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投稿コメント一覧 (10572コメント)

  • >>No. 7564

    m) 2万年前から、いや、1万年前でも孤立していたら日本固有種になってしまいますよ。外来種として認識されているのであれば、3千年前以内の渡来です
    そして、南方種が北にいて北方種が南にいる。北にいる南方種は、南方から弥生時代に稲と一緒に来たのです
    いい加減にあきらめなさい
    莫迦は諦めが悪いか?

    > > 無党派さんの言う南方種が、半島経由でない、と言い切れるにはデータが不足している、というのが私の考え

    > 半島には北方種がいる。日本では南西が北方種。東北が南方種。見事に二重構造

     それは南方種が北方種より「先に」日本列島に進入した事を示すが、その経路までは担保し得ない話。縄文人弥生人の渡来経路の問題と同じ構図

    > 南方種は中国南部にいる。したがって、弥生時代の稲作は南方から来た

     移住してきた時期その他が不明なのに、そんな事が言える筈もない

    > 北方では麦を食べるハツカネズミが繁殖した
    そのネズミは稲作とともに来たのではなく、古墳時代頃、頻繁に行われた韓国との通商の結果としてきたもの

     古墳時代でなく、弥生時代でもOK

    > 南方種と北方種の分布はそう考えるべき

     上記、渡来時期と経由地はいくらでも組み合わせがあり得る

    > 縄文時代にハツカネズミが居なかったと言う証拠もないが、北のほうにいるハツカネズミで北とも南とも決められない遺伝子が有るそうで、縄文時代のハツカネズミかもしれない。

     例えば新人とネアンやデニソワのように、ハツカネズミ祖先種から分化した別種だとか或いは野ネズミから遺伝子流動を受けたとか、可能性はいくらでもある。次世代シーケンサーでゲノムを網羅的にチェックすればそのあたりは判るでしょうが、何処まで解析したデータなのかが判断材料になる

    hn)イエネズミと称されるのは、ハツカネズミを含めて、クマネズミかドブネズミの3種類ぐらいでしょう。世界中どこにでもいるmusが日本には存在しなかった、というのは考え難い

    hn)野ネズミとの関係が問題になる

    > 世界中に居るといっても、氷河時代は今の熱帯、亜熱帯地方にしか居なかった
    氷河時代に体の小さなネズミがろくに餌もない状態で生きていられるはずがない

     2万年前の先島の崖葬(風葬)では、人骨がネズミ類に食害されていた。南九州にも種は不明だが、ネズミがいたことはまず間違いない

  • >>No. 7564

    (略)
    hn)岩波書店『科学』2017年6月号特集「よみがえる先史沖縄の人々」を昨日読破したが(略)、白保竿根田原洞穴遺跡を扱っていますが、その貝塚から出土した古人骨にネズミに噛まれたらしい痕が残され、また付近の貝塚からはネズミも発見されているそうです。残念ながらネズミの種類は記載していなかったが。で、古人骨の大部分は、2万年前以前⦅の⦆更新世のもので、琉球特有の崖葬(風葬)だったとされている

    m) いつまでも見苦しい言い訳を続けるでない
    http://www.nies.go.jp/biodiversity/invasive/DB/detail/10130.html
    によれば日本に棲むハツカネズミは全部外来種です
    自然分布はありません。絶滅したのもありません

    hn)無党派さん、「イエネズミ」3種全てが数千年前以前に日本列島に入っているのですよ。それは認識されておられますか⦅‽⦆

    > じゃあ、数千年前が6~7千年前に家ネズミとともにハツカネズミが入ってきても構わない。もちろん稲作とともに

     ハツカネズミも「野ネズミ」ではなく「家ネズミ」ですよ。
    分類上は他のクマネズミ属(rattus)2種(クマネズミ、ドブネズミ)よりも、野ネズミのヒメネズミなどとの関係が近く、ネズミ属(mus)同士で同祖関係にある

    > アンタはハツカネズミが氷河時代にも九州南部には居たと主張してんだよ
    ほんとに訳判らない反論をするくそな奴だなあ

     ハツカネズミが他のネズミ属といつ分化したかが問題になるが、或いは分岐前の祖先種がいた、という話になる可能性がある

    hn)無党派さん提示の表だけではそのようなことは不明
    どこに書いてありますか?

    m) 頭が悪いだけではなく目も悪いか

    hn)視力は確かに顕著に低下しつつあるが、頭の方はまあ、無党派さん程度でしょうね

    > 私と同じくらいなら、上記のような馬鹿なことはやらないだろう

     何が馬鹿な事?

    m) 日本列島の地図は全域が外来種を示すオレンジ色で染まっているでしょ?

    hn)そんな事を言えば日本人⦅全⦆部が外来種、という話になる

    > ハツカネズミが氷河時代から居たなら、在来種とはいえない

     これは「外来種」の間違いですね?

