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投稿コメント一覧 (1566コメント)

  • 実家で余程のことがあったようだ??
    何があったかわからないが、数日前、実家の5代目カミサンが例年のごとく玄米一袋(30kg)と、野菜類多数を我が家に持ってきて、毎年行っている実家での新年の顔合わせ会を、私の都合の良い日を指定し、その参加者人数を教えてほしい・・・・と言う。
    ただし、1月9日から自分ら夫婦は旅行の予定があるので1月8日までの日にしてほしいという。
    私共としても先方の都合もあるからと思い、その日のうちに、『1月3日・2名の参加』の旨を伝えた。
    それから3日経った昨日になって実家から突然、「新年の親族顔合わせ会中止」の連絡が入った。
    実家は、江戸時代末期に端を発し、150年以上の歴史を経て、地元では旧家として存在していて、弔いでも出さない限り継続してきた伝統的な年中行事なのだが、何があったのかわからない。
    余程の何かがあったようだ。
        -サトシー

  • 先ほど本年最後の忘年会を終え、自宅に帰ってきました。
    昨日このトピで、私がこのグループの解散を提案したい旨のことを書き送っていましたが、
    お酒がすすむほどに・時間がすすむほどにだんだん盛り上がり、時間の進むのも忘れ、何と彼らは深夜2時半になるまで飲み・喋ったという。
    それほどまで話が弾んだと聞き、とても解散を切り出せないまま散会し、帰って家来ました。
    どうやら元気な人たちで、命尽きるまでやる意気込みをつ感じた。
       -サトシー

  • 先ほど送った”カキコミ”は!!
    実は昨日送る積もりで別の欄に残していたものなのです。
    その後急に来客があり、談笑しているうちに、この欄に移すのを忘れ、送ることも忘れてしまいました。だめですね~~~~何でもすぐに忘れてしまって!!!

    実は、今日も別の旅仲間と温泉にて忘年会に参加いたします。今年はこれが最後の忘年会です。
    この仲間も元々14人の仲間でしたが、徐々に参加者が少なくなり、今回は男女合わせて6人になってしまいました。
    亡くなった人こそありませんが、殆どの人は体調不良を訴え、入院中の人も一人おります。
    私はややもするとこのグループの中心的役目を執り行ってきましたが、なんだか潮時を感じています。
    それで今日はこの仲間との最後の集いとしてグループの解散を提案してみようかと考えています。
        -サトシー

  • 一泊の忘年会!!
    昨日高校時代の旅仲間11人集まった忘年会に参加した。
    久しぶりに群馬の大社長がやってきた。
    前回の我々の仲間が集まった時、群馬の大社長が急用が発生し出てくれなくなり、少し寂しい思いをしたが、やはり中心者が座に居るのと・居ないのとでは、重みが違うことが良く判った。
    私も今からでは遅いかも知れないが、重みのある人間になれる様に勤しんで行こうと思う。
        -サトシー

  • ”生前葬”
    今朝のヤフーニュースに、コマツ製作所の前社長が『生前葬』を開いたことが載っている。
    安崎前社長は、最近まで健康そのものだったのだが、先ごろ精密検査の結果、悪性の腫瘍が見つかり、
    元気なうちにお世話になった方々に感謝の意を示したい旨の案内を出し、実質的に『生前葬』を開いたという。
    なんだか私もこの齢になると、とても気になるニュースで、もし私が同じことを私なりにやるとすれば、どういう人に案内状を出すか・・・・等 考えさせられるニュースだ。
         ーサトシー

  • 『本間様には及びもないが、せめてなりたや大名に』
    有名な坂田の豪商本間様を称えた言葉は、私も聞き及んで居ります。
    20年ほどまえ東北6県を旅した時、坂田の本間邸を見学しました。
    豪商本間様の邸宅は、その高名から、御城の様な建物かと想像していましたが、意外に小さく驚いた思い出があります。
    邸宅内を案内受けていたら、当時江戸・幕府からの使者を御留する迎賓館として、坂田のお殿様に寄進された建物だという。だから邸内の調度品をはじめ、その贅を尽くした造りは大名の御城に匹敵する素晴らしい建物でした。
    江戸からの使者がお帰りになった後、今度はお殿様から本間様に今度は逆に寄進されたのが、現在の建物だという。
     “たふ”さんも、結構いろんな所を旅されていますね~~
    思い出が多いことは”幸せ”も多いと思います。
        -サトシー

