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  • 5月27日、オバマ大統領が現職の米国大統領としては歴史上はじめて被爆地である広島を訪問する。2007年に自らがチェコのプラハで行った『核なき世界』の実現に向けて、オバマ大統領や米国政府は、これまで静かに広島訪問の準備をしてきたと言われる。
    そして今までオバマ大統領の広島訪問に関しての関心事は、それが米国の日本に対する謝罪に相当するのかという点にあった。もちろん日本側は謝罪を要求していないし、米国政府も謝罪ではないと断言してきた。この問題は、特に米国では大統領選に大きな影響を与える。謝罪外交と見られたとき、強いアメリカの復活を強調するトランプ陣営が一気に民主党陣営に対して優位に立つ可能性を否定できない。

    中国や韓国は、オバマ氏の広島訪問が謝罪として映る時、第2次世界大戦の加害者だった日本がまるで被害者のように世界で認識される可能性に対して、警戒の念を表明してきた。核廃絶という普遍的なメッセージとは裏腹に、日本という国に対する評価と、米国の原爆投下という歴史的事実に対する評価に大きな影響を与える可能性のあるオバマ氏の広島訪問は、非常に重大なイシューにならざるを得ない。

    さらにオバマ氏の広島訪問を前にして、沖縄米軍の軍属が沖縄の日本人女性を強姦して殺害するという事件が起こった。この事件に対して米国は国防長官をして深く謝罪せしめた。米国としては最悪のタイミングである。広島訪問の前に日本での伊勢志摩サミットが控えており、この場でオバマ大統領が各国の記者たちから米軍軍属の沖縄女性強姦殺人事件に関して何らかのコメントを求められることは避けられない。

    そこで米国が考え出したのが、日本の大戦中の非人道的な捕虜虐待事件として名高い「バターン死の行進」の生存者を広島に同行させるという案だった。フィリピン・バターン半島で旧日本軍が捕虜たちに対して、猛暑の中で100キロほど歩くことを強要された。そして捕虜となった約7万6千人の内、5万人ほどが到着地にたどり着いた。残りは、マラリアや飢え、疲労、そして日本軍の処刑などで死亡したのだった。捕虜を虐待した旧日本軍の残忍さがよく表れた事件である。このときの行進に参加して旧日本軍の捕虜生活を経験した米国在郷軍人団体「バターン・コレヒドール防衛兵記念協会」(ADBCMS)の会員であるダニエル・クローリーさん(94)が今回、広島に同行することとなった。米政府がオバマ大統領の広島訪問に旧日本軍の過酷行為被害者を同行させるのは、戦争を始めた日本の責任を強調し、謝罪外交という汚名を着せられないようにする処置である。

    この米国の措置はいくつかの効果を狙ったものであると言える。一つは、米国大統領選に対する影響が米国の民主党としてマイナスにならないようにするためである。二つ目は原爆はあくまでも日本の非道な侵略に対する止むを得ない報復手段であったということを日本をはじめ世界に印象付けるためである。

    結果として、日本政府の意図とは逆に、米国が旧日本軍の捕虜を同行させることを通して、日本軍の残酷な行為が歴史を知らない日本人に示されるという効果が考えられる。日本人の多くは、「バターン死の行進」という歴史についてよく知らないし、日本の加害の歴史的事実に関してよく知らない。逆に言えば今回のオバマ大統領の広島訪問は、被爆国として被害者のイメージしかもっていない多くの日本人に対して、日本が加害者であったという事実を教育する場になる可能性がある。

    日本政府は、オバマ大統領の広島訪問を米国と日本の和解の場とすることを希望してきたが、思わぬ伏兵が出現した。真の和解は、まず日本が第2次世界大戦での各国に対する残虐な侵略、略奪、殺人などの非人道的な行為を認めて、心から謝罪し反省するところから始まる。果たしてこのような米国の知恵を、安倍首相をはじめとした日本政府や日本のマスコミ、一般市民たちはどう受け止めるだろうか。多くの日本のマスコミや右翼陣営は、「バターン死の行進」での日本の加害事実を縮小するだろう。しかし、それは日本だけで会って世界の見方は大きく異なる。日本の民主主義や日本人の国際的人格が試される場が、実は今回のオバマ大統領の訪問する広島なのである。

