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投稿コメント一覧 (6068コメント)

  • >>No. 13182

    カッサバ菩薩はブッダに申し上げた。

    『世尊、いま妙寂の光は人々の心にさとりを求めようという気持ちが●なくても、彼らの毛孔に光が●入り込み、さとりを求めようという気持ちを起こさせると説かれましたが、そのお考えには納得できません。なぜかといいますと、彼らの多くには四つの規則破りの者(四重禁)がおり、五つの大罪(五逆罪)を犯した者がおり、そして極悪人の一闡提もおります。世尊の説で考えますと、光明が毛孔から入り、さとりの原因になるといわれるのでしたら、これらの●悪人どもと、正しく規則を守り、さまざまな善行を修めている人たちの間にはどのような違いがあるのでしょう。両者の間に違いがなければ、ブッダは先に四つの頼りとすべき聖者の意義をお説きになったのはなぜですか。
    ブッダは「この妙寂の教えを●一度でも聞いたら、あらゆる煩悩が消え去る」と説かれましたが、では、先に「ある人がガンジス河の沙の数に等しいほどの数のブッダに就いていてさとりを求めようという心をいくども起こしたが、ついに彼はこの妙寂の教えを聞いてもその意味が理解できなかった」と説かれたことはどういうことでしょう。このことが納得いかないと、私のすべての悩みは消えません』

    不思議な教え妙法の信心 煩悩即菩提

    南無妙法蓮華経」

  • >>No. 13166


    >>これで小乗大乗の統一ができるかもしれません。

    統一というのはナンセンスだが、心配ご無用!
    戦後あちらこちらで、仏教内部での和合が協調されるのようなり、宗派を横断する仏教会が作られ
    「世界佛教会」に及んでいる。そこで、各論しかない仏教に、総論を作ろうということになり、
    そこで、最大公約数という形で「通仏教」というものを立てた。『ダンマパダ』(『法句経』)163偈
    の「七仏通戒偈」である。

    諸悪莫作  諸々の悪を作すことなかれ
    衆善奉行  衆くの善を奉行せよ
    自浄其意  自ら其の意を浄むる
    是諸仏教  是れ諸仏の教え

    ありとある悪をば なさず 善なる をおこない そなえ
    みずからのこころを 浄む これぞ実に 諸々の仏の教え

    南伝仏教と大乗仏教は仰るように世界平和、貧困などの南北問題、核兵器廃絶など世界宗教に共通する事案は一緒に行動しています。 日本仏教会も浄土宗の芝増上寺に本部を置いている。 さほど心配はないでしょうね。

    ●通仏教(七仏通戒偈)――戒定慧●

    とあるが、禅定は信仰の対象であり、智慧は信仰の主体であり、戒律は信仰の道場ですが、下記の仏教の学ばなければならないとする三学から外れた他力信仰に戒定慧の三学はあるのでしょうか?


    『およそ仏教多しといえども、詮ずるところ戒定慧の三学をばすぎず。
     いわゆる小乗の戒定慧、大乗の戒定慧、顕教の戒定慧、密教の戒定慧
     なり。しかるにわが身は戒行において一戒もたもたず。禅定において
     一をもこれを得ず。智慧において断惑証果の正智を得ず。』  

    命に合掌

  • >>No. 1111

    >いや、自我苦から救済を求めたのだ。
    正当な宗教だ。

    瞑想して「無我、無我」と自我の超越の修行していたわけだ。
    本質的には愚教と同じだな。笑 <

    愚か教と同じならば仏教から外れた外道です。  

    自己が自分の主である。-故に、自分をととのえよ。『ダンマパダ』

    南無妙法蓮華経

  • >>No. 1130

    なぜ生きるのか?

    そう思った方は、愛と勇気のヒーローアンパンとして働く喜びを得る。

    そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
    たとえ胸の傷が痛んでも

    何の為に生まれて 何をして生きるのか
    答えられないなんて そんなのは嫌だ!
    今を生きることで 熱いこころ燃える
    だから君は行くんだ微笑んで。

    そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
    たとえ胸の傷が痛んでも。

    嗚呼アンパンマン優しい君は
    行け!皆の夢守る為

    何が君の幸せ 何をして喜ぶ
    解らないまま終わる そんなのは嫌だ!

