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河野太郎

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  • 2016/07/04 20:32
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    自民党総裁選の3人の1人河野太郎、この男が言っている事が一番まともな意見だ。今の自民党にはこう言う人間が総裁になるべきだと思う。
    http://www.youtube.com/watch?v=g0yvPm5ZISs

    他の西村、谷垣には『覇気』が無い。

    谷垣は顔が欲張りのウサン臭いオヤジだ。SMをやっていそう。
    谷垣・・・こやつ趣味は多分、ローソク&浣腸SMか・・・。

    西村に至っては、何を言っているのか訳が分からない・・・。

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  • ★“基地ノー勢力”を勝利へ

     安保破棄大阪実行委 

     沖縄に連帯集会



     しんぶん赤旗 2010年6月5日



    大阪安保の親玉、
    安保破棄大中央実行委員会のリンク先を見ますと

    常任幹事団体


    ・ 全国労働組合総連合
    ・ 日本国家公務員労働組合連合会
    ・ 全日本教職員組合
    ・ 日本自治体労働組合総連合
    ・ 全日本建設交運一般労働組合
    ・ 日本出版労働組合連合会
    ・ 日本共産党中央委員会
    ・ 新日本婦人の会中央本部
    ・ 日本民主青年同盟
    ・ 全国商工団体連合会
    ・ 全日本民主医療機関連合会
    ・ 日本平和委員会
    ・ 原水爆禁止日本協議会
    ・ 自由法曹団
    ・ 農民運動全国連合会

    全部、共産党の下部組織じゃないか!
    中学生にも投票資格を与えたのは
    共産党の下部組織である全日本教職員組合が
    「平和教育」と称して洗脳工作が可能だからでしょう。

    まったく、卑怯極まりない!



    与那国島の自衛隊配備住民投票。

    基地反対の野党議員は

    >永住外国人にも投票を

     認めるとしています。



    これが、日本の現実・・・

    これが、共産党や社民党の手口・・・

    これが、報道しない左翼マスゴミの汚さ!



    これが、

    米軍基地反対、自衛隊配備反対派の正体

    河野太郎 ★“基地ノー勢力”を勝利へ   安保破棄大阪実行委    沖縄に連帯集会

  • 特別永住資格が約44万人いる。
    約3分の2は10年以内に朝鮮半島に帰らなければならない。
    一般の外国人と同じなら、法務省の規定で3親等以内に犯罪
    者がいたら帰化できない。

    そもそも永住許可もない。
    盗みや殺人などがゴロゴロいる。
    6年前(2006年?)のデータでは、年間約5千人の在日韓国
    朝鮮人が逮捕されている。

    同じ者が2回逮捕されているのもいる者もいるだろうが、そ
    れでもとんでもない数だ。

    累計では何十万人も逮捕されている。
    そこから計算すると、ほぼ全ての在日韓国朝鮮人は、本来な
    ら永住許可が下りずに、そもそも日本にいる事が出来ないは
    ずだ!

    ところが、特別永住資格が在日を守っている。
    どんなに犯罪しても、ずーっと日本に居て良い。

    特別永住資格を定めてる入管特例法第9条には、たとえ特別
    永住者であっても、重犯罪者、懲役7年以上、あるいは麻薬
    などの特別公判といった重犯罪者に対しては、日本から強制
    退去処分が出来るとある。

