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投稿コメント一覧 (4466コメント)

  • >>No. 129975


    > こんばんは。
    > よろしくね。

    こんばんは
    こちらこそ、よろしくです。

    > ココは賑やかなのに、今日はコメントまだなかったようですね?

    そうですね。ネタ切れですかね。

    > 総裁選の方に向いちゃったのかもね( ^_^)p

    今日が総裁選だったのを先ほど知りました。

    最近は「幼女戦記」と言うアニメにハマって、いましたね。

    タイトルから、見るに値しないアニメの様に推測してしまいそうになりますが、

    ガチの戦争物で、異世界系と言う、今までに無い世界観を造り出している凄い作品だと思います。

    今は、まだ読み切れていない長編の原作を一生懸命読んでいる所です。

    > 神様は居ると思ったとき初めて居るのではないでしょうか?

    個人的には、神様は居るのですが、人がそれを認められるかどうか?と言うところの様に思います。

    > 居ると言う事は万人共通ではないと思うのですが・・・・・。

    勿論、人が知りうる神様は個々に生きて行く内に、色々な出来事を通して認知していくと思いますから、千差万別に認識出来るものと思います。

    ただ、その認識する神様が、真の神様なのか、偶像の偽りの物であるのか違いが有ると思いますね。

  • >>No. 129967

    > 「自我・我有り」とは肉体のことですね。
    > 「自我・我有り」は生老病死で消滅します。
    >
    > ブッダ臨終に際して・・
    >
    > 「物質的なかたちは常住(永遠不変)であるか。あるいは無常であるか。」
    >
    > 「尊者よ、無常です。」
    >
    > 「感受作用・表象作用・形成作用・識別作用は常住であるか。あるいは無常であるか。」
    >
    > 「尊い方よ。それらは無常です。」
    >
    > 「こういうわけだから、このようにすべてのものは無常であると観じたならば、もはやこの世に生を受けることはない、と知るのである。」 サンユッタ・ニカーヤ

    この世に有る全てのモノは無常。だからと言って、神様は無常では無い。神様から出た人の霊は、神様により常住である。

    全て、神様から以出し霊は天国に戻るか、地獄に行くかの何方かである。

    仏の道は神様の身元に戻る術は述べられておらず、ゆえに仏の道は天国に戻る事無し。

  • >>No. 129964

    > 人間の救済においても、「自性」をベースにした救済と、「無自性」をベースにした救済とでは、かなり趣が違うと思うんよ。
    >
    > 仏教では、めちゃ平たく言うと、人間の救済は「苦を滅すること」。

    そもそも、この世では「苦を滅すること」が出来た人は居ないよね。

    > 生老病死その他もろもろ、人間の生は苦の連続である。幸せもまた、それを失う時に苦に転じる。その苦は、人間の願い、移ろわざること、老いざること、病まざること、死せざること等の願い、常なることを願う心が生み出すものである。ゆえに無常であり無我であることを悟り、常なることを願う執着が滅すれば、苦もまた滅する。
    >
    > 極めて論理的だけど、キッついなあ、というのが私の感想。

    無理ゲーでしょ。

    > そこへ持ってくると、キリスト教は、「無我(執着すべき本質的な自己などない)と悟れ」とか言わないでしょ。
    >
    > でも、そうすると、人間はどのような心の状態で天国へ入るつもりなんかな?と気になるんよ。
    >
    > たとえば放蕩息子の例えで言うと、善人の働き者のお兄さんは、放蕩の限りを尽くして帰ってきたのに歓待された弟に嫉妬する。その心で天国に行けるのん?というのが正直な感想。

    まぁあれは例えで、神様が人が神様に立ち戻る事を待っている事を伝えているんだよね。

    > 父親(神)も、息子をたしなめるけれど、それで息子(真面目な方)が改心したという記述もないし。

    何でも良いから父親の所に戻ったのが、悔い改めを表していると思うよ。

    > そもそも人間の精神は、現状から大して違わない状態だと、永遠の時には耐えられないと思うのだけれど。
    >
    > キリスト教では、人間はどのような心の状態で天国に入るとされているのかな?
    > その心の状態に至ったならば、現世ですでに天国に入ったことになるのかしらん?
    > それとも、心の状態と、天国へ入ることとは、別個のものだと捉えられているのかしらん?

