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    万華鏡 6月22日 22:01

    昼飯に寿司店に入った。
    最近、寿司ネタで人気があるのはサーモンだということだが、
    確かに、サーモンを注文している人が結構いる。
    お店の大将もサーモンいかがでしょうかと勧めている。
    ランチの寿司だから、高いわけではないので、勧められるままに
    サーモンを注文した。大将は国産の、陸地で養殖したサーモンだと
    説明してくれた。
    昔、サーモン、鮭と言えば、弁当のおかずの定番だった。
    しょっぱくて、塩のかたまりを食べてるような気がした。
    年末、ご近所に大きな魚が軒下にぶら下がっていたが、
    あれもサーモン、鮭だった。
    寿司店で口にしたサーモンは、ノルウェー産でもチリ産でもなく
    富山県とJRが共同開発した「べっぴんさくらますうらら」と
    いう名称がついている。
    輸入ものではなく、日本の養殖技術でサーモンを生産している。
    「べっぴんさくらますうらら」の他にも長野、四国、京都、山梨などで生産しているとのことだ。寄生虫が少なく、くさみもなく、
    冷凍技術の発達で、朝、出荷したこれらのサーモンが
    東京や大阪に運ばれるから、輸入ものに比べて圧倒的に
    新鮮さが売りになっている。

  • 久しぶりに快眠で最高の気分で目が覚めたのに、どういうわけか
    ある人が数年前に言ったひどい言葉を思い出すことがある。
    その人の言葉が突然、どっと押し寄せてきて、せっかくの目覚めが
    苦々しくなったりすることがある。
    また、自分の人生の中に登場していた人が姿を消してしまい、そのために、しばらくの間、気分がふさいで将来を思い描けなくなることもある。
    テレビを見ていたら、著名な心理学者が引き合いを出して
    説明してくれている。
    誰にでもこういう経験はあるらしい。
    悲しい微笑みと形容していたが、
    それでも、人は己の未来はやってくると信じて
    がんばるのだそうだ。
    まもなく、お盆になるが、ヨーロッパの連中はバカンスとかで
    己のためには金をつかい、大いに楽しむが
    人生とサヨナラした人たちへの鎮魂はない。
    日本人はご先祖さま、ゆかりの方々へ年に数回は
    供養する。
    正月やお盆はふるさとを離れた人たちの集う機会でもあり、
    息抜きの場でもあり、バカンスでもある。
    南米や北ヨーロッパに限らず、死に向かっている人の
    周りで、祈祷したり、どんちゃん騒ぎをしたりしてまだ生きている人を送りだすのはなんとか理解できるようになったが、
    たった今、亡くなったひとのベッドのシーツや部屋に飾ってある
    食器や電気スタンド、はたまた、靴や服まで
    そっくり、死者からみぐるみをはいでしまう地域があるとは
    いやは言葉も出ない。
    そう言えば、昔、映画「道ジェルソミーナ」だったかな。
    そういう強烈なシーンがあった。

  • お隣さんがプリウスに乗っているから、我が家もプリウスにしたい。
    お隣さんがこの連休に箱根に行くそうなので、我が家は日光へ行きたい。
    人は誰でも、競争心をもち、他人と同じレベルでありたいと思う。
    できるだけ、同じ「たちいち」にとどまりたいと思う。

    あの人がルイビトンのバッグを持っているから私も持つ。
    特に、女性は服装まで似たりよったり。
    他人と同じでありたい。
    これは人間の持つ心理だ。
    他人と違っていても一向に平気だ。
    平気イコール「個性」だと思う人と
    他人と違うことイコール「変わっている」と思う人と
    まさに十人十色である。

    他人と違うことは自分らしさになるはずだが、
    あの人は他人と同じではないからちょっと変わっていると
    とらえられてしまう。

    お隣さんより我が家のほうがまし。
    それが安心につながる。
    あの人より、私の方がずっといいと思うことで
    人はいきいきしてくる。

    他人と違うことに不安がることもある。
    でも、人は言う。
    あなたは○○さんとは断然違う。個性があって素晴らしいと
    言われるとはてなと思う。
    人との違いに誇りを持てばいいとアドバイスされると
    合点してしまう。
    他人とおなじでありたい。
    それとも他人と同じでなくてもいい?

