ここから本文です

投稿コメント一覧 (2239コメント)

  • >>No. 15989

     よいこちゃん、こんにちは。

     ホテルは6泊も予約しておいたのに、土曜の夜だけはマトモに泊まって、今日月曜日の午前0時半にキャンセルをして電車で家に帰って来ました。

     予想外だったのですが、家に母が一人でポツンといると思うと可哀想で可哀想でたまらなくなってしまったのです。そうなると、本など読んでいても母が元気だった頃の思い出が次々と甦って来て、もう居ても立ってもいられなくなって、日曜の夕方に明日の朝キャンセルして帰ります、とフロントに伝えました。

     ところが夕べは8時頃に寝てもう3時間後の11時には目が覚めてしまって、ネットで終電車を調べたら午前1時台まであるので、急いで最後の帰り支度をして帰って来ました。今やっと荷物をカートから全部出して所定の位置に据え置くのが終わった所です。

     で、入院も歩いて5分の病院ですが夜は抜け出すわけにもいかないので、今朝さっそく入院予約をキャンセルする予定です。

     木曜日の夜に遠い親戚や親しくしていた近所の人やアパート関係の不動産屋などに母の死亡のお知らせハガキを送ったのですが、喪主は一応父なので、文面に「私も要介護で老人福祉施設におり、長男は病気療養中のため云々」
    と書いたのが功を奏したみたいで、土日は留守電にしても録音どころか着信すらありませんでした。インターフォンも誰も押していませんでした。

     しばらくは居留守を決め込んで、家で母と一緒にゆっくりと過ごすつもりです。こういうドタキャンは僕の得意技になってしまいました。

     そんなわけで、ご報告です。じゃあ、またね。さようなら。

  • >>No. 15987

     よいこちゃん、こんにちは。

     入院は今月の6日に空き待ちを申し込んで、それでもなかなか連絡がないから、おととい病院に行って尋ねてみたら 「まだ空かないんですよねえ」 ということでした。最初は相部屋でいいから、空き次第個室に移るってことにしてあるんだけれど、それでもまだなんだね。

     だからもう僕も限界に達したので、昨日から6連泊で立川のホテルに宿泊しています。ホテル内にはレストランが一軒あるだけでルームサービスはなし。しかも1300円なので、朝食は家に帰って食べることにしようと決めて、今朝始発の次の電車で家に帰って来ました。

     どうせ母の遺骨にお線香をあげたり、郵便物を取りに来たりで毎日帰宅する予定だったので、ちょうどいいです。やっぱりホテルは快適です。何がって、とにかく静かだし電話も来訪もないから安心して休んでいられます。中では新聞や本を読んだり、持ち込んだCDラジカセでラジオや音楽を聴いたり、静かに横になって休んでいたりしていますよ。

     よいこちゃんが腫瘍の手術で入院するときに送った、ポータブルDVDプレイヤーも持って行ってあります。

     ホテルにいるうちに母の香典返しや、四十九日の法要の時の引き出物をデパートであつらえて来ようと思っています。地域差があるみたいで、一般的には香典返しって四十九日を過ぎてからみたいだけれど、この辺では四十九日よりも前に送るのが慣例になっているんです。挨拶状も昨日刷り上がってポストに入っていたし、明日あたりあつらえようと思っていますよ。

     雪が降っているんだね。京都を超えるとすぐに日本海だから、やっぱり大阪はチラ雪でも降りやすいんだね。一番雪が降らないのが日本海から遠い東京かもしれないね。

     お父さんも三回忌をお迎えになるんですね。早いですよね。姉と相談して、母の一周忌は僕と姉だけでやることに今の所決めています。と言うのは、父の弟や妹も高齢で2人も葬式に来られなかったし、連れ合いもその介護があるから火葬場や壇払いには来なかったりで、もう皆さんにとって負担になるからです。母には妹が二人いますが、一人はちょっと遠いし最近体調を崩していると葬式の時に言っていたし、もう一人も母方の親戚が自分一人になると来づらいだろうと思うから、僕と姉、せいぜい姉の旦那と子供たちくらいで一周忌をすることになりそうです。三回忌となったら僕と姉の二人だろうね。

    >なんとなく生きてたら なんとなく時間が過ぎて行くなかで緩やかに暮らせたら エエな~♪ 

     うん、きっと今にそうなるよ。僕だって若い頃に比べたら鈍感になったり、母の死を乗り越えたり、段々と人生の関門をくぐり抜けて行っているような感覚があって、その度に楽になって行くような気がしているよ。もうお婆ちゃんの代との縁も切れたも同然だし、これからは穏やかに暮らせるんじゃないかと期待感があります。

     今日は昨日の夕刊と今朝の朝刊を読んで、早めに朝コンビニで買ったパンとおにぎりでお昼ご飯を食べたらホテルに帰るつもりです。今朝薬をまだ飲んでいないのでなんとなく不安感や憂鬱感が来たような気がします。早く飲まなくちゃ。

     じゃあ、またね。メールも電話もケータイに歓迎だからね。さようなら。

  • >>No. 6454

     かずさん、こんにちは。

     今日から隣駅から徒歩2分のホテルに休養のため連泊することになりました。

     近所の何十回と入院させてもらっている病院が満床で、空き待ちなんです。申し込んでもう10日経っているのにまだ空かないようです。おととい母が亡くなった通知ハガキを投函したので、さっそく昨日は2件ほど留守番電話に連絡がありましたが、無視しました。

     この土日で来訪する人もあり得るので、もう逃げるしかありません。ハガキには 「お焼香、香典、供物、供花などは長男が病気療養中のこともありご遠慮ください」 と形だけ喪主の父の名で書いてあるのですが、それでも田舎の人もいるのでやって来る人もいそうです。きっと 「失礼なハガキだ。こっちはずっと盆暮れの中元とお歳暮を欠かさなかったのに」 と思う人もいるでしょうが、もう代が違うのでどうでもいいです。向こうから絶縁してくれた方がむしろ僕には都合が良くてラッキーです。

     病院から入院出来ると連絡があったらそっちに移ります。ホテル滞在中も入院中も、一日に一回は郵便物や新聞を取りに、そして祭壇に遺影と共に据えてある母の遺骨にお焼香をするために家に帰ります。ホテル中はいくら外出しても自由ですから、シャッターを締め切ってメールのチェックやこの板に出るつもりです。

     携帯は当然肌身離さず持っているので、ショートメールでも何かあったら連絡していただいて結構です。小型のDVDプレイヤーがあるので、お風呂のDVDでもホテルや病院で観ようと思っています。多分お風呂屋さんにも行くと思います。

     それでは、また。

  • >>No. 15984

     よいこちゃん、こんにちは。

    >いつも いつも わざわざ連絡をくれてどうも ありがちょッ!