  • 『名蒋 佐竹義宣』という小説を読み終えた。
    私の一番関心事の関ケ原合戦にどちら側についたか一番知りたかった。
    当時、義宣の父は健在でまだ50代であり、徳川側に就くように再三申し入れしてた背景があった。佐竹義宣は両者から加勢の要請を受けていて、双方に適当に返事をしていて明確な回答は出ていなかった。しかし義宣自身石田光成側に就くことを心に決めていた。
    というのは、家康軍が会津に向かって栃木あたりまで来た時、石田光成が挙兵した報せが入り進軍を止めた。それまでは、佐竹軍は如何にも家康の要請に応じて1万の兵を会津方向に進めて居て、イザ家康軍が会津軍と戦を始めたら、脇から家康軍を襲う作戦であった。
    ところが家康軍が大返しして、西に向かったので佐竹軍は自領に戻り、その後一切動かなかった。
    だから関ケ原にも出て行かなかった。
    関ケ原大戦後家康は、佐竹義宣に対してなかなか判断を下さなかったが,最終的に常陸42万石から秋田20万石に領地代えになった。
    私には何が『名将』と冠をつけたのか解からないままであった。
        -サトシー

  • 『名将 佐竹義宣』という小説を読んでいる。
    正直言って、先に呼んでた『徳川吉宗』は途中だ投げ出してしまった。
    図書館にその本を返しに行ったとき、今読んでいる小説を借りてきた。
    本のタイトルで目に留まり、それまで全く耳にしなかった武将で『名将』と冠される武将となると??・・・
    読み始めたら、あの関ケ原合戦の10年前、秀吉が小田原北条氏を攻めた時から始まり、その時弱冠21歳になったばかりの常陸の国(茨木県)の若武者の物語で、文中に登場する人は秀吉・家康・前田利家・石田光成・上杉景勝・直江兼続等々その時代の立役者ばかりが次々とでてきて、話がよくわかるので呼んでて楽しい。
    今、その本の75%位まで読んでいて、関ケ原合戦の前夜に差し掛かった。
    小説の主人・佐竹義宣はどちら側に付き、名将と名ずくなりの行いは、何を指して居るのか?
    いよいよクライマックスに差し掛かる。
         -サトシー

  • 今朝の新聞に・・・
    私はこれまで台湾に4回旅した。
    初めて行った時、台湾の年配の方々とは日本語で話が通じ、とても親しみを感じ、台湾の人々が日本の国や国民に対してとてもて友好的で、親日国家であることを肌で感じた。
    その後、蒋介石親子が、独裁政治を長い間敢行し、共産党系だったり、国民党に対する不平勢力をことごとく弾圧し約20万人の有識者等を処刑した『白色テロ』が明るみになり、私は一気に蒋介石が嫌いになった。
    その後も台湾に旅し,蒋介石を讃える「中正記念堂」が観光コースに入っていても、私は一人バスの中で他の人の観光が終わるのを待っていた。
    何しろ、この『白色テロ』が国外に知られることを恐れて、一般国民の海外渡航を一切禁止してまで国民を弾圧していたという。
    今朝の新聞によれば、有名な「中正記念堂」にまつられている蒋介石の巨大な銅像も撤去されるかも知れないという。
    いずれにしても世界の各国は、徐々に民主化が進んで来ていることはいいことだ。
    ただ、国内の不平分子を抑える指導力のない政権がいつまでも続いている国も近くにあり、あれこれ見ていると日本の国はいい国だと思う。
        -サトシー

  • 昨日遂に富山にも初雪が降る。積雪量は少なく5~6cmで、今朝はもう消えていた。
    しかし、今日こそ晴れ間もあるみたいだが、予報では今後しばらく気が許せない。
    この月の10日過ぎに、泊まり込みの忘年会が2回続いて控えている。
    双方共温泉で、今年のいろいろあった煩わしいこと・楽しかったことを忘れ、来年は素晴らしい年にしたい。
        -サトシー

  • 今朝の臨時ニュースで・・・
    IOCは、ロシアの国としての次期オリンピック参加を認めないことを発表したようだ。
    そういえば、数年前お国掛かりでドーピングをしていたことが明らかになり、その制裁措置の様である。
    ただ、選手個人としての参加は認められるようだ。
    日本の大相撲界であれ、世界のスポーツ界であれ、スポーツの根本的な精神をもう一度顧みる時が来ているようだ。
        -サトシー

