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投稿コメント一覧 (4872コメント)

  • >>No. 10359

    >仏は解釈すればするほど形骸化します。
    わたしの自我はどうにもなりません、お手上げです、、
    仏の信心はここから始まるのです・・わかりませんかね 微笑

    自我は悪い事ではありません。自我の使い方が仏法では問われる。   自我を自己中心に使うと、他に対して差別心がおき、憎悪や嫉妬などの迷いが起きます。自我を自分だけでなく、他の為に自我をフルに使うよう努力する。それが菩道薩で、誰の身にみも内在する、仏様の因行、仏に成る第一歩につながる。 一日の行を反省する、菩薩道がしっかりできたとおもったら、自己を褒める。これは絶対に必要。 良い行為をしたのに、自己否定してはまずい。  まずかったと思われたらら、明日からしっかり出直せばよい。そうして生活するなかで、周囲の多くの人たちから信頼されるようになる。 自信過剰は困るが、をよく頑張った自己にご褒美を。

    南無妙法蓮華経

  • >>No. 10205

    >これまでずいぶんといろいろな人から指摘されてきても変わりませんよね?
    それでも言い続けたい、というのには、どこかに、さんこうさん自身のエゴもあるからなのではないか、とは感じませんか?

    彼が指摘されても変わらないのは、我が強いからでしょうね。 私は本師釈迦牟尼仏の釈子仏弟子として普段の生活の中で実践しているだけ。 全ての人は、皆お釈迦様の子です。  三悪道に落ちてほしくないから、指摘するのですが、 正法の流布で世界平和を流布している身でもあります。 仏道では十悪やさらに父母や仏に血を流す、五逆罪よりも、謗法の罪が一番重い罪です。 これをあなたは知らない。
    人が自分勝手に法を解釈しその師に従ってしまえば、オームの麻原を尊師として信じてあげくは知らず知らず悪魔の道を歩むことに成る。 

    南無妙法蓮華経

  • >>No. 10199


    >我が家にもにたようなできごとがありました
    こどもたちも独立して さて夫婦二人で毎日が日曜日(^^♪

    なんてところに 娘が孫二人つれて かえってきました  彼氏にがーるふれんどができたそうな

    娘もまごふたりもぼろぼろよれよれ 途方に暮れて それから4年がたちました

    娘や孫たちの顔を見ていると よかった!なんて思います   娘は今がいちばんいい!なんて言います

    僕ら夫婦にとっても こんかいのできごとは なかったよりも あった方がよかったなんておもえるようになった今日この頃です

    仏教のおしえは日々の生活のなかにこそいかされる   実感です  <


    娘さんやお孫さんの明るい顔が見られる。 家族です苦しみや悲しみは、分かち合い、うれしい時喜びの時は一緒に喜ぶ。 あの時、何とかならないかと、親なら心配するが、娘さんが思いきった判断ができたから、本来の家庭の幸せが得ることができた。 娘さんをどこまでも、信じて受け入れてあげられる、メゴチさんの奥様の母性愛の働きが大きいのでしょう。  よかったですね。   

    命に合掌

  • >>No. 10197

    >さんこうさんは、「カズ魔」という呼び名で和弘さんを呼ぶことに、心の痛みは感じませんか?

    仏法を自分勝手な解釈でないがしろにしてしまう人です。 魔の所業そのもの。

    もう少し、素直になってほしいと願ってあえて指摘しているのですがね。

    南無妙法蓮華経

  • >>No. 10191

    >会社で憎しみを爆発させてはいけません。
    家に帰って、ふとんに入り、枕を相手にみたてて、思いっきり殴るんです。
    回りにひとがいなければ、声をあげたほうがいいです。
    要点は、全身を憎悪にしてしまうことです。<

    他の人の前で憎しみ爆発させたら、喧嘩や殺し合いまで発展するかもしれませんね、

    人がいない場所であの野郎と言ったり、枕に八つ当たりしても、所詮は悪道の塊になって、清浄な心まで亡くし汚れる。坐禅実践者がこれでは情けない。

    憎悪、嫉妬、恐怖、不安、心配、欲望、は、中道に照らし合わせてのしっかりした自分の考え行動が身についていないから。

    自分と他と比較し、自分を正当化するから、出てくる感情。八正道の実践ができていない正見の見かたから勉強するべき。

    南無妙法蓮華経

  • >>No. 10174

    >『般若心経』を唱えないから「空」をまったく学んでいないためのあるのだろう。
    世俗諦と第一義諦の二諦の内、第一義諦が言語以前の無分別の地平であることを知らないから、
    世俗の言語という「虚妄分別」を信じて「根本無分別智」を無きものにしてしまう。<

