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  •  中国版ツイッター・微博(ウェイボー)で約8000人のフォロワーを持つ、海外在住というネットユーザーが6日、中国で1960年代末に起きた文化大革命にかんするツイートを掲載したところ、多くのユーザーの注目を集めた。

     このユーザーは「文革時期に北京市大興県で大虐殺が行われた。中国人がどうやって中国人を殺したか見て欲しい。日本人より残虐だ」というツイートとともに、当時の「大虐殺」の様子として1枚の写真を掲載した。画像の信ぴょう性については不明である。

    中国は、政府による歴史でなく矛盾のない真実の歴史を知るべき
    ※戦時中は、日本軍による統治の方がマシだという事で親日の中国人も多かったが
     戦後、政府により弾圧されている

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  • 【通州事件】
    この惨状は、日本人が被害者であるにもかかわらず、中国では「南京大虐殺」の証拠写真にすり替わっている。

    (1937年7月29日)
    満州の通州にある日本人居留民を、中国の保安隊が突如襲ってきた。

     浜田巡査宅では長女が手榴弾で吹き飛び、長男は拳銃で刺され、夫人は凌辱された後女子師範学校まで引き立てられたが、途中で逃げ出した。

     付近の日本食堂では男の子が壁に打ち付けられて頭蓋骨陥没の即死、5人の女店員は射殺されていた。
    食堂・旭軒の女店員8人も強姦のあとに裸体にされ、〇部には拳銃がさし込まれていた。
    他の場所には女の全裸体が放置され、全員の〇部が刃物で抉られ、或いは男は眼を抉られ、カフェでも女店員が絞殺され、全裸のまま死体を放置してあった。

     或る店では女店員全員が強姦され、〇部には箸が突っ込まれていたり、口の中に砂を入れられたりして殺されていた。 なかには死体から内臓がはみ出し、蠅がたかった現場もあった。

     通州の高級割烹旅館だった「近水楼」では女中4人が射殺後に凌辱され、天井裏に隠れていた宿泊客11人は北門付近まで数珠繫ぎにされて連行されたあと虐殺された。
         (略)
     こうして保安隊は事前にリストアップしていた日本人の民家を次々と襲撃し、財産を横領強奪、片っ端から日本人を殺戮し、凌辱を重ねた。
     逃げ遅れた日本人は手足を縛られ、鼻や喉を針金で突き通され、ひきずられ、二ヵ所に集められたうえで射殺された。
         (略)
     これにより現地の日本人385名のうち、幼児12名を含む223名が虐殺された。 多数の女性は強姦された後、〇部を拳銃で突かれえぐり取られた。
    首に縄をかけられ引き回しにされた上、目玉をえぐられた者もいた。 牛のように鼻に針金を通したまま殺された子供や、いきたまま片腕切断された老婆もいた。

                
    「Sさんの体験談」
    https://www.youtube.com/watch?v=U7vJtEzXo_g

  • >>2

    違う違う、3000万人とも7000万人ともいうんですよ。幅がありますがわからないくらい虐殺したんですよ。1500万人ではないのです。
    その当時はまだ中国の人口は6億人くらいだったでしょうか。

  • >>13

    【済南事件 続】

    酸鼻!日本居留民虐殺さる
     済南事件に於いて、シナ兵が我が居留民に加えた暴虐凌辱は言語に絶する悪鬼の所行であった。(略)

    「(略)手足を縛し、手斧様のもので頭部・顔面に斬撃を加えへ、或いは滅多切りとなし、婦女は全て〇部に棒が挿入されてある。 或るものは焼かれて半ば骸骨となってゐた。 焼残りの白足袋で日本婦人たる事がわかったやうな始末である。…」
           (略)
    「腹部内臓全部露出せるもの、女の〇部に割木を挿込みたるもの、顔面上部を切落したるもの、右耳を切落された左頬より右後頭部に貫通傷あり、全身腐乱し居れるもの各一、〇茎を切落したるもの2」

    以下略

    ※現在、中共によりこれらの写真は、「日本軍によって、中国人が虐殺された」ことになり利用されている。

  • 【済南事件⇒通州事件同様の日本人に対する猟奇的大虐殺】

    「済南事件」(1928年)
    http://seitousikan.blog130.fc2.com/blog-entry-109.html

    南軍総司令官である蔣介石より、日本軍に対して「治安は北伐軍が責任を持って確保するから済南城内の日本軍の防御を撤去してほしい」との要請があった。 日本軍はその言葉を信じて徹夜で防御を撤去した。

