ここから本文です

投稿コメント一覧 (169コメント)

  •  物質には心がある。人間の身体は物質です。ですから、物質には心が存在します。人間の細胞の心=心/総細胞数。人間の分子の心=心/総分子数。人間の原子の心=心/総原子数。人間の身体の中の原子=他の原子。宇宙に存在する全ての原子には(人間の原子の心/人間の総原子数)の心が存在する。宇宙の心は原子の心×宇宙の総原子数ということになります。宇宙(自然)の心から生まれてくる人間の心。宇宙(自然)の心に包まれている人間。
     物質には心の前段階がある。または、低次元の心。或いは、心の初期がある。

  •  繰り返すことによって何かが育ちます。素晴らしい何かを育てることができるかもしれません。素晴らしいイメージを繰り返す。素晴らしい言葉を繰り返す。素晴らしい行いを繰り返す。それによって出来上がるものがあります。それがそして動いてくれるのです。表面意識とは異なるところで動いてくれるのです。
     練習すると潜在意識の中にできるものがある。試合の時に無意識になりなさいと言う。これは意識の中にできるものが無意識になることによって意識を覆うためです。そのために練習が必要です。そして集中して無意識になることが必要です。そうしたら練習している状態の力が出せると言うことです。
     この「それ」という指導霊ですが人生で大切なことです。素晴らしい指導霊を持ちたいものです。子供の時にこの素晴らしい指導霊を持たせてあげたいものです。素晴らしい人生にしてあげるために。
     心に神を作り育てる聖書。神が潜在意識の中で育ち、表面意識と異なる考えや行動を人に与える。人の出す気の中に存在し、働きだす冬山での遭難で声を聞き、声に励まされ導かれて助かったという話をよく耳にします。そのように、潜在意識や深層意識が動き出して、表面意識に働きかけることがあると思う。聖書は潜在意識や深層意識に神を作り育てる。神が時々言葉を発する。それは聖書の一説が思い浮かんだり、声となって聞こえるのです。それは聖書の神の言葉を繰り返し繰り返し唱え潜在意識に入れるからでしょう。
    一方、仏教はどうなのか。潜在意識の仏は言葉を発するだろうか。お経や唱えている称名や真言などが出てくるんだろうね。そしてその時の感情になることにより心身が定まるのでしょう。

  • ・弓と禅

    アップルのスティ-ブ・ジョブズが読んでいる本として見直されています。
    「それ」のようなものに野球の神様と言うのがあります。指導霊と言うのがあります。感応があります。その他にも、たくさん存在しています。
     煩悩をもって繰り返す動作と無心で繰り返す動作。「それ」が降りてくる違いはあるのかということですが。「それ」の性格が異なってきます。キリスト教で繰り返すと「それ」は神と呼ばれます。仏教では仏と呼ばれます。神道では神々と呼ばれます。スピリチュアルでは指導霊と呼ばれているように思います。
     弓道とか柔道とか無心で繰り返すと「それ」が降りてくるとか出来上がるとして、では、日常の繰り返される動作や思考はどうなのかということだと思うんです。日常の動作や思考などでも「それ」は出来ていると思うんです。例えば、癖。動かそうと思ってはいないのに的確に動きます。これは大脳が動かさないで、他のところが動かしていると思うんです。小脳とか反射神経とか。繰り返されるネガティブな思考で出来る「それ」ポジティブな思考で出来る「それ」これって大変です。スピリチュアルの世界では指導霊と言われているように思うのですが。違っているかもしれませんが。
     修行することについて。繰り返すとどのようなことが起きるのか。「弓と禅」の中で自分ではなく「それ」が弓を引くとあります。それができるのです。修行した後に無心で行うと「それ」が行ってくれるのです。「それ」とは長い年月の間繰り返すことによって出来上がる心・身体のさようです。
     野球で時速150kmの玉を打つのに目で捉え脳で判断し命令を手足や身体に出していたのでは、バットを振ったときにはボールはすでにミットに収まっているそうです。でも、実際には打つことができます。練習を繰り返すと何かができるのです。
     宗教では繰り返し祈ります。書物を繰り返し読みます。神秘体験の話を聞きます。神秘体験をします。そのことによって心や身体の中に神仏ができるのです。そして、育ちます。無心になったりすると神仏が心の中から表面意識の中に現れます。また、何気ない日常生活のなかに現れたりします。繰り返すと言うことはそういうことです。素晴らしい習慣ができるのです。素晴らしい癖ができるのです。


