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投稿コメント一覧 (1371コメント)

  •      97 誤伝の詩二首

     次に掲ぐる二首詩は、南洲翁の自作として、西南戦争後幾種かの詩集が発行されたが、皆これを載せて居る。しかもそれは明らかな誤りで、二首とも真の作者がある。

          その1
    題岩崎谷洞窟 聴雨  杉孫七郎

        百戦無功半歳間
        首邱幸得返家山
        笑儂向死如仙客
        昼日洞中棊響閑

     作者、聴雨は、姓は杉 名は孫七郎といい、聴雨はその雅号である。

    山口県萩の藩士植木五郎右衛門の二男で、文久二年松平石見守に従い海外を訪ね、帰って明治元年幕府の長州征伐に長軍の参謀となった。

    子爵を授けられ東宮職御用係等を歴任して、史書はもっとも名高い。大正九年八十六才で歿した。

  • >>No. 3350

    扇さんこんにちは。

    楯埼神社は三回目です。如何にも古(いにしえ)の時代を感じさせるような、世俗に毒されることの無い独特な雰囲気のある処です。
    遠く海神(わたつみ)の人々も、ここで航海の無事を祈ったであろうと確信させるような不思議な雰囲気があります。
    沖行く舟からも、きっと多くの旅人が仰ぎ見た事でしょう。

    社域は荒れているかと思いましたが、つい最近掃除をしたと思われる形跡があり、寧ろ以前よりも綺麗に厳かな雰囲気が保たれて居ました。


    ガラシャさんは女武士道を貫いた方でしょうか、知的で凛とした気品と美しさを備えたイメージがあります。

    「人も人なれ」
    ドキッとするような言葉です。 笑

    東郷神社は秘宝館も鍵がかかり、入り口のレストランも閉じていました。
    前の神職さんは亡くなられたのでしょうか、生きて居られれば確か100歳ぐらいの筈。
    3級年下とかで、今年で98になられる幼馴染だったという方をお連れして10年くらい前訪ねた事がありました。
    周辺は綺麗に掃除はされているようですが、日本海海戦から既に110年を経て関心も薄くなりつつあるのか、参拝客も少なくなったのかもしれません。


    楯埼神社の100m下に展望の利く岬がありますが足元にご注意を、靴を履いて行かれた方が賢明です。

    ・・・危なく滑るところでした! 笑

  • >>No. 3347

    その後がどうだというよりも、それ以前の西郷さんの心とそれ以後とでは、あまり変わりは無かったのではないでしょうか。

    その後はそれ以前にも増して苦難に満ちた道を歩いて居られますが、根本的な部分では既に確立されており、大きな違いは無かったかと思います。

    人間の出来がそのものが、普通人とは異なるのであろうと思う次第です。
    勝海舟や山岡鉄舟なども、同じような精神の持ち主だったのでは無かろうかと思って居ります。

    鍛え上げられた武士道精神なのかも知れません。
    「武士道とは死ぬことなりと見つけたり!」

    普通の現代人が想像する西郷さん像とは、根本的に心構えの部分から違うと思います。

  • >>No. 3346

    扇さんこんばんは。

    清浄な空気と言って頂き嬉しいような気がします。

    過日写真撮りを兼ねて、福津市の楯埼岬の突端で、穏やかな海を見ながら笛を吹いてきました。
    その上の方、断崖絶壁の下には厳かな楯崎神社の奥の院、俗世間から離れてとても厳かな気持ちになれ、何だか心洗われるような気がしました。

    ・・・少々スリル感もありました! 笑

  •     八 十有余年の夢

      相約投淵無後先
      豈図波上再生縁
      回頭十有余年夢
      空隔幽明哭墓前
             (月照上人十三回忌辰、七言絶句)

     相約して淵に投ず後先なし。

     豈図らんや波上再生の縁あらんとは。頭を回らせば十有余年の夢。空しく幽明を隔てて墓前に哭す。

      
    広い天地に一人の勤王僧を容れる処なきを歎き、互に約束して薩海に身を投げた。然るにどうした縁か自分は波上に再び活き返った。

    思えば十幾年前、全く夢である。今日は十三囘、あの世この世と隔てられ、墓前に額づいて泣くと、無限の恨を二十八字に籠めた。一字一涙の作である。
             .
    責任感の強い翁として非常に痛恨事であったろう。

