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信仰心

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  • 2017/01/16 04:42
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  • 日本人て不思議ですね。

    生まれた時は、神社にお参りし、
    死んだら、お寺でお葬式。

    お寺さんも、熱心な信者さんが多いか、ご住職が熱心な場合は、毎週集会を行う。
    仏教は、釈迦の教えと云いながら、日本の仏教は釈迦の教えが小乗仏教の経典アーガマを採用していない。念仏を唱えるとご利益があるやに説く。

    近頃は、正月行事も家によっては無いところもあるとか。正月三が日に初詣に出掛けたり、節分(星祭)に鬼やらいをしたり2月3日。ひな祭り(桃の節句)3月3日。灌仏会(かんぶつえ)は、釈迦の誕生日4月8日。子どもの日(端午の節句)5月5日。七夕7月7日。

    バレンタインデー(英: Valentine's Day)は、男女の愛の誓いの日として2月14日に祝われる。ハロウィン(英: Halloween )は、秋の収穫を祝い、悪霊などを追い出す宗教的な行事10月31日。クリスマスは、イエス・キリストの誕生日12月25日。

    宗教心があるんだか?毎日お祭りしているんだか?毎週教会にいっているんだか?どうなんだろう?何なんだろう?

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    亜美 2015年9月6日 15:19

    キリスト教入門

    モーセと神による契約、
    ユダヤ教の聖典『(旧約)聖書』による

    メシア(キリスト・イエス)との
    新たな契約、キリスト教の聖典
    『(新約)聖書』による信仰。

    来るべき世に於いても
    この世(現世)に於いても

    最も権威のある名は、
    イエスさまの御名です。

    イエスさまの名は生前から
    神さまから天使を通して

    「その名をイエスと付けなさい」
    父ヨセフにも母マリアにも
    伝えられたのです。

    イエスさまの御名は、
    権威も力もあります。

    神さまは、イエスさまの御名が
    あがめられる時、最も喜ばれます。

    イエスさまの御名を信じる者には、
    神の子とされます。

    イエスさまの御名に拠り悪霊を従わせ、
    人の病を癒し、奇蹟を現します。

    イエスさまの御名に拠って、
    父なる神さまに祈る事が教えられます。

    イエスさまの御名が称えられる時は、天の
    神さまを褒め称えている事と同じなのです。

    イエスさまの御名を称えましょう。

    信仰心 キリスト教入門  モーセと神による契約、 ユダヤ教の聖典『(旧約)聖書』による  メシア(キリスト・

  • 大阪市営地下鉄での事。
    優先座席付近で携帯電話を
    使っていた心の醜い女性に

    「ここは、優先座席です。
    直ぐに通話を止め
    電源を切りなさい。」

    と云うと、電話したままで
    他の車両に移り電話をしていた。

    その心得違いを何とも
    思わない心の醜い女性に
    正直がっかりした。

    外国の人や子どもたちが
    目撃していたのだ。

    ヨハネ3.35-36
    御父は御子を愛して、その手にすべてをゆだねられた。御子を信じる人は永遠の命を得ているが、御子に従わない者は、命に預かることがないばかりか、神の怒りがその上にとどまる。」

    信仰心 大阪市営地下鉄での事。 優先座席付近で携帯電話を 使っていた心の醜い女性に  「ここは、優先座席です

  • 傍聴マニア09#4 覚醒剤取締法違反の
    再放送の最後に

    六角精児が「麻薬言うのは、
    人をおかしくするんだなぁ」と

    呟くと向井 理「いや、
    人をおかしくするのは、

    孤独なのかも知れませんねぇ」
    と応える。

    孤独な魂を愛し慰め祝福した行為が
    イエスさまの真理なのでしょう。

    ルカ10.27
    彼は答えた。「『心を尽くし、精神を尽くし、力を尽くし、思いを尽くして、あなたの神である主を愛しなさい、また、隣人を自分のように愛しなさい』とあります。」