     ううん、僕の方こそ毎年本当にありがとうね。いつものように軽くメールで連絡しようとしたんだけれど、何だかヘンなエラーメッセージが出てどうしてもメールが送れないから、久しぶりに電話してみましたよ。

     車の中だったんだね。昨日は振り替え休日だったから運転は旦那さんだったのかな。よいこちゃんが運転だったらちょっとマズいタイミングだったね。出てくれてありがとう。

    >掲示板に登場する時に 「届いたよ~」って伝えてくれるだけで充分でしゅよ

     はい、次に何かを戴いたときにメールがエラーになっていたらこの板に書かせてもらうね。

    >うん、うん。無理せず 休養をとろうって気持ちで定期的に入院させてもらうのイイと思うよ

     ありがとう。僕もそうしようかな、と思っているんだ。今回は四十九日の法要までは母の遺骨が家の祭壇にまだ安置されているから、毎日お線香をあげに家まで来ようと思っているんだけれどね。歩いて5分の距離だから。姉も片道2時間弱かかるからそうそう来られないしね。

     入院中に隣駅のデパートに行って香典返しの発送の手続きをしたり、四十九日の法要のための引き出物をあつらえたり、やることがあるから死んだように横たわったままではいられないんだけれどね。でも、家にいると電話や来訪や食事の支度やらがあるから、入院していればそれだけでだいぶ楽になれると思うんだ。

     入院するときにはラジオとラジカセとヘッドフォンと軽く読める難しくない本などを持ち込んで、ゆっくりのんびりと過ごしたいです。昔はアルコールが止まらなくて何十回も累計で入院させてもらった病院なので、これからも年に数回は休ませてもらおうと思っているよ。

    >久しぶりにqqqさんの声を聞いたら なんだか懐かしいような、ず~っと昔から知っているような感覚で とっても不思議でちた

     うん、うん、僕もね、一度も会ったことがないし、顔すらごく最初の頃に一度だけ小さな若い頃のをメールで送ってもらっただけだけれど、声と昔からの友人のような話し方で、何だか中学あたりで同じクラスで仲が良かった同級生と話すような、そんな感覚でしたよ。懐かしいって言葉が確かにピッタリのような気がする。

     こちらこそ贈り物をありがとう。僕の家がこんな状態だから、人の優しい気遣いがとっても心に暖かく染み入る感じでした。

     今日は月に一度の市立病院の精神科の通院日です。帰りに地元の駅のすぐそばにある入院予定の病院に寄って、ベッドがまだ空かないか尋ねて来ます。

     じゃあ、またね。さようなら。

  •  かずさん、こんにちは。

     母の入院以来、精神的に相当疲れ続けていましたが、姉の多大な協力もあって何とか一日葬ですが終わって、会葬者の名簿やお香典に応じた香典返しのリストもエクセルで作って、確定申告書もあとは郵送するだけに集中して終わらせて、今日あたりからかなりホッと肩の荷を下ろしたような気分になりました。

     母に会いに行くと僕のことが分かるようなので、少しでも頻繁に行かなくちゃ、でも衰弱して言葉も発せない母と会うのはとても辛く、その葛藤でとても苦しかったです。いつ何時に病院から 「そろそろ危ないので来られる家族は来てください」 と連絡があるか分からないので、気が気でない落ち着かないここ数ヶ月でした。

     母は最期の最期まで僕や姉に負担をかけないでくれて、亡くなったのは昼間の午後2時台でした。夜中だと僕はいいとしても姉は2万円以上のタクシー代を使って来るようでした。

     今は遺影とお骨になって祭壇にいる母に向かってあれこれと語りかけている日々です。不思議と心で肉体はいなくなったけれど、母のお骨があるだけでも母と一緒に暮らしているような安心した喜ばしい気持ちになれます。四十九日の法要でお墓に納骨しても、うちの仏壇に戒名を書いた位牌が仏壇に据え置かれるので、それからも仏壇の前に座布団でも敷いてあれだこれだと母に語りかけようと思っています。

     今は東京の都心の方では葬儀に関しては 「何でもあり」 のようです。姉がそっちに暮らしているので色々と聞かされます。かずさんのお父さんが亡くなる頃には地方もだいぶ現代式になる家も増えて来るんじゃないかと思いますよ。

     かずさんが人からどう思われようと構わなければ、かずさんなりの簡素な葬儀にしてしまってもいいと思います。お母さんがいるとちょっとそう言う訳には行かないかもしれませんが、かずさんに子供がいて跡取り息子まで悪く思われるのは気の毒ですが、かずさんで家が終わるとしたらもう、近所や業界筋からどう思われようと知ったことではないって思えますよね。むしろ向こうからつき合いを絶ってくれた方が願ったり叶ったりではないでしょうか。

     僕もあれこれ色々と心配していましたが、その時が来れば何とかなります。そんなに不安に思う必要はないですよ。うちは畑も売れてお金も振り込まれたし、畑を潰して建てたアパート2棟も母の相続が済んだら父がボケないうちに売ってしまうつもりです。施設にいる父も僕の負担を考えて賛成してくれました。

