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投稿コメント一覧 (6938コメント)

  • >>No. 400

    >あなたは、五逆罪を知っていますか?


    おいおいww

    見当ハズレの返答しか出来ないのは
    もう、まともに反論できないようになったのか?
    wwwwwwww

  • >>No. 401

    >「日蓮仏法」というのは、日蓮仏ちゃんが説いた法、だすか、大爆笑


    清貧さんは何が言いたいのよ?www

    早く、「本門の本尊」が、どんな形してるのか?
    説明してくださいねwww

    論点は、ここなんですねwww

  • >>No. 404

    shirouさん

    三十二相の説明はしなくてよいですw

    要するに正法時代の色相荘厳の釈迦の姿に、
    凡夫と違う特殊な相があったという解釈でよいでしょう。
    あくまでも、後世の人の解釈です。
    仏に三十二相あったが木像・絵像には三十二相ないんです。

    「仏滅後は木画の二像あり是れ三十一相にして梵音声かけたり
    故に仏に非ず又心法かけたり、
    生身の仏と木画の二像を対するに天地雲泥なり」

    ですから、木像や絵像なんかは対境としては不十分なんです。

    論点は、ここから先なんです。

    何を「本尊」と立てるのか?

    文字曼荼羅は完璧に完成された大聖人「出世の本懐」です。↓

    「 一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大曼荼羅なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり」

    という有名な御文があります。また、

    「其の本尊は正法・像法・二時には習へる人だにもなし・ましてかき顕し奉る事たえたり」

    「此の曼荼羅能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや」

    「爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を
    末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり、

    是全く日蓮が自作にあらず多宝塔中の大牟尼世尊分身の諸仏すりかたぎたる本尊なり、
    されば首題の五字は中央にかかり・四大天王は宝塔の四方に坐し・釈迦・多宝・本化の四菩薩肩を並べ
    普賢・文殊等・舎利弗・目連等坐を屈し・日天・月天・第六天の魔王・竜王・阿修羅・其の外不動・愛染は南北の二方に陣を取り・
    悪逆の達多・愚癡の竜女一座をはり・三千世界の人の寿命を奪ふ悪鬼たる鬼子母神・十羅刹女等・
    加之日本国の守護神たる天照太神・八幡大菩薩・天神七代・地神五代の神神・総じて大小の神祇等・
    体の神つらなる・其の余の用の神豈もるべきや、宝塔品に云く「諸の大衆を接して皆虚空に在り」云云、
    此等の仏菩薩・大聖等・総じて序品列坐の二界八番の雑衆等一人ももれず、此の御本尊の中に住し給い
    妙法五字の光明にてらされて本有の尊形となる是を本尊とは申すなり。」

    shirouさんは御書が正確に把握できないようですね。
    あなたは、何が「三大秘法」の「本門の本尊」だと、お考えなんですかね?


    我々、日興上人の末流は日蓮大聖人「出世の本懐」である
    弘安二年に御図顕された「文字曼荼羅」を「本門の本尊」
    と定めております。定めるといっても、相貌の部分のことです。
    ですから、これを書写した本尊は分身散体といって、
    祈る人の信力、行力で功徳を引き出せます。

    大石寺の二十六世、日寛上人は
    「仮使発心真実ならざる者も正境に縁すれば功徳猶多し」
    と六巻抄にも仰せです。

    最後に、

    >貴方の教団の解釈では、仏をどの仏と説かれるかは存じません。

    南無妙法蓮華経です。
    南無妙法蓮華経が、仏の名前です。
    上の御文にありますように、釈迦や多宝も、この七文字の
    光明に照らせれて「本有の尊形」となります。

  • >>No. 414

    あらら・・・ww


    >寺院に御安置の仏像は、マネキンやおじちゃん、あるいはペコちゃんなどではない事が理解できたという事ですね?


    寺院に御安置の仏像が
    ゴータマ・シッダルタを完璧にデッサンしたものですか?

    説明、証明、お願いしますねww

    あなたも身延さん?

    頭、大丈夫?

    >日蓮上人は59歳にして、「妙」の字を「仏」。

    だから、私の説明にあるでしょう。

    日蓮大聖人の主張は「文字が仏」であり、
    南無妙法蓮華経というのは、仏の名前なんですよww

    ちゃんと、御書を読んでくださいww

    「仏の名を唱へ経巻をよみ華をちらし香をひねるまでも皆我が一念に納めたる功徳善根なりと信心を取るべきなり」(一生成仏抄)


    >欠けている一相を整えると、三十二相の仏、釈迦仏になるのではありませんか?


