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投稿コメント一覧 (11860コメント)

  • 2018/05/26 00:05

    >>No. 42928

    > hn「そのH.erectusの資料を世界で最も多く持っているのが、科博の海部陽介氏なのですよ。その彼が、新人の東南アジア進出の証拠となる遺跡の確実な年代は、北周りとほぼ同じだ、つまり5万年前前後、としているのは、Y-D1bの北周りでの列島進入を現段階で否定できないと、私が考える大きな理由になっています」。

    > 海部は「4 万 8000 ~ 4 万 5000 年前」と書いている。都合よく時を遡らせたり解釈したりしてはいけない。

     「2000年」程の差だよ。で、海部氏監修の著書には、オーストラリアへの新人て移住時期が、どんどん遅くなっており、5万年前以降となっていることも記載されていたので、そう書いたのだ

    > その頃にはy-K2やK2a、NOが北回りの途上にいたのは確実だ。ウスチ・イシム人もいた。
    >
    > 古人骨がシベリアはおろか、中国でも見つからないy-Dを想定するのは「大胆な仮説」を通り越して、ファンタジーでしかない。

     要するに、縄文人おY-DNAで、間違いなくY-D1Bが多数派だと思われるのだが、一方で日本人は北方系との遺伝子共有度が高い。で、旧石器時代、縄文時代草創期までに日本列島に入ったY-DNAを想定すれば,Y-NO*、Y-C1a1とこのY-D1Bが候補になる。Y-NO*は北方経由でOKとして,Y-C1a1が貝文土器人で南方系だとすると、Y-D1bが北方系になっていないとつじつまが合わない。
     科博の展示では、縄文人は日本列島に入る前から、オーストロ・メラネシアンと混血していた可能性がある、とされているとの話が合った。
     ファンタジーではない科学的推定の領分だよ

    > D1bは大陸の現代人にも見つかっていないのだ。ミャンマー北上ルートを取ったにしても、D1aはいるのにD1bが見つからないのは変だ。

    > したがって、D1bは海岸ルートを通り、その道は海底に沈んでいると考えるのが普通だ。

  • >>No. 42926

    > フィリピンの先史時代はウィキよれば
    > トマス・インジコを主著者としてフランスの自然史博物館による2018年の調査は、今日、更新世として知られている時期に631,000〜777,000年前のフィリピンの最初のホモ種の到着を押し戻す。これは、いくつかの年代測定技術を用いて行われた解析の結果、Kalingaのサイトで発掘されたままである。
    > フィリピンのホモサピエンスの文化は50千年前から始まり、同じような石器が2500年前に金属器が入ってくるまで使われていたという。
    > つまり、日本で弥生時代が始まった頃、フィリピンにも金属器が齎された。台湾でも同じ事が起きている。呉越戦争の影響が、日本、台湾、フィリピンでも同時期に見られるという事だろう。
    > 又、1万年以上前に、フィリピンから台湾に人が渡ったらしいことも記載がある。
    >
    > 言語の話もあるが、AN語は7千年以上前に流入したのではないかと言う記述がある。
    > フィリピン全域にあまたある少数民族も含めてAN語がいきわたっているから、相当に古い時代からの言語なのだろうと。
    > 色々と矛盾があるけれど、総合的にみれば、台湾仮説は否定だね
    > 語族論莫迦は、語族の形成は6千年前以後だから、AN語はそれより遅い4千年前になると言った、白人優位の言語学に洗脳されて、出鱈目をホザイテイルに過ぎない。
    > もちろん、出台湾語説を唱えた馬鹿豪州学者は白人優位主義に囚われていのだろう。
    >
    > 白人どもは、言語が東南アジアで生まれたことや、自分たちがアボリジニの子孫である事が受け入れられない。それは自分たちが、かってアボリジニを獣のごとく狩って惨殺して楽しんだ過去があるという記憶のせいだろう。

     前にBeckwiseだったかが、南島祖語が8千年前に存在した可能性がある、と言っている、という説を紹介済みだが、おそらくお忘れでしょうね。
     無用はさんは、自分い都合のよい旧説をお好みのようだから

  • 2018/05/25 23:35

    >>No. 42914

    > https://zh.wikipedia.org/wiki/%E4%B8%8A%E5%B1%B1%E9%81%97%E5%9D%80
    > 中国長江下流域で河姆渡遺跡より古い水田の痕跡が見つかったそうだ。
    > 倉田のり説は破綻しているね。