     どんどん身軽になって、家の同じ敷地にある1棟だけで十分です。その物件は一括借り上げなので、確定申告も入居者ごとの明細など必要はなく、掃除や消火器点検や修繕などの費用は毎月の家賃の振り込みから相殺してくれるので、修繕費をいちいち帳簿に載せる必要もなく、今からそんな近い将来を楽しみにしています。

  • >>No. 15982

     今の文章に誤りがあったので訂正しますね。

    誤 「お母さんと妹さんにも僕からの俺を伝えておいてくださいね」
    正 「お母さんと妹さんにも僕からのお礼を伝えておいてくださいね」

     でした。

  • >>No. 15981

    よいこちゃん、こんにちは。

    >お花は σ(´▽`*)Yo♪とお母さん、妹と3人からでしゅ

     それは本当にどうもありがとうございます。お母さんと妹さんにも僕からの俺を伝えておいてくださいね。とっても有難く感謝していますってね。

     もう葬儀屋さんへの支払いも済んで、あとは会葬に来てくれた人や、家にお焼香に来てくれた人や、お供物お供花などをいただいた方々の名簿を整理したりして、四十九日の法要の準備をしたりしています。

     ちょうど確定申告の時期に重なってしまいましたが、昨日何とか集中して全て作り終わりました。あとは郵便で2月16日を過ぎたら送るだけになり、肩の荷が下りましたよ。

     今週の末頃には近所のアルコールで何十回も入院した小さな総合病院に入院すると思います。インフルエンザが流行しているせいか病床が満室で、空いたら連絡をもらうことになっています。

     歩いて5分の病院なので、毎日郵便物や新聞を取りに、そしてまだ納骨していないで家にいる母にお線香をあげるために家には帰って来ます。その時にパソコンのメールチェックやこの掲示板への返信もしたいと思っています。香典返しの発送のためにデパートに行ったり、四十九日の法要の際の引き出物も一緒に頼んで来るつもりです。

     長ければ一ヶ月くらい病院で休んでいたいです。四十九日の法要の日は外出許可をもらってね。病院では休みながら軽い本を読んだり、ラジオを聴いたり、音楽を持ち込んで聴いたりして過ごすつもりです。三度の食事が出るし、あちこちからの電話も遮断出来るし、来訪も出なくて済むし、入院してゆっくりと疲れた心身を癒したいです。

    >これからは 辛い時や寂しい時は お母さんの遺影に イッパイ!話し掛けてや

     うん、今でもまるで母と一緒に住んでいるみたいにイッパイ話しかけています。朝は 「お母さんおはよう。今コップの水を取り替えてお花に霧吹きでお水をあげるからね」 と言いながらお焼香をして、昼間も出掛けるときは「お母さん、ちょっとコンビニまで行って来るね」 帰って来たら 「ただいま。お昼のパンとおにぎりを買ってきたんだ。途中で神社の方から猫ちゃんの鳴き声がしていたよ」 「お母さん、今日やっと確定申告が出来上がったよ。ああ、これで楽になった」 「お母さん、今日はやることがイッパイあって疲れちゃったよ。これからお風呂に入って、ちょっと休んで、もう7時頃に寝ちゃうわ」 とかいちいち挙げたらキリがないくらい話しかけています。

     なんでも、亡くなった人に向かって愚痴とか悲しいとかをあんまり言うと、この世にいてあげなくちゃと思うのか成仏出来ないってことを聞いたことがあるから、母を心配させるようなことは極力言わないようにしています。その代り、「本当にお母さんには感謝してるよ。僕に家では一切の介護をさせないで本当に子供孝行のいいお母さんだったよ」 などと話し掛けています。

     連休明けには母の死亡の記載のある戸籍や住民票を揃えて、出来れば入院前に年金の手続きを終わらせたいです。書類はもう年金事務所からもらってあって、郵送でも構わないと言われているので良かったです。

     じゃあ、またね。さようなら。

  • >>No. 15979

     よいこちゃん、こんにちは。

    >東京は雪が残ってたのかな?

     うん、葬儀の前日のお昼頃から雪が降り始めて、翌朝も雪の中を傘を差して葬儀場まで向かいました。でも大雪ではなかったので、軽く雪掻きをする程度でした。父は天気が良ければ施設から車椅子で僕が連れて行く予定でしたが、天気予報で雪になりそうだったので何日か前に 「雪が降るし、寒いし、行かない方がいいよ」 ということに納得してくれました。

    >治療も胃瘻もなく そこまでがんばってくれた事に 本当に感謝せなアカンよ

     はい、僕も母には本当に感謝しています。家では介護をさせることもなく、入院してからも 「家に帰りたいよ帰りたいよ」 と僕や姉を困らせることもなく、「死ぬのかな、このまま死ぬのかな」 と弱音や泣き言を発するわけでもなく、最後の一ヶ月くらいは軽くうなずくことも出来ないで無反応だったけれど、会いに行くと僕が来たと分かるようで、こっちの言うこともちゃんと分かってくれている様子でした。

     ドラマにあるようなお別れの最期の言葉も、死ぬ間際に手を握り返すこともなかったけれど、かえってその方が僕には良かったです。最後の方は言葉もまだしゃべれない生まれたてのオムツをした赤ちゃんを見るようで、母が可愛くさえ思えましたよ。

     他人の年寄りだったらあの状態だったらハッキリ言うと気味が悪いと思うけど、母だと思うとこれっぽっちもそうは思わないから、やっぱり親子って特別な関係なんだろうなと思いましたよ。

     アパートの入居者募集やら退室やら、毎月の督促やら、入居者が連絡して来る各種修繕やらを全て地元の不動産屋さんに頼んだよ、と伝えた時は本当に良かったと心底ホッとしていました。その頃はまだ多少は喋れたし、表情もありましたからね。