    忘れないで夢を 零さないで涙
    だから君は飛ぶんだ何処までも

    そうだ!恐れないでみんなの為に
    愛と勇気だけが友達さ

    嗚呼アンパンマン優しい君は
    行け!皆の夢守る為

    時は早く過ぎる 光る星は消える
    だから君は行くんだ微笑んで

    そうだ!嬉しいんだ生きる喜び
    たとえどんな敵が相手でも

    嗚呼アンパンマン優しい君は
    行け!皆の夢守る為


    皆の夢守るため、時は早く過ぎる 光る星は消える、諸行無常。 大切な生かされている大事な短い人生今を大切に

    命に合掌

  • >>No. 1089

    >だから、わたしは無我・自我無しを執拗にレスした。

    「我有り」と考える不当な思惟の根本を制止し、内に存するすべての妄執を制するために、常に心して学べ。 スッタニパーダ <

    上記で言われている我有りは自己中心的な我塊としないと、仏陀の教えは理解できなくなる。


    ● 自らを灯火として 自らをよりどころとせよ
      他を頼りとしてはならない

       法を灯火とし、よりどころとせよ  
      他の教えをよりどころとしてはならない。


     アンパンマンの歌

      「 何のために生まれて 何をして生きるのか
         答えられないなんてそんなのはいやだ 」

    真理を素直に探究そして実践すれば、何のために生じてきたかはわかる。

    命に合掌

  • >>No. 1093

    ≫鬼光は無我の悟りが無理なのはわかってる。

    おじゃまします。

    デロリンさん諸法無我というのは、自己が無いという事ではありません。 いくら坐禅で無我の境地に至っても、それは我が無いという事ではない。 何かに熱中している時とか、寝ている時には我を人は自覚しないだけの話でしょう。

    デロリンさんも私も全ての人も、大宇宙のすべてのものごとはつながりあって、互いに助け合いながら調和し、存在しています。 大自然の恵み動植物、過去の人たちの技術を含め、デロリンさんも私も誰もが一つに繋がっている。

    すべては縁によって今、ここに生起しているのであって、独立した存在(我)の我というものはない。空気や水が無ければ生命はいじできない、地球資源が無ければ生活は営めない、動植物のお陰で命がつながっている。 多くの人のお陰で自分が身に付けている洋服も着られる。エジソンがいたから、私達は電球の技術が在ったから、その恩恵を受けている。 動植物の油の石油を掘る人、米や野菜を作る人、 タンカーで運ぶ人、電気を守る人、両親がいたから、私は生起している。 両親にもそれぞれ、両親がいる。 

    ●人も周りのありとあらゆる人やものごとによって生かされ、そして自身もまわりを生かしている、かけがえのない存在だという事を理解してください。 それを、もちつもたれつの関係に気づかず、わがままな自己中心の行動をすると全体の調和の網がもつれ、破れ、争いが起きる。それを仏教は戒めるのです。

    命に合掌

  • 皆さんお茶が入りました。  信仰は楽しい。

    多分第三者的に現在のスレを見ている方は、つまらない事でもめていて微笑ましく思う人もいるでしょう。 そこに現実のドラマを見る事ができるのかも知れません。そういう意味では役に立っている。  仏教を語る人は、完璧にはなかなかできないかも知れないが、まず自身の心の中の仏を見つめられない事から、こうしてもめてしまう事が原因と思われる。

    ●地獄も仏も心の内●

     そもそも地獄と仏とはいづれの所に候うぞとたずね候えば、或は地の下と申す経もあり、或は西方等と申す経も候う。
    しかれども委細にたずね候えば、我等が五尺の身の内に候うとみえて候う。
    さもや、おぼえ候う事は、我等が心の内に父をあなづり、母をおろかにする人は、地獄その人の心の内に候う。


    全ては自己の心の働き。

    ***自身の心を省みる******


    自らの生き方を振り返った時、自分の心の中に地獄がある事に気づくのが信仰の原点。  その時に同時に御仏にに生かされている自分が見えてくるのが、信仰の歓び。まずは己を謙虚に省みる。


    命に合掌

  • >>No. 12696

    >身口意即ち、八正道ぐらい娑婆世界で実践したら。 でないと往生も難しい。 他力ですべて救われるなんて教えは人教 ♪ー
    ーー
    おまえも  タコよのー  あの さんたこ なのか ?

    方便ーーーで 導くーー  <


    能書きはいいから、どこから他力で阿弥陀浄土に往生できるなんて教えは 人の自分勝手な教えだろ。
    浄土経典からの文証が無ければ、涅槃経に違背する人教だ。 示してごらん?