     2001年とか2004年のニュースしかhitしなかった。
    河姆渡遺跡より2千年ぐらい古いとか、或いは、1万2千年前のイネ(栽培種❓)の可能性があるとか、書いてあるが、何れにしろ、倉田氏やHuangらの論文は、2012年で、当然この情報は判っている筈。で、農耕の起源に関して論じられている最近の宮本氏の本などでも、或いは、『季刊考古学』の旧石器縄文移行期特集号の中国のイネについて触れた論考でも、出て来ない。
     何故無視~軽視されているのかは不明だが

  • >>No. 42912

    m)それなら、日本語もAN語に分類されており、東南アジアと言語を共通にしていて問題があるまい

    > >  それが既に無党派さんの勝手な「解釈」。本当にすぐ人の論旨を誤解する人だ。まあ、引用した著者達の論旨とは異なるご自分の説の根拠にその論文をしてしまう驚異の誤読力の持ち主らしいとは言えるが

    > あんたの方が間違っているんだから、私の解釈でいいんだよ

     まず「学界の定義」とは異なった「御自分のみの勝手な定義」で、全ての研究者や他人の研究や論旨を「解釈」する。通常、こういうのは「誤解」「誤読」というが、「御自分が正しいから、「これで良いのだ」と仰る。将に「バカボンのパパ」としか言いようがない。せめてこのトピを覗いた方々が誤解しないようにするのが最低限お礼儀だと私は思うが、おそらく「それでよいのだ」とお考えなのでしょうね

    m) 様々な語彙が同じだよ
    イモもインドネシアと同源なのはあんたも認めていた
    保食神神話もハイヌウェレ神話との共通性は認めているはずだ
    それなのに頑なに日本語と東南アジアの言語は全く違うと否定し続けるのは頭がおかしいとしか言いようが無い
    >
    > >  だから、「語族」の定義が違う、と言う事を無党派さんは理解していない。「語彙」だけではなく、文法の共通性が必要。文法とは、語順等可変的なものは殆ど根拠にならない。そういう論点を理解できないのか、理解しようとされないのが無党派さん。語彙に関しては、ユーラシア祖語や世界祖語もあり得る、というのgは私の立場
     神話なども文化の一環であり、借用が効く、という立場

     更に「日本と東南アジアの言語は全く違う」と否定し続けている、というのも、間違いでしょうが。東南アジアの有力言語である南アジア語族の話者が、山東あたりで「アルタイ化されて」、混合言語としての「日本語族」(日琉祖語)が成立し、それが朝鮮半島を経由して、日本列島に入った、というのが私の仮説

    > 語族分類は意味がない。6千年前からの話だから

     だからこそ意味がある

    > 縄文人もアボリジニも1万5千年前から言葉はしゃべっていただろう
    それらの言語を論じているのだよ
    あんたは語族分類して、縄文人は言語を持っていなかった、なんて結論出すつもりか?
    あほが

     縄文人の言語など何の資料もない。「不明で有る物は不明だと素直に認める事

  • >>No. 42912

    hn)アウトオブ台湾は,AN語族であり、問題にしているのはAA語族

    m) ずっとAAもANも同源として話してきたのに、あんたは一向にに理解しようとしない

    hn)?私は、「アウストリック大語族」として、最低限AA語族とAN語族の同源性は認めていますよ。その中から、諸語族が分岐する年代はまた別の議論になり得るが、無党派さんは勝手に誤解し、勝手にご自分の前提で、両者の分岐年代を決めて、文句を垂れ流しているのですよ

    > 語族なんて6千年前以後に形成されたというクズ説だろ?

     現実的な文献資料などから、比較言語学で、ほぼ定説だとされた見解。要するに比較言語学的手法で、「同系」が証明される「限界」年代。ただし、方法論の進歩その他でも変わり得るし、又分岐年代の推定も生物科学、特に遺伝学で発達した手法の導入で、その祖語の推定年代等が推測されっるようになり、遡及しつつある

    > そんなクズ説は意味がない

     上記。言語学的方法論が全て無意味であるならば、抑々言語学など成立し得ない。
    暴論

    > 日本では少なくとも1万3千年前には農耕が行われていたし、南米では1万4千年前に農業が始まっている
    これら、農耕開始の原点がどこかにあるはず
    南米に早期の農耕を齎したのはベリンジアではあり得ない
    まだ、発掘が充分に進んでいず、火山のせいで遺跡が埋もれてしまっているサフルランドやスンダランドがその原点にあるだろうと推測するのは自然な話