     父がお婆ちゃんから相続した畑の相続税が特別な措置で支払いが猶予されていたのを書類をあれこれ漁っている時に初めて僕が知って、母に伝えたら母もそれを知らなくて、税務署に相談に行ったら利子税が140万円くらいかかていましたが、畑を売るために全て払って、畑も今年になって正式に売却出来て父の口座に全額払い込まれたので、そのことも母に報告したら分かってくれている様子でした。多分、もう死んでも僕がひどく負担を抱えることはないかな、と安心したまま旅立てたと思います。

    >一応 お父さんが大好きやった仕出し屋さんで料理は取って 

     そうか、じゃあ僕も母が好きだったデパ地下の牛めし弁当を母にお供えして、姉と僕でそれを食べようかな。

    >お父さんの誕生日はケーキをお供えして 父の日は やっぱり 仕出し屋さんで料理を頼んで お父さんのいつも座ってた席に料理を置いて 家族で囲んで 一緒に食べてましゅ

     すごいねえ。よいこちゃんにとってはよっぽどいいお父さんだったんだね。あ、お母さんにとってもね。普通はアルコールの病気になると先ずは家族に迷惑が及んで、大抵の家族は 「一生入院していて欲しい」 「早く死んで欲しい」 「早く離婚して無関係になりたい」 って思うのが普通なんだけれどね。断酒会の酒なし宿泊旅行の行事から帰ったら家がもぬけの殻で、奥さんが子供を連れて家具ごといなくなっていた、飼って可愛がっていた猫までいなくなっていた、なんていう人のことも知っています。

    >qqqさんも色々な手続きで 当分は役所通いで忙しくなると思うけどお姉さんに頼りながら 乗り切ってな。

     ありがとう。昨日市役所に行ってある程度終わらせて来ましたよ。それからタクシーで年金事務所まで行って、提出する書類やらを貰って説明を受けて来ました。まだ母の戸籍が死亡扱いに事務処理の関係でなっていなかったので、来週末あたりに戸籍が出来上がっていたら年金の手続きも郵送すれば大丈夫だそうです。

     あとは相続手続きですが、母はそうは持っていなかったから、もしかしたら非課税になるかもしれないけれど、姉とお婆ちゃんの時にお世話になった地元の会計事務所に先ずは挨拶にそのうち行こうと思っていますよ。

     姉がこんなに頼りになる人間に成長したことがとても驚きでした。嫌味やムカッとする言い方や、あれこれと理屈やら正論やらをまくしたてるとか、そういったことは全くなくて、とても一緒に仕事がしやすいです。姉も嫁ぎ先で色々と苦労しているので、2世帯住宅とはいえ夫の両親とも同居しているので、亡くなった義母の介護や入院や死亡に伴う様々なことを乗り切ったので、全て分かってくれていて頼もしかったです。

     じゃあ、またね。さようなら。

  • かずさん、こんにちは。

     色々とありがとうございました。2日の金曜日に無事に母の一日葬を執り行うことが出来ました。僕は壇払いには出ないで姉に任せてしまいましたが、本当に助かりました。姉がいないと父のこともあって僕はパンクして入院するようでした。

     母が死亡したことは近所にも葬儀の日まで黙っていたので、予定通り父の弟妹夫婦(要介護状態や入院中で出られない人が2人)、母の2人の妹(一人の旦那は既に死亡、もう一人の旦那は要介護状態で出られず)、それに僕と姉夫婦とその子供たち2人、そんな少人数での葬儀でした。

     久し振りの葬式への列席だったので、喪主代行としてトップで一人で前に出てお焼香をするときに会葬の皆さんにお辞儀をするのもすっかり忘れてしまい、恥をかいてしまいました。昔の僕だったら後々まで恥がフラッシュバックして、頭を抱えて大声で叫びたいような気持になるところですが、もう年寄りの入り口の年齢のせいか、まあどうでもいいや、というだけの気持ちです。次からは気をつけます。

     遠い親戚や縁者には僕が名簿を作り、姉が文面を考えて(ネットで拾った例文のほぼほぼの引用ですが)、印刷屋に発注して活字にして近いうちに送るつもりです。姉が僕を気遣って 「お焼香、お香典、お供物、お供花などは固くご遠慮します」 という一文を入れてくれます。関係もよく知らない親戚や縁者が次々に来訪して僕が神経をすり減らさないように気遣ってくれたのです。

     東京とは言え僕の住む郊外ではここまでハッキリと断るのはあまり例を見ませんが、姉の住む東京23区内ではあることらしいです。受け取った方は 「これは絶縁宣言をされたようなもんだ、なんて家だ」 と憤慨する人も大勢いるでしょうが、もう僕も姉も遠い親戚にはどう思われようと構わないです。むしろもう縁を切りたいです。

     昔は家を途絶えさせることはどうしても避けたかったので、養子をもらって後継ぎにしたり、最初の奥さんが死んだら後妻をもらったり、そういった養子や後妻でうちの家に来た人の実家とまでつき合いをお婆ちゃんの代まではやっていたし、父も母もそれなりの冠婚葬祭での付き合いはしていましたが、もうハッキリ言って僕の代では関係ありませんからねえ。

     かずさんもよっぽど負担がかかるようでしたら、遠い親戚や業界関係者からつまはじきにされてでもキッパリとやった方が自分の病気のためにいいと思いますよ。

     この半年間、母の入院と父をホームに入所させたり淋しいだろうと週に何度も二人の面会に行ったりで、本当に心身ともに疲れました。早ければ今週の終わり頃にホテルに2~3週間くらい連泊して休もうかと思っています。入院だと余りに不自由に拘束されるので。

     隣駅のホテルなので毎日郵便物や新聞を取りに家に帰り、母のお骨にローソクの灯りとお線香を上げに来るつもりです。この掲示板にも返信したいと思っています。ホテルで音楽やラジオを聴きながら休み休み確定申告書を作ったり、母の市役所や年金などの手続きをしたり、香典返しのための名簿を整理したりしたいと思っています。

