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投稿コメント一覧 (115コメント)

  • 獅子奮迅の鮮米(朝鮮米のこと)擁護陣




    数千通の反対電文で内地側を一斉猛射




    全鮮諸団体が総攻撃開始





    京城日報 1934.3.6(昭和9年)
    http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00742066&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

    “鮮米擁護期成会では、問題の外地米統制が複雑なる政界の諸情勢を背景として、結局、政治的解決で決着しようとしているので、4日より擁護運動にラストスパートをかけることとなり、期成会本部は各所属関係の団体である朝鮮農会、各道農会、朝鮮商工会議所、各商工会議所、取引所連合会、各取引所の取引員組合、穀連及び各地の穀物組合に電文を発し、別記の決議文をそれぞれ団体別に内閣閣僚、貴族院・衆議院両院の各政党総裁その他関係機関あてに発信させた。

    穀連関係のみで発信数2,000通を超え、総計6,000通に近い陳情電報が半島の官民の反対総意を代表して議会を中心に殺到したわけである。なお、各関係機関に打電した声明は次のとおりである。

    「五相会議により朝鮮米に対して法制的制限などの差別待遇を行わないことに決定されたので安堵していたものの、最近の新聞報道等によれば、農林省は五相会議の決議に拘らず依然として朝鮮米の法制的制限を行うと主張しているようである。この農林省の主張の実現は、かねてから陳情しているように我々が絶対に受け入れられないところである。御高配を願う。」“



     朝鮮の米を日本本土で売るのを本土側では何とか制限しようとし、朝鮮の関係者は何とか制限を阻止しようとあれやこれやの手を打つ、という関係だったのです。「ニッテイは米を奪った」と韓国の教科書が教えて来たことと は正反対です。

     朝鮮側でのこういう動きの中心になったのは多分日本人でしょうが、日本人でも朝鮮人(法的には日本人ですが)でも、利害は一致していたはずですね。日本人対朝鮮人ではなくて、朝鮮対内地という争いの構図です。


    当時の状況を伝える京城日報 1934.3.6(昭和9年) ↓

  • 知ってましたああーーー!!!



         北の分はもうとっくに支払い済みでした!!!




    北の分もくれ!!






    朝鮮は、朝鮮併合に反対する伊藤博文を暗殺して、大日本帝国の一部となった。

    なぜ日本が韓国国民を奴隷にしたと非難されるか理解できない。
    もし奴隷にしたならば、イギリスは共犯であり、アメリカは少なくとも従犯である。

    日本の朝鮮半島での行動は全てイギリスの同盟国として「合法的に」行われたことだ。
    国際関係の原則にのっとり、当時の最善の行動基準に従って行われたことである。
    しかも原則は日本が作ったものではない。欧米列強が作った原則なのだ。

    1910年、日本が韓国を併合したのは、韓国皇帝が「請願」したからだ。
    歴史家は、日本は欧米列強から教わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、とほめるのである。
    ヘレン・ミアーズ氏(GHQメンバー)

    それなのに国際的に見ても例外中の例外で
    国家賠償から個人補償まで日韓基本条約で最終的かつ完全に解決している。(協定第二条1)

    無償、有償あわせて合計8億ドルという額は当時の韓国の国家予算の2.3倍であり、いかに高かったかが分かる。

    ちなみにこの賠償額は、朝鮮半島全地域が対象であり、韓国政府が「北朝鮮を統一したら北の人に支払うから北の分もくれ」と言って持って行った額である。

  • 強制連行は史実か、幻か?
    “徴用により来日した者は245人”

    1959年2月25日に東京で開催された在日韓僑北韓送還反対中央民衆大会の決議文には、「現在日本には約60万の韓国人(南北を合わせて)が残留しておりますが、此の大部分は第二次世界大戦中日本が強制的に労働せしめる為連れて来たものです」と記されているが、東京大学大学院准教授外村大は、「ここに記された、在日コリアンの大部分が強制連行によって日本に来たとする主張は誤りである」と指摘している。

    1990年代に入って朝鮮人被害者への戦後補償問題が論争されはじめると、「徴用か強制連行か」に関してもさまざまな角度から議論がなされた。

    在日本大韓民国民団の子団体、在日本大韓民国青年会の中央本部が、在日1世世代に対する聞き取り調査では、渡日理由として、「徴兵・徴用13.3%」と明記されており、「その他20.2%」、「不明0.2%」を除いたとしても「経済的理由39.6%」「結婚・親族との同居17.3%」「留学9.5%」と65%以上が自らの意思で渡航してきたことがわかる。

