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投稿コメント一覧 (10540コメント)

  • >>No. 8508

    こちらこそありがとうございました。 相性のいい筏に出会えるといいですね。^^

  • >>No. 8496

    高原さん、おはようございます。

    >だとすると、清原が覚醒剤をやったのも、プロ野球で活躍したのも、すべて、遥か昔から決まっていたということになりますか?
    >清原には、それ以外の選択肢は絶対になかったと?

    昔から決まっていたかどうか、についてはわかりません。 人間には知ることのできない領域だと思います。

    選択肢がなかったかどうか、という点においては、もちろん、覚醒剤を使用しないという選択肢はあったに違いありません。
    しかし、その時、使用するという流れが発生した。それは、「そうならざるを得ないから起きたこと」だということです。
    当たり前と言えば当たり前なのですが、そうならざるを得ないことしか起きないですよね。
    交通事故にしても、病気にしても、幸運な出来事にしても。

    犯罪に関することになると、どうしても犯した人を責める気持ちが生まれやすいので、それを特異点にしたいのが人情だと思うのですが、犯罪が起きるということも、台風や地震が発生するということと同じ理屈だと私は思います。

    >意志の弱さはあまり関係がないそうです。
    >誰でも「俺はいつでも覚せい剤をやめられる」と思うそうです。
    しかしながら、どんな意志の強い人でも一度やって覚せい剤の快感を覚えたら、自分の意志では絶対にやめることが出来なくなるそうです。

    最初に、使用するか否か、というところでは、意志や心の強弱が関係してくると思うのですが・・・。

    中毒になってしまってからは、やめることは難しく、初犯だとたいてい執行猶予になるようですけど、釈放されてからが入院したり、薬物依存を脱するための施設に入って薬を抜いていくのですが、そこでとても苦しい思いをされるのですよね。

  • >>No. 8498

    般若心経入門―生きる智慧を学ぶ (日経ビジネス人文庫) 文庫 – 2004/7/1
    ひろ さちや (著)

  • >>No. 8459

    じゅんさん、おはようございます。

    >①【覚醒剤を使用する、ということは、一般的には、使用する当人の意志の弱さ、心の弱さに原因が求められますね。】
                     ↓
    >②【私という個人が、ポツンと世界から離れて存在しているのではなく、世界と自分というのは不可分だ、という視点です】

    >なぜ①から②に繋がるのか それを説明した 分かりやすく かつ易しく書かれた書物はないでしょうか?。

    上記と同じようなことが(覚醒剤の部分はともかくとして)そのままずばりと書かれた本ですか。 
    今、中村 元さんの「龍樹」を読んでいるのですが、そこではもちろん、無自性ー空について書かれています。
    (でも、ページ数も多く内容も私にとってはですが難しい部分もあります。)

    それ以前にも大乗の「空」について書かれたものを本やネットで読んだり、禅の印可を持つ方と掲示板でやりとりをすること、また自分で考察することを通して、番号をつけていただいた②については実感として理解するようになっていました。

    ですので、改めて分かりやすい本というと・・・ちょっとわからないのですが・・。
    Amazonで調べたら、ひろさちやさんという仏教学者の方の般若心経についての入門書はいいように感じました。
    ひろさちやさんの本は、高度な知識を持つ方には物足りないのだと思いますが、私は以前、道元と親鸞の生涯とその思想について書かれた本を読み、とてもわかりやすくて理解が進んだ経験があります。

    ひろさんの般若心経の本の題名は、今、正確に思い出せないので、この投稿の後に載せますね。
    もし既に読まれているものでしたら、すみません。_(._.)_
       
    >余談ですが ①人間ってこんなに素敵な「考える脳」を持っているものなのに なぜ実体がないとかとの論理が肯定されるのか いくら般若心経の解説本を読んでも納得できない(笑) 屁理屈に思えて仕方がない  こんな頭の弱い私です。

    初期仏典においても。

    「物質的なかたちは無常である。無常であるものは苦しみである。苦しみであるものは非我である。非我であるものはわがものではない。これはわれではない。これはわがアートマンではない。正しい智慧をもってこの道理を如実に観ずべし。」  と、言われています。

  • >>No. 8443

    高原さん、レスありがとうございます。

    >ぼくも「そうするしかない、そうなるしかない」というとこに、少し頷く気持ちがあるんですが、
    一方では、清原は覚醒剤に逃げなくても、一流プロ野球選手であった、例えば、江川でも桑田でも、松井、王、長嶋でも、覚醒剤をやらず、普通に生きている人の方が多い訳ですね。

    >なぜ、赤い実さんは「清原だけでなく誰でも」そうなるしかないところを生きているとお考えですか?

