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投稿コメント一覧 (544コメント)

  • オールコック(イギリス駐日公使)は次のように述べています。
    「この封建制によって日本人は、われわれの考えている意味ではないにしても、多くのしあわせを享受することができた。西洋諸国の誇るいっさいの自由と文明をもってしても、同じくらい長年月にわたつて、このしあわせを確保することはできなかったのである。国家の繁栄・独立・戦争からの自由・生活の技術における物質的な進歩これらはすべて、日本人が国民として所有し、そして、何世代にわたってうけついできたものである」

    ハリス(アメリカ駐日総領事)は
    「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。これが恐らく、人民の本当の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響受けさせることが、果たてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であろうかどうか、疑わしくなる。 私は、質素と黄金の時代いずれの他の国におけるよりも、より多く日本において見出す。生命と財産と安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる」

    ペリー来航のとき、異国船を一目見ようと海岸に押し寄せ、海辺は人であふれんばかりだったという。日米和親条約は、幕府によって、平和的な交渉によって締結されています。
    今日、日本人を良きにつけ悪しきにつけ、動かしていることの多くは、この時代と一直線で繋がっているのでしょう。

  • ハリス(アメリカ駐日総領事)は
    「彼らは皆よく肥え、身なりもよく、幸福そうである。一見したところ、富者も貧者もない。これが恐らく、人民の本当の姿というものだろう。私は時として、日本を開国して外国の影響受けさせることが、果たてこの人々の普遍的な幸福を増進する所以であろうかどうか、疑わしくなる。 私は、質素と黄金の時代いずれの他の国におけるよりも、より多く日本において見出す。生命と財産と安全、全般の人々の質素と満足とは、現在の日本の顕著な姿であるように思われる」(日本滞在記)

    幕府によって、不備はあるにしても、当時、外国との折衝は上出来だったと思う。戦争に敗れて講和条約という形で国を開き、巨額の賠償を支払わされ、領土を奪われ、武力で驚かされ植民地のような条項を、飲まされたりするケースがほとんどです。そのなかにあって、平和的な交渉によって不平等の少ない条約が締結されています。

  • 維新を達成したものは、だいたいが田舎漢であったのです。これらの人々は外国条約などの事は少しも分からない人達で、もとりより外国条約などことは、研究したこともなければ、意見もなかった。だから条約改正の草稿などを示されても、元勲はこれを持ち帰って自分の書記官に示し意見を尋ねるが、これらの書記官等は地位を作るのに汲々たる輩であったので、何か意見を呈せざれば、働きなきがごとく思われるのを恐れて、アカデミカルな論を持ちだすと、元勲らはこれを見る学識がなく、直ちにこれをもって自己の論として主張するのが常であったのです。

  • >>No. 5

    不平等条約をおしつけられたはけ口を、直接欧米諸国に向けることができないので、弱い隣邦を高圧することで、欧米から庄迫される代償を得ようとしたんですね。
    しかし、維新を達成したとき、彼ら自信が「不平等条約」を理解していたとは思えんが。

  • >>No. 2

    不平等条約をおしつけられたはけ口を、直接欧米諸国に向けることができないので、弱い隣邦を高圧することで、欧米から庄迫される代償を得ようとしたんですね

  • >>No. 9

    戊辰戦争を戦った官軍は朝廷の軍隊ではなく、薩長土の軍隊です。内戦が終われば中央政府にとっては士族軍隊などは無用の長物で、戦勝の余勢をかって中央政府を制する存在になることを恐れていたのです。そこで朝鮮と事を構えて、邪魔者を朝鮮に追っ払い、戦死でもすれば、士族の禄食も歳減するし、その間に兵を募り、それを以て親兵を養うことを考えます。これは明治二年6月の頃です。彼らの大先生吉田松陰の教えである「交易にてロシア、アメリカで失う所は、朝鮮満州で償うべし」とも一致するところで、後に西郷も「内乱をねがう心を外に移して国を興すの遠略」と述べています。

  • >>No. 13

    「騎兵隊日記」に「天下之人望以前ニ異リ、道路之浮言ニ候ヘ共、王政不如幕政、薩長ハ徳川氏ニ劣候抔、相唱ヘ候様之義モ有之哉」とあります。
    天下の人心は、以前とは異なっている。道路の浮言に候へども、王政は幕政にしかず、薩長は徳川氏に劣り候など相唱へ候様之義もこれあるや「道路之浮言」であるということは、人々のあいだにひそひそと語られてるということで、当時の人心の動向の真実性があふれている。
    徳川慶喜の日本統一国家のプランは、西周助が考えます。政府の頂点に徳川慶喜が大君として就任する。政府は大阪に置く。議会は上院と下院のふたつで、上院には万石以上の大名を招集する。下院の方には有能な藩士を登用するというものです。
    この企てを許すまいとして、岩倉具視らの陰謀による「討幕の密勅」を入手し、兵力の上京を企てをします。それでもなおかつ、徳川氏の方が優勢であったので、江戸で挑発の暴動を起こして、鳥羽伏見の戦いになります。
    明治の中央政府は徹頭徹尾、武力によってその「正統性」を確保しなければならなかったのです。徳川なら約700万石、全国の約四分一の石高を占めているぐらいの勢力をもっていたので、武力による「正統性」も必要も無いです。実際当時においては、現実的な外交交渉を行いえることができたのは徳川幕府だけです。それに、民主主義にいたっては、未だかつてどのような形式にしろその経験が無かったと思うが。

