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     10日書き込みをしなかったら消えてしまいました。やはり、自宅で書き込みができないのは厳しいですが、めげずに立ち上げます。

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    tull175 3月18日 09:30

     私のパソコン、娘と共有しているのですが、ウインドウズ・メディアプレイヤーにマライア・キャリーが入っている。ハッキリ言って驚き。私はマライアキャリーはごみくらいにしか思っていないのですが。食わず嫌いでしょうか?。しかし、聴く気になりません。それはそうと日本のアイドル好きの娘がマライアなんか聴くのか本人に訊いてみましょう。

  • >>1710

     1か月遅れでマーキーから発売されたカーヴド・エアの名作の1stアルバム「エア・コンディショニング」のエクスパンデッド&リマスター・エディションやっと発売されました。この1stアルバムからシングルカットされた「今日突然に」のB面でアルバム未収録の曲、期待していましたが聴いたことがある。1stアルバム収録の「プロポジション」のライヴ・ヴァージョンに上記のアルバム未収録の曲の一部が取り込まれています。曲としてはヴォーカル曲でダリル・ウェイのヴァイオリンが暴れまくるような曲ではなかったような。もう一度聴いてみます。

     ところでこのエクスパンデッド&リマスター・エディション、BBCライヴが収録されています。で、BBCライヴ?、BBCセッションはスタジオ・ライヴなのか口パクも許されているのか、決まりごとはあったのでしょうか?。このアルバム収録の上記の「今日突然に」、BBCライヴのはずなのに前半のヴォーカル・パートのリードがギター、ヴァイオリン、ピアノで構成されている。カーヴド・エアのリード奏者はヴァイオリンのダリルとキーボード/ギターのフランシスなので、リード奏者が二人しかいないのに3つのリード楽器の音がするのはおかしい。途中でフェイド・アウトされているのでこれは事前に録音したテープを持ち込んだとみました。
     簡単にBBCライヴ、BBCセッションと言っていましたが、改めてスタジオ。ライヴなのか口パクなのかその実態を追求したくなりました。

  •  なぜかノーランズ、5人で歌っているヴィデオと4人でのヴィデオがある。5人が俗に言うオリジナル・ノーランズなのでしょう。しかし、ノーランズは6人姉妹、ウィキペディアをみてもミラクルヒット「ダンシング・シスター」の時は誰がメンバーだったのか分かりません。もっとわかるように編集してほしい。メンバーの歴史と並行にディスコグラフィーを載せて欲しい。

     この歳になりやっとノーランズが聞けるようになりました。

  •  あれほど期待していたカーヴド・エアの「エアコンディショニング」のエクスパンデッド・エディション、マーキーからの発売は延期ですって。がっかり。一番聞いてみたい曲はシングル「イットゥ・ハプン・トゥデイ(邦題;今日突然に)」のB面「ホワット・ハプンズ・ホエン・ユー・ブロウ・ユアセルフ・アップ 」です。今回のエクスパンデッド・エディション、ディスク2の曲、なんとなくアルバム「ライブ・アット・BBC」の収録曲とかぶっています。案外同じ音源のような気がします。

  •  明けましておめでとうございます。私の中でロックは死んでしまったのか?。

     この頃イーグルスのオフィシャルブートレッグが沢山発売されています。全盛期、そしてジョー加入前との違いを思いながら聴いています。イーグルス、昔はカントリーロックでした。しかし、ドン・フェルダー加入後の「呪われた夜」からロック化され、そのドンを誘ったバーニーが脱退、バーニーはカントリーロックが好きだったとか。
     全体的にはイーグルス、ラヴソングが多いです。
     そんなイーグルス、先日のソングライティングチームの一人、グレンの死去によりドン・ヘンリーは解散を表明したそうです。

     ウィキペディアでは「ホテル・カリフォルニア」収録のランディー作の「素晴らしい愛をもう一度」はイーグルスのライヴでは一度も披露されなかったらしいです。この頃なぜかランディー・マイズナーが好きです。

  •  そんなキング・クリムゾンのアルバム:「アースバウンド」ですが、なぜか今は亡き上田の西武デパートの輸入レコード店:ウェーヴに一点だけ置いてあるのを発見、翌日お金を握りしめて買いに行きました。まだ高校生だったので買った時の満足感は一入のものでした。

  •  1980年当時、クリムゾンのアルバムは日本はワーナー・パイオニアから発売されていました。ですからレコードのロゴはアトランティックでした。この1980年、ワーナー・パイオニアは「温故知新」という廉価盤を限定盤で発売し、私は「クリムゾン・キングの宮殿」はこの温故知新シリーズで買いました。最初に発売された温故知新シリーズは赤い帯でしたが、第2弾が発売され、こちらは青い色の帯でした。温故知新シリーズは2回だけの発売だったような気がしましたが。その他、リトル・フィート、クリムゾンの元メンバーのピート・シンフィールドのソロ、エマーソン・レイク&パーマー等が発売されました。

