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投稿コメント一覧 (880コメント)

  • >>19420

    幾度言っても理解できない人がいるようですね。
    私は程度の低い雑魚は「無視リスト」に登録しています。
    従ってそのような雑魚が私の投稿に対して返信しても、その投稿が私に読まれることはないのです。

    私に「雑魚」呼ばわりされるのは、それなりの理由があるからです。
    私は「(少しでも)思慮のあるまともな人」をそのように呼ぶことはありません。
    雑魚様方々は、自身の程度の低さを自覚することもなく、(解かっているつもりになって)HNに隠れて程度の誹謗中傷を繰り返すので、私はやむを得ずそのように判断せざるを得なかったのです。
    苦しい判断でしたが、事実は如何ともし難いゆえのことでした。

    そのような事実を掲示板上で自ら露わにした・・・つまり自身の投稿が招いた結果だということです。
    そしてそのような投稿を得意げにできる・・・これは自らの思慮のなさを体現しています。

    雑魚(私とはレベルが違いすぎて話しになりません)の投稿に私が目を通すことがないということくらい、いくら雑魚と言えどいい加減学習してほしいものです。

  • >>No. 19417

    何を仰りたいのか、正確には把握しかねるのですが・・

    >あなたはあなたであればよいのではないでしょうか?

    その通りです。
    他人に(精神的および肉体的なものなどに)害を及ぼさない限り何をしようとその人の勝手であり、他人がどうのこうのと言って自身の価値観を押し付けるべきではないと思います(貴方が言いたいことを正確に捉えているかついては分からないですが・・・)。

    カーストはその「してはいけないこと」をしているから問題なのです。


    >人それぞれですね。

    これもその通りです。

  • >>No. 19387

    「きけわだつみのこえ」をkindle版で購入し

    ―ーーーーーー
    また余談ですが、私が読んだ「きけわだつみのこえ」の(確か)あとがきには「ドイツ戦没学生の手紙」と比較し、「日本の学徒兵の書の方が優れている」というような見解が披露されていました。
    ーーーーーーー

    上記箇所があるか調べてみました。
    ありませんでしたね。
    私たち(私と弟)の指摘に耳を傾けたのでしょう。

  • >>No. 19404

    インドはカースト制度が、(法的には差別が禁止されていても実際には)未だに残っているようです。
    そしてアンタッチャブル(不可触民)と呼ばれている人達には、生まれながらに職業選択の自由もないようです。
    私はネパール人の知り合いもいますが、ネパールもやはりカースト制度があるそうです。
    日本でも未だに(被差別部落の人達や在日の人たちなどに対して)差別がありますが、カーストの差別はそれらを遥かに超えて酷いもののようです。
    宗教がからんでいるからか、この問題は非常に根深く、その様な国で生まれた人が「全ての人は平等だ」という意識を持てるようになるのは非常に難しいのではないかと思います。
    カースト下層の人達は、充分な教育を受けられないのではないかとも思います。
    まともな教育を受け世界を知れば、カースト制度に疑問を抱く人は多いのではないかと思います。
    国連の人権委員会も、この問題に真剣に取り組んで頂きたいものです。

    マザー・テレサはカースト制度をどの様の捉えていたのでしょう?
    私は「カースト制度は撤廃するべきだ」と思っています。
    これは「他国の文化、宗教だから・・・口出しすべきではない」というような問題ではないと私は思います。
    人間の尊厳の問題です。
    差別は、その人間の尊厳を著しく損なうものです。

    カーストにしても文化風習にしても、普遍的に存在するものではなく、ある時に人によって考え出されたものです。
    従って考えだされた地域によって様々な文化風習があります(私自身はその様なものを後生大事にするつもりはありません)。
    つまり人類に共通普遍な文化風習など(仮にあったとしても)極僅かだということです。
    カースト制度は「人類史上最悪なものの一つだ」と私は思います。


    マザー・テレサの言葉、良いですね。
    恐らく・・・というか間違いなく、聖書の言葉が基本になっているのでしょう。
    しかしだからといって、私はマザー・テレサ自身を偶像化するつもりもありません。


