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投稿コメント一覧 (278コメント)


  • 日本の病巣の拠点とされてしまった島



    幽霊登録証が大量に存在



    ★対馬紀行 2012・春 
     信州大学 大串 潤児

    『上対馬町誌』によると、旧豊崎町役場書類には
    『昭和25年7月 情報簿 情報部』という綴りが
    あるそうで、1950年7月3日から8月1日までの
    この地域の「町内情報」が記載されているといいます。
    内容は例えば以下のようです。


    佐藤勝巳(現代コリア研究所所長)の著作
    【在日韓国・朝鮮人に問う】で、
    外国人登録証を所持している
    在日コリアンといえども
    不正な手段で入手した密入国者が存在し、
    ある時期、対馬には
    外国人登録証の製造工場があったといわれ、
    敗戦直後日本から帰国した在日コリアンが
    再度日本に手続きなしで入国する場合は、
    それらの人に登録証が売買され、そのため、
    幽霊登録証が大量に存在することを指摘している。


    ★「国境の島」 2013春 
     歴博対馬調査 その2
     信州大学 2013年04月05日
     
     
    芋崎砲台「オンドルの跡」

    海軍要港部(現在は海上自衛隊基地)がある竹敷の先、
    浅茅湾を守るために日清戦争期に構築された
    芋崎砲台を目指しました。

    砲台左翼の「棲息掩蔽部」は竹藪に覆われていて
    なかなか入って行けませんが、
    そこには
    「オンドルの跡」とされいてる遺構があります。


     
    日野義彦『対馬拾遺』には、
     対馬各地に残る
     「弾薬庫、兵舎等は終戦後
      隣の国から日本へ密航する人々の
      格好の隠れ場であった」  
    と記されており、その「記述を裏付けるもの」
    (『対馬砲台あるき放題』)とされています。

     
    対馬は、韓国領土ではなく
    韓国人の密航の拠点で
    偽造外国人登録証の製造工場があり
    敗戦直後日本から帰国した在日コリアンが
    再度日本に手続きなしで入国する場合は、
    それらの人に登録証が売買され、
    そのため、幽霊登録証が大量に存在する
    日本の病巣の拠点とされてしまった島だ!



    ★「対馬島を取り戻して来よう」
     ~韓国慶北道議会、
     日本の独島領有権主張に反撃?
     朝鮮日報(韓国語) 2012.08.26
     


    密航朝鮮人の隠れ家の痕跡

    芋崎砲台「オンドルの跡」 ↓


  •  漁民票をねらった強引な捕獲はこれまでの交渉での双方の努力を無にしはせぬか。韓国は李ラインを"平和ライン"と呼ぶが、現状は不法ラインである。公海上で日本漁船員を捕まえるこの理不尽は黙って見過ごせるものではない。“(朝日新聞 天声人語より)




    日本の漁民を人質にして在日特権(永住権)を獲得した韓国

    ・1952年、当時の大統領李承晩は国際法のルールを無視し、
     「李承晩ライン」を勝手に引き、そして李承晩ライン内にある竹島を韓国領土だと主張してこれを占領。

    ・竹島周辺で操業をしていた漁船328隻が拿捕され、3929人もの漁師が抑留。
     その期間は、1965年の李承晩ライン廃止まで13年間。拿捕時に銃撃や追突を受け、44人の死傷者を出す。

    ・拿捕した漁師を人質に取り、「日韓基本条約」と「日韓法的地位協定」の交渉を有利に進める。

    ・13年後、1965年、日本と韓国は在日の扱いをどうするかの「日韓基本条約」と「日韓法的地位協定」が結ばれ、
     その結果、在日韓国人に無条件で子々孫々永住が出来る資格が与えられる。

     つまり、在日コリアンが日本にいられる正当な理由はない。

     ましてや、反日に凝り固まって恩を仇で返し続けながら居座り続ける在日に、日本に居住できる資格も根拠もない。


    配慮しても配慮しても、どれ程意を尽くしても、満たされるほど不満を抱く在日韓国人。
    感謝してしかるべきなのに、罵詈雑言の雨あられ。
    在日はもう、日本から排除されるべきである。