  • >>No. 7562

    > hn「アルタイ諸語と日本語との⦅関係⦆は、地理的に近い満州語が日本語にもっとも近く、モンゴル語が⦅次⦆ぎで、トルコ語が更にその次、という意味ですか?文意は逆に取れるので」

    > 「関係」について書いてませんね。似ているのは、と書いたはずです。似ているのは、その順です。地理的に近い順に似ている。あたりまえです。無関係です。語族と人間集団を同一視するのもナンセンスです。

     人間集団には必ず言語がある。それがどの語z句に関係するかは、集団同士の関係性の判断上、大きな要素です。同一視は出来ないが無縁と切り捨てることなどできる筈もない

    > 法学も言語学も語の厳密な解釈によって議論を組み立て行くので、直感で飛躍するのを突っつきたいだけです。ユーモアでもあれば救いがあるのだが、真面目くさって述べている。

     間違っていれば正せるところはその試みを行い、無理だと思えば害がなければ放置すればよいでしょう。唯間違いを拡散するのは問題なので、突っ込みを入れるのは、いろいろな意味でOKだと思いますが

    > 高句麗語を識りません。一般教養で朝鮮語研究者が「高句麗語は数語しか残ってないのに再建できるはずがない、日本語との関係についても同様」と言っていたのを覚えてるだけです。比較言語学を識らないので「ご教示」は勘弁w
    > ただ、つねりいれたいだけです。

     う~ん、日本語の基礎語彙と比較に供せるような当該言語の語彙を、いくつか出して戴けるとありがたいのですが。
     結構真面目に議論をしているのに、傍で茶化されるのは当人には勿論不愉快ですが、それが完全にずれている議論だ、と批判されての事であれば、受容します。
     しかしそうでなければ老師(嘘か本当か、モスレムと称されておられますが)とのやり取りも、まあ無視するしかありませんね

  • >>No. 7546

    (略)
    m)パプア人と縄文人の子孫であるアイヌとはかなりけいたいが違う。似ているところもあるけれど
    その周辺にもっと縄文人に近い遺伝子を持った人間がいるはずだよ
    自分たちでインドネシア領ニューギニアの低地人あたりの遺伝子を調査すべきだ

    hn) ネグリトを担当したのは斎藤氏の研究室だと著書にある

    m)ネグリトのゲノムを直接分析したの?
    データバンクから引用しているんじゃないの

    hn)詳細は不明ですがp47末からp48にかけて「また、われわれはフィリピンのルソン島に住むネグリト人にも、デニソワ人のゲノムがある程度伝わったことを最近発見している」と書いていますから、少なくとも一部は間違いなく、解析している筈

    m) データバンクのデータから見つけたんじゃないの?
    サンプル取りにフィリピンまで行ったの?
    それはともかく、デニソワ人の遺伝子がネグリトや縄文人にある事が判って、縄文人が南方から来た可能性が高くなったでしょ?
    未だ北だというの?

    hn)試料(おそらく血液)は別人が採取しても、その一部の提供を受けて、それぞれの技術を持つ研究者が、データを出す、というのが共同研究でよくあるパターンでしょう

    > 古代マリタ人の遺伝子とか、シベリア人遺伝子なども比較しているでしょ?
    そんな遺伝子検査できるわけもない
    データバンクのものでしょうよ

     両方あると思いますよ

    hn)デニソワ人は北方のデニソワ洞窟などで発見されており、その遺伝子の存在が南方系である証明にはならない事は当然の話

    > 北方にデニソワ人の遺伝子は残っていないので、4万年前の古代人に有ったとしても北にいたデニソワ人から北の人に注入されたとは考えられない

    ?「現在の」北方系モンゴロイドにデニソワ人由来遺伝子がないと言う事?
     それは西方から新しい集団が北方に入った可能性を示唆する者であり、南方系の北上一辺倒で、北方系モンゴロイドが形成されたものではない、という事実を証明する事になる。何しろ、東南アジアや華南ではデニソワ系遺伝子がパッチ上に存在する、とかいう報告があった