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  • >>131

    妄想というのは、全く現実的でない信念のことである。
    自分が信じ込んでる事を、周囲の者がどんなに違うと言っても絶対に納得しない。
    被害妄想→自分は狙われているという妄想
    関係妄想→関係のない出来事を、自分と関係がある、自分のことだと思い込む妄想。
    誇大妄想→自分だけ特別偉いとか、特別な才能を持っているとか思い込む妄想。
    憑依妄想→自分に何かがとりつき、操られていると思い込む妄想。
    統合失調症の妄想は、君のツチノコ共和国の話のように普通の人の常識を超えた妄想である。
    妄想性障害者の妄想は、何の根拠もない事を事実だと思い込む妄想である。
    珍宝君が、日本、日本軍の全てが悪だったと思い込んでいる状態が正にそれ!
    珍宝君は、統合失調症と妄想性障害の両方を患っているようだ。
    一刻も早く、精神科で受診することをお勧めする。

  • >>133

     1940年、ナチスの迫害から逃げてきたユダヤ難民6千人以上の命を救うビザを発給した外交官・杉原千畝。しかし未だに「杉原は日本政府の方針に反してビザを発給した」というデマが流通している。ビザ発給には杉原個人の機転や勇気が必要だったことは確かだが、それを支えたのは同盟国ドイツからの圧力をはねつけ、「民族差別をしないという八紘一宇の主張」を守り抜いた「日本政府の方針」だったのである。

     現に、ユダヤ難民を救った日本人は杉原だけではない。1938年3月、ナチスから逃れてシベリアを横断したもののソ連・満州国境のオトポール駅で立ち往生、凍死の危険にさらされていたユダヤ難民たちを救ったのは、関東軍の樋口季一郎少将だった。樋口はユダヤ難民輸送列車の手配を満鉄総裁(松岡洋右)に依頼。総裁はユダヤ難民を無賃輸送するよう指示、その後も無賃輸送は続けられたという。 

     一方これに対しドイツから抗議が来て、樋口は関東軍参謀長(東條英機)の事情聴取を受けた。だが参謀長は樋口の意見に同意してナチスの抗議をはねつけ、その後も同じルートでユダヤ難民は続々避難してきた。

     同年12月、首相・外相・蔵相・陸相・海相の五大臣による重要国策会議である五相会議で、「猶太人対策要綱」が策定され、ユダヤ人を排斥しないことが正式に日本の国策となった。

     満州を通過したユダヤ難民たちは上海に向かった。当時入国ビザなしで入れたのは、上海の共同租界で日本海軍警備地区の「虹口(ホンキュー)」だけで、そこは最大3万人のユダヤ人であふれかえった。海軍のユダヤ専門家・犬塚惟重大佐はユダヤ人保護に奔走した。

     ナチスは日本政府の寛大なユダヤ対策に不快感を募らせた。1942年、犬塚大佐が上海から転出した後、ナチス親衛隊長官ヒムラーは、ワルシャワで10万人のユダヤ人を虐殺したマイジンガー大佐を上海に派遣、ユダヤ難民の「処理」を迫り3つの案を提示した。

    ①廃船にユダヤ人を詰め込み、東シナ海に流して撃沈する。
    ②岩塩鉱で強制労働させて死なせる。
    ③収容所を建設し、生体実験の材料にする。

     この提案を上海の領事や軍人は拒否した。そのためユダヤ人たちは終戦まで上海に滞在できた。

     1940年12月、松岡外相は在日ユダヤ人代表と会談し、こう言っている「三国同盟は私が結んだ。しかし、だからと言ってヒトラーごときの口車に乗ってユダヤ人を排斥することはしない。これは私だけの信念ではない。帝国の方針であるから、安心しなさい」

     大戦中、アメリカもヨーロッパもユダヤ人には冷淡だった。露骨に見殺しにした例もあった。ユダヤ難民を乗せアメリカを目前にした客船セントルイス号は、寄港を拒否され送り返された。ユダヤ人大虐殺が報じられるようになった後でさえ、積極的に難民保護の政策は採られなかった。そんな中で、ドイツの同盟国だった日本だけがユダヤ人保護を国策としてドイツの圧力に抗した。

