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投稿コメント一覧 (142コメント)

  • 日本に落とした原爆を、テニアン島に運んだ「インヂィアナポリス号」がフィリッピン海で発見されたニュースを聴きました。私も上梓した本の中で「インヂィアナポリス号」のことを書いているので、その一部を抜き出します。

      「エノラ・ゲイ」と名付けられたこの爆撃機は、操縦士であるポール・ティベッツ大佐の母親から取ったもので、機内には「リトル・ボーイ」と呼ばれる原子爆弾が積み込まれてあった。広島を目標にした理由は、近くに軍事工場や陸軍の兵站基地などがあり、且つ人口の多い都市ということで「広島」が目標にされたのであった。このミッションにはエノラ・ゲイの他に、原爆の威力を測定するB29科学観測機と写真撮影用に九一号機の二機が同行した。
     
      「エノラ・ゲイ」には、操縦士のポール・ティベッツ、副操縦士のロバート・ルイス、爆撃手のフィリビーの他に九名の搭乗員がそれぞれの持ち場に張り付いていた。やがて、北方に向けて飛行を続けていた機体の右側の空が微かに白み始めると、エノラ・ゲイは確実に日本に向けて飛んでいることが判った。あと数時間で目標に到達するところまで飛来していた。搭乗員十二名の緊張は刻一刻と深まって行った。

      この「リトル・ボーイ」はニューメキシコ州で核実験に成功したあと、重量四トンのウラン二三五型原子爆弾に製造され、七月十七日に大型巡洋艦「インディアナポリス」に積み込まれサンディエゴ軍港を出航した。途中ハワイで給油したが、七月二十七日にはB29が待機するテニアン島に着いた。無事に輸送は行われ任務は完了した。そして次の任務地であるレイテ湾に向かった。  
     ところが、七月三十日になった午前十二時過ぎ、日本海軍の潜水艦「伊・五十八号」によって撃沈されてしまった。この巡洋艦には千百九十六名の乗組員がいたが、九百余名が海上に脱出した。ボートに乗れなかった乗組員は浮具を付け集団になり漂流していた。ところが撃沈された辺りは「サメ」の多い地域で、集団の外側にいた者から攻撃を受け始め、血の匂いのする現場には百匹以上のサメが集まり、漂流している者の下半身に鋭い歯をむけた。四日後に捜策機によって発見され、駆けつけた駆逐艦が浮遊している死体を引き上げると、殆どが下半身を食いちぎられており、五百八十五名がサメの餌食となった。勿論、この惨事をエノラ・ゲイに搭乗している者たちは知る由もなかった。

  • 「走る神」は、かくも無慈悲だったのか? オリンピックの合間に開催される陸上世界選手権のことである。これもモスクワ五輪を資本主義国がボイコットし、そのお返しで、ロサンジェルス五輪を社会主義国がボイコットし、その代替として始めた大会である。オリンピックの前哨戦ぐらいしか見られていなかったこの大会を、メジャー大会に引き上げたのが、ジャマイカ出身のウサイン・ボルトの出現であった。何時も世界最速記憶を期待させてくれた。

      オリンピックの100、200、リレーで3冠を獲得して来たボルトが、今大会を最後に競技会から引退すると発表した。陸上ファンは、最後の金メダルを獲得し有終の美を飾るものと期待していた。ところが、100メートル決勝のスタートで出遅れ、3位になるという誰も予測していなかった結果になった。ボルト本人が一番ショックを受けたことだろう。

      ボルトは、容姿に似合わず可成りの人格者らしい。ボルトを取材した知人のディレクターから聴いた話であるが、他人に対し、もの凄く気を遣う男らしい。また、陸上で獲得した相当な金額を、ジャマイカの子供たちのために寄付しているという。恩返しの積りだろう。

      第4走者としてバトンを受けたボルトは、先行する英国と米国を追うとした矢先に、ハムストリングスに異変を来たし、その場で蹲ってしまった。その隣の隣を走っていた日本に追い抜かれ、これでメダルの獲得は夢と終わってしまつた。全く以て予測しなかった結果だったが、会場の観客は暖かい拍手を送った。それは誰もがボルトの功績を認めているからである。

      「走る神」のことであるが、ボルトに試練を与えたとしか思えない。トップを維持することは難しいことではあるが、30歳での引退は早過ぎるのではないか。そして、ボルトはこのリレーでゴールまでたどり着いていないので、未記録のままである。それを東京五輪で再度挑戦しろ、と示唆したのではないかと思った。東京五輪で、ボルトが「リベンジ」のため引退を翻し挑戦してくれば、陸上競技がこの上なく盛り上がるであろう。「走る神」は、その試練を与えたのではないか、としか思えてならない・・・。(日本チームは3位に食い込み銅メダルを獲得した。素晴らしい結果であるが、実質的には4位であった。このことを胸に置き、東京五輪では更なる上位を目指して欲しい)

  • 第4コーナーを廻った時、これは行けると思った。応援している声が一段と上がった。だが、直線に入ったところで、サニブラウンの身体が一瞬後ろにのぞけった時、「アッ、やったな!」と直感した。その後、スピードが目に見えて落ちた。今、ロンドンで行われている、世界陸上選手権の男子200メートル決勝でのことである。