  • 「朝日新聞 天声人語」 1963年9月28日




        在日特権はすでに構築されつつあった・・・




    “李ライン海域で日本漁船がまた捕獲された。韓国警備艇の武装した隊員が乗り移り三十四人の日本人船員を連行している。同じ二十七日の朝、別の漁船も追われ十人の船員は海に飛びこんで逃げ、船長は一時重体だったという。冷たい海中をいのちがけの避難だ。

    李ラインでの無法がまたはげしくなった。この海域はいま、アジ、サバの盛漁期で、五、六百隻の日本漁船が出漁している。そこをねらって韓国警備艇は不意打ちをかける。ライトを消し、島陰づたいに近寄り、銃撃をあびせたりする。

     日本側も巡視船を増やし、厳戒警報を出しているが、捕獲は防ぎきれず、今年になってすでに十六隻。昨年一年中に捕獲された数よりも多い。李ラインを越したという理由だけで、これまでに多数の船員が釜山の刑務所に入れられ、船はとりあげられている。優秀船だとそれが韓国警備艇に早変わりして、日本漁船を追ってくる。海の狼のような韓国警備艇の仕業だ。

     そもそも李ラインというのは昭和二十七年(1952)一月に韓国大統領の李承晩氏が、国防上の要請によるとして、設定を宣言したものだが、それは公海上に一方的に設定したもので、国際法上不当なものだ。

    日本政府はこのラインを認めていないが、過去十年間に韓国は勝手に実力を行使して、約三百隻の日本漁船を抑留、数多くの乗組員や家族を泣かせている。

    九月(1963年)にはいって、韓国側がさかんに捕獲を開始したのは、大統領選挙と関係があるらしい。韓国の漁業界、漁民の票を得るために、朴政権は海洋警察隊に日本漁船捕獲を命じたとも見られる。

    選挙の術策として隣国の漁船捕獲をはげしくするというやり方が、国際常識からも許されるかどうか。韓国漁民の間に、日本漁業の技術に対する恐れと警戒の気持ちがあるのかもしれぬが、資源の保護や漁業協力について日韓交渉で、双方とも誠意をつくして話し合えばよい。


  • その線以内は、水産物だけでなく天然資源も鉱物も、韓国が独占的に保護利用する権利を持つと宣言したのである。
     翌53年には漁業資源保護法を制定し、李ライン内にはいった日本漁船は片端から拿捕されるに至った。

    1955年11月には、韓国連合参謀本部は李ライン侵犯船に対する砲撃、撃沈を声明して、日本漁民をふるえあがらせた。1952年以降5年間で拿捕された日本漁船は152隻、抑留船員は2025人にも及んだのである。

    一般日本人にとっては、李承晩ラインは"傍若無人と横車"の典型のように映ったのもまた無理からぬことであった。微力な日本政府は、韓国政府の、国際法を無視したこれらの行為に対してなんら為す術はなく、漁民は悲嘆にくれ、国民は遺恨の思いを心中につのらせた。

     日本政府は抑留された漁船員を還してもらうために、本来は強制退去の対象者である在日朝鮮人の犯罪者472人を仮釈放して、在留特別許可を与えたのである。折から(1954年)おこった竹島(韓国名・独島)の所属をめぐる日韓交渉も、韓国側の無電台の設置、官憲の常駐という実力行使の前に、日本側は事実上沈黙させられた。これもまた韓国横暴の印象を日本人の中に植えつけたように思われる。


  • 朝鮮人強制連行を考察する




    右派系日本人は徴用を論点に「強制連行」は無かったと主張し
    左派系日本人は国家総動員法で来日した総数が「強制連行」だと主張し
    全く議論が噛み合わない状態です。