     納骨する49日の法要はもう住職と打ち合わせて日が決まっているし、お墓の墓碑に母を刻字したり家籠戸を開けて母の骨壺を納めたりも石屋さんに頼んであるので、僕の携帯電話の番号だけ必要な人に教えておけば大丈夫だと思います。そんな非常識な雲隠れも僕自身を壊さないための生きるために必要なことだと思い、誰にどう思われようとどうでもいいです。

     かずさんも、親戚や業界の人たちから総スカンを喰らっても、自分の楽なようにやっていいと思いますよ。家族が他にいるわけでもないので、一人で孤立したってどうってことないですよね。

  • >>No. 15977

     よいこちゃん、こんにちは。

     色々とありがとう。2日の金曜日に少人数の会葬で母の葬儀を無事に執り行うことが出来ました。葬儀に出るのはお婆ちゃんの時以来の13年振りなので、喪主代行にも関わらず前に出てお焼香をするときに列席の皆さんに向かってお辞儀をするのも忘れてしまい恥をかきました。誰からも指摘されないけれど、トップで一人でお焼香したから、せめて2番目以降とか、隣の人がお辞儀をし始めていたら 「あ、そうだっけな」 と気づけたんだけれど。

     母には一杯話掛けが出来ましたよ。毎朝 「おはよう、お母さん」 と言ってローソクに火を灯してお線香を立ててコップの水を取り替えて花瓶の水を取り替えて、そんなことも母が相手だと思うと幸せなひと時でした。

     納棺の旅立ちの儀式の時は、アルコールを湿らせた布で顔と手を拭きながら 「お母さん、今まで本当にありがとう。ずっと働き詰めだったからゆっくりと休んでね」 と言いました。

     まだ母が夢に出たことはないけれど、きっとこれからなのかな。なんだか夢で逢うと目が覚めた時に母のいない現実に戻って哀しみがより深くなりそうな気がして怖いけれど・・・。

     母もよいこちゃんに手紙が書けて良かったと思います。うちの息子が遠い大阪に友達がいるなんて信じられない気分だったかもしれません。ネット友達というのが年配の母には多分そんなに理解出来なかったと思うけれど、昔で言う文通友達と同じだよ、と言ったら少し分かったような感じでした。

     姉には本当に感謝しています。僕ひとりだったら父とダブルでのこの半年間とても耐えられなくて僕はパンクしていたのは必定です。遠い親戚縁者には僕が名簿を作って、文面を姉が考えて、それを姉が印刷屋さんに発注して葉書きを送ってくれます。一人だと全部やらないといけないので、とても助かります。

     早ければ今週の終わり頃に隣駅の立川のホテルに2~3週間、休養のために宿泊しようと思っています。送る葉書きには 「お焼香、お香典、お供物、お供花などは固くご遠慮させていただきます」 と姉が僕を気遣って書いてくれるようです。僕が関係すら知らないあちこちの親戚や近所の人の来訪に神経をすり減らしてしまう事を心配してくれてのことです。

     非常識で無礼なのは十分承知していますが、姉の住む東京23区の都会の方ではよくあることのようです。

     ホテルに入っても隣駅なので、毎日郵便物や新聞を取りに帰って来ます。ホテルでは音楽やラジオを聴きながら休み休み確定申告書を作ったり、母の市役所関係や年金の手続きをしようと思っています。

     よいこちゃんも僕を気遣ってくれて本当にありがとうね。母の入院直後は後追い自殺も考えたくらいだけれど、5ヶ月半という期間を母が与えてくれて、僕も一人暮らしで生活して行くことに慣れて来ました。これから49日の法要やら遺産相続手続きやら初盆やらあるけれど、一周忌は僕と姉の二人だけでやって、その後の宴席もやらないつもりです。住職さんには御膳料を包んで渡せばそれでいいらしいし。

     じゃあ、またね。さようなら。

  • >>No. 6447

     かずさん、こんにちは。

     お悔みのお言葉のお心遣い、本当にありがとうございます。葬儀はお通夜なしの一日葬で2月2日の金曜日になりました。それまでは葬儀屋さんが毎朝ドライアイスを取り換えに来てくれています。

     母が家に帰って来て、嬉しくてたまりません。病院でも最後の3週間くらいは無反応の状態だったので、それでも僕は日常の家であったことや近所であったころやら、一方的に色々と話し掛けていたので、その時と同じように家で横たわる母に向かってあれこれと一方的に話しかけています。

     とにかく、いつ亡くなるかとやきもきしながら面会に行くこともなくなって、母が家に帰って来てくれて僕の精神的な負担もだいぶ軽減されて、荼毘に伏した後でも49日の法要で納骨するまでは家ににいてくれるし、納骨したら戒名を描いた位牌の中にいてくれるので、これからは毎日母と一緒にまた暮らせると思うと嬉しくて嬉しくてたまりません。

     8月の入院当日に末期の肺がんで余命6ヶ月の宣告を受けた当初は僕もあまりに衝撃が大きくて、後追い自殺まで考えましたが、亡くなるまでの5ヶ月半の期間を母が頑張ってくれたお蔭で僕も徐々に覚悟や気持ちの落ち着きを取り戻せました。家で介護そ僕にさせることもなく、本当に子供孝行の母でした。

     今は痛いで横になっている母にローソクのお灯明やら線香をあげながら、母に入院中と同じように色々と一方的に話しかけています。それでも母が家に帰って来たことが本当に嬉しくてたまりません。火葬して49日の法要で納骨するまでも同じように骨になった母に話し掛けるつもりだし、納骨してお墓に入っても仏壇の位牌の中に入った母に向かって色々と日常の出来事やら僕の鬱やら何やらでの泣き言も聞いてもらうつもりです。

     葬儀が済んだら49日の法要まで少し休む時間を持ちたいと思います。無反応でも病院に僕が面会に行くと分かるような様子だったので、それが苦しくて、一日置きのように面会に行ってあげていましたが、やせ細って寝たきりの母と会うことの負担は大きいものがありました。これからはそれもなくなり、それでも今までと同じように日常のことや僕の心の弱さから来る泣き言なりを、今は遺体に向かって、荼毘に伏したらお骨に向かって、納骨したら仏壇の位牌に向かって話し掛けるつもりです。