    人は天使のようになると言われているよ。

  • >>No. 129960

    > キリスト教が、他から独立して、永遠に、不変に、実在する本質的存在、という思想をベースにしている(私見)のに対して、仏教の重要テーゼは『無常』だからねえ。

    キリスト教という宗教が思想的なモノである事は否定しないが、僕が信じているのは神様で有り。イエス・キリストの言葉だよ。
    それを人は人の思う形で理解しようと新たなルールを造り出し、それに従うことで神に従っているつもりのようだが、それは人が造ったルールを神に従う事に他ならない。という事自体が既に偶像礼拝なのである。

    聖霊が与えられている、イエスの弟子は、人によらず神の御心に従えるように、神の霊が導いてくれるのである。
    霊の存在自体が、神様が存在している証拠であり、それは揺るがない事実なのである。

    しかし、人は、神様を見失い、キリスト教と言う偶像に縋っている者が多い様である。

    > この世界の森羅万象は常に流転していて留まることがない。それら森羅万象は因と縁により分かちがたく緊密に結びついて織りなされており、他から何かを独立したものとして取り出すことはできない。

    それは人には出来ないね。

    > ご存じだろうけど、仏教には「自性」と「無自性」という用語があってね。
    >
    > それ自身で孤立的に存在する本体もしくは独立している実体が「自性」。そーゆーモノは存在しない、としてそれを否定するのが「無自性」。
    >
    > 私的には、キリスト教は「自性」の概念をベースにした思想で、仏教は「無自性」の概念をベースにした思想なんだよね。

    「自性」と「無自性」の区別もあまり意味が無い気がします。

    全ての事実や真実は、神様に帰依し、全ては神様により関係性があるからです。

  • >>No. 129959

    > >力ある神に従う者が、神の力で持ち上げられるのは、神の栄光だと思うよ。
    >
    > それが現世での話なら、
    > 『あなたがた富んでいる人たちは、わざわいだ。慰めを受けてしまっているからである』
    > みたいな教えとコンフリクトするのでは?

    富による栄光では無いので、それとは競合しないよ。

    > この『神の力で』という概念には、興味を引かれるよ。
    >
    > ここでは、導くものと従うもの、持ち上げるものと持ち上げられるもの、救うものと救われるものの2項対立が厳然として存在する。

    「導くものと従うもの」も「持ち上げるものと持ち上げられるもの」も「救うものと救われるもの」も全て神様に帰属するものなので、対立は実は無いのです。

    > それは人間の側から見ると、「他者」と分別された「自己」が、何の疑念もなく確立している状態だと思うんだよね。

    それはそうだね。

    > 天国に行くのも「自己」だし、地獄に行くのも「自己」だし。
    >
    > 天国で御使いのような存在になろうと、現世で聖霊に満たされようと、「自己」という枠そのものが消滅するワケじゃない。

    天国ではただ自己が存在するだけでは無く、天使の様に神様により満たされた存在に至ると思っています。

    > 地獄で打ち砕かれたとしても、それは「自己」の存在そのものの消滅であって、「自己」でない何かになるワケでもない。

    地獄で自己が無くなる分けでは無く、永遠の苦しみが待っているのです。

    > 「神」にせよ「自己」にせよ、他から独立して、永遠に、不変に、実在する本質的存在、というのが思想のベースになっていると思う。
    >
    > だからキリスト教は、進化論となかなか相容れないんでしょ。生物の種が絶えず揺らぎながら変化してきたという考え方と。

    進化論って、例えば「人の皮膚の表面が傷つき、その後自己治癒力で治りました。」表面的な現象から根拠の乏しい推測の域を出ていない理論でしか有りません。

    それを妄信している事自体、危うさを感じますね。

  • >>No. 129957

    > >薬物により引き起こす事が出来るのって、全然、有難味が無いね。
    >
    > そらまあ、生理的体験そのものに有難味も何もありませんわな。
    > その体験が本人にとってどのような意味を持つかが大切なわけで。
    >
    > 例えば私が教会へ行って洗礼を受けても、それ自体はにわか雨に濡れるのと同程度の有難味しかないっしょ、たぶん。

    いくら教会に行って、洗礼を受けたとしても、神の霊が降りて来ないのであれば、ただの水浴びでしかないね。
    ただし、その後に悔い改めて、神の霊が降りて来るのであれば、それは神様が認めた事になるのだが、それに至るかは、神様しだいだし、本人が真剣かどうかにも掛かってくることだよ。

    それと比べると、仏教の体験って、結局、自己満足の域を出ないんじゃないの?