    > 縄文人は南からそれを持ってきた。そして大陸に移動して年月がたつうちに消えた
    日本でも消えた
    その遺伝子は南方では大量に残っていたから時間がたって薄くなっても未だ消えていない

     上記解釈は種々あり得る

  • >>No. 7529

    > > (略)
    > > m) しかし、外国の論文をあえて無視している日本の学者は困ったもの
    > >
    > > hn)そんな事はありませんよ
    > >
    > > > 総合研究大のHPを見ると、遺伝研と総合研究大とはかなり緊密な関係があるようですよ
    > >
    > >  総合研究大学院大学(略称、総研大)は、確かwikiにもありますが、文部省管轄下の国立大学の複数の共同利用研究所(各個別大学に設置されていない研究所)が、研究者養成のために設けた大学院の連合体のようなものです。三島の国立遺伝研、岡崎の国立生理学研究所、京都の国際日本文化研究センター、佐倉の無党派案が大嫌いな歴博、その他がそれぞれ、総研大の大学院を置いており、各研究所の専門に応じた専攻課程が置かれています。
    > >  まあ研究資金が潤沢では無いらしいのは、前に書いたことがありますが、その学長をしていたO君が名古屋での同窓会で、余裕のある人は寄付をしてください、と言った事でも見当が付きますが。(誰かが寄付をした、という話は今のところは聞いていません)
    >
    > 総研大のHPから遺伝研のHPに飛んでいけるバナーが貼ってありました。密接と言うのはそういう事です。

     総研大は、文科省の管轄の国立大学共同利用研究所の連合大学院ですから、当然その各専攻課程は各研究所に置かれます。で部長が教授を兼任する。各専攻から詳細を知ろうとすれば個々の研究所にばらさざるを得ない。総研大の大学本部のみ葉山にあるが、大学院キャンパスは各地の個別研究所と言う事になる。

  • >>No. 7528

    > > > 北と南では条件が違いますよ
    > >
    > > それもあるでしょうが、技術的な熟練度や研究環境の相違も大きい。
    > >  欧米の研究者のインドネシアの人類学者に対する批判が結構厳しいのは『ホモ・フロレシエンシス』(NHKブックス1112,1113)上下2巻を読んで感じたが、やはり植民地支配に対するインドネシア側の感情もあるようです。この点についてはインドネシアと協力している日本側研究者の発言もあった。馬場悠男氏や海部陽介氏はと東南アジアをも主な研究フィールドとしていた。
    > >  古代DNAは北欧系の研究者が先行し、アメリカや中国などが追尾し、日本は周回遅れの韓があったが、やっと神澤氏が核ゲノムの部分抽出に成功した。その状況下では北欧の研究者を忌避すれば、当七ジアの古代DNAのデータが得られないのも、当然でもあったように思われます
    >
    > 中国で見つかった8~12万年前の大量の人骨で遺伝子の抽出が出来ないのは状態が悪いからと言ってました。シベリアあたりで見つかった人骨だったら遺伝子抽出は出来たのでしょう。

     個々の人骨で状況は違うので、一概には言えないでしょうが、技術的側面も間違いなくあった。ホモ・フロレシエンシスの古代DNA抽出が2回も失敗したのはそのあたりが原因でしょう。
     古い石灰石のある洞穴などに何とか保存された古人骨が出土すれば、古代DNAも採れるかもしれません

  • >>No. 7489

    hn)無党派さんは私が斎藤氏が著書で書いている、とあれほど書き、どのページかも示したのに、それをろくに受け付けずに、篠田氏についてのみ執拗に言及した。
     御自分のことは、都合よく忘れられるのですね

    > 本を私が持っていない事を承知の上で、ページを示しても無意味な事がわかっていないわけ

     これについては前レスでコメントしました

    > 篠田氏も、斎藤氏の意見を受けてかどうかわからないがテレビの解説で「縄文人がどこから来たか判らなくなった」と行ったのは事実
    執拗にと言うが、あんたの方が執拗でしょ

     前から無党派さんは篠田氏に批判的でしたからね

    > 斎藤氏は縄文人がどこから来たか判らないと言いながら、系統樹を描いてますよ
    縄文人より先に分岐したのはパプア人
    パプア人はシベリアから来たんですか?
    少なくとも5万年前にはあそこに居たんですよ
    そして動いた形跡はない。縄文人もその直後くらいにパプア人と同じところから分岐した