    ところが1970年以降、殺人やろうが放火やろうが強姦や
    ろうが、実際に1人もいない。
    在日韓国朝鮮人で、国外退去処分になった例は一つもない。

    河野太郎  特別永住資格が約44万人いる。  約3分の2は10年以内に朝鮮半島に帰らなければならない。  一般

  • 龍柱建設 那覇市 



    翁長雄志市長が約1億6千万円を



    尖閣で対立の中国に発注する予定…



    市民が「龍柱」建設計画を批判



    2014年09月21日


    那覇市若狭に計画されている「龍柱」の建設阻止に向けた大会

    (主催・住みよい那覇市をつくる会)が17日、沖縄県立博物館

    の講堂で開かれ、約150人が参加した。

    那覇市(翁長雄志市長)は龍柱を中国に発注する予定で、尖閣

    諸島(石垣市登野城)周辺海域で中国公船の領海侵犯が常態化

    する中、市民団体などから批判の声が強まっている。

    那覇市は都市計画法に基づく都市マスタープランの一環で、新

    しい都市のシンボルにしようと、那覇市若狭に高さ15メートル

    の龍の柱を立てる計画を推進している。

    財源は国からの一括交付金約2億5千万円。
    うち材料とデザイン料を含む製作費の約1億6千万円は中国に

    発注する予定。

    http://www.yaeyama-nippo.com/2014/09/19/龍柱-建設計画を批判-尖閣で対立の中国に発注-那覇/

    ★【沖縄知事選】翁長那覇市長を支援する団体に中国政府が資
    金援助か 習近平が目論む“米国基地移転潰し” [06/13]
    http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1402643313/


    ★【沖縄知事選】辺野古反対の社民や共産からも支援…中国に
    2億6700万円で「龍柱」作らせた那覇市の翁長市長が出馬
    表明
    http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1410334264/


    【沖縄知事選】常軌を逸した「沖縄タイムス」と「琉球新報」
    中国に2億5000万円で龍柱を作らせる那覇市の翁長市長を
    支持
    http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1407929861/

    ★【沖縄】那覇市「中国とゆかりが深いまちづくり」 2億
    6700万円の「龍柱」年内完成 [06/16]
    http://ai.2ch.sc/test/read.cgi/newsplus/1402927935/


    こいつが11月の沖縄知事選出馬の翁長那覇市長 ↓

    河野太郎 龍柱建設 那覇市       翁長雄志市長が約1億6千万円を      尖閣で対立の中国に発注する予

  • 何ゆえに、創作工房と化したのか???





           日夜繰り返される歪曲、捏造の協奏曲!!





             歴史は、作曲・編曲の繰り返しでしかない!!





    「戦前(昭和14年)に日本内地に住んでいた朝鮮人は約100万人で、終戦直前には約200万人となった。増加した100万人のうち70万人は自分から進んで内地に職を求めてきた個別渡航者と、その間の出生によるものである。

    残りの30万人は大部分鉱工業、土木事業の募集に応じてきた者で、戦時中の国民徴用令によるものはごく少数である。(中略)

    終戦後、昭和20年8月から翌年3月まで、希望者が政府の配給、個別引き上げで合計140万人が帰還したほか、北朝鮮へは昭和21年3月、連合国の指令に基づく北朝鮮引き上げ計画で350人が帰還するなど、終戦時までに在日していた者のうち75%が帰還している。(中略)

    現在、登録されている在日朝鮮人は総数61万人で、関係各省で来日の事情を調査した結果、
    戦時中に徴用労働者としてきた者は245人に過ぎず、現在日本に居住している者は、犯罪者を除き、自由意志によって残留した者である。」

    1959年7月13日朝日新聞

    在日は「強制連行」ではない。by朝日新聞(!)


    今と言ってる事が全然違いますね。

    河野太郎 何ゆえに、創作工房と化したのか???              日夜繰り返される歪曲、捏造の協奏曲!

  • 慰安婦問題についてはっきりと自分の意見を言え! 避けているとしか思えない。 親子そろって汚い家系だ。

  • 日夜いたちごっこが続いています




    しかも、エイズ陽性患者だった・・・




    数年前にも、3つの州から指名手配中だった
    韓国人売春婦が、名前を変えて営業中に逮捕という
    事件がありました・・・
    しかも、エイズ陽性患者だったので
    アメリカの田舎町がパニックに陥り、衛生局まで
    出動するという騒動に・・・