  • ・弓と禅

    ・ヘーゲル(ドイツの哲学の先生)の本「弓と禅」は弓の極意の体験談です。仙台で弓の先生から弓を教えてもらいます。先生は訳の分らないことを言います。「的を狙ってはいけない」「弓を放とうと思ってはいけない」「貴方が撃つんじゃあない。それが撃ちます」。それで私は「どうすればいいんだ」とヘーゲルは思う。先生は「それが私に降りてきて撃つところを見せます」と言って弓を射るところをヘーゲルに見せます。「こういうことを武道と言うのです」と先生は言い、「それ」に対して貴方と私は一礼をすべきです」といって、的に一礼をします。ヘーゲルは六年間、無我夢中で練習します。ヘーゲルがつづけて射損ねると先生が私の弓で二三回射を放った。すると、弓はてきめんに良くなった。ヘーゲルが射ると矢は的に当たった。あたかも弓が私に向かって「お前の言うことは聞かないが、師の言うことならば聞かざるを得ない」と私に妥協したごとく矢は的に当たった。練習を続けた後のある日、突然師が現れてヘーゲルにいいます。「的に向かって一礼しなさい」先生曰く「今「それ」が現れました」礼をした後、的を見ると矢は外れていた。それでもいいんです。師は武道的に正しく完成された射として認めたのです。「悪い射に腹を立ててはなりません」「良い射に喜んではなりません」「弓を射ることに快と不快を分けてはなりません」「あなた自身快と不快の間を行き来してはなりません」「こころ静かに弓の稽古を積みなさい」「良き射を得たなら、その射を目指してたゆまず練磨しなさい」先生はヘーゲルに免許皆伝を与えます。
    アップルのスティ-ブ・ジョブズが読んでいる本として見直されています。

  •  私たちは本質の現れです。私は生きているし、生かされている。本質的には生きています。個々で見ると生かされていて、生きてもいます。
     なぜ生まれてきたのか。それは自然の指向性によって生まれました。なにをするのかは自然の指向性とそれから発生した心の志向性に従えばよいことです。
     生きることだけと言う人がいますが、それは違います。なぜ心があるのか、心の中に感情があるのか、志向性があるのか、感動があるのか。生きる方向性を持って生まれてくるのです。そこを見つめてそこを生きることが決まっているのです。
     宇宙の心の意思(自然の心の意思)、或いは私の先祖を遥かにさかのぼった生命が獲得した「感動」はあなたの本当の心です。貴方が生きてゆくことにとても必要なことなのです。命を懸けてこの思いに生きる。