     さて、無党派さんが誤読した系統樹を書いた斎藤或いは神澤氏は、無党派さんと同じような理解はしていないことをきちんとまず認識する事

    > 縄文人はパプア人と同じところから来たと考えるのが常識でしょう

     で、そのような認識を専門家の誰一人として共有されていないことを、先ず受容してください。
     それでご自分の系統樹の見方が間違っているのでは?と思われないのであれば、最早矯正不能のカルト・セクト脳に認定せざるを得ない

    > それから、黒竜江流域の遺跡は日本の研究者は1万年前から1万3千年前と見積もっている。
    1万5千年前の土器というのは間違いでしょう

     私が読んだのは当然日本の研究者の本のみですよ。稀に外国の研究者が寄稿している物もあるが。で大貫和夫氏は東大教授ですが、ひょっとしてロシア人だったのですか?

    > とにかく、1万年以上前の炭素年代は校正不能ですから

     何の為にAS炭素年代の標準曲線を世界中の研究者が集まって、決定していると考えておられるかお聞きしたい。
     字数不足と同じことの繰り返しなので以下の部分へのレスは省略しますが、研究者は無党派さんの考え付くようなことは全て織り込み済み。本を読めばきちんと書いていますよ。古木効果や海洋リザーヴァ効果、或いは統計手法の問題とかもね。それを研究者が考えていないと先験的に決めつける莫迦

  • >>No. 7489

    (略)
    > だから、篠田氏も「縄文人がどこから来たか判らなくなった。」と言っていることが判ったでしょ

     そんな事は篠田氏の昨年の著書を読んだことで判っていますよ。
     取り敢えず多くの点で、保留にしていることは、その著書から読み取れる

    m) 縄文人から分岐して突然変異で大きな変化をした中国人(北方モンゴロイド)が南下して、南方で南方モンゴロイドと交わって、今の東南アジア人が出来た
    だから、東南アジア人でさえ、縄文人の後から分岐したと言う図になっている

    hn)無党派さんの図の理解がオカシイと何度も言っているのに、未だ理解できない

    m) あんたの理解は不思議
    どのように縄文人が生まれ、日本人が生まれたか、自分なりに系統樹を書けますか?
    書いた事もないんでしょうな。あんたの頭では書けないだろう

    hn)残念ながら、私は昔から源平の系図に興味を持っていましたのでね。織田や松平・徳川氏等、多くの系図を書いたりしていた。趣味でね。でその延長上に系統樹がある
    西洋型の本人から祖先を全員書きこむ日本式の系図とは異なったpedigreeの書き方などは、むしろ医師としての家族歴の必要上からも実践していた
    無党派さんは、本当に他分野の専門家や他人を評価するのが低すぎる

    m)正しい系統樹を書くなら中国人と交わっていない先住民をボルネオの山中かどこかで探して比較する事だね。フィリピンのネグリトでもいいよ。Y-D2を持っているから

    hn) 必要なゲノム解析が終わっていれば当然比較していますよ。おそらく徳永氏の図に挙げられているネグリト集団は、解析対象に入っているでしょう

    hn)斎藤氏の前掲著を読んだ限りでは行われていると考えられるので、以後の部分へのレスは省略

    m) あんたは人が示した証拠さえ全く見ない語論をするには不適な人間
    源平の系図だけ調べてりゃいい。

    hn)無党派⦅さん⦆は私が斎藤氏が著書で書いている、とあれほど書き、どのページかも示したのに、それをろくに受け付けずに、篠田氏についてのみ執拗に言及した
     御自分のことは、都合よく忘れられるのですね

    > 本を私が持っていない事を承知の上で、ページを示しても無意味な事がわかっていないわけ

     きちんと裏を取る努力をすれば、私の言っていることが嘘でない、という証拠を無党派さんやこのトピを見ている人に示す為ですよ

  • >>No. 7488

    m) 北は間違いなく不利になった
    考古学的事実からもLGMに北は人は居なく、縄文人があちゃらから来た可能性はない

    hn)考古学者がそんな事を認めている筈もない。例によって無党派さの主観的?願望?による思い込み

    > 願望で言っているのではない。日本人がどこから来ようと、縄文人がどこから来ようと、私はうれしいとかの感情はない
    あんたは北から来た事にするとうれしいんだろう。万世一系論だから