    このようなニュースが報道されると
    アメリカの韓人団体は「韓人社会が誤解される」
    などと、危惧だけはしますが・・・
    売春に走る同胞女性を蔑むだけで、
    助けようとか何とかしようとかは思わない。
    ロビー活動費や慰安婦像建設費は出しても
    同胞売春婦には冷たい・・・

    「コリアンSPA」や「コリアン・マッサージ」は
    保安局や警察の監視対象!
    アメリカ社会では「おとり捜査で一網打尽」を目標に、
    日夜いたちごっこが続いています。



    So Yeon Kim (36歳) 指名手配犯  ↓

    河野太郎 日夜いたちごっこが続いています      しかも、エイズ陽性患者だった・・・     数年前にも、3

  • これぞ道州制の見本!!






    日本よりも圧倒的に進んでいた地方自治!!



           


    道議会議員の8割、警官の6割が朝鮮人だった


    当選者の8割となれば圧倒的多数が朝鮮人である。これが何を意味するかといえば、朝鮮人自身が、行政を監視する立場にあったということである。

    当時もし、朝鮮人にとってあきらかな行政の問題があったのならば、彼ら朝鮮人の議員がそれを正すことができたはずである。議会の圧倒的多数派が朝鮮人であったのだから。

    現代の韓国人は彼らの存在を「親日派」として無視するだけだろうか。

    次に警察官に関してだが、
    朝鮮の警察は1919年まで、一般の警察官の他に、陸軍の憲兵が一般の警察も兼ねる憲兵警察制度をとっていた。朝鮮人警官の汚職が多いからだ。

    資料によれば、憲兵警察は2,019名(その内、憲兵補助員としての朝鮮人が1,012名)、
    憲兵警察を含む警察官数は7712名。そのうち、朝鮮人警察官は4440名とある。

    つまり、57.5%が朝鮮人ということになる。

    憲兵警察制度が終わると、今度は道知事の下に警察が置かれたが、道知事も半数が朝鮮人であった。

    併合時代の警察官が横暴だったという話があるが、当時の警察官の負担人口はかなり多い。現代の欧米諸国の警察官一人あたりの負担人口は300~400人。当時の朝鮮の警察官の負担人口は1,685.7人となる。

    併合初期の朝鮮の人口1,300万人に対して、警察官はたったの7,712人だったからだ。
    現在の東京都が、人口1,322万人(昼間1,557万人)に対して警察官が46,721人であるのと比べれば、およそ1/6である。少なくとも、併合時代の朝鮮が、それほど厳しい監視社会だったとは思えない。

    これが“苛酷な植民地支配“の実態なのです。
    そもそも、これが植民地と呼べる状態なんですかね・・・


    下の写真は、1933年の5月に朝鮮半島で行われた道議会議員選挙の当選者一覧である。81%が朝鮮人で占められている。1933年5月11日の朝日新聞南鮮版に掲載された。
    また警察に関しても、併合年でも警察官の約6割が朝鮮人である。
    その後、朝鮮人警官の割合は増えていったという。

    河野太郎 これぞ道州制の見本!!        日本よりも圧倒的に進んでいた地方自治!!           

  • ドルを稼ぐ英雄??





          押しつけて切り捨てていた

     



              くさい物にはフタ





    あれだけ日本の悪口を世界中に流しておいて自国に累が及べば“くさいものにフタですか?

    ■韓国社会で黙殺される米軍慰安婦

     朝鮮戦争の休戦後、在韓米軍基地の近くに「基地村」と呼ばれた売春街が設けられた。そこで米軍を相手に売春をしていた韓国人女性122人が6月25日、韓国政府を相手どった訴訟をソウル中央地裁に起こした。

    原告女性らは「米軍慰安婦」として韓国政府の厳しい管理下に置かれ、人権を侵害された-などと主張し、一人あたり1000万ウォンの国家賠償の支払いを求めたのである。

     原告女性を支援する団体によれば「米軍慰安婦」による国家賠償請求訴訟は初めて。ニュースバリューは高いはずだった。今まで日本の慰安婦問題を世界中に喧伝してきた韓国にはブーメランのように自らに返ってくる問題でもある。

