ここから本文です
  •  日本の左巻き人間は、事有る後とに、A級戦犯が合祀されたから天皇陛下は靖国参拝を中止されたとの理由である。 しかし、事実は、A級戦犯が合祀された1978年の2年前の1976年に既に靖国参拝を中止されている。 それ以降一度も参拝されていない。 1976年の当時の三木首相が靖国参拝に対して、朝日新聞が政教分離の原則を盾に「公人か私人か?」との問いに「私人である。」と答えた事から、明らかに公人である天皇陛下が靖国参拝できなくなったのが真の原因である。その2年後の1978年にA級戦犯が合祀されたのであり、天皇陛下の参拝の障壁にA級戦犯合祀は全く関係していない。

  • <<
  • 23 1
  • >>

  • 靖国神社第6代宮司松平永芳が、A級戦犯の合祀を実施したことに昭和天皇が強い不快感を示したことが「卜部亮吾侍従日記」に記されている。そのため昭和天皇が靖国参拝を止められたというのが通説。

    >いわゆるA級戦犯14柱を合祀した松平に、昭和天皇が強い不快感を覚えていたとする、いわゆる「富田メモ」とされる断片が報道され、論議を起こした。侍従・卜部亮吾の記した「卜部亮吾侍従日記」(御厨貴ら監修)のうち、2001年(平成13年)8月15日の日記に、「靖国合祀以来天皇陛下参拝取止めの記事 合祀を受け入れた松平永芳(宮司)は大馬鹿」と記述されていることが明らかになったとされ、また昭和天皇崩御前後の日記には、冨田メモと同様の記載がされていると報道された。

  • 天皇を政治利用し尽くしてからポイ捨てするかのような主張の天皇廃止論者たち=アホサヨは人の道に反している。

    心優しい天皇、皇后を生臭い政治の舞台に引きずり出そうとするアホサヨの企みに断固反対する。

  • 天皇の政治利用は、歴史を直視すれば絶対に避けなければならない。

    博愛主義、思いやりの精神は平和思想に通ずる。

    天皇家に対する敬愛の心があるかどうかによって、平和に対する心構えの相異が浮かび上がってくる。

    日本の左巻きは、戦前の軍部と同様、天皇を政治利用し、その権威を自分たちの主張を正当化するために利用している最も卑しい精神を持った人たちだ。

    歪曲、捏造、権威主義、32年間もウソ報道をしても反省しない○○新聞に代表される左翼バカが平和を乱しているのだ。

  • このコメントは非表示対象です。 読むにはここをクリックしてください。
  • >>18

    >べつに矛盾しません。
    天皇の代わりに戦争責任を負ってくれたからこそ行けないのですよ。

    では、A級が合祀される以前のBC級戦犯が祀られている状態で参拝した事と矛盾しますよ?それを言うと、A級とBC級とは立場が違うと反論したいでしょうが、戦争責任を負った事には違いはなく、陛下が信頼していて身代わりになった東條らが合祀されたから参拝しなくなったと解釈する事自体が辻褄があいません。

    >したがって「逆賊」としたA級を合祀した靖国を天皇が参拝すれば、それは東京裁判の論旨と矛盾することになる。

    矛盾しません!そもそも逆賊にしたのは、天皇の訴追を避ける為の策だったのでしょ?国内的には主権回復後の国会で戦犯者の赦免決議でA級を含む戦犯者の名誉回復がなされている。よって、国内法では戦犯扱いじゃないですよ。それだけ東京裁判が事後法による仇討ち的裁判だった事を裏付けてるじゃないですか!

    >「A級は天皇の身代わりになった」という論理は、暗に「本当は天皇に責任があるけれど・・」という意味を含んでいる。この論理は日本人には通用しても対外的にはタブーであり、対外的にはあくまでもA級は天皇の「逆賊」でなければならない。そういうことにして連合国は天皇の戦争責任を不問とした。

    随分と可笑しな論理ですね。そもそもA級戦犯を裁いた罪状は「平和に対する罪」な訳でしょ?それは事後法による曖昧な罪状ではないですか!要するにどうしても日本の戦争主導者を死刑にしたいという連合国側の思いが強かったからで、天皇が訴追されなかったのは、日本側の逆賊策と天皇が与える国民への影響力の大きさを連合国側が理解したからじゃないですか!

