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投稿コメント一覧 (223コメント)


  • 国連女子差別撤廃委員会の正体



    とんでもない反日ネットワークの実体が明らかに!!

    この国連女子差別撤廃委員会の委員やってる
    林陽子っていう日本人?が
    主犯じゃないかな
    早稲田出身
    弁護士

    東郷良尚(日本ユニセフ)・若宮啓文と座談会
    となんだかすごくキムチ臭いw
    差別撤廃委員会の林陽子氏は
    慰安婦のパンフを受け取り拒否
    あんた何人なんだ?w

    韓国の慰安婦詐欺を隠匿する犯罪に加担した犯罪者だろあんた
    外務省、慰安婦報告書の一部を意図的に削除か…裏で韓国からの圧力か

    慰安婦問題をめぐって日韓両国は昨年12月28日、以下の4項目で合意した。

    日本側は安倍晋三首相が元慰安婦に心からお詫びと反省を表明し、日本政府は元慰安婦への補償措置を講じる。また今回の発表で慰安婦問題は最終的かつ不可逆的に解決されることを確認し、日韓両政府は国連等国際社会において互いに非難・批判しない。

    ところがこの最後の条項が、慰安婦問題のくびきから日本人を永遠に解き放たないことが、2月15日と16日にジュネーブで開かれた女子差別撤廃委員会で明らかとなった。


    杉田氏らが歯がゆく思うことがある。肝心の女子差別撤廃委員会の委員長が、慰安婦問題に関する杉田氏らの主張に耳を傾ける様子がなかったことだ。しかも現在の委員長を務めるのは、日本人女性である林陽子氏だというのに。

    「私たちは事前に委員に日本の主張を書いたパンフレットを配布していました。ほとんどの委員は受け取ってくれましたが、林さんだけは受け取ろうともしてくれなかった。同じ日本人女性として、とても残念な気持ちになりました」(杉田氏)

    こいつがキムチ臭い林陽子 ↓


  • 「男系継承は女性差別」と勧告しようとした国連・女子差別撤廃委員会



    日本の国柄・伝統を無視し、「男系継承は女性差別」と勧告しようとした国連・女子差別撤廃委員会


    国連女子差別撤廃委員会対日審査の場においても、その前日の事前ミーティングでも、ご皇室に関する発言は全くありませんでした。

    記事の中に「委員会内での議論は非公開のため経緯は不明だが」とあるとおり、非公開の委員会で議論された可能性があります。

    この委員会の委員長は日本人。普通ならば、日本政府は日本人委員長を呼んで経緯の説明を求めてもいいはずです。なぜそれをしないのでしょう?

    この委員長こそ、松井やより氏の後継者で福島瑞穂氏らと慰安婦問題を世界に拡げた第一人者の林陽子弁護士です。この方を国連の委員長に推薦したのは外務省です。


    こいつが国連で日本を貶めようとする醜悪な林陽子 ↓


  • 私は死ぬ前にこの幸せな日を見ることができた喜びに泣いた





         爆撃機が飛んできても避難しないで





    着ていたシャツを破り、それを振って歓迎した





    【ビルマ独立】

     昭和16年(1941年)12月8日、日本は連合国へ宣戦布告(タイは翌年1月25日に連合国へ宣戦布告)。開戦と同時に、第33師団および第55師団を基幹とする日本軍第15軍はタイへ進駐し、ビルマ進攻作戦に着手する。

    12月15日ビクトリアポイント(現在のコートーン)を占領。12月28日タイのバンコクでビルマ人を集め「ビルマ独立義勇軍」を結成。年明けに日本軍はタイから国境を越えタボイ、トングーへ入りラングーンへ向けて進撃する。

    翌昭和17年3月8日には首都ラングーンを占領した。そして政治犯として刑務所に収監されていたバー・モウを解放し、彼を行政府の長官に就任させた。

     ビルマ初代首相タキン・ヌー氏
    「ビルマの民は日本軍を信頼していた。日本の爆撃機が飛んできても避難しないで着ていたシャツを破り、それを振って歓迎した。」

     タキン派(民族解放派)コドー・マイン氏
    「私の人生で今日ほど幸せだったことはない。わが国土から英国が追放され、偉大なアジア民族が馳せつけて他のアジア民族を解放してくれた。我々に古代の遺産と国土と自由、宗教、文化を取り戻してくれた。私は死ぬ前にこの幸せな日を見ることができた喜びに泣いた」


    「本日ビルマは50年以上にわたる英国の領有の後、世界の自由にしてかつ主権を保有する国家の間にその当然占むべき地位を回復セリ。ビルマは連綿として絶えざる長き歴史を通じ、誇りをもって当然の地位を占め来り、その間、ビルマの光栄は天における月日の如く輝きたり」

     外相に就任したウー・ヌー演説
    「歴史は高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例をひとつくらい見るべきだ。そして日本は人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える」


     これが歴史の真実である。


    靖国神社を参拝する当時のビルマ国家元首ウー・ヌー氏 ↓


  • あれだけの犠牲を払って戦わなかったら・・・




                 いまも




                    植民地のままだった!!




                          宣言は歴史に輝く!!