     全部推測のみで、全く証拠がない。農耕や牧畜などの生業を含めた文化と言語の拡散は当然、言語学者や考古学者は視野に入れているが、それでも「証拠」が必要。
     印欧語族の起源や拡散についてのマリア・ギンブタスの「クルガン仮説」やレンフルーノ「アナトリア仮説」は有名だが、いずれも考古学が専門だった。で人類学や遺伝学がそれなりの根拠を提示している

  • >>No. 42909

    (略)
    hn)アウトオブ台湾は,AN語族であり、問題にしているのはAA語族

    m)ずっとAAもANも同源として話してきたのに、あんたは一向にに理解しようとしない

    > >  私,dos氏の議論の前提である共通の比較言語学の定義における音韻対応の法則とか、或いは語族の分類と定義、それらについての異論(例えばアルタイ語族が成立するか否かのアルタイストと非アルタイストの存在)は貴方とは共有できないから横レスしない事

    > 言語を細分して違うものだと決め付けるのはオカシイ

     それと私とdos氏の議論の内容と何も直接的関係はない話。横レスで無駄な労力と時間を費やさせるだけ。どうしても看過できないと思って横レスするのであれば、第3者が相手になるわけだから、その人々に判るように書き込めばよいが、そういう書き込みにはなっていない

    > 女性性器の表現や臍、蜜など、世界中に同源の言葉が見られる
    出鱈目説で同意しあってオナって居る事には反対しなければならない

     dos氏とは異なり、私は世界祖語もユーラシア祖語も、「語彙に関しては」認める立場。単に自分のおかしな定義で誤読して横レスをっ付けるのは無用

  • >>No. 42908

    > > > 中国語で白田は確かにあるけれど、「畑」という意味では無い。
    > > > 普通に「田」の事。
    > > > 翻訳すると「田畑」と出る。
    > >
    > >  要するに「畑」つまり水田ではない「陸田」という意味だ、と言う事ですね
    >
    > 田畑が、水田ではない「陸田」を意味するとはこれいかに。
    > 頭がおかしいんでは

     翻訳がおかしいのに、ヒトの頭がおかしいと即断しては駄目ですよ。
     本来中国絵は「田」が方形の区画上の陸田だったという語源を踏まえれば、わかるでしょう。で、黄河流域で成立した漢字や漢語が、長江流域の事物にも適用される時点で、語義の拡張や転義、或いは意味分化が生じる。

  • >>No. 42906

    (略)
    m)ムンダ語もAN語だよ。南から行ったものだ

    hn)勝手に言語学上の術語の定義を変えない事

    m)私の説と同じ事を言っている学者も居る。少数派でもそちらが正しい

    hn) 聞いたことがない。無党派さんの捏造でないのなら、その研究者の名をご教示ください

    > >  結局その研究者の名を提示できないわけですね?

     つまり、言語学者で、「ムンダ諸語が南島語族に属する」と言っている「少数の言語学者」なるものは「いない」という事が確認された、と受け取っておきます

    (中略)

    m) 私が十数年前に考えた事が次々に証明されて行っている
    私には証明する能力はないけれど、直観力は抜群
    私が、学者だったら、もっと早く真実が明らかになっただろうね。
    科学は直感によって進歩してきた

     何度も同じ自慢をされるが、繰り返し言っているように、全てとは言わないが、殆どが誤解に基づくもの。無党派さんおおっしゃる通りであれば、あっさりそのお説が定説的なものになっているが、現段階でも少数説が関の山である事は、とりあえず、「現状認識」として認める事。それさえできないのでは、科学的議論さえできない

     以下も繰り返しなので、先を急ぐから、レスは省略するが、何れ同じ話というか、反論を蒸し返してくると思われるので、その時に時間が出来れば、又反論します

  • >>No. 42905

    m) 私の出したのは畿内説を否定するものだけ

    > > だから近畿説を必死になって否定しようとする。しかもその論拠は非科学的で政治的陰謀論が主。だから九州説の可能性を低下させた

    m)畿内説が成り立たない事を証明すれば必然的に九州説になるというもの
    箸墓が4世紀末以降になることは証明した

    > > 証明されていないし、箸墓より古い古墳もある。纏向から出た桃の種の年代も2世紀後半~3世紀前半に収まった

    > 畿内の弥生時代に新羅伽耶陶質土器が出ている。新羅や伽耶が建国されたのは4世紀半ばだからね
      箸墓より古い墓があっても、弥生時代のものじゃない。古墳時代だから、4世紀半ばより古くはならない
      だから、畿内は無理