    カズマさんが、法然の阿弥陀浄土への思いが分からないから、つまらない事をミチオに説明しなければならなくなる。 自分が称名念仏したければ、おとなしく実践していればよい事で法華経に口をはさむからミチオに説明する羽目になる。

    だから浄土経や大日経は法華経に入らしめるために手立て、方便として説かれた経だと言っているのよ。
    これが法華一仏乗に入らしめるための教え。

    方便経とて、嘘とは違うのだから、経典通り修行するべきと言っているのよ。 阿弥陀の前身法蔵菩薩は法華経の話を聞いて自分も仏に成りたいと請願をたて、西方にいって、修業し弥陀になった。 十劫という長い間だが、無始無終の法華経の久遠実成教主釈迦牟尼如来とは本仏と分身諸仏の違いだよ。

    南無妙法蓮華経

  • >>No. 12689

    ≫法然親鸞さまが つくられたのではないだろ

    書いてあるーーー  紐解けばーーーーーー

    ほんと それこそ 人に惑わされた 間抜け <



    ははは、法華経に入らしめるための手立てとしての方便経をどうしても捨てられないのなら、無量寿経に書かれている通り、身口意即ち、八正道ぐらい娑婆世界で実践したら。 でないと往生も難しい。 他力ですべて救われるなんて教えは人教 ♪

    仏のたまはく、「なんぢいまの諸天・人民、および後世の人、仏の経語を得て、まさにつらつらこれを思ひて、よくそのなかにおいて心を端しくして行ひを正しくすべし。 主上善をなして、その下を率化してうたたあひ勅令し、おのおのみづから端しく守り、聖〔者〕を尊び、善〔人〕を敬ひ、仁慈博愛にして、仏語の教誨あへて虧負することなかれ。まさに度世を求めて生死衆悪の本を抜断すべし。まさに三塗の無量の憂畏苦痛の道を離るべし。なんぢらここにおいて広く徳本を植ゑて、恩を布き恵を施して、道禁を犯すことなかれ。忍辱・精進・一心・智慧をもつてうたたあひ教化し、徳をなし善を立てよ。心を正しくし、意を正しくして、斎戒清浄なること一日一夜すれば、無量寿国にありて善をなすこと百歳せんに勝れたり。ゆゑはいかん。かの仏国土は無為自然にして、みな衆善を積んで毛髪の悪もなければなり。ここにして善を修すること十日十夜すれば、他方の諸仏国土にして善をなすこと千歳するに勝れたり。ゆゑはいかん。

    ★一日一夜すれば、無量寿国にありて善をなすこと百歳せんに勝れたり 
     
    この娑婆世界で修行し救われなければ、あの世でも暗闇  穢土と言われるほど厳しい世界だから、修業になる。
    逃げても暗闇の世界。

    南無妙法蓮華経

  • >>No. 12683

    >それが 最後に おときになられた  大乗涅槃経ーー  ここなのよーーー

    涅槃経でも法華経に続いて仏陀の常住が示されているのは知っているよね。

    【法に依って人に依らざれ 】
    【義に依って語に依らざれ】 
    【智に依って識に依らざれ】  
    【了義経に依って不了義  経に依らざれ】
    これが「法四依」について御教示です。

     法に依って人に依らざれ(依法不依人)とは、修行する人は、教そのものを依りどころとして、教を説く人に依ってはならない。  (法然は曇鸞などの人の他力の教えを継承してしまっている)

     義に依って語に依らざれ(依義不依語)とは、教の意義(元意)に従い、表現の文章に依ってはならない。

     智に依って識に依らざれ(依智不依識)とは、真の智慧に依って、凡人の情識(仏法を知らない識者)に依ってはならない。

     了義経に依って不了義経に依らざれ(依了義経不依不了義経)とは、中道実相の義を説いた了義経に依って、そうでない不了義経に依ってはならない。  方便的に説かれた不了義経の浄土教ではなく中道実相の義を説いた了義経である、釈尊一代聖教である法華経を根幹としないとね。  