    雑魚様方々の中にも、美しいものを見なければならないのでしょうね・・・でもその様なもの、彼等の何処にあるのでしょう???
    このようなことを言うなんて、私はまだまだ人間が出来ていませんね。

  • >>No. 19387

    >また中国での戦闘に従事した学徒兵の残した手記だったか手紙だったか(恐らく家族に宛てた手紙)には、中国の一般民衆に対して日本軍の兵隊(確か将校だったと思います)が酷い暴力を加えた事についても触れていたことを憶えています。

    上記部分以下のサイトに書かれていますね。

    http://okapi-net.com/setsuwa/_userdata/1201.pdf#search=%27%E4%BF%BA%E3%81%AE%E5%AD%90%E4%BE%9B%E3%81%AF%E3%82%82%E3%81%86%E8%BB%8D%E4%BA%BA%E3%81%AB%E3%81%AF%E3%81%97%E3%81%AA%E3%81%84%E3%80%82%E8%BB%8D%E4%BA%BA%E3%81%AB%E3%81%A0%E3%81%91%E3%81%AF%E3%83%BB%E3%83%BB%E3%83%BB%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%A0%E3%80%81%E5%B9%B3%E5%92%8C%E3%81%AE%E4%B8%96%E7%95%8C%E3%81%8C%E4%B8%80%E7%95%AA%E3%81%A0%E3%80%82%27

    このサイトによると、実際に暴力をふるったのは1兵卒で指示したのが将校だったようですね。

    またその上には

    ―ーーーーーー
    戦死した学徒兵の一人はこう書き残しています。
    「日本人の死は、日本人だけが悲しむ。外国人の死は、外国人だけが悲しむ。どうしてこうなければならぬのだろうか。なぜ人間は、人間でともに悲しみ喜ぶようにはならないのか。平和を愛する人。・・・・・・私にはこんな言葉が痛切に感じられてならない。」
    ーーーーーーー

    とありますね。
    この箇所も思い出しました。
    現在私の手元には「きけわだつみのこえ」がありません。
    この本は恐らく弟が持っているのでしょう(確か彼が買ったものだったと思います。)。

    心打つ本ですから、多くの人にとって読んで損はないだろうと思います。


    雑魚様方々も読んで、少しずつ考える練習をしてください。
    この投稿を以て、このことに関する講義を終わらせて頂きます。

  • >>No. 19390

    ちょっと書き忘れました。

    先の戦争が「侵略戦争ではない」という人たちもいるようですが、私はそのような判断は侵略した側が都合よく決めるものではないと思います。

    実際に侵略された側の判断が優先されるべきだと私は思います。

  • >>No. 19372

    2018年1月7日19時44分時点で、2名増えただけですか。

    「永遠の雑魚」様方々、もっと素直になってください!
    遠慮せずにクリックしなさい!


    解かっていますか~~~おちょくっているのですよ~~~。

  • >>No. 19387

    私は日本軍が中国などで(虐殺等の)残虐な行いをしたのは間違いないと思っています。
    今は亡くなられた従軍された皇族も、その様な日本軍の残虐な行為に対して「申し訳ない」という思いを持っておられたようですし、戦後もその様な事実を明らかにされています。

    虐殺などの残虐な行為は、被害者数の多少を以って判断されるべき性質のものではないと私は思います。例え(あくまでも「例え」です)一般に言われている数よりも実際が少なかったとしても、残虐な行為そのものに変わりはありません。・・・残虐な仕打ちを受けた個人にとって数の多少は問題ではありません・・その人にとっては「自分は理不尽に残虐な仕打ちを受けた」という事実があるのみです。
    私はこの投稿の前に「日本軍」、「虐殺」、「皇族」で検索し、その皇族が三笠宮殿下(「殿下」という表現をしていますが、これは私が天皇制を支持しているということではありません。)であることを知りましたし、私と同じように以下のサイト

    http://lite-ra.com/2016/10/post-2651.html

    には

    「最近の新聞などで議論されているのを見ますと、なんだか人数のことが問題になっているような気がします。辞典には、虐殺とはむごたらしく殺すことと書いてあります。つまり、人数は関係ありません。私が戦地で強いショックを受けたのは、ある青年将校から『新兵教育には、生きている捕虜を目標にして銃剣術の練習をするのがいちばんよい。それで根性ができる』という話を聞いた時でした。それ以来、陸軍士官学校で受けた教育とは一体なんだったのかという疑義に駆られました」(読売新聞社「This is 読売」94年8月号)