    はぁ?

    三十二相が整っても、
    それ以上に優れているのが未曾有の曼荼羅本尊なんですよ。

  • >>No. 156

    >は創価や日蓮の教えを信仰していようが、
    していまいが、死は不意に訪れる


    はぁ?

    neoさん
    統計、取りました?wwwwww


    では、現実に世界192カ国地域にまで発展している
    SGIの1500万世帯以上の方々の中に長生きして
    いる人が、たくさん、いた場合、どうなるの?

    あなたの意見は、ただの偏見ですね。

    あまりにも、偏りすぎwwww

  • >>No. 91

    ゆえに、先年来「海外における信仰のあり方」として、海外における御本尊流布にあたって、

    各国の国情や習慣等も考慮し、できるだけ信心しやすいように、学会としての指導をつづけてきたのである。

    たとえば、具体的には、第一に御本尊の御力を教え、入信したい人には、そのまま御本尊を受けさせてよろしいわけである。

    第二には、海外の諸国には、日本のように謗法物はないし、謗法払いは本人が御本尊の功徳がわかってきた後に、

    自分の意志でやっていけばよいわけである。

    第三には、真心こめて仏法を教え、まだ仏法を知らない人々であるから、決して邪宗うんぬんということばをいう必要はなく、
    ひたすら御本尊の功徳をしらせるべきだ等である。
     
    しかして、わが学会は、あくまでも各国の国是や立ち場を尊重しつつ、かつ各国の国民みずからの手で、
    正法による幸福と繁栄をうるよう努力している。これらは決して信心の妥協ではない。

    折伏精神を根本にした、折伏の上の摂受である。最近の海外発展が、とくにめざましいゆえんも、
    このように、日蓮大聖人のおおせのままに実践し、慈悲の精神を根底としているからにほかならないと確信するものである。

  • >>No. 418

    >仏像造立を賛嘆したことも
    >捉えなおしてみる必要があるんじゃね〜の?


    はぁ?

    あまりにも、読み方が「浅い」といわざるをいえないww

    日蓮大聖人は門下の仏法への真心を賛嘆するために
    あえて仏像の造立を称えたことはある。

    が、それは祈りの対境ではない。

    ここが理解できないから「本尊論」が理解できないと
    指摘しているのですね。

    対境は、あくまでも、「出世の本懐」である
    「未曾有の文字曼荼羅」である。

    これは、釈迦滅後、正法、像法時代には無かった未曾有の本尊です。

    ちゃんと、御書を読みましょうww


    「爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給はざる大曼荼羅を・末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」

    「経に云く「諸法実相」是なり、妙楽云く「実相は必ず諸法・諸法は必ず十如乃至十界は必ず身土」云云、
    又云く「実相の深理本有の妙法蓮華経」等と云云、伝教大師云く「一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形の仏」文、
    此の故に未曾有の大曼荼羅とは名付け奉るなり、仏滅後・二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云う事なり。」

  • No.159

    neoさん

    2012/11/24 10:17

    仏法は「部分的」「断片的」に読んでも理解できないということは
    わかりますか?

    釈尊の教えは「八万宝蔵」と呼ばれるほど膨大なんです。

    ですから、仏法で重要なのは「正しい師」の存在なんです。

    誰を師匠と定めるのか?

    ここに、重要性があります。

    日蓮大聖人も、釈迦滅後、竜樹・天親・天台・妙楽・伝教
    などは皆「正しい師」である、と御断言されています。

    逆に「誤った師」というのも挙げて、名指しで批判して
    さらに、その教義の誤りを文証を挙げて理論的に解明しています。

    わかりましたか?

  • >>No. 151

    ただ、せっかく懸命に一時間も題目を唱えているのに、終了するとため息をつく人がいます。

    題目を唱えながら、突然、仏壇をあちこち掃除したりする人もいます。
    ずっと体を動かし続ける人もいます。

    ひどい人になると、何かを思い出したように急に立ち上がって、題目を唱えながら用事を済ませてまた座る人もいます。

    これらは、左脳を使っているからなのです。大切なことは、右脳を使って祈るのです。

    目と耳は先ほど説明しました。三番目は右脳を使うのです。

    右脳を使うと、どんどん題目があがるようになります。どう使うか?です。

  • >>No. 161

    >死は不意に訪れる。
    >という一般常識に、統計が必要なのか?