  •  般若心経の空は永遠と無限の宇宙の移ろい行くエネルギーです。禅の無私は私という自我を無くせば永遠と無限の宇宙エネルギーが現れてきます。色即是空は物事の本質は永遠と無限ということ。空即是色は永遠と無限が総ての事象として現れているということです。諸行無常は常に移ろい変わっていくことを言います。でもその本質は適当に変化しているわけではありません。指向性という方向性を持っています。その指向性から私たちは生まれてきました。その指向性にのっとって生きています。その指向性が心の中に存在するのが志向性です。感動があり、共感があり、共鳴があり、好きがあり、嫌いがあり・・。それらの感情は貴方の行くべき道を指し示しています。
     感動を追いかけて実行をしてください。魂が成長します。そういう風になっています。人間の生きる道はそこです。
     我は多重構造になつています。大我があり、我があり、小我があります。大我は大宇宙、我は私、小我は細胞や分子や原子などの最小の存在まで行き着けます。小我は我を形成し、我は大我を形成します。その本質は永遠と無限です。
     目をつぶると目の前に光りが見えます。それは永遠で無限を表現しています。その光りは私の中にもあり輝いています。神と表現しても良いし、仏と表現してもいい。私は永遠で無限であります。確かに諸行無常です。でも諸行無常という永遠と無限が存在しています。永遠と無限のエネルギーが変化しながら絶えることなく続いてゆきます。心でイメージを強くすると永遠と無限のエネルギーが強まります。心で総てをサポートするのです。

  • ・貴方が前へ進んだだけ人類は前へ行く。命の鎖の輪はまだまだ形を変えながら進んでゆきます。知識の輪もよりよいものがまだ出てきます。キリストや仏陀やモハメットやソクラテスを超えられてはいませんが、まだ、人間が幸せでないなら幸せを求めて進みます。思想はまだまだ道半ばなのです。(人類が始まって400万年前。新人20万年前。言葉を話し始めて10万年。文字を使い始めて6000年前)?
    まだ時はそんなに経過をしていません。人類がもっともっと続けばそれだけ思想も沢山出てきます。今よりももっと良い幸せの思想がきっと出てきます。苦痛が少なくなります。幸せを求める思想の道は始まったばかりなのです。貴方は死ぬと思いますが貴方の命は子供へと続きます。貴方は生きています。いつの日にか未来では貴方の命は幸せに輝いているかもしれません。色々な幸せの思想は必ず生まれます。脳科学も生命科学も今よりは進むでしょうし医学も薬学も進みます。命の鎖の輪は続いていますから。期待しましょう。

  • ・輪廻するという人がいますが、人々が思っているような輪廻はおそらくは存在しないでしょう。本質は変化なのだから。本質の指向性があり、あるとき生命となって現れた。このときから命は続いているのです。滅んで生まれ、滅んで生まれでは無いのです。分かれて分かれて、合わさり分かれて合わさりなのです。分かれは分霊。合わさりは合祀なのです。そのように表現したほうが的を得ています。

  • ・出産の時に何パーセントかの割合で障害を持った子が生まれてきます。これは外見だけですが、じつは内部の障害を持ってくる子がもっと多い割合でいると思われます。内蔵や脳や各機能に異常を持って生まれてきます。内部に障害を持っていても気がつきませんし、より良い能力という形で現れる異常だってあるでしょう。適した能力であれば適者生存で生き残ってゆきます。そうして進化します。適さない能力や形は適者生存により滅んでゆきます。身体の変化は相当の数で起こっているのでしょう。その表れが障害者として生まれて来る人たちです。ここで考えていただきたいのは目に見えない脳の異常ということです。それは性格とかたずけられていたかも知れません。ある部位が発達していたり衰えていたりしていると思われます。普通とか正常とか言うことは何を持ってそのように言っているかは分かりませんが、そのように異なる脳の人が沢山いることです。感情が異なったり、幸せも異なるのでしょうか。

  • ・五感でしか捉えていない世界しか理解できていない私達。私たちには五感が備わっていますが果たしてそれだけで宇宙のすべてが理解されているのでしょうか。八感とか九感があったら果たしてどのような宇宙になっていることでしょう。五感は宇宙のほんの一部しか理解しないのではないでしょうか。人間は宇宙のすべてを理解するだけの認識能力を持っているとは思えないでしょう。五感のうちの目でも俯瞰の目を持つ者と顕微鏡のような目を持つ者とでもこの世界は異なって見えるだろう。唯物論とか言っていますがそれは五感の世界の認識でしかありません。他の認識器官を持つと今の宇宙とは異なる宇宙が現れるのです。だから今此処には別の宇宙が存在しているかも知れないのです。

  • >>No. 1


    今日はクリスマスとか・・・・・・・・・。

    美味しいものを食べ、感動するドラマを見て、暖かい布団で快い眠り、幸せな夢を見てくださいね。選択は常により心が喜ぶ方を。

    Merry merry yourself.


