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投稿コメント一覧 (1636コメント)

  • ”店子さん”・・・・2
    先日 店子さんの読書好きのことをこのトピで紹介した。
    彼のこれまでの読んだ本で、一番感銘した本を上げ、私にも勧めてきた。
    言われるままに図書館で探したら直ぐに見つかった。その本の名は『蜩の記』である。
    読み始めると実にややこしいストーリーで、しかも登場人物も多岐にわたり、覚え切れないので人物名を傍らにメモしながら読んでいる。
    物語はあまりにもリアルなので、登場する羽根藩五万石をインターネットデ調べてみたら、小説家・葉室麟氏の小説に登場する九州大分県あたりに存在させた架空の藩だと判った。
    この小説、私はまだ読み始めたばかりだが、ストーリーがややこしい以上に読者を引きずり込む魅力があり、店子さんの勧める理由も判った。
     この小説に登場する武士の心境が、なんだか老境に差し掛かった私らに、なんだか良く判らなかった生き方を教えてくれている様に感ずる素晴らしい本である。
         -サトシー

  • "羽生・宇野両選手 アッパレ・アッパレ!!!”
    羽生選手は、日本国民だけでなく、世界中の多くの羽生ファンの期待と重圧に良く打ち勝った。おめでとう。
    また、宇野選手は、短期間に良く鍛錬し、初のオリンピックという晴れ舞台でありながらも、いきなり銀メダルという栄誉を手にするという大活躍ぶりは、実に素晴らしい。
    今後は、このお二人で日本の・いや、世界のフギヤースケート界をリードしていっていただきたい。
    御両名選手様・おめでとう・有難う~~~
        -サトシー

  • 昨日はどちらのチャンネルに回しても羽生結弦選手の復活映像が映し出され、今朝の新聞にも大きく取り上げられている。
    彼は世界の頂点に立って久しい貫禄もあり、実力者ではあるが、神様ではなくまだ23歳の青年であり・人間である。
    彼には、国内での過大な報道と共に、国民の切なる願いを一身に受ける重圧に耐えるだけの強い精神力がどこまであるのかということで、少しばかり心配している。
    そういうことで私は敢えて言うことは、今日の競技が終わって、どんな結果であろうと、
    「これが私の今の実力である」
    と、楽に言える環境を残していてほしいと願っている。
          -サトシー

  • 先ほど関東方面から来ていた旅仲間2人を富山駅で送りだし、2泊3日の温泉巡りを終えました。
    それぞれ人生を謳歌し、経済的にも成功した人たちばかりの集まりで、私などとは金銭感覚が2~3桁違う話がドンドンでてきて、話の仲間に入れない場所である。
     それでも、彼らから声が掛かるので嬉しい部分もある半面、みじめさも感じている部分もある。
    世に、『朱に交われば赤くなる・・・』なんて言葉もあるので、多少でもあやかりたいと願って付き合っている。
       -サトシー

  • 今日から2泊3日で近郷の温泉に・・・
    お金と暇を持て余している仲間から声がかかり温泉巡りの旅に出ます。
    第1日目はお隣石川県山中温泉である。
    ここは先の国道8号線で豪雪の被害をまともに受けて1500台の車が立ち往生した直ぐ近くである。
    幸い天候も快方に向かっているのだが、取り合えづガソリンだけはマンタンにして行こうと思っている。
        -サトシー

  • また雪が降りだした。
    我が家の周りでは今年1番の積雪で60cm位積もっている。
    天気予報では、まだこの先30cm位は積もるだろうという。
    ”イエーイ 面倒な雪メ ソロソロ止マンカ・・・・”
    我等が北陸地方は。憂鬱な日が続いております。
    今日は大事な用事で出かねばならぬ。困ったもんだ!!!
        -サトシー

