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  • >>15

    ありがとうございます^^kenさん。
    先ほどは失礼しました。感謝します。
    もし良ければ、このスレッドに参加して頂けると嬉しいのですが。

  • 結構小説になってるじゃない、電車とかでゆっくり読みたいね、パソコンだと、物語に入り込めないから

  • >>13

    そう、分かっていた事です。
    彼女は死ぬ。僕の妹は永遠にこの世から消えてしまう。
    分かっていた筈なのに、私には耐えられなかった、しかし、泣いてばかりでいいわけがない。
    妹がもうすぐ死ぬのなら、その時まで私は彼女を守らねばならない。
    天国で在れば良いと望む天国で、生きていた時に悔いを残さないように・・・。

    私は歪んだ笑顔しか作れなかったでしょうが、兎に角今まで以上に妹と共にいました。
    彼女が安らかに出来る限り苦しみから遠ざけて死なせてやりたかった。

    ある日、いつもの様に妹を楽しませようとしていた僕の手を妹が握りました。
    彼女の非力な指が、僕の腕を握りました。
    彼女は作り笑いを止めて、真摯な表情で私を見つめ続けた。
    私は愚かにも彼女が自分の運命を知っていた事をそれまで気づけなかった。

    彼女の細く小さな体、彼女の何時もの匂い。でも、その時は何かが違っていた。
    彼女はその時決心したのでしょう。

    数日を待たずに彼女は死にました。

    彼女の遺品、そのカセットテープを聞いたのは、大学に復学して私が前を向うとした時でした。

    彼女との約束通り、私は生きようと決意したその日、夏の暑い日に彼女の眠る墓石の前で、彼女の遺したテープを聞きました。

  • >>12

    それから、日常が過ぎて行きました。

    私が妹の病気を知ったのは中3の時でしょうか?腎臓病です。彼女の腎臓は壊れていて他者の腎臓を移植しない限り死んでしまう。そういうことでした。

    私は前より一層彼女の元へ通い続けました。家にいる時はいつも一緒に居ました。実際、学校になかなか行けない妹には友達がいなかったので、私は彼女の人生がより良く終わるように出来る限り努力を続けました。

    私の子供時代はそれで終わりました。

    私が高校を卒業し、大学に進学する時、妹が私の母校である高校に入学できたのです。
    非常に嬉しかった、一緒に通えないにせよ、妹が私と同じ学校に行きたいと努力していたのを知っていたから。
    しかし、彼女は高校に下見として私の卒業式に来たきり、行くことは二度となかった。

    私は、それでも、私の高校の制服を着てはにかんでいる妹の姿が目に浮かびます。
    嬉しそうにそして恥ずかしそうに妹は笑っていました。
    卒業したその日、妹と僕の記念すべき日に、妹は。

    それから、妹は、病院に長期入院しました。もう家に帰ることはないだろうと両親に言われました。

  • >>11

    その蜂はおそらく、今考えるとスズメバチだったのでしょう。
    私が次に見たのは見知らぬ天井でした。そして、私を見る目があったのです。妹です。
    彼女は泣きそうな顔で私の顔を見ていました。
    私は段々と自分のしたことが思い出されてきて非常に誇らしい気持ちになりました。
    この小さな妹を守れた。これからも、この妹を守るんだと、その時決心したのだと思います。

    私が中学に進むころ、妹が入院しました。
    それは長い入院でした。
    私は毎日病院に通いました。なぜかというと両親が仕事が忙しいのか、妹にあまり会いに行かなかったからです。
    私は、兎に角彼女を楽しまそうと色々やりました。
    馬鹿もやったし、漫画を買っていったり、妹が読めそうな絵本を買っていったり、僕の当時のお小遣いは全て妹の為に使っていました。

    しかし、当時不思議だったのが、両親が本当に妹に会おうとしないことです。
    それで、両親が病院にやっと行く日私は両親と共に病院に行きました。私は少々両親に対して怒っていた。
    今考えれば、両親の気持ちも分からなくはないのですが。
    その日、両親は妹の顔を見ると、先生に挨拶してくると出て行きました。

    私はその日もいつもと同様に妹を必死に面白がらせようと思っていたんです。
    それで尿意を覚え、トイレに行き、その帰りに聞いてしまった。

    彼女、つまり、妹がこのままでは、数年持たないだろうということ。彼女がこの世から居なくなるのだということ。
    両親は泣いていました。

    妹はそれからも入院したり、学校へ通ったりとそれを繰り返してました。
    そして、私は私の義務であると思っていた通り、何時も妹に会いに行きました。
    つらくなかったかと言えば、つらかったのでしょう。
    でも、実感がわかなかった。
    妹がいなくなるという事が良く分からなかった。