     とにかくこれからは母が家にずっと居てくれると思うと本当に嬉しいです。

     では、また機会をみて出て来ます。

  • >>No. 15974

     よいこちゃん、こんにちは。

     僕の母を 「身近な存在でした」 と思っていただいて本当にありがとうございます。僕もよいこちゃんのご家族を同じ様に感じているので、会ったことが無くてもつき合いが長いと人間って心も通じ合えるものなんだと改めて思っています。

     今は一年で一番亡くなる人が多い時期のようです。火葬場やお寺の住職さんとの日程調整で、母の葬儀は2月2日の金曜日になりました。父の弟妹夫婦、母の妹たち、僕と姉夫婦とその子供たち、それだけのごく身近な親類だけでお通夜なしの告別式だけの一日葬で執り行います。

     喪主は施設に入所している父に、名目だけですが、なりました。当日の早朝に僕が父の喪服や防寒のためのコートやらマフラーやら車椅子のひざ掛けやらをトランクに詰めて行き、着替えさせてタクシーで葬儀場に連れて行くつもりです。ただ、1日から2日にかけて天候が雪の予報が出ているので、当日の気温や天候次第では父は欠席することになります。

     父が参列出来たとしてもお焼香だけで、火葬場には行かないことになります。場合によってはお焼香をしたらお念仏の途中で介護する僕と一緒に退席して施設にタクシーで帰らせるつもりです。僕は母の骨はどうしても苦しくて見たくないので、僕も火葬場には行かないつもりでいます。

     亡くなった27日の夕方に母が家に帰って来ましたが、母が家にいるのが僕は嬉しくて嬉しくて、色んな事を入院する前までのように話し掛けています。最後の3週間くらいは病院でも無反応の状態だったので、一方的に話しかけて反応が返って来ないことには特別な悲しみや虚しさは感じません。遺体でも母が今までと同じ寝室で横になっているだけで嬉しくてたまりません。

     「いつも来る猫ちゃんがここ最近ちっとも来ないよ」 「お正月に庭のお稲荷さんの祠にお供えしたお餅をヒヨドリがついばみにまだ来ているよ」 「今日はちょっと疲れちゃった。もう僕も年だからね。お母さんはよくあんなに働けていたね、凄いね」 「あ、ローソクの火が終わっちゃってたわ。ごめんね、気付かなくて。今新しいのでお灯明するからね」 「お早う、今すぐにコップの水を新しく替えて来るからね」 「お母さん、ちょっと買い物に出かけるから火を消しておくけれど、すぐに帰るから、そうしたらまたすぐにお灯明を点けるからしばらく待っててね」

     まあ、よいこちゃんも大体想像がつくと思うけれど、こんなとりとめもない会話を母としています。お骨になって帰って来たら納骨までも同じようにするつもりだし、納骨が済んで仏壇に位牌の戒名の中に入ったら、今度は仏壇に向かって話し掛けるつもりです。

     入院中は離れて暮らしていたけれど、これからはずっと母と暮らせると思うととっても嬉しいです。母が8月に入院して末期の肺がんで余命6ヶ月の宣告を受けた当初は、母が死んだら後追い自殺まで考えたし、鬱も深く沈み込んで現に精神病院に数日だけだけで入院したりもしたけれど、5ヶ月半うちに僕も母の死を受け入れられるようになりました。最後の3週間くらいは話し掛けに小さくうなずくことも、握った手を握り返すことも、増してや言葉を発することも出来なかった母ですが、幸い痛みで苦しむこともモルヒネの投与でない様子だったので、それだけは本当に良かったと思っています。

     入院から死ぬまでに5ヶ月と2週間の間を置いてくれたことも僕の覚悟を促してくれるちょうどいい期間で、とても子供孝行な最期の期間を母は与えてくれました。家で僕に介護を必要とする状態もなく過ごしてくれて、救急車でいきなり入院して、僕には本当に負担をかけないでくれた母の死に方は本当に子供思いの素晴らしいものでした。僕が気持ちが落ち着く期間も与えてくれて、感謝の気持ちでいっぱいです。

     姉が親戚との連絡調整を全て担ってくれて、僕はお寺との相談や、亡くなったことを伝える葉書きを送る遠い親戚たちのリスト作りをしたり、姉と補い合いながら円満に準備が出来ています。施設にいる父に母の死を伝えたら大泣きしましたが、父も覚悟をしていたのか、一晩泣き通したらもうキッパリと吹っ切るんだ、と言っていました。

     長々と書き連ねてすみません。2日後の葬儀が終わったら49日の法要まで少し休める時間が作れると思うので、僕もゆっくりと母の遺骨を安置した祭壇の前で布団を敷いて寝て毎晩寝て体を休めたいと思います。

     正直言って、母が家に帰って来てホッとしました。無反応でも僕が面会に来たことがどうやら分かっている様子だったので、一日置きのように病院まで面会に行くのが苦しくて負担になっていましたが、もうそれもなくなったのであとは成仏してもらって、家で母とずっと一緒に暮らせると思うと嬉しくてたまりません。

     じゃあ、またね。さようなら。

  • >>No. 15973

     ミヤコさん、こんにちは。

     お悔みの言葉、本当にありがとうございます。見ず知らずの僕のためにお心遣いいただいて、渡る世間に鬼はなし、という今では死語になった言葉もまだまだ捨てたものではないと思いました。