  • ”店子さん”
    私は建坪15坪の倉庫を持っている。その2階部分を知人の紹介の人に貸している。
    その人は主に看板を作って設置するお仕事だという。
    仕事の内容は多岐に渡り、大きなビルの屋上に畳20帖~30帖に匹敵するものだとか、学校の入学式とか、卒業式の時に校門の前に立てる看板から、道路の道案内の立て看板等民間だけでなく、お役所からのお仕事も幅広く手掛けていらっしゃるという。
     その人はかなり麻雀の腕前は上等で、滅多に負けないので、悔しい思いをしているのだが、身に着いた教養があるので、憎めない人格の持ち主である。
     先日姿を見かけたので、「よろしかったらお茶でも飲みに来ませんか?」と誘ったら我が家にきて、言葉を交わしているうちに教養のある源が判った。
     それはかなりの読書家で、私の様に図書館で借りるのでなく、すべて本屋で買ってきて読むのだという。そしてこれまで読んだ本で感動した本を教えて呉れ、私に勧めて呉れたりした。
    何しろかなり広い分野に渡って知識が豊富で、この人の人格を形成している源がやっと判った。
        -サトシー

  • ”韓国のコウモリ外交が心配だ”
    中国であれ、ロシアであれ、韓国自身も美味しいものを取るだけで、あとの感謝の意が見られない。北朝鮮は特にその傾向が強い。
    何しろ北朝鮮は、血を分けた兄弟すら殺す国だ。
    狐と狸のバカシ合いもいいけれど、韓国の文大統領は、北朝鮮を丸め込むだけの力量があるのかな? ヤメトキ・ヤメトキ キタに行くのは!!
        ーサトシー

  • 今度の北陸方面の豪雪のことを『1・8豪雪』と名付けられた様だ。
    この事で、北陸方面の経済は、関西方面からの部材が入荷しないばかりか、関西方面ニ向かって出荷もできないし、企業の従業員の通勤もままならず、北陸方面の経済界は大打撃を喰らってしまった。
    こういう時私は、晴耕雨読ときめて、「ジットシテイル」に限ると決めている。
    この間に私はジョン万次郎のほかに、八田與一の生涯にわたる本を読み終えた。
    八田與一氏は、日本が統治中の大正から昭和ニかけて、東洋一の灌漑用のダムを設計し施工に携わるだけでなく、台湾の耕地面積の1/4の平野に用水路を敷設して、穀類の収穫高を6倍に、その他の農産物も8倍にする功績を上げ、台湾の農業の神様と崇められている人です。
    この人は技術者として活躍者だったので、その生涯の物語はわくわくするような事が少なく、日本の国ではあまり知られていません。でも、台湾では教科書にもでてくる有名な人です。
    ーーサトシー

  • ジョン万次郎漂流記をこのトピにそのあらすじをカキコミして顧みるに、他国の漁師が難破して自国に流れ着いても厚遇し、生活基盤を惜しげなく与えたハワイ王国やアメリカの国と比較して、
    我が日本の国は、徳川幕府がかなりその勢力が弱体してた江戸末期とは言え、流れ着いた人が自国の国民とわかっても、あれこれと詮索し、まる2年間も拘束していた事に、限りなく恥ずかしい思いをした。
    今回のカキコミでは触れなかったが、万次郎がクジラ漁に出てた時、偶然にも日本のクジラ漁の船に近づき、話かけても言葉が通じなっかような事が載っていたが、日本の漁師は、つまらぬことで役人に詮索されることを恐れたのかも知れない。
    現実に東北の某藩で、ある漁師が漁に出て難破し、しばらく外国で過ごし、日本に帰ってきて奉行所の役人のあまりにも厳しい取り調べに耐え切れず、自殺した人もあったようだ。
    また、全く別の話だが、やはり漁師が嵐に遭い、船のマストが折れて航行不良に陥り、とある島に流れ着いた。漁師たちはどこの国かも全くわからないまま数日浜辺で過ごしていた。幸いにも船には食料が残っていたので、ひもじい思いはしなかった様だ。
    そのうち島民が近づいて来て話が一切通じず、こちらからその言葉を理解するように努め、少しづつコミニュケーションが取れるようになった。
    その島はロシア領で千島列島の小さな島の様だった。
    その島にはロシア本土から年に2回毛皮商人の仕立てた船が来るだけで行政機関は何もない平和な島であった。
    漁師たちは日本に帰りたくても船がないし、日本は鎖国中で、外国の船は港に入れない。そこでロシアのお国に船を作ってほしいとお願いするも、嘆願書を受けた役人が、握りつぶすこと数回に及び、たまりかねた漁師がモスクアにまで足を運び、当時のロシア皇帝に直接お願いし、船を作っていただき、やっと日本に帰ってきた実話があり、西田敏行さんが主演する映画にもなっている。
    日本に帰ってきた漁師は、奉行所の詮索を受け、彼らは生まれ故郷には帰していただけず、小石川療養所の薬草園の農夫として一切農園から出ないで生涯を終えたという。
    その人から比べれば、ジョン万次郎は故郷に帰り、母親にも会えたことは、ラッキーであったといえよう。
        -サトシー

