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投稿コメント一覧 (115コメント)

  • 景品表示法違反です!!





              まかり通る偽装表示!!





                      虚数にこだわる現実!!





    慰安婦と徴用者の数はどのくらいか

    すべきことをせず虚数にこだわる現実が歴史家を憂鬱にする

    [ 李栄薫 / 2005-04-23 01:59 ]



      旧日本軍の慰安婦として連れて行かれた朝鮮の女たちの数はどれくらいだったろうか? また、徴用や徴兵などで連れて行かれた朝鮮の男たちの数はどれくらいだったろうか? 

    4月 21日付け報道によれば、北朝鮮の国連代表部金永好書記官は、ジュネーブ国連人権委員会で、慰安婦の数は20万人で、強制連行された人数は840万人だと主張した。

      一方、これに関する南韓の高等学校教科書を見れば、慰安婦の数を「数十万」と、「強制的に連れて行かれた」人々を「650万人」と教えている。この問題に関する南北韓の主張には大きい差がないと言える。

    、朝鮮女性の慰安婦だけで20万人だという金永好書記官の主張や、それよりさらに多い可能性を暗示している韓国教科書の「数十万人」と言う数字に対しては、賛成しにくい。

      1940年の国勢調査によれば、当時20~40歳の朝鮮の男子の総数は321万人だった。その年齢層の男たちを全員連れて行っても半分を満たすことができない数字が教科書で教えられ、また国際会議で挙論されるとは、それは問題ではないか?

      参考として言えば、当時16~21歳の朝鮮女性は125万人だった。筆者が朝鮮女性の慰安婦が 「数十万」あるいは「20万」にもなるという説を信じないまた一つの理由を、読者たちは見当をつけることができよう。


    それでも、過去40年間、国史教科書はえんえんとその加空の数字を引用して来た。それと全く同じように、過去20年の間には、「慰安婦20万人」と「強制連行600万人」というまた一つの神話が作られて来たわけだ。韓国と日本との間の過去史には清算しなければならない課題が多い。

    やたらと虚数を作り出してそれに対する日本の責任を追及するだけならば、それが本当に正しい過去史清算のやり方だろうか。歴史家の憂いは深まるばかりだ。

    イ・ヨンフン(ソウル大学経済学部教授、韓国経済史)


    韓国で真実を言って暴行を受けるイ・ヨンフン教授 ↓


  • 皆様方は次の歌はご存知でしょうか。




     「守るも攻むるも鋼鉄の 浮かべる城ぞ頼みなる
     浮かべるその城日の本の 皇国の四方を守るべし
     まがねのその艦日の本に 仇なす国を攻めよかし」

    これは日本の軍歌「軍艦マーチ」です。かつては日本海軍の誇りの名曲でした。

    何でこんなお話から始めるのかと言いますと、ミャンマーでは3月27日の国軍記念日になると、全国のミャンマー国軍が首都ヤンゴンに集まって盛大なパレードを繰り広げますが、このパレードではいきなり今紹介した「軍艦マーチ」から式典が始まっているのです。

    続いてミャンマーの軍楽隊は「歩兵の本領」「愛馬進軍歌」など、昔の日本の歌を次々と演奏していきます。これはいったいどういうことでしょうか。

    実は、ミャンマーは大変な親日国家なのです。ミャンマーでは、政府の高官からジャーナリストに至るまで「ミャンマーが今日あるのは、日本のおかげです。日本のおかげで、英国の圧制を逃れ、独立を果たすことができました。我々は深く日本に感謝しています。」と多くの人々が考えているそうです。

    日本の先の戦争のことを自虐的に考えている人や、中国や韓国からの情報をアジア全体の代表する声と考えている人は、きっとわけがわからなくなること思います。

    ミャンマーは19世紀に3度にわたってイギリスの攻撃を受けました。ついに1886年にイギリスの植民地とされ、そのとき既にイギリス領であったインドの一州に組み込まれてしまいました。

    ビルマ(当時の呼称)の国王夫妻はイギリス領スリランカに流刑され、その地で死亡しました。そのために王制は途絶えてしまいました。王子は処刑され、王女はイギリス軍の士官の従卒に与えられてしまいました。

    その後の悲劇を、ミャンマーのバー・モウ元首相はこう書いています。「外国人による搾取は上層から下層まで、あらゆる方面で暴虐さを加えていた。巨大イギリス企業は上等の部分をすべて独占し、インド人と中国人の商人たちがそれに続いて中級の部分をほとんど手に入れてしまっていた」。これはバー・モウ元首相の著書『ビルマの夜明け』の一節です。

    こんな悲惨な状況を一転させたのが日本軍のビルマ進攻、また日本によるビルマ独立志士たちの育成でした。

    ビルマ=ミャンマー建国の父、面田紋次ことアウンサン将軍(右端)と娘のスーチーさん(左端)  ↓


  • 「世田谷一家惨殺事件」




    ついに割り出された実行犯は




    「31歳の韓国人」だった!





    韓国と中国は「日本を敵視している国家」であることを忘れないで!

     韓国人や中国人を日本に入国させる場合は厳重な審査をおこなって!