  •  キング・クリムゾンのアルバム:「アースバウンド」、私も思い入れがありまして。私がプログレに目覚めた1980年、このアルバムは日本では発売されていませんでした。キング・クリムゾンのアルバムの世界発売権を持つアトランティック・レコード?が発売を拒否したため日本では発売されませんでした。ですから当時のクリムゾンのアルバムは日本はワーナー・パイオニアから発売されていました。

  •   12月6日にキング・クリムゾンの『アースバウンド~40周年記念エディション』が発売されます。まさかこんな作品が40周年記念エディションが発売されるとは。観客席からカセット録音したと言われるこの作品、当時ロバート・フリップ翁は「金がなくて仕方なく発売を許可した。」なんていってます。

  •  祝、カーヴド・エアの1stアルバム:エアコンディショニングの2枚組拡張盤が来年の1月下旬に発売される予定です。私はなぜ、カーヴド・エアが好きなのでしょうか?。同じ女性ヴォーカリストでもオール・アバウト・イヴのジュリアン・イーガンのこえはなぜか好きになれませんが、カーヴド・エアのソーニャ・クリスティーナの声は好きです。ちょっとハスキー掛かった声がいいのでしょうか?。だからスージー・クアトロも好きなのでしょうか?。
     私は好きなカーヴド・エアですが、プログレ・ファンの間では人気はもう一つといった感じです。その理由はカーヴド・エア、どちらかというと尻すぼみというイメージがぬぐえません。名曲:マリー・アントワネット収録の3rdアルバム:ファンタスマゴリアはブラスの導入もみられます。2ndアルバム以降売りであるヴァイオリン楽曲が少なくなっている、こんなことも早期解散につながったのだと思います。ヴァイオリンのダリルとギター/キーボードのフランシスの衝突がダリルとフランシスとドラムのフローリアンの脱退の原因とされています。ヴォーカリストのソーニャの当時の回顧録によると3rdアルバム後のメンバー3人の脱退、原因はこの二人の些細な言い争いだそうです。しかし、私が思うに楽曲のアイデア不足、この辺りもダリルとフランシスの脱退の原因でないかと思います。
     カーヴド・エアは紅一点の女性ヴォーカリスト:ソーニャ・クリスティーナとヴァイオリンのダリル・ウェイ、ギター/キーボードのフランス・モンクマンのトリプルヘッドバンドだと私は思います。また、専任ギタリストのいない変則なところが魅力でした。

  • >>1700

    そうでした、認知症でバンドからは外れていましたね。
    多くのミュージシャンが追悼文を出しています。

    残念です😢

    RIP Malcom🙏🏻

  • >>1699

    はい、ファンの間ではバイであることは最初から知られていました。
    ですので特に違和感もなく最初のイメージ通りです😄

    没後そんなになったんですね✨
    ありがとうございます🙇‍♀️

  •  元?AC/DCのマルコム・ヤング氏死去、ご冥福を。

     元メンバ^でしたっけ?。痴呆症のためツアーにはマルコムの息子が代役で参加したと聞きましたが。

     私ももう50代、私の青春時代のバンドのメンバーがなくなることは不思議なことではないのですが、淋しいです。

  •  そうでしたか、フレディはバイセクシャルな人だったのですね。

     もうフレディ没20年になるのでしょうか、改めてフレディのご冥福を。

  • >>1696

    フレディは正確にはバイセクシュアルで、
    初期の頃はメアリー・オースチンが恋人でした。以降同性の恋人がおおかったですが、ゲイの間にドイツのグラマー女優と付き合っていた事もあったし、「バルセロナ」で共演したモンセラート・キャバリエにも憧れていたかもしれません(エイズ陽性反応後なのでプラトニックだったでしょうが)。

    はい、エイズは発症すれば免疫系がやられ、身体中のカボジ肉腫に悩ませられますので、一瞬梅毒などの皮膚症状と似ているかもですね。

    モンセラートは、「彼は私を愛していた、私も彼を愛していた」、と答えています。

  •  この頃好きなのは70年、80年代のアーチストのYOU TUBEの映像を見ることです。当時伝わってこなかったボニーMのステージ、最高に楽しいです。黒人男性メンバーのコミカルなダンス、活かしています。いかすはこの「活かす」という漢字ですか?。当時のミュージックライフでもボニーMは取り上げられませんでした。