    すると5月3日、突然北伐軍が居留民を襲撃してきた。各所で多数の男女日本人居留民が北伐軍の手で虐殺されていった。略奪などを含めると被害者は400人のぼった。

    虐殺の仕方は、シナ伝統の言語に絶する残虐なものであった。たとえば、手足を縛り、手斧のようなもので頭部や面部に斬撃を加えたり、滅多切りされたりした。 婦女はすべて陰部に棒が挿入されていた。 また、焼かれて白骨化し、焼け残った白足袋で日本婦人たるものがあった。…
       (略)
    蔣介石は絶望した。(略)(蒋介石軍の中に)悪いことに共産主義者が多数紛れ込んでいた。

  • 中国が建国わずか70年程度の間に虐殺した人数は三千万人以上!
    中国共産党一党独裁の恐ろしい政権運営の結果が「未曾有の虐殺国家」の地位を得る。

    金と権力だけが目的の中国上層部、手段は選びません。

  • 【731部隊の小説(悪魔の飽食)のモデルは、中国にあった】

    『マオ 誰も知らなかった毛沢東 上』張戒
    (1934年)
     処刑は、ときに別の役割を果すこともあった。 師哲はある病院で大きな水槽を見たときのことを語ってくれた。 「水槽の中には、男性の死体が入っていました。 年齢は30歳前後、ホルムアルデヒドに漬かっていました」。

    病院職員の話によると、解剖用の死体が必要になったとき、3人の「反革分子」を医療目的のために殺してもよい、と「康生が許可してくれた」ということだった。

     見せかけのスパイ狩りは、拷問の口実となった。 眠らせないのは標準的な拷問テクニックで、ときには2週間も眠らせずに尋問を続ける場合もあった。
    鞭で打つ、手首を縛って吊るす、膝が壊れるまでねじる(老虎凳)など昔ながらの拷問もおこなわれたし、心理的苦痛を与える方法―洞窟監房の毒蛇を入れると脅すことから、模擬処刑で脅すことまで―も使われた。

    夜になると、無数に並んだ洞窟監房から肉体を引き裂かれる苦痛の絶叫が静寂の丘陵に響き渡り、延安に住んでいるほとんどの人々の耳に届いたという。


    ※この時期、延安に日本共産党員もいた。
     「しんぶん赤旗」から出た小説「悪魔の飽食」は、日本軍の仕業にすり替わっている。
    写真は「済南事件(中国人による日本人大虐殺)」の時の、「日本人被害者の検屍写真」が使われている。
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%B8%88%E5%8D%97%E4%BA%8B%E4%BB%B6

  • >>1

    【日本軍と中国共産党は交戦していない ― この事実は日本共産党も知っているはず!】

    『マオ 誰も知らなかった毛沢東 上』張戒
    (1939年)
    「延安では、万人に平等なものは三つしかない ― 日光、空気、それに便所だ」
    といった皮肉が口の端に上がった。 特権制度は、日本人共産党員や捕虜にまで及んだ。

    彼らの中で正式にセックスが許されていたのは、リーダーの野坂参三ただひとりだった。
    「毛沢東は彼に機嫌よくしてもらいたかったのです」と、捕虜として延安にいたことのある日本人が著者に語ってくれた。

    「それで、毛沢東は彼の相手として女性同志を提供したのです……われわれは文句を言いませんでした。 
     ― 少なくとも公然とは。 みんな不満はありましたが、胸の奥にしまっていました」

    ※延安の日本人捕虜
    「前田光繁=杉本一夫」
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%89%8D%E7%94%B0%E5%85%89%E7%B9%81

    ※日本が敗戦した時に、ソ連と中国共産党が満州を侵略してきた。
    『通化事件(日本人、満州国要人、大虐殺事件)』で、延安にいた「日本共産党=日解連」がかかわった。
    https://www.youtube.com/watch?v=PbvzgzdLxa4

  • >>1

    【朝日新聞元記者の本多勝一らが広めた皇軍(中帰連)による『三光』は、実は中国の戦法だった。】
    http://npo-chuukiren.jimdo.com/%E4%B8%AD%E5%B8%B0%E9%80%A3%E3%81%AE-%E6%88%A6%E4%BA%89%E4%BD%93%E9%A8%93/
           ↑
    ※中帰連の正体
    http://bewithgods.com/hope/japan/a10.html


