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投稿コメント一覧 (758コメント)

  • >>No. 2207

    『フロイト講義 <死の欲動>を読む』

    小林敏明

    せりか書房, 2012

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     よく知られているように、カントはわれわれは感性的直観をとおして得られる現象の世界しか認識することはできず、その背後にある「物自体」は認識できないと考えました。言い換えれると、それは主観によって構成的に認識された世界のみが現実的だということです。ショーペンハウアーも基本的には認識論の構図を受け入れ、世界は直接的な物自体の世界ではなく、あくまで「表象/観念 Vorstellung」の世界だと考えます。ではしかし、そもそもその表象ひいては認識という働きはどこから出てくるのか。こう問うことによってショーペンハウアーはカントから分かれます。表象や認識が可能になるのは、ほかならぬわれわれの内部に何かが働いているからです。それも直接に。

      (・・・) われわれはたんに"認識する主観"ではなく、他方でまた"自ら"認識する本質に属している、つまり"自ら物自体なのである"。したがってわれわれには、"外からは"迫ることのできない、かの事物の自らに固有な内的な本質には、"内なる"道が開かれている。その道はさしずめ、裏切りによって一挙にわれわれを外からは攻撃できない要塞に入り込ませる地下道、あるいは秘密の通路のようなものである。(Die Welt als Wille und Vorstellung Ⅱ, S.253)

     この比喩はトロイの木馬でも念頭においたものでしょうか。この「秘密の通路」は、他のもろもろの表象とはちがって、むしろ認識者の主観内部に直接感じ取られるものであり、その意味で「物自体」だとショーペンハウアーはいうのです。物自体はカントでは対象の背後に想定されていたのですが、ショーペンハウアーでは逆に主観の奥に想定されていることがわかります。そしてこの対象の側にひっくり返された物自体としての通路こそがショーペンハウアーのいう「意志」にほかなりません。(pp.44-46)

  • >>No. 2985

    『画像と知覚の哲学 - 現象学と分析哲学からの接近 -』

    小熊正久・清塚邦彦 編著

    東信堂, 2015

    http://www.toshindo-pub.com/book/%E7%94%BB%E5%83%8F%E3%81%A8%E7%9F%A5%E8%A6%9A%E3%81%AE%E5%93%B2%E5%AD%A6/

  • >>No. 2984

    『現代現象学 -経験から始める哲学入門 -』(植村・八重樫・吉川 編著, 富山・森 著)
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    ・経験を経験にする特徴とは何かという問いに対する有望な答え。経験が-何かについてのもの-であるという特徴をもつということ。
    ・例。家の前の猫を見るという経験。またそれをあの馴染みの猫と同じ猫だと特定する経験。見られて同定された猫という対象を抜きにしては、それらの経験がどういうものかを描写することはほとんどできない。
    ・こうした経験の特徴は志向性intentionalityと呼ばれ、志向性を持つ経験は志向的intentionalであると言われる。

    (上掲書,p.72参照)

  • >>No. 2983

    『現代現象学 -経験から始める哲学入門 -』(植村・八重樫・吉川 編著, 富山・森 著)
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    ・現象学は私たちの「経験」を探究する。
    ・例えば「物」の現象学的解明。物は、知覚という経験の進行のなかで、- 私にとって- さまざまな側面から与えられる。
    ・「私にとって」。私たちの経験のある種の不完全性。私たちは自分の身体のある「ここ」から物を知覚する。
    ・「ここ」に拘束されること。私たちの知覚は物を一側面からのみ見ており、すべての側面から一挙に捉えるわけではない。
    ・経験の「私」という一人称観点をもつこと。経験は「私にとって」という性格をもつ。

    (上掲書, p.5参照)

  • >>No. 2936

    『現代現象学 -経験から始める哲学入門 -』

    植村玄輝・八重樫徹・吉川 孝 編著
    富山 豊・森 功次 著

    新曜社

    http://www.shin-yo-sha.co.jp/mokuroku/books/978-4-7885-1532-1.htm

  • >>No. 2432

    『チャンドス卿の手紙 他十篇 』

    ホフマンスタール

    檜山哲彦 訳

    岩波文庫,1991

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    >ようするに、当時は、ある種の陶酔の持続のうちにあって、存在全体が一箇の大いなる統一体と見えていたのです。精神と肉体の世界が対立するとは思えず、同様に、洗練されたものと獣めいたもの、芸術と非芸術、ひとりと集団などが対立するとは思えませんでした。すべてのもののうちにわたしは自然を感じていたのです。
    (pp.106-107)