     1955年(昭和30年)になると、インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ二十九カ国が集まって、国際会議が開かれた。参加国は戦後独立した国がほとんどで、「黄色と黒の団結」と独立をアピールする会となった。

    この会はインドネシア(スカルノ大統領)の提唱で、コロンボ・グループと呼ばれたビルマ、セイロン、インド、インドネシア、パキスタンの五カ国が招請国となった。


     日本は高崎達之助経済審議庁長官を代表として十数名が参加したが、他国はいずれも元首、首相級が出席し、政府レベルの国際会議となった。出席者のなかには周恩来、インドのネール、エジプトのナセル等の顔もあった。加瀬俊一外務相参与(後に国連大使となる)は、外務大臣代理で出席したのだが、その時の模様を次のように語っている。

    「この会議の主催者から、出席の案内が来た。日本政府は参加を躊躇していた。アメリカへの気兼ねもあったが、何分現地には反日感情が強いに違いない、と危惧していた。私は強く出席を勧めて遂に参加が実現した。

    出てみるとアフリカからもアジアの各国も『よく来てくれた』『日本のおかげだ』と大歓迎を受けた。日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々はいまもイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった。

    それにあの時出した『大東亜共同宣言』がよかった。大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出してくれた。『アジア民族のための日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く』と大変なもて方であった。

    やっぱり出席してよかった。日本が国連に加盟できたのもアジア、アフリカ諸国の熱烈な応援があったからだ。

    ところがこのように評価されている大東亜戦争の勇戦や、大東亜会議の意義だが、日本のマスコミや学会では取り上げられない。この辺にも日本の歴史認識や外交の未熟さがあるように思われてならない」

    この話は平成十九年に無くなった名越二荒之助氏の「昭和の戦争記念館第5巻」(展転社)に掲載されているものです。


    これが、アジア・アフリカ会議、非同盟諸国会議またの名をバンドン会議 ↓


  • 歴史が産み落とした唯一の奇・形児!!




                鬼胎民族として歩む




                   悲劇と喜劇の倒錯のイバラ道





    日韓併合後、日本は朝鮮半島を日本本土と同じと考え
    日本国民の莫大な税金を注いで、朝鮮を近代化させた。
    日本の敗戦後、韓国はアメリカによって独立し
    結果的に日韓併合は日本に多大な経済的損失を与えただけとなった。

    しかし、それでも日本は朝鮮を併合したことについて
    歴代首相や天皇が何度も何度も韓国に謝罪し、賠償している。

    1965年に日本は、日韓の歴史問題の清算として「日韓基本条約」を締結した。
    日本は韓国に個人補償形式による賠償を提案しましたが、韓国はこれを拒否し
    国家賠償としてお金を受け取り、個人賠償の分配は韓国政府が行うものという形で日本政府と合意した。

    また、日本が朝鮮半島に残した総資産は現在価格で16兆9300億円にもなるが
    日本政府はこの返還を放棄している。
    他のアジア各国の植民地と比較すると、韓国は最高の待遇を受けたと思う。

    日韓基本条約で韓国が日本から貰った資金は主に韓国の国家経済の建て直しに使用されインフラという形で韓国全国民が恩恵を受けたのだ。

    しかし、韓国政府は1965年に締結した日韓基本条約を2004年になるまで韓国国民に隠していた。

    また、戦後の日本は韓国に経済援助と技術支援をし続けてきたが韓国社会では、日本がどれだけ韓国に援助していても日本の貢献という類のことは国民に知らされない。

    ですから、韓国人たちは事あるごとに日本に対し「日本人は謝罪も賠償も反省もしない」と批判する。

    朝鮮人は、日本の旧植民地である朝鮮、台湾、パラオなどの中で一番の高待遇を受けた国なのだが、日本統治の肯定的な側面と否定的な側面を客観的に評価しているパラオや台湾とはまるで歴史観が異なる。

    韓国の言論では、日韓併合の肯定的な側面を少しでも評価することは許されない。
    韓国は民主主義で自由な国家だと思われているかもしれないが、実際には、IPI(International Press Institute)に言論をコントロールしている国家として監視対象にされている国である。



    というような教育がされている。


  •  かわいそう過ぎませんか?





           助けてあげたいとは思わないのでしょうか?





              「お上(警察)はお目こぼし」をしているのでしょうか?





    アラバマ州で売春行為をしていた韓人女性3人が検挙されました。ライムストーン郡保安局は先月29日の午後、65号フリーウェイの近郊パインツリースパ(Pine Tree-Spa)でブラントン・チョン・E(57歳)とキョン・ギョンイム(64歳)、キム・ギョンスク(51歳)など、韓人3人を売春と売春斡旋の疑いで逮捕したと明らかにしました。店舗のパイプの中に隠されていた1万2千ドルの現金が押収されました。

    (ラジオコリア) 

     
     私がいつも不思議に思っているのですが、東京では「新大久保」に「韓国人デリヘル(売春)」があることは「公然の秘密」ですよね。 

    上の記事によると「売春が行われているという地域住民の情報提供が相次」げば、アメリカのように日本の警察も動いてくれるのでしょうか? それとも、「韓国人売春利権」というものがあって、「お上(警察)はお目こぼし」をしているのでしょうか? この辺の事情をご存知の方はコメントください。

       
     もう一つ おかしいと思うのは、「日本軍は朝鮮人を性奴隷にした」と日本の中でも騒いでいる在日連中は、現在進行形でおこなわれている「韓国人売春」については、「止めさせたり」、「警察に通報したり」はしないのでしょうか? 

    伝えられるところによると、韓国から日本に送り込まれた韓国人女性は借金まみれになっており、過酷な状況の中で酷使されていると言います。在日韓国人男性はこういう女性を助けてあげたいとは思わないのでしょうか? かわいそう過ぎませんか?