  • >>No. 17

    >周辺に勢力を拡大するのは国防のため。
    ただ松陰、西郷にしても大東亜共栄圏を妄想するほどではなかった。

    明治維新政府の基本方針である「国威宣布ノ宸翰」に「親ら四方を経営し、汝億兆を安撫し、遂には万里の波涛を開拓し、国威を四方に宣布し、天下を富岳の安きに置かんことを欲す」とあるが

  • >>No. 22

    兵隊さんを海外に送り続け、国力を疲弊させ、挙句の果て、兵隊さんを山程餓死させ、つまるところ敗戦も、尊王心が全くない西欧かぶれな薩長の田舎もんのおかげ。公武合体路線でそのまま尊王に篤い徳川の権威による近代化を達成したほうが日本的で実状に合致してよりよかったかも知れんね!
    実際、子供にも薩長の田舎もんはバカにされています。
    明治初期の江戸の没落町人の子であった長谷川 如是閑は次のように述べています。
    「時代ののさばり出るその田舎漢を軽蔑して、引込思案になる風が、変革期の没落市民の子には間々あった。私もその一人で、不詳な兼好法師というところである」
    明治維新後権威を振ったものは、新聞界でも実業界でも政治界でも、皆、田舎漢だと、そのころ徳富蘇峰が語っています。

  • >>No. 23

    明治政府は、対外的には露骨に武力手段に訴えるものたらしめると同時に、国際社会の荒波に乗り出したからには避けることのできない暴風に見舞われ、危機に臨むごとに、近代精神に逆行して、天皇をますます神様に祭りあげてしまい、人権尊重のごときを「止むをえざる害悪」としかみない警察政治を頼りにした。つまり、近代技術文化の恩恵には存分に浴したいと心がけながら、意識一般、ことに政治意識の近代化だけは巌に自らに否定しつづける人間が、帝国臣民の理想型となった。

  • 戦争に負けたので、正しくないと思うが

  • 天皇が戦争を承認して
    そして戦争に負けた
    ゆえに天皇が悪い

  • ゴメンね!
    きりかえるのを忘れていました!
    ところで日本が明治維新から野蛮になったのはなぜですか?

  • >>No. 26

    評価はそこに住んでいる人々がするもので、他人が判断するものではないです

  • >>No. 1

    戦争に負けたのにその戦争が正しいとは不思議ですね

  • >有色人種とサルを同等に見ていた差別主義の白人どもに対し、
    目に物見せてくれたのだから。

    負け惜しみですか?

  • >>No. 34

    >【「リメンバー パールハーバー」とは】
    盗っ人猛々しいと言わねばならない。
    なぜなら、ハワイはもともとハワイ王国というれっきとした独立国であったものを、太平洋戦争のたかだか半世紀前にアメリカが侵略、併合したものだからだ。

    アメリカが「盗っ人」だったか、「侵略」だったか、を判断するのは、そこに住み続けている人々が判断して評価するんであって、他人が評価して判断することじたいナンセンスだと思うが。

  • >>No. 38

    >太平洋戦争は、中国市場を独占しようとした日本を米国が排除しようとしたもの。

    その当時は、アメリカはイギリスやソ連や中国との貿易で忙しかったから、それどころではないと思うよ!

  • >>No. 9

    欧米のモノマネをしないと、生きられなかったからです。
    産業革命(とそれによる富国強兵)には、当時、下の3点が必要でした。
    1.帝国主義による資源と市場の開拓
    2.言論の自由による科学技術の発展
    3.教育制度による国民の知的レベルの向上
    それができなかった中国や朝鮮のその後を見れば、明治維新が必要であったことは明らかでしょう。
    当時の日本に、欧米のモノマネでなく、新たな資本主義の可能性を実現する実力があったと思いますか?
    廃藩置県だって、国家の予算不足が原因です。全国から税金を集めなければ、軍艦が買えなかったのです。
    清国は定遠、鎮遠に日本を訪問させ恫喝しました。
    日清戦争も日露戦争も、ぎりぎりで勝ったのです。

    江戸幕府を血祭りに上げ、過去への後戻りの可能性を無くす事によって、日本は独立を保ちました。
    それでも最後の徳川将軍を殺さなかった明治維新は、まさに名誉革命の名に値すると思います。

    明治維新をバラ色にぬりつぶされているように語っていますが、薩長の田舎者が引き起こした明治維新によって、現在も完全に日本の独立が回復していません。
    なぜなら、明治維新から兵隊さんを海外に送り続け、国力を疲弊させ、挙句の果て、兵隊さんを山程餓死させ、つまるところ敗戦も、尊王心が全くない西欧かぶれな薩長の田舎者によって、国を指導したからに外ならい。

    当時、下の3点が必要でした。
    権威に裏付けられた指導者
    国のプランを建てたり、外国と交渉できる実務者
    国民が安心できる安定した政権

  • ここのトピ主は不在ですか?

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