    >わたしの症状といえば、つまりこうなのです。なにかを別のものと関連づけて考えたり話したりする能力がまったくなくなってしまったのです。
     まずはじめは、高尚であれ一般的であれ、ある話題をじっくり話すことが、そしてそのさい、だれもがいつもためらうことなくすらすら口にする言葉を使うことが、しだいにできなくなりました。「精神」「魂」あるいは「肉体」といった言葉を口にするだけで、なんとも言い表しようもなく不快になるのでした。… ある判断を表明するためにはいずれ口にせざるをえない抽象的な言葉が、腐れ茸のように口のなかで崩れてしまうせいでした。…
     そして、ちょうど錆が周囲をむしばむように、この気がかりな悩みはしだいに広がっていきました。気のおけないふつうの会話にあっても、… だれそれにとって得になったあるいは損になった、州長官Nは悪人で牧師のTは善人だ… などなど…こうした会話はすべて、裏づけもなく、偽りで、ひどく粗雑に思えたのです。このような会話にあらわれる事柄すべて、不気味なくらい近くから眺めるよう、わたしの精神は強制しました。…もはやそれらを、なんでも単純化してしまう習慣的な眼差しでとらえることはできませんでした。すべてが部分に、部分はまたさらなる部分へと解体し、もはやひとつの概念で包括しうるものはありませんでした。個々の言葉はわたしのまわりを浮遊し、凝固して眼となり、わたしをじっと見つめ、わたしもまたそれに見入らざるをえないのです。それははてしなく旋回する渦であり、のぞきこむと眩暈をおこし、突きぬけてゆくと、その先は虚無なのです。
    (pp.109-111、「… 」部分は略)

  • >>No. 2976

    『言葉の意味と使用』

    塚原典央

    福井県立大学論集, 2014

    http://jairo.nii.ac.jp/0103/00000127

  • >>No. 2975

    『墓碑銘のすてきな乱れ』

    ドナルド・デイヴィドソン

    荒磯敏文 訳

    春秋社(『真理・言語・歴史』),2010

    http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-32325-0/

  • >>No. 2973

    『言語の論理的分析による形而上学の克服』

    ルドルフ・カルナップ

    内田種臣 訳

    紀伊国屋書店(『カルナップ哲学論集』),1977

  • >>No. 2975

    『原初的な言語ゲーム』

    塚原典央

    福井県立大学論集, 2011

    http://jairo.nii.ac.jp/0103/00000081

  • >>No. 2970

    『直示的定義と私的言語論』
    (Ostensive Definition and the Private Language Argument)

    尾形まり花

    千葉大学人文社会科学研究, 2007

    http://jairo.nii.ac.jp/0007/00107021

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    >われわれはしばしば、言語を学ぶ前の子供の直示的な仕草が理解できるかのように言う。そしてまた、われわれは何かを指さして、子供を対象に気づかせたりする。われわれはこの状況を自然なものと捉えている。しかしながら、ウィトゲンシュタインによれば、この描像は素朴すぎる。ウィトゲンシュタインは、子供がわれわれの指さすところを理解できるのは、言語の機構全体を手に入れる一定の教育がある時に限られる。われわれの観察とウィトゲンシュタインの結論の間には、衝突が見て取れる。 本稿の目的は、直示に対するわれわれの素朴な言い方を擁護することである。そのために、ドナルド・デイヴィドソン的見地から、私的言語論を論じる

  • >>No. 2973

    『実証主義的および言語分析的な形而上学批判の問題点』

    久保陽一

    『駒澤大學文學部研究紀要』, 2005

    http://jairo.nii.ac.jp/0250/00010404

  • >>No. 2972

    『「論理哲学論考」における意味と意義の区別』

    大川祐矢

    『哲学論叢』( 京都大学哲学論叢刊行会 ) , 2011

    http://jairo.nii.ac.jp/0019/00137974/en

  • >>No. 2760

    『ウィトゲンシュタイン『秘密の日記』 - 第一次世界大戦と『論理哲学論考』-』

    L.ウィトゲンシュタイン

    丸山空大 訳
    星川啓慈・石神郁馬 解説

    春秋社, 2016

    http://www.shunjusha.co.jp/detail/isbn/978-4-393-32366-3/

  • 『哲学探究』( ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン )
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    243
     人間は自分で、自分をはげましたり、自分に命令したり、自分に服従したり、自分を非難したり、自分を罰したり、自分に質問したり、その質問に答えたりすることができる。だから、ひとりごとしか言わない人たちを想像することもできるだろう。自分の活動にひとりごとをくっつける人たちである。 - 研究者がそういう人たちを観察し、その人たちのひとりごとを立ち聞きすれば、その人たちの言語を私たちの言語に翻訳できるかもしれない。(そうなると、研究者は、その人たちの行動を正しく予測できるようになるかもしれない。その人たちの心づもりや決心が聞こえるのだから。)
     ところで、誰かが自分の内的経験を - 自分の感情や気分などを - 自分だけのために書きとめたり、しゃべったりできるような言語というものは考えられないだろうか? - そういうことなら、私たちの普通の言語でできるのでは? - いや、そうじゃない。私の考えている言語の単語は、しゃべる人だけにしかわからないことを意味しているものなのだ。その人の、じかの、私的な感覚を指示しているものなのである。他人には理解できない言語なのである。(pp.169-170)