      日本中の人が固唾を飲んで、夜中に起きて見ていたことだろう。ロサンジェルスは昼間だったので助かった。100メートル準決勝のスタートで躓き、決勝進出を逃した時は全てが溜息にかわった。日本人はこれまでの五輪と世界選手権で、100メートル決勝に臨んだ歴史は無い。サニブラウンは、今回それを期待させてくれたのだった。

      200メートルの予選と準決勝を何れも2位で通過したが、決勝でのタイムは8人中7番目で、2組目の着順で残ったのだった。ところが、タイムで救われた2選手が、何れもサニブラウンよりタイムが良かったので、メダルの獲得は希薄だった。故に、決勝では7着か8着に終わるだろうと予想していた。ところが、不得意なスタートダッシュが良く、第4コーナーを廻る時にトップにいたので、追い込みが得意なサニブラウンは、あわよくば3位に食い込めるかも知れない、と応援のボルテージが上がってしまった。しかし、ハムストリングに異状を来たしスピードが落ちて、14年ぶりのメダルが泡と消えてしまった。

      だが、これまで伝説のウサイン・ボルトが持っていた最年少出場を数か月更新した。このことだけでも素晴らしいことである。目標は、あくまでも東京オリンピックなので、焦ることはない。リオ五輪で銀メダルを獲得した100メートルX4のリレーには出場しないことになった。これは賢明なデシジョンである。これから大切な選手なので、無理して出場し壊されたら大変なことになる。兎に角、サニブラウン、今回は天晴れだった・・・。

  • 「孤高の横綱」、将にこの言葉がぴったりの今場所だった。魁皇の持つ通算勝ち星1047勝を抜き、優勝回数も39回目に延ばした。何れも角界で最高の記録を打ち出したが、しかし、これらがまだ通過点であるということだ。名横綱・千代の富士も名大関・魁皇も引退前の最後の勝星だった。

      待望の日本人横綱・稀勢の里が誕生し、期待は一気に「強い横綱」へと高まったが、横綱昇進を果たした次の場所で奇跡の優勝を遂げたが、致命的な負傷を負ってしまった。それが災いし、次の場所も今場所も途中休場に追い込まれた。負傷の為に実力が出せないことは相撲ファンの誰もが判り切っているが、横綱にはそれが許されないのである。どんな状態であれ、横綱は強くあらねばならない。相撲事態が、大関時代の腰高に戻ってしまったような気がする。

      今場所は、横綱・稀勢の里、鶴竜、大関・照ノ富士が休場し批判が横行したが、これらの力士を観ていると、話題となった場所の2場所だけが、偶々良い結果を出しただけではないかと思う。横綱としての責任を全うしているのは、白鵬と角界を追放された朝青龍だけである。

      横綱・白鵬は、彼の人間性も高く評価されている。横綱という地位を良く判っている。社会的な貢献度も高く評価され、彼の人生に於いても、天が味方しているようにしか思えない。それは、天敵とされた悪名横綱「朝青龍」が角界から追放されたことにあった。白鵬と謂えども、唯一朝青龍には勝てなかった。朝青龍が居たら、記録はまだまだ程遠いところにあっただろう。朝青龍のやんちゃな性格が、日本の大相撲精神から大きく外れ、横綱としての品格を理解していなかった。日本の相撲は神事に仕えるということを判っていなかった。

      それと、白鵬が偉いところは、日本人力士以上に大相撲のことが判っていることである。入念な身体の準備運動・鍛錬・研究は、今の角界では一番である。全ての記録を塗り替えた白鵬の、次なる目標は幕内1000勝にあるという。また、日本人としての国籍を取得すると断言した。それは一代限りの相撲部屋を持てることにある。相撲部屋は、日本人でないと許可されない。16歳で日本に来て、青年時代を大相撲で過ごした白鵬は、日本人以上に日本人に成れるだろう。これからの白鵬の人生に、幸多かれと願うばかりである・・・。

  • 日本中を、歓喜の坩堝に巻き込んだ「リオ五輪400メートル・リレー」の銀メダリスト4人組が、悉く新生18歳のサニブラウン・ハキームに叩き潰された。全日本陸上選手権でのことである。今大会は、8月にロンドンで行われる世界選手権の代表選考会も兼ねていた。そこで最も注目されていたのは、男子100メートルであった。何故なら、待望の9秒台に誰かが突入するかと期待されていたからである。だが、その中にサニブラウンが入っていたのではない。期待されていたのは、お馴染みの桐生・ケンブリッジ・山縣のメダリストたちであった。中でも桐生とケンブリッジは、10秒01台を頻繁に連発し、ケンブリッジに至っては、アメリカで追い風・非公式ながら9秒台に突入した。

      東京五輪では、銀メダリストの4人、或いは3人が選出されると期待されていた。それは、ここ一ト月で各選手が良い記録を打ち出していたからである。ところが、そこに無印の2人の新生が割り込んで来た。それが、ガーナ人を父に持つサニブラウンと関西学院大3年生の多田修平である。多田に於いては、先日の日本学生選手権で非公式ながら、9秒94で国内初の9秒台に突入した。サニブラウンは、16歳の時、世界ジュニア選手権で100と200で優勝し、200では世界一速い男「ウサイン・ボルト」の16歳時の記録を破った逸材だった。