    「世田谷一家惨殺事件」
    ついに割り出された実行犯は「31歳の韓国人」だった!
    (週刊新潮1月2・9新年特大号)


     韓国の首都・ソウル市の鍾路区…。このソウル市の中心部に、大阪府警の特命捜査官が韓国国家情報院(旧安企部)の通訳を伴なって現れたのは、11月下旬のことである。鍾路区は、大企業や銀行などが入った巨大ビルが建ち並ぷと共に、李氏朝鮮時代の遺構が点在する首都を代表するエリア。


    エスは「世田谷」、Zは、この男のイニシャルをもじった暗号だが、まさに大阪府警は、この男をターゲットに異例ともいえる捜査体制を敷いているのだ。「Zは韓国の南東部の大都市・大邱の出身で、世田谷事件当時、29歳。

    なぜ世田谷事件が警視庁ではなく大阪府警なのか、そして、なぜここまで実行犯に迫ることができたのかを簡単に記しておく。

    2001年12月に大阪市北区兎我野町で起こった風俗嬢殺し、2002年1月に発生した大分県山香町の建設会社社長夫妻殺傷事件(通称"恩人殺し")で、世田谷事件捜査が急展開することになるのである。

    「大阪府警は携帯電話の発信地点を絞り込む捜査でこの19歳の中国人を逮捕したのですが、彼の口から風俗嬢殺しや恩人殺しだけでなく、なんと世田谷事件のことまで出てきたのです」とは、ある大阪府警の捜査官だ。

    そして、大阪の浪速区や都島区、東大阪市などに散らばっているアジトの場所も自供。そして、彼の供述通り、実際に浪速区恵美須西町の家賃8000円の安アパートのアジトから、世田谷事件の遺留指紋と一致する指紋が検出されたのです」
    ピタリー致した指紋

    実は、韓国に戻っている形跡どころか、Zが韓国を出国し、日本に来た記録さえ正式にはないという。「つまり彼は日本に密入国しているんです。済州島経由の密航船など、いろいろな可能性もあるが、どういう経路で入ってきたか今の段階では判然としないのです。しかし、現在も日本に彼は潜伏しているのではないか、とわれわれは思っています」(捜査官)

    宮澤さんご一家の無念を忘れまい!


  • 朴・龍晧と青・木恵子に無罪判決・小6強姦放火殺害の再審・保険金かけ強姦直後に偶然火災?2人が自白




    400万円の借金に苦しんでいるにもかかわらず、母親の青・木恵子は小学生の子供たちに多額の保険金かけて、4050万円のマンション購入!

    マンションの本契約に170万円を支払う期日の2ヶ月前に、内縁の夫である朴・龍・晧(ぼく・たつひろ)が連れ子の青・木めぐみちゃん(11歳)を強姦して精・液をちつ内に「中・出し」し、その日に火災が発生して強姦された娘だけが死亡!

    事件から50日後、2人は別々の警察署で任意の取り調べを受け、2人そろって被疑事実(保険金目的の放火殺人)をアッサリと認めて自白。
    誰がどう見ても、青・木恵子と朴龍晧の2人の犯行!

    それにもかかわらず、21年後に再審が行われ、無罪判決!

    マスゴミは、朴・龍・晧と青・木恵子の2人が借金に苦しんでいたのに4050万円のマンション購入して小学生に多額の保険金をかけていたこと、青・木めぐみちゃん(11歳)が火災で焼死した直前に朴・龍・晧が青・木めぐみちゃんを強姦してちつ内射・精していたことなどの確定事実すら報道しなくなった!

    >青・木さんの判決では有罪の柱だった朴さんの自白について「取調官が誘導した疑いがある」と証拠能力を否定し、青木さんの自白も含めて証拠から排除した。


    ハァ?!

    「取調官が誘導した疑いがある」とか、これこそ出鱈目だ!

    朴・龍・晧(ぼく・たつひろ)と青・木恵子の2人は、逮捕する前の段階の任意の取り調べだったにもかかわらず、そろって同じ日に保険金目的の放火殺人をアッサリと認めて自白したのであり、逮捕されて何十日間も身柄を拘束されて毎日長時間の取り調べを受けていたわけではない。

    まず、平成7年8月14日、朴・龍・晧は、めぐみちゃんとの性的関係(強姦)について任意に供述した。

    次に、同年9月10日、青・木恵子と朴・龍・晧は、二人とも任意の取り調べで犯行について自白し、被疑事実(保険金目的の放火殺人)を認めたのだ!

    2人は、任意の取り調べで、同じ日に殺人を認めて、犯行動機や殺害方法などについて矛盾しない自白をし、自供書を作成した。

    2人そろって同じ日に嘘の自白をし、やってもいない殺人を認めるなど、常識で考えて有りえない!

    2人の自白には、十分過ぎるほど証拠能力がある!


  • 国連女子差別撤廃委員会の正体



    とんでもない反日ネットワークの実体が明らかに!!