     ミヤコさんもいつまでもお元気でお過ごしください。この度はありがとうございました。

     qより。

  • >>No. 6445

     かずさん、こんにちは。

     昨日の1月27日午後2時17分に母があの世に旅立ちました。死亡診断書では 「多臓器不全」 となっていました。

     とりあえず報告まで。火葬場や菩提寺が大寒過ぎのこの時期もあって予定が混んでいて、告別式だけの一日葬は2月2日に執り行います。

     まだ日にちがあるのでこの板にも出られると思います。とりあえずご報告まで。

  • >>No. 15971

    よいこちゃん、こんにちは。

     昨日の1月27日午後2時17分に母があの世に旅立ちました。死亡診断書では 「多臓器不全」 となっていました。

     とりあえず報告まで。火葬場や菩提寺が大寒過ぎのこの時期もあって予定が混んでいて、告別式だけの一日葬は2月2日に執り行います。

     まだ日にちがあるのでこの板にも出られると思います。とりあえずご報告まで。

     じゃあ、またね。さようなら。

  • >>No. 6443

     かずさん、こんにちは。

     昨日の午前中から降った雪が、20センチ以上も積もりました。もう町内会も脱会したし、近所からどう言われようと雪掻きなんかするもんか、と降る前は思っていたのですが、やっぱり根が真面目なのか、これだけ降ると玄関から道路に出るのにも困るので、仕方なく新聞配達や郵便配達のバイクが玄関まで来られるくらいは掻いておきました。

     あとは同じ敷地にあるマンションも玄関から道路まで、マンションのごみ捨て場周辺もやっておきました。明け方になると気温が最低になって凍りだすので、夜中の1時半に目が覚めたのですぐに30分くらいやりました。あらかじめお風呂を追い炊きしておいて、お風呂の中でラジオを聴きながらゆっくりと休みました。

     でも、体が疲れると僕はてきめんに鬱が深くなるので、今はどんよりと沈んだ気分になってしまいました。まあ、今晩ゆっくり眠れば大丈夫だと思っているのですが。

     一人暮らしになって5ヶ月経ちますが、やっと朝ごはんのために炊飯器でお米を炊く気になりました。納豆をかき混ぜて、大根おろしをすって、タラコを焼いて、買ったラッキョウを食べて、味噌汁はインスタントで済ませて、シメにヨーグルトを食べるんです。ここ10年ぐらい続いている朝食と同じことが出来るようになりました。もうバナナにも飽きたせいも大きいですけれどね。
     
     夕飯も、買ったお弁当や外食にもすっかり飽きてしまって、炊いたご飯で買ったお惣菜やら缶詰やら魚を焼いたりするようにしました。やっぱり人間の心には自然に蘇生力があるんですかね。母のことも5ヶ月も離れて暮らしているせいか、もういつ死んでもおかしくない状態になったせいか、悲しくて悲しくて、という時期は過ぎたような感じです。今は葬儀やらその後の相続手続きやらが面倒だなあ、ということが一番の懸念です。

     自分のことばかりですみません。ではこれから少し休みますね。

  • >>No. 15962

     ミヤコさん、こんにちは。

     お客はいいとして、嬢たちはどうするんだろうね。みんなが休んでしまったらお店が困るよね。

     今月中には一回くらい行きたいな。行ったら報告しますからね。

     じゃあ、また。さようなら。

  • >>No. 15961

     よいこちゃん、こんにちは。

    >だからσ(´▽`*)Yo♪から返信はなくても ちゃんとチェックしてるから安心してや

     はい、いつも言われていることだっけね。僕もしつこいから、ごめんなさいね。

    >ステレオの前にカセットデッキを置いてしか無理やったから

     カセットデッキがなかったわけだね。小学生の時に買ったWラジカセだとステレオのアンプにつながらなかったのかな。それにしても、小学生が親と一緒じゃなくて独りで10万円の買い物をするなんて凄いね。お店の人も驚いたかもね。あ、近所の街の電気屋さんだったらよく知られているから大丈夫なのかな。

     それにしても、発売当時はWラジカセって10万円もしたんだね。今はCDラジカセ(録音機能なし。ラジオAM・FMつき)だと5,000円しないでも買える時代になっちゃったね。

     大学生の時に、初めて家庭用ビデオデッッキが10万円以下になって、それが初めて買ったビデオデッキだったよ。ナショナルのマックロードっていう機種で、テレビで中村雅俊がCMに出ていたのを今でも覚えているよ。

    >保育園年長になった時に初めて梅田で「スヌーピー」の映画を観て 感動して それからは洋画にはまりまちた

     あの時代は日本映画はメタメタに低迷していたよね。だから日活もアッチの方の路線に変えちゃったんだよね。僕が初めて観た映画はガメラとかゴジラとかあの手の三本立てだけれど、初めて友達とだけで行ったのは 「ノストラダムスの大予言」 だったかな。「タワーリング・インフェルノ」 も確かその頃に友達と行きました。

     映画はそれっきり観なくなっちゃって、高校・大学時代には、にっかつロマン方面オンリーになってしまいました。

    >ボーカルが「奥様は魔女」のタバサちゃんやったからってだけやねん

     そうだったんだ。刺激的なファッションで大人気ってことだけしか知らなかったですよ。女の子の方がかえって男よりもウケていたかもね。同性として勇猛果敢な感じがカッコ良かったんじゃないかな。

    >σ(´▽`*)Yo♪のレコードだけ見て σ(´▽`*)Yo♪の子供時代を想像してもらえたのは
    スゴイ!嬉しかったでしゅ♪

     嬉しく思ってくれてありがとう。これがユーミンとか杏里とか尾崎亜美とかばっかりだったら平凡過ぎるけれど、やっぱり思った通りによいこちゃんは十分個性的で芸術家肌だとよ~く再認識できたよ。

     昨日の雪がうちの辺りでは20センチかそれ以上積もってしまいましたよ。雪搔きをすると体がヘトヘトになるからこれからはもうやらないんだ、と降る前は思っていたんだけれど、余りにたくさん積もったから、夜中の1時半に目が覚めちゃったから仕方なく最低限の通路になる程度にスコップでやりました。同じ敷地にあるマンションの出口から歩道に出るまでも仕方ないからやって、ゴミ捨て場も掻いておきました。