  • >>133

    中華人民共和国のオリンピック参加状況

    ◇1956年 メルボルン  :選手団が現地到着後に台湾問題を理由にボイコット
    ◇1960年 ローマ     :ボイコット(理由 〃 )
    ◇1964年 東京      :ボイコット(理由 〃 )
    ◇1968年 メキシコ    :ボイコット(理由 〃 )
    ◇1972年 ミュンヘン   :ボイコット(理由 〃 )
    ◇1976年 モントリオール :ボイコット(理由 〃 )
    ◇1980年 モスクワ    :ボイコット(理由はアフガン問題)
    ◇2008年 北京    :「オリンピックと政治を結びつけるな」と中国政府

  • >>133

     「紀元前1世紀から新疆は中国の重要な一部である」---これは、2012年5月、程永華駐日中国大使から、少なくとも数十名の日本の国会議員に宛てて出された書簡のなかの一文である。

     そもそも「新疆」とは、「新たな征服地」という意味である。紀元前の大昔から、かの地が「中国の一部」であったのなら、「新たな征服地」という名は妙ではないか、とまずは突っ込みたいところだ。

     ここで北京のいう「紀元前1世紀」とはどの時代の何を指しているのかといえば、おそらく、前漢時代の版図に今日の新疆ウイグル自治区が含まれていたとされることをいっているのだろう。しかし、この論法がまかり通るのなら、仮に、誰かが、「中国は13世紀からモンゴルの一部だった」との主張を始めたとしても一笑に付すことはできなくなろう。

     ちなみに同じ書簡のなかの「中国のチベット」の部分には、「チベットは西暦13世紀に中国の領土に正式に入り、その後歴代の政権、中央政府はずっとチベットに対し主権を行使している」と書かれてある。これについてはチベット亡命政権がきっぱりと否定する書物をいくつも刊行しており、13世紀以降のチベットをめぐる史実を見れば、北京のこの主張を「そうですか」と認めることはやはりできない。

     これら新疆やチベットの例に明らかなように、中国による歴史の改ざんは、われわれの常識からは想像しにくいほどラフにかつ大胆に行われる。むしろその大胆さゆえ、こちらが呆気にとられているうちにウソの歴史が着々と世界へ拡散されかねない事態にすらなっている。

     中国に「嘘」という語彙もない。空気と同じで日常の常態を表現できないからで、ちなみに嘘に類する中国語は、詭弁と詐弁を意味する「詭話」か「詐話」と表現する。

     中国人は白を黒という特技がある。「あったことはなかった」というし、「なかったことをあった」という性癖がある。「有り得ないことをあるように過剰に表現する」(白髪三千丈)。「嘘は百回言えば真実になる」とヒトラーは言ったが、「中国では3回で良い」

  • >>133

    >マエバシンは人口3名。利根川河川敷にあります。<
    マエバシン??
    関東一円の牛丼の食い残しを独り占めしてきたのは珍宝君じゃねえの。
    俺達は牛丼を食う時はちゃんと金を払ってる。
    君とは全く違う。
    憲兵に捕まってバシ バシ と叩かれ半殺しにされてるのが君だ。
    半殺しの珍宝君、脳味噌も半殺し状態のようだね。

  • >>115

    ツチノコ共和国
    神奈川県横須賀市野比五丁目3番1号
    久里浜医療センター内なのは確実だろう
    横須賀といえばあのYahoo!掲示板で常時失笑を買われている mota12192000の棲家
    あの蛍光灯が中国東北地方から引き揚げてこなくて大躍進運動で餓死でもしていればそんなことにはならなかった。
    もう一人東北地方出身者がいた。そいつも蛍光灯です。
    tmtm082008とかいってた。
    福島みずほを崇拝する ooppuuttも同じような蛍光灯なのだろう。

  • >>133

    ウリン自治区は赤城山麓の高原地帯にあります。
    人口は1万人ほどです。
    タックスヘブンとなっていて世界中の大企業が本社を置いています。
    5000兆円がウリン銀行に集まっています。
    これの運用益で運営されているので完全に無税です。
    年間予算は100兆円で日本より多いのです。
    一人当たりでは日本は77万円ですが
    ウリン自治区では100億円です。
    子供手当てが10億円
    年金も10億円が出ます。

  • >>132

    マエバシンは人口3名。利根川河川敷にあります。
    総統が低国バンザイ、副総統が臭い番、中国担当相が鳥海山
    総統が公私混同して牛丼を独り占めにしたため第三者からバシ バシ と叩かれています。