     新羅も伽耶もその母体はずっと前に存在している。勝手な建国論は駄目

    > どうしても本土側に持ってきたければ、愛知県にデモするんだね
    愛知県には鉄器も結構沢山あるよ
    九州には及ばないけれどね

     だから畿内の鉄の不在が説明できない。鉄がないのに大きな土木工事が行われていたことになる。この説明が必要

    m) 九州説が正しいのだから、それを偏見という事は出来ないよ

    hn) それが偏見」ですよ

    m) 畿内教カルト信者は正しいものが偏見に見えるらしいね

    > > 「九州説が正しい」という前提を立てて、全てを解釈するから「偏見」なのですよ

    > 畿内説はインチキであることは散々証明した

     未証明

    > だから九州がただしいことになるのは必然だろ

     未証明なのに、九州説に決定できる筈もない

    (中略)

    > 陵墓参考地を発掘したら畿内に邪馬台国は無かったと言う証拠が出るだけ

     希望的観測。しかしぼちぼち一つぐらい発掘して、どちらかにでも決着すべき時期だとは思う

    m)九州の発掘には文科省予算が付かなくて、ボランティアが細々と発掘しているだけ
    > > 九州でも陵墓参考地にされている古墳もあるよ

    > >  上記

    > 畿内説にだけ金が出ているのは事実

     九州でも金が出ていることは事実

  • >>No. 42905

    m) 狂った頭では私の出した証拠は九州説を否定するものと見えたのかね?
    九州の証拠など私は出していない

    > > 九州説を証明する考古学的証拠など出せないから

    > 纏向遺跡は住居がない
    住人の居なかった場所を邪馬台国の首都とするには無理があろう
    古墳築造時期と、纏向祭祀が行われた時期とも年代蜂は違うんだよ
    解っているか?
    > マキムクは祭祀場だった。東夷伝に記された高句麗の東明祭に良く似ているそうだ

     さて、先ず「祭祀場」がある以上、その祭祀を行った「主体」が当然存在する。まさか獣や幽霊が祭ったわけではないでしょう。でその住居が近くに無いのであれば、それだけでもあれだけ大規模な祭祀施設を建設できる「主体」は当然、小国家の段階ではない。戸数数万戸の大国と考えるべき

    > 高句麗が魏によって追われたときに、日本に流れ込んだ敗残兵が、日本で高句麗式の祭祀を行ったと解釈される。高句麗が魏によって討たれたのは三世紀後半だ

     その「高栗敗残兵」という妄想はもう捨てたら?敗残兵があっさり国家を建設できるような状況が当時の日本列島にはない。馬にも乗れない騎馬民族など、海で死ぬぐらいが落ち

    > 日本に来て祭祀を行うようになるには50年以上の日時を必要としただろう
    その祭祀が突然終わりを告げ、纏向遺跡内で古墳の築造が始まる
    何らかの政変が起きたのだろう
    しかし、纏向遺跡は墓場になったに過ぎない。相変わらず住居はないから

     推測以外に何も証拠がない。出発点が妄想だから

    > 考古学的証拠は吉野ヶ里。倭人伝に記された倭國の記述にソックリ
    畿内説の馬鹿学者は吉野ヶ里を2世紀のものと断じているが、箸墓が4世紀後半になれば、吉野ヶ里も4世紀くらいまで繰り下がる

     なるほど。それで箸墓は4世紀だt主張していた魂胆が分かった

    > 中国皇帝から授与された金印も九州から出土しているだろ

     これは又偽物説が出て来た。今度のは結構根拠がしっかりしているという話ですが。
     私も真印せつなのですが・・・

    > 他にも九州のほうが鉄器の出土数は奈良県を圧倒している

     そう。これが東遷説を1~2割残している理由

    > 弥生時代における奈良県の鉄器出土はゼロにちかい
    古墳時代初期になってようやく鉄器が増えだす

     古墳時代は3世紀ですよ

  • >>No. 10183

    (略)
    m)サフルランドやスンダランドではアラフラ海を自由に航行していたし、農耕も行っていた。イモ栽培がその典型。世界各地にハイヌウェレ型神話がある事はイモ栽培と一緒に言語が拡散した証拠でもある
    イモを栽培していたインドネシアあたりで既に言語が発達していたからこそ、この神話が世界にある。言語なしに神話が伝わる事もありえないから
    ニューギニア島では4万年前の石刃からイモ澱粉が検出されている
    そういうことが理解できない輩は馬鹿と言うしかない

