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ひとりごとでもいい

ひとりごとでもいい

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  • 2017/02/27 22:31
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    七生 2月27日 22:31

    人は他者から承認されたいという欲望を捨て
    自分で自分を承認しなければならない

    私の価値は私自身が決めること。

    誰かから特別だといわれることに価値を置くのではなく
    「私が私であること」に価値を置くべきである

    人の価値は他者との比較で生まれる相対的なものではなく
    絶対的なものなのだから。


    承認欲求は人としての本能みたいなものだけど
    他者からの承認を求める限り
    五段階ある問題行動でおこる
    対人関係における悩みや争いはつきることはない。



    (集団の中で特別な私だと認められること)

  • 人の行動にはすべて目的がある。

    問題行動の大きな目的は、所属感を満足させることである。
    つまり、「集団」のなかで「特別な地位」を得ることや
    誰かの「特別な存在」になることである

    なぜ人は問題行動に走るのか?
    それは、そこに「目的」があるからである。

    アドラーは人の問題行動を五段階に分けて考え
    それは、だんだんとエスカレートしていくとしている

    第一段階 目的・賞賛の要求

    ほめられたい、ほめられることで集団の中で
    「特別な私」を認めてもらおうとする

    ほめてくれる人がいないとやる気を失う
    褒められるために不正な行為にまで手を出してしまうという問題がある


    第二段階 目的・注意喚起

    目立ちたい、目立つことで集団の中で
    「特別な私」を認めてもらおうとする

    目立つためならわざと悪いこともするし
    ダメな自分を前面に出して「特別な私」を認めてもらおうとすることもある


    第三段階 目的・権力争い

    反抗し、相手を挑発しケンカを売って勝つことで集団の中で
    「特別な私」を認めてもらおうとする


    第三段階の問題行動には挑発に乗らず
    同じ土俵に上がらないことが大事である

    第一~第三までの問題行動には
    特別ではなくてもあなたの存在は価値があると
    いうことを伝えることが大切である


    第四段階 目的・復讐

    争っても勝てない、相手にもされないとなると
    「かけがえのない私」を認めてくれなかった相手に
    正面から戦うのではなく、ひたすら嫌がらせをするようになる

    憎まれることで相手と繋がろうとする


    第五段階 目的・無能の証明

    愛されることも憎まれることもできなかったとき
    人はこれ以上の絶望を味あわないように、あらゆる課題から逃げ
    「なにもしなくなる」
    なにもしたくないから、いかに自分が無能であるかあらゆる手段をつかって証明しようとする
    心が病むことも多い。


    第四、第五段階は専門家にゆだねたほうがよい





    の問題行動に背後にある

  • 「幸せになる勇気」より

    すべての悩みは対人関係の悩みであり
    すべての幸せもまた対人関係のなかにある

    なぜなら、鋭い牙も爪も翼も固い甲羅ももたない人類は
    太古から「群れ」を作ることで生き延びてきた。

    DNAレベルで人は
    誰かと繋がることや
    「群れ」のなかで居場所を確保することを
    強く求める生き物だからである


    ーーーーーーーーーーーーーー

    そして、すべての争いもまた
    「対人関係」にあるのだろうな、と思う。

  • >>1597

    「幸せになる勇気」も 一読の価値ありですよ~^^

    自分の中で考えがまとまったら
    感想、書きたいです。(*^^*)

  • >>1596

    アドラーを知ってから毎日が楽しいです^^
    幸せになる勇気
    また感想を聞かせてね♪

    おひさ&おやすみ☆”まぐろ七^m^

  • やっと、図書館から

    「嫌われる勇気」の続編
    「幸せになる勇気」借りられた。

    アドラー面白い。^^

  • 「“いじめ遺伝子”を強く持っている人間は時代錯誤なんだ、って自覚しなきゃいけない。
    クマやオオカミを陥れるために戦った狡猾な能力は今の時代に必要ないんだ

    けど、いつの日にかまた役に立つかもしれない。宇宙から巨大な敵が来た時とか。
    人間を守るため、総力を挙げて相手を陥れなきゃならない。

    そのとき“いじめ遺伝子”を持っているやつは、人間を救える。
    その、その遠いいつかのために遺伝子を残さなきゃいけない。けど、それまでは
    ひっそりと生き延びるべきなんだ。いじめ遺伝子が必要ない今の時代に、のさばる権利はない。