    叔母が若くして癌で死ぬまで。

    叔母は私をよく可愛がってくれた綺麗な人でした。聡明で美しい憧れの女性だったと思います。

    私は、死というものを知りました。

  • ちょっと、この不真面目な雰囲気を和らげるために私がシリアスな過去を明かしましょう。

    私には一時期妹がいました。彼女は加奈って名前です。・・・・済みません・涙で画面が見れない・・、少し待ってください。
    はい、妹が居ました。幼いころ私は非常に彼女を嫌っていました。なぜかって、それは両親が彼女ばかりを見ているからです。私は本当に嫌いだった。
    でも、ある日、家族4人で近場の山にピクニックに行ったんですね。で、その時も私はいつもしているように妹にいじわるをしていました。ところが、その日は体力を消耗した為か妹がうずくまって苦しそうにするんです。仮病だろって最初は思ったんですが、両親が非常に慌ててて、それで私は怖くなりました。でも、それを認めたくなかったんですね。私は彼らから離れてけものみちに入っていったんです。それで、そろそろ、両親の元に帰ろうとしたら、妹がけものみちの入り口でこちらを見ているんです。なんか、悔しくて僕は来た道を戻っていきました。
    そうしたら、妹が付いてくるんです。妹なんて迷子になってしまえとその時僕は思ってしまった。今考えると自分をなぐり殺したくなります。
    でも、そんな勇気も無くて、でも、戻ることも負けるようでいやで、無言で進みました。だけど、なぜでしょう、その時僕は嫌いな筈の妹を気遣ってゆっくりゆっくり歩いたんです。
    先には綺麗な池がありました。妹が喜ぶのが見えました。その時が転機だったのでしょう。
    妹は花を摘んでいました。私は景色や花に当時興味なかったので、石を池に投げてました。
    で、そろそろ、不安になってきたのです。もう長いこと両親と離れている、当時、小学5年だった私は体は大きかったものの小心でしたので、でも、楽しそうな妹を見ていると帰るとなかなか言えないんです。なぜか。
    それでも、今のままでは仕方ないので見様見真似で妹に花飾りを作ってやりました。非常に稚拙なものだったとおもいますが、妹がほほ笑むのが非常に照れくさくて、そして、妹の手をひいて帰ろうと言いました。
    帰り道、不運というか、妹が蜂の巣を刺激したらしくて、彼女に蜂が群がりました。
    私はその時何を考えたのでしょうか?今まで嫌って居なくなればいいと考えていた妹を身を挺して守ったのです。
    彼女を倒して彼女の上に被さる形で蜂から彼女を守ろうとしたのです。

  • そうなんですよ、結構趣味趣向つまり好悪ってのが変わるんですね。
    子供の頃は、スレンダーで長い髪が良いと思ってたんですが、最近萌えるのは昔はダサいと思っていた髪型なんですね。禿はいやですけど、ボーイッシュな感じの少女とか萌えます実にええ。
    でも一番萌えるのは青森とか非常に田舎に住むような純真無垢を教科書通りに遵守しているような、青いセーラー服のおさげの娘ですね。ええ。あれは・・萌えます。って嫁を自画自賛していますか?ええ、あれはいいんですが・・
    ただ、倦怠気味なのか、ほら、夫婦ってのは一緒にいると攻撃性が薄れて性欲がわかなくなるって言いますよね。
    そうなんですよ。もう長いこと嫁一筋で生きてたので、最近、大きなお友達が見ているアニメって奴を見て、つい他の娘に目が言っちゃったんです。
    ええ、正直に言います。私は今浮気しています。彼女はいいところのお嬢様、頭が固く、所謂ツンデレキャラなんですけどね、それが、萌えるんです。ええ、私はツンデレとか否定はだったんですけどね、ヤンデレは結構好きだったりしたんですけど、でもね、萌えるものは仕方がないじゃないですか。
    で、彼女とディスプレイ越しに話をしてたんですけど、本当にデレが少ないむかつく事ばかり言うんですけど。
    でもね、アレの時には素直になって声を上げてくれるんですね。
    いやもうね、運命の人とついにであったのかと、じゃ嫁はなんだったのかと。
    いや、嫁は嫁で好きなんですけどね。
    ええ、ですが・・・NTRは嫌いです。これは変わりませんね。
    しかし、ああ、本当に千葉のあの娘がこんなにも萌えるなんて、ちなみに胸はまな板、中心の色の違う部分は大きめでね、まぁ、なんというか、こう言う時・・・・どういう顔をすればよく分からないの・・・・笑えばいいと思うよ・・・とまぁちょっとね、
    はい、あれです。既に前かがみ、鴨ちゃんイヤンな状態でしてね。