    『マオ 誰も知らなかった毛沢東 上』張戒
    (1922年)
    毛沢東の部隊はいつも「焼き打ちをかけ、 人を殺し、 誘拐し、 略奪」する「共匪」と呼ばれていた。
          (略)
    毛沢東の部隊に誘拐された被害者の中には、アメリカ人のカトリック神父エドワード・ヤングも含まれ、紅軍側は二万ドルの身代金を要求した。ヤング神父は脱走したが、ともに捕らわれていた中国人の人質や囚人は殺害された。

  • >>1

    【中国のおぞましい猟奇的拷問】

    『マオ 誰も知らなかった毛沢東 上』張戒
    (1930年)
     毛沢東は劉敵ら反乱兵士たちを「審訊」し、処刑した。 劉らは処刑前に地元住民への見せしめとして根拠地内を引き回された。
            (略)
    おぞましい拷問が、いたるところでおこなわれた。 報告書には、「じつに多種多様な拷問がおこなわれた…
    『座快活椅子(快楽椅子に座る)』『蝦蟆渇水(ひきがえるが水を飲む』『猴子〇〇(猿が縄を引く)』(略)
    真っ赤に焼けた㮶杖を肛門に押し込まれた者もいた…勝利県だけでも120種類の拷問があった」と書かれている。

    「仙人弾琴(仙人が琴を弾く)」という吐き気を催すほど創造的な名前を付けられた拷問は、ぺ〇スに針金を通してその両端を被害者の耳から吊るし、拷問者がその針金を弦に見立ててかき鳴らす、というものだった。

    殺人も身の毛のよだつ方法でおこなわれた。
    「どこの県でも、腹を切り裂いたり心臓をえぐり出したりした例があった」と、報告書が伝えている。

  • お前は阿呆か?
    もし中国版ツイッター・微博(ウェイボー)で見たら、隠すとはいえるの?
    中国版ツイッター・微博(ウェイボー)は全世界に公開しているよ。

    自分の罪を否定、隠しているのは日本だけだ!

  • >>1

    中国の真骨頂! これが「まぼろしの南京大虐殺」だろうか?

    『マオ 誰も知らなかった毛沢東 上』張戒
    (1937年)
     三月なかばには、かつて張国燾軍の主力部隊だった西路軍はほぼ全滅した。
    敵(国民党軍)に捕らえられた兵士は残虐な方法で殺された。

    甘粛省西部で最大の戦闘がおこなわれたあとでは、1000人以上が生き埋めにされた。
    虐殺される前。待ち受ける運命を知らぬ大勢の捕虜たちを写した痛ましい写真が残っている。
    2000人いた女性兵士は強姦されたあと、拷問を受けて殺されたり、あるいは地元の奴隷市場で売られたりした。

    初め2万1800人いた男女兵士のうち、4月末に新疆にたどりついたのはわずか400人前後、それもほとんど死にかけたような状態だった。

  • >>1

    まさに、「通州事件」を彷彿とする虐殺

    『マオ 誰も知らなかった毛沢東 上』張戒
    (1935年 長征)
     張国燾の部隊は、ある場所で、病気や疲労で行軍できなくなった女性兵士たちを残していったことがあった。
    半世紀後(略)消息を尋ねていったところ、女性兵士たちが残虐な目に遭ったことがわかった。

     それまで紅軍にさんざん痛めつけられていた元住民は、残された女性兵士たちに報復をした。
    女性兵士の中には〇に木の杭を突き立てられ、乳房を切り取られ、拷問の果てに殺されていた者もいた。

  • >>1

    日本軍のせいにされている「万人抗」

    実際は
    『マオ 誰も知らなかった毛沢東 上』張戒
    (1932~1933年)
     これは周恩来が担当した。 信頼できないと判定された人間は処刑された。 処刑者は何千人にものぼった。
    紅軍軍事学校の教員は大多数が処刑された。 教員は紅軍の捕虜となって根拠地に連れてこられた元国民党将校が多かったからだ。 

     処刑は立ち入り禁止にした山奥の谷間に巨大な穴を掘って、そこでおこなわれた。
    犠牲者たちは短剣でめった切りにされ、穴の中に蹴落とされた。 穴が満杯になると、残った者達が自分用の穴を掘らされ、それからめった切りにされて殺された。 生きたまま埋められた者もいた。

     この大虐殺は国家保衛局によっておこなわれたが、特務の人間の中にも、いまや共産党政権に対する信頼を失って処刑される側に回される者が多かった。

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