     それとも、韓国人(朝鮮人)にとっては「売春は朝鮮の伝統的な職業」なんでしょうか? もしかして韓国人の間ではこれは「当たり前」のことなんですか?


  • ついに暴かれる闇資料!!





        これは、特定秘密保護法違反で罰せられるかも・・・





    自称慰安婦たちの氏姓に関して、産経新聞はプライバシーに配慮し、一部黒塗りで掲載しているが、配慮する以前に名字だけの証言者がいた。加えて、「白粉」といった謎ネームや漢字表記が不明な者も混ざっている。

    どこの誰か殆ど不明の自称慰安婦集団だ。証言内容はさらに荒唐無稽で支離滅裂。あっさり矛盾が暴露したうえ、決定的な時代考証ミスも発覚した。


    【ジープに乗った従軍慰安婦】


    傑作は謎人物「白粉」の証言だ。

    「日本で親戚の手伝いをしていた。16歳のとき、洋服の男2人にジープに乗せられ、台湾で日本人と平壌出身の夫婦に引き取られた。(略)昭和17年ごろマニラに連れていかれ…」

    またしてもジープ登場だ。戦時中の我が国でジープに乗ったという淡い思い出…固有名詞の米国製車種とは限らないが、当時の我が国にジープ型の乗用車は存在しなかった。

    「ジープで連れていかれる」という話のモチーフは、別の自称慰安婦も繰り返し使う。これは謎ではなく、単に朝鮮戦争以降の実体験を援用している為である。

    自称慰安婦の多くが南鮮軍・米軍の慰安婦=洋公主(ヤンゴンジュ)だったと推測される。河野洋平は、そんな洋公主の物語を聞き、我が国を貶めたのだ。余りにも罪は深い。



    【禁断の「キーセン学校出身」】
    「養父のもとでキーセン学校に通っていた。17歳のころ、平壌から北京に逃げたが、将校風の軍人に連れていかれた」

    「金●●」の証言だ。反日陣営が必死に隠す「キーセン出身」という履歴をあっさり明かす。そんな人物こそが“元祖従軍慰安婦”金学順(キム・ハクスン)である。

    1991年8月11日付の朝日新聞が“スクープ”し、一連の捏造記事の出発点にもなった札付きの自称慰安婦。1924年10月20日という生年月日は一致するが、訴訟では23年生まれの設定だったり不備も多い。

    出生地も平壌で符合しているが、この金学順と金福善以外に出身地が明記される残る1人「文●●」の正体は不明だ。訴訟で知られる文玉珠(ムン・オクチュ)は大邸出身の設定で、ソウル生まれではない。


    下は、平壌のキーセン学校で学んだ金学順(聯合ニュース) ↓


  • 何の解決の見込みがないことを持ち出して


    何年も始終ケンカばかりしている


            何が悪く何が正しかったを調べても現実には全然役立たない


                     協力すれば国がうまく 行くのに


    安秉直教授がテレビ出演 … 「慰安婦業者の半分は朝鮮人」「日本に謝罪ばかり求めて何になるか」


    ■教科書フォーラムの安秉直、「慰安婦は自発的」妄言で波紋

    安教授はこの日のインタビューで、慰安婦がいたことを否定する人はないとしながらも、「問題は強制動員だ。強制動員されたという一部の慰安婦経験者の証言はあるが、韓日とも客観的資料は一つもない」として、慰安婦動員の「自発性」を強調した。

    記録がないからといって強制性に対する評価を留保するのは間違いではないか、という司会者の質問に安教授は、「軍隊慰安婦や一般慰安婦の生活は悲惨きわまりない。私たちはそのことに目を閉ざしてはならない。韓国にも私娼窟という慰安婦が多数いるが、そうしたことを無くすためには、なぜそのような現象が発生するのかを研究せねばならない。無条件強制によってそうした現象が起きる、とは考えられない」などと、とんでもない返事をした。

    安教授は更に、慰安婦業者のうち半分は朝鮮人だったとして、「(当時)朝鮮人が何の権力で強制的に動員したというのか」と主張したりした。

    安教授はただ、軍が強制動員した可能性があると思って自分は韓国挺身隊問題対策協議会と共同 で調査をしたと明らかにしたうえで、「3年活動してからやめた理由は、彼ら(挺身隊対策協)の目的が慰安婦の本質を把握して今日の悲惨な慰安婦現象を防止することではなく、日本とケンカすることだったからだ」と主張した。

    そんな調子の反日運動が今日の私たちにとって何の意味があるのか、という疑問から挺身隊対策協との活動をやめたということだった。

    安教授は更に、「過去の何が悪く何が正しかったを根掘り葉掘り調べても現実には全然役立たない。」として、「私たちが協力すれば国がうまく 行くのに、独島やら靖国やら何の解決の見込みがないことを持ち出して何年も始終ケンカばかりしている。こんなことをするなと言っているのだ」と表明した。


    MBCに抗議殺到..."日本に追放しろ!"

    韓国で真実を言ったがために暴行を受けるアン・ビョンジク教授 ↓


  •  はい!   事実です!!






                日帝によって“文化”を破壊された!!






                「労働蔑視」という大切な儒教文化を日帝が破壊したわけです!!