     日本に対して「慰安婦」の強制動員を認めて謝罪せよ、と執拗に求めている手前もあり、韓国は「女性の性的搾取」を容認しない姿勢を世界に見せてきてもいる。こうしたことから今回の提訴には高い関心が集まるのではないかとみる向きもあった。だがこの提訴は韓国社会からほぼ、黙殺された。

     メディアでは左派系のハンギョレ新聞が7月5日、仮名で「キム・ジョンジャ」と名乗る原告の一人にインタビューして大型のカバーストーリーとして伝えたが、通信社の聯合ニュースは提訴当日の記者会見を淡々と伝えた程度だった。

     韓国の主要メディアはなぜこの問題を黙殺したのか? 国民は「日本軍」による「従軍慰安婦」問題に対するときのようになぜ、沸騰しないのか? それは韓国にとって「不都合な秘密」(ハンギョレ新聞)だからだ。

     ある野党系の国会議員のスタッフはいみじくも、こう言った。

    「くさい物にはフタ、ですよ。この問題を突き詰めると朴正煕元大統領の責任論につながり、ひいては娘である朴槿恵大統領の政権の正統性にも関わる問題なのです。

    騒げば、韓国社会がかつて、様々な事情から売春をせざるを得なかった女性に米軍兵士の性欲処理を押しつけて切り捨てていたという目にしたくない事実が表面化してしまう」

     韓国政府にとって、今回の提訴は新しい問題提起では決してなかった。歴代政権は「米軍慰安婦」を知っていたし、「ドルを稼ぐ英雄」としておだててもいる。

    さらに、この問題が本格的に社会に訴えかけられてから10年以上が経過するのだが、左派政権当時も含めて問題の全面解決には至らなかった。

    河野太郎 ドルを稼ぐ英雄??            押しつけて切り捨てていた                 

  • 日本人の多くが知らない





            こういう歴史・絆を今こそ「知る」べきです!!





    戦後、スリランカのジャヤワルダナ氏の演説がなければ、日本という国は無くなっていたかも知れない・・・心から感謝すべき国。


    ジャヤワルダナ大統領は戦後の日本を救った一人。

    1951年にサンフランシスコ講和会議で、日本と戦った国は莫大な賠償を日本に請求。

    更に日本の領土分割案も出ていた。
    当時、大蔵大臣だったジャヤワルダナ氏のスピーチで方向が大きく変わった。
    スリランカの資料館にはそのスピーチ原稿と肉声が残されている。


    ジャヤワルダナ氏「日本から賠償をとるべきでしょうか?我々は権利を行使するつもりはありません。憎しみは憎しみでは消えず、愛する事によってなくなります。」(大拍手)

    会場は万雷の拍手に包まれ、日本は分割統治を免れた。 

    吉田茂元首相は「日本人はこの大恩を後世まで忘れてはならない」と。


    日本人が知らないだけでスリランカは世界で最も親日国なのです。

    何故そこまで親日なのか?

    ヨーロッパ列強と戦った勇気ある偉大な国としての日本、その国民に対して敬意を表するところがあるからです。


    ジャヤワルダナ大統領は1996年に亡くなったが、両国を見守りたいという思いで、右目の角膜をスリランカ人に、左目の角膜は日本人に送ってくれと遺言。


    この方がスリランカ初代大統領のジャヤワルダナ氏です。 ↓

    河野太郎 日本人の多くが知らない              こういう歴史・絆を今こそ「知る」べきです!!

  • デマを記事にして、何が悪い!!





               政治にデマゴーグはつき物なのだ!!