    「強制連行」という曖昧な定義の言葉だけが一人歩きした結果
    朝鮮人強制連行は学術論争では無く左右のイデオロギー論争に陥っています。

    外務省の1959年の記録によれば
    国家総動員法制定前から来日し居留する在日朝鮮人は38万8千359人
    国家総動員法制定後に来日し居留する在日朝鮮人は3万5千16人
    国民徴用令で来日し居留する在日朝鮮人は245人
    終戦後から日本国籍を消失する1952年までに来日し居留する在日朝鮮人は7万2千36人
    戦前に日本で誕生した在日朝鮮人2世17万3千311人
    戦後に日本で誕生した在日朝鮮人2世20万8千828人で
    ですので

    どの様に定義しようとも
    国家総動員法施行前に来日し居留する在日朝鮮人の方が多いので
    在日朝鮮人の子孫の全てが強制連行された者とその子孫という事は無いことだけは
    明白です。



  •  日清・日露戦争に勝利して、急速に大国へと成長した日本は、多くの白人国家から脅威として捉えられた。24年の排日移民法は日本への明白な敵意の表示である。

     それにも関わらず、日本は引き続き石油や鉄などの重要物資を米国からの輸入に頼った。日本は確かに強い軍隊を持っていたが、補給の認識は甘かった。暗号などの情報戦の軽視と同様、現代日本に通じるものを感じる。

     米国は「当時の常識」に従って、絶好のチャンスを生かしただけなのだ。ところで、最近の日本の状況にデジャビュ(=既視感)を感じるのは、私だけだろうか。

     ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。80年、法学博士号・経営学修士号を取得し、国際法律事務所に就職。


  • 日本語の「敵を欺くにはまず味方から」のことわざ通り、米国内でも早い段階から、日米戦に関するプロパガンダが行われた。

     例えば、米政府は「日本軍は宣戦布告前に真珠湾を奇襲攻撃した。これは想定外であり、われわれは卑怯(ひきょう)な日本を徹底的にたたくべきだ」と主張して、「リメンバー・パールハーバー」というスローガンを米国民にたたき込んだ。

     米国民の1人としては残念な結論だが、この主張こそがプロパガンダだった。そもそも長年、日本を最大の仮想敵国として考えていた米国が、ハワイ空襲を想定しないはずがない。

     また、開戦前から米軍は日本側の暗号をすべて解読しており、真珠湾攻撃も事前に察知していたという説もある。ちなみに、半年後のミッドウェイ海戦における米軍大勝の勝因は暗号の解読である。

     さらに、「フライング・タイガーズ」と呼ばれた航空部隊は問題だ。米軍を退役したパイロットが自主的に中華民国軍に入隊し、傭兵として大活躍したとされていたが、その正体は大統領が承認した秘密作戦部隊だった。つまり、傭兵や義勇軍ではなく現役米兵部隊だったのだ。飛行機や整備士もすべて米国が提供した。

     米政府はこの事実を、1990年7月まで50年間認めなかった。「リメンバー・パールハーバーはプロパガンダでした」と自白するのも同然だからだろう。

     この部隊による日本への先制爆撃計画の存在も、70年に公開された公文書(JB355)で明らかになっている。ちなみに、この秘密作戦は真珠湾攻撃の半年前に始まった。

    91年に米ABCテレビがこれらの事実を全米に伝えたが、真珠湾攻撃に関する世界の歴史観は変わっていない。真実を知る人が少ないからだ。

     私はここであえて当時の米国を弁護してみたい。

     今でこそ、人種差別や人権問題に世界一うるさい米国だが、当時は人種差別が前提の白人中心国家である。私自身は戦後生まれなので、戦前や戦時中の米国内の雰囲気を知らないが、当時、欧米諸国では「黄禍論」が叫ばれていた。黄色人種が白人社会の繁栄に災禍をもたらすという主張である。


  • 全龍海は火田民化した信者の家をアジトにし、各地を転々としたが、関係者が続々検挙されるに及び次第に追い詰められていった。そして3月下旬頃に京畿道楊平郡の山中で自殺し、4月7日に死体が発見された。これにより白白教は事実上壊滅した。