    李朝時代の朝鮮は両班(ヤンバンあるいはリャンバン)と言われる貴族階級があり、儒教が説く聖人君主たる条件である「働かず身を動かさない」という教えを守り、極端に労働蔑視していました。

    グレゴリー・ヘンダンーソン 『朝鮮の政治社会』
    「国家と民衆を食い物にして私腹を肥やすことしか考えていなかった」

    イザベラ・ルーシー・ビショップ(英作家)
    「両班はキセルですら自分で持たず、徹底して何もしないのが慣わしだった」

     日露戦争では民衆は日本軍に協力しており、その中に両班も居ましたが、従軍した兵士によると「両班は生意気で、怠け者ばかり。なんべんか両班のやつをくらした(殴った)ことがある。働かんからだ。日本の村にあげなもんはおらん。威張ったゴミたい」(博多弁です)と述べています。

    「労働」に対する考え方が異なるのですから日本人にとっては驚きだったでしょう。ちなみに日本人は「労働は美徳である」と神話から来る伝統で考えており、西洋人は労働は「神が与えた義務」とキリスト教の教えで考えています。

    この労働蔑視の考え方を変えたのが日本統治でした。朝鮮総督府は両班の問題と農民自身にも積極的な意欲が無いことに着目し「勤労愛好、自主自立、報恩感謝」のスローガンを掲げ、農民を覚醒させ「自ら開き、自ら律し、自ら治め、自ら励み、自ら働く」という「独立自尊」の精神に基づいて農業を展開していきます。

    宇垣総督は農民生活の実態を把握するため地方巡視の際には村落に入り、自ら更生計画農家を視察しています。また郡守や村長の説明を聞き、農民を訪ね激励しています。農村振興のため、中堅人物、中堅青年の育成、婦人講習会、ハングル講習会、家計簿の普及などの指導が行われます。善意と愛情に満ちた農村振興運動は官民各層の共鳴を呼びます。

    現在、韓国では日帝によって文化が破壊されたとして、日本国内でもそういう論調がマスメディア中心に主流のようです。たしかに「労働蔑視」という大切な韓国の儒教(朱子学)文化を日帝が破壊したわけですね。韓国に謝罪される方はこのことも謝罪してあげてくださいな。


  • それって、本当なんですか??


      農地を奪われた??



         渡航を余儀なくされた??



    ジャーナリスト水間政憲さんによると2005年に枚方市人権制作室が実施した「人権課題に関する市民意識調査」では「現在、日本に住んでいる韓国・朝鮮人の多くは、かつて日本の植民地政策によって農地を奪われたりして、日本への渡航を余儀なくされたり、あるいは戦争中に労働力として強制的につれてこられ、差別を受けてきた人々やその子孫であることがおおいといわれています。

    もともと朝鮮半島では土地所有制度が整備されておらず、誰の土地であるかが不明瞭であり、暴力による土地収奪や所有にめぐる抗争が絶えませんでした。日韓併合後、1910年から1918年にかけて土地調査事業が行われて、これにより土地所有が確定されています。

    所有が証明できない場合や所有権が明確でないケースにおいて国が土地を接収しました。これによると日本が朝鮮政府から引き継いだ農地はわずか2.7%です。引き継いだ農地は割賦払い下げしたり、その代金で教育機関の増設や水利および農業の調査奨励など国利民福を推進しています。

    李榮薫(イ・ヨンフン)著「大韓民国の物語」によると李氏は土地調査事業当時に作成された文書群が大量に発見されたときの研究発表で一働きしており、総督府は国有地をめぐる紛争の審査においては公正であり、さらには、既存の国有地であっても民有である根拠がある程度証明されれば、これを民有地に転換するという判決を下すのに吝(やぶさ)かではなかったと述べています。

    朝鮮では李朝時代、土地制度がくずれて農地は官僚や貴族たちの争いの場になりましたが、日本統治により農民による土地所有権が確立したばかりでなく、耕地面積はどんどん増え、匪賊の出没から朝鮮農民を保護していたのです。


    <参考>耕地面積(単位:町)
    1910年 2,464,904.4
    1929年 4,392,115.6

    <参考>農業戸数
    1928年
    内地人:           10,390人
    朝鮮人:        2,801,827人
    満州国人及び中華民国人     3,039人

    1942年
    内地人:            5,893人
    朝鮮人:        3,043,465人
    満州国人及び中華民国人     4,087人


  • それは、天に向かって唾を吐くようなもんだ!!






    韓国国歌は満州の歌だった!!






                太極旗を考案した朴泳孝は親日派(=売国奴)だった!!






    韓国では2005年12月、「親日反民族行為者財産の国家帰属に関する特別法」という凄まじい法律が公布された。

    親日反民族行為真相糾明委員会という大統領直属の国家機関に「親日派」と認定されると、本人もしくはその子孫の財産が国家によって没収されるという法律だ。実際問題本人はほとんど亡くなっているので、そのひ孫・孫の財産を事後法によって収奪するという法律だ。

    しかし今回公表された「親日(売国奴)」追加リストには、元大統領以上にインパクトのある名前が掲載されていた。朴泳孝(パク・ヨンヒョ)と安益泰(アン・イクテ)だ。朴泳孝は韓国国旗(太極旗)の考案者であり、安益泰は韓国国歌「愛国歌」の作曲者だった。

    韓国人といえば世界一の国旗フェチだ。しかし太極旗をデザインした朴泳孝は親日派の売国奴だった!!!さらに国歌の作曲者までもが、親日派の売国奴だった!!!