     私が好きなのは{Goombay Dance Band}/グンベイ・バンドの「Seven Tears/セヴン・ティアーズ」という曲で、81年?にNHKFMの日曜日の午後6時からのリクエストコーナーで聴いて、その後曲名を忘れ、ずっと探していたのです。しかし、先日、「セヴン」という頭に残った単語を追求してたどり着きました。このグンベイダンスバンド、なんとなくボニーMを意識しているようにも見えますが、ボニーMの方がコミカルなダンスが面白く、インパクトがあります。ステージ・パーフォーマンスはボニーのほうがはるかに上という感じです。
     この「セヴン・ティアーズ」という曲、一説には80年のヨーロッパ最大のヒット曲がリオの「恋はミアミ?」なら81年のヨーロッパ最大のヒットはこのグンベイダンスバンドの「セヴン・ティアーズ」だそうです。しかし、リオは フランス語の歌、グンベイダンスバンドは英語の歌です。
     また、リオの当時日本で発売されたアルバムのジャケットの写真は当時のイエスのスティーヴ・ハウにそっくりでした。このことは当時のロッキンf?のアルバムレヴューでも触れていました。

     昔のことが懐かしいこの頃です。

  • >>1695

     おはようございます、この頃アニメ、飽きてきたような、うーーーーーん。「これだ!!!。」というような作品に出会えません。やはり私はロックな人なのでしょうか?。

     こうしてみてみるとフレディ、結構お相手を変えているのですね。でも、昔は普通に異性が好きだったのにいつごろから同性愛に走ったのでしょうか?。その原因は?。

     私、エイズによるカリニ肺炎というか、エイズは風邪の延長でそのうちカリニ肺炎をおこして死に至るくらいのものだと思っていました。ところがエイズ、梅毒みたいな病気だったのですね。知りませんでした。この歳になっても知らないことばかりです。

  • >>1694

    来日公演時に帯同していた恋人?

    最後の来日公演(82年)はどうだったか?
    まだジムとは知り合ってない頃かもしれません。
    ジムの著書にも日本に言った記述は確かありませんでした。

    One Visionのレコーディングで、ジムのちょっとしたアイディアが歌詞に反映されたとか、85年のライブエイドはバックステージから見ていて、誇らしく思ったと書いてありましたが。

    それ以前であれば、別の恋人(美少年系、ジョニー何がしという名前だった気がします)を帯同していたことがあるそうですから、その人の事かも知れません。

    変わらぬ女性パートナーとしては、メアリー・オースチン女史が居て、フレディーのパーソナルスタッフでもあり、正式な場では妻の様に連れて来ていました。
    フレディーのGay志向が強まったため、彼女は別の人物と家庭を持っています。

    ちなみにジム氏は地道な性格の為、メンバーの中でも地に足の着いたジョン・ディーコンと気が合ったようです。
    メンバーは皆、フレディーがジムに会ってからは、バカ騒ぎやパーティーに興じることがなくなり、とても落ち着いた生活になったとのことで、
    ジムには好意的に接してくれていたようで、ジムもクイーンのメンバーには良い印象しか持っていなかったようです。

    メンバーよりもしげくフレディーの元に通っていたのは、イギリスの昔の有名バンドの1人で親交のあった人と、なんとエルトン・ジョン。
    エルトンはフレディ死後も随分と力になってくれたそうです。
    ですのでトリビュートライブにもトリを飾っています。

  • >>1693

     フレディは来日公演(いつ?)の際、バンドのメンバーとは全く関係ない恋人を伴っていたとのことですが、それがこのジム・ハットン氏なのでしょうか?。

  • >>1692

    そう言えばもっと悪化した時に、その様なエピソードがあったかもしれません。

    エイズは免疫系がやられてしまう病気ですので、最終的にはカリニ肺炎で亡くなるにせよ、その前にもちょっとしたキズや細菌感染が全く治りませんから、
    身体の傷はどんどん化膿して壊死して行きますし、カボジ肉腫というおできと言うか腫瘍のような物が体中に出るようです。
    脚はカボジ肉腫が悪化し壊死した状態だったかもしれません。

    現代でしたらもう少し延命できたかもしれませんが、最後の恋人のジム・ハットン氏もすでに亡くなっています。

    フレディーは基本的には自宅治療で、定期的に医師と看護婦が往診して治療していたそうです。
    物々しい病室になっていた訳ではなく、普通に自宅で、恋人や身の回りの世話をするスタッフ達に介助をしてもらっている途上に、自然に亡くなりました。

    トイレに連れて行ってくれとフレディーに言われて、恋人がフレディを抱き上げ、
    既に少し漏れていたのに気付き、着替えをさせようとしていた時に、ふっと彼の呼吸が止まったそうです。
    その次の瞬間彼の表情は輝き安らかなものになったそうです。
    フレディが肉体の苦痛から解き放たれた瞬間だったのです。

    苦痛を和らげる治療はあったかもしれませんが、尊厳死に近かったと思います。

    彼はジムにも、自分のエイズが判明した時に、自分から離れて行っても良い、と申し出たそうですが、ジムは拒否しました。
    最後の時まで一緒にいることを誓ったそうです。

    上記は最後の恋人であったジム・ハットンや、パーソナルスタッフの方の著書からの引用です。
    フレディの最後を看取った人達ですから、信用が置けると思います。

    マスコミ報道は相当に違っていましたので、ご参考まで。。

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