  • >>131

    ツチノコ共和国の首都は横須賀の橋の下で、人口1名のゴミに塗れた川の傍です。
    ハシノシター市は橋の下にあり、国民1名がタライ乗りを楽しむための畳一畳の広さの掘立小屋が一つあり、ゴミの幸があふれています。
    この付近に近づくのはノラ猫か、掘立小屋に石を投げに来る地元の小学生くらいです。
    地元の人達はこのハシノシター市に憲兵がガサ入れするのを大歓迎してます。
    珍宝君、早く憲兵に捕まってください。

  • >>130

    ツチノコ共和国の首都はツチノポリスで人口50万のきれいな町です。
    ヨーコスカー市は港町で国民がヨットを楽しむために超豪華ホテル、海の幸があふれています。
    一泊日本円では100万円〜400万円程度と手頃なお値段ですのでぜひ日本からも来ていただきたいです。
    ヨーコスカー市民は大歓迎です。

  • >>127

    ヨーコスカーというのは横須賀をツチノコ共和国語ではそう呼ぶようです。
    24時間開いていていつでも食い逃げできます。

  • >>120

     左派文化人は、イスラム国の人質事件に関しても、まさに戦後民主主義的な「日本は平和を愛好しているんだ。そのことがきちんと伝われば、われわれは攻撃されないはず」などと、誠に論証不可能なことを言っている。

     「武力はいりません。従って私たちは殺されても文句は言いません」とまで言っているなら、それはひとつの思想として完結している。しかし、彼らはそうは言っていない。「武器はいらない、武力はいらない」で止まっている。

     例えば、かつて美濃部都知事の時代、首都高速道路をきちんと造ろうという時に「一人でも反対があれば私は橋を架けない」と言った。でもこの後段として「だから冬でも泳いで渡れ」という話につながるはずである。つまり、この後段の部分をことごとく省いていたのが左翼的世界観だった。それは現実を見ない、もしくは現実を考えなくてよいというものである。

  • >>127

    ツチノコ共和国つまり掘立小屋の傍の川にハシノシターと勝手に珍宝君が名付けた港?があります。
    上流から流れてくるゴミを回収して、使えそうな物は掘立小屋内の装飾品にしたり、ダンボールギーニ号の部品にしたりしてます。
    以前、回収したタライに乗って川を下り新たな残飯漁り場を探そうとしましたが、途中でタライが沈没し、川で溺れそうになるという悲惨なことがありました。
    それ以来珍宝君は二度とタライには乗りません。
    相変わらず、横須賀の某橋の下を縄張りにしてます。
    横須賀市に市民税は払ってません。

  • >>126

    ツチノコ共和国にはヨーコスカーという港があります。
    牛丼屋は24時間開いていて全品無料です。
    ツチノコ共和国民は食べないですが日本から来たホームレスが3名食べにきます。
    終わるとトネガーリバーという河川敷のダンボール小屋に戻っていきます。
    移民受け入れ自由の国ですが、あまり長居は困るのです。

  • >>120

     戦前の日本は北朝鮮のような専制国家と勘違いしている向きがまだいるようだが、議会の議決によってしか法案も予算も通らないし、宣戦布告を伴う戦争となれば、内閣の決定なくして実行不可能だった近代国家であった日本にとって、開戦には大義が必要であった。と共に国民の動向も無視できなかったのである。

     言うまでもなく、大東亜戦争の大義は、大東亜の解放であった。それが侵略の口実であったとしても、大義をかの竹内好を含めた殆どの国民が熱烈に支持したことは疑いをいれない。「国民の総意」は達成されたのだ。さらに敗戦後も蘭印に残り、インドネシア独立のために戦った約千名の兵士にとって、大義はしっかり生きていた。
                 
     成算のある戦争を始めるためには作戦計画を作らなくてはならない。その責任者は大本営(統帥部)である。でもそれを認めてゴーサインを出すのは内閣。
      
     近衛文麿…「軍部の力が強いのは、軍部にはとにもかくにも日本をどこへ持っていくという、はっきりとした目標とプランがあった。それに対して政治家は党利党略私利私欲ばかり考えている。国民が引っ張られるのは当然」
               