    別に般若心経をを唱えなくて 中論くらい知っているよ。 第一義諦は、あらゆるものは空と考察する事が最勝真実の道理だろ、 返す言葉がないと、しっかり答えないで悪口で又逃げるの、恥ずかしいね。 ♪


    「一切の言説は仮名にして実無く、但だ妄念に随いて不可得なるを以ての故に、真如というは
    亦たあ相有ること無し。謂く言説の極、言に因りて言を遺るなり。」


    どうしたカズ魔君。真如という存在は言説だけでは理解できないよね。
    自分が如何にいい加減な解釈をしたかわかっているの? 

    南無妙法蓮華経

    (あらゆるものは空と考察する最勝真実の道理)

  • >>No. 10113

    めごちさんの言うように。

    >我をつかって我をなくす  
    >知をつかって知をなくす 
    >ことばをつかってことばをなくす

    です。不二中道といいます。

    *************
    不二中道という言葉は、知らない。仏陀の教えにあるの?」  相変わらずなんでも否定するのが好きだね、

    中道とは、差別の見方にも偏(かたよ)らず、平等の見方にも偏らない、両者を総合したとらえ方が本当の「正しい」見方やとらえ方と言われる。 

    しっかり、根拠ある投稿をしてね。 恥ずかしいねカズ魔君。

    南無妙法蓮華経

  • >>No. 10110

    >「一切の言説は仮名にして実無く、但だ妄念に随いて不可得なるを以ての故に、真如というは
    亦たあ相有ること無し。謂く言説の極、言に因りて言を遺るなり。」

    「ことばをつかってことばをなくす」というのが「言に因りて言を遺るなり」です。

    いちおう真如という言葉を使いますが、真如という特別な姿とか対象的に把握できるものが
    あるわけはない。それにもかかわらず、言説の極みに立って言葉に因って言葉を否定するため
    に真如という言葉がつかわれたのだと言っています。 <


    相変わらずカズ魔さんの飛躍しすぎだね。これはコトバでは真如という存在の真相は把握できないととらえるべき。
     経典の言葉は菩薩達の思いや考え方が文字になっている。 現在の私たちは文字によって当時の菩薩達の考えを知るのですね。
    言葉や文字があったから、こうして2000年前の菩薩達の考えかたも理解でき、益がある。 キリスト教ならば、聖書。 言葉や文字があったから、文化などが大きく発展した。 言葉の否定ではない。

    南無妙法蓮華経

  • 2018/02/15 12:26

    >>No. 29801

    すみません、

    新潟在住の とりさんと間違えたようです。

    週末に、おそばを、ごちそうしてくれるとのこと、  おそば目当てに、行く予定です。 3月末には少し長くゆく予定でいます。早いかもしれませんが、ポポーの苗木を数本植える予定です。 

    合掌

  • >>No. 10067

    >諸法無我と実体を否定する仏教は、この世界と別に特別に独自に実体としての神が
    あることを認めない。

    それはカズ魔さんの見解だよね。 無我ならば、なぜ無明から離れる修行するの、なぜ坐禅をするの ?  

    衆縁和合の我だから、実体としての我が確認できないという事だよね。 目に見えない霊的な神仏の働きや存在は、この世界に働いている。 

    南無妙法蓮華経

  • >>No. 29788

    >新潟の積雪と東京の快晴か。
    三国山脈め!  <

    角栄さんは本気で三国山脈をぶち壊す事を考えたのでしょうね。新幹線、関越道、 都会に住んでいても、心は限界集落の人に寄り添っていたい、雪国からでなくても、生活費が稼げるように、国会議員は考えないと駄目ですね。
    休耕田を太陽光発電所にかえれば、原発は無くなり、人々が安心した暮らしと、県民所得があがる。そうすれば、若い方も増え、少子化対策にもつながる。  NPO法人にして、土地の線引きの法律を緩和すればできること。  
    お嬢様がご病気とのこと、ご心配でしょうが、お元気になられるとよいですね。