    清原さんが覚醒剤を使用した、という件に限らず、「すべての起きることというのはそうならざるを得ないことが起きている」と思うのです。
    世界はそうして動いている、成立している、と考えるのが自然だと私は思っています。
    世界は、宇宙は、一つの生き物のようなものです。

    覚醒剤を使用する、ということは、一般的には、使用する当人の意志の弱さ、心の弱さに原因が求められますね。
    意志の弱さ、心の弱さがどこから来るか、ということを考えてみると、突き詰めれば、神経系統やホルモンバランスなどの身体的な要素になっていかざるをえないと思うのです。
    加えて、環境が与える影響というのもあります。

    いつも心を整えている、意志をしっかりと保つ、ということはとても大切ですし、それが可能になってこそ、苦しみから離れることも可能になるというのは確かだと思います。
    そうした視点と同時に、「すべての起きることというのはそうならざるを得ないことが起きている」という視点から世界を見る。
    そうすると、意志が弱いであるとか、心が弱い、能力が劣る、などなどの社会的には弱点だと考えられるものの、個人に原因を求めようとする力が弱まる。

    そうなれた時、いつも心を整えている、意志をしっかりと保つということが、より可能になれるのだと思います。

    私という個人が、ポツンと世界から離れて存在しているのではなく、世界と自分というのは不可分だ、という視点です。
    その視点から個人としての自分を観察する時、心や意志をしっかりと保つことが可能になると思うのです。

  • >>No. 8435

    横レスで失礼します。

    >文芸春秋の今月号に、清原の手記が載っているのを立ち読みで読んでいました。
    清原はプロ野球の現役を引退してから、かってのホームラン王だった自分が懐かしくて、今の何者でもない自分が嫌いで仕様がなくで、そこから逃れるために覚醒剤に溺れて行ったと自らを語っていました。
    逮捕されて以降は、死ぬことしか考えていなかったと。
    清原、桑田の高校野球の黄金時代を築き、プロに入ってからも球界の四番と言われるほどの活躍をして、
    それでも、まだ満足できずに、引退してからもかっての輝きを忘れられず、それほどの深い欲望に囚われるものかと驚きに似た感慨を持って読みました。

    >その清原の気持ちに、どこまでが波か海かをあなたは見ることが出来ますか?

    清原さんだけでなく誰でも、「そうするしかない、そうなるしかない」ところを生きているのではないでしょうか。

    そういう意味で、海と波は不可分だと思います。

  • 終戦記念日です。

    この間、ネットで、第二次世界大戦時の辛く悲惨な出来事について新たに知ることがありました。

    日本の医大で、捕虜として捕らえていた外国人の生体実験が行われていた件についての新たな情報。
    長崎の原爆孤児が、その後、懸命に生きた状況について書かれたもの。

    人間は、他者の尊厳を大切にするということにおいて、昔よりは進歩してきていると信じたいです。

  • >>No. 61588

    おはようございます。  いつもありがとうございます。
    愚さんのお話しというのは、難解な用語、難しい表現をされないので、仏教に詳しくない人でも理解しやすいですね。

    水月さんが再掲してくださっているのですが。
    わかろうとしない、反発したいだけの人に説明しても伝わらないと思います。
    わかりたいという意欲もないのでしょうから、しかたないですよね。。。

  • >>No. 4324

    もとのユーゴスラビアに入っていた国々での民族紛争。
    異なる民族、言語、宗教の人々が自分たちの権利を守るための、敵対する民族の浄化ということが行われてきて、現在はそれぞれに独立した国家として成立している。

    それぞれの民族、その性質、考え方の相違。 そうしたものを乗り越えて、多民族が一つの国家として成立し続けるには、それを継続させるだけの経済的な基盤、また、経済的な格差についての不満が出ないということが必要なのだろうな。

  • 去年の夏かな、アマゾンプライムの無料体験に申し込んで、そのことを忘れていたのだけど、なんと、そのまま継続されていた(笑)
    無料期間が終わるまでに解約しないと、自動更新になるシステムだったのだ。

    そんなことも気づかず、アマゾンプライム会員でないと買えない商品を避け、買うようにしていた。
    最近、会員でないと買えないものが増えてきてるし。

    会員だと無料で観られる映画やテレビ番組もあって、「ミッドナイトインパリ」というのを観ている。
    現代の作家志望の男性が、1920代のパリにタイムスリップしてしまうという内容で、ヘミングウェイやピカソも出てくる。