  • >>No. 129886

    > ふ~ん。そう言うあなたはプロテスタント系?

    一般的なキリスト教の教会では第1ニカイア公会議(325年)の有効性を認めているが、僕は認めません。

    と言うのは、この様に人が新たに作ったルールが、イエスの言葉より優先される事は偶像礼拝に至るからです。

    出エジプト記でアロンたちが金の牛の像を造って、生きる神に背き、偶像礼拝を神様がお怒りになったのと同じ様に、人の言葉で考えた神様に仕える新たな形が、イエスの言葉より、教会が決めた事に従う愚かな人に成り下がるきっかけを作ったからです。

    > まあ、何をもって「死んでる」か「役割を既に終えている」かを明らかにしないと、コミュニケーションは成り立たないということで。

    過去レスで既に語っていますが、再度お伝えします。

    もともと仏陀が仏教なる宗教概念を導入した理由は、

    バラモン教により、人が生まれながらの格差により、人を分け隔てる仕組みを打破し、救済する目的で導入された物であり、既にバラモン教は支配力を失っているため、仏教の必要性が無くなった。

    悟る事は求めるが、涅槃に至ったと言われる人物に、理論整合性の欠如が見られる。

    > 見えないのは常に「人」だね。

    イエス・キリストは明確だよ。

    > ふ~ん。仏教にもお詳しい?
    > 例えば、どのような思想にについて、どのような理由で「目新しいが、真理では無い」と感じるワケ?

    この掲示板の自称仏教徒の主張の根拠を調べると、揺るぎない確たる土台の上に成り立っている分けでは無く、妄想の域すら出ていない事によるよ。

    > >偽物を掴むか、本物を掴むかで、人生は大きく左右されるよ。
    >
    > まあ、何をもって「偽物」か「本物」かを明らかにしないと、コミュニケーションは成り立たないということで。

    本物は、神様は全知全能で唯一であり、イエスは神の子である。と言う事が本物だよ。
    後は偽物。

    > >偶像大好きカトリックと、一緒にしないでくれる?
    >
    > いやもともとは、あなたが多種多様な仏教を、日本の葬式仏教と一緒にしたことから始まった話かと。

    色々議論してきて、分かって来たのは、キリスト教と言われる人でも、よく偶像礼拝をしてしまっているという事実だよ。

    キリスト教の教会の教えを信じているのか、イエスの言葉を信じているのかは大きく異なるよ。
    仏教は、そもそも論外。

  • >>No. 129905

    >  まあ、余りそうした現実的な事象を数え上げれ・・・生き方の根拠を置く人間は果たしてどの様に生きるべきか? と、甚だ憂慮をする次第です……

    その様な対外的な理由を言い訳をする者は、イエスの弟子として相応しくありません。

     ●ルカ8:57-62

      一行が道を進んで行くと、イエスに対して、「あなたがおいでになる所なら、
      どこへでも従って参ります」と言う人がいた。

      イエスは言われた。「狐には穴があり、空の鳥には巣がある。だが、
      人の子には枕する所もない。」

      そして別の人に、「わたしに従いなさい」と言われたが、その人は、
      「主よ、まず、父を葬りに行かせてください」と言った。

      イエスは言われた。「死んでいる者たちに、自分たちの死者を葬らせなさい。
      あなたは行って、神の国を言い広めなさい。」

      また、別の人も言った。「主よ、あなたに従います。しかし、
      まず家族にいとまごいに行かせてください。」

      イエスはその人に、「鋤に手をかけてから後ろを顧みる者は、
      神の国にふさわしくない」と言われた。

  • >>No. 129905


    >  私は、個々人の内的な信仰と云うものに重きを置くべきだとは思うのですが・・・イスラエルとパレスチナ・ガザ地区の住民達が穏やかに対話するドキュメンタリーを見たのでしたが……