    この国連女子差別撤廃委員会の委員やってる
    林陽子っていう日本人?が
    主犯じゃないかな
    早稲田出身
    弁護士

    東郷良尚(日本ユニセフ)・若宮啓文と座談会
    となんだかすごくキムチ臭いw
    差別撤廃委員会の林陽子氏は
    慰安婦のパンフを受け取り拒否
    あんた何人なんだ?w

    韓国の慰安婦詐欺を隠匿する犯罪に加担した犯罪者だろあんた
    外務省、慰安婦報告書の一部を意図的に削除か…裏で韓国からの圧力か

    慰安婦問題をめぐって日韓両国は昨年12月28日、以下の4項目で合意した。

    日本側は安倍晋三首相が元慰安婦に心からお詫びと反省を表明し、日本政府は元慰安婦への補償措置を講じる。また今回の発表で慰安婦問題は最終的かつ不可逆的に解決されることを確認し、日韓両政府は国連等国際社会において互いに非難・批判しない。

    ところがこの最後の条項が、慰安婦問題のくびきから日本人を永遠に解き放たないことが、2月15日と16日にジュネーブで開かれた女子差別撤廃委員会で明らかとなった。


    杉田氏らが歯がゆく思うことがある。肝心の女子差別撤廃委員会の委員長が、慰安婦問題に関する杉田氏らの主張に耳を傾ける様子がなかったことだ。しかも現在の委員長を務めるのは、日本人女性である林陽子氏だというのに。

    「私たちは事前に委員に日本の主張を書いたパンフレットを配布していました。ほとんどの委員は受け取ってくれましたが、林さんだけは受け取ろうともしてくれなかった。同じ日本人女性として、とても残念な気持ちになりました」(杉田氏)

    こいつがキムチ臭い林陽子 ↓


  • 「男系継承は女性差別」と勧告しようとした国連・女子差別撤廃委員会



    日本の国柄・伝統を無視し、「男系継承は女性差別」と勧告しようとした国連・女子差別撤廃委員会


    国連女子差別撤廃委員会対日審査の場においても、その前日の事前ミーティングでも、ご皇室に関する発言は全くありませんでした。

    記事の中に「委員会内での議論は非公開のため経緯は不明だが」とあるとおり、非公開の委員会で議論された可能性があります。

    この委員会の委員長は日本人。普通ならば、日本政府は日本人委員長を呼んで経緯の説明を求めてもいいはずです。なぜそれをしないのでしょう?

    この委員長こそ、松井やより氏の後継者で福島瑞穂氏らと慰安婦問題を世界に拡げた第一人者の林陽子弁護士です。この方を国連の委員長に推薦したのは外務省です。


    こいつが国連で日本を貶めようとする醜悪な林陽子 ↓


  • 私は死ぬ前にこの幸せな日を見ることができた喜びに泣いた





         爆撃機が飛んできても避難しないで





    着ていたシャツを破り、それを振って歓迎した





    【ビルマ独立】

     昭和16年(1941年)12月8日、日本は連合国へ宣戦布告(タイは翌年1月25日に連合国へ宣戦布告)。開戦と同時に、第33師団および第55師団を基幹とする日本軍第15軍はタイへ進駐し、ビルマ進攻作戦に着手する。

    12月15日ビクトリアポイント(現在のコートーン)を占領。12月28日タイのバンコクでビルマ人を集め「ビルマ独立義勇軍」を結成。年明けに日本軍はタイから国境を越えタボイ、トングーへ入りラングーンへ向けて進撃する。

    翌昭和17年3月8日には首都ラングーンを占領した。そして政治犯として刑務所に収監されていたバー・モウを解放し、彼を行政府の長官に就任させた。

     ビルマ初代首相タキン・ヌー氏
    「ビルマの民は日本軍を信頼していた。日本の爆撃機が飛んできても避難しないで着ていたシャツを破り、それを振って歓迎した。」

     タキン派(民族解放派)コドー・マイン氏
    「私の人生で今日ほど幸せだったことはない。わが国土から英国が追放され、偉大なアジア民族が馳せつけて他のアジア民族を解放してくれた。我々に古代の遺産と国土と自由、宗教、文化を取り戻してくれた。私は死ぬ前にこの幸せな日を見ることができた喜びに泣いた」


    「本日ビルマは50年以上にわたる英国の領有の後、世界の自由にしてかつ主権を保有する国家の間にその当然占むべき地位を回復セリ。ビルマは連綿として絶えざる長き歴史を通じ、誇りをもって当然の地位を占め来り、その間、ビルマの光栄は天における月日の如く輝きたり」

     外相に就任したウー・ヌー演説
    「歴史は高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、抑圧された民衆の解放と福祉のためにのみ生命と財産を犠牲にした例をひとつくらい見るべきだ。そして日本は人類の歴史上、初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える」


     これが歴史の真実である。


    靖国神社を参拝する当時のビルマ国家元首ウー・ヌー氏 ↓


  • あれだけの犠牲を払って戦わなかったら・・・




                 いまも




                    植民地のままだった!!




                          宣言は歴史に輝く!!




     1955年(昭和30年)になると、インドネシアのバンドンでアジア・アフリカ二十九カ国が集まって、国際会議が開かれた。参加国は戦後独立した国がほとんどで、「黄色と黒の団結」と独立をアピールする会となった。

    この会はインドネシア(スカルノ大統領)の提唱で、コロンボ・グループと呼ばれたビルマ、セイロン、インド、インドネシア、パキスタンの五カ国が招請国となった。


    日本は高崎達之助経済審議庁長官を代表として十数名が参加したが、他国はいずれも元首、首相級が出席し、政府レベルの国際会議となった。出席者のなかには周恩来、インドのネール、エジプトのナセル等の顔もあった。加瀬俊一外務相参与(後に国連大使となる)は、外務大臣代理で出席したのだが、その時の模様を次のように語っている。

    「この会議の主催者から、出席の案内が来た。日本政府は参加を躊躇していた。アメリカへの気兼ねもあったが、何分現地には反日感情が強いに違いない、と危惧していた。私は強く出席を勧めて遂に参加が実現した。