    信者獲得と活動

    教団は「朝鮮は近い将来、大元任(全龍海)の統率の下で独立する。独立の暁には、各々の信者の貢献度に応じて知事や警察署長などの高官に任命する。金のある者は献金し、年頃の娘を持つ者は大元任に差し出せ。」と巧みな言説で布教活動を行った。

    入信した信者は、土地家屋などの全財産を教団に寄進し、若くて美貌の娘は全龍海の妾にされた。そしてしばらくすると、「まだ独立の時機ではないので、暫くは地方で身を隠して待機してほしい」と称して、山間部に追いやって火田民とし、焼畑農業で得た収入をも献金させるなど徹底的な搾取を行った。

    そして「背教者は死をもって罰せられる」と喧伝し、実際に教団の意に背いた信者は、老若男女を問わず殺害していった。

    今の韓国のきチがイじみた親日派狩り、反日狂騒も原点はここにあるかと。


  • 東大門警察署は、翌2月17日に京城のアジトを急襲し、信者ら約80人を検挙したが、肝心の「第二世大元任」こと教祖の全龍海を取り逃がしてしまった。その後も、信者の検挙が相次いだが、全龍海は依然行方をくらませていた。

    3月6日、信者のR兄弟が観念し、教団が起こした殺人事件について語り始めた。

    R兄弟の供述によると、「一斉検挙後の2月21日、京畿道楊平郡の自宅に全龍海が現れ、酒食の供応が命じられた。その際、全龍海は自分たち兄弟に預けられていた全龍海の妾3人を別室に呼び出して全員殺害した。その後、穴を掘らされて3人の遺体を埋めた。」という。

    そしてR兄弟の供述通りに3人の遺体が発見され検死が行われた。その結果、「殺しの手際の良さ」などから、追い詰められた挙句の刹那的犯行ではなく、常日頃から常習的に殺人を繰り返していた疑いが強くなった。他の信者を追及したところ、次々と教祖の殺人を供述し始め、捜査官を慄然とさせた。


  • 神に呪われた民族主義史観!!





              神をも憎むおぞましいまでのルサンチマン主義!!






    ルサンチマン(仏: ressentiment)とは、主に強者に対しての、弱い者の憤りや怨恨、憎悪、非難の感情をいう。デンマークの思想家セーレン・キェルケゴールにより確立された哲学上の概念である。この感情は自己欺瞞を含み、嫉妬や羨望に起源がある。フリードリヒ・ニーチェの『道徳の系譜』(1887年)によれば、被支配者あるいは弱者が、支配者や強者への憎悪やねたみを内心にため込んでいることや、そのことに基づく鬱屈・倒錯した強い怨恨であるとしている。

    現在の韓国政府は、大韓民国臨時政府の正統性を主張しており、たとえば、憲法の前文で「大韓民国は3.1運動により建てられた大韓民国臨時政府の法統を受け継ぐ」と規定している。

    現行の韓国憲法の前文には“悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は3・1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に即して正義、人道と同胞愛を基礎に・・・”と、高らかに謳われているが。

    韓国の経済史学者でソウル大学名誉教授である安秉直(アン・ビョンジク、1936年6月28日 - )は、これをきっぱりと否定し、こう述べている。

    “1919年の上海臨時政府の設立が韓国の建国であるという意見があるが、国家の構成要素は主権・領土・国民であり、上海臨時政府は少数の独立運動団体であって国家ではなかったとして、韓国の建国は1948年である。” としている。



    連合国によって独立を与えられたという事実に対して、韓国では矛盾する二つの姿勢が見られる。ひとつは、韓国は自ら独立を勝ち取ったという神話の創造である。これは、たとえば国定教科書に見られ、対日宣戦布告等を過度に強調する傾向にある。

    もうひとつは、自らの手で独立する機会を永久に失ったという抜き差しならない精神的喪失感を味わったという見方である。民族として、健全な精神的昇華の過程をまったく経験することなく、このように底知れぬルサンチマンが民族的人格を形成し、韓国の反日主義の大きな原動力の一つとなっているのである。


  • 神に呪われた民族主義史観!!





              神をも憎むおぞましいまでのルサンチマン主義!!