    尚、このアンケートは渡航時12歳未満だったものは含まれておらず、これを含めるとさらに徴兵・徴用による渡航者の割合は減ることになる。なお、2005年の日韓基本条約関係文書公開に伴う韓国政府に対する補償申請者は、2006年3月の時点で在日韓国人からは39人に留まっている。

    「日本政府により強制連行された人々が現在の70万人の在日朝鮮人を構成している」と言われることもあるが、外務省の発表では、戦時中に日本に渡航しその後日本に残留した朝鮮人登録者61万人のうち徴用により来日した者は245人で、全員が「自由意志により日本に残留した」ことになっている。

    この発表に対して、韓国側は「当時の朝鮮半島の情勢(が悪かったため)で(意思をもって日本に残ったことは)仕方なかった」と主張している。しかし、韓国側は、日本政府が摘発した韓国人密入国者や犯罪者の送還を拒否するとともに、これらを日本国内で釈放し居住させるよう要求していたという事実もある。

  • 強制連行は史実か、幻か?
    “徴用により来日した者は245人”

    1959年2月25日に東京で開催された在日韓僑北韓送還反対中央民衆大会の決議文には、「現在日本には約60万の韓国人(南北を合わせて)が残留しておりますが、此の大部分は第二次世界大戦中日本が強制的に労働せしめる為連れて来たものです」と記されているが、東京大学大学院准教授外村大は、「ここに記された、在日コリアンの大部分が強制連行によって日本に来たとする主張は誤りである」と指摘している。

    1990年代に入って朝鮮人被害者への戦後補償問題が論争されはじめると、「徴用か強制連行か」に関してもさまざまな角度から議論がなされた。

    在日本大韓民国民団の子団体、在日本大韓民国青年会の中央本部が、在日1世世代に対する聞き取り調査では、渡日理由として、「徴兵・徴用13.3%」と明記されており、「その他20.2%」、「不明0.2%」を除いたとしても「経済的理由39.6%」「結婚・親族との同居17.3%」「留学9.5%」と65%以上が自らの意思で渡航してきたことがわかる。

    尚、このアンケートは渡航時12歳未満だったものは含まれておらず、これを含めるとさらに徴兵・徴用による渡航者の割合は減ることになる。なお、2005年の日韓基本条約関係文書公開に伴う韓国政府に対する補償申請者は、2006年3月の時点で在日韓国人からは39人に留まっている。

    「日本政府により強制連行された人々が現在の70万人の在日朝鮮人を構成している」と言われることもあるが、外務省の発表では、戦時中に日本に渡航しその後日本に残留した朝鮮人登録者61万人のうち徴用により来日した者は245人で、全員が「自由意志により日本に残留した」ことになっている。

    この発表に対して、韓国側は「当時の朝鮮半島の情勢(が悪かったため)で(意思をもって日本に残ったことは)仕方なかった」と主張している。しかし、韓国側は、日本政府が摘発した韓国人密入国者や犯罪者の送還を拒否するとともに、これらを日本国内で釈放し居住させるよう要求していたという事実もある。

  • 知ってましたああーーー!!!



         北の分はもうとっくに支払い済みでした!!!




    北の分もくれ!!






    朝鮮は、朝鮮併合に反対する伊藤博文を暗殺して、大日本帝国の一部となった。

    なぜ日本が韓国国民を奴隷にしたと非難されるか理解できない。
    もし奴隷にしたならば、イギリスは共犯であり、アメリカは少なくとも従犯である。

    日本の朝鮮半島での行動は全てイギリスの同盟国として「合法的に」行われたことだ。
    国際関係の原則にのっとり、当時の最善の行動基準に従って行われたことである。
    しかも原則は日本が作ったものではない。欧米列強が作った原則なのだ。

    1910年、日本が韓国を併合したのは、韓国皇帝が「請願」したからだ。
    歴史家は、日本は欧米列強から教わった国際関係の規則を、実に細かいところまで几帳面に守っていた、とほめるのである。
    ヘレン・ミアーズ氏(GHQメンバー)