  • >>15

    >東條らのA級戦犯は、戦争責任の全てを受け、天皇の身代わりになって絞首刑になったんでしょ?それが祀られている靖国へなんで行きたくないと言えるのかね?貴方の主張は矛盾してますよ?

    べつに矛盾しません。
    天皇の代わりに戦争責任を負ってくれたからこそ行けないのですよ。
    東京裁判では、天皇は戦争したくなかったが、A級が天皇を操って戦争をしたということで結審し、それを受けて講和条約が結ばれ、戦後日本は再出発した。
    したがって「逆賊」としたA級を合祀した靖国を天皇が参拝すれば、それは東京裁判の論旨と矛盾することになる。

    「A級は天皇の身代わりになった」という論理は、暗に「本当は天皇に責任があるけれど・・」という意味を含んでいる。この論理は日本人には通用しても対外的にはタブーであり、対外的にはあくまでもA級は天皇の「逆賊」でなければならない。そういうことにして連合国は天皇の戦争責任を不問とした。
    したがって「逆賊」とした戦争指導者を合祀した靖国を天皇が参拝することは、対外的には、戦後日本再出発の前提である東京裁判の結論と矛盾する行為になるのです。

    余談になるが、最近米国公文書館で皇太子成婚を米アイゼンハワー大統領に報告した昭和天皇直筆の手紙が発見された。
    昭和天皇は自分の戦争責任を不問にしてくれた米国に戦後ずっと感謝し続け、気を使い続けていたことが分かる。その裏には責任論が蒸し返され、追求されることを怖れる気持ちがあったと思われる。
    昭和天皇の戦後の行動の原点に東京裁判があると言ってもいいかもしれない。

  • 戦争で命を落とされたかたを祀ってる。ところがA級戦犯と共々に
    松岡、白鳥も合祀されてた。このお二人は軍人じゃありません。
    靖国の本意から外れているとなげかれた。のが豊田メモの真意。
    「親の心 子知らず・・・」← 詳しくは省略します。
    メモに含まれた当時の背景を吟味すれば、
    松岡、白鳥が嫌いだった。これはあまりにも単純で短絡的。
    衷心から、あの戦争を反省されていた。
    松岡、白鳥までも、、、、
    天皇の苦心はあまりにも大きすぎる。前後の文言が省略されていますが、
    松平家は、そこんとこよーくご存じのはず。

  • >>14

    >ひとつ確実に言えることは、戦後は国家制度上、天皇に靖国神社を参拝する義務は無くなったということだ。

    それは義務はないという軽いものではありませんよ?現憲法下での天皇は国民統合の象徴的存在とはいえ、政治には関与しない立場。故三木総理の私的参拝発言以降、マスコミが私的か公的かくだらない論調によって政治問題化している以上、参拝を控える陛下の御心情も理解できる。ただ毎年、陛下の御名代である勅旨を靖国に派遣されて遥拝されている。

    >ただでさえ行きたくないところに、

    東條らのA級戦犯は、戦争責任の全てを受け、天皇の身代わりになって絞首刑になったんでしょ?それが祀られている靖国へなんで行きたくないと言えるのかね?貴方の主張は矛盾してますよ?

    >嫌っていた白鳥や松岡までが合祀されたと聞けば、参拝する気が完全に失せたとしても不思議ではない。

    それは、豊田メモが天皇の御心を表しているという前提での話しでしょ?ところが言葉使いなどから否定する意見もあるので、貴方の主張は通りません。

  • >>13

    天皇参拝中止の原因はいずれの説も推測の域を出ないが、戦前戦後を通した長いスパンで天皇と靖国の関わりを見てみると、見えてくることもある。

    ひとつ確実に言えることは、戦後は国家制度上、天皇に靖国神社を参拝する義務は無くなったということだ。

    戦前の靖国は、天皇が統帥する陸海軍省所管の国家機関であり、合祀には天皇の勅許が必要だった。戦後これらの制度は全て廃止され、天皇、国家と靖国の関係は制度的には断ち切られた。

    天皇の靖国参拝は天皇の随意となったわけだが、戦後の参拝が2~7年おきの不定期隔年であった事実は、A級合祀前においても昭和天皇が靖国参拝に消極的であったことを示している。

    ただでさえ行きたくないところに、嫌っていた白鳥や松岡までが合祀されたと聞けば、参拝する気が完全に失せたとしても不思議ではない。

  • >>12

    >したがって「参拝しなくなったのは1976年からで、A級戦犯合祀は1978年で2年の開きがあるから、合祀が参拝中止の原因ではない」とは言えない。

    結局「合祀が参拝中止の原因ではないとは言えない」という貴方の表現からして、断言できないのでしょ?