  • 冬タイヤ・・・
    これから数か月間は、北陸方面には鬱陶しい季節に入る。
    特に雪の多い北陸は、車に冬タイヤが欠かせない。
    そういえば、しばらくタイヤチェーンを使った事が無い。言うなれば道路が消雪装置が施されている割合が多くなったことがその理由になっていて、消雪装置のない道路でも、それなりに除雪体制が整ってきているからである。
    天気予報を見ていると、この先7日間には、3日間も雪ダルママークがついている。
    そろそろ私も夏タイヤから冬タイヤに交換に掛かろうかな!!
        -サトシー

  • 『遠い親戚よりも近くの他人』と言う諺がある。
    また、『兄弟は他人の始まり』という諺もあり、親戚と言えども反って対応が難しいこともある。
    私も実家から絶縁を言い渡され十数年疎遠であった。
    それは実家の長兄が亡くなって2度目の新年を向える直前であった。
    私にそのことを申して来たのは長兄の妻である。
    その理由として。「貴方との血の繋がりのある兄弟がもうこの家にいないから・・・」と言う。
    富山の風習として、本家はその家から出た人は勿論、その孫にまで、生まれたとき・所帯を持った時・亡くなった時には、それなりの対応するのが習わしである。
    その代わり本家の長男は遺産を一人占めするのが普通だった。戦前までは!
    戦後になって法律が変わり、遺産は新しい分割方法が定まり、農家では田畑を分割してそれぞれの子に与えても始末ができないので、長兄はそれ相応の現金を支払い、不足分は、実家で獲れた農産物(飯米等)を子の生存中は支給することが一般的になった。
    私の場合は、親が亡くなった時にそれなりの財産があったのに、遺産相続として一切の現金も頂けず、長兄は全財産を一人占めし、その後の対応も疎らであった。
    そのあげくに長兄が亡くなり、兄嫁が私に絶縁を申し渡してきて、これまでの私等に対する対応は兄嫁の指図だったことが判った。
    だからその兄嫁が逝くまでの十数年間は実家と絶縁状態だった。
    実家の兄嫁が逝ってからは、実家との関係は復活している。

    最初に述べた「遠くの親戚よりも近くの他人」ということを意識して、きのうも「焼き芋つきあい」を近隣の8軒に振る舞った。
    ーサトシ―ー

  • 焼き芋付き合い?!!!
    わたしは今年初め家庭菜園でサツマイモを植え、秋になって収穫し、倉庫に土を落として並べている。その量は畳2枚分になる。
    収穫して間もなく通販で焼き芋専用の鍋を求め、その鍋用にカマドも作った。
    自作のサツマイモが熟成する(収穫して約2週間)のを待ちきれず、スーパーでサツマイモを求め、早速焼き芋を作ってみた。最初は丸焦げになったり、充分に芯まで焼けていなかったりしたが、何回か試行錯誤していくうち、『これだったら美味しいといえる・・・・』といえるところまでたどり着いた。
    自分らもよく食べ、少しづつだがご近所にも焼き芋を振る舞った。
    ご近所から『焼き芋美味しかった・・・』言われ、焼き芋は近所付き合いで大活躍しています。
    -サトシー

  • 私も寿司大好き人間です。
    これまでよく行っていた回転寿司店では、フクラギ2カン一皿で100円(+税)でとても美味しく数年間その店に通いました。
    ところが昨年何故か閉店してしまい、今は別の回転寿司店に通っています。
    富山では、娘を嫁に出したその年の暮れには、鰤を一本お歳暮として婚家に贈るのが古来からの風習になっております。
    その理由は、鰤は出世魚として知られているからだそうです。
    富山では、鰤の名前はツバイソ(1年) フクラギ(2年)通称ハマチ ガンドぶり(3年) ブリ(4年)と言い、年毎に名前が代わります。
    昨年の氷見でのブリ漁は、例年の1/3位しか獲れなかったので高値を呼びましたが、今年は例年並み以上だという予想されています。
    果たして我が家の食卓に鰤が並ぶことが多いか?少ないか?
       ーサトシー











    シー

  • あの頭の傷の写真を見たら・・・
    貴乃花親方だけでなく、とても許せる範囲を超えている。
    何かと隠蔽体質のある相撲協会よりも、警察に走った貴乃花親方の気持ちはよくわかる。
    横網日馬富士の記者会見で、貴の岩関並びに相撲ファンや関係者に対してお詫びしたが、その経緯については自分の行為に正当性をにじませたのは戴けない。
    前例もあることで、潔く退く出来であると思う。
        -サトシー