    味噌と糞を一緒に出来ないのと同じに、神に仕える者と、富に仕える者は一緒にはなりえません。

    全ての人が富に満足出来れば、争う必要性も無くなります。

    しかし、豊かなイスラエルと、隣に自分たちの食い扶ちすら満足に稼ぐ事が出来ずに、イスラエルの町で働く事を余儀なくされている今のパレスチナ人では、貧富の差が激しくなり、自然と憎しみ合う様になるのは必然でしょう。

    >  トランプ大統領は、・・・トランプ大統領の支持者には有力なユダヤ教系の人物がいるのだとも聞きましたけれど……

    キリスト教とユダヤ教が対立している訳では有りません。

    ユダヤ教徒が嫌いな、カトリックがユダヤ教徒を過去に弾圧に加担している事は、歴史上の事実ですよ。

    >  つまり、そうした複雑な背景が、エルサレムをイスラエルの首都で有ると認定する様な政策の実行になったのでしょうね。アメリカがイスラエル寄りになり過ぎ、中東のバランスが崩れると非常に感じます……アメリカの中間選挙では、共和党はどうなるのか? 過去に、シリアへ攻撃した際には、大統領の支持率が上がったそうですし。又、北朝鮮の非核化に進展が見られない事から、トランプ大統領は近い将来、韓国との大規模な合同軍事演習を行う様な考えも有るとの事ですが……北朝鮮は、建国記念日に大々的な軍事パレードを行うのでしょうし。

    イスラエル自身がエルサレムを首都としている以上、他国がそれを認めて来なかった事の方が異常だろう。
    日本人の傾向として極度に変化を恐れる傾向が有るが、今時、変化していかなければ生き残れない世の中になってしまっているんだよ。
    逆に、変化に対応してこないと、逆に火種を作る要因となるから、日本が得意とする棚上げなんて事は、もう止めた方が良い。
    メニューを見てオーダーを決められない男が、モテないのは優柔不断で女に愛想をつかされるのは、国とか、組織とか、同じ事だよ。

    優柔不断に良い事無し!

  • >>No. 129902

    >  確かに、今はもう共産圏と欧米との対立構造・二極化の時代は既に終わり、中国対アメリカ・EUなのでしょうね。さっき、タブレット端末でネットのニュースを見たのですが、韓国で中東から発したMARSと呼ばれる感染症の患者が発生しているとの事で、衝撃を受けました。何か、取り留めも無く纏まりの無い話ですが、大変に申し訳有りません。身体の症状が、矢張り非常に酷いです。

    世の中の悪い話で圧倒されていると推察します。

    しかし、この一寸先は闇のこの世に於いて、唯一の希望は、イエス・キリストは、全ての人を救うために、十字架で自らを犠牲になってくれた。

    これにより、全ての人がイエスの十字架の贖いを受ける事が出来る様になった。という神様に愛ゆえの恵みと言えます。

    しかし、一般的な日本人が、遠い異国のキリストと、自分に何の関りがあるのだろうか?と思うでしょう。

    僕もそうでした。

    しかし、それを信じて受け入れる心にならないと、洗礼は受けても、ただ水浴びでしか有りません。

    人生で一番「超ヤバイ」と思いました。

    それからですね、本当に神様に心から遜って、イエス・キリストの十字架を、心から理解出来る様に、祈り求めたのは。

    そして、祈っていて、ようやく十字架を理解出来る様になったのは。

    ですから、イエス・キリストの十字架を理解出来ないのは、普通の人は理解出来ないのが当たり前なのです。そして、願い求めた者だけが、十字架を理解するに至る様に、神様が力を働かせてくれるのです。

    神様が選んでくれなければ、誰も救われないのです。

    神様に救いを求める者、自分の身体の問題、精神の問題が有り、助けて欲しい人は、心から願って下さい。

    期待通りの答えが返ってくる時も有りますし、期待とは違うが、結果としてニーズに合った物が与えられるでしょう。

  • >>No. 129902


    >  私は、例えばキリスト教に於ける内的な信仰とは別に、宗教の仮面(ペルソナ)を被って中東や世界各地で繰り広げられる、茶番劇に憂慮せざるを得ない訳です。

    多くのキリスト教を信じると自称している者の多くが、イエスの言葉から逸脱している様に見受けられますし、多くの自称キリスト教信者が、イエス・キリストの言葉より、自分の愛する教会が、「こうこう、こう言っている。」とか、「カトリックの教義ではこうなっている」だとか言っている。