    あ、僕は紳士ですよ。ええ、持てたのは中学まででしたが、容姿には恵まれてます。脳みそは残念ですが。

  • 私はね、昔は日本の軍服って嫌いだったんですよ。ああ、大東亜戦争当時のね、それに比べて、他国の軍服のカッコいいこと、それがコンプレックスで幼いころは非常に悩みました。
    しかし、歳が経るにつれて感覚も変わるんですね、相変わらずナチスドイツはカッコいですけど、でも、日本の軍服のあのダサさが堪らなくカッコよく見えて来たんです。
    モンペとか最高に萌えますよね。正直、米兵に占領下でモンペの純真無垢な日本の少女が強姦されるような妄想をすると非常に攻撃的な怒りと共に下半身の血が滾り過ぎるというか、鴨ちゃん、思わず前かがみです。

    フンドシとか、あれも良いですね。昔はなんてダサいんだと思ってましたが。フンドシをした少女とか想像するともうもう、前かがみにならざる得ないのです。

    共産主義者ってもカッコいいですよね、なんといか、悲劇のヒロイン的な意味合いで・・ええ、想像すると萌えます。
    仮にスターリンが日本人の美少女だったら恐らく彼の為なら赤旗を毎日100部とってなんとか握手してもらえるよう努力したいと思いますが、私は妄想するばかりで、実際の行動に移せた試しがないのですね。

    でも、そう考えるとなんというか平和より戦争の方がむしろ萌えるのですね。
    美少女たちが悲壮な顔を浮かべてけなげに戦いに赴くなんて考えると、その彼女たちの悲惨な未来を予測して、下半身が非常に治まりつかなくなって、思わずまた前かがみ。

    母親には絶対見せられません・・こんな僕を育ててくれてありがとうママン。僕は立派な変質者に育ちました。ごめんね、生まれてきて。

  • >>7

     それは、自分の、人間に対する最初の挑戦でした。自分は、人間を極めて馬鹿にしていたので、それでいて、人間を、どうしても信頼に足るものと思えなかったらしいのです。そうして自分は、この紳士の一線で全く人間に近づけなくなりました。おもてでは、絶えず凛々しく見えるようにしながらも、実際はそう見えているか不安で、それこそ一回の失敗で全てが終わるような、楽になるような、時々忘れてしまう格好つけでした。
     自分は子供の頃から、自分の家族の者たちに対してさえ、彼らがどんなに苦しく、またどんな事を考えて生きているのか、まるで全て分かっているような、楽観的で、その気楽さにリラックス出来、既に紳士になったような気分になっていました。つまり、自分は、いつのまにやら、全て本当の事を言っているつもりだったのです。
     その頃の、家族たちと一緒に写した写真などを見ると、他の者たちは皆笑顔を浮かべているのに、自分ひとり、必ず妙に真面目な顔をしてかっこつけているのです。これもまた、自分の幼く楽しい馬鹿の一種でした。
     また自分は、肉親たちに何か言われて、口答えした事は一度もありませんでした。その膨大な説教は、自分には当たり前の日常に感じられ、良い子を演じ、口答えどころか、その説教こそ、謂わば全ての人間の「常識」とかいうものに違いない、自分にはその常識をわきまえて模範たることができるのだから、もはや人間と一緒に住まなくても大丈夫なのでないかしら、と思い込んでしまうのでした。

  •  野菜を食べないと健康に悪い、という言葉は、自分の耳には、説得力のあるものでした。その理屈は、(いまでは自分には、逆に迷信のように思われてならないのですが)しかし、いつも自分はその嫌悪のために朝、昼、晩、輾転し、呻吟し、吐いた事さえ沢山あります。自分は、いったい不幸なのでしょうか。自分は小さい時から、時々可哀想だと人に言われて来ましたが、自分はいつも
    何も考えておらず、かえって、自分を可哀想だと言った人たちの方が、比較的何かしらに常に悩みを抱えているような苦痛を感じているように自分には思えたのです。
     しかし、気にならないのです。隣人の悩み苦しむ様が全く私には意味のないものに思えるのです。プラクティカルな苦しみ、ただ、野菜を食わなければ解決できる苦しみ、しかし、それこそ最も強い苦痛で、自分の例の十個の喜びなど、吹っ飛んでしまう程の、凄惨な阿鼻地獄と思えるので、それは、正直わからない、しかし、それにしては、よく黙りもせず、えばりもせず、政治を論じ、楽観し、逃げず人生の営みを続けて行ける、楽しいんじゃないか?それなら、嫌だ、しかし、人間というものは、皆そんなもので、またそれで及第点なのではないかしら、わからない、・・・・夜は眠れず、朝は不機嫌なのかしら、どんなことをしているのだろう、道を歩きながら何を悩んでいるのだろう、仕事、まさか、それだけでも無いだろう、人間は、メシを食うために生きているのだ、という説教はされた事があるような気がするけれども、仕事のために生きている、という言葉は、耳にしたことがない、いや、しかし、ことに依ると、・・・・いや、そうなのだ、・・・考えれば考えるほど、自分には、わかってきたのだ、自分ひとり全く劣っているような、不快と決意を覚えるばかりなのです。自分は親しい人と、非常によくしゃべります。何を、どう黙ったらいいのか、わからないのです。
     そこで考え出したのは、紳士でした。