           朝日新聞、しんぶん赤旗、の罪と罰は・・・





                         家永三郎までもが・・・




    吉田 清治(よしだ せいじ、1913年(大正2年)10月15日 - )は福岡県(山口県とも)出身の元日本陸軍軍人であり作家。強制連行犠牲者遺骨祭祀送還協会の元会長。清治は筆名で、本名は吉田雄兎。『私の戦争犯罪』などの著書を上梓し、済州島などで戦時中に朝鮮人女性を慰安婦にするために軍令で強制連行(「慰安婦狩り」)をしたと告白証言を行いその謝罪活動などが注目された。

    が、後に日本と韓国の追跡調査から創作であることが判明し、本人も認めた。しかし吉田の証言は国連クマラスワミ報告やアメリカ合衆国下院121号決議などの事実認定でも有力な証拠として用いられている。

    戦中に陸軍労務報告会下関支部動員部長であったと自称した。終戦後の1947年(昭和22年)に、下関市議会議員選挙に日本共産党から立候補。129票を獲得したが落選したという経歴を持つ。

    1977年以降、吉田は戦時中に済州島などでアフリカの奴隷狩りのように若い朝鮮人女性を軍令で捕獲・拉致し、強制連行したと著書や新聞や講演などで語った。

    この吉田証言は、1992年の韓国政府による日帝下軍隊慰安婦実態調査報告書や1996年の国連人権委員会のクマラスワミ報告や1998年のマクドゥーガル報告書でも慰安婦強制連行の証拠として採用された。また、これら報告はその後も修正していない。

    2006年の米国下院が慰安婦問題で対日非難決議案を審議する際の資料とされた同議会調査局の報告書でも「日本軍による女性の強制徴用」の有力根拠として「吉田証言」が明記された。2007年2月25日の決議案審議のための公聴会の時点ではこの吉田証言に基づいた資料を判断材料としたうえで、2007年6月26日にアメリカ合衆国下院121号決議が可決した。

    西岡力は、吉田が「慰安婦=性奴隷」説を最初に主張した人物であると述べている。

    1983年(昭和58年)に、済州島で200人の女性を拉致したと証言する『私の戦争犯罪』を上梓。いわゆる従軍慰安婦問題の発端となったともいわれ、1989年には韓国語版も出版された。

    1983年12月に天安市に私費で謝罪碑をたてるために訪韓し、元労報徴用隊長の名義で土下座した。1983年11月10日には朝日新聞が「ひと」欄で吉田清治の謝罪碑活動を紹介した。歴史家の家永三郎も『戦争責任』(岩波書店、1985年)で吉田の著作を賞賛した。

    その後も朝日新聞・しんぶん赤旗などで自身の「戦争犯罪」の告白を展開。韓国にも赴き、講演と謝罪を繰り返した。このような告白、謝罪を行った吉田は当時「勇気あるただ一人の告白者」とされていた。

    1989年8月14日に済州島の現地新聞「済州新聞」の許栄善記者は、済州島城山浦の85歳の女性の「250余の家しかないこの村で15人も徴用したとすれば大事件であるが、当時はそんな事実はなかった」という証言を紹介し、吉田の著作には「裏付けの証言がない」として、吉田のいう済州島での「慰安婦狩り」は事実無根であり、吉田の主張は虚偽であると報じた。

    また同記事で済州島の郷土史家金奉玉も、「1983年に日本語版が出てから何年かの間追跡調査した結果、事実でないことを発見した。この本は日本人の悪徳ぶりを示す軽薄な商魂の産物と思われる」と、数年間の追跡調査で吉田証言が事実ではないと批判した。

    1993年、韓国政府は日本政府に日本の教科書に慰安婦について記述するよう要求し、1993年6月30日には、日本の高校日本史検定済み教科書七社九種類のすべてに、従軍慰安婦に関する記述が掲載されることがわかった。

    吉田は自著の虚偽を指摘された後も韓国での謝罪行脚や朝日新聞での証言を続けていたが、1995年に「自分の役目は終わった」として著書が自身の創作であったことを認めた。

    1996年(平成8年)5月2・9日付の週刊新潮インタビューで吉田は以下にように語った。
    “まあ、本に真実を書いても何の利益もない。事実を隠し、自分の主張を混ぜて書くなんていうのは、新聞だってやることじゃありませんか。”-週刊新潮1996年5月2/9号
    と語り、自らの証言を創作(フィクション)であることをあらためて発言した。


    こいつが稀代の詐話師、吉田 清治  ↓

    河野太郎 デマを記事にして、何が悪い!!                 政治にデマゴーグはつき物なのだ!!