    僕から言わせると、「おいおい、「主はイエスだ」などと言っているが、主はイエスでは無く、自分のところの教会じゃね~か!」と思う次第です。

    つまり、出エジプト記でアロンが金の牛の像を造り、「これが、我々を救い出してくれた神である」と偶像礼拝を始めたのと同じ様に、イエスが天に上った後、自称カトリック教会がローマ帝国をも支配した事をきっかけに、自分たちで造り上げた「キリスト教の教え」を拝むものこそが、救われると称したのが、失敗の始まりですね。

    イエスの言葉に従う、イエスの弟子には、神様から聖霊が与えられているので、神様より直隷として、世の自称キリスト教の教えに迎合する事無く、正しい道を歩む事が出来るのです。

    >  例えば、北朝鮮の金正恩とアメリカ・トランプ大統領とのシンガポールでの初の会談の仲立ちをした、韓国・文在寅大統領は元は人権派の弁護士でカソリックのクリスチャンとの事らしいのですが……しかし、北朝鮮が非核化を推し進めるとは思えませんし、すると、文在寅大統領が行った事は、歴史的にどの様な評価がされるのでしょうか?

    南朝鮮が北に併合されようと、北の支配は何時かは終わります。その時に文在寅大統領は国を売った売国奴と言われるでしょう。

  • >>No. 129897

    >  確かに、中東と云うのは永遠に紛争の只中に置かれていますね。私は、国際情勢には疎いのですが、アメリカの軍産複合体等、様々な利権や宗教的な背景が複雑に絡み合っているのかも知れません。

    国際関係って、宗教は見せかけに過ぎなく、各国の利害が衝突して争いになっているに過ぎないよ。
    ロシアがあの辺りを欲しがるのは、黒海の出口があそこで、軍事的なプレゼンスを考えると、あそこは確保したいところ。だから、シリアを支援して、あそこの支配権を得ているんだよ。

    >  シリアへの、米英仏軍の攻撃も何か奇妙なものに感じられました。今は、共産圏(社会主義国家)と欧米等との対立・二極化の構造が著しく、今後益々それが推し進められるのでしょうか。余計な事かとは思いますが、死海文書のダニエル書は御存知ですか?

    シリアの攻撃はロシアにも許諾を得てやっている事だよ。

    既に共産圏と欧米との対立って、既に崩壊し終わった話だよ。

    今は、中国対世界の構図だよ。

    如何に、この世界側をまとめるかが課題で、日本の安倍外交が傑出した仕事をしている事は、日本のメディアは報道しないがね。

    対中国包囲は安倍首相が世界を率先している事で、これに反発する中国が日本のマスメディアで反安倍を展開している。

    死海文書は聞いた事は有るが、色々な書物が出ているとは聞いているが、死海のダニエル書は知らない、聖書のダニエル書は知っている。

    >  今年、北朝鮮からロフテッド軌道でICBMが発射され東北上空を通過し北海道沖の太平洋上に落下しましたが、その時はJアラートが発せられ非常に驚きました。朝鮮戦争は容易に終結に向かうとは思えません。更に日本では災害続きで騒然としており、一体どうなるのかな? と、危惧せざるを得ません。

    朝鮮は米が今後も国家の安寧を保証するなら、対中国戦も米に加担すると言っている位だ、平和にしようと思えば幾らでも出来るんだよ。ただ、朝鮮は核を持ち、開発を続けている事は米国にとって容認できない。
    もし、容認したら、北朝鮮の核は、イランに輸出され、イランとイスラエルの最終戦争を誘発する事になる。

    あそこの火薬庫から、世界で核戦争の連鎖が始まる事になるんだ。それは容認出来ないだろう?