      100メートル決勝の当日は雨が降っており最悪のコンディションだった。そこには、桐生・山縣・ケンブリッジの五輪トリオと多田、サニブラウンの豪華キャストが100メートル先を睨んでいた。号砲一発、桐生と多田の反応が早かった。しかし、中盤からサニブラウンがギアを入れるとスピードが加速し、トップでテープを切った。驚かされた。桐生かケンブリッジが優勝すると思っていたので、青天の霹靂だった。そして、2位には多田が入り、ケンブリッジが辛うじて3位に入り、世界選手権の権利を得た。

      翌日は得意種目の200メートルだった。隣には五輪リレーメンバーで200メートル第一人者の飯塚がいる。だが、スタートしてすぐにトップに立つと、そのまま加速し、14年振りで2冠を獲得した。しかし、コンヂィションは決して良くは無かったとのことだった。これで、世界選手権には内定したが、あと2人に誰が選出されるか悩むところである。サニブラウンと多田が選出されそうである。

  • この四日間、一喜一憂しながらテレビを見たのも久し振りだった。それは、日本人初のメジャー・タイトルに期待が寄せられていたUSオープン・ゴルフのことであった。そのゴルファーとは、アメリカに舞台を置き世界4位にランクされている「松山秀樹」のことである。
      しかし、期待とは裏腹に、初日は74と不本意なスコアで82位と大きく出遅れた。この時点で、メジャー制覇は大きく遠のいたと思った。ところが、2日目に7バーディ・ノーボギィの驚異的なスコアを打ち出し、一挙に8位まで躍進し再度期待を齎せてくれた。俄然、注目を浴びることになった。松山は、他の日本人ゴルファーには無い爆発的な力を持っている。また、珍しい現象も起きた。本年度の世界ランクの1・2・3位が3人とも悉く予選落ちしたのである。松山が最高位予選通過者となった。

      そして、3日目にどのようなスコアでトップに躍り出るかと、アメリカのテレビ放送と日本からのテレビ放送を同時に見ながら、期待にワクワクしながらのテレビ観戦となった。アメリカのテレビ放送は、スコアの悪くなったゴルファーは映さなくなるからである。この日、前半を2バ-ヂィで上がり、首位に1打差とした。ところが、後半インの10番パー5で、3オンしながら下りのパットを外し、折り返しも外しボギーとなった。バーヂィを狙いに行くのは当然であるが、下りのパットは外すと折り返しが難しくなる。どうして確実にパーを狙わなかったのかと悔やまれた。その後、13番パー3もボギーとし、追い風がピタリと止んでしまった。  ところが、である。最終日に、また爆発ゴルフを見せてくれた。首位と6打差でスタートした松山は、8バーヂィ2ボギーの66のスコアで12アンダーとし、メジャー優勝の期待も抱かせてくれた。だが、この日、2位からスタートした世界ランク22位のブルックス・ケプカが、安定したゴルフを見せトップに躍り出たが、ケプカが10番でボギーとした時は松山と1打差になった。だが、13番の難しいパー・パットを決めると、14・15・16番をバーヂィとし、16アンダーでメジャー優勝を飾った。ケプカは、松山とプレイオフになると勝てないことが判っていた。そこで慎重になったのが13番のパー・パットだった。これを外し、松山に並ばれるのを避けねばならなかった。結局、大事な一番での集中力の差が勝敗を決めた。

  • 石川佳純の、渾身の力を込めたスマッシュが相手のテーブルに突き刺さった瞬間、石川は吉村の胸に顔を埋め泣いた。それを吉村が優しく抱きしめたシーンを見ていてジーンと来た。日本が48年もの間見放されていた金メダルを獲得した瞬間だった。今回の日本選手団は男女合わせて5個のメダルを獲得した。中国の牙城はまだ崩せないものの、城壁の一角を崩せたのは確実だった。例のごとく、この一週間は夜中の3時から始まり、朝方の8時ごろまで放送していたので寝不足となったが、土・日の放送にもなったので、日中は寝たままだった。

      日本の10代の若者たちは素晴らしかった。男子でベスト8に残った張本はまだ13歳である。世界選手権で最年少の出場者だった。そして女子有望のトリオは、まだ16歳である。個人で銅メダルを獲得した平野美宇は、リオ五輪では補欠となり胸中悔しい思いをしていた。そして、先のアジア選手権では、五輪金メダリストで世界ランク1位の丁寧を破り世界を震撼させた。それまで仲の良かった五輪銅メダリストの伊藤美誠とはコンビを解消し、悔しさを個人戦にぶつけた。仲良くしていたのでは勝てないのである。反対に、伊藤は同じ年の早田ひなとコンビを組み、ダブルスで郷メダルを獲得した。ちゃんと結果が出ているのである。

      日本の卓球を、「温泉ピンポン」から「テーブル・テニス」に変えたのは、福原愛の功績であることは周知の認めるところである。日本の卓球を牽引した愛ちゃんを東京五輪に出場させたいが、今の実力では代表に選ばれるのは難しい。しかし、一つだけ道が残されている。台湾の男子選手と結婚したので、台湾選手として東京五輪に出場は出来る。嫁いで行った先の台湾選手として出場した時は暖かく迎えてあげたいものだ。

