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投稿コメント一覧 (1467コメント)

  • [ 霊峰・男体山が美しい ]
     食材の買い出しに最寄りの道の駅・西方へ。余りにも日光連山が鮮やかなので、タブレットを持ち出して出直した。桜の名所として名高い「金崎の桜堤」に架かる小倉橋上から撮影した。中央に聳えるのが男体山で、左には群馬県境の白根山が深く雪を頂いている。男体山の右奥が霧降高原、右下に日光東照宮が位置する。日光国立公園の峰々も連なりを魅せている。偶然、鬼怒川温泉へ向かう特急の東武電車が写り混んでいた。

  • [ 谷沢健一氏です ]
     新年早々に変換ミスをしました。矢沢ではなく、谷沢が正解ですね。
     優勝時には5番(ファースト)を打ちました。「週刊 プロ野球セ・パ誕生60年」の昭和49年の記事で、中日ドラゴンズの1番(セカンド)を打っていた高木守道氏の日本シリーズでの打撃フォーム(右打者)の写真が掲載されている。ロッテの右投手が投じた内角の厳しいコースに対している。左足のステップを開いて対応しているが、爪先はセカンド方向を向いており左肩も開いていない。右肘のたたみ方も素晴らしくバットのヘッドが遅れて出てくる感じだ。理想的な内角への対応スイングだ。記事によれば巨人・王が三冠王でなければ、MVPは中日ドラゴンズの高木が獲得したであろうとしている。

  • [ 闘将・星野仙一氏が逝く ]
     突然の訃報であった。明大からドラフト1位で中日ドラゴンズへ入団、昭和49年(1974年)には巨人のV9阻止を果たし、20年振り2回目のリーグ優勝に大きく貢献した。優勝を決定した10月12日(土)の大洋とのダブルヘッダー第二試では、完投して胴上げ投手となった。
     中日ドラゴンズの優勝の瞬間を正確には記憶していないが、最寄りの交差点の電気屋の街頭テレビで観たかも知れない。優勝決定の午後8時9分、社会人一年目の新入社員には半ドンの土曜日の行動の記憶がない。だが、遂に巨人が優勝を逸したとの思いを抱いたことは、星野仙一投手の派手なガッツポーズと共に鮮烈に記憶に残っている。
     「野球学部島岡学科出身」を自認していたと言う。大学時代には「法政三羽ガラス(田淵、山本、富田)」や早稲田の矢沢などのライバルに優勝を阻まれた。しかしながら、入団6年目にして悲願の打倒巨人を果たした。最多セーブを記録し、栄えある沢村賞を獲得している。
     私は高校三年間、全ての夏の最終戦は調布の「明大球場」であった。両翼100m中堅125mの広い球場で、当時は公式戦の主会場の一つであった。同期の主将からは「お前なら大学の練習にもついていけるから、野球を続けろ」と言われた。本人は身体的な理由で半ば諦めていたものの、明治と法政、そして担任の勧めで明治学院を受験した。
     中日ドラゴンズが優勝をしたこの年、明学大野球部は二度目の優勝を果たして選手権に出場している。勿論、監督は明大OBの枯木氏である。

  • [ 記念搭・ファイナル ]
     前半は相手ベンチ側に明学スカーレットが攻めるので、フェンス外のベンチで失礼のないように観戦。ハーフタイムに反対側のゴール裏に移動するまでに等間隔でシャッターを押しただけなのに、全て異なる色彩が映っていたのは偶然にしては出来すぎだ。後半の36分(ロスタイム1分)は大木の横で立ち通しだったが、先輩団長と心が通じて意思の疎通をしているような貴重な時間で非常に短く感じた。
     来年は「明治百五十年」で、大河ドラマは「西郷(せご)どん」。同期の体育会執行部委員長と私のルーツである薩摩の偉人の物語だ。2020年に「二度目の東京オリンピック」が迫り、同年には明学大野球部の初優勝から50年の年月が経過することとなる。野球部を筆頭に各部は正に正念場で、明治学院大学発展の一翼を大きく担っている。