    > > > > 無党派さんの挙げた上記個々の事実の内,怪しいものが多々あるが、一応それを認めたとして、そういうことを理解した上で、尚且つ現存の「語族」という言語集団が形成された時期が、そのような時期とはもっとずっと後代である可能性を認識できない人は、馬鹿だと言われても仕方がない

    > > > AN語台湾起源説なんてのが通説化するくらい、文系学問の言語学はトンデモなんだよ

    > >  それがとんでもないどころか、科学的言説だと理解できずに、御自分⦅の⦆トンデモ説を前提に、先験的根拠とする非科学的議論をされても納得できる筈もない

    > > > あんたはトンデモを信じちゃう典型的文化系の阿保

    > >  と、ご自分のみが真理判定者だと思い込む非科学的妄想ぶりを発揮されても、説得力はないのは当然

    > 東京の小学校にアイヌの子供が数人転校してきたらその小学校全体がアイヌ語になってしまったと言うくらい、台湾語説は出鱈目なんだ。
    > 何処が科学的だというのだ。文系脳が。

     まともに「アウトオブ台湾説」の事すら知らないで、頭から拒絶するその態度こそが、問題だと何度も言っているのですが、理解できない?
     変な比喩、特に政治的な比喩を持ち出さずに、科学的議論を心掛けましょう。
     ところで、ハイヌヴェレ神話が、前記吉成氏の本によると、台湾の高砂族にはないそうです。

     難とか1週間遅れまで回復したかったが無理そうなので、今日はこれから他トピや他掲示板にレスします

  • >>No. 10182

    m) 現代みたいにテレビが流行語を作る事でもない限り、北海道の「そだねー」が流行することもない

    > >  現代の⦅事象は⦆、民族誌的な部分以外は、古代史の推定には殆ど無意味

    m) 言語は人間が定住し、農耕、採集、漁労など地域による産物の物々交換が行われるようになって発達したものと思われ、そういう生活が一番最初に起こった場所はスンダランドとサフルランド

    > >  前半はOKだが、スンダランドで仮に根栽培農耕文化が起源したとしても、他地域の別な農耕文明の栽培植物~穀物を中心とした文明や文化を基本として成立した語族や大語族にまで、それを無制限に拡張する事は出来ない。
     その位は文明の起源の一元説論者の無党派さんでも理解できる筈だが。
     前にすべての文明はエジプトから、を主張する「過伝播論」の話をした記憶があるが、勿論、その節は定説にはなり得なかった。確か早稲田大学だったかの西村真二‽氏だったかが紹介していたのを、昔読んだ記憶があり、この日本史板でも紹介したと思う

    m)10万年前などアフリカで農耕など起こりえないし、定住もない。物々交換もない

    > >  上記。スンダランドが中東より定住が先だったと言う証拠も勿論ない。無党派さんの推測は証拠にはならない

    > クズ説信奉カルト信者。早く消えろ。

     最後は誹謗中傷か罵詈雑言で終わる。実質的敗北宣言と認定

  • >>No. 10182

    略)
    m) 低文化、少数が、多数の高分化人の言語を変えることなど出来ないのは常識
    ホッテントットがイギリスに行って英語を作ったと言うくらい、AN語台湾起源説はインチキな話なんだよ
    だれがなんと言おうと、そんなインチキを信じるのは非常識

    hn) 10万年前の話をするとして、10万年前のコイ・サン語族の祖先集団と、欧州のネアンデルターツ人の文化的水準が問題なのに、「近代の」コイ・サン語族の文化的水準の話を持ち出して論ずるような、ピント外れの論拠を持ち出されてっもねえ。そちらの方が非常識でしょうが

    m) ピント外れはそっち
      東南アジアが4000年前に無住の地でなければ台湾から出た少数人間が言語に大きく関わることなどありえない

    > > 東南アジア島嶼部は低文化であり、又オセアニアは無人地域が⦅広範⦆に存在した

    > 無人地域が存在したならそちらだけに適用シナ。東南アジア全体には適用できない
    クズ説をいつまでも主張するでない

     現在の定説を「クズ」説呼ばわりするほうが非常識。勿論、定説には当然少数説があり、その論法は一定の根拠がある。吉成直樹氏の『琉球王権と太陽の王』が甘さに少数説を採用しており、定説との相違について説明しているので、何れ「日本語の起源」トピで紹介する。しかし、定説にしても少数説にしてもそれなりの根拠がないと仮説足り得ないのはどの分野でも同じ。その「根拠」を先験的に否定して、誹謗中傷する態度は非科学的。それだけは理解してほしいものだが、左翼カルト(セクト)脳では、無理かもしれない