    誰が「死」に対して統計を取れと言った?

    「寿命の長さ」に対して統計を取れ、と言ったんだ。

    アホwww

    世界、約1500万世帯の創価学会員さんの中に
    どの程度の人が早死にして、どの程度の人が寿命が
    長かったのか、統計を取りなさい。

    ちなみに、私の知り合いの創価学会員さんは
    現在93歳だが?

    wwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwwww

  • >>No. 421

    www

    neoちゃんは、まったく仏法の話が出来ないんだなwww

    何のために、東洋哲学のカテに張り付いてるんだよ?

    wwwwwww

  • >>No. 1280

    >「僧侶を批判すると来世はゴキブリ」と宗門坊主。お前らこそ害虫(ゴキブリ)・悪虫(イナムシ)だ



    今の宗門は御書を引いて、教義を説明できないから

    文証の無い馬鹿なんですwww

  • >>No. 92

    なお、この点について、日寛上人は、宗教の五義に約すのであると、次のように、開目抄文段のお示しになっている。
     
    第一には教法に約す。法華は正しく折伏の教法である。これすなわち法華の開顕は爾前の権理を破し、法華の実理を顕わすのである。

    玄文第九には「法華折伏・破権門理」といっている。同じように本迹においても種脱においても、本、種をもって、迹、脱を破するのである。
     
    第二には機縁に約す。本已有善の衆生のためには、摂受門をもって、これを将護するのであり、本末有善の衆生のためには折伏門をもってこれを強毒するのである。

    このゆえに疏の第十には「本すでに善あり、釈迦小をもってこれを将護す。本末将護だ善あらず、不軽は大をもって之を強毒す」といっている。

    第三には時節に約す。

    顕仏未来記にいわく「末法に於ては大小の益共に之無し、小乗には教のみ有つて行証無し大乗には教行のみ有つて冥顕の証之無し、

    其の上正像の時の所立の権小の二宗・漸漸・末法に入て執心弥強盛にして小を以て大を打ち権を以て実を破り国土に大体謗法の者充満するなり、

    仏教に依つて悪道に堕する者は大地微塵よりも多く正法を行じて仏道を得る者は爪上の土よりも少きなり、

    此の時に当つて諸天善神其の国を捨離し但邪天・邪鬼等有つて王臣・比丘・比丘尼等の身心に入住し法華経の行者を

    罵詈・毀辱せしむべき時なり、爾りと雖も仏の滅後に於て四味・三教等の邪執を捨て実大乗の法華経に帰せば

    諸天善神並びに地涌千界等の菩薩・法華の行者を守護せん此の人は守護の力を得て本門の本尊・妙法蓮華経の五字を以て

    閻浮堤に広宣流布せしめんか、例せば威音王仏の像法の時・不軽菩薩・我深敬等の二十四字を以て彼の土に広宣流布し
    一国の杖木等の大難を招きしが如し、彼の二十四字と此の五字と其の語殊なりと雖も其の意是れ同じ彼の像法の末と是の末法の初と全く同じ」と。

    開目抄下にいわく「設い山林にまじわつて一念三千の観をこらすとも空閑にして三密の油をこぼさずとも時機をしらず摂折の二門を弁へずば・いかでか生死を離るべき」と。

    末法に折伏を行ずべしという御文は限りなく、末法に生まれているわれわれが、折伏を行じなければならないのは当然である。

  • >>No. 424

    「無明癡惑・本是れ法性なり癡迷を以ての故に法性変じて無明と作る」


    ↑ 意味、わかる?

    wwww

  • >>No. 161

    創価学会の会員さん(全員)の「平均寿命」を

    述べなさいwww

    なんでも、その場の思いつきで返答するから、

    君は支離滅裂なことしか書けないのねwww

  • >>No. 428

    >「無明」とは、道理を理解できていない状態

    ま、これだけでは説明不足だが、

    「道理が理解できていない」のは、neoちゃんですw

    自覚が無いのが痛いwww


    (質問)
    では「無明」の生命を「法性」の生命と顕す方法は
    なんだね?