     戦争を開始したこと自体についての責任は、少なくとも議会政治の体制が存在し、そこに世論の影響が曲がりなりにも及んでいたからには、国民全般にもあるとしなければならない。「戦争犠牲者になりかわって指導者の責任を問う」という姿勢は不道徳。そこには「撃ちして止まん」の覚悟で犠牲になることをあえて引き受けた者たちへの、彼らの思想や意気や覚悟への軽んじがはっきりとみてとれる。
             
     戦前、日本の政治システムは「民主的」だった。帝国議会が協賛しない軍事予算は使えない。大日本帝国憲法は、予算が成立しない場合には前年度の予算を遂行しうると規定していたが、戦争を始める前と後では予算規模が全然違うから、議会が否決したら戦争などできない。ところが戦争が始まると、予算案を否決する「空気」は吹き飛んだ。反対した代議士は1人もいなかった。
              
     決して軍の力だけによって日本の政治を動かしたことは一度もないのである。ドイツはファシズム国家によって議会を停止した。日本の場合は議会はずっと機能しつづけて、昭和20年の5月のときでさえ帝国議会は正常に開催されていて、その開催に対して何らの抵抗・妨害はなく粛然として行われていた。だから終始一貫して日本は議会主義政治を守っていたのである。
               
     日本においては、軍は相対的に優位な勢力の1つにすぎず、国家において強大な省庁の官僚機構との対抗関係にあり(対戦下においても軍は大蔵省主計局の厳しい予算査定を逃れることができなかった)さらには政界・財界・宮中グループなどがあって、つまりは近代社会を形成していたために、戦場を除けば恣意は許されなかった。

     陸大(陸軍大学校)教育が、昭和戦前期において陸大出身者が文民政治を支配しえた要因ではないか。卓抜した論理能力を持ったエリートが、高い政治力を持ちえたことは想像に難くないし、軍人による政治支配がテロや統帥権を盾にした横暴のみによってなされた、と考えるのは早計であろう。高級軍人たちは、極めて高い政治能力を持っていたがゆえに、政治家や官僚を圧倒しえたのである。
             
     当時の庶民の実際を言えば、「軍隊は良かった」という声はたくさんある。軍隊に入れば、風呂に入れて、コメの飯が食べられて、ベッドに寝られた。また読み書きが教えてもらった。それに比べれば、ちょっとぐらい上官に殴られたってヘッチャラだという逞しさが、戦前の日本の庶民にはあった。だから軍隊でひどい目にあったと言っている人たちは、「自分はもっと上の階級の出身なのに」と自慢しているわけだ。
                    
     確かに日清戦争後、日本は軍備拡張に着手はしたが、それは三国干渉の音頭を取って日本に遼東半島を清国に返還させながら、満州・朝鮮に勢力を伸ばしてきたロシアの露骨な極東進出に備えたもので、大陸進出のための「戦争準備」とは言えない。
              
     軍部は戦争を起こすために存在するという前提にしているから、ある意味で勧善懲悪で、それでは話が簡単に済んでしまう。でも明治時代から考えてみると、日本は欧米列強に不平等条約を押しつけられ、他のアジアの国々が植民地になっていく、そういう状況の中で富国強兵というスローガンを掲げ、とりあえず経済的に豊かになることと、侵略されないように独立国家を維持すること、そういうところで明治国家をいうのはまずスタートした。だから、そのスタートしたときは軍部も健全なわけである。それが、軍部、軍部とポーっと突然飛び出して独り歩きしていくような、そんな形が突然生まれたように言う。 
       
     軍部の横暴に抵抗する議員もいた…2・26事件直後の厳戒令下で召集された議会において、民政党代議士の斎藤隆夫は軍部の政治関与と2・26事件に対する軍当局の曖昧な態度を批判する「粛軍演説」を行った。さらに翌年1月には政友会の浜田国松代議士が陸軍を批判し、当時の寺内寿一陸軍大臣との間で、有名な「腹切り問答」を展開している。
     
     しかし、蘆溝橋事件をきっかけとする日中全面戦争の勃発は、議会の状況を一変させた。ただし、それは軍部の圧力によって生じたものではなかった。蘆溝橋事件直後から、各政党は政府の断固たる態度を全面的に支持し、貴族院・衆議院も「陸海軍将兵に対する感謝決議」を全会一致で可決していたが、一部の議員たちは政府や軍部より前に「国民政府徹底膺懲」を唱え、国民政府打倒論を展開していた。軍部よりもよほど過激だったのである。
        