      石川佳純にしても、日本代表3選手に選ばれるかどうか。それ程16歳トリオの実力は凄いのである。この後3年間でどれ程になるか。恐らく、中国の選手たちを抜くであろう。そればかりか、この3人の後にも、ジュニアで世界ランクしている若娘たちが続いているのである。だが、石川にも救いの道がある。これまで五輪では男女混合が無かったが、東京五輪では導入される動きがある。石川は、この種目で金メダルを狙える。このように若手の育成が出来たのも、トレーニング・センターにある。今回の卓球世界選手権が良き導きとなった。

  • 久々に満面に喜びの顔を見た。38度目の優勝を全勝で飾った、横綱・白鵬のことである。休場明けを全勝で勝ち抜いただけに、喜びも一入だったことだろう。ここ一年、優勝から遠ざかっていただけに、往年の力量に疑問符が囁かれ始めていた。そして、話題も横綱・稀勢の里と大関候補の高安に集中していただけに、意地をみせたいところもあっただろう。

      場所が始まると、先場所で奇跡の優勝を成し遂げた稀勢の里の3連覇と、10勝で大関に推挙されるであろう高安に場内の観客は大声を張り上げた。それが、白鵬に気楽に取らせた原因だったのかも知れない。序盤の取り組みは覚束なかったが、土付かずで中日を乗り切ると、何時もの落ち着きを取り戻した。反対に、稀勢の里が4敗を喫し優勝戦線から脱落すると、出場したことへの是非論に意見が集中したが、こればかりは結果論でしかない。稀勢の里の気持ちを推し計るしかないだろう。

      白鵬の次なる目標は、幕の内最高勝利数と40回優勝の大台に乗せることだろう。白鵬の優勝回数は、今後破られることは無いと思われるが、つくづく運の強い力士である。ライバルだった朝青龍が角界から追放されていなければ、優勝を朝青龍と交互にしていたとしても20回ぐらいであろうと推測される。白鵬は朝青龍には勝てなかった。小さな身体ながらも朝赤龍は本当に強かった。しかし、彼の力士としての素行が追放という最悪の形になった。

      来場所は稀勢の里の捲土重来と、高安の大関での活躍に注目が集まるだろう。高安の大関昇進には心から拍手を送りたい。フィリッピンから来て、高安を産み育ててくれた母親に最高の親孝行をした。それに日本人横綱として期待を一身に集めている稀勢の里は、充分に怪我を治し復帰して欲しい。だが、気になるところは太り過ぎである。この身体では、日馬富士の速攻には立ち向かえない。白鵬みたいに、断食しヨガをして身を引き締めて欲しいものである・・・。

  • 元横綱・佐田の山(元理事長)の訃報を聞いた。大横綱・大鵬や柏戸の全盛期の好敵手で、優勝回数は少なかったが、いぶし銀の横綱振りを見せてくれ、目の肥えたタニマチが多かった。この横綱が実力を発揮したのは理事長になってからだった。本来なら、大横綱・大鵬が理事長になることを約束されていたが、脳溢血をやらかしてしまった。これは当時の新聞を賑わした。そして、右手に麻痺が残り致命傷となった。何故なら、幕内最高優勝力士に天皇杯を渡せないからである。その一代年寄り大鵬親方に代わったのが、出羽の海親方だった。その当時の横綱・千代の富士や貴乃花・若乃花ブームにもあやかり、土俵は連日大入りの満員だった。

      私が出羽の海理事長を訪問したのは、丁度「若・貴ブーム」の時だった。私の住むロサンジェルスのアメリカ人に相撲を見せたく、日本相撲協会と当時「大相撲ダイジェスト」を放送していたテレビ朝日の協力で、ロサンジェルスとシカゴで放映する権利を得た。この放送は画企的なもので、ハワイを除いて海外で初めての試みだった。その後、一年遅れで、NHK国際放送が相撲放送を開始した。

      相撲協会からの権利を戴いたことへの挨拶に、理事長室を訪れたのだった。相撲協会は、当時は全ての運営を元力士の親方衆で構成していた。国技館の理事長室に行き着くまで大きい親方衆たちとすれ違い、異郷に来たような感じだった。出羽の海理事長は、初めて海外で相撲放送することへ半信半疑だったが、「兎に角、頑張って欲しい!」と激励してくれた。出羽の海理事長の許可が無ければ、現在の外国人相撲ファンも増えていなかっただろう。私も、その日本文化伝達の一役を担ったという喜びと、出羽の海理事長への感謝は今でも消えない。只、私は現役時代の横綱・佐田の山のファンでは無かった。大関北葉山のファンだった。どうか、あの世で今後の大相撲界を厳しく見守って欲しいと願っている。合掌・・・。