    信仰心 傍聴マニア09#4 覚醒剤取締法違反の 再放送の最後に  六角精児が「麻薬言うのは、 人をおかしくす

  • 今日、信号待ちで、
    直進方向に自転車が止まった為、
    歩道が通行止めの状態で

    左右に行き交う歩行者も自転車も
    その為に立ち往生していました。

    1950年代の日本では、
    トイレの使用時に
    次に使用する人を
    気遣う美徳がありました。

    道路も同じです。
    他の通行の妨げに
    ならないように注意
    していましたが…。

    特定の人に対する
    気遣いではなく
    自分以外の人全てに
    する気遣いです。

    昔の日本人は
    キリストイエスの
    教えを既に実践して
    いたのでしょう?

    マタイ6.3-4
    施しをするときは、右の手のすることを左の手に知らせてはならない。あなたの施しを人目につかせないためである。そうすれば、隠れたことを見ておられる父が、あなたに報いてくださる。」

    信仰心 今日、信号待ちで、 直進方向に自転車が止まった為、 歩道が通行止めの状態で  左右に行き交う歩行者も

  • 7章は人と人との関係に関する教えですね。

    『人を裁くな』(マタイ7章1-6節)

    相手の悪い処について、
    目をつぶるのでは無く

    人を裁くあなたは何者なの、と問い
    人を裁くなとは、
    「人を自分と同じように見ているのか、

    人を自分と同じように愛しているのか」
    と、云うイエスさまの
    問い掛けなのでしょう。

    『求めなさい』(マタイ7章7-12節)

    神さまは良い物を与えてくださる。
    人に対して求める物を
    先ず、人に与えなさい、

    それが神さまの御心なのでしょう。

    『狭い門』(マタイ7章13-14節)

    狭い門は、
    当時の奴隷や使用人が利用する通用口。

    イエスさまが最後の晩餐で
    弟子たちの足を洗いました。
    それは、本来奴隷の仕事です。

    「誰でも足を洗って貰う方になりたがる、
    敢て、あなたは足を洗う者になりなさい」
    人と人が接するイエスさまの思いなのでしょう。

    『実によって木を知る』(マタイ7章15-20節)

    イエスさまの「良い実」とは、「霊の実」
    「愛、喜び、平和、寛容、親切、
    善意、誠実、柔和、節制」なのでしょう。

    神さまの前で良い心を持つ様に心掛けていれば、
    それは、良い実として現れる事でしょう。

    『あなたたちのことは知らない』(マタイ7章21-23節)

    人の目に触れるように表面だけを取り繕って
    言葉だけで「主よ、主よ」と言って
    信仰深く見せ掛けても、
    神さまの前では、何の価値もないのです。

    『家と土台』(マタイ7章24-29節)

    岩の上に家を建てた賢い人の譬えを
    実践し取り組むならば不完全でも
    良い実を結び、天に宝を積む事でしょう。

    雨が降り、川があふれ、風が吹きつけ、
    それでも倒れない、
    そこに人生の幸いがあるのです。

    信仰心 7章は人と人との関係に関する教えですね。   『人を裁くな』(マタイ7章1-6節)   相手の悪い処

  • マタイ6章19-34節

    『天に富を積みなさい』(マタイ6章19-21節)

    教えの理由は単純です。
    この世の宝はなくなってしまう。
    そして、天の宝はなくならない。

    宝のあるところに私たちの心がある。
    あなたの心はどこにあるでしょうか? 
    目を天に向けて、永遠を見すえて歩む事
    これこそ神の子どもに相応しいのです。

    『体のともし火は目』(マタイ6章22-23節)

    目が暗いなら、生活は暗くなります。
    目が体の灯りだからです。

    神さまの願いは、私たちの心を
    光が来る天に向け、明るく生きる事です。

    『神と富』(マタイ6章24節)