    との見解を示しておられます。

  • >>No. 19380

    「永遠の雑魚」命名に関して

    私は国粋主義や民族主義は嫌いです(従って「ノーベル賞に日本人が・・・」と騒ぎたてることには嫌悪感に似たものを感じます)が、その様な主義者だと思われる方の著作のタイトルをもじって「永遠の雑魚」と表現しました・・・著作のタイトル自体「美化」しているように思えます。
    余談ですが・・私は科学史にも少し関心があり、私が知り得た科学に重大な貢献をされた方々のエピソードや伝記などは、その科学者の国籍や民族などには関係なく興味深く感じています。

    私は「きけわだつみのこえ」をずっと以前に読んだことがありますし、その中に含まれている上原良司氏の遺書も読んだことがあります。
    衆愚よりも彼のような人が多かったなら、戦争を始めるような事はなかっただろうと思います。彼らも愚かな指導者達の犠牲になったのです。
    また私はことさら彼等を美化しようとも思いません。・・ただ「自由主義者」上原良司氏の言葉は幾度読んでも胸に響くものがあります。・・・彼は、「俺が戦争で死ぬのは愛する人たちのため、戦死しても天国へ行くから、靖国神社には行かないよ」と親しい人達に語ったそうです。
    上原良司氏については以下のサイト等を参考にしてください。

    http://www.asaho.com/jpn/bkno/2009/0810.html

    また中国での戦闘に従事した学徒兵の残した手記だったか手紙だったか(恐らく家族に宛てた手紙)には、中国の一般民衆に対して日本軍の兵隊(確か将校だったと思います)が酷い暴力を加えた事についても触れていたことを憶えています。

    また余談ですが、私が読んだ「きけわだつみのこえ」の(確か)あとがきには「ドイツ戦没学生の手紙」と比較し、「日本の学徒兵の書の方が優れている」というような見解が披露されていました。
    私はその箇所を読んだ時、国粋主義的なものを感じたので疑問を弟に伝えました。私のその指摘に納得し、弟は著者(編集者というべきか)に連絡し私たちの思いを伝えました。返事は確か、あまり良くない表現だったことを認めたものだったと記憶しています。
    戦没学生の手紙などの書に対して、出版物上で主観的な優劣の意見を述べるべきではないと私は思います・・・もし仮にそのような(優劣の)印象を受けたとしても、それは心のうちに止めるべきだと私は思います。

  • >>No. 19372

    今現在・・・2018年1月7日16:30で

    「永遠の雑魚」が6名おられるようです。
    恐らくその数は氷山の一角で、実際にはその数倍の人がいるものと思われます。

    「永遠の雑魚」なんて素晴らしいではないですか。
    躊躇している方々も、遠慮しないで仲間に加わってください。

    「永遠の雑魚」命名については「次の投稿で述べようかな」・・・と思っています。

  • >>No. 19377

    私は「今夜も」さんの最後2つの投稿に、最後まで目を通してはいません。
    「真剣に読み進む価値がない」と判断したからです。

    自分では論理的に書いているつもりかも知れませんが、その内容の殆どは(論理ではなく主観に起源を有する)感情が露わに表れたものです。・・・私はそのような「感情任せのレベルの低い投稿」には関心がありません・・・嫌悪感を覚えるので・・・。

    私の(披露した)考えが間違っていると思うのならば、(自然の本質を理解できていない「主流の見解」を盾にするのではなく)私の考えのどこがどの様に間違っていると思うのか、具体的に指摘するべきです(私の考えは披露していますし、理解して支持してくださっている方々も少なからずおられます。)。(先の投稿でも述べたように)そうすれば私は「その指摘(のつもり)が自然を理解できていないが故の頓珍漢なものだ」と示すことができたのです。