     別にうれしい云々は関係ない。私が、掲示板登場の少し前まで南方系論者だったことはお忘れか?科学的データに従うのみ

    > 私はむしろ、天から降ってきたと言う説が照明できるならこんなにうれしい事はない
    だが、学問的にはありえないこと
    私はオバカな学者と違って、下手な思い込みがない分、正しく判断できる

     「思い込みがない」=「基礎致死Kがない」と読み替えて判断する事が出来ない、気の毒な人で自己の客観視が出来ない

    > 縄文人は船を操って日本全土を回遊していた
    これは照明できているし、北方人のやる事ではない

     あれ?ここで何故「北方人のやる事ではない」といきなり結論を出すのかがわからない。こういうのを「先験的思い込み」と批判しているのですがね

    > 日本より遥かに遅れているあちらには日本から行ったと考えるのは、常識のある人なら自然でしょう
    あんたは常識がないから、地から天に向かって雨が降る、みたいな妄想を未だに続けている
    日本の莫迦学者も同じ
    莫迦は死ななきゃ直らないよ
    あんたは死んでも直らない

     御自分が論理を飛躍させて、北方人は船に乗らないとか航海しないとか先験的に決めつけて、それを認めずに批判すれば、罵詈雑言。どうしようもない。
     無党派さんのお嫌いな海部陽介氏が中心になったらしい『科学』2017年9月号(岩波書店)特集「海原を駆けた旧石器人」に掲載された多くの論考を見れば勉強になるでしょう。神津島へ黒曜石を取りに航海した縄文人は、ひょっとしたら北方系の海獣の獣皮を使用した「皮船」で航海していたかも?という研究者がいる。それなりに説得力がある。丸木舟その他が当時利用できなかった可能性を示している。

  • >>No. 7488

    略) m)北周りから南回りに転換するのはこれまで書いてきた著書を否定する事になるから、転換できないだけと言う事が読めない奴は低 脳

    hn)自分が勝手に思い込んだことを既定事実として議論を組み立て、それを指摘されても認められないような人間には抑々科学的議論をする素質があるかが問題になる

    m) あんたには科学的議論をする素質が無い事は明らかになっている

    hn)それは無党派さんでしょう。著者の意図と反した論文?の?読み方がどれだけあるやら

    m) 本人の意図に関わらず、データを読めば違う解釈ができる

    hn)その分野についての基礎的知識すら持たなかったり、それを学ぼうとする態度が無くては、単なる妄想でしかない

    > 出鱈目な思い込みによっている基礎知識などないほうがいい

     その「出鱈目な思い込み」という事自体、まともに判断されていない、学習していないことの現れ

    > 多分、斉藤氏あたりは、出鱈目な思い込みによっている基礎知識で、縄文人の核ゲノム解析で縄文人は北から来た事を照明できると期待していたのに、北から来た事は照明できず、北の人間は縄文人より後から生まれた事が照明されてしまった
    したがってどこから来たのか判らなくなった、と言わざるを得なくなったの
    そして、縄文人こそ北方系モンゴロイドの祖先に近い位置に居る事がわかった
    データから読み取れるのはそういうこと
    莫迦はデータが読めない

     無党派さんは想像のみだが、私は斎藤氏が尾本研究室出身根井正利氏の所に留学していた事もあり、この二人が「現代日本人」の形質の殆どが、「現代北方系モンゴロイド」のものと同じであり、従って日本人は北方系モンゴロイドに属すると、一昔前のタンパク質による分子人類学的データから、主張していた事も知っている。齋藤氏がだから無党派さんのような心理だった可能性は考えなかったわけではないが、国際競争の厳しい中でそのような師説を重視する研究態度が理系では、もう許されない状況だ、と考えているから、言葉通りに受け取った。一方、埴原氏と同じ形態学を専門とする海部陽介氏は当然縄文人南方起源説の系譜上の人間だが、この前の縄文人も「胴長短足」だというデータを出している。ここでもデータを重視し、師説とは一線を画す姿勢がある。齋藤氏も同じ事。無党派さんは自説に都合よく斎藤氏と海部氏の姿勢を解釈している