    出てみるとアフリカからもアジアの各国も『よく来てくれた』『日本のおかげだ』と大歓迎を受けた。日本があれだけの犠牲を払って戦わなかったら、我々はいまもイギリスやフランス、オランダの植民地のままだった。

    それにあの時出した『大東亜共同宣言』がよかった。大東亜戦争の目的を鮮明に打ち出してくれた。『アジア民族のための日本の勇戦とその意義を打ち出した大東亜共同宣言は歴史に輝く』と大変なもて方であった。

    やっぱり出席してよかった。日本が国連に加盟できたのもアジア、アフリカ諸国の熱烈な応援があったからだ。

    ところがこのように評価されている大東亜戦争の勇戦や、大東亜会議の意義だが、日本のマスコミや学会では取り上げられない。この辺にも日本の歴史認識や外交の未熟さがあるように思われてならない」

    この話は平成十九年に無くなった名越二荒之助氏の「昭和の戦争記念館第5巻」(展転社)に掲載されているものです。


    これが、アジア・アフリカ会議、非同盟諸国会議またの名をバンドン会議 ↓


  • 一時的に居住しているだけ





          介入に繋がるから断固拒否
     




             教育の義務を受け付けない





    ◆朝鮮学校はなぜ生まれたのか【正しい経緯】


    『在日朝鮮人は日本の公民ではなく朝鮮の在外公民であるから、朝鮮にのみ忠誠を尽くす』
    『一時的に居住しているだけの日本の教育を受ける必要はなく日本の教育を拒否する』
    『汚らわしい日本の援助金も介入に繋がるから断固拒否する』
    『日本の関与を排した学校を作り、朝鮮独自の教育を行う。日本語など覚えなくて良い
    『数年後には在日朝鮮人全員は朝鮮に帰還するのだ』
    ↑ ↑ ↑ ↑ ↑ ↑
    終戦直後、在日朝鮮人一世たちがこう大々的に宣言して生まれたのが朝鮮学校である。

    従って日本政府は「非国民」である在日朝鮮人に日本国の教育の義務が無い特例を与えたのだ。

    日本政府は1銭も出さないという約束で誕生したのが朝鮮学校。

    だからこそ義務教育拒否・文科省の指導拒否で、デタラメな教育やりたい放題だった朝鮮学校である。

    ところがいつの間にか、
    『日本の補助金を貰えないのは差別だ』
    『日本の大学に入れないのは差別だ』
    とほざくようになった在日朝鮮人ども。

    教育の義務を受け付けないのだから権利があるはずがない。

    日本国籍拒否の非国民の民族学校に公金を補助する国家は世界のどこにもない! 

    「日本の教育」をまるでしてないのになぜ日本の納税者がカネを負担するいわれがあるのだ?

    なぜ本国(=北朝鮮)から補助金を貰わないのだ? 総連は金正日の葬式にピョンヤンに行ったときになぜカネを頼まない! 虫が良すぎんだよ。

    矛盾もいいとこ! 詭弁もいいとこ! 恥を知れ! 情けなくて在日一世が墓の中で泣いてるぞ! 民族の誇りはどこへ行った!

    日本のマスコミも、過去の経緯を正確に把握した上で報道しろ。過去をすべて消し去った偏った報道をするな。日本の報道機関とは到底思えない。

    日本は海外にある日本人学校にそこの国の援助など依頼したりはしない。どこの国に、外国に作った学校をその国に面倒みろという国があるか。

    日本の自治体がそれも分からずに独自に公金を補助するのは、似非日本人が役人をしているということか?そう思われても仕方がないだろう。

    おい、何か文句あっか? えっ!!


  • 「朝鮮人差別とことば」 内海愛子、梶村秀樹、鈴木啓介編 1986年 明石書店



    ◇「少年サンデー」 1970年8月30日号 梶原一騎原作「おとこ道」
    『最大の敵は、日本の敗戦によりわが世の春とばかり、ハイエナのごとき猛威をふるいはじめた、いわゆる第三国人であった!!』  『殴られる前に殴るんだ 三国人どもを』

    ◇「ヤングジャンプ」 1980年10月 手塚治虫原作「どついたれ」
    『ここはこれからタップリ血だまりができるんだ。三国人との決戦でェ!』  『三国人とのでいり』といった言葉がひんぱんにでてくる。

    ◇「朝日新聞記者の証言5」 1981年8月 朝日ソノラマ発行
    『第三国人』が『いかに法を無視し、警察を軽視していたか』  『彼らの一部には、治外法権があるような優越感をいだかせ、社会の混乱に乗じて徒党を組み、統制物資のヤミ売買、強・窃盗、土地建物の不法占拠などの不法行為をほしいままにし、戦後の混乱を拡大した』  『覚せい剤、密造酒となると、これは第三国人の独壇場といった感があった』  第三国人という呼称は『今やまったくの死語になった』と書いている。

    ◇「ビッグマン」 1983年1月号 ダイエー中内社長のインタビュー
    『その当時は(神戸が)第三国人に支配されていまして… 』

    ◇「中内功の限りなき挑戦」 1984年5月 大下栄治著 講談社発行 
    『当時、神戸のブラックマーケットではいわゆる"第三国人"と呼ばれていた中国人や朝鮮人が幅をきかせていた。「戦勝国民」という腕章をして、暴れ放題… 』



    ほとんど死語となっていた「三国人」という言葉を差別語に指定したのは、三国人と呼ばれた戦後の在日コリアンの不法行為を隠蔽したい勢力が、差別語とセットにして言論の場から消し去ろうとしたためだろう。まさに言葉狩りである。


  • それでも、活動家達は
    元慰安婦本人を連れ歩くインパクトを重要視する。

    米軍慰安婦だったお婆さん達は完全無視して・・・

    今回、
    ユン・ミヒャン韓国挺身隊問題対策協議会常任代表
    とともに、フランスに同行した関東学院教授の林博史氏


    ★「日本が怖い」 
     韓国メディアに日本を偽る林博史
     
    林教授、韓国メディア相手だからと
    少々羽目を外してはいないか?

