過ぎる。

    「全体主義」「多様性」「合理性」「進化」「社会・文化資源」あらゆる論題には学問的研究が存在し、用語のコンセンサスがあるのにそうしないのは、あなたが何の知識もないと、もはや断定してよいように思われる。

    【知識で相手に劣る場合には、具体的な問題を本質論にすり替えるなどして、相手の豊富な知識が役に立たなくなるような議論の立て方をする。】(香西秀信『反論の技術』114p)

    あなたの場合は、凡人を無効として自ら都合のよい天才をでっち上げる構想によって同様の戦略が企図される。
    先に示したように、凡人ですら多くの根拠を示すのが普通だが、あなたはそれらの論争と関わらなくて済む。独自の用語法と天才論によって全て葬られる。まともに議論すれば凡人にすら全く太刀打ちできない知的白雉が、凡人と比較され、自らのそのクズぶりに打ちのめされないよう低能なりに開発した戦略だと思われる。証拠を示さなくていい無責任な発言を繰り返しても、凡庸以上であるかのように自らの自尊心を維持する、ハッタリ土下座ゴキブリの一変種だ。

  • >>117

    「寸止め多様性」「進化」「全体主義」「生活原理主義」いずれも独自の定義がなされており、独創的な主張の理由を尋ねれば、再び独創的な定義や用語が持ち出される。根拠とされる説明は、説明文が説明を与える被説明文より、より承認しやすいものでなければならないというのが常識だと思われるが、あなたの説明はどこまでいっても根拠のない独断によって基礎が与えられる。

    人種差別問題を扱ったもので私の手元にあるのは、内藤正典『ヨーロッパとイスラーム』、田中宏『在日外国人』の二冊だけだが、いずれも、豊富な実際の事例、統計、意識調査、費用便益分析、判例を根拠として示している。あなたは凡人をどうやら軽視し、天才ばかりを語りたがるが、凡人ですら当然のこととして証拠を示す。ところがあなたの主張には、驚くべきことに何もない。その戦略は以下のようなものだと考えられる。

  • >>114

    >判断は個人の感想ですから。流通させるつもりはありません。<

    そうですか。ならば最初から根拠のない感想だと宣言しておくべきです。
    面倒くさいから終わらせます。

    レイシストはどのように許容されるか?あるいはどのように許容されないか?

    この問題は、リベラリズムが思想と言論の自由を主張する以上、その原理が必然的に抱え込んでしまう難題であり、この問題に一貫した回答を示すことが理論の試金石ともなる。(ロールズ『正義論』第35節「不寛容派に対する寛容」)同時に一方では、まさにこの難題のジレンマにリベラリズムの限界を探る視線も注がれる。サンデルがその著において冒頭で指摘するのもレイシストの問題だ。

    【ネオ・ナチは、イリノイ州のスコーキー、ホロコーストの生存者がかなり住民となっているコミュニティの中を行進する権利があるべきなのか。白人至上主義の集団は、その人種差別の見解を公表することが許されるべきなのか。(略)増悪の言論の事例では、危険と見なされるものは、リベラルな人格構想によって、窮屈なものになっている。この構想によれば、私の尊厳は、私に宿う社会的役割からでなく、それよりも私自身のための役割とアイデンティティを選択する私の力量から成立している。しかし、この意味からは、私の尊厳は、私が一体感を持つ集団に対して向けられた侮辱によっては、決して害されないことになる。いかなる増悪の言論もそれ自体、危害を構成することはありえない。(略)したがってリベラルは、何らかの実際的な物理的危害を喚起するようになりそうなときを除いて、増悪の言論への制約には反対するだろう。】サンデル『リベラリズムと正義の限界』

    あなたは、この難儀な規範的正義論の論争の中心地のひとつに対して、排除するべきだと明瞭な態度を示した。
    ところが、その理由を尋ねると奇妙な見解ばかりが続く。

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