  • 日本という国は、世界の若者たちにとり「垂涎の国」である。日本に行ってみたいのだが、お金が無く、親戚の住むアメリカに来ざるを得なかった、という外国からの学生が沢山いる。何時かお金が溜まったら、必ず日本に行きたいという若者が多い。ところが、そのような憧れの日本だが、国内の不祥事や悪事が一瞬に世界に知れ渡る時代になり、中には心配し聴いて来る若者もいる。そのような不祥事が「凛とした国・日本」で起きていることが信じられないというのである。
      いま物議を醸し出している「森友学園」もその一つである。象徴である天皇家は別として、日本人の最高峰にいるのが「安倍晋三首相」である。日本人である日本人を守らねばならない頂点にいる人間が、同じ日本人と個人的な齟齬から、奥方と日本中を巻き込んで醜い争いをしている。問題の渦中にいる森友学園の籠池氏も「詐欺師で悪代官」のような顔つきをしているが、不正・詐欺を働いたのなら司法で裁けば良いのである。しかし、籠池氏とて、学校設立の許認可を受けていなければ、問題の敷地内に校舎を造ることもなかっただろう。
      国有財産である土地を売却した役人は、その売却に関する書類を既に破棄したと突っ張ねた。国民の財産である国有地の売却なら、その書類は半永久的に残すのが常識で、ましてやコンピュターが発達した現在では、幾らでも記録は残せる。亦、常識外の8億という割引をしたことが問題である。民間ならいざ知らず、国有地の売却に桁外れの割引である。
      そこに、安倍首相と奥方が籠池氏の知人ということから、役人も「忖度」したのではないか、安倍サイドから森友学園に100万円を寄付があり、明恵夫人の存在が役人を忖度させたのではないかと突いている。要は、この売買契約書を破棄した役人と、許認可に携わった役人たちを徹底的に調べ、その役人と詐欺を働いた籠池に刑罰を与えるべきなのだが、どうも論点がはっきりしない。
      どうも、日本という国はおかしくなった。サムライを標語しているが、腹を切れる者は誰も居ない。話は遡るが、日本が敗戦した時、「神風特攻隊」の生みの親で、無駄死と判っていながら多くの若者の命を散らせた大西瀧次郎は、その責任を取り自らの腹を掻っ切った。このようなサムライはもう日本には居ないだろうが、国権の最高機関にいる行政府や立法府の選ばれた国会議員たちも、本当に腹を据えてやって欲しい。

  • 鳥肌が身体全体に走った。それは、新横綱・稀勢の里が、優勝決定戦で大関・照ノ富士を小手投げで破った瞬間だった。十二日まで全勝を走っていた稀勢の里が、3敗を喫している横綱・日馬富士に一気に寄り倒され、土俵下へ落ちる時に左肩を負傷した。日本中の国民が固唾を飲んだ瞬間で、翌日の出場も危ぶまれるぐらいの重症だった。

      だが、稀勢の里は翌日も土俵に上がった。新入幕以来、休場したのはたったの1日だけで、新横綱としての責任もあった。しかし、十四日目の鶴竜戦は見るも弱々しく、何も出来ずに簡単に土俵を割り2敗目と後退した。反対に、照ノ富士が1敗を守り、千秋楽で稀勢の里と本割でぶつかるので、照ノ富士の優勝が俄然濃くなった。

      本割の立ち合いで、稀勢の里は左肩を庇って左へ変わったが、そこは照ノ富士も判っていた。土俵へ追い詰められた稀勢の里は、右から肩透かしぎみの突き落としで照ノ富士を退けた。勝負への執念と、日本国民の期待を一身に背負っての、渾身の頑張りであった。場内は割れんばかりの歓声と拍手で、蜂の巣を突いたような騒ぎとなった。

      優勝決定戦では、照ノ富士も同じ轍は踏むまいと作戦を立て直し、立ち上がってすぐ二本を差し一気に寄って出た。土俵に詰まった稀勢の里は渾身の力を振り絞り、右からの小手投げで間一髪照ノ富士を裏返した。奇跡が起きた瞬間だった。負傷した力士が二番続けて勝てるとは思えなかった。貴乃花以来22年振りの新横綱での優勝が実現した。照ノ富士も気の毒だった。場内の99パーセントが稀勢の里を応援しているのである。これは致し方のないことで、モンゴル力士が日本で相撲を取ること事態が、既にアウエィ状態の中にある。

      優勝杯授与式で日本国歌が演奏されると、稀勢の里は万感極まって男泣きした。これまでの苦悩時代が甦って来たのだろうか、こちらまで貰い泣きしてしまった。しかし、大した男である。待望の日本人横綱を期待されると、次は優勝であった。その期待を見事に実現した。だが、真価が問われるのは来場所であろう。千秋楽まで優勝に絡まないと、相撲ファンが満足しない。兎に角、優勝おめでとう。奇跡の逆転劇であった・・・。

  • 小雨に煙るドジャー球場のピッチャーズマウンドに、背番号16を付けた「野茂英雄」が始球式を待っていた。そして、バックネットの上を見上げると、実況中継ブースが並んでいた。寡って、そのブースの一つに陣取り、野茂が登板するする日の実況を行っていた光景が甦って来る。あれから22年の歳月が経過し、万感迫るものが込み上げて来た。その当時、野球中継はフランチャイズでは放送されなかった。何故なら、テレビで放送すると、球場に観客が来なくなるという理由であった。因って、許されていたのは、ABCラジオ放送とメキシコ放送だけが、ドジャースの試合中継を行っていた。

