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投稿コメント一覧 (21884コメント)

  • >>No. 67911

    暑い毎日が続きます。ご自愛下さいませ。

  • >>No. 54425

    こんにちは。

    > 如来の菩提心をいただき生かされ生きていくという行いがないのではありません。
    >
    > 菩提心に二つはあるわけもなく、菩提心のない大乗仏教は自力・他力共にありません。

    菩提心と言っても、もともと頂き物、賜り物、という感覚はあります。そこからは、他力しかないとなるでしょう。

    > シマトリさんの言われる「良心」に逆らう事をして嫌な思いになるなら好んでする事もないですね。

    それぞれが、未熟なりに、良心に従って生きる道以上の道もないでしょうね。

    > 「他力の菩提心」ってわかりづらいのでなかなか理解されませんが、
    >
    > どんなものだかわかりますか?
    >
    > さんね

    賜りとか、頂きもの、ということならわかりますし、自分を立てるのではなく、むしろ、頭が垂れるものこそ本物とも感じていますが、さんねさんのおっしゃることがわかっているとは、到底言えません。
    救われ難い己と向き合うということもあるようには、理解しています。

  • >>No. 54417

    そうですね。浄土真宗の他力とは、そのあたりはずいぶん違うのかもしれませんね。
    真宗は、人間を一番低いところから捉えてる感じがします。
    日蓮宗系の考え方は、自力と他力の混合ですし、我が胸中の仏性を磨く(顕現する)というところは、人の身に[神の似姿=仏様の性質]が宿る、と考えれば、むしろカトリックに近いかもしれません。

    > キリスト教、少なくともカトリックは、人間の自由意志や創造性に究極の価値をおいている教え(神の似象として創造された)。ある種の大乗仏教的な他力とは、この点違うかもしれない。
    <

  • >>No. 54415

    この今の瞬間にも、神様の恩寵はきちんと働いている、という意味なら、確かに、必要なところに必要な恵みはもたらされていると感じます。

    つまり、その人それぞれの心根に則して、ふさわしい恵みは顕現されるのだと思います。

    それは、自業自得でもあり、悪しき者には、悪しき恵みがもたらされるのでしょう。
    これは、地上の財力とか、知力とかとは無関係に。

    > この世界をそのまますでに天国にするようには、人間を悪と戦う必要ように自由意思を働かせる余地がないほどの天国にするようには、神は宇宙を下支えする意図をしていないということです。
    >
    > とにかく、神の第一原因の設定が最初だけでないことは、間違いありません。

  • >>No. 54414

    禅の一部で広められている、不二一元思想(アドヴァイタ)というのは、このあたりの善も悪も一緒くたにして、元は一つ。
    しかも、この私がそれ(一元)となるようなところが、あやしいですね。
    一元=無となる場合もあるようですね。

    私というものが、実体のあるものではないと言うのは、ある意味当然ですね。
    そこから、その私が、無に帰したり、大いなる一つに還元するというのは、わからなくはないのですが、それで、私を超越するものの存在を否定してしまうというようなことが、浅い考え方だと思っています。


    > >第一原因という概念で神を説明する場合が少なくないですが、第一原因が働くのは、原初の文字通りの起点においてだけではないです。宇宙被造物をあらゆる瞬間支えているという意味でも、第一原因です。
    > <
    >
    > あらゆる瞬間を神様の意図の顕現とすると、この世界はすでに天国でないとおかしいことになるでしょう。
    > でも、この世界は、善と悪、光と闇で織り成されたものですから、そのような悪の有り様、闇の有り様は、神様に原因があるとは、私には思えないです。
    >
    > 神様とは、ひとつには、この胸にいただいてる仏性であり、良心神様だと思いますし、それをないがしろにしたところに、悪しき性質や邪心が巣くい、世に、悪も蔓延ると思います。
    >
    > つまり、一人ひとりの自覚や生き方によって、この世は織り成されているから、その結果を受けるのは、その一人ひとりであって、神様には原因はない。自業自得ということです。

