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投稿コメント一覧 (3442コメント)

  • >>No. 29298

    いまはこれ 昔はもっと 硬かった

    大手銀行のカードローンの話。
    規制が緩すぎて多重債務者が増加。とうとうCMを自粛するとか。

    とんぼ姐さん、みなさん、ひさしぶりに覗きました。

    白い河童

  • >>No. 597

    コンちゃん、好意的な助言をありがとうございます。
    頭がかたいのか、むかしながらの応募を続けたいと思っています。ネットの小説にはもともと批判的なこともあってなかなか抵抗感から脱しえません。
    横山秀夫さんが受賞したこの松本清張賞はなんとしても獲りたいと思っています。好みや感性を超えてうならせる作品を書くしかないと意を新たにしています。
    他の賞についても予選通過は常連ですのでべつだん気にもしていません。そのうちに、と残された時間との競争だと思って持続します。そのうちになんとかなるでしょう。楽観的です。
    本来、文壇へのデビューは意識にありませんでしたし・・・
    白い河童

  • 実に久しぶりの投稿です。
    松本清張賞は600枚の応募規定にもかかわらず661編の応募があり、1次選考で641編が落選、予選通過はわずかに6%の40作品。僕はなんとか予選を突破しましたが、その後難関を突破できずに候補に残ることはできませんでした。変換ミス、入力ミスも多々ありましたが、作品自体に力がなかったのでしょう。次回をめざします。
    なお、文学界新人賞も太宰治賞も逃してしまいました。
    狭き門、なかなか突破はできないものです。万年予選通過止まり。余生との勝負になりそうです。
    コンちゃんはじめ、みなさんの応援に応えられなかったことをお詫びいたします。
    報告まで。
    白い河童

  • >>No. 591

    コンちゃん、まさしくご指摘の通りでしょうね。
    「リセット」を安直に考える時代だと思います。いえ、考えもしないかもしれません。成り行きまかせ、事なかれ主義が当たり前の世の中になったように思います。「欠乏の時代」から「飽和の時代」への変遷がもたらした処世感の帰結ともいえるでしょう。いつしかその流れの中に自らをも置いてしまっていることにあらためて気づかされました。
    取り返しのつかない過ち、リセット不能の短絡的な行為のなんと日常化してしまっていることでしょうか。それらを世の趨勢のせいにしている自身にうんざりさせられます。

    今回の自分のミスは「文明の進化」のせいと転嫁している一面もありました。かつてのように、パソコンにもワープロにも頼らずに原稿用紙に手書きしていれば脱字も誤字も起こりえなかったと思います。しかし出版界はすでに手書き原稿を受け付けなくなって久しい。活字など死語で言葉はすべてデジタル記号でしかなくなりました。「書く」のではなく「入力する」時代が、便利さの裏返しとしてありえないようなイージーミスを誘発させます。しかしこれは書き手自らが克服しなければならない必須ハードルでもあるのです。安直な姿勢をこそリセットしなければならないのでしょうね。
    教訓を肝に銘じたいと思っています。
    白い河童

  • 続きです。
    医療による「死亡事故」はかなりのレベルまで法で護られています。手術で死者が出るたびに「殺人罪」が問われるのであれば医師はリスクを背負ってまで患者の手術を引き受けようとはしないからです。だからといって医療の世界が治外法権であってはなりません。
    僕が手術を受けたときも10万人に何人かは死亡しているというデータを示され、承諾書を突き付けられました。サインするほか選択肢はありません。放置すれば症状は悪化し死にいたるのですから。
    それを隠れ蓑にして、外科同士が張り合うなどもってのほか。ましてや実績の乏しい腹腔鏡手術を何十度も繰り返して50人以上もの死者を出すなど、狂気の沙汰としかいえません。
    医療界が抱える矛盾はかつて山崎豊子さんが「白い巨塔」で描きました。
    現代の視点で、僕もいつか書いてみたいと思っています。