    ルサンチマン(仏: ressentiment)とは、主に強者に対しての、弱い者の憤りや怨恨、憎悪、非難の感情をいう。デンマークの思想家セーレン・キェルケゴールにより確立された哲学上の概念である。この感情は自己欺瞞を含み、嫉妬や羨望に起源がある。フリードリヒ・ニーチェの『道徳の系譜』(1887年)によれば、被支配者あるいは弱者が、支配者や強者への憎悪やねたみを内心にため込んでいることや、そのことに基づく鬱屈・倒錯した強い怨恨であるとしている。

    現在の韓国政府は、大韓民国臨時政府の正統性を主張しており、たとえば、憲法の前文で「大韓民国は3.1運動により建てられた大韓民国臨時政府の法統を受け継ぐ」と規定している。

    現行の韓国憲法の前文には“悠久な歴史と伝統に輝く我々大韓国民は3・1運動で成立した大韓民国臨時政府の法統と、不義に抗拒した4・19民主理念を継承し、祖国の民主改革と平和的統一の使命に即して正義、人道と同胞愛を基礎に・・・”と、高らかに謳われているが。

    韓国の経済史学者でソウル大学名誉教授である安秉直(アン・ビョンジク、1936年6月28日 - )は、これをきっぱりと否定し、こう述べている。

    “1919年の上海臨時政府の設立が韓国の建国であるという意見があるが、国家の構成要素は主権・領土・国民であり、上海臨時政府は少数の独立運動団体であって国家ではなかったとして、韓国の建国は1948年である。” としている。



    連合国によって独立を与えられたという事実に対して、韓国では矛盾する二つの姿勢が見られる。ひとつは、韓国は自ら独立を勝ち取ったという神話の創造である。これは、たとえば国定教科書に見られ、対日宣戦布告等を過度に強調する傾向にある。

    もうひとつは、自らの手で独立する機会を永久に失ったという抜き差しならない精神的喪失感を味わったという見方である。民族として、健全な精神的昇華の過程をまったく経験することなく、このように底知れぬルサンチマンが民族的人格を形成し、韓国の反日主義の大きな原動力の一つとなっているのである。


  • 東大門警察署は、翌2月17日に京城のアジトを急襲し、信者ら約80人を検挙したが、肝心の「第二世大元任」こと教祖の全龍海を取り逃がしてしまった。その後も、信者の検挙が相次いだが、全龍海は依然行方をくらませていた。

    3月6日、信者のR兄弟が観念し、教団が起こした殺人事件について語り始めた。

    R兄弟の供述によると、「一斉検挙後の2月21日、京畿道楊平郡の自宅に全龍海が現れ、酒食の供応が命じられた。その際、全龍海は自分たち兄弟に預けられていた全龍海の妾3人を別室に呼び出して全員殺害した。その後、穴を掘らされて3人の遺体を埋めた。」という。

    そしてR兄弟の供述通りに3人の遺体が発見され検死が行われた。その結果、「殺しの手際の良さ」などから、追い詰められた挙句の刹那的犯行ではなく、常日頃から常習的に殺人を繰り返していた疑いが強くなった。他の信者を追及したところ、次々と教祖の殺人を供述し始め、捜査官を慄然とさせた。


  • 全龍海は火田民化した信者の家をアジトにし、各地を転々としたが、関係者が続々検挙されるに及び次第に追い詰められていった。そして3月下旬頃に京畿道楊平郡の山中で自殺し、4月7日に死体が発見された。これにより白白教は事実上壊滅した。

    信者獲得と活動

    教団は「朝鮮は近い将来、大元任(全龍海)の統率の下で独立する。独立の暁には、各々の信者の貢献度に応じて知事や警察署長などの高官に任命する。金のある者は献金し、年頃の娘を持つ者は大元任に差し出せ。」と巧みな言説で布教活動を行った。

    入信した信者は、土地家屋などの全財産を教団に寄進し、若くて美貌の娘は全龍海の妾にされた。そしてしばらくすると、「まだ独立の時機ではないので、暫くは地方で身を隠して待機してほしい」と称して、山間部に追いやって火田民とし、焼畑農業で得た収入をも献金させるなど徹底的な搾取を行った。