    さて、あなたはどちらでしょうか。

  • 人はだれでも落ち込んだり、悩んだりします。
    不安やいらいらを解消するにはいろいろな方法がありますが、
    友人に話す。アルコールを飲む。映画を見る。音楽を聞く。
    旅にでる。
    でも、落ち込んだ状態から抜け出せないで、その状態が長引くと
    うつになります。

    悩み解消のひとつにこんな方法もあるので試しにやってみたら
    どうでしょうか。

    例えば、上司とトラぶって腹がたったとしましょう。
    上司の直接に言うのではなく、
    ノートに自分の言いたいことを書くのです。
    メールでもいいでしょう。
    もちろん、その書き留めた文やメールを上司に送ったり
    するのではありません。
    自分の今の気持ちを正確に表現します。

    言い尽くしたことですっきりします。
    上司に手紙を出したりするのではありません。
    メールを実際に出すわけではありません。

    ですから、あなたが怒り心頭になって書いた文章を
    上司が受け取ることはありません。

    あなたの言い分を上司にぶっつけたというシュミレーションです。
    疑似体験です。

    書くことによって、あなたのいらいらがかなり軽減されます。

  • そりゃあないでしょ

    1. 一生懸命にやっているのに、
    まだ出来ないの?なにしてんの?んっ、もういつ出来るのお?

    2. ボーナスの査定が自分が同じレベルだと思っている相手と
    2万円もの差があると知ったとき。がっくし

    3. みなの前で、上司から連続してあほ呼ばわれされたとき
    4. 信頼していた同僚が寝返ったとき
    5. せっかく大学院で学んだことが全く活かされず、
    上司が書いたドキュメントをpdfに変更しているだけの作業をやってるとき
    6. 上司がだれかれかまわず、怒り散らしているのを
    毎日 うんざりする程見ているとき。

    7. 会議で提案や要望を言って、決定したにもかわわず、
    軽くあしらわれ、取り入れてもらえないとき。
    8. プライベートなことばかり強調されるとき。

    やる気満々で仕事をするのは新入社員くらいなことはわかりますが、
    いやあ、実に難しいものです。

  • 中学校で経理を20年以上やっておられる方のお話です。
    この辺りでは3年生になったばかりの中学生は
    5月に関西方面へ修学旅行に行きます。
    一年生の時からその費用を毎月一定額を積みたてるわけですが、
    いろんな理由で積み立てができない生徒がいるのはどこの中学校でも
    同じですよね。
    積み立てをしていない三年生が修学旅行に参加したいと申し出があると
    学校側がその費用をいったん肩代わりするケースがあるそうです。
    親がすぐ払うからということを信じて費用を肩代わりしたわけですから
    支払いの督促をしますが「ハイ、判りました。すぐ払います。」と
    返事があるものの、修学旅行の費用が振込まれることはないそうです。
    毎年、こういうケース数件あったので、今では、お金が振り込まれない限り
    修学旅行の参加は出来ない旨を担任の先生方に徹底しているそうです。

    給食代の未払いはもっと ひどいそうです。
    電話で督促すると [うちの子には食べさせないでください]とか
    [うちの子は食べてないでしょ]とかの返事で、学校の経理の方と生徒の
    保護者と言い争いになり全くらちがあかないそうです。


    こういう 親の[ずるさ]と[こすからしさ]を普段の日常生活で
    見ている子供達はルール違反することが当たり前の感覚ですから
    修学旅行の費用を積み立てていないのに、修学旅行に参加したり、給食費を
    払わないで済ませることが、「やったぁ得をした。」という感覚になっています。

    給食費を払うとか、修学旅行に行く⇔費用は支払い済みということが
    一般の親にとっては当たり前なのに修学旅行に行く⇔費用未払いとなり、
    修学旅行に行く⇔支払いをすること⇔「損をするという感覚。」に
    なるんですね。
    子供たちに悪い影響を与えている原因は明らかに親ですね。

  • コマーシャルでは可愛いらしく商品を呼びかけている女優がドラマでは衣装やメイキャップでたちどころに変身してしまうことだった。CMでは清楚で屈託がなく、笑顔が溢れているのに
    ドラマでは、夫殺しの殺人者となって、頬骨まであらわにしている。目つきも鋭く、発する声までが恐ろしく響く。化粧や衣装が不思議な力を持っていることの証明でもあるが、同じ女優が清純と極悪非道に変身して演じられるのは普通の人にはできっこない。
    俳優はそれぞれの異なった人格を演じるのが商売なんだろうが
    CMもドラマも何度も推敲された台本を読んでセリフを発するのに
    実生活では台本のない自分の会話をするとトンでもない
    アホームランだったなんてことがある。
    お笑い番組などに出ている人に多い。
    一言二言の相槌はできるが、ちょっとまともな質問には答えられない。
    インドに向かうお坊さんに付いていく三種類の動物の名前はという質問に さるとびさすけ と答えた女優がいた。