    白い河童

  • >>No. 570

    こんにちは。
    医療事故は故意であれば事件、不注意であれば過失致傷あるいは過失致死。素人にはなかなか踏み込めない領域ではあります。多数の死者を出した群大事件などはほとんど人体実験といっても過言ではありません。それでも医師免許の剥奪にも至らなければ殺人罪も問いがたい、まさしく伏魔殿の世界です。手術に際して患者は事故による死亡もありうる同意書に署名しているからでもあります。ミスさえ認めなければ「医療ミス」にはならないし、病院側はなかなか医療ミスを認めません。腹腔鏡手術で技量を競うなどもってのほか。それでも警察は踏み込めない「聖域」なんですね。
    医療界ではこうした「事故」や「事件」は日常茶飯事のようです。高齢者がますます増加してゆく今日、老いての入院はもはや命がけの時代になってしまったのでしょうか。

    白い河童

  • >>No. 559

    そうなんですよね。ところが応募要項には「最後までストーリーをきちんと書いてください」と規定されているんです。従って書かざるを得ないんです。うっとうしいですよね。

    河童

  • 一息つく間もなく新作に着手しました。
    久しぶりに短編を書きます。タイトルは「虚構の殺意」。
    隣家の失火を利用して寝たきりの父を死に追いやった不遇の天才画家がその後失踪。
    12年後に「私」は彼と意外な再会を果たす。そこで暴かれた彼の父の死の真相とは……。
    ざっとそんな物語です。

    白い河童

  • 赤とんぼさん、陰ながらの声援、ありがとうございました。
    大きな励みになります。
    コンちゃん、作品は明日届きます。

    白い河童

  • >>No. 554

    コンちゃん、ありがとうございます。お好みに合うかどうかはわかりませんが、まずまずの出来だとは思います。今回の作品はミステリではありません。ちょっと屈折した恋愛小説かも。
    今週中にはお手元にお送りできると思いますので、お時間があればお読みくださいね。もちろん、お手元に置いてください。そしてかの方にも。

    河童

  • コンちゃん、こんばんは。
    おっしゃる通り、第一関門ですね。これすら書けない人はきっとスルーだと思います。
    各賞には複数の下読みの方がいて、各自が読破した作品中よかったものには原稿の扉にAををつけ、今度はそのAだけを交代して読み、さらにAをつけて絞り込んでいくそうです。
    したがって、ボツにされた作品を実際に読んだかどうかは確認されません。梗概だけでボツになる作品もあれば最初の数ページで捨てられる作品があっても決しておかしくはありません。長編の公募は600人前後が平均らしいですから、10人の下読みなら一人当たり60人分、500枚×60作品となると、必ずしも全部読むとは考えにくいですね。選考期間に60冊もの素人作品を読むことになるわけですから。
    「修羅の棲む街」の梗概、たまたまパソコンで書いて保存していましたので、メールに添付して送ります。
    河童

  • >>No. 546

    ありがとうございます。
    コンちゃんとの固いお約束です。コンちゃんから高いモチベーションをいただきました。それにお応えするためにも必ず射止めたいと思っています。
    応募した作品はすべて丹念に、そして十分に推敲しています。これらでダメならきっと実力がともなわないということでしょう。
    今年、燃焼しつくす覚悟です。
    結果はすべて来春です。

  • 再度、マスコミの功罪について書きます。
    マスコミは「世間の関心が高いから取り上げることは責務だ」といいます。
    しかし多くの現実は、マスコミがプライバシーにまで踏み込んで世間の興味を喚起しているケースのほうが圧倒的です。
    芸能人にもプライバシーはあります。誰が別居しようが離婚しようが不倫しようがそっとしておけばいいのでは。
    とにかくなんでもかんでもあばこうとする覗き趣味的野次馬的根性にはうんざりします。
    マスコミ関係者には「報道の自由」を盾にしてそのことを冷静かつ客観的に考え直す思考ができなくなるほどに感性や価値観がマヒしてしまっているのでしょう。
    テレビの報道番組は視聴率を争い、新聞や週刊誌などの媒体は発行部数を争う。そこにモラルハザードの原因があります。