  • >>No. 7481

    (略)
    hn)これに彼のほぼ縄文人との置換説に近い渡来系弥生人の超大量渡来説を組み合わせると、尾本恵市氏や根井正利氏らの分子人類学者が出した、現代日本人⦅の⦆形質の大半は、北方系モンゴロイドだとする説と整合する

    hn)N9bとか,Gとか実際にそのようなmtDNAが存在するからですよ

    m) それらは日本から行った物ということで確定
    日本のもののほうが古いから

    hn)また無党派さん⦅の⦆「解釈」のみ

    m)オッペンハイマーの説ですよ

     あのY-D系統の移動経路図は、確かにS.Oppenheimerのものであり、彼の沿岸航海民先行移住説(これ自体は正しいと私も思う)に基づくが、mtDNAや核ゲノムの解釈は、無党派さんお希望的解釈が入っているでしょう。 Oppenheimerの『人類の足跡10万年全史』は高著だが、その後判明したデータは膨大だし、彼がまとまった著作を出した、という情報もない(あっても翻訳されていないだけかもしれないが、そうだとすると出版社が売れないと判断したことになるか、内容に懸念を持ったか、になる

  • >>No. 7481

    (略)
    hn)松本秀雄氏のデータは古典的な意味(学史上の意味)があるが、彼は基本的には法医学者で人類学界にそう大きな影響力は無いでしょう。長谷部言人、鈴木尚、埴原和郎、馬場悠男、尾本恵市、斎藤成也各氏と言った東大理学部人類学科の流れが大きな影響力を持つ。で国立遺伝学研究所は比較的京大系の研究者が木村資生以来宝来聡氏など残ったが今は何れも故人
     松本氏は大阪医大と言う私学の出身で無党派さんの考えるような閥的影響力は無い
    飽く迄もそのデータの衝撃力による

    hn)ついでに言えば、松本氏は大阪医大の学長になり、京大系の教授を駆逐するのに功績があった。今は京大出身の大阪医大教授は殆ど居ない

    m) 読んだわけではないけれど、その書評では、篠田氏はその著その中で「バイカル湖のブリヤートと日本の縄文人のmtDNAが一致した」と述べており、松本氏の「日本人バイカル湖起源説」に毒されていた可能性が大

    hn)この松本氏の説に飛びついたのが、埴原和郎氏だったと考古学者の田中良之氏が書いている。渡来系弥生人がシベリアから満州辺りから来たとした

    > 埴原氏は「単一の遺伝子では起源を語ることなど出来ない。縄文人の南方的形質が、そんなものGm遺伝子で説明できるものではない。」と憤っていた
    田中良之氏はガセネタをばら撒いているのでは

     そうではなく、考古学者ではあるが、おそらく人類学会にも出ていたらしいので、田中氏はそのあたりを良く知っているのでしょう。単一遺伝子や遺伝子群(連鎖する)で、決定的な子tが言えない事ぐらいはいくら形態学専攻とは言え、人類学者の埴原氏には当然わかっている。同じ事な松本秀雄氏も当然理解しているが、眼前のデータを解釈して何らかの結論を出す(仮説段階だが)というのは、人類学者のみならずどのような科学者でも考える事。実際に埴原氏の2重構造論でも、根幹をなす部分は専門の骨などの形態学だった

    > 弥生人がシベリア、満州あたりから(半島経由で)来たと言うのは、埴原氏の初めからの説。馬鹿じゃないの?

     埴原氏がいわば師説である長谷部・鈴木両氏の縄文人、というか日本人列島内小進化説を捨てて混血説に転じ、2重構造説を出したのは師説がどうにも矛盾だらけで成立し得ないから。東大系の人類学者(分子人類学派を除く)の中堅や若手は皆転向を考えていたのでしょうね

  • >>No. 30019

    > >  10戸50人だと、村さえ成立するかも、怪しいですよ。
    > >  帥升等が,AD200年の100年ほど前に、後漢に献上した生口は160人でした。
    > > asiさんの計算だと小国3ヶ国の全人口を上回る、という話になってしまう。
    > >  まあ、私は、この人数は、帥升等が敵対する東鯷人側の小国を滅ぼして、その中から生口を選択した(当然老幼、⦅障碍者⦆は避ける。戦後であれば障碍者も多かったでしょう)という説なので、九州島内で小国が滅亡した事はある意味共通認識でしょうが
    >
    > 後漢書の東鯷人というのが九州の近いところにあったのかどうか、疑問ではありますが、こうした人口過疎状態からして、帥升の生口160人という記述がいかに過大なものであるかが分かりますね。
                    