    そもそも韓国国歌(愛国歌)は、安益泰が作曲した管弦楽曲「韓国幻想曲」の終曲の合唱部分だった。しかし2006年3月、「韓国幻想曲」が、満州国建国10周年を記念して発表していた「満州交響曲」と同じ曲だったことが発覚した。

    安益泰は指揮者でもあったが、1942年彼が自らベルリン放送交響楽団を指揮して「満州交響曲」を演奏するフィルムが、最近ドイツで見つかってしまった。

    韓国国歌は満州の歌だった!!李氏朝鮮を建国した李成桂には女真疑惑があり、朝鮮人にとって満州はまったく縁のない話ではないのだが。


    朝鮮半島の近代化は日本統治からはじまった。1910年(韓国併合)に1300万人しかいなかった朝鮮民族は1945年(終戦)に2500万人を突破した。朝鮮民族はわずか35年程度で人口が倍増した。

    韓国は、自国の国旗考案者や国歌作曲者を自ら売国奴に認定した。荒唐無稽なファンタジー反日歴史観が完全破綻した瞬間といっていいのではないか。「日本統治時代は、すべて悪だった」が破綻したのだ。韓国はついに自国の本当の歴史に真正面から向き合わざるをえなくなったのではないか。

    1942年ベルリンフィルを指揮する安益泰 ↓

  • 一時的に居住しているだけ





          介入に繋がるから断固拒否
     




             教育の義務を受け付けない





    ◆朝鮮学校はなぜ生まれたのか【正しい経緯】


    『在日朝鮮人は日本の公民ではなく朝鮮の在外公民であるから、朝鮮にのみ忠誠を尽くす』
    『一時的に居住しているだけの日本の教育を受ける必要はなく日本の教育を拒否する』
    『汚らわしい日本の援助金も介入に繋がるから断固拒否する』
    『日本の関与を排した学校を作り、朝鮮独自の教育を行う。日本語など覚えなくて良い
    『数年後には在日朝鮮人全員は朝鮮に帰還するのだ』
    ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
    終戦直後、在日朝鮮人一世たちがこう大々的に宣言して生まれたのが朝鮮学校である。

    従って日本政府は「非国民」である在日朝鮮人に日本国の教育の義務が無い特例を与えたのだ。

    日本政府は1銭も出さないという約束で誕生したのが朝鮮学校。

    だからこそ義務教育拒否・文科省の指導拒否で、デタラメな教育やりたい放題だった朝鮮学校である。

    ところがいつの間にか、
    『日本の補助金を貰えないのは差別だ』
    『日本の大学に入れないのは差別だ』
    とほざくようになった在日朝鮮人ども。

    教育の義務を受け付けないのだから権利があるはずがない。

    日本国籍拒否の非国民の民族学校に公金を補助する国家は世界のどこにもない! 

    「日本の教育」をまるでしてないのになぜ日本の納税者がカネを負担するいわれがあるのだ?

    なぜ本国(=北朝鮮)から補助金を貰わないのだ? 総連は金正日の葬式にピョンヤンに行ったときになぜカネを頼まない! 虫が良すぎんだよ。

    矛盾もいいとこ! 詭弁もいいとこ! 恥を知れ! 情けなくて在日一世が墓の中で泣いてるぞ! 民族の誇りはどこへ行った!

    日本のマスコミも、過去の経緯を正確に把握した上で報道しろ。過去をすべて消し去った偏った報道をするな。日本の報道機関とは到底思えない。

    日本は海外にある日本人学校にそこの国の援助など依頼したりはしない。どこの国に、外国に作った学校をその国に面倒みろという国があるか。

    日本の自治体がそれも分からずに独自に公金を補助するのは、似非日本人が役人をしているということか?そう思われても仕方がないだろう。

    おい、何か文句あっか? えっ!!

  • 歴史を直視しましょう!!!




     ◆ジャワハルラル・ネルー(インド、独立後の初代インド首相)
     
     チャンドラ・ボーズが日本と協力してつくったインド国民軍《INA》の裁判で、弁護士として法廷に立ち
     「これら立派な若者達の主たる動機は、インド解放への愛情であった・・・彼らの日本との協力は、インド解放を促進するための手段であった。余はチャンドラ・ボーズ氏の独立への情熱を疑わない」と述べた。
    (貝塚茂樹編『民族解放の星』講談社、253~4頁)


    ◆ガザリー・シャフェー(マレーシア、元外相、アセアン創設によりハマーシェルド賞受賞)
     
    日本の某代議士の「過ぐる大戦において、わが国は貴国に対しご迷惑をおかけして申し訳ありませんでした」という挨拶に対して、「どうしてそういう挨拶をなさるのですか。あの大戦で日本はよくやったではないですか。マレー人と同じ小さな躰の日本人が、大きなイギリス人を追い払ったではありませんか。

    その結果、マレーシアは独立できたのです。大東亜戦争なくしては、マレーシア人もシンガポールも、その他の東南アジア諸国の独立も考えられないんですよ」
     
    さらに続けて、玉井顕治、名越二荒之助、中島慎三郎の三氏に対していわく。
    「私は威張る人も、ぺこぺこする人も嫌いです。日本はもっと大きくアジアに眼を開いてください。現在、日本は南方の発展途上国に対する援助額はダントツです。押しも押されぬアジアの経済大国ではありませんか。
     
    『ルック・イースト』『日本に学べ』という呼びかけは、シンガポールやマレーシアだけではありません。口に出しては言わないけれど、アジアの国々のこれは本音なんですよ。かって反日感情の強かった国々にも、次第に親日感情が起こりつつあります。
    そうしたなかにあって、日本は欧米にばかり目を向けず、アジアに対して責任を持つ国になって欲しいのです。日本はかつてアジアに対して責任を感じ、そのために、戦争であれだけの犠牲を払ったのです。