    それなのに国際的に見ても例外中の例外で
    国家賠償から個人補償まで日韓基本条約で最終的かつ完全に解決している。(協定第二条1)

    無償、有償あわせて合計8億ドルという額は当時の韓国の国家予算の2.3倍であり、いかに高かったかが分かる。

    ちなみにこの賠償額は、朝鮮半島全地域が対象であり、韓国政府が「北朝鮮を統一したら北の人に支払うから北の分もくれ」と言って持って行った額である。

  • 獅子奮迅の鮮米(朝鮮米のこと)擁護陣




    数千通の反対電文で内地側を一斉猛射




    全鮮諸団体が総攻撃開始





    京城日報 1934.3.6(昭和9年)
    http://www.lib.kobe-u.ac.jp/das/jsp/ja/ContentViewM.jsp?METAID=00742066&TYPE=IMAGE_FILE&POS=1

    “鮮米擁護期成会では、問題の外地米統制が複雑なる政界の諸情勢を背景として、結局、政治的解決で決着しようとしているので、4日より擁護運動にラストスパートをかけることとなり、期成会本部は各所属関係の団体である朝鮮農会、各道農会、朝鮮商工会議所、各商工会議所、取引所連合会、各取引所の取引員組合、穀連及び各地の穀物組合に電文を発し、別記の決議文をそれぞれ団体別に内閣閣僚、貴族院・衆議院両院の各政党総裁その他関係機関あてに発信させた。

    穀連関係のみで発信数2,000通を超え、総計6,000通に近い陳情電報が半島の官民の反対総意を代表して議会を中心に殺到したわけである。なお、各関係機関に打電した声明は次のとおりである。

    「五相会議により朝鮮米に対して法制的制限などの差別待遇を行わないことに決定されたので安堵していたものの、最近の新聞報道等によれば、農林省は五相会議の決議に拘らず依然として朝鮮米の法制的制限を行うと主張しているようである。この農林省の主張の実現は、かねてから陳情しているように我々が絶対に受け入れられないところである。御高配を願う。」“



     朝鮮の米を日本本土で売るのを本土側では何とか制限しようとし、朝鮮の関係者は何とか制限を阻止しようとあれやこれやの手を打つ、という関係だったのです。「ニッテイは米を奪った」と韓国の教科書が教えて来たことと は正反対です。

     朝鮮側でのこういう動きの中心になったのは多分日本人でしょうが、日本人でも朝鮮人(法的には日本人ですが)でも、利害は一致していたはずですね。日本人対朝鮮人ではなくて、朝鮮対内地という争いの構図です。


    当時の状況を伝える京城日報 1934.3.6(昭和9年) ↓

  • 靖国神社には2万1千余柱の朝鮮人の英霊が合祀されています。

    そのほとんどが志願兵なのです。靖国を撃つ韓国人は同胞に石投げる人たちだ。第一、韓国と日本は戦争などしていないではないか。

    自衛隊がなぜ靖国神社を公式参拝出来ないのか。海外の兵士たちがたくさんお参りしてくださっているというのに・・・


    靖国神社の参拝に来たイタリア陸海空軍の士官候補生 ↓

  • アベノミクス何のその





              いまや、巨大バブルに発展か??






                これだから、被害者ビジネスはやめられない!!






     ウソの歴史で利権を得る輩は後を絶ちませんね!!





    戦後、朝鮮人、台湾人はGHQにより三国人と位置づけされ、それぞれ内地から朝鮮半島、台湾へ戻す政策がとられましたが、内地に居残った朝鮮人がいました。彼らの中から「朝鮮進駐軍」と称して横暴の限りを尽くす集団が現れました。

    「直江津駅リンチ殺人事件」が代表的なもので、闇米のブローカーの朝鮮人2,3人が窓を叩き割って列車に乗り込もうとしたところ、日本人乗客に阻止され、やむを得ずデッキにぶらさがって次の駅に到着したのち、進入を防いだ先ほどの日本人を鉄パイプやスコップで滅多打ちにして撲殺した事件があります。


     首都大学東京教授の鄭大均(てい たいきん/チョン・ テギュン)氏は以下のように推察しています。

     <中略>
     この本は刊行されるや、あるタイプの日本人たちには啓示を与える書となったようである。日本国の加害者性侵略者性というアイデンティティを重視するタイプの日本人がそれで、以後自分の生活地である故郷に朝鮮人強制連行の痕跡をたどろうとする活動が全国的に展開され、多くの刊行物が出版されている」