  • >>No. 2360

    『哲学探究』

    ルートヴィヒ・ヴィトゲンシュタイン

    丘沢静也 訳

    岩波書店, 2013

    https://www.iwanami.co.jp/book/b261168.html

    【目次】

    ・『哲学探究』への道案内 (野家啓一)
    ・哲学探究
    ・[第2部]
    ・訳者あとがき

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     - 確認しておくべき重要なことがある。「意味」という単語で、その単語に「対応する」モノをあらわすなら、その単語は誤用されているのだ。つまり、名前の意味と名前の"にない手"とが混同されているのである。N・Nさんが亡くなったら、「亡くなったのは、その名前のにない手だ」とは言うが、「亡くなったのは、その名前の意味だ」とは言わない。そんなふうに言うのはナンセンスだろう。というのも、もしも名前が意味をもたなくなったら、「N・Nさんが亡くなってしまった」ということも無意味だからである。(上掲書, p.40)

  • >>No. 2113

    『哲学の歴史 12 - 実存・構造・他者 -』

    中央公論新社, 2008

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    第12巻◆20世紀 III

    ■実存・構造・他者 モダンとポストモダン
    責任編集 鷲田清一◆大阪大学教授

    現代フランス哲学の系譜学とも言うべき構成です。ベルク ソンに始まるフランス独自の伝統は、ドイツ哲学や英米哲 学の積極的な摂取とあいまって、とりわけ20世紀後半の世 界哲学を主導してきました。多彩な人材が繰り広げる先鋭 な思考は、狭義の哲学にとどまらず、言語学・精神分析 学・人類学・歴史学などの分野でも大きな貢献をなしました。わが国に対する影響力が最も大きいという意味でも、 掉尾を飾るにふさわしい一巻です。

    http://www.chuko.co.jp/zenshu/2008/04/403529.html

  • >>No. 2112

    『哲学の歴史 11 - 論理・数学・言語 -』

    中央公論新社,2007

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    第11巻◆20世紀 II

    ■論理・数学・言語 科学の世紀と哲学
    ・責任編集 飯田隆◆慶應義塾大学教授

    20世紀は科学と技術の世紀でもありました。原子爆弾とコンピュータが その象徴です。19世紀後半からの自然科学の基礎づけをめぐる試みは、 無限論・集合論の深化を経て、記号論理学・数学基礎論・言語哲学などの分野で 飛躍的な成果を挙げ、それらがまた大胆な哲学的思考を促しました。 今日最も注目を集める、論理・数学・言語をめぐる知的冒険を、 科学哲学・科学史研究・エピステモロジーの歴史を辿りながら総合的に紹介します。

    http://www.chuko.co.jp/zenshu/2007/04/403528.html

  • >>No. 2111

    『哲学の歴史 10- 危機の時代の哲学 -』

    中央公論新社, 2008

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    第10巻◆20世紀 I

    ■危機の時代の哲学 現象学と解釈学
    ・責任編集 野家啓一◆東北大学教授

    アウシュヴィッツの以前と以後を貫き、現代まで続く有力 な二大学統とその展開を扱います。ある意味で西洋思想の 極相とも言えるナチズムへの応答が哲学の試金石にもなっ た時代です。ユダヤ系学者の活躍と受難が目立ち、危機の 認識は鋭い政治意識をともなわざるをえませんでした。この構図は「最後の哲学者」ハイデガーとの思想的対決とも 置き換えられるでしょう。ホロコーストの後で哲学は可能 か。いまだ答えられていない問いです。

    http://www.chuko.co.jp/zenshu/2008/03/403527.html

  • >>No. 2110

    『哲学の歴史 9 - 反哲学と世紀末 -』

    中央公論新社,2007

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    第9巻◆19〜20世紀

    ■反哲学と世紀末 マルクス・ニーチェ・フロイト
    ・責任編集 須藤訓任◆大阪大学教授

    ドイツ語圏から三名の巨人が現れました。西洋哲学の本流を形成してきた合理主義は根底的な批判にさらされ、神や形而上学や主体は死亡宣告を受けました。いずれも現実を変える力をもった劇薬のような思想です。その影響は現代にあってもきわめて大きく、清算あるいは葬送されるどころか、われわれにいっそうの精読・再読を要求しています。本巻では、わが国の哲学や社会科学と縁の深い新カント学派やM・ヴェーバーも扱われます。

    http://www.chuko.co.jp/zenshu/2007/08/403526.html

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