  • >>5

     自分だって、それは勿論、大いにものを食べますが、しかし、空腹感から、ものを食べた記憶は、ほとんどありません。見た目が青いものは食べたくありません。見た目が緑のものはもっと食べられません。また、よそへいって出されたものも、無理をしても、たいてい食べられません。そうして、子供の頃の自分にとって、最も苦痛な時刻は、実に、自分の家の食事の時間でした。
     自分の田舎の家では、4人の家族全部、めいめいの皿に料理を台所テーブル両端向かい合わせに並べて、長男の自分は、もちろん弟より上座でしたが、その食事の部屋は明るく、嫌でもさらに盛られた青いもの緑色したものつまり野菜が良く見えるのです。大量に盛り付けられた有様には、自分はいつも吐き気がしました。それに健康志向の家でしたので、おかずも、たいてい健康が考えられ、自分が好きなものだけ食べるのは望むべくもなかったので、いよいよ自分は食事の時刻を嫌悪しました。自分は明るく光る白いさらに盛り付けられた野菜の鮮やかさに不気味さを感じ、苦痛と気持ち悪さに如何にすれば野菜を食べないで済むか、人間は、どうして一日に三度も度々々ごはんを食べなければならないのだろう、好きなもの肉や魚やご飯や甘いものだけでなぜいけないのだろうと思いながらも、野菜を健康の為には食べなければならないのだと言う事は信じておりましたので、うつむき、母がもう食べなくて良いと言ってくれるまで必死に野菜を食べるふりをしておりました。

  • >>4

     第一の手記

     恥の多い生涯を送って来ました。
     自分には、人間の羞恥というものが、見当たらないのです。自分は関東の田舎に生まれましたので、電車を初めて見たのは、たぶん生まれてすぐでした。自分は駅の連絡橋を、上って、降りて、そうしてそれが大勢が通る為に造られたものだという事には全然気づかず、ただそれは駅の構内を家の廊下みたいに、単純に気軽で、自分が通る為だけにのみ、設備せられてあるものだとばかり思っていました。しかも、かなり永い間そう思っていたのです。連絡橋の上ったり降りたりは、自分にはむしろ、ずいぶん単純な作業で、それは鉄道サービスの中でも、最も静かな場所の一つだと思っていたのですが、のちにそれはただ旅客が線路をまたぎ越える時間帯が違っていたため頗る煩雑な階段に過ぎないのを発見して、にわかに苦痛になり始めました。
     また、自分は子供の頃、絵本で蒸気機関車というものを見て、これもやはり、美的な必要性から装飾し作成されたものではなく、馬車に乗るよりは、蒸気機関に乗った方が実利的で合理的だから、とばかり思っていました。
     自分は子供の頃から病弱で、よく寝込みましたが、寝ながら、敷布、枕のカバー、掛布団のカバーを、つくづく、面倒くさい造りだと思い、それが案外に装飾品だった事を、二十歳近くになってわかって、人間のゆたかさに茫然とし、苦しい思いをしました。
     また、自分は、空腹という事を知りませんでした。いや、それは、自分が衣食住に困らない家に育ったという意味であり、そんな単純な意味であり、自分には「空腹」という感覚はどんなものだか、さっぱりわからなかったのです。へんな言い方ですが、おなかが空いても食べたいという欲求に自分では気が付かないのです。小学校、中学校、母が家に帰って来ると、母が、それ、おなかが空いたろう、自分たちにも覚えがある、夕食が遅いと空腹は全くひどいからな、饅頭はどう?カステラもパンもあるよ、などと言って騒ぎますので、自分の持ち前のおべっか精神を発揮して、おなかが空いてない、と呟いて、カステラをあるだけ食べるのですが、空腹感とは、どんなものだか、ちっともわかっていやしなかったのです。