  • >>No. 10181

    m) 同じ時期にベトナムで南方モンゴロイドと北方モンゴロイドの二重構造が出来たと、考古学が証明している
    年代を勝手に動かす事は古気象学からも許されないんだよ

    > > > >  上記

     前レスで補足説明しましたが、環境の変化に伴っての人や穀物その他の移住は、一時期に絞られるものではない事、一方向のみでもないことがわかっています。南下のみがあったわけではない

    > > > あんたが長江文明と言っているものは、農耕、文字、金属器を持つものが文明と言う定義に合わない

    > >  昔の「四大文明論」を持ち出してもねえ。それこそ考古学の成果を無視する物。文字でしか頼れない文献史学とは異なる長所がある

    > > > 日本の弥生時代が文明と言わないのは文字がないから
    稲作をもって金属器や文字を持たない長江文化を文明というなら、日本の縄文も文明だ

    > >  縄文文明論者もいる

    > じゃあ、あんたも縄文文明と言えよ

     私は保留している。日本人だから「木の文明だ」とか言って「石の文明」と対比したいところだが、客観性がまだ担保できないと考えるから

    > > > 四川文明の文字ははっきりしないが、解読されたいないだけのようだ
    三千年前に始まった中南米の文明は四川文明の影響を受けて成立しているからね

    > >  憶測

    > 自分の意見にあわないものは何でも憶測とか未証明とかで否定しちゃう

     中南米の文明が、視線文明の影響を受けた、等と一体誰が証明したのですか?
     証拠もなければ「憶測」としか言いようがないでしょうが

    > あんたとは議論できない。
    もうレスくれるな。

     私も無党派さんとは科学的議論が成立しない場合が多いと考えているので,dos氏辺りに任せて、よそに行きたいところだが、余りにも不見識な事を投稿されているので、横レスを付けざるを得ない。
     その役目をdos氏が引き受けてくれるなら、不毛なやり取りはしたいとは勿論私も思わない

  • >>No. 10181

    略)
    hn)(略)焼畑農耕を選択した集団が、オーストロ・タイ語族から分離し、それが台湾に渡って、南島語族になったとか、いろいろ可能性はある。で、タイ・カダイ語族は水稲農耕を選択した、とかね。尤も、三国時代の呉の領域に居た「山越」などが、どちらを選択していたかは、私は知らないが。この山越が、タイ系である事はまず間違いない

    m) 水稲稲作は、ベトナム以下インドネシアまで3500年前には、中国から南下した人々により伝わっている

    hn)それが南アジア語族のY-O1b(旧O2)集団。更に彼らの後から、南島語族と同じY-O1a集団であるタイ・カダイ語族が西進・南下する。但し両者の移動の時期はもう少しそれぞれ年代が早くなる可能性はある

    m) それで何を期待しているの?

    hn) 期待?歴史的事実としての両語族の移動時期の話

    m) 事実じゃない。あんたがよく言う殷周革命(寒冷化)で北方民族が南下を始めた事と中国南部の人間(水耕稲作)が南下したのとは無関係ではない。長江流域で、やや黄河から遅れて四川文明が始まったのもこのため

     その前の温暖期に、長江流域から黄河南縁迄稲作が北上した事とか、或いは黄河流域から逆にアワ(粟)が長江流域に伝播したとか、いろいろな考古学的事実がある。それらすべてを踏まえて議論すべき。華北の古いイネの存在をどう考えるか?によっては、考古学者宮本一夫氏のような温帯に野生イネが存在したという考えでさえ出て来る

    hn) 中国文明が黄河文明のみならず、長江文明をも含むことは、常識でしょうが。蜀の文明は、長江文明の流れの上にある。黄河流域から,Y-O2(旧O3)系諸語族ーTB語族,ミャオ・ヤオ語族、それに漢語集団が南下し始めた時期は、それぞれ同時期ではない。殷周革命後は特に漢語集団の影響が強まったが、楚が漢語であったかも含めr、未だ未知の部分がある

    m) 同じ時期にベトナムで南方モンゴロイドと北方モンゴロイドの二重構造が出来たと、考古学が証明している
    年代を勝手に動かす事は古気象学からも許されないんだよ

     上記、御自分の仮説に都合のよい遺跡のみを論じない事。

  • >>No. 10162

    m)マリタ遺跡の年代も見直しが入ろうとしている。日本の縄文時代より遅い可能性が出てきた

    hn)花粉分析その他での環境復元や、遺物の年代測定で、実年代が判明するのは結構な事
     ついでに、オーストラリアへの移住年代がスンダランドへの新人移住時期の目安とされているが、それがどんどん新しい年代になっているという。最近では5万年前以降とも