  • リオ・オリンピックが閉幕。いえ、まだパラリンピックがあります。
    メダルの獲得もさることながら、そこに届かなかった選手たちの真摯な姿に感動しました。
    もちろん、メダル獲得をめざしてがんばる姿勢はすばらしいことですが、メダル圏外にあるとわかっている選手やチームたちの「参加精神」こそオリンピック本来のコンセプト、胸打たれるシーンが多くみられました。
    学ぶことが多くあったように思います。

    話は変わりますが、マスコミはSMAPの解散問題をさも国家の一大事とでもいわぬばかりに連日報じていますが、どうでもいいこと、つまらないことを大仰に扱いすぎています。たかが芸能界の1グループの去就でしょう。好きにすればいいのでは?
    世論はマスメディアがつくり、拡散させ、現象を誇大に膨らませ、本質を覆い隠してしまう。そして世の中は見事にそれに洗脳され、踊らされ、自分たちの生活周辺のもっとも大切なことがらをおろそかにし、考えることを放棄する。
    かつてのわが国の愚かな戦争はそのようにして「虚偽の報道」のなかで破滅への道を盲進しました。
    悲しくも情けないことです。
    白い河童

  • >>No. 540

    コンちゃん、ご無沙汰です。
    毎日、暑いですね。僕も部屋に籠城して読書に執筆三昧です。9月まではこの状態でしょう。
    さて、キンドルのご紹介、ありがとうございます。早速覗いてみました。便利な世の中になったものですね。
    僕は電子媒体が苦手なんです。本は紙で読むもの、そういう習慣が抜け切れていません。それに、ベッドで横になりながらページを捲るのも好きですから。
    それにしてもすごい量ですよね。でも読んだ本が手元の書架にないのもさみしい気がします。
    夏は苦手で、どうしてもだらだらと過ごしてしまいます。
    体調にはご留意なさってくださいね。

  • いよいよリオ五輪が開幕。ロシアの一部選手の出場停止など、なにかと物議をかもしたが、事故も事件もなく無事に日程を消化できればと願っています。
    わが日本のメダルについては、体操と柔道に注目したいですね。
    がんばれ!ニッポン。

  • 相模原事件に思う③
    残忍な殺害を犯した植松聖容疑者の父親が今日に至って初めて、勤め先の学校で謝罪したという。しかも謝罪文を保護者会で校長が読み上げたそうである。自らが顔を出して、ではない。「息子がとんでもないことをしでかし、申しわけありませんでした」それだけか。ほかにいうことはなかったのか。被害に遭った障害者たちへの具体的な謝罪はなかった。事件を起こしたのは息子であり、自分たちの与り知らないことだといわんばかりである。
    この親してこの子あり、親の顔を見たいと思ったのは被害遺族やなお治療中の被害者・家族だけではないだろう。
    世間にきちんと姿を現して謝罪会見をおこなうべきではないのか。
    警察は両親からも事情を聴いているというが、コメントはいっさい明らかにされていない。26歳の犯罪はたしかに保護責任の埒外であるかもしれない。かりに親たちのプライバシーや人権が云々されるのであれば、被害に遭った障害者たちの「生きる権利」はどうなるのか。
    措置入院以後、そして退院後の親の対処についても知りたいものだ。大島衆議院議長に犯行予告手紙を届けた後に警察から事情も聴かれているはず。その時の息子への対応はどうだったのか。依然として相模原の自宅に一人で住まわせていた事実はどう理解すればいいのか。過保護、放任、無関心、断絶・・・いずれをとっても理解に苦しむばかりである。
    怒りがこみあげてくる。

  • モモさん、みなさん、こんにちは。
    ずいぶん昔に投稿したことがあるのですが、いつのことやらもう忘れてしまいました。
    日々読書は欠かすことがありません。ただ、若いころに比べるとジャンルにかなり幅がでてきたようです。学生のころや社会人になってまだ浅いころは時代小説や歴史小説はほとんど見向きもしなかったのですが、いまは好きですね。司馬遼太郎さんはもちろん、隆慶一郎さん、津本陽、藤沢周平さんなどをはじめ、浅田次郎さん、宮城谷昌光などが好きですね。
    ミステリも好きなんです。手当たり次第に読んでいますが、誉田哲也、福井晴敏、横山秀夫、東野圭吾などは片っ端から読んでいます。
    これからもお付き合いくださいね。
    白い河童