    重野成齋(しげのせいさい)の話に、南洲翁嘗て語るよう、

    「自分に入水など、女子のするような真似した上、自分ばか活き残って面目次第もない。刀(自殺の意)を用いたなら善かった」と。

    これは偽らざる翁が告白である。

  •    七 虎豹の群を脱出す

      白髪衰顔非所意 
      壮心横劒愧無勲
      百千窮鬼吾何畏
      脱出人閒虎豹群
             (除夜、七言絶句)

     白髪蒼顔意とする所に非ず。壮心剣を横たえて勲無きを愧(は)ず。百千の窮鬼吾れ何ぞ畏れん。

    脱出す人間虎豹の群。

    これは征韓論後帰郷して、折柄歳末の除夜(おおみそか)に遭うての作ならん。

    衰朽は意とせぬが、武人として碌々勲なきは耻ずかしい。

    年末の窮鬼は怖ろしくないが、人間虎豹の侫人(ねいじん)ばらの方が怖ろしい。

    然し今はその仲間を脱けて故山に優遊するの嬉しさよと、廟堂諸公に対し禁じ得ぬ一罵を与えたのである。

    或はこれを翁が絶命の詩となす説あり。恐らくは誤認であろう。

  •   六 秦檜(しんかい)遺類多し

      独不適時情
      豈聴歓笑声
      雪羞論戦略
      忘義唱和平
      秦檜多遺類 
      武公難再生
      正邪今邦定
      後世必知静
           (辞職有作、五言律)

     独り時情に適せず。豈歓笑の声を聴かん。羞(はじ)をそそいで戦略を論ず。義を忘れて和平を唱う。

    秦檜遺類多し。武公再び生れ難し。正邪今なんぞ定らん。後世必ず静を知らん。

    これは征韓論破裂後の作である。

    己れ国の耻を雪(すすぐ)ぐべく硬論を主張したが、保守派は和平を唱えて、ことごとく宋の軟弱外交家秦檜の仲問で、硬骨なりし岳飛(武公)は復(また)と生れて来ない。

    されば今は正と邪と定まらぬが、やがて清濁正邪が定まる時が来るであろうというのである。

    (yahoo受け付けず、一部削除)

  •   五 幽 囚 の 楽

     世上毀譽軽似塵
     眼前百事僞邪眞
     追思孤島幽囚樂
     不在今人在古人
            (偶成、七言絶句)

     世上の毀譽は軽きこと塵(ちり)に似たり。眼前の百事偽か真か。追思す孤島幽囚の樂。今人に在らず古人に在り。
     
    これは翁が得意の場に活動せるが如きも、総ては塵の世、偽の社会、海島に読書して古人を尚友(しょうゆう)した当時の純真な樂しみを回想したのである。

  •   四 願くは魂魄(こんぱく)を留めて皇城を護らん

    朝蒙恩遇夕焚坑
    人世浮沈似晦明
    縱不回光葵向日
    若無開運意推誠
    洛陽知己皆為鬼
    南嶼俘囚獨竊生
    生死何疑天附與
    願留魂魄護皇城
    (獄中所感、七言律詩)

    朝に恩遇を蒙り夕に焚坑(ふんこう)。人生の浮沈は晦明(かいめい)に似たり。縱(たと)い光を回さざるも葵(あおい)は日に向う。

    若し運を開くこと無きも意は誠を推す。

    洛陽の知己は皆鬼(き)となる。南嶼(なんしょ)の俘囚独り生を竊(ぬす)む。生死何ぞ疑はん天の附与なるを。

    願わくば魂魄(こんぱく)を留めて皇城を護らん。


     これは文久二年大島の謫地(たくち)から呼戻されたのも束の間、或る冤罪の下に再び沖の永艮部島に配所の身となった。

    初めの一、二句はそれを言うた。

    次の二句は、たとい君の疑を晴らすことが出来ぬとも、自分は葵が日に向う誠は更(か)えじと誓い、京都の梅田雲濱など皆刑死せるに、自分は南島で生き永らえて居るのを耻じ、最後に覚悟の程を述べてこれを結んだ。

    悲壮且つ忠烈を極めた作である。

  • >>No. 3338

    扇さん、こんばんは。

    ネット社会は時々とんでもないことが起ります。
    裁判沙汰二件、類するもの一件、金銭の貸し借り、使い込み、プライバシーの侵害、こういった案件を身近に経験しました。ご用心を。 
    人の良さげな奴の方が危ないかも知れません、悪党ほど善人面を演じます。