    イエスさまは、奴隷のことを取り上げ、
    奴隷は二人の主人に仕えることは
    できないと教えられます。

    それは当時の常識だったのでしょう。
    同じように人は神と富の両方に
    仕えることはできないと教えられます。

    それは至極当たり前で、当然の事なのです。
    イエスさまは、私たちに
    「あなたは神に仕えるのか、富に仕えるのか?」
    と、意思決定を迫られます。

    『思い悩むな』(マタイ6章25-34節)

    イエスさまは、私たちに云われます。
    「信仰が薄い者たち!そんなことを心配するな!」と。
    必ず天の父が備えてくださるという根拠からです。

    信仰心 マタイ6章19-34節   『天に富を積みなさい』(マタイ6章19-21節)   教えの理由は単純で

  • マタイ6章16-18節

    断食は、旧約聖書で贖いの日、
    身を戒める中で行います。

    罪の悔い改め、嘆きや
    悲しみを表す時等に行います。

    パリサイ人は、それ以上に行っていました。
    週に二度は行っていたと
    他の箇所にあります(ルカ18:12)。

    キリスト者でも行なう人が多いのです。
    私たちは、肉体には注意を払って養いますが、
    霊の方が疎かに成り勝ちです。

    これを逆に、霊の方に注意を払って養うのですが、
    肉体を養うことの思い煩いから一時期離れます。

    施しと祈りと同じように、
    人に見られる為に行なうのであれば
    天に於ける報いは残されていません。

    私たちはこの戒めから、
    如何に自分自身が人に対して
    奉仕していたのでしょうか?

    献金にしても、神に対してでしょうか?
    「この教会は財政が確りしているから、
    多額を出さなくてもいいだろう。」と云う
    打算はないでしょうか?

    「他の人が奉仕しているから、
    私は只参加しているだけで良い。」とか、

    或いは、「奉仕しなければいけないから、
    礼拝もきちんと出席しなければいけない。」とか、

    私たちの中で行っているあらゆる打算的な思いは、
    全てパリサイ派と律法学者が行っている事に通じます。

    天におられる父との親密な交わり、
    その愛から離れてしまっているからです。

    その内実無しに、外側の行いをするから
    それに頼っている状態です。

    内側が渇いて来ます。
    例え人が見ている前での奉仕でなくても、
    それでも主を礼拝したいという渇望、
    主を愛しているという理由だけで祈り、
    伝道し、奉仕をしているか。

    人に対する奉仕では無く、
    神さまに対する奉仕へと
    考えを変えて行きましょう。

    信仰心 マタイ6章16-18節   断食は、旧約聖書で贖いの日、  身を戒める中で行います。   罪の悔い改

  • ユダヤ三大祭 Ⅱ

    [七週の祭り(シャブオット)]

    出エジプト記23章16節
    「あなたが畑にまいて獲た物の勤労の初穂をささげる刈入れの祭と、あなたの勤労の実を畑から取り入れる年の終りに、取入れの祭を行わなければならない。」
    出エジプト記34章22節
    「あなたは七週の祭、すなわち小麦刈りの初穂の祭を行わなければならない。また年の終りに取り入れの祭を行わなければならない。」と定めています。
    また、口伝律法のミシュナーには、七週の祭りの時には村人たちが各地の大きな町に集まり、最初の収穫を神殿に運んだという記事があります。
    七週というのは、過越しの祭りの二日目から数えて七週と一日目(五十日目)がこの日に当たるので、ギリシャ語でペンテコステ(五十の意)と云う。 

    [仮庵の祭り(スコット)]