    右手で吉田証言ロンダリングを行いながら
    左手で吉田証言は虚偽とは言い切れない
    などと言い張る高等テクニック。

    「(吉田は)証言者が特定されることを
     防ぐために場所や時間などを変えた」
    などと言っている。

    一昔前までは、こうして吉田証言を弁護しようと
    する人がいたものであるが、今はさすがに少なくなった。
    そもそも林教授は国内でこんなこと言ってたか?

    自分でも吉田証言は信頼できないと言っている癖に、
    こういうことを言う。

    それでも話の辻褄を合わせてしまうのは、流石である。

    逆風下にある林教授ら強制連行派。
    慰安婦の強制連行(徴用)を否定し、
    日本に固有な問題ではないとか
    慰安婦は戦地版の公娼だった
    といった極めて自然な異議申し立てを、
    日本社会の行き詰まりや日本人の差別意識のせいにして
    韓国メディアに解説して見せる。

    韓国民が日本を正しく理解する事を妨害し
    日韓関係を毀損する人間は大勢いる。

    日韓関係を「最悪の状態」にしたのはこういう人たちである。


    こいつがいわくつきの関東学院教授の林博史 ↓

  • 日本の中にあったインド独立の原点



    インド独立の原点が日本にあるといったら驚く人が多いに違いない。 インド独立史に名を遺した志士がいた。スバス・チャンドラ・ボース。


    植民地支配にあったインドのガンジーやネルーが宗主国と戦わず、宗主国の戦争を支援していたのだから不思議だが、チャンドラ・ボースは戦争中にシンガポールでインド国民軍の総帥となり、イギリスに宣戦布告した。いわば枢軸側に立った人物である。

    戦後、イギリスは宗主国に牙を剥いたこのインド国民軍を戦争裁判にかけ、植民地支配の威信を取り戻そうとした。だがことは単純に終わらなかった。

    チャンドラ・ボースはインド国民会議派とたもとを分かち、日本軍とともにインパールで敗退。終戦の3日後、台北の松山空港で乗っていた飛行機が墜落して非業の死を遂げる。

    戦争が終わってみると彼が育てたインド国民軍が一夜にしてインド解放の象徴的存在に変わっていた。

    イギリスによる報復は裏目に出た。インド国民会議派は裁判に弁護士団を送り込み、労働組合はゼネストに入った。

    大英帝国の番犬と揶揄された英印軍までもがイギリスに砲弾を向けた。この結果、裁判の進展とともにインド全土が騒乱状態となり、イギリスがインド支配を諦める引き金になったというのが歴史の真相である。

    25年ほど前、チャンドラ・ボースの肖像画がニューデリーにあるインド国会に掲げられ、市内には「チェロ・デリー」の掛け声も勇ましい軍服姿の銅像まで建てられた。
     
    登山家の川喜多二郎氏がかつてヒマラヤ遠征をした折、ネパールで大歓迎を受けたことがある。その地を治めていた知事がインド国民軍の将校だったことを知るが、インドと日本がともに大英帝国と戦った国同士だったことを強調され、困惑したことを自著に書き記してある。

    中国や韓国と違って、インド人の国民感情が日本に対して概して好意的なのは第二次大戦の最中に起きたインド人と日本との間の数々のドラマのおかげだということを知らずにいると恥をかくことになる。

    ●杉並区に眠り続けるボースの遺骨

    ボースの遺骨は杉並区和田の蓮光寺というところにある。
    蓮光寺にはネルー首相、ガンディー首相らを含め多くの閣僚が参拝している。
    インド大使が着任したときはまっさきにボースの遺骨を慰めるのが恒例となっている。

    杉並区の蓮光寺です ↓


  • このノムヒョンの耐えがたい罵詈雑言!!



       ここまで在日を侮辱していいのか??



         在日は何故反撃しないのか・・・   



           私は在日韓国人など信用していない



               盧武鉉大統領




    韓国 盧武鉉(ノムヒョン)前大統領の言葉(2003年6月の訪日時)

    「異国で国籍を死守することがいいとは思わない、同胞にはその社会で貢献して欲しい」
    「韓国戦争から逃げた連中が、祖国統一を口にするのはおかしな話だ。日本には弾は飛んでこないだろう。僑胞にそんなことを言う資格などない。」

    「私は僑胞(キョッポ)の連中を信用などしていない。徴兵の義務を負わないくせに韓国人を名乗り、 日本の選挙権を求める。馬鹿げていないか。つまりは、いいとこどりではないか。

    私たちが苦しい思いをしていた頃、僑胞の連中は私たちよりいい暮らしを日本でしていたのだ。 僑胞(キョッポ)は僑胞だ。韓国人ではない。」
    (03年6月の訪日時TBSのテレビ番組より)

    盧武鉉(ノムヒョン)さん、あんたの言いたい気持ちはよくわかりますが・・・
    棄民ですか???
    やっぱ、日本に押し付けるんですね・・・

    まあー、一つ確実に言えることは・・・
    朴クネ大統領のお父さん朴チョンヒ元大統領も言っていましたが、盧武鉉(ノムヒョン)元大統領も在日のことを
    祖国から逃げた連中と呼び、強制連行という言葉は一切出てきませんね!!
    左派系、進歩派、人権派と呼ばれた大統領からさえも・・・


  • ミャンマー(旧ビルマ)では、


           今でも“パレードでは、日本の「軍艦マーチ」から演奏し始めます。”


    建国の父“面田紋次”を忘れるな!!!