  • かなづちだった少女が。。。。。

    泳ぐなんてとんでもないことだった。
    その少女にとって水は髪を洗うことさえは怖かったんです。
    困り果てた父親は、夏休み中に少女が水を怖がらないように
    願わくば、少女が泳げるようになれたらと少女をプールに連れて行った。父親にとっては大切な使命だとさえ感じていた。
    デッキに座っている娘を無理やりに引っ張り出し
    プールに娘を投げ込むように落とした。
    彼女は手足をばたつかせ、すっかりパニクッて、息をぜいぜいさせながら、こぶしで頭を抑えるような仕草をした。
    まるで、洗面器の中の蟻みたいに、水の中をぐるぐると
    回っていた。なんとかプールの端にたどり着くと
    父親は、「よくやった。えらい。えらい。」と少女に声をかけ
    プールからようやっと上がった少女をもう一度プールに
    落とした。 少女は鼻に水が入り、ゴホンゴホンとむせた。
    そして、なんてひどいことをするんだろうと思った。

    でも、たった10分後、少女は水の中で目を開けることができた。
    プールの底を手で触ることさえできた。
    一年後、彼女は学校のスイミングチームのメンバーに選ばれた。
    9歳のときだった。

  • 暑くなったので朝早く起きるのがおっくうではなくなった。
    自転車で早朝5時、付近をぐるっとまわってみた。
    昔は、牛乳配達の人を見かけたがこの朝は全く見かけない。
    もはや、牛乳を配達で取るひとは少なくなったのだろうか。
    新聞配達の人をそれぞれの場所で見かけた。
    このあたりにも高層マンションが立ち並んでいるが、5階建ての低層マンションも結構多い。
    低層とは言っても、5階まで上がって、各戸に新聞を届けるのは
    大変な労働だ。新聞配達が当たり前のようにわたし達は感じがちだが、外国の新聞配達はひどいものだ。
    朝刊は透明のラップに包まれ、庭に無造作に放り投げられる。新聞受けなるものがあっても、新聞受けに入れられることはまずない。
    庭に投げられる新聞はおなじ場所ではなく、毎日異なる。
    うっかりすると、誰かに新聞が持ち去られるということもある。新聞が届いてないと配達所に言うと、配達しましたという返事があって、追加分の料金を請求される。
    300戸もある家庭に配達していますと300戸を強調するが
    日本の新聞配達戸数とは二桁も三桁も異なる。
    早朝散歩で日本の新聞配達に改めて感謝したいと思った。

  • 健康について、これを食べて100歳めざせ
    元気もりもり 健康茶
    本屋でもテレビでもあなたの健康これでばっちりと私たちをせきたてる。

    タレントが出てきて、不健康な人大会とか、動脈硬化になる確率ナンバーワンとか近頃は健康番組が多い。

    有名タレントの健康チェックと称して、心臓や肝臓のX線写真や
    脳波の検査までしてタレント同士で競いあっている。
    有名タレントの健康チェックの結果が思わしくないと
    スタジオ内は笑い声が起こり、、番組が盛り上がる。

    タレントが心配そうな顔をすると拍手喝采になる。
    人の不幸はまさに蜜の味なのだ。
    健康ですかと聞かれて、大概の人はまあまあと答える。
    特別に運動をしていますかという問いに対しても
    ほとんどの人はまあまあですと答える。

    体を動かさないのは良くないが、食べてる食品を先生とか
    呼ばれる人が、ああ、その食べ物は毒です。とかのた回っているのを
    見るとホンマカイナと思ってしまう。

  • 例えば、あなたが、
    村上春樹の小説を読みたいとずっと思っている。
    でも、今日は忙しいので明日にしよう。

    もし、そうなら、明日になってもあなたは村上春樹の
    小説を読むことは永遠にないでしょう。

    思うことと、実際に行動することとは大きな違いがあります。

    明日読もうと思うことは、たいがいの場合、明日になっても
    できないことです。

    今日は天気でも明日は曇りで、しかも雨が降ったりして
    気分がますます落ち込み、あるいは突然、不意の用事ができたり
    して結局は行動に移せません。

    小説を読もうと思っていたことはもうすっかり忘れてしまい
    今度の日曜日に読もうということになりがちです。

    火中の栗を拾うということわざがありますが、
    悩むのは嫌だとか、悲しみは嫌いとか、苦しみはごめんこうむりたい
    と思っている人は、なにも学ぶことが出来ないし
    感じることもできません。