    > > > マリタ遺跡が日本の縄文時代より遅いのなら、細石刃があちらから日本に来たという説はもはや成り立たない
    マリタ人は15千年前以降にあそこに行ったことになる

    > >  だから、その証拠がない、と言っている。年代確定は⦅必要⦆だが、自分で勘違いしたりしての話は⦅アウト⦆。きちんと修正が入ってからならOK

    > マリタ人が日本から行ったとは言っていないよ

     当然でしょう

    > 氷河時代が終わる頃、人の移動が活発になる。その時代の移動だろう

     氷河期が終われば、環境が変わるから、いろいろな現象が起こる。しかし氷河期にヒトの活動がなかったわけではない。最低限それを理解した上で考える事

    > アメリンドより遅いから、アメリンドに影響を与えた可能性も無い

     マリタ1号は骨からDNAが採取できたのだから、当然骨からコラーゲンは採取できたはず。で炭素14年代が出せる筈。その情報がないようだが、不思議

  • >>No. 10162

    m) シベリアが人口過密地帯だった事は人類史上一度だってない
    一方、南部は今でも過密だよね
    天候が激変したり、地形が変わったりすることは度々起きている。その都度、食料不足で外へ人を出さなければならない圧力が生まれるんさ
    わかんないかなあ

    hn)分かったうえで、議論しているし、引用する無党派さんのおっしゃる「莫迦」学者だって、それは皆前提にしたうえでの議論。無党派さんは花粉分析や遺跡などの考古学的データや、人類学的データを踏まえた専門家の議論を、恣意的に否定していたり、独自の解釈をしているのですよ

    m) 解っていない馬鹿学者だよ

    hn)花粉分析その他で、古シベリアの環境もそれなりの精度で復元されているし、沿海地方やアムール川流域もそう。それを提示されても受け付けずに、北には住めない、の一点張り。どこが「賢明」なの?

    m) 日本から石器が渡っているのに何で日本から行った事にならないの?

    hn)日本から石器が渡っていた、という考古学的証拠がないからでしょうが

    > > > 黒曜石は白頭山からとれるという話だから綿密に調査しなければならないが、姶良石はどうするんだ?
    考古学的証拠だろう

    > >  そう。考古学者は日本列島から言っている者は黒曜石その他きちんと認めているし、大陸由来のものも、同様に認めている。「前提」を先に立てているのは無党派さん

    > だから、姶良石は日本から行ったんだろ?
    日本よりはるかに少ない遺跡に日本のものがあったら、人も日本から行ったと考えるのが当然だろ?

     日本との「交流」は認められる。石器素材としての黒曜石は珍重されるし、産地分析でどこ由来かも決定できる。それらを踏まえた上での石器の型式論や製作技法との関連で、大陸からの渡来が主張されている

  • >>No. 10160

    (略)
    m)だから、旧石器時代も日本からあちらに行ったんだよ。日本のほうが圧倒的に旧石器時代の遺跡も多い

    hn) 日本から行った人もいるのは、黒曜石の流れから当然の話。向こうから来た人もいる事も、細石器の流れなどから当然の話

    m) マリタ遺跡の年代は見直されるよ。新しいほうにね
    分子時計から見ておかしいし、あの象牙の女神像なんて妙に写実的で2万年以上前の物とは思えない

    hn) 希望的観測

    > > > 分子時計がマリタ人は古くない事を示しているんだよ

    > > 要するに古代DNAの出た古人骨の年代測定(コラーゲンを使用する)とかが、新しく出た、というのであれば、当然年代修正される筈だが、まだ出ていない。マリタ1号のY-Rの分岐の推定年代の話なの?

    > > > 遺伝研の発表した図を見な。縄文人より遅く分岐している

    > > あの系統樹は「縄文人の祖先」の分岐がMA1の祖先より古い、と読めるがその縄文人の祖先が「何時」分岐したのかは書いていない。旧石器時代人が、日本列島に3万8千年前に入り、縄文人になったのであれば、MA-1の生存年代とは矛盾しない。勿論ん、その旧石器時代人自体が、既にアジアの他の集団と更に列島に入る以前⦅に⦆分岐していたのである事も十分考えられる
     そのぐらいの事がすぐに読み取れないのでは全くどうしようもないが、まさか、「分子時計が云々」はこの系統図が根拠だった、というわけではないでしょうね?
     恥ずかし過ぎるそんな間違いはないとは思うが