    レビ記23章42~43節
    「あなたがたは七日の間、仮庵に住み、イスラエルで生れた者はみな仮庵に住まなければならない。これはわたしがイスラエルの人々をエジプトの国から導き出したとき、彼らを仮庵に住まわせた事を、あなたがたの代々の子孫に知らせるためである。わたしはあなたがたの神、主である」
    ヨム・キプール(贖罪日)に続いて、その五日後、仮庵の祭りが一週間続きます(この祭りは農業祭の一面があります)。
    イスラエルの民が農耕民となって、神の恵みに感謝した事に由来しています。
    ミシュナーに「仮庵の祭りの二日目の夕べ、シロアムの池から汲んだ水をエルサレム神殿に運び、それを祭壇に注ぐ儀式を見たことのない者は、本当の歓喜というものを知らない」とある。
    ヨハネによる福音書7章38節
    「わたしを信じる者は、聖書に書いてあるとおり、その腹から生ける水が川となって流れ出るであろう」とあるが、イエス様が仮庵の祭りの時に、神殿に水を注ぐことを意識して語られたものです。

    信仰心 ユダヤ三大祭 Ⅱ   [七週の祭り(シャブオット)]   出エジプト記23章16節  「あなたが畑に

  • ユダヤ三大祭 Ⅰ

    出エジプト記23章14節「 あなたは年に三度、わたしのために祭を行わなければならない。」
    ユダヤ教に於いて、年に三度、過越しの祭り(ペサハ)、七週の祭り(シャブオット)、仮庵の祭り(スコット)にエルサレム神殿に礼拝を捧げに詣でる。

    [過越の祭]
    ユダヤ暦ニサン月15日から1週間。
    「過越の祭」(ペサハ<ヘブル語>,パスカ<ギリシャ語>)は、
    ユダヤ教にとって大変重要な祭。

    [「過越の祭」の順序]
    ①母親が祝祷を言いながら、式灯になるロウソクを二本(一本は「安息日を覚えよ」の意、もう一本は「安息日を守れ」の意」)つける。
    ②父親が祝祷の後、第一の葡萄酒を飲む(聖別の杯)
    ③父親が水で手を洗う。
    ④父親の祝祷の後、全員がカーパス(野菜)を塩水に浸して食べる。
    ⑤父親がマッツァ(種入れぬパン)を割り、半分を袋に、もう半分は、人目につかない所か、袋に入れる。
    ⑥父親がマッツァを持ち上げて祝祷し、過越の由来を説明する。
    ⑦兄弟の一番下の子が「なぜ今夜はいつもと違うの?」と四つの質問をする。
    ⑧エジプトの10の災いを言いながら、指で10滴のワインの滴をテーブルにつける。
    ⑨ダエヌーの歌(神の民に対するお取り扱いを感謝する)を歌う。
    ⑩父親が過越の小羊と種なしパンと苦菜(マロール)の説明をする。
    ⑪父親の祝祷の後、第二の葡萄酒を飲む(喜びの杯)
    ⑫父親が水で手を洗う。
    ⑬父親がマッツァを持ち上げ祝祷し、割って全員に配って食べる。
    ⑭全員がマッツァに苦菜をつけて配って食べる。
    ⑮全員がマッツァにハロセット(ナッツの練物)と苦菜をはさんで食べる。
    ⑯夕食を食べる。
    ⑰食後、子供達が隠されたマッツァを探し、見つけたら割って全員で食べる。
    ⑱父親の祝祷後、第三の葡萄酒を飲む(購いの杯)
    ⑲エリヤのコップに葡萄酒を注ぎ、子供にドアを開けさせてエリヤが来ているかを調べる。
    ⑳父親の祝祷の後、第四の葡萄酒を飲む(栄光の杯)

    最後に「来年はエルサレムにてこれを祝おう!」と締めくくる。
    因みに、ユダヤ式葡萄酒を飲む時の乾杯は、「レハイム(命のために)」と唱和します。

    信仰心 ユダヤ三大祭 Ⅰ   出エジプト記23章14節「 あなたは年に三度、わたしのために祭を行わなければな

  • >マタイ6章1-15節

    イエスさまは、ここで「施し」「祈り」
    「断食」の三つを取り上げられました。

    「施し」が、単に偽りであるかどうかでは無いのです。
    善い行いは隠れた処でしましょうという勧めでもありません。
    私たちが本当に考えるべき事は、
    もっと深い隠れた処にある。