  • 日本と一緒に大東亜戦争を戦った朝鮮



    なぜ米国はこれほど徹底して朝鮮独立勢力を無視したのか?
    一つは韓民族としてまとまって国家を運営していく準備があるのか、という疑問があった。現実に「光復」後も朝鮮独立のリーダー達は内部抗争に明け暮れ、呂運享も、その政敵だった宋 鎮禹も、そして「暗殺の神様」と言われた金九自身も、政争の中で暗殺されている。

    もう一つは、韓民族が戦争中に見せた、日本と一体となって 戦い抜く姿勢である。その筆頭は日本の陸軍士官学校を出て、めざましい働きをした軍人たちである。まず陸軍中将まで栄進 した洪思翊。日本人部隊を率いて抜群の勲功を立て、軍人として最高の名誉の金鵄勲章を授与された金錫源・陸軍大佐。戦後 大統領となった朴正熙は、陸軍士官学校を出て、終戦時は満洲 国軍中尉だった。

    こうした人々の活躍に刺激されて、昭和18年には6千3百人の志願兵募集に対して、実に30万人以上の青年が応募し、 倍率は48倍にも達した。血書による嘆願も数百人にのぼり、希望が入れられずに自殺までした青年も現れて、総督府を困惑 させた。大東亜戦争に軍人・軍属として出征した朝鮮青年は合計24万人にのぼり、そのうち2万1千余人が戦死して靖国神社に祀られている。

    一命を捧げた人々の中には朝鮮出身者でありながら特攻戦死 した金尚弼ら14人、戦後に日本軍人らと共にインドネシア独 立軍に身を投じた梁七星、報復裁判で戦争犯罪人として処刑 れた軍人、軍属147名などがいる。これらの人々はまさに日本の軍人と同じ悲劇を共に歩んだのである。

    「(日帝は)戦争協力のため韓国の人的・物的資源の収奪に狂奔した」と韓国の高校国史は書くが、目立った反乱もテロもゲリラ活動もストライキもなく、これだけの戦意の高揚を見せつけられれば、それをすべて日本軍国主義の強制によるものと見 なすのは事実として難しい。

    アメリカから見ても、韓民族は日本と一体となって、戦争に邁進していると見えたはずである。そういう民族を分離独立させたからと言って、すぐに連合国の都合の良いように振る舞うはずがない、と考えるのは、ごく自然だろう。ルーズベルトが3,40年の信託統治を考えたのも、十分理解できる。逆に、朝鮮総督府がアメリカの占領前に慌てて朝鮮を独立させようとしたのも、共に戦ってきた同胞としての信頼感があったからであろう。

    この人が陸軍中将まで栄進 した洪思翊氏  ↓

    河野太郎 日本と一緒に大東亜戦争を戦った朝鮮    なぜ米国はこれほど徹底して朝鮮独立勢力を無視したのか?

  • 私は死ぬ前にこの幸せな日を見ることができた喜びに泣いた





         爆撃機が飛んできても避難しないで





    着ていたシャツを破り、それを振って歓迎した





    【ビルマ独立】



     昭和15年(1940年)11月23日タイとフランス植民地軍との国境紛争が勃発。当初攻勢だったタイ軍であったが、フランスが重火器を導入し、一転劣勢となり押し捲られる。ここで日本が仲介し、昭和16年(1941年)5月8日に東京条約を結びタイはラオスメコン川右岸及びカンボジアのバッタンバン・シエムリアプ両州を獲得する。このとき日本はタイでの無害通行権を得ている。

     昭和16年(1941年)12月8日、日本は連合国へ宣戦布告(タイは翌年1月25日に連合国へ宣戦布告)。開戦と同時に、第33師団および第55師団を基幹とする日本軍第15軍はタイへ進駐し、ビルマ進攻作戦に着手する。