    それにしても・・・会員になってるのに気づいてよかったよ(^-^;
    それに気づかず、登録してみようかと思い、それで気づいたのだから。

  • 2018年、夏の甲子園出場校56校のうち公立高校は8校だそうです。
    ほぼ私立。

    そんな中で、三重の初出場の公立高校、白山高校の試合には注目してました。
    五年前だったかに部員五人からスタートしたそうです。

    リアルルーキーズですね。 10-0で負けてしまいましたが、すがすがしかった。

    何を観ても心から深く感動するということがあまりないのだけれど、昨日は画面に吸い寄せられるように観ていました。

  • >>No. 128910

    >「徳富蘇峰の『近世日本国民史』の初版に、秀吉の朝鮮出兵従軍記者の見聞録がのっている。


    徳富蘇峰の著作の元になった、秀吉時代の記録はどういうものですか?
    そのあたり、具体性がないと信用できないと思います。

  • >>No. 4317

    1991年6月、スロベニア・クロアチア両共和国はユーゴスラビアからの独立を宣言した。西ドイツのハンス=ディートリヒ・ゲンシャー外務大臣は同年9月4日に欧州共同体内の合意形成を待たずに両国を国家承認することが戦争を防ぐと主張して、フランスやオランダ、スペインなど他の加盟国やイギリス、アメリカ、ギリシャの反対を押しきって承認表明した。そしてデンマークとベルギーのみにしか理解されなかったまま12月23日に単独承認したことでユーゴスラビア破滅の切っ掛けをつくった。 フランク・ウンバッハはドイツに引っ張られたECの加盟国らの対応を批判して、ユーゴ連邦はEUの理念の達成のための犠牲となったと述べている[7] 。
    セルビアが主導するユーゴスラビア連邦軍とスロベニアとの間に十日間戦争、クロアチアとの間にクロアチア紛争が勃発し、ユーゴスラビア紛争が始まった。十日間戦争は極めて短期間で終結したものの、クロアチア紛争は長期化し泥沼状態に陥った。1992年4月には、3月のボスニア・ヘルツェゴビナの独立宣言をきっかけに、同国内で独立に反対するセルビア人と賛成派のクロアチア人・ボシュニャク人(ムスリム人)の対立が軍事衝突に発展し、ボスニア・ヘルツェゴビナ紛争が起こった。同国はセルビア人・クロアチア人・ボシュニャク人の混住がかなり進行していたため状況はさらに深刻で、セルビア、クロアチア両国が介入したこともあって戦闘は更に泥沼化した。

    ・・・・・・Wikipediaより

  • 「宇宙はなぜあるか」で検索したけれど、明確な答えは当然ながら出てこなかった(^-^;
    同名の本がある、ということはわかった。

  • >>No. 2102

    pipitさん、こんにちは。

    >私の刺された手も、腫れはひいて、まだ違和感はあるけど、見た目ではわからないくらいにはなりました。このままなんともなかったらいいなと思ってます。

    今日はもうだいぶよくなってるでしょうか。 そうだといいです。

    >例えば、カントよりめっちゃ昔の哲学者・古代ギリシャの原子論の創始者の一人デモクリトスは、「世界は本当は原子と空虚だけでできてるけど、人間の感覚器官が外部から刺激うけると人間は味や色などを感じるようにできている。」みたいなことを言ったみたいだし、

    万物の根源をギリシャの哲学者たちは、水、火、空気、数などと考えたそうですよね。
    デモクリトスという人は、原子からと考えただけでなく、刺激を受けると感受するという仕組みまで考えていたのですね。

    >カントよりほんのちょっとだけ前の哲学者・イギリス経験論の祖ジョン・ロックは、
    「物そのもの」→「触発」→「観念」という構図で論じてるそうです。
    (『カント入門講義』冨田恭彦先生、ちくま学芸文庫、p96〜108参照)

    >※ただし冨田恭彦先生は、ジョン・ロックは「物そのもの」をわからなくする構図ではない、とされてるかんじです。(p108)

    人間は生まれた時には「白紙」であるけれど、感覚を通して「明るい」「暗い」「温かい」「冷たい」などの印象を記憶しておいて、他のものと関連づけるなかで概念を作り上げていく、と、ロックは考えていたそうですね。
    そして、人間の心に観念ができるのは、心の外に世界があってそれを知覚していくことによる、と。


        ありがとうございました。<m(__)m>

  • >>No. 2100

    >蜂に手を刺されてしまいました 🐝

    あら、たいへんでしたね(´;ω;`)  痛むのかな。 お大事になさってくださいね。

    蜂で思い出しました。 先日、薄暗くなりカーテンを閉めようとしたら、アジサイの木の根元に、スズメバチの巣みたいなのがあるように見えて、そのことを主人に話しました。
    あたりが暗くなってから、主人が見に行ってくれたのですが・・・そしたらなんと・・石でした(笑)
    自分ちの庭ですよ~。 何度も見てはいるはずなのだけど、細かいところまでは記憶していなくて、そこに石があるなんてその時には思いもよらず、勝手に「スズメバチの巣に違いない。。なんでよ~。。いやだ。。」と、思い込んでいたのです。
    あった蜂の巣がどこかから落ちた、カラスが落とした、誰かがそこに置いた・・とか、いろいろ想像してしまいました(^-^;

    >「物自体」→「触発」→「現象」
    の構図自体はカント以前からいろんな哲学者が(使う名称は違えど)いろいろ考えてたみたいですね。

    プラトンのイデア論はそうですよね。 他にもあるのだと思うけど、わからないです。
    pipitさん、わかりますか?