    密林の奥でひっそりと生き延びて白い毛皮の遺伝子を(遠い将来、くるかもしれない氷河期に備えて)次に伝える。
    そんなホワイトライオンと同じさ。

    いじめ遺伝子を持っているやつは本当は人目につかないどこか密林でさ、生き延びていくべきなんだ。
    それができなくて人間がいっぱいいる街中で生きていくんなら、隠さなきゃいけない。
    いじめ遺伝子なんて、おれは持っていませんよ、って顔で。

    今、いじめているやつは、それができない原始的な人間ってことさ。

    今の時代にいらない能力を隠すどころか全開にひけらかしている、みっともない」


    「いい人ランキング」吉野万理子

    作中、尾島圭機(中二)の言葉より

  • “「あいつに裏切られた」と言う人は

    そう言うことで相手を裏切っている。”

    「的を射る言葉」より抜粋

  • 『「好きです」

    ね?誰でも言える。何の保証もありません。

    手をつなぐ、キスをする、あとちょっとここでは言えないようなことをする。
    どれもこれも基本は同じで<好き>の証明にはならない。
    昔、数学で習ったみたいに三つの証拠から
    <よって相手は自分を愛している>なんてQEDは成立しない。
    じゃあ、相手の<好き>はどうやったら確認できるか?

    そんなものは確認できない。

    ただ、信じるか信じないか、それだけ。

    恋愛とは相手を信じる才能と、相手を求める飽くなき欲望によって成り立っています。
    そこには貴いものも、美しいものもありません。

    醜い欲望の塊である己に付き合ってくれる相手を、
    どこまで信じられるかというゲームこそが恋愛です。

    ところが大抵の人はなぜだかこの基本的なルールさえも無視してしまうのです。
    相手にわがままに何らかの役割を期待し、あまつさえ疑ってケータイを覗き見たりします。
    言ってしまえば、恋愛に似たべつのものを手にしているのですよ。偽恋愛です。』

    「俗・偽恋愛小説家」森晶麿

    作中 作家の夢宮宇多(ゆめみやうた)の講演より

  • >>1587

    >オォォ‐‼ 今度は、カイトサンを、ニセモノ・パチモノ 言い出す・・??

    カイトサン、別人って聞いた。勘違いして、スミマセン‐‼

  • >>1586

    >悪いけど、私の昔の知り合いさんと同じ名前のあなた
     甚だ紛らわしいので私のスレには参加しないでくださいね。

    オォォ‐‼ 今度は、カイトサンを、ニセモノ・パチモノ 言い出す・・??

  • >>1575

    悪いけど、私の昔の知り合いさんと同じ名前のあなた

    甚だ紛らわしいので私のスレには参加しないでくださいね。

  • 『世界は変えられなくても、気分を変えることはできる』


    「俺さ、嫁さんに逃げられたとき、生まれてはじめて、ガチで落ち込んじゃってさ
    で、そのとき、よくひとりでこの公園に来てたんだよね。
    いつ来ても誰もいないから、ブランコに揺られながら泣いたこともあってさ。
    でも、あるとき、ふと思ったわけ。

    過去の失敗に学ばない人間は阿呆だけど、
    過去の失敗に呪縛されたまま生きている人間はもっと阿呆だよなって。
    だって、もったいないじゃん
    生きていりゃ、誰にだって悪いことはおこるし、
    だからって、ずっと嫌な気分で生きる必要もないわけじゃん」

    「あのね、人間って、ふたつのことを一度に考えることができない生き物なんだって。
    だから俺、このブランコに揺られているときだけは、最近あった小さないいことをなるべくたくさん思い出して、
    そのときの感情をあらためて丁寧にかみしめるようにしてたの。
    幸せを味わっている間は、嫌なことを考えられないから、悪い出来事も忘れられているわけじゃん」

