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投稿コメント一覧 (14520コメント)

  • >>No. 38286

    しかしまあ


    アクエリオン とか
    エヴァ とか
    まどマギ とか

    スロやる人とは縁遠い題材な気がするけど

  • >>No. 38278

    久しぶりにアクエリオン見てるんだけど

    3人のヒトが心と体と魂を合体させて
    3機の戦闘機が合体して
    戦闘ロボットになる

    合体はすごーく気持ちいー

    とか

    美しさを求めるのは本物じゃない

    とか

    何かと今のワシは興味を惹かれるものがある

  • いっちまんねん と にせんねん まえから

    あっ いっ しっ てっ るうーーー🎶

    https://youtu.be/h2M929WArfI

  • >>No. 38127

    百足を喰ったばっかりに・・・のさきが気になるぅ~(@@;)

  • >>No. 38127

    > 原始宗教の風習が残る国々や昔の日本で、本当の名前を知られると相手(や悪霊)に支配されるから本当の名前を隠す、とかいう話を聞いて、ガラクタ扱いされがちな箱根彫刻の森の『座ることを拒否する椅子』を連想します。ツンデレ椅子でした。

    ごめん、いすと「本当の名前」の関連がわからない。。。

    > エンデに名前がないモノに名付け生命を与えるという言霊信仰のような童話があって、エンデ自身が『それぞれ名付けられたものは、それがあたかもそれだけで存在するかのように、名がない全体から切り離される。それは、 いわば"必要な罪業"だが、しかし、そうしなければ、人は世界と向かい合えない。』
    > 単純に「はじめに言葉あり」から来てるんだと思いますが、エンデのは【逆言霊信仰】なんだろうか、ラベリングを怖いと思っていないのか、とか。

    エンデは「モモ」以外「果てしない物語」しか読んでいないのだけど
    果てしない物語もあまり内容を覚えてないけど、「名前」はとても大事なファクターでしたな。
    「ソウしなければ、ヒトは世界と向かい合えない」というところ、じいさまを連想するね。

    > 7年前にカシさんは「理解し合うのは恐ろしいことだ。分かりたいとは征服したい支配したいということだから。」と書いてました。


    恐ろしいなんて言ってた?
    (*´∀`*)
    7年たった今では
    理解し合うなんてさ、無理って思うだよ。

  • >>No. 38158

    ”ごきげんようおひさしぶり”ってすごいんだね。

    てか必要があってそうなってんだよね。。

    あんなに忌み嫌われている生きものに人類が救いを求める日が来るのかしらん。

  • >>No. 37980

    > >ワシは今は分けてる。
    > そして、そこに親切心を載せるときもある という感じかなー。

    > うん。

    > 言われていることわかると思います。

    > ・・が、

    > 「そして、そこに親切心を載せるときもある という感じかなー。」

    > ごめん。

    > 「そして、そこに」の「そこに」って分けてもなお時に処世術としての親切にこころ(親切心)をのせるときもある、つ~話ですか?

    親切心を載せる っていうか
    親切心も同時にある という感じかな。

  • >>No. 37979

    わかめのおひたしか。

    生わかめって買ったことないけど食べてみたくなったよ。
    今度スーパーにあるか見てみよう。

  • >>No. 37978

    > >で、件のお方は「嫌われてもいい」というのは本心ではないように見える ということだ。

    > ああ。私は一回ぐらいならそっか、と何気に思うけれど繰り返されると立ち止まっちゃうところがあるんだよね。
    > で、立ち止まると考え始めるみたいなところがある。

    あ。そんな何回もいってるデスか。
    それは知らなかった。

    > 些細なことなんだけれどもね。なんで繰り返し言う(表現する、意識に上らせる)のだろうかとか。

    > 本心かどうかはわからないのだけれど、繰り返し「嫌われてもいい」という必要?があるのだろうなと。

    些細なこと。そだね。でもあまり繰り返し発せられると違和感あるかも。

    > ただ、やっぱり嫌われてもいいと思う人は、いちいち言ったりもしないような気がしてはいるんだ。
    > ただ、嫌われるだけだから。そしてその現実を受け入れるだけだから。

    そう思う。

    > >この間、強制的にアドラー心理学を使う人の講演聴かされたんだ。
    > アドラー本体寄りも、それを運用するヒトというか運用の仕方がスキじゃないだけカモだけど。
    > なんかこう上っ面というか、表面的に考え方を変えようとするというか
    > 答えを先に教える感じがして。

    > 「強制的」に?(笑)

    うん。学校の説明会に行ったらそこのスクールカウンセラーの先生の講演がもれなく付いて来た。
    PTAの講演会とかはほぼ行かないのだ。

    > アドラーというとどうも最近はコーチングという言葉が連想されて(何故かは深く考えていないけれど。)
    > きっとわかりやすくてダイレクトに見えるからかもしれないけれど
    > コーチング・・・って面白いしなんか感動的(なんか心を充電する)なんだけれど、
    > 「答えを先に教える」というよりも「答えを先に用意している」という感じがするんだよね。

    そう。わかりやすいんだろうね。。。
    ワシには全然わからなかったけど(*´∀`*)

    そうか。答えが用意されているんだな。
    それ、ワシにとっては「答えを先におしえる」のと同じだ。

  • >>No. 37973

    つばちゃん
    おこんばんは~

    風がゴーゴー吹いて
    三匹の子豚の気分です。

    お花が咲いてきたねえ。
    赤、白、紫、黄色って、それ仏花の色じゃないか(*´∀`*)

    ワスレナグサ、去年のやつ生き残って咲いてるわ。
    みこちゃん とワスレナグサはセットだね うん。

    >たださ、ここが今一引っかかるのだけれど、救われたいと思うことをあきらめることが救いである、というのはやっぱりなんか変な感じがするんだよね。

    >だから、知るうちに救われたいという気持ちがなくなるというのが正しいのではないかと。

    >救われたい、救われたいというのは欲望であって満たされることが無いうちは消滅しない。
    けれど、知ることで欲望自体がわかなくなれば、餓えることもないし満たされる必要もない。

    「知るうちに」というのは、何を知るのん?