  • >>No. 54410

    >第一原因という概念で神を説明する場合が少なくないですが、第一原因が働くのは、原初の文字通りの起点においてだけではないです。宇宙被造物をあらゆる瞬間支えているという意味でも、第一原因です。
    <

    あらゆる瞬間を神様の意図の顕現とすると、この世界はすでに天国でないとおかしいことになるでしょう。
    でも、この世界は、善と悪、光と闇で織り成されたものですから、そのような悪の有り様、闇の有り様は、神様に原因があるとは、私には思えないです。

    神様とは、ひとつには、この胸にいただいてる仏性であり、良心神様だと思いますし、それをないがしろにしたところに、悪しき性質や邪心が巣くい、世に、悪も蔓延ると思います。

    つまり、一人ひとりの自覚や生き方によって、この世は織り成されているから、その結果を受けるのは、その一人ひとりであって、神様には原因はない。自業自得ということです。

  • >>No. 44397

    なるほどー。(笑)

    赤い実さんのが来るってわかっている時に、5個とか頼むと、赤い実のが5個届くんだ。

    すごいね。

    昨日夜にくごっちからの赤い実キーホルダー届きましたよ。赤い実はビーズかなと思っていたんだけど、きれいな印刷でしたね。

    うちの娘にありがたく戴いておきます。

    ホントにホントに、どうもありがとう。m(;∇;)m

  • >>No. 44394

    たくさんしてあげてると思うよ。

    その方、幸せよ。

    くごさんも、人に恵まれて幸せね。

  • >>No. 44392

    あげてもそれはくごっちの自由だけど、赤い実のが一番可愛くて、とプレゼントしてると、寝坊助とぱっちり君が余っちゃうから、どうだろう?

    くじ作って、当たったものを、キーホルダープレゼントにしたらどうかなぁ。

    あれは、どれがプレゼントされても嬉しいと思うよ。^^


    > 3周目買うから気にしないでぇ~(^^♪
    >
    > もう、可愛くて可愛くて・・・
    > 大好きな缶いっぱいにしておくの(^^♪
    >
    > また、一羽友達ににあげる予定♪(^^)/

  • >>No. 44390

    ありがとう。

    でもね、ホント、赤い実のシマナガエは、きっとベストのタイミングでくごさんの前に現れてくれる方がいるのだと思うよ。

    元ウエイトレスさんのダンサーと、くごさんと、誰かのトライアングル。

    私もシマナガエ友だちだけどね。^^

  • >>No. 54404

    おはようございます。

    彼の土の真実というのが、さんねさんにはわかってらっしゃるのに、それを伝えることが難しいというのは、お辛いことですね。
    それを伝えても、妄想と言われかねない。知性、理性のある人の躊躇なのでしょう。
    私もたぶん、さんねさんの至りには、主観だとか批判してしまいそうです。

    でも、救われた実感というのは、個々に確かにあるもので、その人の余生を照らしてくれるものだと思います。

    > この世の真実には善と悪があり、倫理・道徳があります。
    >
    > これをないものにして
    >
    > 悪を為す者たちが許されてしまうのなら、人間社会は崩壊してしまいます。
    >
    > この世の真実に彼の土の真実を重ねて語っても決して理解してはもらえない。
    >
    > この現実の前に何もなしえず伝え得なかったネット生活20年でした。
    >
    > さんね

  • >>No. 54398

    こんにちは。

    無神論者の方は、圧倒的な自然にも偶然の神秘と感じるのかもしれませんが、普通に宗教的な方々は、創造者(クリエイター)、創造の意識を感じるものでしょう。

    あ、三光さんは、日蓮宗信徒ですが、創造という意識はないのかな。原初からの宇宙とともに仏様がいらっしゃるのなら、仏様がこの宇宙を創られたでもいいように感じますが、ひとつの創造から次々の創造の働きがドミノ倒しのように繋がっていく印象かもしれません。

    今ある世界が創造者の意図によって現れたものとは、到底思えませんから。



    > 自然が霊性や美の無尽蔵の宝庫だという認識は、キリスト教でも同じでしょう。ただ、その圧倒的な自然を自己完結させるのか、自然のさらに奥に、さらに上位に、創造主の存在をみるのか。いうまでもなく、創造主をみるのが聖書的な立場。
    >
    > 目の前に一枚の美しい絵(=自然)があるとする。その絵が価値があるという認識に変わりはないが、その価値の根拠になるのが、創作者の存在だということです。