     実際に160人献上した、という事実を認めれば、当時の日本列島の人口が鬼頭推計のように少ないことはない、と判ります。
     東鯷人は南九州以外に比定することは困難であり、それを認めれば、邪馬台国は南九州ではありえないことになります

  • >>No. 30015

    > 熊襲を人種として見れば球磨の人という事も可能でしょう。
    >
    > 神武は宇佐や岡の港にも立ち寄っていますから、諸勢力の集まりで東征したのでしょう。
    > 広島、岡山の人も加わったでしょうね。

     そう思います。
     「くま」人は、要するに「肥」人であり、肥前は考えにくいので、高麗の律令制下の「肥後国」即ち熊本県下の種族であった、というのは私も採っています。これに隼人も参加し、ヤマ族と言う中心種族の名称が、連合部族の総称となった。実は聖王のゲルマン民族の大移動時の例ですが、イタリアを征服したランゴバルド(ロンバルド)族には、直前に居たパンのニアの属州民や撃破したゲピード属の他、サクソン(ザクセン)族なども参加していた。しかし建国された王国名は、ランゴバルド(ろんばるど)王国です。神武の場合も同じ類推が可能です

  • >>No. 30013

    > 倭人伝では、卑弥呼が死んだあと男王が擁立され、この男王即位をめぐって騒乱となり、千人が戦死するという騒動となりました。
    > まあ、双方合わせて千人ということでしょう。
    > 話半分としても500人の戦死でしょうね。
    > 鬼頭宏の人口推計からしますと、この5百人~千人程度の戦死とは1国がなくなるほどの騒乱ですね。
    > ですので、男王即位をめぐる騒乱は、相当に激しい戦いだったとみるのがよいのでしょう。
    > 邪馬台国し狗奴国との戦いで人口を減らしていますから、この騒乱でまた人口を減らしたとすれば、邪馬台国が衰退していくのが理解しやすいということになりますね。
    >                  (^^)

     ちょっとした騒乱で、1000人規模の死者が出るような、大きな人口規模だった、と考えるべきでしょうね

  • >>No. 30012

    > >「ヒメ」も「とよ」も上代以前の人名の一部あるいは呼称、敬称としては、極めてありふれています。

    > はぁ?
    > 「最高位の女性」はいつの世も一人ですが?
    > 今の最高位の女性は美智子皇后ですね?

     これもOKです

    > 美智子という名前が日本に沢山いるからと言って美智子皇后は最高位ではないと言ってるのと同じ理屈ですよ。

     ssnさんは、「美智子」という名が、或る家系図に一人しか見えないから、その他の家系での「美智子」と宇那谷「道子、美知子、路子・・・」と言った類似名の同時代同世代の人がいない、と言っているようなものです
    ・各豪族や或いは王族の系図がすべての人名を漏らさず間違いなく記載している、という前提を基得るべくもない古代では、当然脱漏、重複などもあり得ると考えるべきで、絶対視は無理です

    > 崇神4世紀前半なら3世紀の「最高位のトヨ」は一人しかいません、いい加減認めてください。
    >
    >
    > >まあ、この議論は何時まで経っても平行線のようですね。
    >
    > いえいえい平行線ではないです。
    > 私の言ってる事が正しいのです。
    > あなたは分かっていながらわざと無視してるだけです。
    > ssnk216のやつが大手柄を立てるのではないかと邪魔しようとしてるだけです。

     いやそれはありませんよ。
     中国史書の読み方が間違っている、と単純に考えるからですよ。
     卑弥呼は未婚で子がいなかった、と

  • >>No. 29998

    > >  で奈良時代と言うよりも,AD600年後rの列島の人口が600万人超で、AD200年を何因と推測するか?です。この400年間の移民は殆ど計算しないとすれば、小山・鬼頭集計は少なすぎる。
    >
    > 鬼頭宏の推計では、
    > 奈良時代(725年) 北九州34万人 南九州23万人
    > 弥生時代(200年)   4・1万人   6・5万人
    > となっています。
    >
    > 縄文時代から弥生時代まで一貫して南九州の人口が多かったのが、500年後に南北の人口は逆転して北九州の人口が多くなっています。
    > これは、奈良に成立した大連合政権による社会構造の変化や、渡来者の定着による人口増などが逆転の理由でしょう。
    > この500年で北九州の人口は、200年時点の約9倍になっています。
    > 30万人増えた勘定ですが、単純に1年間の増加数をみますと、1年で600人の増加です。
    > 200年から100年後の3世紀前半では、6000人の増加で、卑弥呼の頃の北九州は約5万人程度とみなせます。
    > 人口増加は一定の水準を超えると可及的に増えますから、古墳時代に入って農耕具や管理的な生産が進みますから、増加率はもう少し上がるのではないでしょうか。
    > 3世紀前半ころで北九州人口5万人は、妥当ではないでしょうか。