    80年代は、戦後の日本において、韓国や在日のテーマが大手のテレビや新聞・雑誌で話題になったはじめての機会であり、その解説者の役割を担ったのはコリア学の専門家たちであるが、その多くは被害者論的在日論を自明のものとする人々であった。

    在日一世の大部分は、自発的に当時の内地である日本に渡航してきた人々であり、また日本に居残ることを選択した人々である。だから、戦時期の朝鮮人に対する労務動員を『強制連行』と表現し、それを在日コリアンに結びつけて語るような議論はおかしいのだが、そのことを指摘する在日もいなかった。


    鄭氏は在日のネガティブなイメージは改善されたが、在日であるという身分を自分の人生に流用しようとするコリアンが出てくる危険性もあると指摘しています。かわいそうな被害者として特権を持てば自立できなくなるでしょう。

     ウソの歴史で利権を得る輩は後を絶ちませんね。

  • 日本のみなさんも、彼らのウソにだまされないようにしてくれ。





     俺は今年7月、国連人権委員会を視察・調査するため、「『慰安婦の真実国民運動』国連調査団」のメンバーとして、国連欧州本部があるスイス・ジュネーブに行った。

    その時、日本外務省の担当者が「慰安婦を性奴隷と表現するのは不適切だ」と初めて明言した。安倍首相の意向が反映されているのは間違いない。日本はしばらく大丈夫だろう。

    こうした中、韓国、在日、日本の左翼陣営は 慰安婦問題についても、「事実を知るべきだ」「慰安婦の証言を聞くべき」などと吹聴しているらしい。

     その通りだ。だから、俺はワシントンの国立公文書館から、米軍が1944年10月、ビルマ(現ミャンマー)で朝鮮人慰安婦20人を尋問した調書を取り寄せた。

    そこには、「慰安婦は強制ではなく雇用されていた」「接客を断る権利を認められていた」「洋服や化粧品など好きな物を買うことができた」とあった。慰安婦は戦時売春婦と結論付けられていた。

     元慰安婦である文玉珠(ムン・オクチュ)氏の著書『ビルマ戦線 楯師団の「慰安婦」だった私』(梨の木舎)も英訳してもらって読んだぜ。

     文氏は、慰安婦で得た貯金について「通帳は宝物」「1000円あれば大邱(テグ)に小さな家が1軒買える」「貯金をおろして5000円を送金した」「人力車で買い物に行くのが楽しみ」「思い切ってダイヤモンドを買った」などと書いていた。性奴隷にそんなことができるか?

     朝日新聞が慰安婦問題の大誤報を認め、安倍政権の長期化が確定的となったことで、左翼陣営も追い込まれているようだな。日本のみなさんも、彼らのウソにだまされないようにしてくれ。

     親愛なるみなさんと、日本と米国に神のご加護がありますように。

     では、また会おう!

     ■トニー・マラーノ 評論家。1949年生まれ。テキサス州在住のイタリア系米国人。

  • 神原 元(かんばら はじめ)は、日本の弁護士。レイシストしばき隊代理人。植村隆代理人。

    たまたまそのWikipedia を見ていたら、次のような記載があり。

    現在、削除の方針に従って、この項目の一部の版または全体を削除することが審議されています。
    削除についての議論は、削除依頼の依頼サブページで行われています。削除の議論中はこのお知らせを除去しないでください。

    (*特)神原元 - ノート[編集]
    以下の加筆が、出典からの引き写し。引用の要件を満たしていない。ケースB-1。また、記事主題の特筆性は「レイシストしばき隊の代理人」というただ一点に集約しており、独立項目の必要性があるのか疑問です。--Claw of Slime (talk) 2015年1月19日 (月) 13:05 (UTC)


    元朝日新聞記者植村隆の訴訟的会見での弁護士神原元のコメント

    “弁護団の方より若干補足させていただきます。

    植村さんの訴状は、本日東京地方裁判所に提出されました。被告は株式会社文藝春秋および東京基督教大学の西岡力さん、ということになります。

    裁判で植村さんは3つのことを求めていきます。インターネットからの西岡さんの論文の削除です。ふたつめは謝罪広告の掲載です、そして、損害賠償として1650万円の請求です。根拠は、捏造という記載が不法行為に該当します。現在170人の弁護士が代理人として植村さんを支援しております。