    率直に言って「今夜も」さん(勿論他の「お雑魚様方々」も同様ですが)に理論物理学の論文(ideas)を判定する力量はありません。
    もし「理論物理学の論文を判定できる」と、とんだ勘違いしているならば、自身で既存の理論を超える理論を(査読のある)journalへ投稿すればよいのです。
    それが出来なければ、「ただそれだけの人だ(とても論文のreviewerにはなれない)」ということです。
    自分の分を弁えるべきだと私は思います。

    ・・・と進言しても、思慮(分別)のない雑魚(衆愚)には理解できないでしょうが・・・。

  • ずっと以前、このスレッドが出来てあまり間もない頃だったと思いますが、このスレッドに投稿し、私と遣り取りしていた物理学の専門家(1人は論文に挑戦しているということだったので院生かもしれません)と私とを比較した評を投稿された方がおられました。

    私と遣り取りしていた方々(主に二方だったと記憶しています)のHNを挙げ

    「お二方(1名はYahoo!掲示板でかなり名の知られた方でした。・・・現在は投稿しておられませんが・・・)は秀才ではあるのでしょう。しかし美味しい豆腐さんは、お二方とは比較にならないほどの洞察力を持っていると思う。」
    というような見解を述べておられました(正確には憶えていませんが、かなり前の投稿なので見つけることは出来ないでしょう。)。・・・私はその頃は物理学カテにも投稿していたので、物理学カテのものも含めて私の投稿内容からその方は上記の様な印象を受けたのだと思います。

    私はその投稿を読んだ時「この方はよく解っておられるな」と思いましたが、とくにその投稿内容については取り上げませんでした。

    以前にも述べたと思うのですが、多くの愚かな人達(衆愚)は自分を基準にして物事を判断します。従って自分達よりも遥かに洞察力の優れた人物の存在が理解できません・・・信じられないのです。

    ある理論が正しいか否かについては、(理論物理学の場合は特に)少なくともその理論を提唱した研究者と同レベルか、それ以上の研究者でないと判定できません。
    そう意味でpeer reviewという制度は、有効だと思います。

    この事実を鑑みれば、雑魚様方々にはpeer reviewed journalに掲載された論文を判定する力量などそもそもないということです。
    ですから(「力量がある」だなどと思いあがった)勘違いをせず、従来通り主流の「鵜呑み受け売り」に徹する(コピー機の真似をして得意になる)べきだと思います。

  • 「雑魚様方々」は「空間は重力源へ向かって(重力加速度で)加速している。」という簡単な事実さえ理解できません。

    私がこのスレッドで最初にその様な見解を披露したとき、研究者と思われる方が「一般相対性理論でもそうだ。(確か数式を示しておられたと思うのですが)この式はそういう意味だ。ただ私は、美味しい豆腐さんがその様な発想ができることに驚いた。」という様な投稿をされました。

    でもね、(論理的思考のできる方は)よく考えてください。
    恐らく殆ど全ての人は「空間は自分に対して・・従って地球に対して静止している」と捉えています。
    しかし地球に対して静止していると捉えている空間は、地球もろとも太陽へ向かって自由落下しているのです。
    また太陽に対して静止していると捉えている空間も又、銀河の中心へ向かって自由落下しています。
    この事実は(この宇宙が階層構造を持っていることから)延々と続きます。

    つまり「絶対的に静止している空間」など何処にも存在しないということです。

    空間を直接観測することはできません。
    従って空間の運動状態を客観的に知るには、その中における事象を基に判断する以外に方法はありません。
    自然の全ての事象は、(光の振舞いをも含めて)重力の影響を受けます。
    従って「空間は重力源へ向かって(重力加速度で)加速している」という判断は論理的帰結であり、至極当たり前のことです。

    しかしその「当たり前のこと」が雑魚様方々には理解できず、「理解できない」という事実に止めておくならまだしも「自分は解っている」と大きな勘違いをしたうえで事実を否定しようとします。

    まあ「永遠の雑魚」ということでしょうね。

  • さて今年中に次の論文を投稿しようと考えているので、そろそろそちらの方に身を入れようと思います。

    「カイム君」達、次に私の投稿を目にするまで「愚衆」の道(ピコ雑魚道)を極めてくださいね。
    貴方達にはその素質が充分過ぎるほどにあります・・・私が保証します!!