      1995年に野茂がドジャースに入団した時、私は野茂のゲームをロサンジェルスに住む日本人・日系人に伝えたく、ドジャース球団のオーナーに談判に行った。初めは相手にされなかったが、最後にOKを勝ち取ると、中継ブースまで与えてくれた。それは、「私に権利を与えてくれたら、日本人・日系人で球場を満杯にしてみせる!」という「大風呂敷」にあった。オマーリー球団社長も苦笑いしていたが、言葉通り放送が始まると、100台を超すバスで駐車場は埋まった。それ程、野茂英雄の登場はセンセーショナルなものだった。

      WBC準決勝の対決は、日本とアメリカになった。1次・2次予選を全勝で切り抜けた日本チームは、スモール・ベースボールを標語に野球大国アメリカを食ってやろうと乗り込んで来た。鉄壁の守備と、チャンスに食らいつく打線は勝利に導くものと期待した。予想通り先発の菅野投手は素晴らしい投球を見せてくれ、2番手の千賀も良く踏ん張ったが、鉄壁の守りが綻び2点を与えてしまった。昼過ぎから雨が降り出し、グランドの状態が良くないのはどちらも同じ条件だ。この日は打線が湿ってしまい、3番青木・4番筒香・5番中田のクリーンアップが不発に終わった。得点は、失策し1点を与えたセカンド菊池の意地の1発だけに終わった。

      2大会振りのチャンピオン奪回は泡と消えたが、日本の野球を世界に見せられたのではないか。だが、野球は得点を挙げない限り勝てないゲームである。最早、緻密とかスモール野球が通用する時代では無くなった。投手の投げるスピードと、打者のスタンドまで打ち込めるパワーを発揮しないと勝てない。また、4年後のWBCを楽しみに、日本選手全員に拍手を送ろう・・・。

  • 又もや、一晩中起きている羽目となった。大相撲が夜中の零時から2時まで放送されるので、それを観てからの就寝になるのだが、この日はフィギュアー・スケート世界ジュニア選手権が行われた。普通なら、ジュニアの競技など観ないのだが、話題の「本田真凛(15)」が出場していたので気になっていた。昨年優勝した時と同じように、ショートで2位に付けていたので猶更だった。現在オリンピックで活躍している選手は、このジュニアで良い成績を残しているのである。だが、本当のところは、子役女優で活躍している「本田望結」の姉であるということも興味の一因であった。本田一家4人がスケートをやっているのである。

      この日、フリーに登場した本田真凛は、全日本ジュニアに優勝出来なかったこともあり、可成りの気合が入っていた。滑り始めるとジュニアとも思えない身のこなしで、ジャンプも失敗することなく華麗に滑り終えた。スコアもジュニアで二人目の200点越の、201.61を記録し本人も満足気であった。そして、その後に、これまで一人だけ200点越をしているロシアのアリーナ・ザキトワ(14)が登場した。実力通り、ショートを1位でクリアーしている。

      登場すると一遍にその場が華やいだ。社交界に登場するマドンナのような雰囲気を持っている。そして、最初の滑りで、本田真凛より上だと思い知らされた。スケーティングの上手さも然ることながら、ジャンプが正確なのである。軸にブレがない。そして、7個のジャンプを疲れの出る後半に跳び、加点をどんどん付けて来た。滑り終えると、スコアが出るまでもなく、1位になったことが明白だった。そして自己最高の208.60を打ち出し、来年韓国・平昌オリンピックの金メダル候補として名乗り出た。

      これから二人はライバル関係となり、フィギュア界に新風を吹き込むことだろうが、このままでは、本田真凛はザキトワの後塵を拝するだけだろう。トリプル・アクセルを完全に跳ぶか、ジャンプを後半に持って来ないと、ザキトワの上に行くことは出来ない。真凛は200点を超し喜びに浸っていたが、それも一瞬であった。今後も切磋琢磨続け、平昌で華麗なる技を見せて欲しいものである・・・。

  • この一週間、毎日の睡眠時間は1時間か2時間であった。よく持ったものだと自分でも感心しているが、その原因は WBC ワールド・ベースボール・クラッシックであった。日本で行われている試合を生中継で見るとなると、ロサンジェルス時間は夜中の3時から始まり、朝方の7時ごろに終わるのである。そして、その前に大相撲放送が12時(零時)から2時まで放送されるので、殆ど夜中はずっと起きていることになる。

      一次予選敗退も予想されていたサムライ・ジャパンが、一次予選を全勝で勝ち進み、二次予選でも全勝で切り抜けた。それは、大会前の壮行試合などで負け越し、これまでのサムライ・チームで一番の弱体チームだと下げ済まされていたからである。ところが、蓋を開けるとどうだっただろうか。これまで経験しなかった予選での全勝を記録したのである。これだから、「勝負事は下駄を履くまで判らない」と謂われるのである。

      日替わりで、ヒーローが変わった。不動の4番打者・筒香やその後に控える中田、また2年連続トリプル・スリーを成し遂げた山田など、打の繋がりが光った。そして、守備で貢献したのがセカンドの菊池と捕手の小林で、どれだけサムライ・チームが救われたことか。華やかな姿には見えなくとも、これらの二人の貢献がなかったら、或いは負けていた試合もあった。

      さあ、これでいよいよアメリカでの試合が始まる。決勝戦はドジャー球場で開始されるので、観戦に行こうと思っている。このドジャー球場は、寡って野茂がドジャースで投げていた時、私が野球中継解説を行っていたので、懐かしさを覚える。だが今回の観戦は、決勝まで勝ち進まないと適わない条件にある。是非ともロサンジェルスに来て欲しい・・・。