    他方、植村さんを攻撃している歴史修正主義者は他にもたくさんおります。私たち弁護士はこれからも次々と裁判を起こし、植村さんの名誉回復を図っていきたいと思います。”

    ところで
    しばき隊&植村隆氏の弁護士・神原元氏、青林堂に対する名誉棄損で告訴される... 神原氏「対抗措置としてこちらも刑事告訴する」
    てなことになっています。

    これに対し神原弁護士は
    ヘイトスピーチを垂れ流すヘイト出版社=青林堂が告訴状と題した文書を送ってきた。青林堂をヘイト出版社と呼んだことが名誉毀損罪なのだそうだ(笑)。警察署がこの文書をどう扱ったか不明だが、不受理か不起訴なら、「青林堂をヘイト出版社と呼んでよい」ということが公的に確定することになる(笑)
    2015年2月15日 18:08

    だそうです。

  • 正体見たり!!


               剥がされた仮面!!
         


                      人権とは、手段に過ぎない!!!



    2005年7月3日から11日まで、日本の人権NGO、反差別国際運動(IMADR・2005年当時の事務局長は武者小路公秀)の招聘により、国連人権委員会任命の特別報告者・ドゥドゥ・ディエン(セネガル国籍)が日本の人権状況の調査のため来日した。

    同報告者は各地の人権団体の案内でウトロ地区、被差別部落(大阪・西成区)、京都朝鮮中高級学校、部落解放同盟中央本部、北海道ウタリ協会、沖縄・嘉手納基地や、 名護市の普天間基地の代替施設建設予定地を訪問し、ヒアリングを中心とした9日間の調査を行った。

    同報告者は2006年1月に報告書を発表し、ウトロに関して「日本政府は、ウトロ住民と対話を始め、住民が植民地時代に日本の戦争遂行のための労働にかり出されてこの地に住まわされた事実に照らし、住民を強制立ち退きから保護し、居住権を保障する適切な措置を直ちにとるべきである」とした。

    (注)ウトロとは、北海道の地名ではなく、京都にある朝鮮人の集落。

    この国連人権委員会の勧告に強制力は無く、調査対象とされた多くの他国政府は勧告を無視している。日本政府も公式の反応を示していない。また、この報告書に関しては『産経新聞』が「調査をアレンジした武者小路公秀がピースおおさかの会長でもあり、金正日の思想を普及しようとするチュチェ思想国際研究所と関係の深い人物である」事実を挙げて、「日本に悪意を抱く人物が人権を武器として、国連を利用し日本に言いがかりをつけることがよくある」と言及している。

    この男がいわくつきの北朝鮮バカ武者小路公秀 ↓

  • 処刑直前

    1951年韓国保導連盟事件

    住民30万に以上を虐殺

    数十万人の韓国人が命からがら

    日本に密入国

  • 処刑準備完了


    1951年韓国保導連盟事件

    住民30万に以上を虐殺

    数十万人の韓国人が命からがら

    日本に密入国

  • 処刑準備完了


    1951年韓国保導連盟事件

    住民30万に以上を虐殺

    数十万人の韓国人が命からがら

    日本に密入国

  • 処刑直前

    1951年韓国保導連盟事件

    住民30万に以上を虐殺

    数十万人の韓国人が命からがら

    日本に密入国

  • 戦後日本の教育では、
    八田與一氏のような優れた技術者の功績を
    子供達は教わる事が無い・・・

    台湾元総統の李登輝氏のスピーチに有るように
    大規模ダムというハードウエアを建設するだけでなく
    それを維持管理し有機的に活用するための
    ソフトウエアまでも考案し、連日農業指導を行い

    三年輪作給水法によって全農民の稲作技術を向上させ
    農民にあまねく水の恩恵を与え、生産が共に増え、
    生活の向上ができて初めて工事の成功であると考えた
    八田與一氏の偉業は、
    日本人の子供達にとっても、大いに学ぶべき発想です。

    プロデューサーであり、脚本も手がけた
    台湾の魏徳聖(ウェイ・ダーション)氏は
    日本統治下の台湾原住民セデック族の抗日運動
    「霧社事件」を題材にした映画『セデック・バレ』も製作。