  • >>No. 44382

    赤い実をくわえたシマナガエのキーホルダー、ウエイトレスさんと、くごさん、お揃いなんだね。^^
    小さな願いとか夢とか、叶うといいね。

    うちのシマナガエは、機会があったら[よだれ]刺繍しようかな。^^;
    なんか、可愛い気がする~。

  • >>No. 44385

    フェリシモは、もう10年以上前には、スカートとか、子ども服とか可愛いのでお世話になったことあったはずだけど、当時のアカウントとか忘れてるし、はじめて認定されたみたい。

    花柄スカートとか、どれが届くかわからなくて、ドキドキした気がするな。おまけとかあったと思う。^^

  • >>No. 44382

    おねむの気に入ってるから、ダイジョウブよ。^^

    フェリシモは、ランダム三種類のうちの一個ずつ、別のが三回届くのだと思っていたけど。違うの?

    赤い実のは、くごさんが気に入ってたから、来たらあげようと思っていただけで、私はあのビーズの実が取れたりしそうで、日常使いに出来ないからいいのよ。

    それより、今日なんと、フェリシモさんからはじめて使用者アンケートのお礼の抽選とかで、景品が当たったと。

    青リンゴの卓上クリーナープレゼントされました。^^

  • >>No. 54396


    >また、実際キリスト教というものが、現代の科学優先思考と軋轢しないように、何かしら、その辺りは相互尊重されているように見えますが、最終的には神秘性のベールを被って、神、イエス・キリスト、聖霊という三位の不可侵性に結論付けられますから、もうそれは、信仰によってしか至れない道だと理解しています。
    <

    さんねさんにお聞きしたかったのですが、
    現在のキリスト教というのは、イエス様が人類の罪を購って下さったので、皆が(罪の多い少ないに関わらず)天国に迎え入れられる、という万人救済思想になっているように感じています。この思想の利点は、いかに善人ぶったところで、人にはどうしようもない悪性があるとするなら、そこを責めるのではなく、互いに許しあう、労りあう、慰めあう、という位置に立とうとするところですね。「許し」の宗教になっているように感じます。

    それで、浄土真宗というものも、とても似た精神性があるように感じるのですが、どうですか?
    一言でいうと、人間の罪を問わない、というところを感じます。

    私自身は、自分の罪はどうあろうとも、善人も悪人も味噌もク・ソも一緒、反省しようがしまいが、許される、という思想は、我が儘自分勝手な人間を増殖させるだけの甘え思想に思えるのですよね。キリスト教がそんな単純とは感じませんが、結論のところでは、これでいいのか。と思います。浄土真宗の、念仏さえ称えれば、も、そんな印象です。

    考えてみるに、浄土とか、天国とか、約束するものじゃないのではないでしょうか。約束されないと不安で信仰するなら、それって、不安を鎮めるため、不安を忘れるための代償行為でしかないと思ってしまいます。

  • >>No. 54395

    こんにちは。

    > 日本人の「無宗教」とは「無神論」ではないですね。

    そうですね。私もそう思います。

    > 日本人の「信仰心」とは「自然信仰」と言われるものではないでしょうか?

    生まれてきた根底への感謝、生かされていることへの感謝でしょうから、自然の恩恵があってのものかもしれませんね。悪政がはびこっても、お天道様は見てござる、というような善道志向があるような。
    人にある良心を信じ、また自然の恩恵を信じるということで、やはり四季があり過ごしやすさや、農作物や漁業での収穫に恵まれてきた。

    そういう工夫次第で大いなる恵みを与えてくれる自然に包まれ守られてきた国民性からの宗教観があるように感じます。

    > 森羅万象、生きとし生けるものものみなに「神性・霊性」を感じ取れる、理屈や倫理を超えた、感性的・直観的なものように見えますが??