     「撃て」「やっつけろ」… 1941年11月16日から5日間開かれた臨時会議は、「敵性国家」との開戦を求める演説とヤジで終始し、官邸には「米英撃滅」を訴える連判状や血書が3千通を超える。軍部、議会、報道、世論…その全てが外交担当者とは反対の方向を向いていた。

  • >>120

     もう半世紀も前、暴力でこの世をひっくり返し、共産主義国家を打ち立てようと本気で思っていた一団がいた。彼らは暴力をゲバと言い換え、機動隊を渡り合うときはゲバ棒と称する角材を持ち出した。福島瑞穂もその一人だった。
     
     彼らは調子に乗って、より破壊力のある兵器を模索した。それで赤軍派は普通のゲバ棒の倍も長い角材を持ち出した。彼らはその新兵器を手に明治公園に登場した。中核や革マルがいぎたなくヤンキー座りしてべちゃくちゃやっているのをよそに、白手拭いで顔を隠し、直立不動の姿勢で長いゲバ棒を槍のように押し立てて整列していた。

     角材の長さを競ったところまではまだ可愛らしさもあったが、やがて彼らは、暴力革命にはもっとすごい武器が必要だと思い始める。赤軍派と京浜安保共闘が野合した連合赤軍は、とくにその思いが強かった。武器は交番を襲って取ったピストルにしよう。軍資金は銀行強盗をやって稼ごう。で、銀行強盗をやったら警察に追いかけられ、必死に逃げて妙義山に籠もった。籠もっている最中に美人の同志が誰かとキスをする。そうではない女同志が怒り反革命的と罵って革命裁判が開かれた。

    ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

    斜罠盗の福島とはろくでもない人非 人である。

  • >>120

     沖縄が米占領下にあったとき、尖閣諸島も米国の占領下にあった。沖縄返還に伴って、尖閣諸島は日本に返ってきたのである。もし尖閣が中国領土ならば、この時米国は中国に返したはずである。
    《三宅久之 「「日本の問題点」をずばり読み解く」》

     尖閣は江戸時代から日本人が使ってきた島。最盛期200人規模の日本人が居住し漁をしていた。
    《櫻井よしこ 「日本の論点2005」》

     1968年に、国連のECAFE(アジア極東経済委員会)が東シナ海・南シナ海の資源調査を実施したところ、豊富な資源が海底に眠っていることが明らかになったことがある。その途端、中国は「東シナ海の大陸棚は、長江の堆積物によって形成された。尖閣諸島もその上に乗っているのだから、すべて中国のものだ」という論理を弄して領有権を主張しだした。
    《中嶋嶺雄 諸君!2005/7月号》

     (中国は)最近は日本の沖の鳥島に対して、これは岩礁であり島ではないと論難し、排他的経済水域を認めないと主張している。その一方で、南沙諸島にある満潮のときは海没してしまう岩礁を島だと言い張り、その上に大きな軍事的構造物を建てた。
    《櫻井よしこ 文芸春秋 2005/8月号》

     もともと尖閣諸島には日本人が住んでいた。1885年、福岡の事業家・古賀辰四郎が、沖縄県に尖閣諸島の借地契約を申し出た。彼は尖閣諸島に鰹節工場を建設し、島での事業を開始した。

     日本政府は尖閣諸島が清に属していないことを慎重に調査し、1895年、尖閣諸島を正式に沖縄県に編入。その上で古賀氏に尖閣諸島の無償貸与を許可した。

     さらに1920年、魚釣島(尖閣諸島最大の島)に漂着した中国人の遭難者を島民が救助した際、中華民国政府から贈られた感謝状には、「日本帝国沖縄県八重山郡尖閣列島」と明記されている。

     魚釣島の鰹節工場は1940年に閉鎖され、それ以降魚釣島は無人島となった。終戦後、沖縄県はアメリカの軍政下に入るが、このとき「尖閣列島を含む南西諸島」の施政権がアメリカに移された。この時点では、中国は一度たりとも領有権を主張していない。
    《竹内睦泰 「日本・中国・韓国の歴史と問題点80」》