    日台の歴史の光も影も、事実を描いてこそ、
    『KANO』が問いかける台湾の人々の誇りが見えてくる。
    日教組の「人権教育」よりもずっと
    子供達の純粋な心に浸透すると思う。

    李登輝氏の
    「国家百年の大計に基づいて
     清貧に甘んじながら
     未来を背負って立つべき世代に対して、
     「人間いかに生きるべきか」という哲学や理念を
     八田氏は教えてくれたと思う」
    という言葉の重みを深く感じる・・・

    戦争中、フィリピンに向かう大洋丸に乗っていた
    八田氏はアメリカ潜水艦の魚雷攻撃に遭い沈没。

    奥様の八田外代樹さんはその三年後、
    敗戦後の台湾から日本人が一人残らず去らねばならず
    夫の遺した烏山頭ダムの放水口に身を投じて
    夫の後を追ったという・・・
    http://www.a-eda.net/asia/hatta1.html

  • ★戦前外地の高校野球
     http://www.koishikawaunit.net/shop/html/products/detail.php?product_id=8

    この映画「KANO」は
    甲子園の伝説の重要な鍵を握っている。
    嘉義農林学校に勝って3連覇した中京商業。

    この試合以降、
    甲子園で3連覇を果たした高校はないそうだ。
    日本にとっても、伝説の一戦である
    三連覇を掛けた中京商業と、正々堂々と互角に戦い
    『天下嘉義』と称賛されたKANOは、

     
     
     
     
     
    日本人が大好きな甲子園の精神に繋がっている。

  • ★八田与一の功績 
     李登輝講演より
     http://www.foster1.com/article/13982707.html

    (略)
    皆様に日本精神は何ぞやと、
    抽象論を掲げて説明するだけの実力を
    私は持っておりません。

    (司馬遼太郎の著書「台湾紀行」に“老台北”
     として登場する実業家の)
    蔡焜燦さんの書かれまし た「台湾人と日本精神」
    みたいな立派な本をもって説明することもできません。

    私としては日本の若い皆さんに、
    私が知っている具体的な人物や、その人の業績を説明し、
    これが日本精神の表れです、普遍的価値ですと
    説明した方が、皆さんにもわかりやすく、
    また、日本人としての誇りと偉大さを皆で習っていける
    と考えるものであります。

    台湾で最も愛される日本人の一人、
    八田與一について説明しましょう。

    八田與一といっても、
    日本では誰もピンとこないでしょうが、
    台湾では嘉義台南平野十五万町歩(一町歩はおよそ
    一ヘクタール)の農地と六十万人の農民から
    神のごとく祭られ、銅像が立てられ、ご夫妻の墓が造られ、
    毎年の命日は農民によりお祭りが行われています。

    彼が作った烏山頭ダムとともに永遠に台湾の人民から
    慕われ、その功績が称たたえられるでしょう。

    (中略)
    その時分では東洋一の灌漑土木工事として、
    十年の歳月と(当時のお金で)五千四百万円の予算で
    一九三〇年にこの事業を完成したときの八田氏は
    なんと、四十四歳の若さでありました。

    嘉南大の完成は世界の土木界に驚嘆と称賛の声を
    上げさせ、「嘉南大の父」として六十万の農民から
    畏敬の念に満ちた言葉で称えられました。
    (中略)

    八田與一氏は技術者として抜群に優れていた
    ばかりでなく、人間としても優れていました。
    肩書や人種、民族の違いによって差別しなかった
    のです。天性ともいえるかもしれませんが、
    これを育んだ金沢という土地、いや日本という国
    でなければかかる精神がなかったと思います。

    嘉南大の工事では十年間に百三十四人もの人が
    犠牲になりました。
    嘉南大完成後に殉工碑が建てられ、百三十四人の名前が
    台湾人、日本人の区別なく刻まれていました。

    (とても素晴らしいスピーチなので
     是非全文をリンク先でお読みください!)