  • 「相模原事件」に思う①
    相模原市で起きた重度障碍者殺傷事件。男女19人が殺害され43人もの人がまだ治療中である。信じられない異常な事件である。
    特筆しなければならないのは逮捕された26歳の男の異常な思考と行動だ。どこでどのようにして醸成されたのか、その意識と思想は偏見と差別と独断的な思い込みに塗り込まれている。容疑者を知る友人たちは容疑者が大学生のころから急激に変貌したという。ありうるだろうか。潜在的にはぐくまれていた意識としか考えられない。「障碍者は生きている意味がない、死んだほうが社会のためだ」とか「人間ではなく動物だ」とだれをはばかることなく口にし、友人に一緒に殺害しようと持ちかけ、否定されると「お前たちは間違っている!」と激昂するという。かといって容疑者の精神が錯乱したり疾患に侵されているというのでもない。措置入院した時には「僕は間違っていました」と殊勝に反省し医師を欺く芸当をやってのけている。大島衆議院議長に宛てた手紙も自説を順序立てて述べており、現実に4か月後にほぼその通り実行している。つまりは容疑者は自らの「思想」に「信念」を持って行動に移しているのであって、決して激情して衝動的に犯行に及んでいるのではない。1970年に市ヶ谷駐屯所を襲って割腹自殺を遂げた三島由紀夫と類似した構図を思い出してしまった。あのとき三島は自衛隊員に対して「国難を憂いない愚かな軍人」とこきおろし、クーデターを呼び掛けている。世間は異常な行動と見つつも彼自身は極めて冷静であった。事前に最後の長編「豊饒の海」を脱稿し、出版社に丁寧なメッセージまで残している。その三島の思想をはぐくんだのは幼少期のコンプレックスであった。(続く)

  • 「相模原事件」に思う②
    犯行の対象は異なるが、精神構造において相似形を感じる部部分がある。このような異常かつ病的な「思想」が醸成されていった容疑者の生活環境はどうであったのか。マスコミは触れていないが、教育者であるという親たちの養育の在り方、保護者としての責任、成人してからのかかわり方などについてぜひ訊いてみたものである。人権やプライバシーへの配慮はわかるが、これだけの事件を起こした容疑者の親たちがいっさいコメントしないというのは理解に苦しむ。
    容疑者は「ヒトラーが降りてきた」といったという。26歳の人間が70年以上も過去の斬撃をつぶさに認識しているとは思えない。まさに「アーリア人のみが優れた民族」と主張したごとく、表層のみをとらえたゆがんだ優越意識であり、弱者に対する残虐な差別意識、排他意識に侵されている。
    親たちはそれをどう見ているのか。そしていたましい被害者たちにどう釈明するのか。
    その責務があるはずだ。そしてこのことは「プライバシーの保護」とは別の次元のことであろう。
    視点は逸れるが、警察やマスコミは被害者の名前を公表していない。公表が身体障害者への偏見や差別意識を助長することになるかもしれないからだという。もしそういうことが現実に起きるとすれば我々はなんと悲しくもさもしい社会に生きているのだろう! 被害者は被害者なのだ。その被害者がかりに弱者であれば我々の社会はみんなで彼らを守り、理解し、共に生き抜かなければならない。何ぴとであれ、憲法で保障された生きる権利を互いに守り合わねばならない。
    模倣犯への危惧もあるという。
    考えることができない人間を作ってしまった今日の日本。ゲームに熱中し、歩きスマホで事故や事件を起こし連鎖する日本。若者が深夜の歓楽街を徘徊する現代の日本。文字を読むよりもビジュアルを優先するようになってしまった若者たち。そうした環境や風潮が他者へのいたわりや想像力を失わしめ、痛みのわからない短絡的な人間をつくりだす。
    悔しくてならない。

    白い河童

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