    私儀、知らぬが仏、古武士と言うよりカツオ節かな? 笑

    何だか似通うことが多いですね。
    若い頃大阪に7年半くらい住んで居ました。
    飛ばされて福岡に来た次第です、思い切って来て良かったと思って居ります。 

    笙の笛はオルガンやハーモニカとルーツは同じだそうですね。
    数年前、東儀秀樹氏の奏でる笙の音色を聞いて、こんなにも厳かな音色が有るものかと驚きました。
    私も人様のお耳に心地よさを伝えられるような笛吹きになりたいと、常々励んでは居りますが道は程遠いようです。

  • 三 禍を已に沽(こ)い功を人に売る    
                        
     世俗相反処
    英雄却好親
    逢難無肯退
    見利勿全循
    齊過沽之已
     同功売是人
    平生偏勉力
    終始可行身
           (偶成、五言律)

    世俗相反する処、英雄却て好み親しむ。難に逢うては敢えて退く無し。利を見ては全く循う勿れ。

    過を斉(ひと)しくせば是を已に沽(こ)い。功を同じうせば之を人に売れ。

    平生偏に勉力せよ。終始身に行うべし。


    これは翁の理想とする英雄観で、今の所謂犠牲的精神、やがで滅死奉公ともなる。

    翁は一生これを目標として人格を築き上げた。

  • >>No. 3334

     二、 貧居傑士を生ず。

    一貫唯唯諾
    従来鉄石肝
    貧居生傑士
    勲業顕多難
    耐雪梅花麗
    経霜楓葉丹
    如能識天意
    豈敢自謀安
    (偶成、五言律詩)

    一貫す唯々の諾。従来鉄石の肝。貧居傑士を生ず。勲業多難に顕れる。

    雪に耐て梅花麗しく、霜を経て楓の葉丹(赤)し。能く天意を識るが如し、豈(あに)敢て自ら安きを謀らんや。  
                        
    これは薩藩にて、文化(年間)中政治改革を計って失敗し切腹を命ぜられた傑士秩父太郎を詠んだのである。

    この人は極貧の中に生れ、参政まで昇った剛骨の人物にて、翁は意気相通うものがあったであろう。

    結末は自らの決意が盛られている。

  •    95 翁の遺詠八首

    一、 花謝し花開く桜井駅
       
        慇懃遺訓涙盈顔。
        千載芳名在此間
        花謝花開桜井駅
        幽香猶逗旧南山
              (題桜井駅決別図、七言絶句)

    慇懃遺訓、涙顔に盈(み)つ。千載の芳名この間に在り。花謝し花開く桜井の駅。幽香猶逗(とど)まる旧南山。

    これは有名な楠公父子訣別の図に題したのである。

    幾百年、香ばしき楠氏の忠節は、旧南山なる芳野に遺(のこ)っていると詠じた。

    着想も格調も高い作である。

  • 扇さん、毎日の書き込み有難うございます。
    楽しみが増えました。😃
    ちっとも暗くは無いですよ。それが人生というものでしょうから。


    千人の女性は要りません。カカ様独りで十分、又もてもしませんしね。 笑
    でも飲む時は女性が居た方が楽しい、先日も親睦会があり楽しく過ごせました。

    扇子は踊りを趣味にしている嫁のものです。

    能楽とはまた風流ですね。
    想い出に残る出会いがあり、楽しい時間が過ごせて結構でした。
    私は雅楽の会に少しだけ入ったことがあるんですが、ハーモニーを大切にする世界故、私のような我儘な者には向かない様子が見え、たったの三回で退学しました。 笑

    能管も時々吹きますが、自己流故に流れがよく判らず鳴らす程度です。
    何でもつくるのが好き、これも自作の笛ですが良く鳴ります。

    普段吹いているのは普通の横笛、童謡であったり歌謡曲だったりその類です。
    小説宮本武蔵の柳生の里に響くお通さんの笛の音、こういう雰囲気が好きで、時々山で吹いたり海辺で吹いたりします。