    そして「背教者は死をもって罰せられる」と喧伝し、実際に教団の意に背いた信者は、老若男女を問わず殺害していった。

    今の韓国のきチがイじみた親日派狩り、反日狂騒も原点はここにあるかと。


  • 日本語の「敵を欺くにはまず味方から」のことわざ通り、米国内でも早い段階から、日米戦に関するプロパガンダが行われた。

     例えば、米政府は「日本軍は宣戦布告前に真珠湾を奇襲攻撃した。これは想定外であり、われわれは卑怯(ひきょう)な日本を徹底的にたたくべきだ」と主張して、「リメンバー・パールハーバー」というスローガンを米国民にたたき込んだ。

     米国民の1人としては残念な結論だが、この主張こそがプロパガンダだった。そもそも長年、日本を最大の仮想敵国として考えていた米国が、ハワイ空襲を想定しないはずがない。

     また、開戦前から米軍は日本側の暗号をすべて解読しており、真珠湾攻撃も事前に察知していたという説もある。ちなみに、半年後のミッドウェイ海戦における米軍大勝の勝因は暗号の解読である。

     さらに、「フライング・タイガーズ」と呼ばれた航空部隊は問題だ。米軍を退役したパイロットが自主的に中華民国軍に入隊し、傭兵として大活躍したとされていたが、その正体は大統領が承認した秘密作戦部隊だった。つまり、傭兵や義勇軍ではなく現役米兵部隊だったのだ。飛行機や整備士もすべて米国が提供した。

     米政府はこの事実を、1990年7月まで50年間認めなかった。「リメンバー・パールハーバーはプロパガンダでした」と自白するのも同然だからだろう。

     この部隊による日本への先制爆撃計画の存在も、70年に公開された公文書(JB355)で明らかになっている。ちなみに、この秘密作戦は真珠湾攻撃の半年前に始まった。

    91年に米ABCテレビがこれらの事実を全米に伝えたが、真珠湾攻撃に関する世界の歴史観は変わっていない。真実を知る人が少ないからだ。

     私はここであえて当時の米国を弁護してみたい。

     今でこそ、人種差別や人権問題に世界一うるさい米国だが、当時は人種差別が前提の白人中心国家である。私自身は戦後生まれなので、戦前や戦時中の米国内の雰囲気を知らないが、当時、欧米諸国では「黄禍論」が叫ばれていた。黄色人種が白人社会の繁栄に災禍をもたらすという主張である。


  •  日清・日露戦争に勝利して、急速に大国へと成長した日本は、多くの白人国家から脅威として捉えられた。24年の排日移民法は日本への明白な敵意の表示である。

     それにも関わらず、日本は引き続き石油や鉄などの重要物資を米国からの輸入に頼った。日本は確かに強い軍隊を持っていたが、補給の認識は甘かった。暗号などの情報戦の軽視と同様、現代日本に通じるものを感じる。

     米国は「当時の常識」に従って、絶好のチャンスを生かしただけなのだ。ところで、最近の日本の状況にデジャビュ(=既視感)を感じるのは、私だけだろうか。

     ■ケント・ギルバート 米カリフォルニア州弁護士、タレント。1952年、米アイダホ州生まれ。71年に初来日。80年、法学博士号・経営学修士号を取得し、国際法律事務所に就職。



  • 朝鮮人強制連行を考察する




    右派系日本人は徴用を論点に「強制連行」は無かったと主張し
    左派系日本人は国家総動員法で来日した総数が「強制連行」だと主張し
    全く議論が噛み合わない状態です。

    「強制連行」という曖昧な定義の言葉だけが一人歩きした結果
    朝鮮人強制連行は学術論争では無く左右のイデオロギー論争に陥っています。

    外務省の1959年の記録によれば
    国家総動員法制定前から来日し居留する在日朝鮮人は38万8千359人
    国家総動員法制定後に来日し居留する在日朝鮮人は3万5千16人
    国民徴用令で来日し居留する在日朝鮮人は245人
    終戦後から日本国籍を消失する1952年までに来日し居留する在日朝鮮人は7万2千36人
    戦前に日本で誕生した在日朝鮮人2世17万3千311人
    戦後に日本で誕生した在日朝鮮人2世20万8千828人で
    ですので