    「うん。別に嫌なことがあってもいいじゃん。そんなの普通じゃんって。
    もっと言えば、落ち込んでもいいじゃん、泣いてもいいじゃん、
    でも、身の回りには、ちゃんといいこともあるじゃんって、そう思えるようになってきた感じかな。
    つらいときは、身の回りの小さな幸せを眺めて、いい気分を味わっていればいいんだし」

    「つらいときでも鼻歌を歌っていればいいさ、
    世界は変えられなくても、気分を変えることはできるからさ」


    森沢明夫「エミリの小さな包丁」作中 心平の言葉より

  • 誰かのためにのみ人は泣くこと決してない。

    結局はその誰かがかわいそうなことに耐えられない自分がかわいそうで泣いているだけ。

    ぼくはふみちゃんのことが好きじゃなくて
    ぼくの身代わりになってつらい目にあった責任に耐えられないだけ・・

    ふみちゃんのために自分の命すらなげだすようなことをした
    ぼくは泣きながら先生に言う

    先生はぼくに向かって言う


    「馬鹿ですね。責任を感じるから、自分のためにその人間が必要だから、

    その人が悲しいことが嫌だから。

    そうやって『自分のため』の気持ちで結びつき、相手に執着する。

    その気持ちを、人はそれでも愛と呼ぶんです。」


    「自分のエゴで、自分の都合で、時に結びつき、時に離れ、お互いを必要する気持ちに名前を与えて、ごまかしながら僕たち人間は発展してきた。

    ずっとそれが繰り返されてきた。

    今、小さなあなたが一人きりで責任を感じて泣くことは何もないんですよ。

    ーーーふみちゃんが悲しいことが、苦しいことが、本当に嫌だったんでしょう?

    それを愛と呼んで何がいけないんですか」




    ・・・自分のために一生懸命になってくれる誰かがいること。

    自分が誰かのかけがえのない人間であることを思い出すことでしか

    バカにされて傷ついた心は修復されないのですから・・・


    辻村深月 「ぼくのメジャースプーン」より

  • 不倫肯定者が知事になったら
    東京も終わりだと思うな。

    だいたいが「夫婦」って最低単位の社会だと思う。

    その夫婦の最重要のきまりこどを自分の欲望で破る不倫を肯定しているんだから

    そんな人に政治を任せられる道理もないです。


    というか立候補なんて馬鹿じゃなかろうかと思ったわ。

    不倫を公共の電波にのせて肯定するような発言を平気でできるような人は
    政治家になってほしくない

  • >>1579

    >どんな言葉でも
    いつ・誰が・どんな状況下・で言うかではないでしょうか?

    心というのは言葉については
    いつ・だれが・どんな状況かでいったかまでは識別できないらしいよ。

    つまり、もし、自分が誰かに言ったことも
    自分自身に向かって言ったことも
    心は「同じ」だと認識しているらしいです。

    相手を罵倒したら
    それはそのまま自分自身を罵倒しているのと同じことになるって話ですわ。

    どんな状況下であれ
    誰に言ったことであれ
    「言葉」そのものが持っているエルネギーは
    自分の心に溜まってしまうってことです。

    >相手のしたことがどれだけ恥ずべきことなのかを知らせるための苦肉の策でもダメなんかな?

    それで自分の心に負のエネルギーが「溜まる」のもかまわない
    自分も心に相手と同じようにダメージを食らうのもかまわない、
    というのなら、それはそれで自己責任において自由でいいんじゃないのかな・・

  • >>1576

    リアルだったら言葉じゃなく表情だけで瞬時に嫌悪感を表すことできるよね
    その表情から、どれだけ恥ずべきことをしたのか相手に知らせることできるけど
    掲示板では、それができない

    だから、普段なら言わないであろう単語を使って
    相手のしたことがどれだけ恥ずべきことなのかを知らせるための苦肉の策でもダメなんかな?

    実際、この間、私はその言葉を使いました。
    元々は相手がリアル暴露をしたから吐いた言葉だったのですが
    私が、その言葉を書いた瞬間から話はリアル暴露からトラ子攻撃に変わりましたよ。

    不思議です
    あとで見たらリアル暴露の件も削除されてて結果オーライでした。

    どんな言葉でも
    いつ・誰が・どんな状況下・で言うかではないでしょうか?

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