    先延ばしの悪魔はだれの心の中にも巣食っています。
    今はやりたくないという気持ちと今やらなくては
    という気持ちのせめぎあいが心の中で闘います。

    期限ぎりぎりまで延ばしてようやくやったとしても
    効果の程はたかがしれています。

  • 「よきにはからえ」という言葉があります。

    これは「自分で考えて、いいなと思うようにやっていい」ということです。

    部下が自身では判断がつかないような提案をしてきたとき、

    君がいいと思うようにやっていいと言うことです。

    そう言われた部下は上司のことばを自分の提案は任されたと

    解釈して次に進むわけです。

    上司にしてみれば、部下の提案をダメだと却下してしまうと

    その部下の考えたことを否定することになります。

    いきなりダメと言えば部下の提案に関係する人々に

    迷惑をかけることになるので、よきにはからえということは

    君に任せるよという言質を与えるということにもなるわけです。

    任せた相手が失敗したら、それは任せたほうの責任になります。

    任せるほうだって腹を据えて言わなくてはなりません。

    ですから、よきにはからえは簡単には言えない言葉です。

  • 上野駅近辺にはパチンコ台を売っている会社が多い。
    パチンコが好きで、平日でも仕事がひけると
    すぐにパチンコ屋に向かい、食事をする時間まで
    費やして、夢中になっている人がいる。
    もちろん、休日は朝からパチンコ台に首っききになっている。
    そんなに、パチンコが好きなら、パチンコ台を買って家においたらと
    言ったら、その人はとうとう買ってしまった。

    ところが、パチンコ台が家にあっても、さっぱり盛り上がらないと言う。
    パチンコには軍艦マーチの勇ましい音楽が流れ、
    騒音と広報車のようなアナウンスの音がつきものだが、
    家だと、せいぜい、テレビの音くらいなので、全く盛り上がらないと
    その人は言う。
    開店前から列をなして、お目当てのパチンコ台を狙っているパチプロ
    は別にして、日本のパチンコはラスベガスなどのスロットマシーンに
    比べれば、極めて安全な大衆ギャンブルだ。

    ラスベガスのスロットマシーンは数百万円どころか、数千万、ひいては数億円を一晩ですってしまうことがあるのに比べれば、
    パチンコはせいぜい、損したところで10万円程度だし、
    10万円をすったなんていうのめったにいない。
    第一、 パチンコで10万円損するまでに、相当にかりかりに
    なるから、頭が冷やせる。

  • サーカスを見に行ったのは小学生の頃だった。
    空中ブランコや象が逆立ちや、犬の芸当も見た。
    今でも覚えているのは馬が調教師の命令で死んだふりをするのだが
    大福もちを口に入れられるとそれまで横になってた馬がすくっと立ち上がりぱかぱかんと走りだすのだ。

    あの頃は、大福もちは一個10円くらいだったから
    なんだ、たった10円の大福もちで生き返るのか、安いもんだと
    子供心に思ったりした。今夜 NHKテレビで吉田松陰が
    大福もちが好物だったことを知った。
    切り詰めた生活で清貧をモットーとしていた松蔭が
    大福もちを頬張るのがなによりの愉しみだったとは以外だった。

  • ファミレスに入った。
    幼い子供が通せんぼをした。
    母親らしき人物は女友だちと席で話しに夢中で全く子供には
    無関心。母親と話し相手は注文したメニューが届くまでの間
    どうやら話し込んでいるようだ。幼い子はじっとしていられずに
    ファミレスの店内が幼稚園の運動場となっている。
    多少騒がしいのは仕方がないにしても、他の客への悪戯や店内を
    走り回り黄色い声を張り上げるのは困りものだ。
    注文の品を運んでいる店員のわきを縫うようにして子供は
    走りまわっている。

  • 修学旅行に引率した中学校の先生 体験談

    4~5名のグループにまとまって生徒達はそれぞれ名所を訪問していた。ホテル内にとどまっていた先生に電話が入った。
    グループ別にまとめておいたお金をどこかに失くしたという。
    生徒の上ずった声が先生の携帯に響く。
    先生はとりあえず、生徒たちにはタクシーでホテルに
    戻るよう指示し、ホテルの前で待機していた。
    ほどなく、生徒を乗せたタクシーがホテルに到着した。
    タクシー代を払おうとタクシーに近づくとタクシーは
    生徒たちがタクシーから降りるとすっと行ってしまった。
    先生はタクシー代は生徒が払ったものと思ったが、生徒から
    話を聞くと、「落としたお金はどうせこの町で使われるだろうし、いやな思いをしているみんなからタクシー代はもらえないから、いいよっ」と運転手さんは受け取らなかったらしい。
    生徒の一人がタクシー会社の名前を覚えていたので先生は
    すぐに電話し事情を話した。するとタクシー会社の社長まで
    出てこられて「いやあ、生徒さんは大変でしたね。
    タクシー代金は運転手がみなさんの話を聞いて
    自分の判断とポケットマネーでなんとかするということです。
    運転手の厚意ということです。生徒さんに伝えてください」と
    タクシー代金は要らないと言う。
    先生は社長との電話のやりとりで、他人を思いやる運転手さんに
    囲まれている会社、絶大な信頼、思いやりをいっぺんに感じた。
    グループのお金を失くしておろおろしている中学生に運転手さんは
    一生思い出になるすばらしいお土産をくれた。
    学校に戻った生徒たちはお礼の手紙を書いた。