    ビルマの高杉晋作??


          誰それ??


      前ビルマ軍事政権の最高指導者、ネ・ウィン議長です!!



    ビルマは、(現在のミャンマー)19世紀に3度にわたり、
    イギリスの攻撃を受け、1886年にイギリスの植民地とされました。
    その時、既にイギリス領であったインドの一州に組み込まれてしまいました。
    ビルマの国王夫妻はイギリス領スリランカに流刑され、その地で死亡。
    王子は処刑され、王女はイギリス軍の士官の従卒に与えられてしまいました。


    1941(昭和16)年、大東亜戦争の開戦とともに、
    タイのバンコクで30人志士を中心に「ビルマ独立義勇軍」が結成されました。
    日本軍による厳しい訓練を受けた青年達は、独立ビルマを象徴する
    孔雀の旗を掲げて、ビルマ独立を誓い合ったのです。

    ビルマ民衆は歓喜して彼ら義勇軍を迎え、
    その協力もあって3ヶ月で首都ラングーンを陥落させ、
    イギリス軍を敗走させました。
    そして日本の軍政を経た後の1943年8月1日、
    ビルマはついに独立を宣言しました。

    その時、外相に就任したウー・ヌーは、
    「歴史は、高い理想主義と、目的の高潔さに動かされたある国が、
    抑圧された民衆の解放と福祉の為にのみ生命と財産を犠牲にした例を
    ひとつくらい見るべきだ。そして日本は人類の歴史上、
    初めてこの歴史的役割を果たすべく運命づけられているかに見える。」
    と語っています。

    ミャンマーの3月27日の国軍記念日には、
    全国のミャンマー国軍が首都ヤンゴンに集まり、
    盛大なパレードを繰り広げますが、
    このパレードでは、日本の「軍艦マーチ」から演奏し始めます。

    ミャンマーでは政府の高官からジャーナリストに至るまで、こう言います。
    「ミャンマーが今日あるのは、日本のおかげです。
    日本のおかげで、英国の圧制を逃れ、独立をする事が出来た。
    我々は深く日本に感謝しているのです。」


    <余談>
    アウンサン・スーチー女史のお父さん、ビルマ建国の父と言われるアウンサン将軍の日本名は「面田紋次」といいました。

    下は、1942年、昭和17年日本軍により解放された
    当時のラングーン市内(現ヤンゴン) ↓


  • 報道を自粛しろ!!



                 報道をやめろ!!



                   報道すること自体が犯罪である!!





                    実名での報道はもってのほか!!!



     平成13年2月、当時行方不明だったイギリス人女性「ルーシーブラックマンさん(21歳)」の遺体が神奈川県三浦市で発見され、この女性を殺害したとして、貸しビル会社代表、織原城二容疑者が、準強姦致死と死体損壊、遺棄の疑いで逮捕されました。

     報道によると織原被告は平成12年7月、この英国人女性を誘い出し、神奈川県逗子市の所有マンションで薬物入りの飲み物を飲ませて強姦し、薬物中毒で死亡させ、その後遺体を切断、同市の洞窟に遺棄したとされています。

      マスコミは当初、織原容疑者の所有する高級リゾートマンションにヘリコプターを飛ばしたり、連日ワイドショーで取り上げるなど、過熱的にこの事件を取り扱いますが、彼が元在日韓国人=「金聖鐘」(キム・スンジョン)と分かってからは報道が鎮静化に向かいます。

    ルーシーさん以外に強姦被害者6名、失踪者2名の重大事件
    アメリカ・イギリスを含む海外では「日本での裁判」を大きく取り上げられたのにもかかわらず日本のマスコミは一社も公判を報じない。

    2004年12月10日と2005年5月25日に、被害者ルーシーさんの殺害及び、被害者を含む7名の女性に対する婦女暴行、準婦女暴行容疑事件の公判が行われ、ルーシーブラックマンさんの父親(ティム・ブラックマン)さんも来日しました。


    このように朝鮮半島や、「在日」及び「韓国人」のイメージ悪化につながる報道には大きな制限・規制がかけられたり、場合によっては事件を全く報道しないことがあるため、国民の多くは事実を知らないことが多く、これらの事実ですら、わずかに伝わってきた情報から偶然判明したものだけなのです。.

    朝日新聞の社内ルールによると、在日朝鮮人の方、在日韓国人の方が、被害者になった場合は、実名報道、加害者の場合は通名=日本語名報道にすることにしているらしいです。

    この、ルーシーさん殺害事件では、イギリスのマスコミはBBCを含め、全て実名かつ在日韓国人であるという報道姿勢をとりました。


  • 日帝風水侵略説をご存知ですか??