  • 『北陸方面・37年ぶりの大雪』なる報道が連日流れている。
    今回の大雪は、福井県・石川県で国道と高速道路で通行止めが発生したが、私の住む富山県では一部で交通機関が運行停止や遅れがあったようだが、大きな混乱は発生しなかった。
    確かに飛行機の欠航や在来線・ローカル線に運休も見られたが、北陸新幹線は終始通常運転を貫き通したことは、地元の我々も驚いている。
    富山市では、例年除雪費を5億円前後を計上しているが、今年は既に14億円を突破してしまったという。
    国道で1500台~1600台と立往生するのは、一部のドライバーが、十分な雪対策をしないまま雪国に向かってきているのと、地元の自治体が、気象情報があるのに、甘く見て、その除雪対応の遅れもあるのではないかと思う。
    何しろ、雪道の登り坂で、一台でもスリップして走れなくなると、後続の車が雪対策をしていても追い越すことが出来ない。
    たった一人の不心得者のドライバーが、雪国に住む大勢の人の経済活動に多大な被害をもたらすということを、肝に命じて行動をしていただきたいと切に願っている。
    ーサトシー

  • 万次郎は無事帰国したが、勝手な振る舞いは許されておらず、居住地を一歩でも離れることは‌禁止去れていた。
    ところが翌年突如として浦賀にぺルリがやってきて、幕府は勿論・日本の国が大騒ぎになり、突如万次郎の出番がやってきた。
    徳川幕府はアメリカ事情に詳しく、英語の語学力のある万次郎をいきなり旗本待遇で召し抱え、通弁(通訳)として日米交渉の表舞台に取り立てられ、その後勝海舟らと共に咸臨丸に乗り込みアメリカに渡り大活躍するのである。
    万次郎はアメリカから帰り、幕府にクジラ漁をするように勧めたり、大型の捕鯨船の建造を勧めたりしたが、その後徳川幕府は倒れ、新政府が誕生し、万次郎の下に英語を教えてほしいという人が武士階級の人から一般町民に至るまで押し寄せたが、万次郎自身病との戦いもあり、明治31年まで静かに暮らした様である。
         -サトシー

    ※ NHK大河ドラマ「西郷どん」の2月11日の放送の中に、万次郎が登場するようなので楽しみにしている。

  • 島の人達は親切で、食料として芋をくれたり水をくれたりして呉れ一方では村の番所に連絡していた様だ。
    番所から来た人とはやっと言葉が通じ、日本人として扱ってもらい、どこから来たかとか、どうしてこの島に来たのとか聞かれた。
    その後かなりの上役らしき人の外に12~13人の武装した侍達に厳重な警護されたまま2里の距離を歩かされとある百姓の家に預けられ琉球政府からは衣服と食事が支給され、何とその島に7ケ月に渡って取り調べを受けた。
    その後、いよいよ薩摩に護送され、そこでも同じことを尋問され、薩摩では48日間も取り調べを受けた。その間に藩主が直接アメリカの様子や風俗に至るまで万次郎に聞き及んだという。
    その後長崎に送られ、同じようなことを尋問され、その年の1月の初めに琉球に着いたから薩摩藩・長崎奉行所等で過ごし、1年半経って長崎奉行所から開放され、土佐からの迎えの役人につれられて懐かしの生まれ故郷に着いのである。
    万次郎は生まれ故郷に12年ぶりに帰り、懐かしい母親に会うことが出来た。一番良かったのは万次郎の母親が健在であった事だろう。
    一方船長親子の家族は死に絶えていたようで、無念の帰国であった。
    今日はここまで、続きはまた明日。
        ーサトシー

