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>>73570

安龍福が、拷問に恐怖して「アイゴー!」とばかり、デタラメな供述をしたことは想像に難くなく、実際、安龍福の供述には上記に限らず事実に見合わないものが数多く見られます。

そういうまさに「人権無視」の取り調べによってなされたいかがわしい供述さえも、竹島領有権の裏付けとしようとする現代韓国の底意地の悪さが感じられる事実です。

竹島でニホンアシカの捕獲が本格的に行われるようになったのは、1900年代初期のことです。

しかし、間もなくあしかは過当競争の状態となったことから、島根県隠岐島民の中井養三郎は、その事業の安定を図るため、明治37(1904)年9月、内務・外務・農商務三大臣に対して「りやんこ島」(注:竹島の洋名「リアンクール島」の俗称)の領土編入及び10年間の貸し下げを願い出ています。

日露戦争のまっただなかの時代に、ニホンアシカの絶滅を防ぎ、保護と確保の両方を一元的に管理しようとしたのです。

中井養三郎の出願を受けた政府は、島根県の意見を聴取し、「竹島」を隠岐島庁の所管とすること、名称は「竹島」が適当であるとします。

これにより、日本政府は、明治38(1905)年1月、閣議決定によって同島を「隠岐島司ノ所管」と定め、正式に「竹島」と命名し、この旨を内務大臣から島根県知事に伝えます。

この閣議決定によって、我が国は「竹島」領有を再確認したわけです。

島根県知事は、この閣議決定及び内務大臣の訓令に基づき、同年2月、竹島が「竹島」と命名され隠岐島司の所管となった旨を告示するとともに、隠岐島庁に対してもこれを伝えます。これらは当時の新聞にも掲載され広く一般に伝えられています。

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