  • 驚愕した。この数字に驚かされた。その事実を知らなかった自分の無知さにも驚いた。6年前に起きた「東北地震」のことである。6年という歳月がかなりの復興に尽力していると思っていた。ところが、被災3県の仮設住宅に、末だに3万4000人の被災者が暮らしているとのことである。岩手県1万383人、宮城県1万1616人、福島県1万1855人が、6年経過した今でも仮設住宅で暮らしているとのことである。知らなかった・・・。

      死者・行方不明者を合わせて約1万9千もの尊い命を奪った「東北大震災」は、着実に復興が進み、仮設住宅に住んでいる人も少なくなっていると思っていた。ところが、未だに3万を超える被災者が不便を囲っているとは知らなかった。一気に復興が進むとは思っていないが、6年経過した現時点では、仮設住宅に住んでいる人も数千単位だと思っていた。

      小池知事が、県を超えて東北を五輪で応援しようという意図が如実に理解できる。「復興五輪」を謳いながらも、東京都内での開催に拘る森元首相の権力争いの姑息さが見苦しい。五輪招致競争で、「復興五輪」を唱えて成功した途端見向きもしなくなった「バカモノ森」の姑息さに辟易する。ボート競技ぐらい、被災地宮城県でやらせてあげたい。それが被災地の皆さんの活力になるのを「バカ森」は知らないのだろうか。

      何れにしても、被災地の皆さんには自力で前に進むことを願いたい。6年も経過し、未だにこれだけの被災者が不便を囲っているのを知っている政府関係者の怠慢には怒りすら覚える。本当は五輪などやっている場合ではなかろう。それだけのお金を復興につぎ込めば、一瞬に解決できるのであろうが、何が日本人をオカシクさせているのだろうか・・・。

  • 日本のニューズを観ていて、ちょっと感激したことがあった。「高須クリニック」の高須医院長が、国立大阪大学の相撲部に土俵を寄贈したという話である。この大学の相撲部には土俵が無く、コンクリートの上に即席土俵を造って稽古をしていたが、倒れ込んだ時に頭などを打ち、救急搬送されることがあったらしい。

      それまで、相撲部のキャプテンは学校当局や大阪府の教育当局に打診していたらしいが、中々埒が明かず、「一か八か」で、高須クリニックの医院長に泣きついたらしい。この医院長は、昨年のリオ五輪サッカー競技で、飛行機代が払えず空港に足止めを喰らっていたナイジェリア(?)の選手団に、ポケットマネーで支払ってやった御仁である。このことを想い出したのだろうか、兎に角、「当たって砕けろ精神」で手紙を出したらしい。
      
      現在の日本は、「豊洲問題」や「森友学園問題」などで、日本人の矜持とした精神が失われている。外国人が日本人を一番尊敬するのは、日本人の「矜持」とした精神にある。この高須医院長は偉かった。この相撲部のキャプテンの神頼みに、一つ返事でOKしたらしい。この整形病院も大儲けしただろうが、ちゃんと社会に還元することを知っている。この精神があるからこそ、ビジネスも上手く行っているのだろう。売名行為と言う人も居るだろうが、医院の宣伝費と思えば安いものである。

      そして、土俵開きが行われ、大阪出身の大相撲「勢関」も参列していた。土俵造りは大相撲の土俵を造っている呼び出しなどか協力した。また、相撲の基本となる「テッポウ」のため、阪大出身のOBが大木一本を寄贈したとのことであった。久々に聴く胸の透くようなニューズに嬉しくなった。高須医院長の晴れ晴れしい顔と、相撲部員の嬉しそうな顔に拍手を送った。晩節を汚す政治家たち(石原・舛添)と違って、本当の社会貢献をしている。きっと神も祝福していることだろう・・・。

  • 日本で、初めての男女の高速マラソンが見られた。日曜日に行われた「東京マラソン」のことである。小池知事の号砲で、国内外の招待選手を含む有力選手が一斉に飛び出した。今年からコースが変更された。その理由は、東京オリンピックを見据え、世界と比較しても好記録が出そうなコースに変更したとのことである。

      一番の注目は、招待選手でケニアのケプサング選手である。これまで2時間3分台を3度も出しており、この大会2時間2分57秒の世界最高を狙うと語っていた。日本のマラソンは、瀬古や宗兄弟時代以後世界から大きく離されており、アフリカ勢が台頭してからは更に大きく離された。それを少しづつ変えているのは、箱根駅伝で連覇を果たした青学大の原監督である。これまで大学生は、箱根駅伝を初め大学駅伝に勝つことを目標にして来た。ひと昔は、駅伝はマラソンの練習過程という観念であった。それを、原監督は大学生にも出場させており、何時かこの努力が実ることだろう。

       今大会の結果は、ケプサングと同じケニアのチュバが中盤までは世界記録ペースを上回っていた。30キロを過ぎてスパートしたケプサングだったが、結局世界最高には及ばない2時間3分58秒で、日本国内最高記録を出した。日本選手の最高は8位に井上大仁が入り、ロンドンで行われる世界選手権に名乗り出た。女子もケニアのチェプチルチルが日本国内最高記録の2時間19分47秒で高速走法を見せてくれた。東京オリンピックまで後3年。もう時間が無い。ここらで世界の10傑に入らないと五輪での入賞も覚束ないだろう・・・。