  • 土佐の船長の息子・五右衛門は実は現地の女性と所帯を持っていて、なかなか同意しなかったが、やっと説得に応じ、妻に別れを告げずに日本に帰るという。今度は桶屋職人になってそれなりの暮らしをしている寅右衛門だけはどうしてもホノルルに残ると言いだし。最終的に3人だけで帰ることにした。
    仕方ないので3人でホノルルで日本の方に向かう船を待っていたがなかなか見つからず、数ケ月足踏みしようやくシナの上海に向かう船がある情報を得て、その船長に琉球でもいいから船を回してほしいと頼んだが受けられず、最終的に万次郎はボートを自分が買う、そのボートを船に乗せてほしい。
    ということでやっと船に乗せてもらうことになった。
    船は琉球のとある島の沖合2里のところまで来た時、ボートを下してもらい、そこの船長と水夫に見送られ船にわかれをつげ陸地に向かった。
    島について上陸し、島の人と話をしても言葉が通じなく、島の人からは外国人が漂流してここに来たと思われたようだ。
    今日はここまで。
        -サトシー

  • 一方万次郎はホノルルで元の仲間と別れるとき、日本に帰ることを考えていることを言い、一緒に帰ろうと約束し、捕鯨船に戻りしばらくクジラ漁に勤しんだ。
    二度目の船長がフィリピンのマニラの港に着いたころに発狂し、船長の業務が出来なくなり、幸いにもマニラにあったアメリカの領事館に預け、新しい船長を乗組員で選挙で選び、副船長に万次郎が選ばれた。
    その後もクジラ漁をしながらアメリカ本土に戻り、最初に世話になった船長宅を訪れ船長の留守中に飛び出したことを詫びに行ったが、船長は全くそのことには怒りもせづ、むしろ副船長にまでになってきている万次郎を褒めたたえた。
    その後万次郎は船長宅を辞し、帰国のための資金稼ぎとして、当時ゴールドラッシュで賑わうカルフォニアに向い砂金取りに勤しみ、多少の資金が整ったので、土佐の仲間の待つホノルルに向かう船の水夫として乗り込み、何某の報酬を受け取り帰国の準備に入った。
    最初は土佐の船長親子と、桶屋に就職してた漁師の3人に万次郎と合わせて4人で帰る約束をしてたのに、船長の息子が日本に帰りたくないと言いだした。
    この続きはまた明日。
        -サトシー

  • 一方万次郎は船長にかわいがられ、一緒に船に乗り捕鯨にたずわったり、船の雑用を2年あまり同行し、アメリカ本土に上陸した。
    船長も5年ぶりに帰国した様で、この間に奥様がなくなっていて、悲しい帰国であった。
    万次郎は学校を経営しているお家に預けられ、そこの娘さんと一緒にその学校に通学した。
    しばらく船長は家を空け、クジラの油を売るためにアメリカ国内を回っていて、帰って来た時には新しい奥様を連れて帰り、5~6km離れたところに新しい家を求め、万次郎も一緒にそちらに住み込んだ。
    そして船長の家の薪割をしたリその他諸々の雑務をしていた。
    船長は万次郎の向学心に対して近所に住む数学者に頼み、数学だけでなく測量・読書・習字等の手ほどきをしてもらった。
    船長は過って捕鯨船に乗っていた時、万次郎には捕鯨だけでなく、天文学・航海術をはじめ、あらゆる分野に渡って教育を施した。
    当時の捕鯨は、小舟に数人の漕ぎ手と、クジラをめがけて矢を投げる人がいて、何本も矢を当ててクジラの体力を奪って捕獲する方法で、万次郎は矢投げの腕前は他の水夫に比べてかなりの腕前になっていた。
    ある時、元の同僚?だった人が訪ねてきて、聞けば捕鯨船の船長になっていて、捕鯨の腕前の確かな万次郎に矢投げ手として雇い入れたいと申し込んできて、海の大好きな万次郎はお世話になった船長の元を離れ、新しい雇用主の下に走った。
    そのとき船長は不在だったが、船長の奥様には了解を得ての行動だった。
    万次郎はこの捕鯨船に乗って5年の歳月が過ぎ、その間にハワイのホノルルにも寄港し、7年前別れた土佐の仲間4人に会おうと探し、土佐の船長親子と桶屋に就職した漁師にには会えたが、船長の弟さんは残念ながら病気で亡くなっていた。
    この続きはまた明日。
        -サトシー