  • 自動車運転免許証返納・・・
    昨夜、大阪に居る友人からの電話を受ける。
    いろいろと最近の四方山話をしたあと、車の話になった。
    彼は最近免許証を返納し、長い間大事に乗っていた自家用車も手離したという。
    彼の言うには、自家用車の年間維持費(燃費・自動車税・各種保険料・車検費用・タイヤ等の維持費等)を合計すると30万円を超えるという。
     それだけではない。これまで長い間無事故であったが、最近貰い事故を受け、相手が弁護士を立てて訴訟に持ち込んで来て、1年半に及ぶ訴訟になったという。
    多分彼は、この事が免許証返納のきっかけになったようだ。
    そして、私にも声を高くして免許証の返納を勧めて、その経済性と危険性を列挙してきた。
    私も返納を考えない訳ではないが、まだ仕事を手伝うこともあり、なかなか踏み切れない。
    ただ、彼が最後に言った言葉が気にかかる。
    『殆どの高齢者は、自分は自動車運転には自信がある。と言う・・・・』
         -サトシー

  • 小説・徳川吉宗を読んでいる。
    内容は、吉宗自身のこともあるが、吉宗の取り巻き陣・老中や、曽根崎心中を書いた近松門左衛門などがでてきて、私の目論んでいた吉宗自身の身辺で発生した事柄から大きくはづれているばかりでなく、文中に次々と新しい人物が登場し、老いた私には人物を覚えきれない。
    約1/3まで読んでみたが、これ以上読み続ける意欲がわいてこない。
    俗に、物語であれ、講演であれ、最後の結論を印象付けるために、そこまでの道程では読者や受講者を引き付ける必要があるという。
    この小説も最後にそれなりのものがあるだろうと思うが、付き合いきれない。
    もう一度『上杉鷹山』の本を読みたくなった。
    -サトシー

  • "わに”さん その買い物距離は大変ですね~~
    もしよかったら、最近街でよく見かけるバッテリーカーでもお求めになったらいかがでしょ
    その点我が家は小学校までは150mという距離の地点にあり、49年前(昭和43年)に今の地に居を求めた最大の理由はそこにありました。
    その当時は小学校の脇に駐在所もあり、郵便局もあって戦前までは地域の中心的な地域だったようです。その後、昭和50年を過ぎた頃、駐在所は新しく出来た交通量の多い道路に面した場所に移り、郵便局も手狭になったようで元の場所から50m位離れた場所に移転しました。
     さて、小学校が近い事で我が子たちは何かと便利なことが多かったのだが、卒業するまでのことで、一番大事なのはやはり買い物のできる商店・スーパーが近くのあるか否かでしょう。
    私は昭和51年に隣にあった土地を求めると共に鉄骨作りの家を新築した頃、時を同じくして小学校の脇に大型食品スーパーが開業し、とても便利になりました。
     昨年元の住宅から道路を挟んだところに土地を求めたのですが、土地を求め・家を建てるにあたって、カミサンから四つの条件を提示されました。
    ①一階に居住することが出来ること。(これまでは一階は事務所と作業場で占められていた)
    ②食品スーパーが近くにあること。
    ③住宅の各部屋に陽当たりがいいこと。(北陸は冬季に日照時間が少ないので)
    ④美しい立山連峰が家の窓から臨めること。(富山県民が唯一全国に誇れる立山連峰の景観)
    でありました。カミサンからの要望の①②③はクリアしたのですが、④については、住宅に併設した倉庫(鉄骨造り二階建)の屋根の上に物見櫓を作り、自宅のベランダから階段を掛け、天候の良い日にそこに行って立山連峰を見れる様にしたいと思っております。
    この事の実現には、数年かかりそうです。
        -サトシー

  • ”一筆啓上・火の用心・オセン泣かすな・馬肥やせ”
    福井県で古い小さなお城と言えば、戦国時代末期に、織田信長の家臣・柴田勝家の弟が築城したと聞いている丸岡城だと思います。
     地元では、最近短い手紙で年に一回イベントをはじめ、話題を呼んでいます。
    そのいわれは、何代目かに城主になった人が、徳川家康の家臣で、時あたかも長篠の戦いの折、陣中から留守宅に出した手紙が”一筆啓上”からはじまる短くて多くの意味を含んでいるとのことで、後世にその名を残したといわれております。
     ”たふ”さんも、かなり全国を旅していらっしゃいますね~~
    私は、思い出の多い人生は、幸せの度合いが高い人だという概念を持っております。
    お互いただ長生きするだけでなく、多くの思い出を作って老後を楽しくいきましょう。
        ーサトシー

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