    涅槃経は法華経に入れなかった増上慢の僧たちを救うために誰にでも仏性が有る事を説かれた。 

    南無妙法蓮華経

  • >>No. 12564

    悟れないとはいってはいないが、法然も親鸞自身も悟れなかった。 他力称名念仏が問題なのは法然は選択集に浄土三部経を除いて、それ以外の釈尊一代聖教である法華経など大小一切の経を「捨閉閣抛(しゃへいかくほう)」等としたことです。 ようするに、無量寿経の18願に有る、五逆の者と正法違背のものを除くを曲解してしまった。 法然によって、智慧の無い庶民の手にも仏教が一部伝わったが、念仏称名他力信仰はこの娑婆世界は穢土だから、修業をしても救われない、 死後に阿弥陀様が浄土に連れて行ってくれるとし、今でも死んだら阿弥陀の国に往生してから修行をすると浄土宗ではいう。 こうした人の勝手な考えに日蓮は念仏は阿鼻地獄とした。 

    日蓮以前でも題目は平安時代からこの国でも自行として唱えられている。 日蓮より400年も前の最澄さん。600年以上前の天台大師は「一切経の惣要一万反」(修善寺相伝私注、伝全三ー六六七)ということで一日一万遍のお題目を唱えたということが言われております。 何が違うのか、天台大師、や最澄さんが唱えた題目は自行の題目です。 日蓮聖人が教える題目は自分だけの自行だけでなく、常不軽菩薩行である化他に渡る題目です。

    宗祖の『開目抄』からは、「南無妙法蓮華経」というのはインドの言葉で「薩達磨分陀利伽蘇多攬(さだるまふんだりきゃそたらん)」(全二〇九)ということが説かれています。ようするに釈尊自身が泥沼に咲く白蓮華である法華経を説いて「薩達磨分陀利伽蘇多攬」という意味でのお題目を唱えているという解釈です。

    人には仏陀と同じように覚る心も具わっている、自身が仏陀と同じようにできるなら、サイの角のように出家し戒律をまもり、瞑想でも、坐禅でもして修行すればよい。  法華経は基本的には比丘、比丘尼、在家の男女でも差別はない。 道元は出家し、少しでも迷いの心が出たら、百万発菩提心の実践をされ、それでも法華経を師としてお釈迦様の家に身も心も投げ入れ、死ぬ間際に悟られた。

    南無妙法蓮華経

  • >>No. 12511

    ≫末法思想は浄土教のミチオの捏造です。

    根拠はあるのかな?笑  <

    末法思想は大集経に説かれている教えです。  気をつけて頂きたいのは、末法思想はキリスト教にやユダヤ教に有るような終末論的なものとは違います。 オームや幸福の科学など終末論を掲げて脅かしで勧誘というのは、仏教にはありません。

    仏の教えが正しく伝わらなくなり、多くの人たちが  鎌倉時代に多くの現在の宗派の先師が天台宗から出ましたが、当時の天台宗は、密教が入っていて、部派仏教でも説かれる無我を獲得する阿字観、止観という瞑想で悟る宗教でした。心を落ち着かせるため、坐禅をする人、念仏を唱える人題目を唱える人、さまざまでした、栄西、道元はお釈迦様の時代でも悪人はたくさんいたという事で、あまり末法という意識は少なかったかもしれません。 こうした悟る教えでは文字も読めない人々には難しく益がないとし、法然は易行でないとすくわれないとし、曇鸞の他力信仰を取り入れ在家の人たちに強く称名念仏を推奨した。 親鸞はそれに追随した。 日蓮も真筆ではないが、 末法に入れば、正法・像法には此の法門をひろめず、余経を失はじがためなり。今、末法に入りぬれば余経も法華経もせんなし。但南無妙法蓮華経なるべし かう申し出だして候もわたくしの計らひにはあらず。釈迦・多宝・十方の諸仏・地涌千界の御計らひなり ...と言われています。 こういう文章から、日蓮正宗や創価学会は法華経なんて去年の暦だ釈尊なんて脱仏だと誹謗してしまう。

    真筆を読めばわかるのですが、詮無しという法華経は当時の悟る法華経です。 日蓮自身がお釈迦様の仏弟子地涌の菩薩が法華経に書いてある通り、以信代慧という法華経を信じる事によって、智慧の無い末法の衆生が仏智を得ることができる。 お釈迦様の因行果徳の仏智が自然と具わってくるとし、法華経の題目を唱えなさいとされた。 日本という題名があれば、この二文字に日本の全てが具わっているという事です。 名は体を顕す。 日本という文字の中身は、島国,冨士山、忍者、相撲、天照、八幡、侍、芸者、切腹、エコノミックアニマル、経済大国***** すべて正解です。
    南無妙法蓮華経の中身は法華経そして権経、部派仏教、外道のキリスト教や儒教の教えも網羅する。