    どの様に定義しようとも
    国家総動員法施行前に来日し居留する在日朝鮮人の方が多いので
    在日朝鮮人の子孫の全てが強制連行された者とその子孫という事は無いことだけは
    明白です。


  • その線以内は、水産物だけでなく天然資源も鉱物も、韓国が独占的に保護利用する権利を持つと宣言したのである。
     翌53年には漁業資源保護法を制定し、李ライン内にはいった日本漁船は片端から拿捕されるに至った。

    1955年11月には、韓国連合参謀本部は李ライン侵犯船に対する砲撃、撃沈を声明して、日本漁民をふるえあがらせた。1952年以降5年間で拿捕された日本漁船は152隻、抑留船員は2025人にも及んだのである。

    一般日本人にとっては、李承晩ラインは"傍若無人と横車"の典型のように映ったのもまた無理からぬことであった。微力な日本政府は、韓国政府の、国際法を無視したこれらの行為に対してなんら為す術はなく、漁民は悲嘆にくれ、国民は遺恨の思いを心中につのらせた。

     日本政府は抑留された漁船員を還してもらうために、本来は強制退去の対象者である在日朝鮮人の犯罪者472人を仮釈放して、在留特別許可を与えたのである。折から(1954年)おこった竹島(韓国名・独島)の所属をめぐる日韓交渉も、韓国側の無電台の設置、官憲の常駐という実力行使の前に、日本側は事実上沈黙させられた。これもまた韓国横暴の印象を日本人の中に植えつけたように思われる。



  • 「朝日新聞 天声人語」 1963年9月28日




        在日特権はすでに構築されつつあった・・・




    “李ライン海域で日本漁船がまた捕獲された。韓国警備艇の武装した隊員が乗り移り三十四人の日本人船員を連行している。同じ二十七日の朝、別の漁船も追われ十人の船員は海に飛びこんで逃げ、船長は一時重体だったという。冷たい海中をいのちがけの避難だ。

    李ラインでの無法がまたはげしくなった。この海域はいま、アジ、サバの盛漁期で、五、六百隻の日本漁船が出漁している。そこをねらって韓国警備艇は不意打ちをかける。ライトを消し、島陰づたいに近寄り、銃撃をあびせたりする。

     日本側も巡視船を増やし、厳戒警報を出しているが、捕獲は防ぎきれず、今年になってすでに十六隻。昨年一年中に捕獲された数よりも多い。李ラインを越したという理由だけで、これまでに多数の船員が釜山の刑務所に入れられ、船はとりあげられている。優秀船だとそれが韓国警備艇に早変わりして、日本漁船を追ってくる。海の狼のような韓国警備艇の仕業だ。

     そもそも李ラインというのは昭和二十七年(1952)一月に韓国大統領の李承晩氏が、国防上の要請によるとして、設定を宣言したものだが、それは公海上に一方的に設定したもので、国際法上不当なものだ。

    日本政府はこのラインを認めていないが、過去十年間に韓国は勝手に実力を行使して、約三百隻の日本漁船を抑留、数多くの乗組員や家族を泣かせている。

    九月(1963年)にはいって、韓国側がさかんに捕獲を開始したのは、大統領選挙と関係があるらしい。韓国の漁業界、漁民の票を得るために、朴政権は海洋警察隊に日本漁船捕獲を命じたとも見られる。

    選挙の術策として隣国の漁船捕獲をはげしくするというやり方が、国際常識からも許されるかどうか。韓国漁民の間に、日本漁業の技術に対する恐れと警戒の気持ちがあるのかもしれぬが、資源の保護や漁業協力について日韓交渉で、双方とも誠意をつくして話し合えばよい。