    この尊い戦争の遺産を否定することは、バックミラーばかり見ているようなものです。自動車は前を見て運転しなければ、進路を間違えますよ」
    (昭和六十三年七月十九日、於赤坂プリンスホテル)

    マレーシアの中学校の国定教科書には、今でも日本軍は解放軍と書かれています。 ↓
    残念ながら、ほとんどの日本人の方がこのことを知りません・・

  • インドネシアのジャカルタ郊外のカリバタ国立英雄墓地には、日本軍降伏後、4年5ヶ月におよんだイギリス、オランダとの独立戦争で特別な功労を立てて戦死した人々が祀られています。この中に11名の日本人が一緒にインドネシアの英雄として手厚く葬られているのです。

     この独立戦争には、日本軍降伏後も現地に残留してインドネシア独立義勇軍に身を投じた約2千人の日本人が参加し、そのうち400名程度が戦死され、そのうちの32名が各地区の英雄墓地に祀られているそうです。

    また独立50周年となった平成7年には、残留日本兵69名に対して渡辺インドネシア大使から感謝状が贈られ、スハルト大統領は官邸に招いてお礼を述べられています。

     インドネシア政府からは叙勲や恩給の支給など、丁重な敬意が行われてきたそうですし、かつてのスカルノ、スハルト大統領等は来日のたびに独立戦争に参加した戦士達に面会を求め、謝意を表してきたということですが、しかし、このようにして戦死した日本人の英霊に対しては日本政府からは何の手当ても為されていないとのことです。

     戦争開始頃の時代に話を戻してみます。太平洋戦争が始まると今村均中将率いる第16軍は、総兵力5万5千をもってジャワ上陸を敢行しました。ところが、現地の人々が積極的に日本軍の進撃を助けてくれたおかげで、わずか10日でオランダ軍は全面降伏してしまいました。

     インドネシアは、1602年にジャワ島にオランダは東インド会社を設立し、それ以来約350年間のオランダの植民地となっていました。

     やって来た日本軍の行動でインドネシアの人々が驚いた事は、幽閉されていた独立運動の指導者スカルノ、ハッタを解放してインドネシア側代表の位置につけたこと、次にイスラム教に対する制約を撤廃してマシュミ(インドネシア回教連合会)を作り、イスラム教の指導者達が初めて直接話ができるようにしたこと、そして最も注目すべきことはインドネシアの教育に力を入れたことだったそうです。


    下はインドネシアの独立記念日の式典での行進です。先頭には必ず日本兵が立ちます。
    しかし残念ながら、日本人のほとんどの方がこのことを知りません・・ ↓


  •  皆様方は次の歌はご存知でしょうか。




     「守るも攻むるも鋼鉄の 浮かべる城ぞ頼みなる
     浮かべるその城日の本の 皇国の四方を守るべし
     まがねのその艦日の本に 仇なす国を攻めよかし」

     これは日本の軍歌「軍艦マーチ」です。かつては日本海軍の誇りの名曲でした。

    何でこんなお話から始めるのかと言いますと、ミャンマーでは3月27日の国軍記念日になると、全国のミャンマー国軍が首都ヤンゴンに集まって盛大なパレードを繰り広げますが、このパレードではいきなり今紹介した「軍艦マーチ」から式典が始まっているのです。

    続いてミャンマーの軍楽隊は「歩兵の本領」「愛馬進軍歌」など、昔の日本の歌を次々と演奏していきます。これはいったいどういうことでしょうか。

    実は、ミャンマーは大変な親日国家なのです。ミャンマーでは、政府の高官からジャーナリストに至るまで「ミャンマーが今日あるのは、日本のおかげです。日本のおかげで、英国の圧制を逃れ、独立を果たすことができました。我々は深く日本に感謝しています。」と多くの人々が考えているそうです。

    日本の先の戦争のことを自虐的に考えている人や、中国や韓国からの情報をアジア全体の代表する声と考えている人は、きっとわけがわからなくなること思います。

    ミャンマーは19世紀に3度にわたってイギリスの攻撃を受けました。ついに1886年にイギリスの植民地とされ、そのとき既にイギリス領であったインドの一州に組み込まれてしまいました。

    ビルマ(当時の呼称)の国王夫妻はイギリス領スリランカに流刑され、その地で死亡しました。そのために王制は途絶えてしまいました。王子は処刑され、王女はイギリス軍の士官の従卒に与えられてしまいました。

    その後の悲劇を、ミャンマーのバー・モウ元首相はこう書いています。「外国人による搾取は上層から下層まで、あらゆる方面で暴虐さを加えていた。巨大イギリス企業は上等の部分をすべて独占し、インド人と中国人の商人たちがそれに続いて中級の部分をほとんど手に入れてしまっていた」。これはバー・モウ元首相の著書『ビルマの夜明け』の一節です。

    こんな悲惨な状況を一転させたのが日本軍のビルマ進攻、また日本によるビルマ独立志士たちの育成でした。


    ビルマ=ミャンマー建国の父、面田紋次ことアウンサン将軍(右端)と娘のスーチーさん(左端)  ↓


  •  日露戦争後の日本には、アジア各国からの留学生が溢れていました。その中の一人にビルマの僧オッタマがいました。オッタマ僧正は抗英独立運動をおこなって投獄されたこともある人物で、日本にやってきたのは1907年のことでした。

     彼は3年間日本に滞在して取材した内容を『日本』という本にまとめ、ビルマで発刊しました。その中で、「我々も仏陀の教えを中心に青年が団結、決起し、日本に頼れば、必ず独立を勝ち取ることができる。」と主張しています。