    その隠れた処におられる方は、
    隠れたことを見ておられる父なる神です。
    イエスさまが、云っておられます。

    隠れた処におられ、
    隠れた事を見ておられる天の父、
    その御方とどのように関わって生きるのか。

    そんな私たちの人生の最も深い処が
    問われているのです。

    「祈り」が真ん中に置かれている事は
    偶然ではありません。

    特に、この「祈り」については
    他の二つよりも多くの事が語られています。

    私たちが礼拝に於いて口にする
    「主の祈り」も、
    ここに記されています。

    この「主の祈り」こそが、
    山上の説教全体の中心なのです。

    隠れた処において、
    どのような祈りを以って生きるのか?
    と、云う事です。

    最も深い処、奥まった処、
    隠れた処に於いて、神を真に
    「天にまします我らの父よ」と呼んで生きるのか?

    そのように天の父と向き合い、
    父との生きた交わりの中にあるのか?

    父からの報いをこそ求めているのか?
    父からの報いをこそこの上ない喜びとしているのか?

    神を父と呼べる事こそが、
    本当は大きな報いなのでしょう。

    隠れた処に於いて、
    神との実に親密な交わりがある。
    神との間に親子としての交わりがある。
    本当にそれ以上の報いは無い
    のでは無いでしょうか?

    信仰心 >マタイ6章1-15節   イエスさまは、ここで「施し」「祈り」  「断食」の三つを取り上げら

  • >マタイ5章38-48節

    イエスが弟子に望んだことは、
    復讐しないだけではなく、
    赦すことでした。

    その寛大さを解り易く例えたのが、
    「だれかがあなたの右の頬を打つなら、
    左の頬をも向けなさい。

    あなたを訴えて下着を取ろうとする者には、
    上着をも取らせなさい。」(39節‐40節)
    と云われたのです。
     
    しかし、イエスの
    わたしたちへの思いは、
    赦すだけでは足りなく
     
    「しかし、わたしは言っておく。
    敵を愛し、自分を迫害する者のために
    祈りなさい。」(44節)

    そして、この祈りには、
    迫害する者を祝福することまでが
    含まれているのです。

    ルカが伝えるイエスの言葉には、
    「敵を愛し、あなたがたを憎む者に
    親切にしなさい。

    悪口を言う者に祝福を祈り、
    あなたがたを侮辱する者のために
    祈りなさい。」(ルカ6章28節)

    聖パウロは、
    「あなたがたを迫害する者のために
    祝福を祈りなさい。
    祝福を祈るのであって、
    呪ってはなりません。」
    (ローマの信徒への手紙12章14節)
    そして自らもそれを実行しています。

    「(わたしは)侮辱されては祝福し、
    迫害されては耐え忍び、
    ののしられては優しい言葉を
    返しています。」
    (コリントⅠ4章12節~13節)

    日本にも宗旨は異なりますが、
    これを実践された方が
    上杉謙信かと…。

    敵方の武田信玄に塩を送ったのは、
    有名な話で、諺に残っています。

    信仰心 >マタイ5章38-48節  イエスが弟子に望んだことは、  復讐しないだけではなく、  赦すこ

  • >マタイ5章33-37節

    主は、「また、あなたがたも聞いているとおり、
    昔の人は、『偽りの誓いを立てるな。
    主に対して誓ったことは、
    必ず果たせ』と命じられている。

    しかし、わたしは言っておく。
    一切誓いを立ててはならない。
    天にかけて誓ってはならない。
    そこは神の玉座である。

    地にかけて誓ってはならない。
    そこは神の足台である。
    エルサレムにかけて誓ってはならない。
    そこは大王の都である。

    あなたの頭にかけて誓ってはならない。
    髪の毛一本すら、あなたは白くも黒くも
    できないからである。」と

    当時のユダヤ教的な背景は…。
    33節 (申命記23章22節-24節)には、

    「あなたの神、主に誓願を立てる場合は、
    遅らせることなく、それを果たしなさい。
    あなたの神、主は必ずそれをあなたに求め、
    あなたの罪とされるからである。