    リンク先にも書いてあるように、故三木総理の「私的参拝」発言を受けて、マスコミが私的か公的かというくだらない論法で政治問題化するようになった。それに陛下は配慮して参拝しなくなったとも言える。その方が辻褄があうと思いますけどね。

  • >>11

    >天皇陛下が靖国神社にご親拝されなくなったのは昭和五十一年からです。 A級戦犯が靖国神社に合祀されたのは昭和五十三年です。 参拝されなくなったのが五十一年、 合祀されたのが五十三年です。 そこに二年の開きがあります。 ですから、 天皇陛下が靖国神社にご親拝されなくなったのは、 A級戦犯の合祀が原因でありません。

    もともと昭和天皇の靖国神社参拝は、1975年(1976年ではない)を最後に、それまでは1945年、1952年、1954年、1957年、1959年、1965年、1969年と、2~7年置きの隔年に行われていた。
    したがって「参拝しなくなったのは1976年からで、A級戦犯合祀は1978年で2年の開きがあるから、合祀が参拝中止の原因ではない」とは言えない。

  • >>9

    >天皇の戦犯訴追を回避し、裁判でA級戦犯に全ての罪を被ってもらうためには「天皇の意思に背いて開戦した」、言い換えればA級戦犯は天皇を利用した「逆賊」であるという論理が必要だった。

    まぁ~確かに、御前会議を通して天皇は不本意ながら追認したに過ぎないと言われても、連合国側は天皇の統帥権を盾に訴追する可能性がありましたからね。

    >こうした論理で救われた天皇は、個人的には東條ら一部戦犯に同情はあっても、公人としては外交的配慮からも「けじめ」をつけ続ける必要があり、「逆賊」としたA級戦犯を合祀した靖国を参拝するわけにはいかなかった。

    東京裁判は実質、連合国側の仇討ち的な事後法による裁判とはいえ、その「逆賊の論理」でA級戦犯は責任の全てを負って絞首刑になり天皇は救われた。その経緯からすれば天皇が靖国参拝(行幸)を拒否する理由にはなりませんよ。

    それよりも、合祀後に参拝する事により靖国問題が国内での問題や外交問題に発展する事を懸念したからと解釈した方が筋が通る。 その一つの根拠として、下記のリンクに詳しく書かれてます。
    ~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

    ●昭和天皇の靖国ご親拝中止は戦犯合祀が原因でない(以下抜粋)

     天皇陛下が靖国神社にご親拝されなくなったのは昭和五十一年からです。 A級戦犯が靖国神社に合祀されたのは昭和五十三年です。 参拝されなくなったのが五十一年、 合祀されたのが五十三年です。 そこに二年の開きがあります。 ですから、 天皇陛下が靖国神社にご親拝されなくなったのは、 A級戦犯の合祀が原因でありません。 その要因は、 当時の三木武夫首相が昭和五十年に靖国神社を参拝した際、 取材記者に 「私的立場で参拝をした」 と発言したことにあります。

     マスコミは、 その発言を取り上げ、 政治家の靖国神社参拝は 「私的参拝」 か 「公的参拝」 か、 と問うようになりました。 それまでは、 八月十五日に天皇陛下も、 総理大臣も、 靖国神社を参拝してもマスコミが特別に騒ぎ立てることはなかったのです。 それが、 三木首相の発言で、 眠っている子を起こしてしまったわけです。 「公的」 と言えば、 憲法の政教分離の原則に反する言い、 侵略戦争だった大東亜戦争を認めるのか、 という論法でマスコミが叩いていくわけです。 その流れは、 今日まで続いています。 「私的」 だと言えば、 記帳に肩書きを付けたではないか、 使用した車は公用車で良いのかとか、  玉串料は個人のお金なのかと追求するようになってしまいました。 ~~省略~~    