    >・・・あ~~。仏教って徹底的に現生利益追求なのかもしれないとふと。

    現世利益って?

  • >>No. 37959

    >自分ひとりの悟るための乗り物は小さな小乗(大乗仏教からの蔑称で、当時の修行と学究を中心とした仏道を上座部と呼びます)で、民衆救済も含めた大きな乗り物である大乗運動が起こりました。

    なるほど!

    大きな乗り物だから 大乗なのか スッキリした。ありがとうございます。

  • >>No. 37935

    ぷるばん。

    何この犬かわいい。

  • >>No. 37936

    パニーチェさん
    おばんでやす。 朝、挨拶忘れて失礼つかまつりました。

    さっきレス書いたのだけど時間かかりすぎて消えてしまった~へこむ。


    > > どうやって体得するデスか。。それを??と思ってしまう。

    > 禅宗では坐禅ですが、看話禅(臨済禅)とか黙照禅(曹洞宗)とか坐禅の方法が宗派によって異なります。
    > 密教(真言宗)では阿字観とか月輪観があり、天台宗では小止観や摩訶止観、日蓮宗は唱題、浄土系では称名などなどです。
    > 禅宗では作務と言われる掃除や日常の労務の最中に悟りを得ることも多いみたいです。

    うーむ。
    「悟り」を得る。
    理と一体化する、自分がなくなる というのは
    つまりは日常の自分とはあんまり関係ない のかな。
    お坊さんじゃなくて普通の人でも悟ることはある という話もあるけれど
    それも、日常的にずっとじゃなくて一時的なモノなんだな。


    > > ココのとこは今の時点ワシにはちょっとわからない感じ。

    > 諸法無我とか空というのは無自性のことです。
    > 無自性とはこの世界のありとあらゆるモノや出来事には単体では実体がないという教えです。
    > 二つ以上のものが連関することによって(相依性縁起)その関係性上にモノやコトが生じる。

    > 病気になったとしても、これを受け止め、前向きに明るく寿命を全うしようとする人もいれば、健康体であった時の身体と比べて(その時の身体に執着して)苦悩から逃れられない人もいる。

    > 病気とそれを観ずる自己との関係性の上に苦が楽が生じているということであり、病気という単体のものに苦はないというような意味です。
    > 喜怒哀楽の感情が理由もなく生じないのと同じで、何かの対象とそれを観ずる心との関係性上に生じるのが感情(心の状態)みたない話です。

    自己と関係性の上に生じた苦。

    実際に苦しいわけじゃなくて、関係性の上で湧いてきたものだ というようなことですか?

  • >>No. 38165

    しかし、天国のスレ主を教えてもらえなかったことに
    マージャンさんはずいぶん執着しているようですな(^Д^)

  • >>No. 38164

    あと、ぷるりんの話はおもちろいフィクションが多分に含まれるので
    自己責任で楽しむコトをお勧めします。

  • >>No. 38146

    まー、マージャンさんの話(出会いの場面)はほぼ嘘なんでヨロピク

    >数ヶ月前に久しぶりに閲覧した時、知らないうちにツバメさんとメゴチ氏が仲良くなっていて軽く驚きました。
    あの御二人が質問回答質問回答質問の無限ループから抜け出せたとは。

    その後、つばちゃんはムエに粘着されることになったのである。まる。

  • 馬助とか、元気なんだろうか。。。

    淡竹の季節がやってきます

  • >>No. 37937

    > 食べてみないと味が分からないように悟りは体験(体得)しかいと確信に至らず、苦が消滅することはないようですね。
    > ↓
    > 食べてみないと味が分からないように悟りは体験(体得)しないと(無我の)確信に至らず、(私=自分=個我の)苦が消滅することはないようですね。

    ・・・そうなんですね。

    その体験をしている間は無我の境地になれる ということなのか。
    答えを先に知ってしまうけれど
    ヒトとしてその答えの状態になれる というわけではないということか。

  • >>No. 37934

    翔鶴さん
    おはよござります。

    「馬は土曜に青ざめる」は、多分読んだことがない。。。
    いうて、ワシ2冊くらいしか読んでないんです 多分。筒井さんの本。

  • >>No. 37933

    > 修行の仕方が宗派ごとに違うので悟りを表す言葉が違っているというだけのことです。
    > 悟り、涅槃、菩提、勝義諦、見証、事事無礙、一即一切一切即一、入我我入、アドヴァイタ、一如、真如などなど、全て同じです。
    > だた言葉によっては悟りの体験的なニュアンスと、悟りによって得た知識(仏智)のニュアンスをあらわしている違いはあります。

    なるほど。
    その辺り、その宗派とか言葉を使う人の風味が入る感じですかね。

    > > そうその「見性体験」と「さとり」の関連がわかんないんですよね。。。

    > 同じです。^^

    ん~
    ワシ、解脱とかだと「煩悩がなくなって輪廻の輪から脱する」ってことかな~と思ってるんですけど
    煩悩がなくなってもいないのに、坐禅やったら「解脱」するっていうのがどうもぴんとこないんです。

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