    誓願を中止した場合は、罪を負わない。
    唇に出した事はそれを守り、
    口で約束した誓願は、あなたの神、
    主に誓願したとおりに実行しなさい。」

    従って、当時のユダヤ人には、
    神さまに誓った事を忠実に守る事を
    義務付けていたのです。

    しかし「神に誓う」と云い過ぎる事で、
    モーセの十戒に抵触を恐れ、
    神さまの名前を用いる事を控える。

    その為に神さまに対してでは無く、
    もっと違ったものを指し、
    例えば、 私は天に誓ってとか、

    私は地に誓います、
    私はエルサレムの都に誓います、
    等の誓いがあったのでしょう。

    そうすれば「みだりに主の名を
    唱える事にはならない」と、云う事で
    ファリサイ派の中で一般的に定着し、
    多くのユダヤ人がそれに倣ったのです。

    ファリサイ派は何に誓ったかに縁って、
    その誓いをランク別に分けると云うものです。

    神殿に誓った場合、守る必要は無いが、
    神殿の黄金に誓った場合、
    それを守る事を義務とする、と云う様に、

    その誓う対象物に縁り、
    守るべきものと
    守ら無くても良いものを
    ランク分けしたのです。

    元々神の名によって
    真実な誓いが立てられていたのに、
    神の名が他の代用品に置き換えられ、
    自分の誓った言葉に
    重みが無くなったのです。

    誓いと云う事柄の変質ですね。

    信仰心 >マタイ5章33-37節  主は、「また、あなたがたも聞いているとおり、  昔の人は、『偽りの

  • モーセの十戒(ヘブライ語 עשרת הדיברות‎)
    https://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%A2%E3%83%BC%E3%82%BB%E3%81%AE%E5%8D%81%E6%88%92

    わたしはあなたの主なる神である。
    1.わたしのほかに神があってはならない。
    2.あなたの神、主の名をみだりに唱えてはならない。
    3.主の日を心にとどめ、これを聖とせよ。
    4.あなたの父母を敬え。
    5.殺してはならない。
    6.姦淫してはならない。
    7.盗んではならない。
    8.隣人に関して偽証してはならない。
    9.隣人の妻を欲してはならない。
    10.隣人の財産を欲してはならない。

            十戒は紀元前千五百年に、神が全人類のために与えられたものです。

    信仰心 モーセの十戒(ヘブライ語 עשרת הדיברות‎)  https://ja.wikipe

  • 子どもを持つ親が云う
    綺麗事かも知れませんが、

    結婚前に姦淫することは
    神の祝福を受け晴れて

    結婚した男女の営みとは
    全く別のものとは、
    考えられませんか?

    従って、神の祝福を受けた
    結婚を夫が妻を離縁すれば

    他の男と姦淫する事を
    助長した事になるとは、
    考えられませんか?