  •  漁民票をねらった強引な捕獲はこれまでの交渉での双方の努力を無にしはせぬか。韓国は李ラインを"平和ライン"と呼ぶが、現状は不法ラインである。公海上で日本漁船員を捕まえるこの理不尽は黙って見過ごせるものではない。“(朝日新聞 天声人語より)




    日本の漁民を人質にして在日特権(永住権)を獲得した韓国

    ・1952年、当時の大統領李承晩は国際法のルールを無視し、
     「李承晩ライン」を勝手に引き、そして李承晩ライン内にある竹島を韓国領土だと主張してこれを占領。

    ・竹島周辺で操業をしていた漁船328隻が拿捕され、3929人もの漁師が抑留。
     その期間は、1965年の李承晩ライン廃止まで13年間。拿捕時に銃撃や追突を受け、44人の死傷者を出す。

    ・拿捕した漁師を人質に取り、「日韓基本条約」と「日韓法的地位協定」の交渉を有利に進める。

    ・13年後、1965年、日本と韓国は在日の扱いをどうするかの「日韓基本条約」と「日韓法的地位協定」が結ばれ、
     その結果、在日韓国人に無条件で子々孫々永住が出来る資格が与えられる。

     つまり、在日コリアンが日本にいられる正当な理由はない。

     ましてや、反日に凝り固まって恩を仇で返し続けながら居座り続ける在日に、日本に居住できる資格も根拠もない。


    配慮しても配慮しても、どれ程意を尽くしても、満たされるほど不満を抱く在日韓国人。
    感謝してしかるべきなのに、罵詈雑言の雨あられ。
    在日はもう、日本から排除されるべきである。


  • 日本の病巣の拠点とされてしまった島



    幽霊登録証が大量に存在



    ★対馬紀行 2012・春 
     信州大学 大串 潤児

    『上対馬町誌』によると、旧豊崎町役場書類には
    『昭和25年7月 情報簿 情報部』という綴りが
    あるそうで、1950年7月3日から8月1日までの
    この地域の「町内情報」が記載されているといいます。
    内容は例えば以下のようです。


    佐藤勝巳(現代コリア研究所所長)の著作
    【在日韓国・朝鮮人に問う】で、
    外国人登録証を所持している
    在日コリアンといえども
    不正な手段で入手した密入国者が存在し、
    ある時期、対馬には
    外国人登録証の製造工場があったといわれ、
    敗戦直後日本から帰国した在日コリアンが
    再度日本に手続きなしで入国する場合は、
    それらの人に登録証が売買され、そのため、
    幽霊登録証が大量に存在することを指摘している。


    ★「国境の島」 2013春 
     歴博対馬調査 その2
     信州大学 2013年04月05日
     
     
    芋崎砲台「オンドルの跡」

    海軍要港部(現在は海上自衛隊基地)がある竹敷の先、
    浅茅湾を守るために日清戦争期に構築された
    芋崎砲台を目指しました。

    砲台左翼の「棲息掩蔽部」は竹藪に覆われていて
    なかなか入って行けませんが、
    そこには
    「オンドルの跡」とされいてる遺構があります。


     
    日野義彦『対馬拾遺』には、
     対馬各地に残る
     「弾薬庫、兵舎等は終戦後
      隣の国から日本へ密航する人々の
      格好の隠れ場であった」  
    と記されており、その「記述を裏付けるもの」
    (『対馬砲台あるき放題』)とされています。

     
    対馬は、韓国領土ではなく
    韓国人の密航の拠点で
    偽造外国人登録証の製造工場があり
    敗戦直後日本から帰国した在日コリアンが
    再度日本に手続きなしで入国する場合は、
    それらの人に登録証が売買され、
    そのため、幽霊登録証が大量に存在する
    日本の病巣の拠点とされてしまった島だ!



    ★「対馬島を取り戻して来よう」
     ~韓国慶北道議会、
     日本の独島領有権主張に反撃?
     朝鮮日報(韓国語) 2012.08.26
     


    密航朝鮮人の隠れ家の痕跡

    芋崎砲台「オンドルの跡」 ↓

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