    また鼓の綺麗な音が打てるようになると良いですね。

  •      94 理 と 勢 と

     事の上には必ず理と勢との二つあるべし。

    歴史の上にては能く見分つべけれ共、現事にかかりては甚だ見分けがたし。

    理と勢は是非離れざるものなれば、能々心を用うべし。

    たとえば賊ありて討つべき罪あるは、その理なればなり。

    規模術略吾が胸中に定りて、是を発する時、千仞(せんじん)に坐して円石を転ずるが如きは、その勢というべし。

    事に関かるものは、理勢を知らずんばあるべからず。只勢のみを知りて事を為すものは必ず術に陥るべし。

    又理のみを以で為すものは、事にゆきあたりて迫(つま)るべし。

    いづれ

    「当理而後進。審勢い而後動」(理に当たって後進み、勢いを審らかにして後動く)(陳龍川先生論の語)ものにあらずんば、理勢を知るものと云うべからず。

  • >>No. 3328

    扇さん、こんにちは。

    扇子の似合う女性は美しい。
    和服姿に白檀の香、なんだかクラクラしそうです。 笑
    他方、男は余程できた人で無ければ、何だか気障っぽく見えるかも知れません。


    温故知新。
    昔の人の教えは長い間の実体験から会得した事柄が多く、学び知ることにより間違いなくこれから歩いて行く未来への道しるべとなると思って居ます。

    当然ながら私も、古いもの(こと)が好きで、趣味もそれに類することをやって居ます。
    具体的に言えば、笛尺八の類です。笛と言ってもジャンルが広いのですが、最近太鼓に合わせたお囃子の練習もやって居ます。


    ・・・ところで、扇さんはエレガントな方なんでしょうね。👰

  •     93 作略は致さぬものぞ

     作略は平日致さぬものぞ。

    『作略を以てやりたる事は、その迹(あと)を見れば善からざること判然にして必ず悔い有る也。

    唯、戦に臨みて作略無くばあるべからず。

    併し平日作略を用ゆれば、戦に臨みて作略は出来ぬものぞ。

    孔明(諸葛孔明)は平日作賂を致さぬゆえ、あの通り奇計を行われたるぞ。

    予嘗て夏京を引きし時、弟へ向かい、是迄少しも作略をやりたる事有らぬゆえ、跡は聊(いささか)かも濁るまじ、それだけは見れと申せし』とぞ。

  • >>No. 3325

    扇さん北海道に地震迄発生しましたね。
    ままならない天地異変の多発、せめて出来る範囲ででも予防策講じておくべきでしょうか。

    多い時には50位のメールが来てましたが、友達という訳ではありません。
    友達の友達と言ったところでしょうか。
    多くは四方山話の相手と言ったところで、中には、嘘だろうと言われそうな世に知られた方も居られます。
    夫婦間の問題だったり、嫁姑問題だったり様々です。

    それから精通なんかして居ません。
    四苦八苦と言ったところで、引用しているものも、古文書まではいかないレベル、活字印刷になっているので何とか読める範囲です。

    縁は異なものと言いますが、先週舞扇をネットで頼みました。(私用ではありません)
    その扇子のおまけか、コメント数僅かに10以下という孤独なtextreamに、舞姫扇子さんに来ていただき嬉しく思って居ります。 

    お茶ら気でも何でも結構です。 笑

  •      92 命も要らず名も要らず官位も金も要いらぬ

     『命もいらず、名もいらず、官位も金もいらぬ人は仕末に困るもの也。

    この始末に困る人ならでは、艱難を共にして国家の大業は成し得られぬなり。

    され共、斯様な人は凡俗の眼には見得られぬぞ』 と申さるるに付、孟子に、

    「天下の廣居に居リ、天下の正位に立ち、天下の大道を行う、志を得れば民と之に由り、志を得ざれば独りその道を行う。富貴も淫すること能わず、貧賤も移すこと能わず。威武も屈すること能わず」

     と云いしは、今仰せられし如きの人物にやと問いしかば、

    『いかにもその通り、道に立ちたる人ならでは彼の気象は出ぬ也。』

  •       91 克己に成り自愛に敗る

     道は天地白然の道なるゆえ、講学の道は敬天愛人を目的とし、身を修するに克己を以て終始せよ。

    己れに克つの極功は

    「母意母必母固母我」

       (論語・(子四つを絶つ)、意なく、必なく、固なく、我なし)と云えり。

    総じて人は己れに克つを以て成り、自ら愛するを以て敗るるぞ。

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