     1992年2月、中国は領海法という国内法を勝手に決め、尖閣諸島を中国領とした。国際社会では、一国が他国の領土を奪おうとするとき、軍事的衝突が起きてもおかしくない。英国がフォークランド島を巡って大艦隊を送り、これを守ったように、日本が強硬手段に訴えてもおかしくない場面だった。

     日本はしかし、またもやスジを曲げて信じ難い譲歩をした。同年10月、日本の持てる最高最善のカードを切ったのだ。天皇皇后両陛下の訪中を実現させたのである。
    《櫻井よしこ 「日本よ、勁き国となれ」》

     以前、沖縄の仲井眞知事とお会いしたとき、私はこう言いました。「尖閣諸島は、沖縄のものです。外できれいな女の子、他人の奥さんを見たからといって、勝手に『これは私の妻だ、私のものだ』と言うのと同じでね、(中国の主張は)おかしなことです」(寄稿「美人を見たら自分の妻だと主張する国」)
    《李登輝 文芸春秋2011/2月号》

     日本も油断していられない。中国が最近つくっている地図を見ると、すでに「沖縄」は「琉球群島」という中国名で書かれている。
    《青山繁晴 Voice2010/4月号》

     尖閣問題については、「1960年代の自国の地図を見てみろ」とだけ中国に申し上げておく。
    《諸星清佳 産経新聞2010/10/7》

     外務省は昭和47年3月、当時の中国の地図帳や台湾の教科書が尖閣諸島を日本領として表記していたという動かぬ証拠を示しつつ、尖閣諸島が紛れもない日本の領土であるとする基本的見解を発表した。
    《石川水穂 産経新聞2010/10/16》

     南シナ海の南沙諸島はフィリピンが領有権を最初に主張したのだが、後からあれも中国の領土だと言い出した。ベトナムのホーチミンより南にある島が中国の領土であるはずがないのになあ。
    《徳岡孝夫 文芸春秋2010/11月号》

     中国が尖閣諸島を領土と主張する論拠は、いくつかの古文書に中国が尖閣諸島を領有していたことを示すものがあるという。そのほとんどが、「中国と琉球の間にあり、琉球の領土とはなっていないので、中国のものだ」などと抽象的な表現である。
     
     その他、「釣魚台は、盛家が西太后から賜った土地である」という、そもそも信憑性が疑われる古文書も証拠として羅列している。

     また、中国の主張の中に、日清戦争の結果、台湾とともに日本に併合されたというものがあるが、日本は日清戦争の10年以上前から尖閣諸島の調査を行い、日清戦争の講和条約締結以前に日本の領土としているのである。

     国際的な判例で見ると、過去に伝説的に領有していても実効支配が継続していない限り領有権の主張はできないというのが一般的であり、1956年にイギリスとフランスが中世の支配実績を主張し英国海峡上の島の領有権を争った「マンキエ・エクレオ諸島問題」では、過去の間接的な領有の推定は認められず、「国家機能の平穏かつ継続した表示」が国際法廷の基準とされている。…この点から見ても、尖閣諸島は100年以上も継続して領有している日本の領土であることは間違いない。
    《山田吉彦 文芸春秋2010/11月号》

     中国共産党は、単に尖閣という離れ小島を奪いにきているのではない。尖閣を奪って軍事基地を建設し、右の台湾と左の沖縄本島を掌中に入れ、同時に海洋国家である我が国を取り巻く東シナ海と西太平洋を原子力潜水艦と空母を含む中国海軍艦艇の遊弋する「中国の海」にしようとしている。

     つまり、中国共産党は全日本を屈服させるために尖閣を奪いにきているのだ。従って、我が国家の存亡が尖閣防衛にかかっている。

  • >>120

    自分は大バカ偽左翼のくせに、東北出身を侮辱、蔑んでる。
    イボ痔君は、徹底的な差別主義者なんだな。
    己は何様のつもり?
    >東北では人肉食ってたのだろ?<・・・?
    その根拠、証拠は?
    中国が常習的に食人をしてた根拠、証拠を示したら、この発言。
    否定できる根拠も、証拠も示せないくせに。
    結局、中国の知られたくない真実を暴露されたら、根拠、証拠などなくともただ言い返すだけ。
    おい偽左翼よ・・・君らの正体は所詮その程度。
    文句あるか?

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