     その後もオッタマは、ビルマの完全自治を要求する運動を起こし、イギリス政府によって投獄されるなど、何度も投獄、出獄を繰り返し、ついに1939年に獄死してしまいますが、その反イギリス精神はビルマ独立の志士たちに受け継がれていきました。

     オッタマに受け継がれた若き志士の1人に、タキン党の青年で、のちに「ビルマ建国の父」と呼ばれるオン・サンがいます。オン・サンとは、現在ミャンマーで活躍しているアウン・サン・ス-・チー女史のお父さんに当たる人です。

     1930年代後半に、若き志士たてちタキン党を中心に反イギリス運動は国民的盛り上がりを見せますが、イギリスは独立運動の大弾圧を始め、志士たちの多くが逮捕、投獄されてしまい、これを逃れたオン・サンは独立蜂起のため日本への亡命を希望していました。

     当時の日本は、英米によるビルマルートからの中国の蒋介石軍への軍用物資の援助の遮断が日中戦争早期終結のための不可欠の問題になっていましたので、日本はビルマ青年たちを支援して、ビルマからイギリス勢力を追放するためにビルマ独立を達成しようと考えたのです。

     1940年、日本陸軍は鈴木敬司大佐をビルマに派遣、オン・サンらを救出し、大佐の故郷である浜松に亡命させます。そして、鈴木敬司大佐を機関長としたビルマ独立のための「南機関」はビルマ独立運動の中核となるビルマ人志士30人をひそかに日本に脱出させ、

    彼らに武装蜂起に必要な軍事教育をし、その教育訓練の終わったビルマ人志士を再びビルマに潜入させ、反イギリス運動を起こしてビルマ独立政府の樹立を宣言させました。

    このときの30人が、後にビルマの独立と建国の英雄として現在呼ばれている「ビルマ30人志士」というわけです。

    下の写真は、右端がオン・サン=アウン・サン将軍で左端が娘のスーチーさん ↓

  • (在日)朝鮮人はなぜ、元号の使用を嫌がるのか??




    新羅が7世紀に唐の支援を受けて朝鮮半島を統一して以来、中国の臣下として属国となり徹底した中国化が推し進められました。それまで日本のように漢字で二文字、三文字あった苗字はすべて漢字一文字に変更されました。

    朝鮮の歴代王朝は自ら自国の元号を設定することなく、信書では必ず中国の元号を使用し、国内の出来事を記すときはもっぱら干支を使用することにしたわけであります。

    たとえば秀吉の朝鮮征・伐は壬辰倭乱、日清戦争は甲午事変と言うように。

    そして近年に至っては、厚かましいにもほどがありますが、韓国は日本の歴史教科書も、日本の元号で表記するのではなく、すべて干支で表記するように求めてきています。北朝鮮の立場も同様です。

    また日本でもごくまれではありますが、幕末の倒幕戦争を戊辰戦争と呼んだり、古代の日本での内乱で壬申の乱というのもあるにはありますが・・

    でも日本では、大化の改新、承平・天慶の乱、元寇のことを弘安・文永の役、頼朝死後の承久の乱、室町時代の嘉吉の乱、応仁の乱、朝鮮征・伐を文禄・慶長の役、江戸時代の享保、寛政、天保の改革、明治五年の政変等等、元号で表記されたものが圧倒的多数を占めます。


    また、日清戦争で日本が清を打ち破ったことにより朝鮮の独立が認められると、李氏朝鮮は早速にもまず国号を大韓帝国と改め、朝鮮国王の高宗は今や中国と対等であるという意味で皇帝を称するようになりました。

    そして統一新羅以来朝鮮初の元号として、“開国“を宣言しました。(開国→建陽→光武→隆熙、1894年から開国で、1897年から光武と改めこの時大韓帝国と称しました。最後の元号は隆熙で以後日韓併合時代となります。)

    ですから、朝鮮の歴史にはまったくといっていいほど朝鮮独自の元号は出てきません。出てくるのは、中国の元号と干支を使った表記しかないわけです。

    はなはだしきは、高麗の時代、中国では唐滅亡後の五代十国時代、後唐、後晋、後漢、後周、宋の元号使用と目まぐるしく入れ替わります。仕方ありませんね。ご主人様がころころ入れ替わるのですから。

    てなわけで、朝鮮人は干支表記を好み、元号を嫌うようになったのです。


  •  日露戦争後の日本には、アジア各国からの留学生が溢れていました。その中の一人にビルマの僧オッタマがいました。オッタマ僧正は抗英独立運動をおこなって投獄されたこともある人物で、日本にやってきたのは1907年のことでした。

     彼は3年間日本に滞在して取材した内容を『日本』という本にまとめ、ビルマで発刊しました。その中で、「我々も仏陀の教えを中心に青年が団結、決起し、日本に頼れば、必ず独立を勝ち取ることができる。」と主張しています。

     その後もオッタマは、ビルマの完全自治を要求する運動を起こし、イギリス政府によって投獄されるなど、何度も投獄、出獄を繰り返し、ついに1939年に獄死してしまいますが、その反イギリス精神はビルマ独立の志士たちに受け継がれていきました。

     オッタマに受け継がれた若き志士の1人に、タキン党の青年で、のちに「ビルマ建国の父」と呼ばれるオン・サンがいます。オン・サンとは、現在ミャンマーで活躍しているアウン・サン・ス-・チー女史のお父さんに当たる人です。