    その様な卑猥な考えは
    キリスト的な生き方では
    ないと云う事でしょう。

    信仰心 子どもを持つ親が云う  綺麗事かも知れませんが、   結婚前に姦淫することは  神の祝福を受け晴れて

  • 聖書をどう解釈するのではなく、
    聖書が示している
    生命観を共有すると云う
    神の事実に立ち、

    キリストの命をどう生きるか
    もはや「罪の奴隷」でない
    生き方なのでしょう。

    ガラテヤ 2章20節
    『生きているのは、もはや私でない。キリストが、わたしのうちに生きておられるのである』

    信仰心 聖書をどう解釈するのではなく、  聖書が示している  生命観を共有すると云う  神の事実に立ち、

  • 気を悪くなさらないで
    くださいね。

    新約聖書をより深く理解する為に
    ローマの信徒への手紙
    ヨハネによる福音書
    使徒言行録を読んだ上で

    マタイによる福音書から
    順に進めて引用部を
    旧約聖書で確認するのが
    良いのではないでしょうか。

    私見です。
    ご無礼します。

    信仰心 気を悪くなさらないで  くださいね。   新約聖書をより深く理解する為に  ローマの信徒への手紙

  • 「良心」といったものに
    宗教の仮面を被せれば、
    「内なる神」となります。

    人の『心』にある「内なる神」を
    投影したものが「外なる神」です。

    イエスは「内なる神」を
    復活させようとしたのです。

    「外なる神」が世界を支配する限り、
    真の平和は訪れないでしょう。

    真の平和のために「内なる神」の
    自由を取り戻すことが必要です。

    たとえ「一神教」の中でも
    「内なる神」が自由を取り戻す
    ことは可能だと思います。

    信仰心 「良心」といったものに 宗教の仮面を被せれば、  「内なる神」となります。   人の『心』にある「内

  • 「神はこころの中にいる」と
    云う言葉を時々耳にします。

    「良心」「憐れみ」「正義感」
    「救済」といったものは、
    『心』の働きです。

    時には自己犠牲となる
    これらの『心』の働きは、
    人が進化の過程で獲得したのです。

    「良心」といったものに
    宗教の仮面を被せれば、
    「内なる神」となります。

    人の『心』にある「内なる神」を
    投影したものが「外なる神」です。

    イエスは「内なる神」を
    復活させようとしたのです。

    「外なる神」が世界を支配する限り、
    真の平和は訪れないでしょう。

    真の平和のために「内なる神」の
    自由を取り戻すことが必要です。

    たとえ「一神教」の中でも
    「内なる神」が自由を取り戻す
    ことは可能だと思います。

    コリント信徒への手紙Ⅰ 2章12~13章
    『わたしたちは、世の霊ではなく、神からの霊を受けました。それでわたしたちは、神から恵みとして与えられたものを知るようになったのです。』

    信仰心 「神はこころの中にいる」と  云う言葉を時々耳にします。   「良心」「憐れみ」「正義感」  「救済

  • 「穀物を売り惜しむ者は民の呪いを買う」
    と云う言葉が旧約聖書にあります。

    今の世の中でも、ある時急に
    品物が市場から消えて、
    高騰し慌てて買い占めに
    走る人々を見掛けます。

    人間の考える事は、
    昔も今も余り大きく変わらない
    事に返って驚きです。

    科学が進歩しても、
    人間の本質は全く変わらない
    と云う事でしょうか。

    私たちの周囲には、
    私たちの助けや力を
    必要としている人がいます。

    そんな人に対して、見て見ぬ振りをし
    ご自分の持っている力(お金・時間・愛)
    を出し惜しみしているのではないでしょうか?

    エフェソの信徒への手紙 3章17節
    『信仰によってあなたがたの心の内にキリストを住まわせ、あなたがたを愛に根ざし、愛にしっかりと立つ者としてくださるように』

    信仰心 「穀物を売り惜しむ者は民の呪いを買う」  と云う言葉が旧約聖書にあります。   今の世の中でも、ある

  • 「無慈悲や怒りや悪意など捨てて、
    神があなた方を赦してくださったように、
    赦しあいなさい」聖書はそう教えています。

    素晴らしい教えだと思いますが、
    中々実行が出来ません。

    それと云うのも、
    相手がそうさせない事が多いからです。

    どうした、どうしなかったと、
    相手の出方次第で、
    こちらの態度も対応も大きく変わるので、
    埒が明かないのです。

    神さまは、私の悪いところも、
    足りないところも、
    すべて赦して愛してくださいます。

    神さまが、
    私にしてくださった事と心に留めて、
    自分の成長を図る余裕を持ち、

    神さまの愛に応えるような
    生き方を大切にしたいと思います。

    エフェソの信徒への手紙 5章1節
    『あなたがたは神に愛されている子どもですから、神に倣う者ととなりなさい』

    信仰心 「無慈悲や怒りや悪意など捨てて、  神があなた方を赦してくださったように、  赦しあいなさい」聖書は

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