       今でも韓国では根強く残っています・・・




    下の写真をご覧ください。
    韓国大邱広域市前山公園管理事務所が設置した来訪者への注意書きです。
    日本語に翻訳しますと


    ヤッホー!の叫び声は

    ●やまびこを口実に、日本人たちが操作した静寂を打ち破るための野心作です。
    ●鉄杭が打ち込まれたのと同様、精気を抑え込む意味合いが込められた残滓です。
    ●静かな山林は、あらゆる野生動物・植物が生息する生態系の宝庫です。

    鉄杭について

    第14代韓国大統領の金泳三は、「光復50周年」を記念した、いわゆる「歴史立て直し事業」の中で、かつて日本が朝鮮半島で行った政策により、韓国内に残存している文物が「日帝残滓」であり、排除されるべきだと訴えた。

    その中には当時の日本が韓国(朝鮮半島)の地脈や民族の精気を絶つために「風水侵略」を行ったという非難があった。

    その例として有名なものに、日本が山頂などの風水上の要所に鉄杭を打ったという「日帝の鉄杭」がある…「鉄杭」がいまも引き抜かれているが、そのほとんどは測量用の杭だという証言も多い。

    また、こういう説もあります。

    山で発見された鉄杭の年代を測定してみたら、ほとんどが1950年代以降であった。
    日帝時代の鉄杭も、精気を断ち切るためのものではなく、地図作成の測量のために打ち込まれたものがほとんどである。

    1990年代に、いくつかの団体が政府から補助金を受けようと日帝鉄杭をでっち上げたのである。


    2)ある韓国人の反応(この人はまともなほうかな・・・)

    山びこは日本や韓国だけにある文化なのか?
    山に登って声を張り上げることが、日本から伝来した悪習であるとするなら、他国ではそうしないということか?
    山びこを意味する「エコー」という外国語があることを考えれば、他国にもそういった文化があるということではないのか?


    注)韓国人は中国文化の影響が極めて強く、日本人が理解できないほど風水説を信じ込みます。日本の平安時代の風水説家の安倍清明以上かと。


  • 本当は、ずっと前からわかっていたことなのです!!





    韓国政府は、「在日韓国人」を「日本への密入国者」と認定しています。




    最近は、「民団」でさえ公式の場での「強制連行のうそ」は言えなくなりました。


      
         朴正煕韓国大統領


     ここに、1965年の「日韓条約」の中で、当時の朴正煕韓国大統領が「在日韓国人」に向けて発表した「談話」があります。できれば、「一字一句」をしっかり読み取り、在日韓国人の「捏造された過去」を改める資料としていただければ幸いです。

    [文書名] 日韓条約批准書交換に関する朴正煕韓国大統領談話

    [年月日] 1965年12月18日
    [出 典] 日本外交主要文書・年表(2),629-630頁 及「大韓民国外交年表 附主要文献」,
    1965年629-630頁
    [備 考] 翻訳 玄大松 [全 文] 大統領談話文(韓日協定批准書交換に際して)


    親愛なる在日僑胞(キョッポ)の皆さん!

    私は,日本の空の下で韓国同胞たちが再び分裂して相剋することなく,暖い同胞愛の紐帯の中で互いに和睦して親近となり,また幸福な生活を営なむことを希望してやみません。

    これとともに私は,これまで"分別なく故国をすてて日本に密入国"しようとして抑留され祖国のあるべき国民になれなかった同胞に対しても,この機会に新しい韓国民として前非を問わないことをあわせて明らかにしておこうと思います。

    再びこうした分別のない同胞がいなくなることを希望しながら,今日からわれわれは新しい気持と新しい心構えで,栄えあるわが祖国を建設する働き手とならんことを,訴えてやみません。

                   1965年12月18日   大統領 朴正煕



    分別なく故国をすてて日本に密入国
    韓国民として前非を問わない
    再びこうした分別のない同胞がいなくなることを希望

    これが、韓国政府の「公式見解」です。 在日韓国人は韓国に帰って、「祖国を建設する働き手」になれ!は韓国の大統領が公式に発表した談話です。

    当時の、在日韓国人の状況が見えてきませんか? 「在日韓国人の出自」を、韓国の大統領自らが「日本に密入国」とはっきり述べています。しかも、韓国では、在日韓国人が犯した「前非を問わない」そうです。


    下は、朴クネ親子 ↓


  • アジアにおける日本と大東亜戦争



    1945年(昭和20)8月18日、台湾の台北空港で「天皇陛下と寺内さん(寺内寿一・南方総軍総司令官)によろしく」という言葉を残して、日本と共に戦ったインドの英雄がこの世を去りました。日本の敗戦から3日後のことでした。

    その人の名はスバス・チャンドラ・ボース、インドの独立運動の指導者「ネタージ(指導者)」と呼ばれ、現在でもインドで尊敬を集めている有名な人物です。


    ボースがインド人民に向けて訴えた演説の一節をご紹介しましょう。

    「…大東亜戦争開始以来、歴史に較べるもののない日本軍の勝利はアジアのインド人に感銘を与え、自由獲得の戦いに参加することを可能にした。

    日本政府は単に自己防衛のために戦うだけでなく、英米帝国主義のアジアからの撲滅を期し、さらにインドの完全な独立を援助するものである。いまやインド国民軍は攻撃を開始し、日本軍の協力を得て、両軍は肩を並べ、共同の敵アメリカ・イギリスの連合国に対し、共同戦線を進めている。

    外国の侵略の軍隊をインドから駆逐しない限り、インド民衆の自由はなく、アジアの自由と安全もなく、英米帝国主義との戦争の終結もない。」(1944.3.20自由インド放送より)