     つまり、 三木首相が昭和五十年に、 「私的参拝だ」 と言ったことがマスコミに取り上げられ、 国会でもそれが与野党の議論になってしまい、 天皇陛下は、 翌年の昭和五十一年から八月十五日の靖国神社ご親拝を控えるようになったのです。 しかし、 春秋の例大祭には、 勅使の参向を続けられ、 ご親拝の礼を尽くしているのですよ。 今でもそうです。 だから昭和五十三年にA級戦犯を合祀したことによってご親拝されなくなったというのは、 全くの誤解です。 年月日が合いませんから。

    http://shofujuk.cside8.com/20sosin/025.html

  • >>8

    >天皇は不本意ながら開戦に踏み切ったという解釈が正しいでしょう。

    事実はその通りです。
    しかし東京裁判でそれを認めれば、天皇は開戦の責任を免れ得ず、戦犯として訴追されてしまう。
    天皇の戦犯訴追を回避し、裁判でA級戦犯に全ての罪を被ってもらうためには「天皇の意思に背いて開戦した」、言い換えればA級戦犯は天皇を利用した「逆賊」であるという論理が必要だった。

    こうした論理で救われた天皇は、個人的には東條ら一部戦犯に同情はあっても、公人としては外交的配慮からも「けじめ」をつけ続ける必要があり、「逆賊」としたA級戦犯を合祀した靖国を参拝するわけにはいかなかった。

  • >>7

    >東京裁判で、天皇の意思に逆らって戦争を遂行したとされたA級戦犯を、天皇が拝む訳にはいかないということなのだろう。

    いやいや、日本は御前会議を経て対米英戦に踏み切ったのだから、天皇の意思に逆らったのではなく、天皇は不本意ながら開戦に踏み切ったという解釈が正しいでしょう。

    それにリンク先の通り、豊田メモは陛下の発言とは思えない部分もあるので決め付けはいけませんよ?

  • >>5

    いろんな見方があるもんですね。

    一寸切り口を変えて、天皇の戦犯訴追回避とA級戦犯確定に至る経緯を見てみると、昭和天皇のA級戦犯合祀に対する複雑な想いというものが見えてくる。

    「昭和天皇独白録」というものが作られていたことは今やよく知られるところだが、いったい何の目的で作られたのか。
    昭和天皇独白録は、1946年3~4月に、天皇が戦犯で訴追されるかもしれないことに危機感を抱いた松平慶民宮内大臣(A級戦犯合祀した松平永芳靖国神社宮司の父)が、木下道雄侍従次長・松平康昌宗秩寮総裁・寺崎英成宮内省御用掛・稲田周一内記部長とともに、来るべき東京裁判への対策として天皇から聞き取り、独白録としてまとめたものだ。

    内容はご承知の通りで、昭和天皇は戦争に反対だったという趣旨で貫かれている。
    この立場を東京裁判に反映させ、天皇訴追を免れるためには、旧軍内部にも"内部告発者"としての協力者を必要とした。
    この協力者として白羽の矢が立ったのが、メンバーの松平康昌が懇意にしていたた田中隆吉元陸軍少将だ。
    田中隆吉は関東軍参謀、北支方面第一軍参謀長、陸軍兵務局長などを歴任しているが、東條らに批判的で、東條からは疎んぜられていた。
    田中は終戦直後の1946年2月に東條、武藤ら戦争を主導した軍部を内部告発した著作「敗因を衝く 軍閥専横の実相」を出版していて、東京裁判首席判事キーナンの眼にも止まっていた。キーナンもまた、天皇の訴追を回避したいと考えていた。

    松平康昌は田中と相談、「この際、できるだけ少数の人に重い罪を背負ってもらって、その範囲を絞るよう努めるほかはない。それが多数の容疑者を救う唯一の途でもあるし、誰も罪をかぶらないと、お上に責任が及ぶことになりかねない。」との意見で一致する。
    こうして 、1946年5月3日開廷した東京裁判では、田中はキーナンに”協力”する形で東京裁判で連合国側証人として東條、武藤らに不利な証言を重ねてゆく。
    松平と田中は、おそらく終戦直後から相談していたと思われる。
    なぜなら田中の著書「敗因を衝く」が出版されたのは独白録聞き取りが始まる前月の昭和21年2月だからだ。松平、寺崎らは天皇聞き取りの前に、田中の著書に目を通し、辻褄が合うように独白録を作ったと考えられる。それどころか、田中の著作自体が松平ら宮内省メンバーと相談しながら書かれた可能性さえある。