    南無妙法蓮華経

  • >>No. 12481

    >末法の世を望む人なんていない。

    と言われても、私達はまさに末法の世に生じてきてしまっている。 仏陀は全ての衆生を救うと言われた。
    当たり前だよね。 どんなに素晴らしい教であっても、諸法無常ですから、民族や風習によって、受け止め方が違う。  小乗教が良ければ、戒律を守り、自ら仏智である三明通を少しでも得てから、こういう場所で話すと良いでしょうね。

    末法というのは、仏の在世から遠く隔たったため、教法が次第に微細・瑣末になり、僧侶が戒律を修めず、争いばかりを起こして邪見がはびこり、釈迦の仏教がその効力をなくしてしまう時期とされる。

    三時の長さのとらえかたには諸説あり、一説には、正法 千年、像法千年、末法 一万年とされ[要出典]、多くはこの説をとっている。

    『大集経』[編集]

    三時または五箇の五百歳は『大集経』に説かれる。

    「大覚世尊、月蔵菩薩に対して未来の時を定め給えり。所謂我が滅度の後の五百歳の中には解脱堅固、次の五百年には禅定堅固已上一千年、次の五百年には読誦多聞堅固、次の五百年には多造塔寺堅固已上二千年、次の五百年には我が法の中に於て闘諍言訟して白法隠没せん」第一の五百歳 解脱堅固…インドにおいて伽葉・阿難等が小乗教を弘めた。
    第二の五百歳 禅定堅固…インドにおいて竜樹・天親等が大乗教を弘めた。
    第三の五百歳 読誦多聞堅固…仏教が東に流れて中国に渡り経典の翻訳や読誦、講説等が盛んに行われた。天台大師(智顗)が法華経を弘めた。
    第四の五百歳 多造塔寺堅固…仏教が東に流れて日本に渡り聖徳太子以来多くの寺塔が建てられた。伝教大師(最澄)が日本の仏教を統一し大乗戒壇を建てた。
    第五の五百歳 闘諍堅固・白法隠没…戦乱が激しくなり、釈迦の仏法が滅尽する。

    日本では『末法燈明記』[1]では1052年(永承7年)に末法に入ったとされた[2]。

    経典はあるが、釈迦の仏法が滅尽するときに、
    日蓮は、末法に生じて来るものに対して、一つの妙薬を隠しとどめた。 とするのが、良医の譬えで、もともとの仏の本弟子、如来遣が広めるというのが、法華経本門の観心の法門。  天台大師、伝教大師もわかってはいたが、広める事がなかった法門。   

    命に合掌

  • >>No. 12412


    >天のマンダーラヴァ華は虚空から降って来て、修行完成者に供養するために、修行完成者の体に
    >ふりかかり、降り注ぎ、散り注いだ。

    とございますが、法華経寿量品「自我偈」とは違うようですね。
    「自我偈」では、
    「雨曼陀羅華 散佛及大衆」――曼陀羅華を雨らして、仏及び大衆に散ず、となっております。

    ~~~~~~~~~

    違うと思われますか? 仏陀の時空を超えた悟りが弟子でも理解出来ない者が多い。「ブッダ最後の旅」 大パリニッバーナ経は曼荼羅華は虚空から修行完成者に降り注いだ。 虚空が本です。 

    時間や空間を超えた仏陀の悟りが理解できなかったのでしょうね。
    私(釈迦牟尼世尊)の境界から見ればそのありのままが浄土であり、安穏な世界であり、常に天人で満ちあふれ、美しい花園の中の御殿は、皆種々の宝をもって飾っていて、
    、衆生が楽しく遊ぶところである。天人たちは天の鼓を打っていろいろの音楽を奏し、
    美しい白蓮の華を雨のように降らせて、仏や大勢の人々の上にふりかける。このような私の浄土は壊れないのであるが、大勢の人びとは焼け尽きて、
    無明の人びとはその無明ゆえ悪業の因縁によって、
    無限に永い歳月を経ても三宝の名も聞くことがない。諸々の功徳を修して、心が柔和で素直な者は、
    私(お釈迦様)がいつでもこの世に居て、教えを説いていることがわかるのである