  • 【地方のひなびたホテルで 外人…】

    地方のひなびたホテルで
    外人さん向けの注意書きがあった。

    Meating room 肉部屋 会議室のつもりならMeeting room

    外人さんは窓から顔を出して 外を覗くのだろうか
    Do not pur your face out of the window

    face ではなく head

    スイートルーム   Sweet room は日本しか通じない
    正しくは   Suite スイートと発音  suite だけでいい。
    roomはいらない。

    Thank you for your cooperation ご協力有難うございます。

    Thank you for your copulation

    Copulationは絶対に言っても書いてもダメ


  • 手を洗う 前に 蛍が二つ三つ
    手を洗う 前を 蛍が二つ三つ
    手を洗う 前へ 蛍が二つ三つ


    助詞の使い方で 蛍の状態がわかる。


    車が 私の前に  止まった
    車が 私の前を  通り過ぎた
    車が 私の前へ  現れた

    助詞「に」は 動作が止まった状態
    助詞「を」は 動作が活動している状態

    助詞「へ」は 突然に出現した状態を意味している。

    だから、蛍が飛んでいる状態をあらわすのは
    手を洗う 前を 蛍が二つ三つ

  • ブリューゲルの『バベルの塔』をご覧になった方も多いでしょう。
    あの絵は難解、難しいですね…。

    確かに「人間が傲慢不遜になったために神からその怒りをかい、以後人間同士の言葉を通じなくした…。」
    そして、現在のように英語、ドイツ語、スペイン語、日本語
    ロシア語、フランス語 おびただしい数の言語が生まれた。

    真摯に神に仕えず、民衆の貧困にも目を向けず、ただ悪戯に巨費
    を投じて馬鹿巨大なバベルを建設した当時のカトリック教会
    の在り方を皮肉ったものかも知れません。
    バベルの塔は『塔は教会』ではないでしょうか。
    ブリューゲルは、あの塔の緻密な絵を描いている中で
    こんな精密な絵を描いて馬鹿みたいと
    周囲の人から言われたに違いありません。

  • 電車の中や街中でペットボトルの飲料水をラッパ飲みしている
    女性を見かけるのは珍しくない。
    この間、コンサートに行ったら、演奏の合間の休憩時間でも
    身支度のきちんとした盛装のご婦人がペットボトルの水を
    ラッパ飲みでごくごくやっていた。
    昔は、ご婦人や女性がラッパ飲みするなどとはご法度だった。
    夏の暑い盛りでもきちんと和装に身を包み、正座して
    それこそ、小津作品にでも出てきそうな日本女性はいっぱいいた。
    もちろん、ラッパ飲みなどは絶対にしない。

    その昔、古代人は
    一匹の魚を焼くでもなく煮るでもなく、料理せず、皿にものせず、
    手掴みで、作法などは気にしないで生で食べたであろう。
    生命を維持するだけで十分だった。
    魚に限らず、野菜でも同じことがいえる。
    原始人は獣を槍や石斧で捕らえ、作法などは全く気にしないで
    生肉を食べた。数千年も時を経て、現代のような食文化になったことは容易に想像できる。野菜にしても肉や魚にしても
    人は手間をかけて、調理し、器に盛り付けて賞味する。

    食卓がおにぎりやハンバーガーだけだったらとても耐えられない。
    正月、床の間には飾りがあり、花が活けてあり、箸おきには朱色の
    箸、漆わん、大皿が用意されている。
    器と盛り付けによって美感が異なる。

    マナーとはそういうものだが、
    いまどき、屋外でペットボトルの茶を飲むとき、いちいち
    茶碗に移し代えて飲むなどとは誰もしない。

    マナーを気にしている人は第一、人前で飲むようなことは
    せず、自宅に帰るまで我慢するだろう。

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