  • [ 記念搭・4 ]
     実は12月24日は、私の4学年上の団長の命日である。今年で鬼籍に入って早、18年が経過した。当時、風の便りで体調が良くないとは聞いていたものの、亡くなったとの連絡を受けた時は非常なショックであった。仕事を休んで告別式に出たかったが叶わず、早退して宇都宮から桐ケ谷で行われた通夜の席でお別れをした。先輩とは現役時代には苦楽を共にはしていない。しかしながら、応援団監督として数々の指導を受け、幹部としての活動に生かした。奥様は体育会の同期生で新潟の有名な蔵元の令嬢であり、社会人になって程なく結婚した。先輩は某フォークリフトの営業として辣腕を振るって好成績を挙げた。その人間力を見込んだ7級上の応援団OBが、先輩を自分の会社に引き抜いた。コンピューター関係の会社は当時の成長産業の筆頭格で、程なく社長が企業戦死したものの著しい成長を果たし、先輩自身も常務まで駆け上がった。
     健康でいたならば、OB会会長として或いは同窓会組織の要人として明治学院発展に寄与し、応援団の現状も異なるものとなっていたかも知れない。返す返すも残念でならない。常々、先輩なら「どう考えどう行動するか」を今日でも私は自分自身の行動指針としている。

  • [ オリンピック記念搭・3 ]
     当初は浦和の駒場スタジアムにインカレ決勝の観戦に訪れる予定でいた。しかし、スカーレットに「勝機は充分にある」と書いた以上、負ける訳にはいかない。観戦の梯子をすると「はしご酒」となることは必定だったので、新宿湘南ラインで渋谷へ向かった。
     後半も早15分が過ぎ圧倒的に押しているが同点にできない。そこで秘策を繰り出した。木の陰で「フレーフレー明学」のエールを切ったのである。勿論、発声なしの魂を込めた得意のエールだ。不思議なもので、それから1・2分もしない内に大きなクロスから鮮やかな同点弾が生まれた。してやったり。その後に撮影を開始して、PK弾と決勝弾もおさめることができた。PKのシーンの画像には、ネットに絡んだら落ち葉が「八咫烏(やたがらす)」の如く写り混んでいた。大木の横に隠れるようにして練習場を挟んで観戦していたのだが、怪しまれたのか係員の方が偵察にきた。確かに充分に怪しかったことだろう(笑い)。

  • [ オリンピック記念搭・2 ]
     ハーフタイムは6分程度で短い。その間に角度を変えて5回撮影したのだが、正に見事な色の七変化である。結果的に全部異なるライトアップの記念搭が撮れていた。丁度、19時半に後半開始の笛が吹かれた。

  • [ ライトアップが美しい記念搭 ]
     試合経過の描写に間違いがあったので、訂正します。後半33分の3点目の起点は、コーナーキックではなくロングスローでした。それを真後ろにヘッドで流して、受けた選手がトラップしてシュートしました。DFに隠れて見えなかったのかGKは反応できませんでした。
     駒沢オリンピック公園は昭和39年(1964年)の「東京五輪」の主会場です。従って、今日でも中央広場の一角に「オリンピック記念搭」が聳えています。ハーフタイムにスカーレットの反撃に備えて、ゴール裏に移動する際に余りにも綺麗なライトアップなので各色を一通り撮りました。撮った順番に話題を入れて投稿してみます。

  • [ スカーレットが鮮やかな逆転勝ち ]
     別の投稿したいと思うがイブに上京したい理由があり、駒沢公園補助競技場へサッカー観戦に訪れた。勝てば新年に当たるので、前の試合から観戦したが、その前の試合がPK戦となりスカーレットの試合も17分ほど開始が遅れた。開始3分、正面やや右からのFKをカーブを掛けられて失点。その後は一方的にスカーレットが攻め続けるもゴールが割れない。しかし遂に後半17分、角度の無いところから菅が振り抜くとサイドネットへ突き刺さる同点弾となった。29分にクロスを押し込まれるが、32分にはコーナーからのシュートがハンドを誘い再び同点( 画像参照 ・PK上田 )。33分にはコーナーをヘッドで繋ぎ、石橋が左隅に巧みな決勝ゴール。3対2で三部のスカーレットが一部のHBO東京を撃破した( 但し、来期は共に二部で闘う )。面白い情報は明日にでも投稿します。間もなく小山着です。~おやま(笑い)~