  • こんばんは

    北海道はすっかり冬になってしまいました。雪が降る前に虫たちが暖かい方へと、家の中に入ってきます。古い家ですからねずみなども入ってきます。暖かさは生きるのに必要です。暖かい食べ物を食べていますか。身体が温まり、心も少しだけではありますが、温まります。ご飯食べていますか。温かい鍋や汁物を食べてくださいね。風呂に入り温まる。布団をあたためてから眠る。ホッカホカ。
    生きている間は少しでも幸せを感じれる方へといきましょうね。


  • 心が光り輝けば心の闇は消えます。
    光り輝く丸い輝きを想像しましょう。愛の光りを放っています。幸せの光りを放っています。想像で大きさは自由自在です。
    いやなエネルギー、いやな思い出、不幸な家族、悲しむ人、苦しむ人、すべてを包み込むことができます。
    すべての思い出の中に置くことができます。大きさも自由自在。
    苦しむ人の中に入れることも、地球全体を包み込むこともできます。
    丸い輝きを色々なところに置きながら置いた人の幸せを願う。
    置いたところの幸せを願う。”幸せに・幸せに・幸せに・・・・・・・と
    願い続ける。
    繰り返し続ければ確信に変わり、信念に変わり、やがてエネルギーになります。不動の輝く心を作ることができます。
    そしてこの心は感応によって他の人の心に伝わるのです。素晴らしいですよね。試してみてはどうですか。


  • こんばんは

    空想で思ったことも記憶になる。トラウマを変えよう。私は色々な記憶をコントロールしています。

    悪い夢を見たら、いいイメージに変えておきます。登場人物の幸せを祈っておくし、怖い場面を怖くない画面をイメージすることによって怖い記憶を薄めます。

    私たちの記憶もほとんど正しい記憶はないらしい。自分が思い込みによって変えているらしい。

    私は光りの玉をイメージします。この光りは愛で満たされています。
    愛の光りの玉を記憶の中に置いて回ります。

    何も良いことがなかった人生だったという人は試してみてはどうでしょう。

    例えば、記憶の中の勉強をしているクラスの中にこの光り輝く愛の玉を置いてくるのです。そのようにイメージをします。

    このイメージが記憶になります。子供だった頃の家のなかにおいてくるのです。

    そのイメージにでてきた家族の幸せを祈ってくるのと、その時の家族のイメージを幸せにしてくるのです。幸せにしてあげるのです。

    淋しかった人生、悲しかった人生、苦しかった人生、辛かった人生の記憶を変えてあげましょう。

    トラウマからくる色々な心的症状があるといいます。少しでも改善できたらと思っています。

    イメージではありますが、登場人物が幸せに変わるのが嬉しいものです。

    淋しい雰囲気が明るくなります。悲しい雰囲気が喜びに変わります。そうゆうイメージで記憶を満たすのです。これは幸せになる方法論です。いかがでしょうか。


  •   ありがとうございました。


  • ピコ太郎さんの歌をトランプ次期大統領のお孫さんが歌っている動画が話題になっています。
    お孫さんはこの歌との出会いで魂の成長がありますよね。こうやって子供は成長するんです。

    どうぞ、どうぞ、素晴らしい人生でありますように願っております。


  • 感動する言葉を探す人々が大勢います。坂井泉水、永六輔、作家、作詞家・・・・・・・・


  • 親が子供につけた名前は、子供の幸せへの親の願いです。親の思いをもう一度思ってみては。


  • 昔の写真の中に幸せが写っているかも知れません。

本文はここまでです このページの先頭へ