    結局、宮内省幹部と田中隆吉らの動きとキーナンの思惑が一致し、昭和天皇は訴追されなかった。
    しかし、一度だけ危ない場面があった。それは昭和22年12月31日、東条英機被告が東京裁判の法廷で、「日本国の臣民が、陛下の御意思に反してかれこれするということはあり得ぬことであります。いわんや、日本の高官においてをや」と証言したのだ。
    この発言は、天皇の意思に反して開戦決定がなされることはあり得ない、と言っていることになる。天皇訴追回避の決意を固めていたキーナン首席検察官がこの証言の危険性に気づき、田中隆吉を通じて松平康昌に働きかけ、松平が拘禁中の木戸幸一を訪ねて、東条への説得を依頼した。その結果、自ら責任を負う覚悟を決めていた東条は、翌23年1月6日の法廷で、「それは私の国民としての感情を申し上げておったのです。責任とは別です」と述べるに至り、事実上、前言を撤回した。

    昭和天皇は田中隆吉の東京裁判での働きを評価し、松平を通じて「今回のことは結構であった」という「お言葉」とともに、ジョニーウォーカー・レッドラベル1本を「御下賜品」として田中に与えた。田中は感激したという。
    田中は兵務局長時代、陸軍中野学校長を兼務していて、国体護持の意識は人一倍強かったと思われる。
    こうして最終的に、28名がA級戦犯として起訴され、東條、武藤ら7名が天皇に代わって最大の罪を背負って絞首刑となり、天皇は戦犯訴追を免れた。

    いわゆる富田メモ、昭和天皇が靖国参拝について、
    「私は或る時に、A級が合祀され
    その上 松岡、白取までもが
    筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが
    松平(慶民)の子の今の宮司(松平永芳)がどう考えたのか、
    易々と
    松平(慶民)は平和に強い考えがあったと思うのに
    親の心子知らずと思っている
    だから 私あれ以来参拝していない
    それが私の心だ」
    と述べたとされる件。
    この言葉は、松平慶民、松平康昌ら天皇側近の宮内省幹部が、終戦時に大変な苦労をして昭和天皇の戦犯訴追を回避した功績を多とし、生涯心に留めていたからこそ出たものであろう。
    「易々と」「親の心子知らず」という言葉に、こうした終戦時の緊迫の経緯を忘れていない天皇の想いが象徴的に表れている。

    東京裁判で、天皇の意思に逆らって戦争を遂行したとされたA級戦犯を、天皇が拝む訳にはいかないということなのだろう。

  • 1976年まで、数年おきに参拝されている。1978年以降も参拝の予定があったと
    推測するのが普通。ところがA級戦犯合祀された。しかも軍人でない松岡白鳥が合祀。
    参拝したくても参拝ができなくなったのが事実。
    平成の天皇も参拝されていません。政治的インパクトが大きすぎて参拝できないのが現状。
    靖国へA級戦犯を合祀。どうとりつくっても無理がある。

  • >>4

    >したがって、「1975年の参拝が最後で、A級戦犯合祀はその3年後だから、参拝中止の理由ではない」とは言えない。

    横から失礼します。
    昭和天皇の御心は推察の域を出ないが、靖国への参拝(本来は行幸というらしい)する事により、外交問題に発展する事を懸念しているとも言える。

    >やはり、理由は富田メモに書かれている天皇の言葉どおり、A級戦犯合祀、中でも松岡と白鳥を合祀したことが最大の原因と思われる。

    その豊田メモも言葉遣いから、天皇の発言とは思えないと指摘されてるね。詳細は下記のリンクを参照されたい。

    ●「昭和天皇」豊田メモは「世紀の大誤報」か?
    http://deepwhitepigment.myartsonline.com/ymtomita.html

  • >>1

    >1976年の当時の三木首相が靖国参拝に対して、朝日新聞が政教分離の原則を盾に「公人か私人か?」との問いに「私人である。」と答えた事から、明らかに公人である天皇陛下が靖国参拝できなくなったのが真の原因である。