    >今、大西良慶『法華経(自我偈・観音経)講話』を読んでいますが、その辺りを「極楽を作って皆
    に喜んでもらう」と言っておられます

    極楽なんてあえて造らなくても、お釈迦様を恋慕する人には、お釈迦様と何時でもどこにあっても娑婆即寂光土です。 穢土というのも浄土というのも、自身の善悪の心による。

    南無妙法蓮華経

  • >>No. 12390

    さて、そのとき沙羅双樹が、時ならぬのに花が咲き、満開となった。それらの花は、修行完成者に供養するために、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、散り注いだ。また、天のマンダーラヴァ華は虚空から降って来て、修行完成者に供養するために、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、散り注いだ。天の栴檀(せんだん)の粉末は虚空から降って来て、修行完成者に供養するために、修行完成者の体にふりかかり、降り注ぎ、散り注いだ。天の楽器は、修行完成者に供養するために、虚空に奏でられた。天の合唱は、修行完成者に供養するために、虚空に起こった。

    虚空が本という事を知らないものは、生死に対して偏見をもつ。  大乗仏教は時空を超えた虚空の説法

    南無妙法蓮華経

  • >>No. 12301

    これを投稿したのは、出家し戒律を守れない花まつり氏が、悪魔をはき違えて、修羅道に走っている姿を伝える為に投稿した事です。  彼にも、広く大きな心という無量心を持ってほしいと。
    学者の教えで大乗は非仏説だと決めつけ、自分に反論するものはアラシと決めつけてしまう無明で物事が見えなくなる。 

    全ては自身の心の働きですから当然悪魔は自分自身に内在している心です。 ショーシャンクさんは仏法の無量を残念ですが、財富の無量と勘違いされていたようで仏教が言わんとする小欲知足にも批判的でした。 少しは分かっていただけたら、幸いです。

    人々を無上道に導くために仏陀は人それぞれに教えをされたのでしょう。真実を求める人の為に迷いの心を持たせないない為に一般社会と離れたところで出家し修行する必要がある事と自分の悟りを知らせる為に弟子たちを養成する必要があった。  考え方も違う人がいる中では、当然戒律も必要になり、多くの戒律が造られた。 悪の行為をさせない。 内在する自身の心を一人見つめなおす修行も大事だし。 無上道の道を求める仲間がサンガでしょう。
    ご存知だと思いますが、法華経に素直に入れる順縁が一番良いが、法華経を誹謗する人は阿鼻地獄と経典で示されているが、地獄に長い事苦しんでも、求め続ければ、いつかは法華経で救われる。  法華経でいちばんいけないのは無関心という事みたいですね。


    >サンコウテンシさんは、腐ったリンゴも排除せず、励まし、相手を変革させるような熱血教師像を釈尊に見てらっしゃるのかもしれませんが、釈尊は、美人であることを鼻にかけ言い寄ってきた女性には、冷たく拒絶なさってましたよね。
    相手の無明を見ていたのであって、釈尊自身の無明からそうなさったのではないでしょう。  <

    どんなに美人で化粧しても、いつまでも身体の若さは保てない、諸行無常は真理そのもの、ですから目先の見える事しか考えられないのが、凡夫なのでしょう。 釈尊は目覚めた人仏陀ですから、無量の広い大きな心で物事を見ていた。

    命に合掌

  • 自分が気に食わない者を悪魔退散といっても、悪魔は他者ではない事を仏法を求める者は知らなければならない。 ●悪魔は自身に内在する迷いの心です。●

    釈尊は、静かに菩提樹の下に坐っておられました。
    経典によれば瞑想中の釈尊の心の中を神秘的に語っています。
    釈尊の成道が近いことを知った魔王が、これを阻止するために様々な妨害をしたというのです。
    魔王はまず三人の魔女を使わし、その誘惑によって釈尊の心を乱そうとしました。釈尊の心が動じないことを見ると、今度は悪魔の軍勢を率いて、武力でもって釈尊の瞑想を妨げようとしました。
    しかし、悪魔の放った矢は釈尊に近づくと悉く花びらとなって落ち、石の雨、剣の雨も釈尊を傷つけることはできませんでした。 『悪魔よ、汝は敗れたり!』
    こうして釈尊は責めくる悪魔の誘惑を悉く滅ぼし、最後の瞑想に入られたのです。

    経典には釈尊の悪魔に対する詞として次のように記されています。
    『悪魔よ、汝の第一の軍勢は快楽である。第二は不平不満である。第三は飢えである。第四はむさぼり、第五は怠ける心、第六は恐怖心、第七は疑いである。第八は虚栄心、第九は名誉欲、第十は傲慢な心である。悪魔よ、これが汝の武器である』