  • そして、阪神ファンにはお馴染みの
    朴賢明 (林賢明)選手。

    彼は平壌高等普通学校出身で
    1938年の都市対抗代表選手として日本本土で投球、
    剛球が話題となり、大阪タイガースに入団した。

    彼らの出身校である
    大邱高等普通学校も平壌高等普通学校も
    日本人の子弟が入る官立中学校と並ぶ
    朝鮮人子弟のための官立中学校であり、
    旧制のエリート中学校(現在の男子高等学校)の
    一つだった。

    なんとまあ、映画『KANO』のお蔭で
    朝鮮併合時の野球やサッカーの歴史まで解っちゃう!
    それどころか、
    京城ゴルフ倶楽部在籍で、内地のTOPプロを招聘して
    育て上げた延徳春選手など
    http://www.jga.or.jp/jga/html/about_jga/vol76/sp2_2.html

    併合期の日本は、
    様々なスポーツ振興を実施していたのだ。
    ★朝鮮のスポーツ
    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9C%9D%E9%AE%AE%E3%81%AE%E3%82%B9%E3%83%9D%E3%83%BC%E3%83%84

    ★朝鮮のホームラン王
     http://blog.livedoor.jp/tkknrak/archives/31058581.html
    朝鮮の産業金融事情について
    元朝鮮殖産銀行公共金融課長
    金谷要作 p143~144


    余談になりますが、当時の京城には、
    鉄道局と逓信局と京城電気、それから殖銀と
    4つのチームがございました。

    このうちの優勝チームが朝鮮代表となって、
    神宮球場に出場することになっていたんです。
    (中略)

    殖銀の選手の中に李栄敏という朝鮮人の選手で、
    朝鮮のホームラン王といわれた人がおりました。
    小学生達でも、総督の名は知らなくても、
    李栄敏といえばみんな知っていたほどで、
    人気の的でございました。

    1928年6月10日紙<東亜日報>は、2面で
    “京城球場設立以来初めての大本塁打,
    延喜専門の李栄敏(イ・ヨンミン)君が
    塀を越えた”
    というタイトルと共に彼の写真を大きく載せている。

    あれあれ?
    創氏改名を強制されたはずの植民地朝鮮で
    朝鮮人初のホームラン記録者・李栄敏(イ・ヨンミン)君は
    当時の朝鮮人最大地主が創設した東亜日報でも
    本名の朝鮮名を名乗るヒーローだったようだ。

  • ★第十七回全國中等學校野球大會
     台灣代表 嘉義農林学校vs
     東海代表 中京商業学校を報じる朝日新聞
     http://ilha-formosa.org/?p=31790


    そうなのだ。
    韓国、北朝鮮では語られる事の無い甲子園出場。

    ★高校野球選手権 
     朝鮮・台湾・満州歴代出場校一覧
     http://www.sponichi.co.jp/baseball/highschool/data/summer/others.html

    そう、台湾のだけでなく
    釜山商業学校や、
    http://nekonote.jp/korea/old/fukei/so/dsn/1syogyo.html
    京城の私立善隣商業学校
    http://blogs.yahoo.co.jp/yosihei8jp/36857464.html
    京城公立商業学校や京城中学など、
    http://blogs.yahoo.co.jp/y294maself/32598676.html
    朝鮮の学校も甲子園を目指した。

    野球を楽しんだのは在留日本人ばかりで、
    支配下に置かれた奴隷扱いの朝鮮人には
    野球なんてやらせて貰えなかったnida・・・などと
    反論されそうだが
    実際は、併合時の朝鮮での野球史に残るのは
    1928年に朝鮮人で最初のホームランを打った
    李榮敏選手
     
    1905年に慶尚北道大邱で生まれ、
    大邱中学校、後の大邱高等普通学校出身。
    http://nekonote.jp/korea/old/fukei/tegu/koto-fgk.html

    当時からスポーツ万能だった彼は
    私立延禧専門学校(現延世大学)に進学し
    1924年に第5回全朝鮮サッカー大会でFWとして参戦、
    大邱チームを勝利に導いた。

    1935年には天皇杯全日本サッカー選手権大会にも
    出場している!

    本業の野球では背番号4番のエース。
    1924年朝鮮中学のドラフトのチームに選ばれ
    日本の宝塚 で招待試合に出場。

    1928年6月8日に開催された試合で、朝鮮人初の
    ホームランを記録した。
    会場は、1925年に建てられた京城運動場。

    李榮敏は、1929年、朝鮮の代表選手として大活躍し、
    1934年読売新聞社主催の米メジャーリーグの巡回試合に
    日本代表チーム14人のメンバーに選ばれ
    あの、沢村投手と共に出場しているんだよね。

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