     古代における高い乳幼児死亡率を考えると、古墳時代に入ってのかなり甘めな人口増加を見積もっても、2世紀代の列島の人口を鬼頭水系のように低く見積もるのは無理だと思います。まあ、人口推計を低く見積もれば見積もる程、人口論な立場からは邪馬台国近畿説が有利になるので、私はそれでもOKですが

  • >>No. 33429

    > >  そういう意味ではなく、これはおそらく、弥生時代早期(あるいは縄文時代晩期)の半島からの移住者が、威信財としての「青銅器」などを持って日本に移住するような人々ではなかった、という意味ではないかと思います。要するに半島での支配層ではない人々が、初期の移住者だった、という意味ではないでしょうか?
    >
    > 宮本氏がいう夜臼Ⅰ式期には水田稲作はまだ九州を出ていませんので、その時期の九州の中で特別な血縁集団の成立を示すような遺物はみられない、と言っているのが李亨源という方の論なのではないでしょうか。
    > 青銅器は、弥生前期後半でも、まだ舶来していないようですしね。
    >                   

     その李氏ですが、当然彼はとっくに青銅器時代に入っている半島では、当然氏族制度は存在している、と考えているのでしょう。日本列島の弥生時代以前に半島は既に青銅器時代であり、その彼らの移民が氏族のような血縁集団組織を、末端の成員と言えども知らない筈もないでしょう。唯、氏族間あるいは氏族成員間の「身分・階層/階級差」がまだ存在しなかったか、考古遺物に反映する段階ではなかった、という認識でしょう

  • >>No. 33427

    > >  尚、中国っ史書が必ず姓(あるいは氏族名)と名を認識した場合には、分離して記載する、とは限ら⦅ない⦆と思います。むしろ名のみを⦅記載⦆している例はあるように思われます。
    >
    > 隋書でも、裴(世)清は、一度姓と名を書いたあとは、清と名だけで通していますね。
    >                  ∩∩

     中国人お名については宋でしょうが、例えば匈奴の単于一族の諸王に「日逐王比」などと有ったりします。これなどはどうもアルタイ系の名前らしくは無く、中国風の一字名を称していたか、中国向けに創傷していたか、中国側の記載のみで本人はあずかり知らなかったのかが不明ですが、何れにしろ匈奴単于家の一族ですから、屠客部の攣鞮(虚連題)氏である事は判っている。だから省略した、と言う事でしょう。
     是から考えると、国姓である「倭」などが初めから省略されている可能性が倭人御場合でもあり得る。

  • >>No. 33425

    > >  古田武彦氏が、「壹與」の「壹」を後代の倭の五王の国姓である「倭」と同じだとした説がありますね。私は古田説を取りませんが。
    > >  載斯烏越については、これで1人とするのが適当なように思われます。実は私は「烏」は「倭」に通じ、『三国史記』に現れる「烏」をその観点から解釈したりしていますので、本当はasiさんのように、二人に分けて、「烏」越は「倭」という姓を称していたのだ!、と言いたいのですが・・・
    >
    > 邪馬壹国を山ノ一国だと主張する古田武彦が、壹與を壹氏の娘の與とせずに、壹国を一番忠誠心を持つ国だとし、壹氏という存在を想定していないのは、何か不徹底の感がします。
    > 壹氏が統治するのが邪馬壹国だとなぜ主張しなかったのでしょうかね。
    > 壹=倭としたとすれば、古田武彦は邪馬壹国が東遷したという考えを持っていたということになりますね。
    >                   ∩∩

     というより、飽く迄も九州王朝が宗家で、その分家が大和朝廷だ、邪馬台国も博多湾岸だ、という主張です。で、九州王朝=邪馬台国が滅亡したのは白村江の敗戦による、とする。それまでは大和は九州王朝の支配下の一国だ、とする。だから倭の5王は卑弥呼や壹與と同系もしくはその王位を継いだ、と考える

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