    合掌

  • >>No. 10042

    > 煩悩妄想も生老病死等の苦も、全部不可分に結びついていて、
    一般に、生老病死等の苦の解決の為の出家という話になっているけれど、
    禅宗的には、・・・というか、私的には・・・そのことは承知の上でこういっても、特に違和感は感じないんですが・・・、特に禅宗的に話の焦点に直結させていく方向なんで・・・・観念的思想的議論で解決できる話ではないという側面もあるかな。

     信の宗教だと、とにかく、わからないことを信じるんだからそういう点にはナーバスになるのはわかるんですが・・・・。 <

    宗教は祈りです。 祈りのない宗教はないといってよいでしょうね。 禅宗的という事は、理解しますが、全ては無だ無だといわれても、答えがいくつもあるような禅問答で、あなたは苦の解決ができましたか?  仏法は眼に見える物より、眼に見えないものを大切にするのですよね。  現代科学が進んでいる現在、眼に見えないものを信じるのは難しい事もありますが、眼に見えなくても働きがある事は、現代科学でも、どんどん証明されてきている。   法華は信によって、智慧を頂く。
    仏から頂いた智慧を社会で実践活用し、全ての衆生が幸福な社会になるよう働く。

    184 人は信仰によって激流を渡り、精励によって海を渡る。勤勉によって苦しみを超え、智慧によって全く清らかとなる(スッタニパータ)

    『信』じる処法華経、『仰』ぐところ釈迦牟尼仏 が法華の信仰です。

    合掌

  • >>No. 10039

    >釈尊様がヒマラヤに入って難行苦行されること六年間・・・
    そのころはすでに抱いて居られた疑問も解決する段階だったのでしょうが、
    またここで疑問が生まれたのです。

    それは煩悩妄想から逃れるためとはいえこんな苦労を強いられるようでは、
    衆生に奨めるわけには行かないと思われた釈尊は、
    ヒマラヤから下山されて菩提樹の下で禅定に入られ、
    遂に真理を悟られて人生問題を解決されたのです。<


    ゴータマは示したように、ヒマラヤ山中には、入っていません。ガンジス河流域での修行で一緒に王宮を出た5人の従者もいました。

    もしかしたら、雲さんも水月さんも涅槃経の雪山童子の話と混同されていませんか?

    煩悩妄想から逃れる為ではなく、永久に説かれる事はないとされていた、生老病死等の苦の解決の為の出家ですよね。

    合掌

  • >>No. 10021

    >当時の世尊は 人間は何故煩悩妄想の為に苦しまなくてはならないのか?
    という疑問を起こされて、
    王子の位を捨てて雪深いヒマラヤの山中に入って行かれたのです。

    その話はどこからですか?  王子から一転して乞食になり、出家したのですよね。 勘違いされていませんか?

    彼は出家修行者(シュラマナ)の仲間に入り、その中の勝れた指導者に教えを仰ぎましました。
    それは、アーラーラ・カーラーマとウッダカ・ラーマプッタという二人の修行者でした。
    ガンジス河の北岸、ヴァイシャリーの近くにその二人の師は居て、弟子たちに、ヨーガの実習を指導し教えていました。
    菩薩はその弟子として修行し、やがて師と同じ境地にまで達すことができましました。
    人間の苦悩の根本を見極め、解決するという境地までは達しませんでした。
    さらに各地を経って修行しています。
    後年、彼が悟りをひらき仏陀となったとき、「アーラーラ・カーラーマであればこの境地に至り、真理を理解し得るであろう」と思ったといわれています。
    菩薩はなお修行の遍歴を続けられ、やがてラージャグリハの西南、ウルヴェーフ村のナイランジャナー(尼連禅河)のほとりに至り、ただ一人苦行に入るのです。
    それは厳しい断食行であり呼吸を抑制し、肉体を自ら苦しめることによって、精神の昂揚をはかり自由の境地を究めようとしたもので、死と紙一重に直面するほどの難行であったと伝えられています。
    なお、目的はついに達せられませんでした。
    菩薩は、ついに苦行は、解脱に到る道ではないことを悟られ、突如苦行を中止してしまうのです。
    「苦行六年、集形消痩して枯れ本の如くなるも未だ解脱を得ず。
    その道に非ざるを知り、当に食を受けて、然る後に成道すべし。」
    そして、ナイランジャナーに入り六年の汚垢(おこう)を洗い浄めましました。
    村娘スジャーターの捧げた、乳粥を食し成道に堪える体力を得ましました。
    河のほとりの一本の大樹、菩提樹の下に結跏趺坐(けっかふざ:仏教の座法の一つ。左右の足の甲を反対の足のももの上に交差し、足の裏が上を向くように組む座法。)して、大いなる解決に到達するのです。