    (回答)
    一念には染浄の二法がある。その一つは、汚れた生命で、煩悩・業・苦に左右される迷いの法ある。これを染法という。
    いま一つは、清浄な法で、煩悩・業・苦に左右されない悟りの法である。これを浄法という。
    十界の上からこれをみれば、染法とは九界であり、浄法とは仏界である。また染法は無明であり、浄法は法性である。
    この染法が働くならば迷いとなり、不幸な人生となっていく。逆に浄法が働けば悟りとなり、幸福な人生になっていく。
    しかし、染法といい、浄法といっても、別々にあるものではなく、同じ生命のなかの変化であり、しかも法性真如の一理に帰するのである。
    法性真如の一理とは、衆生に本来そなわっている真実の絶対的真理であり、つまり妙法蓮華経のことである。
    自身に収まっている法性真如の一理を覚知し、顕現するかによって幸不幸もきまってくるといっても過言ではない。
    ただしこの法性真如の一理である南無妙法蓮華経を顕現するとめには、三大秘法の御本尊の信受以外にはない。
    それは、譬えば鏡に自身の姿を映すようなものである。もし鏡がなければ自身の姿を映すことができない。
    鏡の前に立つとき、自身の内にある法性真如の一理が映し出される。すなわち御本尊に向かって信力・行力を出すときに、
    御本尊の御力があらわれ、もともとそなえている法性真如の一理が現前するわけである。

  • >>No. 429

    tomom5299さん

    早く、「本門の本尊」を教えてくださいよwww

    反論できなくなると遁走するんですねwww

    根本の教義が無いから、説明も出来ないのでしょう?

    wwww

  • >>No. 160

    第一段階の「感謝すべき事に感謝する」という祈り。

    お願いします・助けてください、ではダメなのです。

    これは嘆きです。嘆きやお助けは左脳です。集合の世界です。

    ほとんど、全ての宗教団体がこの姿勢で祈ります。

    まず、これを止めなければなりません。

    そして、今まで自分が感謝すべき事はたくさんありますよね。

    こういうことがあったとか、こういう人に世話になったとか、これらを一つ一つ思い出すのです。

    何でもいいのです。どんな小さなことでもいいのです。それらを全部感謝していくのです。

    繰り返しになってもいいですから、とにかく感謝していくのです。

    感謝すべき事をどんどん想像してイメージして感謝していくと自分がどんどん元気になっていきます。

    自分で元気になることが分かるのです。右脳を刺激するからです。楽しくなります。

  • >>No. 432

    >「本門の本尊」とは、
    「久遠実成本師釈迦牟尼仏」
    「本門の教主釈尊」
    「久遠実成の仏」
    「三世常住の仏」
    「久遠下種の仏」
    「寿量品の仏」
    「久遠実成実修実証の仏」
    「久遠の仏」
    「久遠本仏」
    「久成の仏」
    「寿量の仏」
    「三身即一の仏」
    「無始の古仏」
    「本因本果の仏」



    ↑ で、どんな形してるんですか?

    はやく「本門の本尊」の形を提示してくださいよwww

    「久遠実成本師釈迦牟尼仏」の本尊って、どんな形してるんですか?

    wwww

  • >>No. 433

    >曼荼羅ご本尊は只の紙ですよ


    はぁ?

    完全に宗祖に違背していますね。


    「又此の【曼荼羅】能く能く信ぜさせ給うべし、南無妙法蓮華経は師子吼の如し・いかなる病さはりをなすべきや、鬼子母神・十羅刹女・法華経の題目を持つものを守護すべしと見えたり」

    「爰に日蓮いかなる不思議にてや候らん竜樹天親等・天台妙楽等だにも顕し給はざる大【曼荼羅】を・末法二百余年の比はじめて法華弘通のはたじるしとして顕し奉るなり」

    「伝教大師云く「一念三千即自受用身・自受用身とは出尊形の仏」文、此の故に未曾有の大【曼荼羅】とは名付け奉るなり、仏滅後・二千二百二十余年には此の御本尊いまだ出現し給はずと云う事なり」

    「一念三千の法門をふりすすぎたてたるは大【曼荼羅】なり、当世の習いそこないの学者ゆめにもしらざる法門なり」

    「此の妙法の大【曼荼羅】を身に持ち心に念じ口に唱え奉るべき時なり、之に依つて一部二十八品の頂上に南無妙法蓮華経序品第一と題したり」



    あなたも、宗祖、日蓮大聖人の教えを文証をもって説明する
    ことは出来ないようですね。

    それ以前に御書が読めないようですwww

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