    天皇は公人であるとしても、憲法で政治行為は禁止されており、神社の参拝は政治行為ではないのだから、公人の天皇が靖国神社を参拝しても憲法の政教分離原則には抵触しない。
    総理大臣や閣僚の伊勢神宮参拝は必ず「私人」として行ったという説明がなされるが、天皇の伊勢参拝にそのような区別はなく、問題にならないのと同じことである。
    したがって参拝を止めた理由は「公人」であるからではない。

    >その2年後の1978年にA級戦犯が合祀されたのであり、天皇陛下の参拝の障壁にA級戦犯合祀は全く関係していない。

    もともと昭和天皇は靖国神社参拝を1975年(1976年ではない)を最後に、それまでは2~7年置きの隔年(1945年・1952年・1954年・1957年・1959年・1965年・1969年・1975年)に行なっていた。
    したがって、「1975年の参拝が最後で、A級戦犯合祀はその3年後だから、参拝中止の理由ではない」とは言えない。

    やはり、理由は富田メモに書かれている天皇の言葉どおり、A級戦犯合祀、中でも松岡と白鳥を合祀したことが最大の原因と思われる。
    東條のことは天皇に忠実であり、評価していたようだ。

    「私は 或る時に、A級が合祀され その上 松岡、白取までもが 筑波は慎重に対処してくれたと聞いたが」
    「松平の子の今の宮司がどう考えたのか 易々と 松平は平和に強い考があったと思うのに 親の心子知らずと思っている だから私あれ以来参拝していない それが私の心だ」

    英国王室を範としていた天皇にとり、英国と敵対するファシズム国家独伊との「三国同盟」には非常な危惧を抱いていたようだ。
    天皇は、三国同盟の成立が、対独戦に参戦したがっていた米国に「日本を経済封鎖で締め上げ、先に手を出させる」という戦略を思いつかせた、と考えていたようで、まさに痛恨の出来事であったようだ。
    その独伊との同盟を強引に推進した中心人物が、松岡外相と、白鳥駐伊大使、大島駐独大使らであり、その独断専行ぶりには大いに立腹していた。

    昭和14年(1939)38歳
    ・「出先の両大使がなんら自分と関係なく参戦の意を表したことは、天皇の大権を犯したものではないか」(4/10)・・・大島駐独大使と白鳥駐伊大使が、独伊に対して各々独断で「独伊が第三国と戦う場合、日本も参戦する」と伝えたことについて。

    昭和15年(1940)39歳
    ・「独伊のごとき国家とそのような緊密な同盟を結ばねばならぬようなことで、この国の前途はどうなるか、私の代はよろしいが、私の子孫の代が思いやられる」(9月)…日独伊三国同盟の締結に際して。
    ・「この条約(三国同盟)は、非常に重大な条約で、このためアメリカは日本に対してすぐにも石油やくず鉄の輸出を停止するだろう。そうなったら、日本の自立はどうなるのか。こののち長年月にわたって大変な苦境と暗黒のうちにおかれることになるかもしれない。その覚悟がおまえ(近衛首相)にあるか」(9月)…天皇は的確に未来を予測していた。

  • 実に記憶に曖昧で!なんとなく!なんとなくそんな感じが蘇ってきました!
    戦犯合祀以前に陛下は自ら行かれなくなっていた!その通りですね!

    @問題は!時の総理がお参りするのになぜ朝死新聞社如きかかような問いかけを働いたかですね!
    果たして新聞社にここまで政治への介入およびいちゃもんさらには回りくどい反日思想をあからさまにし!まるで日本国への挑戦とで儲け取れ兼ねる行為が許されるものなのでしょうか!?

    この問題新聞社はその後ありとあらゆる日本の戦時下の粗探しに躍起となっていますね!
    誰の眼にもシナ狂参党直属の宣伝部隊としか見えない!

    今後!今の21世紀になって出差へ靖國を問題とし!最大限の問題とし!先頭切った反対を叫ぶ姿は異常そのものですね!

    愛国心のかけらもない民主主義への挑戦者と位置付けていいでしょう!
    つまり極左新聞!

    どどど

並べ替え:
古い順
新しい順
アプリでサクサク「掲示板」を見る Yahoo!ファイナンス公式アプリ
Yahoo! JAPANからの口座開設限定!最大32,000円キャッシュバックキャンペーン