    12月15日ビクトリアポイント(現在のコートーン)を占領。12月28日タイのバンコクでビルマ人を集め「ビルマ独立義勇軍」を結成。年明けに日本軍はタイから国境を越えタボイ、トングーへ入りラングーンへ向けて進撃する。

    翌昭和17年3月8日には首都ラングーンを占領した。そして政治犯として刑務所に収監されていたバー・モウを解放し、彼を行政府の長官に就任させた。

     ビルマ初代首相タキン・ヌー氏
    「ビルマの民は日本軍を信頼していた。日本の爆撃機が飛んできても避難しないで着ていたシャツを破り、それを振って歓迎した。」

     ヤンゴン大のタン・タット歴史学教授
    「神のごとく振舞ってきた英国人が青ざめ、逃げ惑うのは見ていて痛快だった。彼らの手先だったインド人がご主人様の顔色に敏感に反応して、まるで沈没する船から逃げ出すネズミのように群れを成してベンガルに逃げ出していった」

     タキン派(民族解放派)コドー・マイン氏
    「私の人生で今日ほど幸せだったことはない。わが国土から英国が追放され、偉大なアジア民族が馳せつけて他のアジア民族を解放してくれた。我々に古代の遺産と国土と自由、宗教、文化を取り戻してくれた。私は死ぬ前にこの幸せな日を見ることができた喜びに泣いた」

     バー・モウは昭和18年(1943年)3月に日本を初訪問し、天皇陛下に謁見し、東條首相と会談した。7月には新憲法の最終草案を正式承認して、バー・モウを満場一致で国家代表に選出。8月1日、ビルマは独立宣言した。

    「本日ビルマは50年以上にわたる英国の領有の後、世界の自由にしてかつ主権を保有する国家の間にその当然占むべき地位を回復セリ。ビルマは連綿として絶えざる長き歴史を通じ、誇りをもって当然の地位を占め来り、その間、ビルマの光栄は天における月日の如く輝きたり」

     外相に就任したウー・ヌー演説
    「歴史は高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例をひとつくらい見るべきだ。そして日本は人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える」

     ビルマ婦人連盟会長キンママ・モウ女史(バー・モウ夫人)
    「私たちはこれまでビルマの女性としてやってきた。これからはアジアの女性たらねばならぬ」

     ビルマの独立はタイのピブン首相、フィリピンのラウレル大統領など、東南アジアの各国の首脳がこぞって慶祝したのをはじめ、ドイツが日本の堂々たる態度に敬意を表したほか、スペイン、アルゼンチンが共に慶賀を表し、フランスの新聞がアジアにおける日本の軍事的存在感が拡大するだろうと伝えた。

     こうした歴史は今の日本国内では意図的に抹殺されてしまっている。イギリスはビルマを戦後の1948年に独立させたなどと言っているがそうではない。

    バー・モウ「ビルマの夜明け」
    「真実のビルマの独立宣言は1948年1月4日ではなく、1943年8月1日に行われたのであって、真のビルマの解放者はアトリー率いる労働党政府ではなく、東條大将と大日本帝国であった」

     これが歴史の真実である。


    靖国神社を参拝する当時のビルマ国家元首ウー・ヌー氏 ↓

    河野太郎 私は死ぬ前にこの幸せな日を見ることができた喜びに泣いた           爆撃機が飛んできても避難

  • 20年の封印を解かれた闇資料





    「東アジア黙示録」より  





    河野洋平が愛した洋公主…慰安婦役者の最初のウソ

    そこには生年月日も出身地も記されていなかった…河野談話発表の“決め手”となった聞き取り調査の中身が判明。20年の封印を解かれた闇資料が慰安婦捏造派を更に追い詰める。