  • 約6ケ月あまりその島で過ごしていたら、アメリカの捕鯨船が島の沖を通りかかり、みんなで手を振ったり棒を振って自分たちの存在を示し、その船の船長の行為で助け出され、しばらく捕鯨の本業に付き合い、5ケ月後にハワイのホノルルに船は入った。
    彼ら5人は、約1ケ月間の上陸を許しが出なかったが、その間船員から英語の手引きを受け、片言ながら英語が話せるまでになった。
    5人はハワイの奉行所につれていかれ、衣服と宿舎を頂き、生活費も公費で賄ってくれる様になっていた。どうやら船長がお願いしていたようだ。
    その捕鯨船がアメリカに向かうとき、万次郎だけを船長が連れて行くといい、残った4人は官費で生活してたが、1年半ほど経ってから船長親子は奉行所のお宅の使用人として雇われ、漁師の人は桶屋に就職した。ただ船長の弟は病気だったので、田舎の某ご家庭で静養することになったようだ。
         -サトシー

  • 昨日 図書館から電話が入り、注文してた本が入荷して旨の報せがあった。
    早速図書館に行って「ジョン万次郎漂流記」なる本を借りてきた。
    万次郎15歳のとき船長伝蔵(38歳)その弟(25歳)その息子(15歳)と漁師の男(27歳)の5人でその年の正月5日に7日分の食料を積んで漁場に向い3日目に嵐に会い、その強烈な嵐に帆と舵ともに失い、漂流すること9日に絶海の孤島に流れ着くも、島に砂浜は無く、切り立った岸壁だったが、船を捨て、泳いで岸壁につかまって上陸した。
    その島は周囲およそ4kmで1m程の草ばかりで、実のなる木など何も無かったが、幸いにもアホウ鳥の生息地であったので毎日10羽以上は楽に捕らえられたことと、5人が足を延ばして横になれる洞穴を見つけられた事が幸いしたようだ。ただ、飲料水の雨水の確保に苦慮したのと、火が無かったので、鶏肉であれ、貝類であれ生で食していたようだ。
    そこで半年過ごして運命の日がやってきた。
       今日はここまで。
        ーサトシー

  • 昨日朝早くから図書館に行ってジョン万次郎の本を探した。
    ザーット本棚を見たが見当たらなかったので、事務員に探してもらおうと尋ねたら、「今こちらにはありません。パソコンで探してみます・・・」という。
    パソコンで探したら15~16冊もでてきた。
    中には全4巻にわたる「ジョン万次郎漂流記」なる長編ものもあったが、一冊にまとまったものを手配していただいた。
    確かに、土佐の片田舎の漁村で生まれて、父の亡きあと大人に混じって漁に出て、嵐にあって船は難破し、無人島に流れついたことだけでも奇跡であり、その後鎖国中の日本を離れ、近代化しているアメリカに渡り、新しい知識を得たことも奇遇といえよう。
    彼は8年にわたるアメリカでの知識を日本に持ち帰り、幕末から明治にかけて近代化に向かって進む日本日の新政府にとって、一番の助人となって大活躍するのだが、その割に新政府からの評価が無かったようだ。
    いずれにしても、もう少し彼の経験したことをもう少し知りたい。
    図書館から本が入荷したとの連絡が待ち遠しい。
         -サトシー

  • ”晴耕雨読”の人生に入ったが、しばらく読書から遠ざかっている。
    その理由は、読みたい本が無いからであった。
    しかし、大河ドラマを見ているうちに、この先登場するジョン万次郎の事が知りたくなった。
    彼は、まだ少年の頃、大人に混じって漁に出て、嵐に会い、絶海の孤島に流れ着き、その後アメリカの捕鯨船に救われ、仲間4人はハワイに降ろされたが、船長の眼鏡に適いアメリカ本土に行って学校に通い教育を受け、卒業後は船長の船に乗せてもらい、航海術等いろいろ教えてもらい、8年経って日本に帰国して、いろいろと取り調べを受けて、彼には罪がない事がわかり、母の待つ生まれ故郷・土佐に帰った。
    折しも黒船がやってきて通訳の必要性を感じた幕府は、万次郎に武士の資格を与え幕臣とし、アメリカとの交渉ことの通訳として働き、勝海舟等と共に咸臨丸でアメリカに渡り、大いに活躍したようだ。
    ただ、時が進み新政府が発足してからは冷遇されたようで、そこらあたりのことを知りたくなっし、波乱万丈の人生も知りたくなった。
    今日は市の図書館に行って、そういう本があれば借りてきて読んでみたいと思う。
         -サトシー

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