    合掌

  • >>No. 9974

    >仏教聖典も読まず知らず

    聖書すらマトモに読まず

    知ったかぶりの異端外道

    だから論破されるだけ… <

    洗礼を受けている人だよね。 かわいそうだけれど、ちょっと読んだ限り論破されているのは、三Q君みたいだね。
    怒らないで、わからない事は判らないとし、間違っていたら、ゴメンチャ~イした方が、受け入れられるよ。
    たぶん君の教学で論破などという説明は難しいと思うが,頑張ってね。 ♪

    南無妙法蓮華経

  • >>No. 9965

    自称仏教徒の君が、神はいるかスレでバカにされているようだね。
    だから応援をして欲しいのか(笑う

    法華経はね、神を肯定しているのよ。 神の誓願によって、説かれた教え。 神を信じるキリスト教徒なら、それぐらいはわかるだろうね。  君の仏法が分かってもらえないのは、寂しいね。 ♪

    南無妙法蓮華経

  • >>No. 9962

    >イケメンモテ男という

    自称、キリスト教徒が

    神はいるかスレに居て

    何妙法蓮華経は嘘偽り

    悪魔教と断言している

    反論があるならイけ… <

    自称キリスト教徒なんだろ、自称仏教徒の君みたいなものだな ♪

    南無妙法蓮華経

  • >>No. 9950

    >しかし、大乗では、生きること自体が罪を犯す業がある(因縁生起)と認識に至ったのでしょう。

    生きていれば、直接的でないにしろ、自然や、動植物の生き物や、祖先を含め、多くの人たちの技術の恩恵で今の命を頂いているのです。 しらず知らず犯した罪もあるでしょう。
    からこそ、それ以上に、この娑婆世界では小欲知足で、自然や、動植物をふくめ、祖先や世界中の人たちの悲しみや苦しみにある人達の為に自身の命を捧げる。

    原発や戦争は、地球の為にもなりません。 人々の幸せにもつながりません。 原発がこの国からなくても、十分現在の技術で電力は賄えます。 休耕田を太陽光発電所に変える事を認めてあげれば、昔も今も出稼ぎが、多いがそのような事をしなくても、素晴らしい環境で、個人所得が上げる事ができる。
    角栄さんなら、越後と関東を遮る山をぶち壊せとなるが、今の時代なら、休耕田を太陽光発電所に変えるだけで、全体の国民所得が上がる。 お上に決めさせると,悪知恵が働くだけで、智慧が働かない。

    南無妙法蓮華経

  • >>No. 9948

    自身に内在する過去世からの善悪の業を背負ってきた、心の働きによるのでしょうね。
     どんなに坐してその時は、無我の境地になっても、娑婆の生活にもどれば、心がそのまま表れてくる。それが、自己中心的な欲望、それが現在の自分の心。
    むしろそのような心を捨て去るためには、自分自身を信じて仏の教えを実践していったほうが、悪行から離れられる。 

    経典からは自分の心を師としてはいけないとあります。 自分勝手に、無我だから何でも許されるなんて教えは有りません。 

    法灯明、自灯明 です。

  • >>No. 9937

    >自我を完全に消すのは可能だろうか?

    自身に内在する過去世からの善悪の業を背負ってきた、心の働きによるのでしょうね。
     どんなに坐してその時は、無我の境地になっても、娑婆の生活にもどれば、心がそのまま表れてくる。それが、自己中心的な欲望、それが現在の自分の心。
    むしろそのような心を捨て去るためには、自分自身を信じて仏の教えを実践していったほうが、悪行から離れられる。 

    『感興のことば』
    「生きとし生ける者どもは死ぬであろう。生命は終には死に至る。かれらは、つくった業の如何にしたがっておもむき(それぞれ)善と悪との報いを受けるであろう。」

    南無妙法蓮華経

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