     1930年代後半に、若き志士たてちタキン党を中心に反イギリス運動は国民的盛り上がりを見せますが、イギリスは独立運動の大弾圧を始め、志士たちの多くが逮捕、投獄されてしまい、これを逃れたオン・サンは独立蜂起のため日本への亡命を希望していました。

     当時の日本は、英米によるビルマルートからの中国の蒋介石軍への軍用物資の援助の遮断が日中戦争早期終結のための不可欠の問題になっていましたので、日本はビルマ青年たちを支援して、ビルマからイギリス勢力を追放するためにビルマ独立を達成しようと考えたのです。

     1940年、日本陸軍は鈴木敬司大佐をビルマに派遣、オン・サンらを救出し、大佐の故郷である浜松に亡命させます。そして、鈴木敬司大佐を機関長としたビルマ独立のための「南機関」はビルマ独立運動の中核となるビルマ人志士30人をひそかに日本に脱出させ、

    彼らに武装蜂起に必要な軍事教育をし、その教育訓練の終わったビルマ人志士を再びビルマに潜入させ、反イギリス運動を起こしてビルマ独立政府の樹立を宣言させました。

    このときの30人が、後にビルマの独立と建国の英雄として現在呼ばれている「ビルマ30人志士」というわけです。

    下の写真は、右端がオン・サン=アウン・サン将軍で左端が娘のスーチーさん ↓


  • 金徳元 ヘロイン密輸事件 広島朝鮮高校教員 朝鮮学校 高校無償化




    金徳元は昭和53年、自分が教師を務めていた広島朝鮮学校で、自分の教え子の朝鮮学校の生徒をヘロインの運び屋にしました(いわゆる金徳元ヘロイン密輸事件)。

    金徳元は昭和54年当時、朝鮮青年同盟兼委員長でしたが、朝鮮学校特有の教師と教え子の関係を利用して、在日朝鮮人である自分の生徒を隠れみのにしてヘロインの大量密輸を行いました。

    事件の発覚後全国に指名手配されましたが、雲隠れして行方不明になってしまい、結局生徒達にすべての責任を押しつけました。

    ヘロインを国外に持ち出そうとした在日朝鮮人の生徒は成田空港で逮捕されましたが、金徳元は現在も逮捕されておらず、北朝鮮に逃亡した可能性も指摘されています。

    金徳元はおそらく本国北朝鮮の指示で、この犯罪を計画したものと思われます。理由はもちろん北朝鮮への送金(非合法な外貨獲得)でしょう。


    これは朝鮮学校というところが、各種学校とはいえまがりなりにも教育機関であるのに、実態は北朝鮮の犯罪の隠れみのになっているという明確な証拠です。

    繰り返しますが朝鮮学校は「学校」ではなく「各種学校」なのです。扱いはいわゆる専門学校と同じ。

    理由は主に文科省の学習指導要領に従っていない、つまり要件を満たしていないからです。
    朝鮮学校の教育方針は「本国」北朝鮮の朝鮮労働党が決定しており、朝鮮労働党は朝鮮学校へ資金援助しています。

    つまり朝鮮学校は実質「北朝鮮の出先機関」なのです。

    朝鮮学校の教育費無償化など検討する価値もありません。思想がどうのこうの言う必要はなく、他の専門学校も無償化の対象になっていませんから「朝鮮学校は各種学校です。各種学校は無償化の対象にならない。」で終わりのはずなのです。

    朝鮮学校無償化は、「犯罪組織」へ、しかも日本人拉致という明確な同胞への犯罪を行った組織へ資金援助するに等しい部分があります。


  • 東京都千代田区にある新日本産業の社長は



           吉田猛といいます。




    この男、もとは在日朝鮮人で、北朝鮮の対日工作員であります!!




    今日の産経新聞に「北朝鮮の闇」という特集の中で、「過去の日朝交渉や南北間の協議で、双方をつなぐ“パイプ役”として、たびたび取りざたされた。」としてAという匿名で書かれている男は吉田猛という名前の男です。

    この吉田という男は、「北朝鮮労働党の対日工作機関と直結している」ともいわれ、あの金丸の土下座外交訪朝団や韓国の財閥グループと北朝鮮側をつなぎ、2000年6月の南北首脳会談にも暗躍し平沢勝栄議員らと北朝鮮側との北京での会談(平成15年12月)でも、北朝鮮側の窓口として政府間協議に舞台が移った後も同様です。

     この吉田という男は、貿易会社の創業者で朝鮮半島出身で、後に日本に帰化した父親(故人)の代から、北朝鮮の朝鮮労働党幹部と親密な交際があり平壌の指令を受けてさまざまな動きをしていたそうです。

     親北朝鮮議員として知られ、コメ支援などに熱心であった加藤紘一議員の事務所の「加藤紘一事務所 吉田猛」という名刺を持って、渡辺訪朝団(平成7年3月)に参加したのも吉田です。

     その時に北朝鮮側は「我が国は衣食住問題を基本的に解決した」と食糧問題を否定し、そのうえ、「我が国には日本に届く武器がある」とまで公然と脅迫発言までされています。

    それなのに、加藤紘一というバカはこの年に50万トンの米の無償援助をおこないました。この間拉致問題などは一切棚上げされたままでした。

    まさに、「売国奴加藤」の面目躍如たるものがあります。

    こういった売国奴に取り入り、北朝鮮のために働くのが、吉田という男の仕事のようです。

     日本には情報機関とスパイ防止法がありません。
    外国のスパイにとっては日本は天国といわれる所以です。

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