  • >>3

    あ、こんな顔だったのか、思い出した、というような喜びさえ無い。極端な言い方をすれば、眼をひらいてその写真を再び見ても、思い出せない。そうして、ただもう不愉快、ムカムカして、つい眼をそむけたくなる。
     所謂「痴呆」というものにだって、もっと何か表情なり印象なりがあるものだろうに、人間の体に駄馬の首でもくっつけたなら、こんな感じのものになるであろうか、とにかく、どこという事なく、見る者をして、ぞっとさせ、嫌な気持ちにさせるのだ。私はこれまで、こんな不愉快な男の顔を見た事が、やはり、いちども無かった。

  • >>2

     第二葉の写真の顔は、これはまた、びっくりするくらいひどく変貌していた。学生の姿である。高等学校時代の写真か、大学時代の写真か、はっきりしないけれども、とにかく、おそろしく醜い学生である。しかし、これもまた、不思議にも、生きている人間には感じなかった。学生服を着て、袖の部分を鼻水でも吹いたのだろうテカテカと鈍く光らせて、籐椅子に腰かけて足を組み、そうして、やはり、笑っている。今度の笑顔は、皺くちゃの猿の笑いでなく、かなり巧みな微笑になってはいるが、しかし、人間の笑いと、どこやら違う。脳の重さ、とでも言おうか、生命の甘さ、とでも言おうか、そのような充実感は少しも無く、それこそ、馬のようではなく、馬糞のように重く、ただ黒い汚物、そうして、笑っている。つまり、一から十まで排泄物の感じなのである。クソと言っても足りない。腐臭と言っても足りない。卑屈といっても足りない。不細工と言っても、もちろん足りない。しかも、よく見ていると、やはりこの醜い学生にも、どこか漫画じみた気味悪いものが感ぜられて来るのである。私はこれまで、こんな不思議な愚醜の青年を見た事が、一度も無かった。
     もう一葉の写真は、最も奇怪なものである。まるでもう、としの頃がわからない。髪はいくぶんフケで白いようである。それが、ひどく汚い部屋(部屋の中が乱雑に散らかりきっているのが、その写真にハッキリ写っている)の真ん中で、小さい電気ストーブに両手をかざし、こんどは笑っていない。どんな表情もない。謂わば、座ってストーブに両手をかざしながら、完全に知能が死んでいるような、まことにいまいましい、不快なにおいのする写真であった。奇怪なのは、それだけでない。その写真には、わりに顔が大きく写っていたので、私は、つくづくその顔の構造を調べる事が出来たのであるが、額は平凡、額の皺はなく、小さいストーブは思い出す事が出来るけれども、その部屋の主人公の印象は、すっと霧消して、どうしても、何としても思い出せない。画にならない顔である。漫画にも何もならない顔である。眼をひらく。

  • 私は、その男の写真を三葉、見たことがある。
    一葉は、その男の、幼年時代、とでも言うべきであろうか、十歳前後かと推定される頃の写真であって、その子供が大勢の子供に取り囲まれ、(それは、その子供の同年代の友人と想像される)公園のジャングルジムの下に、荒い縞のTシャツを着て立ち、首を15度程斜め下に傾け、醜く笑っている写真である。醜く?けれども、鈍い人達(つまり美醜などに関心を持たぬ人達)は、暗く顰めたような顔をして、
    「可愛い坊ちゃんですね」
     といい加減なお世辞を言っても、まんざら空のお世辞に聞こえないくらいの、謂わば通俗の「可愛らしさ」みたいな影もその子供の笑顔にないわけではないのだが、しかし、いささかでも、美醜に就いての訓練を経て来た人なら、ひとめ見てすぐ、
    「なんて、いやな子供だ」
     と頗る不快そうに呟き、毛虫でも払いのける時のような手つきで、その写真をほうり投げるかも知れない。
     まったく、その子供の笑顔は、よく見れば見るほど、何とも知れず、イヤな薄気味悪いものが感ぜられて来る。どだい、それは、笑顔ではない。この子は、少しも笑っていないのだ。その証拠には、この子は、両方のこぶしを固く握って立っている。人間は、こぶしを固く握りながら笑えるものでは無いのである。猿だ。猿の笑顔だ。ただ、顔に醜い皺を寄せているだけなのである。「皺くちゃ坊ちゃん」とでも言いたくなるくらいの、まことに奇妙な、そうして、どこか汚らわしく、変に人をムカムカさせる表情の写真であった。私はこれまで、こんな不思議な表情の子供を見た事が、一度も無かった。

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