    日本で起きている災害と言われている多くは、人災とも言える。

    地震の被害は天災だが、ブラックアウトは人災だよ。

  • >>No. 129892

    あそこが揉めている事により、それが都合が良い人が居て、それらに踊らされているに過ぎないと思っています。

    あの辺りは「生かさず、殺さず」が続くものと思います。

    世界のメイン・イベントは 米 vs 中 の対立です。

    勿論、米が勝ち組、中が負け組、なのですがドイツが中にドップリで、抜け出せずに居ますね。

    第一次、第二次、とドイツは何時も負け組でしたが、今回の第三次大戦も負け組になるのでしょうか?

    ちなみに中国のICBMは日本の30万人以上の都市が標的になっていると言われているので、30万人以上の都市に住んでいる人は非常にリスキーと言えるでしょう。

  • >>No. 129891

    著者がダニエル・L・エヴェレット(Daniel Leonard Everett)の「ピダハン」だよね。

    だが一般的なプロテスタントと呼ばれている諸派でも第1ニカイア公会議 (325)は認めているので、やはり間違いの始まりを肯定している事に変わりが無いね。

  • >>No. 129889

    なんか、照明がいまいちですね。
    こういう平面を写真で撮るのって、人を撮影するポートレートから比べると段違いに難しいのですよ。
    無理をしないでも良いですよ。

  • >>No. 129804

    薬物により引き起こす事が出来るのって、全然、有難味が無いね。

  • >>No. 129806


    > それは日本の生臭坊主のイメージなのでは。

    そう、日本の坊主は生臭くて駄目だね。

    > 末端の困ったちゃんに目を向けるなら、キリスト教はアイルランドに代表される小児性愛者か、という話になるし。

    カトリックは既にズレているんですが。。。

    > 歴史に目を向けると、十字軍やら魔女狩りやら、「相当悪魔にヤラレていらっしゃるのでは?」というネタも少なくないでしょ。

    カトリックはもうダメすぎだよ。

    > でもそれがキリスト教の本質か、と問われると、ね。

    キリスト教も、人の考えた宗教

    キリスト教とイエスの言葉に従う弟子とは、違うんだよね。

    > えこひいき、して欲しいん?

    力ある神に従う者が、神の力で持ち上げられるのは、神の栄光だと思うよ。

    > それなら明らかに仏教は不向きだわ。

    仏教は死んでる宗教だからね。

    > 世界宗教として多くの人に信仰される宗教なら、その教えが無意味ってことはないっしょ。

    全部が無意味って事は無いが、仏教は役割を既に終えているよ。

    > いずれの宗教であれ、「まだ見えぬモノを、見える様にして下さる」という側面はきっとあるはず。

    仏教は見えないままだだよ。

    > 私も仏教の思想によって、蒙を啓かれた、と感じることは多々あるよ。

    それって、新しいラーメン屋が誕生するのと似ていると思うよ。
    目新しいが、真理では無い。

    > もちろん、どの宗教でも、何を得るかは受け手の受容性に大きく依存するだろうけどね。

    偽物を掴むか、本物を掴むかで、人生は大きく左右されるよ。

    > ところで、仏像を崇拝することは、ぜんぜん仏教の核じゃないんだけど。
    > 仏教において仏像を崇拝することと、キリスト教においてキリスト像を崇拝することとでは、まだ後者の方が重要なんじゃないかなあ。

    偶像大好きカトリックと、一緒にしないでくれる?

  • >>No. 129808


    > とりあえず「自分を愛してくれるから」とか「役に立つから」という理由付けはカスだ、ということで。

    こういう理由づけも、カス、と言う事で。

    単純な話だよ「そこにニーズが有るので与えるし、神様はどう期待しているか、イエスならどうするか」の問題。

    普通は神の目を気にする事で、良い技を行う事が出来ると思うよ。

  • >>No. 129835

    なるほど、聖書で言うところでは、こういう事なのかもしれないね。

     ●マタイ12:43-45

      「汚れた霊は、人から出て行くと、砂漠をうろつき、休む場所を探すが、見つからない。

      それで、『出て来たわが家に戻ろう』と言う。戻ってみると、空き家になっており、掃除をして、
      整えられていた。

      そこで、出かけて行き、自分よりも悪いほかの七つの霊を一緒に連れて来て、中に入り込んで、住み着く。
      そうなると、その人の後の状態は前よりも悪くなる。この悪い時代の者たちもそのようになろう。」

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