    >私は西洋哲学にほぼ興味なくて、カント哲学なんて全然面白くないと思ってたら、勉強し始めたら「めちゃめちゃ面白いかも」って今は思ってます。
    >私の主観は(私にとって)外れてた、ということです。
    >同じように、他の哲学者の勉強はじめたら、「カントよりこっちの考え方の方がいいなぁ」と思うことは十分あり得ると思っています。

    わからなかったことが少しずつでも理解できるようになっていく、その過程というのは楽しいですよね。
    私なんて知らないことものすごく多数なので、知ろうと思えば(興味の出たもの限定だけど)いくらでも知りたいことが出てきます。

  • 今年の秋、フェルメール展があるのですね。 行こうかな。
    混雑が予想されるので、日時指定の前売り券になるそうです。 時間もだったかな?

  • 2018/08/07 07:25

    >>No. 4320

    八識


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    八識(はっしき、はちしき)といは、仏教の意識作用の8種をいう。4世紀のインドに興った瑜伽行唯識学派によって立てられた。
    なお、天台宗では、さらに第九・阿摩羅識を立てて全九識とする。また真言宗ではさらに第十・乾栗陀耶識(紇哩陀耶識、hṛdaya-vijñāna)を立て全十識とする。
    眼識
    耳識
    鼻識
    舌識
    身識
    意識
    末那識
    阿頼耶識

    ・・・・・・Wikipediaより

  • 阿摩羅識


    阿摩羅識(あまらしき、梵:amala-vijñāna、菴摩羅識とも)は、大乗仏教の論の一つ。
    唯識思想(法相宗)では、八識を説く。 すべては阿頼耶識より縁起するとし、主に迷いの世界であるが悟りも阿頼耶識より生じるとする。 一方、心は本来清浄であるとする如来蔵思想があった。
    これらの思想を止揚するため、天台宗や華厳宗は、この阿摩羅識を加えて新たに九識を立てた。天台宗では、阿摩羅識をけがれが無い無垢識・清浄識、また真如である真我、如来蔵、心王であるとし、すべての現象はこの阿摩羅識から生れると位置づけた。したがってこれを「真如縁起」などともいう。真如は絶対なる真我なれば「識」とは言い難いが、前の八識に隋縁生起する本源なることから阿摩羅識と名づけられた。したがって法性宗における仏性の異名である。
    なお、法相宗では玄奘がこの説に対し摂論を釈して、第八の阿摩羅識のみを立てて、それは阿頼耶識の果上に至りし時の名称であり、また阿頼耶識が無垢になったものであるとするので九識を別に分けて立てない。
    天台宗以下、日蓮宗やその各派でもこの九識論に依り、これを九識心王真如の都と呼んでいる。日蓮は日向記で「究竟即(くきょうそく)とは九識本覚の異名なり、九識本法の都とは法華の行者の住所なり」、「此の九識法性とは、如何なる所の法界を指すや。法界とは十界なり。十界即諸法なり、此の諸法の当体、本有の妙法蓮華経なり。此の重に迷う衆生のために一仏現じて分別説三するは、九識本法の都を立出するなり。さて終に本の九識に引入する。それを法華経とは云うなり」、また日女御前返事でも「此の御本尊全く余所(よそ)に求むる事なかれ。只我れ等衆生の法華経を持ちて南無妙法蓮華経と唱なうる胸中の肉団におはしますなり。是を九識心王真如の都とは申すなり」と述べている。


    ・・・・・・Wikipediaより

  • >>No. 2097

    pipitさん、おはようございます。台風が接近しているせいか、昨日からこちらは涼しいんですよ。
    ひんやりしてます。 この冷気を暑いところにも分けてあげたいぐらい(^-^;

    歯磨きして、なにも食べてない状態でミカンを食べると、とても苦いです。
    歯磨きによって、口の中の状態が変化するので、同じ一つの袋に入って売られていたミカンでも味が変わったように認識されるのですね。

    モスキート音というのも、若者と年配者では聴くことのできる範囲が違うのですよね。
    こないだYouTubeで実験、というのを試してみたら、ほんとに年齢通りの分しか聴こえなくておもしろく感じました。

    やはり「物自体」って、生物には認識できないのだな~、と感じます。
    ただ、それも、「物自体」というものを設定してこその見方、考え方と言えるのでしょうね。

    どこで切り取るか、どの角度から考えるか、が、哲学者によって違うので、いろんな哲学がありおもしろいのだと思います。

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