  • [ 作新学院から石戸選手が明学大へ進学 ]
     「高校球児の進路・67」によると栃木大会七連覇の作新学院から、不動の6番として攻守に活躍した石戸智也二塁手(右投右打・165cm60kg )が明学大へ進学し野球を続けるようだ。私の地元の雀宮中学出身で小柄ながら堅実な守備と巧打の持ち主で、特に今夏の宇都宮工業戦での右への三安打は強く印象に残っている。明学に進んでくれればと思っていたら、予想通りに実現した(笑い)。
     大関投手は中大、2番・添田主将は日体大、3番・鈴木外野手は早大、4番・中島内野手は東洋大、5番・七井内野手は桜美林大へ進む。一部に昇格して添田内野手らと闘える日が一日も早く到来することを期待する。

  • [ 「駒補」は駒沢補助競技場でした ]
     大変な勘違いをしました。「駒補」とは「駒場スタジアム補助競技場」ではなく、「駒沢オリンピック公園総合運動場補助競技場」でした。従って、明治学院スカーレットの次戦は、「駒沢公園補助競技場」で来る12月24日(日)午後6時半キックオフ予定で行われます。思い込みで大変なミスをしたことをお詫び致します。

  • [ 明治学院スカーレット、いいですね~ ]
     最高のチーム名ですね。改めて西村GMに感謝致します。また、紹介が遅くなりましたが、佐藤顧問部長( 文学部教授 )が大井第二球技場で熱心に観戦されていました。膝痛が完治せず、よちよち歩きなのでご挨拶は失礼しました。来年こそは関東二部への再昇格を必ず達成できるよう祈念しております。私のタブレットからは観られませんが、ハイライト動画も投稿されています。

  • [ 二部全勝優勝昇格チームを破る殊勲 ]
     その日の内に記事が掲載されていました。写真は試合終了後の互いのベンチへの挨拶です。奥には警視庁ベンチへの挨拶を終えた明学スカーレットイレブンも映っています。剣道部や洋弓部の同期生が入庁し、東京の治安維持に活躍したと思います。翌日の記事ではハイライト動画も観ることができるようです。

  • [ 顔面右上から出血し処置のためピッチ外へ ]
     何とナイターに映える見事なユニフォームではないか。ルール上、出血を止めてからでないとピッチへは戻れない。その間に不幸にして失点を許したが、1・2年生が主体の明学スカーレットは、絶対に警視庁に勝つんだという気力に溢れていた。次戦は24日(日)にさいたま市浦和区の駒場運動公園補助競技場で「HBC東京 」との対戦となる。一部14チーム中、リーグ戦最下位(二部降格)のチームで、充分に勝機はあると思う。勝ち進むと年明けに何と一部優勝チームと対戦できる可能性が強い。当日24日には駒場スタジアムでインカレ決勝が正午から行われる。明学大サッカー部は動員を掛けて観戦するようだ。スカーレットのキックオフは18時半と間があるものの、隣接しているので応援する部員も多いかも知れない。またスカーレットが炎とピッチに燃えて、熱いクリスマスイブとなることを期待したい。

  • [ 日大フェニックスが甲子園ボウルを制する ]
     遂に不死鳥が蘇り、実に27年振りに甲子園ボウルで21回目の優勝を飾った。日大フェニックス(赤) 対 関学ファイターズ(青)の伝統の東西対決は、日大が関学を23対17で下した。直近の10年間は関西勢に連続優勝を許していた関東勢。危機感から関東連盟は、平成26年(2014年)から一部リーグをTOP8とBIG8に分割するなど対抗策を講じてきた。これが4年目にして結実して、日大フェニックスの不死鳥が見事に蘇り関東に栄冠を奪還した。
     奇しくも日大のスクールカラーは緋色(スカーレット)である。明学セインツは昭和45年(1970年)の関東選手権でフェニックスと対戦している(0対70、翌年は0対62)。当時のフェニックスにはQBに佐曽利(さそり)というスーパースターがいた。高いパス成功率とDFを振り回す走力の持ち主であった。因みに当時のセインツのヘルメットは「シルバーグレイ」のもう一つの伝統色で、それがユニフォームにも使用されていたと記憶する。
     今年は連盟の特別な配慮があったのか、春のオープン戦でセインツはフェニックスとの対戦を果たしている(0対69)。あらゆる意味での明学セインツの歴史と伝統の復活を期待したい。先日のアミノバイタルF では、古参OB数名が鮮やかなスカーレットの伝統色の防寒着で観戦していた。徐々にではあるものの、確実に「目覚めている卒業生」が増えていると感じている。