  • >>No. 19352

    「サインする」という行動について

    私はどの様に高名また有名人ではあっても、その様な人のサインをもらおうとは全く思いません。
    何故ならば、私は人を偶像化したくはないからです。

    ずっと以前、ある面で有名な方の講演を聞きに行ったことがあるのですが、その方は講演の中で(うわべの)謙遜をして「自分は小さな人間だ」という様な事を言っていました。
    そして講演が終わると自分の書いた本を売り、希望する人にサインをしていました。

    私はその姿を見て「言行不一致だ」と感じました。
    何故ならば、本当に「自分は小さなどうしようもない人間だ」と思っているのならば、サインなどできない筈だと思うからです。
    小さな(身長という意味ではありません)人間のサインなんて、相手に失礼ではないでしょうか?
    言葉では言っていても実際にはその様に思っていない・・・つまり驕りがあるからその様なことを平気で出来るのだと私は思います。

    多くの場合、「自分が偉いまたは優れている」と思っているから、自分の行動を深く考えることもなくサインをするのではないでしょうか?

    まあ、現実にサインを求める人がいるのですから致し方ない面もありますが、私は平気でサインできる人達の心理が理解できない・・・というか理解できても賛同できない・・その様な真似はしたくないと思っています。
    まあ「重要と供給」という面では勝手ですが、「よく人を偶像化し、(偶像化された人は)またそれに甘んじていられるな」と感心しているのです。

    私の価値観は多くの人達とは異なります・・・つまり大勢(衆愚)とは折り合わないということです。
    これで私が「カイム君(衆愚の代表者)」と決して相容れない事が解って頂けるものと思います・・・勿論「カイム君」以外の思慮ある人達には・・。。

    私のサインは契約などに限られます。

  • カイム君の定義

    私は「論理的思考力が0の、何も解っていないのに解っているつもりになっている雑魚」を「カイム君」と定義させて頂こうと思います。

    これまでも私は「雑魚様方々」に対して「論理的思考力が0だ」という事実を指摘してきたことからもお解りだと思いますが、「カイム君」という称号は、「自分は解っていない」と自覚し自分の未熟な理解に基づいて(或いは鵜呑み受け売りで)人を中傷する様な事をしない・・・つまり「カイム君」達の真似をしない思慮ある人に対してのものではありません。
    ですから、私の説明を理解できなくて「私は論理的思考が出来ないのかな?」と感じておられる方がおられましたら、私はその様な方を非難している訳ではありません。もし私の言葉が誤解を与え、傷ついた方がおられるならばお詫びします。

    論理的に思考できず鵜呑み受け売りを繰り返しているにも拘らず、「自分は理解している」と錯覚し、自分よりも遥かに(比較にならないほど)論理的思考の優れた人(美味しい豆腐)に対し誹謗中傷する思慮の(欠片も)ない人達・・・つまり「カイム君」達を私は非難・・というか軽蔑しているのです。
    年末から年始にかけて新たに3名がカイム君の仲間入りをしたようですね。
    「裏はカイム君だった」ということでしょうか・

    私は「人の評価は論理的思考力によって決まるものではなく、むしろ思慮深さの方が重点を占める」と考えているので、あまり論理的に思考できないとしても、私はそのこと自体を批判しようとは思いません。ですからもし私の説明を理解できなくて「私は論理的思考が出来ないのかな?」と感じておられる方がおられたら、私はその様な方を非難している訳ではありません。
    ・・・論理的思考力は訓練によっても磨くこともできるでしょうが、生まれつきのものも多分にあるのではないかと私は思います・・・私の場合は恐らく生まれつきのものだと思います。
    そして生まれつきのものは自分ではどうしようもないものもあり、その人の責任を問える様なものではありません。
    ですから生まれつきのもので人を差別したり区別したりするべきではないと私は思います。