    「ちょっとお聞きしたいんですけれども、ヒヤリングを出さないと決めていらっしゃるわけですね。どうして出さないんですか?名前だけでも出せないんですか?」

    平成9年3月、自民党若手議員の勉強会に参加した西岡力教授は、政府関係者を追及、資料の公開を求めた。答えたのは河野談話の発表に深く関わった内閣外政審議室の東良信審議官だ。

    「非常に少ない人数なものですから、内容が出ますと必ず特定できるという状況になっておりますものですから、そこは…」(展転社刊『歴史教科書への疑問』170頁)

    はっきり言います。これは全くの詭弁です!
    なぜならば、この自称元慰安婦たちのほとんどが日本で訴訟を起こし、名前は完全にばればれになっているんです。(裁判は公開ですので。はい!)
    何をいまさら、“個人情報保護“ですか???
    ちなみに裁判は、自称元慰安婦側の全面敗北で全員あえなく撃沈されましたが。


    ▼米軍が確認した朝鮮人慰安婦(1944年)

    政府側が公開を拒んだのは、河野談話で一方的に謝罪する“決め手”となった自称慰安婦の証言記録。これまで政府側は、個人情報の保護などを理由に20年間にわたり門外不出としてきた。

    その重要資料を産経新聞が入手、10月16日付の1面を飾った。スクープである。先日の朝日新聞の意味不明な“慰安婦関連スクープ”とは質も格も違う。河野洋平らの大罪を暴く決定的な資料だ。


    ▼10月16日付産経新聞1面(撮影筆者)

    産経新聞がゲットした証言記録は計13ページで、自称慰安婦16人が話した就業の経緯や体験談がメモされている。対象が僅か16人であることは以前から判明しているが、その内容は想像以上に杜撰だった。

    大阪や台湾など戦地でなく、慰安所がなかった地域で働いていたという証言が6人にのぼる。この6人は慰安婦を自称した時点でウソを吐いている。軍の関与も何ら関係ない一般的な売春婦に過ぎない。


    ▼南鮮の米兵向け売春婦(LIFE誌)

    そして、半数の自称慰安婦は生年月日を詳しく明かさず、大半が出生地を明示していない。更に、氏姓すら曖昧な証言者も含まれる他、同一人物が複数の名前を使い分けていた疑いまで浮上した。

    【出身地も生年月日も忘れたが…】

    「20年ぶりに日の目を見たこの報告メモに目を通し、理由が分かったような気がする」

    慰安婦の実証研究で知られる現代史家の秦郁彦氏も、呆れ果てる。河野談話で「軍の強制性」を示す唯一の証拠となった証言記録。それは、歴史資料として逆立ちしても扱えないシロモノだった。

    「身の上、氏名、年齢さえあやふやな慰安婦が多く、公文書と呼ぶには恥ずかしいほどお祖末なものだったからである」(10月16日付産経新聞)


    ▼現代史の権威・秦郁彦氏(産経)

    秦氏が卒倒するのも当然だ。証言メモで出身地が明かされているのは、16人のうち僅か3人。しかも、ソウル・平壌と答えたのが2人で、全羅南道唐津郡と詳しく語っているのは唯一人だった。

    我が国の保護下の朝鮮半島では戸籍制度が整っていた。例えば、沖縄に移り住んだ元慰安婦を追った『赤瓦の家』の著者は、半島本籍地の役場や近隣を訪問し、一族の消息を調べ上げている。


    ▼本籍地を追跡した『赤瓦の家』

    出身の村を正確に伝えれば、第三者が現地調査し、村人から客観的な証言を引き出すことも容易い。本籍地の隠蔽は、追加調査で嘘が暴かれるのを防ぐ為だ。

    これとは対照的に、ビルマ・ミートキーナで米軍が慰安婦を拘束した際の尋問では20人全員が出身地を明かしていた。生年月日も出生地も不備だらけの証言メモが、河野談話の核になっていたのである。

    下は、身元を調べた米軍戦時情報局資料

    河野太郎 20年の封印を解かれた闇資料      「東アジア黙示録」より        河野洋平が愛した洋公主

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