  • [ 頭部負傷のNo. 4が奮闘 ]
     前投稿の変換ミス 劣性→劣勢
     前半25分に頭部を負傷し処置中に先制を許したのかも知れない。包帯が痛々しかったが、70分動き回りPK戦でも先陣を務めて左足で左上に見事に決めた。メンバー表がなく、詳しいツイートもないので選手名を書けません( 涙 )。

  • [ 明学スカーレットが警視庁を撃破 ]
     このまま今年の観戦を終えるのは来年にも影響するので急遽、サッカー部の「スカーレット」の初観戦を決断し大井第二球技場へ向かった。対戦相手は東京都社会人二部リーグでブロック全勝優勝を飾り、来期は一部となる格上「警視庁サッカー部」であった。因みに「明治学院スカーレット」は三部優勝を遂げて来期は二部で闘う。
     天皇杯予選でもある東京カップは、35分ハーフでナイターで行われた。明学が押していたが前半29分に失点( 後半に備えて席を移動中で見逃す )。しかも3分後には警視庁の得点機に足を引っ掛けて一発退場者が出てしまう。だが、この劣性にも拘わらず後半に入っても明学が試合を支配。そして、後半5分に左コーナーキックに秋山が頭で合わせて同点とした。
     結局、PK戦突入となり先攻の明学が全て決めたのに対し、警視庁は3人目が右ポストに当てて外し5ー3で明学スカーレットがPK戦を制した。画像は秋山が同点弾を決めて喜びを表す明学イレブン。~気分は最高、試合は熱かったけど、観客席は寒かったなあー(笑い)~

  • [ 対抗戦は青学と成蹊が逆転勝ちで残留 ]
     特に第一試合は青学がロスタイムに逆転トライを奪い、24対20で辛くも勝利。
     画像は新宿駅東口の喧騒。懐かしい高野ビルが健在なのは嬉しい。東京よ、さようなら。

  • [ 全てに劣りBIG8昇格を逸す ]
     久し振りのアメフト観戦だったので、第二試合からアミノバイタルF入りして一部の実力を確認した。誠に残念ながら明学は予想に反して準備体操、応援の盛り上がり、肝心要のプレー技術など全ての面に於いて学芸に劣っていた。さつきリーグの連戦連勝を知る世代だけに、前半を観戦するのがやっとであった。結局、6対21( 後半は双方無得点)でBIG8昇格を逸した。

  • [ 伝統旗復活に躍進の秘密を魅た ]
     アメフト部は16日(土)に運命の入替戦を遂に迎える。YouTubeで春の日大とのオープン戦の画像を見た。明学のパントの直後の画像に伝統旗が鮮やかに映り込んでいた。思わず、「(躍進の秘密は)これだ」と納得した。金ピカの部旗には、可なりの抵抗感があった。秋のリーグ戦の写真にも伝統旗を認めてはいたものの、アメフト部のものとの確信が持てずにいたが、YouTubeの画像で間違いないと確信した。
     8日から10日まで入替戦に向けた短期合宿を張り、準備は万端のようだ。残念ながら、応援団チアリーディング部はインカレの名古屋遠征が次週に迫り、ハーフタイムの演技や応援を行えないようだ。22年振りとなる一部昇格を是非、見届けたいものである。~カタツムリの前進を阻み、BIG8を掴もう。頑張れ、明学セインツ~

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