    このボースの演説内容に驚かれる方も多いことでしょう。無理もありません。私たちの多くは、先の大戦をアメリカ・イギリスなどの自由主義・民主主義陣営と、自由を抑圧するドイツ・日本のファシズム陣営の戦いであったと教えられてきたからです。

    しかし、ボースはここではっきりと、アメリカとイギリスを「帝国主義者」と呼び、その「侵略の軍隊」をアジアから追い出さなければ、アジアの自由はないのだと言っています。

    ボースといえば日本では「中村屋のボース」(ラス・ベハリ・ボース)が有名だが、チャンドラ・ボースはこのボースとは別人である。ラス・ベハリ・ボースもまたインド有数の革命家だったが、第一次大戦の時、イギリス人のインド総督暗殺に失敗して日本に亡命した。

    ちなみにこの時(第一次大戦の時)、ガンジーはイギリス人のインド総督のご機嫌を取るため、インドの青年にヨーロッパ戦線への志願を呼びかけ、多くのインドの若者を死なせた。ご主人様の痔をなめてまで、非暴力の独立を願うんだそうです。


    インド独立の英雄スバス・チャンドラ・ボース ↓


  • 【韓国】不法滞在者が増加する韓国…


    韓国ネット「犯罪を犯す不法滞在者は死刑にしろ。


    悪質な外国人は断る、


    特に郷に入っても郷に従わないやつら」




    韓国紙・朝鮮日報は、韓国における外国人不法滞在者が

    年々増加傾向にあり、その対策を日本から学び、総合的な対策を打ち出す

    必要があるとの記事を掲載した。

    韓国における外国人不法滞在者の数は、過去10年間は20万人台と横ばい

    だが、近年はわずかながら増加傾向にある。警察庁によると、外国人犯罪

    者の数も2008年の2万623人から2012年には2万6663人に増加しており、

    このうち不法滞在者による犯罪が大部分を占めると推定されている。

    一方、日本の外国人不法滞在者の数は、2003年には21万9418人だったが、
    2008年には11万3027、13年には5万人台にまで減少した。

    韓国の専門家は、これを警察庁・法務省・厚生労働省の三省庁が連携し、
    2004年に「不法滞在者5年半減計画」を打ち出したためだと説明。
    出入国管理局の取り締まり担当者を倍増させたことなどが奏功したとみて

    いる。

    これについて、韓国のネットユーザーはさまざまなコメントを寄せている。

    「ノービザで入国を許可するやつらから取り締まれ」
    「韓国政府は富を拡大させることにしか興味がない」

    「犯罪を犯す不法滞在者は死刑にしろ。善良な外国人は歓迎だが、悪質な

    外国人は断る。特に郷に入っても郷に従わないやつら」

    「ただでさえ恐い世の中だから、政府には不法滞在をしっかり管理して

    ほしい」
    「人口を外国人で増やそうとする考えは怖い」

    「これは日本をまねてほしい。なぜ自国民が外国人におびえながら暮ら

    さなきゃいけないの?」
    「良い方法だ。国民の安全のため日本の事例は学ぶべきだ」
    「東南アジアのやつらもマナーがない。映画館で大きい声を出すし、

    通話も平気でするし…」


  • 韓国で大腸菌検出が続出!


    ロッテ海苔巻きや日本進出ソルビンかき氷・




    平成28年6月30日に日本第1号店となる「SULBING HARAJUKU (ソルビン ハラジュク)」を東京・原宿駅前にオープンさせた韓国の「雪氷(ソルビン)」のかき氷から大腸菌が検出!

    韓国人「雪氷(ソルビン)は食べるたびに下痢をする。もう食べる気にもならない」

    韓国大手スーパーののり巻きや人気店のかき氷から軒並み大腸菌検出=韓国ネット「予想はしていたが…」「もしやお尻を拭いた手でのり巻きを?」

    Record china


    21日、韓国のロッテマートなど大手スーパー3社の店舗で売られていたキムパプ(韓国ののり巻き)や弁当から大腸菌が検出されたとの報に、韓国のネットユーザーがさまざまなコメントを寄せている。写真はソウルのロッテマート。

    2016年7月21日、韓国のロッテマートなど大手スーパー3社の店舗で売られていたキムパプ(韓国ののり巻き)や弁当から大腸菌が検出された。韓国・聯合ニュースなどが伝えた。

    韓国食品医薬品安全処は同日、夏に消費が増える食品を中心に1933製品を収集し検査した結果、49の製品から大腸菌などの細菌が検出されたことを明らかにした。

    このうち、ロッテマート、Eマート、ホームプラスといった韓国を代表するスーパー3社の店舗で売られていたキムパプ弁当からは、いずれも大腸菌が見つかった。

    またロッテグループの食品事業を担うロッテフードの弁当やキムパプなど3製品からも大腸菌が検出、さらに韓国でヒットし日本にも進出したかき氷専門店「雪氷(ソルビン)」のメニュー3品からもやはり大腸菌が検出された。

    これに、韓国のネットユーザーがさまざまなコメントを寄せている。


    「もしや、お尻を拭いた手でのり巻きを巻いてるの?」
    「予想はしていたが、やっぱり大腸菌の塊だったか」
    「のり巻きが汚い食べ物になる原因は、作る時に汚い手でいじくり回すこと」
    「雪氷は食べるたびに下痢をする。もう食べる気にもならない」

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