    もしかしたら、未だ自らが子宮の中にあるような安心感が、日本人の根底にはあるのかもしれませんね。危機意識は少ないような。

    > 欧米の文化人類学者達が「アミニズム」とか言って原始社会の原初的な宗教のあり方
    > としたものですが、宗教革命以降の近現代のキリスト教を最高のものとする価値観からのもののように見えます。
    <

    これは、よく知らない他国、異文化のことは排斥したり、一段下に見てしまうところは誰しもあるので、当時の文化人類学者にとっては、キリスト教の方が優位に思えただけなのではないでしょうか。

    > 一神教も今もこの「自然信仰」をベースに成り立っていることを知らず、かれらは近代化の中で捨て去り、克服したと錯覚し、優越感に浸っているかに見えますが???
    <

    オリさんのキリスト教観であるなら、古代日本であっても、その神の恩恵、恩寵は隅々まで満ち満ちていたはずなので、現代的な理性優先を是とする考え方ではないでしょう。
    オリさんだけではなく、キリスト教信仰の方々全般に、他の文化への尊重というのは見えると考えています。

    また、実際キリスト教というものが、現代の科学優先思考と軋轢しないように、何かしら、その辺りは相互尊重されているように見えますが、最終的には神秘性のベールを被って、神、イエス・キリスト、聖霊という三位の不可侵性に結論付けられますから、もうそれは、信仰によってしか至れない道だと理解しています。

  • ドラマ「この世界の片隅に」
    配役いいですね。

    松坂桃李は、映画「日本の一番長い日」で血気盛んな将校役をやっていて、ぴったりでしたけど、戦時中の役とか出来る役者さんですよね。

    松本穂香さんは、のんびり天然なすずさんを、上手に演じていて、若妻らしい初々しさとそれなりにしっかりしているところも見えてよい。

    これは、のんさんだと、ちょっと演じられなかったかも、と。アニメの声はとっても良かったけれど。

    二階堂ふみも好きだし、お隣の娘さんもいい味だしてるし、楽しみ。

    ただ、現代の描写が必要なのか?という気持ちはあります。
    榮倉奈々さんが福祉の仕事していた、ということから、生きてらっしゃれば、現在ご老人であるはずの、すずさん?から、あの呉の家をカフェにする許可をもらっているように描写されてるようだけれど、なかなか、ねえ。。。

    ドラマだから、と言えば、別にいいんだけどね。

  • >>No. 67907

    被洗脳状態というのは、自分の体験ということではなく、あれこれの知識から書いたものですが、家族や身内に多少変な人がいた場合も、それに、どうにか対処しようとして、自分自身の認知の歪みを温存してしまう、ということはありうると思います。

    オウムは極端ですけどね。

    常識を身につける大切さ、でもあり、一方、自らに形成されてる常識を疑え、ということでもあって、自分自身を省みることが、きっと大事なんだと思います。

  • >>No. 44380

    うん。ウエイトレスさんにプレゼントした話、読んだよ。^^
    ウエイトレスさんのとこで可愛がってもらってるね。

    あのね、今さらだし、実行してないから、口だけだけど、私もフェリシモに注文して、木の実をくわえたのがうちに来たら、くごっちにあげようかな、とか思っていたの。
    木の実をくわえたのはくごさんのおうちに届いてなかった時で。

    もしかしたら、くごさんの希望と違うのと交換してもらってもいいかな、とか。

    でも運が悪いのか、そういう縁だったのか、うちには寝坊助ちゃんが来たので、その一個でフェリシモ止めて、愛用してます。^^
    すごく気に入ってるよ。

    教えてもらってありがとう。(*_ _)ペコリ




    > 一つ、紅くて可愛い木の実を咥えた小鳥ちゃん、
    > いつも使ってる(一回アキちゃんと行った)レストランの
    > ウエイトレスさんにあげちゃったぁ~(笑)
    >
    >
    > ウエイトレスさん辞める、一日前に、行ったのよ、ちょうど。
    >
    > ウエイトレスさん辞めて、
    > ダンスで食べていくんだって。。。
    >
    > 付き合いの長い可愛いお茶目なウエイトレスさんだったから、
    > 涙のお別れだったよ。。。

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