    次の投稿で、私が「反大勢」である一面を述べようと思います。
    ・・・あくまでも「予定」です。

  • >>No. 19343

    いやでも、いくらカイム君たちと言えど、お金の使い方を知ってはいるでしょうし、論語も読んだことはあるでしょう・・また真珠が人間社会で価値あるものと捉えられていることは知っているでしょう。

    カイム君たちにとって使い方のわからないもの、価値のないものとしては論理的思考を挙げるべきだと思います。
    従って新たに考えるべきことわざとしては「カイムに論理的思考」が相応しいのではないかと思います。

    まっ半分冗談ですから本気にしないでくださいね。

  • >>No. 19339

    私はこれまで幾つかの方向から「inertial induction(慣性の誘導)」が存在することを論理的に説明してきました。
    この説明は私の家族だった猫や犬にも理解できたようです(解ったか?と訊くと「ニャー」や[ワン]と言っていたと思います。)。

    しかし「論理的思考力が0」のカイム君達には理解できないのですよね。

    「カイムに小判」、「カイムに論語」また「カイムに真珠」ということわざも考えるべきかもしれませんね。

  • >>No. 19337

    「衆愚」という意味解っているのでしょうか?

    「多くの愚かな人」という意味であり、多くの愚かな人は深く考えることもなく主流の考えを受け入れるものです。
    ・・・つまり大勢に迎合し易いということです。

    私の考え(反大勢です)を理解できる方は(純粋に論理的な思考のできる方が少数であるが故に)比較的少数です。
    もちろん貴方方のように、面白半分に「そう思う」をクリックした人は「衆愚」と言えるでしょうが、それ以外の方々はそうではありません・・・「そう思う」をクリックした方に貴方々「衆愚」が多いような印象を与えるのは、貴方々とは異なり論理的思考のできる方々にとって大変失礼なことだと思います。

    また「カイム(皆無)君(No. 1・・1号)と研究者についての考察」でも「そう思う」が思いのほか多くありました。
    これも貴方方が面白半分にクリックしたというのでしょうか?
    ・・・そうだとすれば自分達の仲間である「カイム(皆無)君1号」にとって(例えそれが事実だとしても)大変失礼なことだと思いますよ。カイム君1号にとってのトラウマともなり兼ねません・・例え自身が招いたことだとしても。
    私は人を精神的に追い込みたくはないので、この投稿への「そう思う」には触れたくはありませんでした。この点についてはカイム君1号にお詫びしようと思います。・・・で、私が今後この投稿に触れることはないだろうと思います。

    私の考えに反論があり又その論理に自信があるならば、論文として発表すればよいだけのことです。
    そうすれば私は、その論理が如何に未熟極まりないものであるか論文で示して上げます・・・もっとも未熟な論理で書かれた「衆愚」の論文が受理されることなどないでしょうが・・・。
    その様な当たり前のことさえ出来ず、匿名の掲示板上で解ったような事を投稿していても、ただそれだけの人(論理的な思考が出来ずに大勢をそのまま受け入れる・・・「衆愚」)だということです。

    論理的思考のできない「衆愚」は私の相手とはなり得ません。

  • >>No. 19322

    Textreamのマイページをクリックすれば、これまでの自分の投稿だけを見ることができますよね。

    過去の投稿を見て若干驚きました。
    特殊重力理論と一般重力理論という私の投稿に対して「そう思う」が現時点で30あります。・・・19212~19214の投稿には「そう思う」が30以上あります。

    私は「今夜もさん」への返信で、「このスレッドに目を通されている方々の中には、論理的思考のできる方が数名いる」というような事を述べたと思うのですが、数十名の誤りでしたね。

    残念ながら「今夜もさん」はその様な方々の仲間入りは出来なかったようですが・・・。
    私は基本的に、思慮も論理的思考力も持ち合わせていない人は相手にしません・・・説明しても、その様な人達が理解することはありませんので。
    従って私は「今夜もさん」も、今後相手にすることはありません。

    ・・・やはり私の推測通り「裏」のある方だったようですし・・・。

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