    > Y-D1bの分岐は分子時計によれば18千年前。もっと遅くなる可能性もある

     ?その論法だと,Y-D1祖型から,D1a,D1bが分岐したのが、1万8千年前という論法になる。遅すぎる。まあそれを採用すれば,Y-D1bが北回りの可能性が高くならざるを得ないから、私はそれでもかまわないが、一方で日本列島に旧石器時代人のY-DNAが問題になる。dos氏の言うように、北方系でY-NO系(この場合にはおそらくY-NO*になるのか?)あたりになってしまう。Y-C1a1を北方経由とする考えもあり得るが、私としては貝文土器人と考えているが、旧石器時代の南方系であった可能性はあり得る。
     いずれにしろY-D1Bが1万8千年前、というのは遅すぎる
    > マリタ人は15千年前以降だろうね。

  • >>No. 10159

    m)そのころニジェールでようやくイモ栽培と稲栽培が始まる
      サトイモ類はもっと遅く、マダガスカル経由でモザンビーク、アンゴラからサトイモ類栽培が始まった
    こっちには稲は伝わっていない。

    > > さて、アフリカ独自の栽培穀物(広義)としての「ソルガム」つまり、「もろこし」あるいはコーリャンでも同じだが、が、少なくとも5千年前以前に、栽培化されたことは、漸くお認めになった?北部アフリカなどにもすぐ伝播したとされているから、起源地での栽培化は、私の見込みでは、6千年前には遡る

    > 6千年前でも体勢は変わらない
    アジアでは既に農耕が始まっていたのだから、アジアから行った人がそれを見つけて栽培を始めた

     その「アジアから行った」が、西ジアの新石器時代人を指すのであれば,OKだが、スンダランドからのもっと遅い時代の移住者を指すのであれば、ソルガムとは結びつきようがない。いずれにしろ、アイアから(広く言えば、出アフリカ集団のアフリカへの逆流)は、基本的に東ユーラシアにはいないY-E集団が主体であり、ずっと後の南島語族のマダガスカル進出などの時代の話ではない。

  • >>No. 10159

    (略)
    m)日本の新石器時代は13千年前。サトイモもヤムイモも同時に入って来ただろう

    > > 芋が考古学的に年代が出されていないのが私も不思議に思っている。岡正雄以来の「根栽培農耕」論は、結構日本でも有力学説だったと思うのだが、その後のフォローが無いように思われる。縄文農耕論者など、飛びつきそうなものだが、

    > イモの年代がはっきりしないのは、イモはプラントオパールも骨も無いから残り難いから

     石器の使用痕分析などと同じ手法で、付着スタデンプンなどの解析とか何らかの手段はありそうに思えるし、実際に磨盤や磨棒などでの粉食との関連での報告はある

    > 放浪生活をしていたアフリカ人がイモ栽培をするはずは無い

     それは古い時代の東南アジアでも同じことだが、先ず「採集」から始まるはず。広義の芋類(根茎類以外の茎や根などに蓄えられた栄養分を摂取できる植物をも含む)など、何処にでもあり得るから、それらが育ち得ない極寒帯とか砂漠地帯を除けば、当然食糧源として採集の対象にはなり得た筈

    > 砂漠やサバンナでサトイモ類は育たないし、氷河時代に南アフリカ方面では寒かっただろうから自生していたとも考えられない

     南アフリカは仮に寒帯だった(吐は考えにくいが)としても中央アフリカや東アフリカなどの熱帯・亜熱帯域(寒い高地は除く)では当然、東南アジアとは条件はそう変わらない筈

    m)中東レバントでは1万年前に農耕やイモ栽培が始まる

    > > その前に定住や神殿建築などが存在し、西アジアでは、農耕、というか栽培以前に祭祀などが先行して、新石器時代が始まった、というのが、現代の西アジア考古学の潮流だ、というのは、既に紹介した

    > 氷河時代は砂漠が今より広がっていた
    氷河時代が終わってからの話、すなわち1万年前にしか農耕は出来ない

     であれば、農耕は氷河期が終わってから、気候、環境の「予測性」が確実になってから、農耕(栽培)が一気に拡散した、という中川毅氏の考えともほぼ一致する
     1万年前よりは早いだろうが

    m) エジプトを除くアフリカは5千年前にようやく新石器時代になる。これも通説

    > > いずれも破綻しているのでしょうね。中東については上記

     東アフリカのソルガム栽培は5千年前には既に成立しており、直ちに周辺に拡散している。おそらく栽培自体は6千年前には始まっていただろう

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