     お昼頃になったら体も気持ちも疲れが出て来て、今はションボリした気分です。明日かあさってはきっと腰や腿や腕が痛くなって湿布を貼るようだと思いますよ。

     じゃあ、またね。さようなら。

  • >>No. 15959

     よいこちゃん、こんにちは。

     一人暮らしになってからスマホの電源は常に入れっ放しにしてあるんだけれど、外出の時に忘れることは今でもしょちゅうなんです。手提げに入れて外出しても、着信音が聞こえなかったらしくて家に帰って見ると電話やショートメールの着信が何件か着ていたりもよくあるんだ。

     そうか、カセットテープを主に買っていたんだね。僕の周辺の子たちは男の女も必ずレコードで買って、それをすぐにカセットテープにダビングして、聴くのはテープでレコードは保存したり友達に貸したり、そんな感じだったね。僕も一度もカセットで発売になっているのを買ったことはないんだ。

     じゃあ、小学生時代にはポールモーリアとかをもう、お金を出してレコードを買うくらいにまで好きだったんだね。やっぱり女の子は男の子よりもその頃は成長が早くてマセているからね。映画も子供時代から好きだったんだ。

     僕は映画音楽は全く興味がありませんでした。何年か前にラジオで映画音楽特集をやっていて、「いいな」 と思ったから全集のようになっている10巻のCDセットを買いましたよ。クラシックともジャズともムード音楽とも違う、独特の音楽世界だよね。

     何だか最近はムード歌謡ってやつに魅かれるようになってね。まあ、昔で言えばキャバレーで生演奏で歌うような、ロスプリモスとかマヒナスターズとかテレサテンとか、あんな感じかな。オッサンの聴く歌だよね、モロに。

     ランナウェイズは一時すごく流行ったよね。よいこちゃんが好きだったとは知りませんでした。意外だったのはありふれた日本のアイドル歌手のレコードがほとんどなかったことかな。やっぱりよいこちゃんは個性的な芸術家タイプなんだろうね。アーチストっぽい趣向というかね。

     最近もの凄く疲れやすくなってね。ほんの2年前くらいにはホイホイと隣駅の街まで買い物に行って平気でいられたのに、今では帰って来るといったん横になるくらい疲れてしまいます。もう70代の老人と同じですよ。

     昨日で買い置きのバナナがなくなったので、ずっと続けて切らさないように朝食用に買っていたんだけれど、今朝からご飯を炊いて3人で暮らしていた時と同じようなおかずを用意するようにしました。タラコを焼いて納豆をかき混ぜて大根おろしをすって、その程度だけれどね。

     今夜もご飯が余っているから、魚を焼いてスーパーで買ったお惣菜と缶詰の肉でも食べるつもりです。もうバナナやコンビニのパンやおにぎりや買って来るお弁当には飽き飽きしちゃってね。

     昨日はほうれん草と小松菜を買って来て、母がそうしていたように塩茹でをして水を絞って包丁で切って、それをタッパに保存しておくようにするつもりです。スマホって便利なもので、声で 「ほうれん草の茹で方」 って言うとそれを教えてくれるサイトが出て来るんだよね。初めて実生活にこんなに役立つんだ、と思いました。

     昔だったら女の人に訊くとか料理本で調べるしか方法がなかったもんね。

     くだらないことを書き連ねてごめんね。じゃあ、またね。さようなら。

  •  かずさん、こんにちは。返信がこんなに遅れてしまってすみませんでした。

     インフルエンザの発熱は翌朝には治まって、36度台に下がりました。翌々日には朝の平熱の35度台まで下がってくれました。でも風邪の症状が少し続いて、鼻水や咳が一週間くらい、そんなに重症ではないですが尾を引きました。咳はタバコをしょうもなく吸っていたせいもあるでしょうが。途中3日間くらい味覚がなくなってしまい、それが辛かったです。

     母はもう点滴をする場所が両腕になくなってしまい、今度は足の血管から注入することになりました。ただ、腕と違って少しの量しか入らないそうです。いよいよ近づいて来たのかな、という思いです。

     かずさんもかなり事務的なことには明るくなって来ましたね。法人である分、僕よりも既に詳しくなっていると思います。個人の不動産所得の申告は本当に簡単ですから。賃貸人ごとの明細と経費さえしっかりと押さえておけば何とかなる世界です。医療費控除の明細をいつもこの時期に一年分まとめてエクセルに入力するのですが、もう年を取って大変になって来たので、今年からは領収書をもらったらその都度入力しようと思っています。いっぺんに一年分は負担を感じるようになりました。

     将来のことはもう、なるようになるしかないと深く考えないに限るなと思うようになりました。今までの人生を振り返っても、勤めも定年まで全うするつもりだったのが思わぬ病気で38歳でクビになったし、それでも今は 「ああ、10年近く悔やんでいたけれどあの時に強制的に退職することになって本当に良かった」 と心底思っています。そう思えるのも不動産収入があったことが大きいし、両親も僕が家にずっと居る方が何だか嬉しそうな感じだったのも大きかったです。苦しみながら勤めに行っているよりも、僕が家で過ごしている方が両親にとっても安心だったようです。特に母は、僕がずっと家にいて家事の手伝いをしたり経理を担ったりするのが嬉しくてたまらない感じでしたよ。

     一人暮らしも今は淋しくて、主に食事の面で不自由していますが、きっとあと10年後にはすっかり慣れていると思います。それにロクな食生活が出来ないで早死にするのはむしろ願ったりかなったりです。何とか70歳代のうちに死にたいと思っています。

     音楽も無線も惰性だけでやっているし、テレビはほとんど観ないし、ラジオもマンネリ感があるし、自分に合った本を読むのが今は唯一の楽しみかな。

     今年になってお風呂屋さんにはまだ一回も行っていません。インフルエンザになったし、まだ多少咳き込むことがありますからね。今月末までには何とか生きたいと思っていますよ。

本文はここまでです このページの先頭へ