    悪魔とは私たちの日常生活のあらゆる所に出没する「迷いの心」であります。
    釈尊もこうした迷いを克服することなくして『仏陀』にはなることはできなかったということです。

    誰もが上記の迷いの心を自身でコントロールできるようになれば、争いが少なくなる。

    命に合掌

  • >>No. 12130

    ミチオが親鸞を信じるのは勝手だが、他力信仰なるものは、元々曇鸞が言い大事出したことで、人教だよ。
    大経から離れられないのなら、大経に示されている通りこの娑婆世界で修業しなければ、阿弥陀には往けない。

    無量寿経下

    仏のたまはく、「なんぢいまの諸天・人民、および後世の人、仏の経語を得て、まさにつらつらこれを思ひて、よくそのなかにおいて心を端しくして行ひを正しくすべし。 主上善をなして、その下を率化してうたたあひ勅令し、おのおのみづから端しく守り、聖〔者〕を尊び、善〔人〕を敬ひ、仁慈博愛にして、仏語の教誨あへて虧負することなかれ。まさに度世を求めて生死衆悪の本を抜断すべし。まさに三塗の無量の憂畏苦痛の道を離るべし。なんぢらここにおいて広く徳本を植ゑて、恩を布き恵を施して、道禁を犯すことなかれ。忍辱・精進・一心・智慧をもつてうたたあひ教化し、徳をなし善を立てよ。心を正しくし、意を正しくして、斎戒清浄なること一日一夜すれば、無量寿国にありて善をなすこと百歳せんに勝れたり。ゆゑはいかん。かの仏国土は無為自然にして、みな衆善を積んで毛髪の悪もなければなり。ここにして善を修すること十日十夜すれば、他方の諸仏国土にして善をなすこと千歳するに勝れたり。ゆゑはいかん。


    ●ここにして善を修すること十日十夜すれば、他方の諸仏国土にして善をなすこと千歳するに勝れたり●

    この娑婆世界で心の汚れを取り修行する事こそ大事  極楽で千年修行するより、この娑婆世界で修業をしようよ。

    【衆生の心けがるれば土もけがれ心清ければ土も清しとて浄土と云ひ穢土と云うも土に二の隔なし只我等が心の善悪によると見えたり】

    お釈迦様の常住する娑婆世界は常寂光土です。 自身の心の在り方で穢土ともなり、浄土になる。

    【日蓮が慈悲曠大ならば、南無妙法蓮華経は万年の外未来までもながるべし。 日本国の一切衆生の盲目をひらける功徳あり。 無間地獄の道をふさぎぬ。 此功徳は伝教天台にも超え、竜樹・迦葉にもすぐれたり。 極楽百年の修行は穢土の一日の功に及ばず】

    命に合掌

  • >>No. 12087

    hanaさんが神仏を信じられないのは、わかりますが、アインシュタイン相対性理論によって、神仏の存在を肯定しています。  アインシュタインが来日した時に相対性理論が話題になり、宮沢賢治はそのような事なら法華経にしめされているとし、浄土真宗の教えを離れ、法華経の大信者になりました。


    ●私も賢治も美しい世界を信じている●

     賢治が私の「相対性理論」を知っていたことは間違いないだろう。「四次元」という言葉が彼の「農民芸術概論綱要」などに見出せる。ただし、この一語をもって、そう言うわけではない。彼の詩や童話、とりわけ「銀河鉄道の夜」の時間と空間が溶け合った記述に私はそれを感じるのだ。そして私は彼の書き物に、私の物理学というより、私の神への信仰を重ね合わせる。私の科学は私の信仰告白に他ならない。私がもし科学への貢献を成し得たのだとしたら、それは神は世界をきっとこう造ったであろうということを数学的に演繹したにすぎないのだから。同様に、賢治の詩と童話は彼の神、つまり仏は世界をこう造ったであろうという信念から出来ている。私も賢治も美しい世界を信じているのだ。

    南無妙法蓮華経

  • >>No. 12081

    ●万法は一つに帰す――キリスト教も法華に帰す●

    もちろん法華経は仏教以外の教も網羅するが、なんでもよいというのは、法華経を下げてしまう。
    法華経には末法には法を広める菩薩が決められている。 法華経でない経典を上にもちいて、法華経の一念三千は語る事無かれ。(笑う

    南無妙法蓮華経

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