  • 今日2月19日は、アメリカに住む日本人・日系人には忘れられない日です。それは、75年前の今日、当時のアメリカ大統領フランクリン・ルーズベルトが大統領令9066を発令し、日本人・日系人を敵国人として、強制収容所に隔離する命令を下したのでした。

      この時代、日本人はアメリカ人から「差別・排斥」を受けており、強制収容所に隔離される前の集合所としてサンタアニタの厩舎に閉じ込められ、馬用に使うワラの上に寝泊まりさせられました。詰まり、「日本人は馬と同類以下」として取り扱われたのです。この様な歴史があったことは、日本の若者たちは知らない時代になったことでしょうが・・・。

      亦、1924年には「排日移民法」が発令され、日本からの移民が禁止され渡米も厳しくなりました。この時代は、日本国自体が貧困を余儀なくされており、移民が必定でした。1912年には当時の東京市長の尾崎行雄がワシントン市に桜の苗を贈り、融和を図るという行動を起こしました。今やそれがワシント市で春先に咲き乱れています。

      現アメリカ大統領のトランプが、イスラミック7か国からの入国を禁止しましたが、それより遥か以前に、日本人はアメリカへの移民あるいは入国を禁止されていたのです。この戦前の歴史と、「東京裁判」での日系二世軍人たちの役割を、私は「天皇を救った男」という本の中で描きました。二度と繰り返してはならない歴史が、今また繰り返し行われています・・・。

  • 昨日、安倍首相が飛来し、トランプ大統領との間で就任後の初会談が持たれた。どのような会話が行われたのか、まだその内容は伝わって来ないが、有為的に行われたのではないかと憶測したのは、その後の記者会見で感じられた。トランプ大統領も日米安全保障のことを強調し、懸案事項のことには強力に触れなかった。そして、珍しく穏やかな語り口だった。だからと言って、安倍首相に歩み寄った訳ではなかろう。

      個人的には、トランプの行政を批判している方である。何故なら、アラビックからの級友が再入国を差し止めされたからである。しかし、トランプが躍起となっている国内の雇用問題などは、日本のコメンテーターが勝手に批判しているようなものではない。ある意味では危機に瀕しているのである。例えば、アメリカのホームレスを見れば良く判る。ホームレスは、殆どが白人系のアメリカ人である。ホームレスに、ラテン系・アジア系・イスラム系はいない。何故なら、彼らは生きて行くためにどんな仕事でも受け入れるからである。 

      ところが、白人はそうではない。アメリカは自分の国であり、生まれた時からホームレスをしていた訳ではない。寡ってはちゃんとした生業に就いていた者が殆どで、それが失業やレイオフに因って社会から弾き出されたのである。特に、自動車産業・鉄鋼業は悲惨な目にあった。これがある意味ではアメリカの癌となった。トランプはこれを取り戻そうとしているのである。しかし、やりかたが不味い。余りにも性急過ぎる。時間を掛けて徐々にやって行くのであれば、立派な政策とみなされるのであろうが、現在は反対のリアクションを受けている。移民問題にしても、テロ犯罪者を国内に入れないことが一番良いのである。これまでの曖昧なチェックにより、イスラミックのテロ犯罪者が9.11の大テロ事件を起こした。

      政治の経験が無いと揶揄されている大統領は焦っている。それを打ち消そうと、大統領の権力を無駄に行使している。徐々に、アメリカ国民に理解して貰えるように行えば、これまでの大統領以上に評価されるであろう。ビジネスで大成功した人物だけに、そこに気づいて欲しいと願う。今頃は、安倍首相とフロリダでゴルフをしているであろう・・・。

  • あと一転がりが手前で止まってしまい、その後に苦しんだ男が居た。フェニックス・オープン・ゴルフのことである。首位と4打差になった最終日、松山は5アンダーと猛チャージし、17アンダーでトップに立った。しかし、松山より猛チャージしたゴルファーがいた。この日7アンダーを記録し、松山に並んだのがシンプソンであった。

      17番と18番を残しトップにいた松山は、どっちかのホールでバーディを取れば2連覇達成と、ある程度楽観視していた。ところが、17番で5メートルのパットを右に外しパーで終わった。そして18番、今度は7メートルのパットが、何とカップの手前で止まってしまった。幾らラインに乗っていても、届かないのではカップインしない。結局、17アンダーでプレイオフに行かざるを得なくなった。

      プレイオフになると、16番・17番・18番をバーディで上がったシンプソンに分がある。松山は何度かピンチを迎えたが、何とか粘って、プレイオフ18番を2度切り抜け、10番でもお互いパーで引き分けた。そして17番をバーヂィで上がり、遂に決着を付けた。命からがらのデフェンスであったが、2連覇は大変な業績である。また、これまで丸山が3勝していたが、それも抜いての4勝となった。松山のゴルフは淡々とプレイするところに良さがある。この優勝で、今年のマスターズは楽しみとなった。反面、心配なのが石川遼である。この大会も予選落ちとなった。メンタル的に、プレッシャーを感じ過ぎているのではないのか・・・。

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