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投稿コメント一覧 (2358コメント)

  • >ある学者は 人間の「腸内会」には 数百種類以上の腸内細菌が生息していると述べていますが これは 人間の 遥か遠い昔 バクテリアから動物に変異したので バクテリアの諸君と、共存共栄で 人間は 健康維持 生命維持しているものと思われます

    現在は無酸素状態で生存している菌の特定研究が進み、500~1000種類の菌が特定されるようになりましたね
    体の全ての常在菌は数にしても500~1000兆個におよび、重さは1.5kにもなるそうです
    これはもう、体の一部だといえます

    >義兄弟であるバクテリアを、始末にすれば 仁 義 徳の人の道に外れるでありましょう
    我々の 遠い遠い 天皇の先祖より ずっと遠い昔 我々人間は バクテリアから進化したものでありましょう


    免疫を左右する腸内細菌の大切さは 食文化に大きく影響してきました

    それ故、この微生物をより強くする食事、つまり醗酵食品を取り入れる事で、ご腸内の「平和共存」を保てば、病になるリスクを避けることが出来るわけです

    気象の大変化により、来るであろう食料危機に際しては、体維持のために少量でも腸内細菌を元気にする為の食材の開発が必要と思われます

    それは当然、人工的な添加物たっぷりの加工品ではなく、自然のエネルギーを含んだ微生物を元気にする食品の開発こそ、次世代に求められるものなのでしょう

    日本の調味料を初め、伝統食はまさに理想のバランスを保っています

    合掌

  • >火星は 昼間は数度 夜間はマイナス100度 大気は主に窒素 劣悪な環境で 有機高分子(DNA)が 合成される可能性は 低いと思われます かりに有機物が存在していても ウイルス類 バクテリア類程の誕生がありえても 植物 動物の誕生は 非常に低いと思われます

    これに、全く同意です

    現実に地球でも、バクテリアは存在しても、自身で培養できません
    自然界では環境が整わないからです
    それは生命が本体を守る為でもありますが、細菌等は一定の環境が整わないと、増殖すらできません

    別の生命体に寄生することで細胞が複雑化したり、進化が進むのですから、土星のような環境に於いては、厳しさのあまり飢餓状態のまま、休眠している状態を創りだし、そこからの変化はありえません

    地球がいかに恵まれた星なのか、生命体にとっては楽園と言えるでしょう

  • 生物の発生や進化が起こるには「エネルギー」の存在が不可欠ですね

    「神のご意志」により選択肢があるわけではありません

    しかし、このエネルギーの分野が科学や医学の分野で無視され続けてきた為に、現代病と云われる癌や免疫疾患、精神疾患の面での解決策の見出せなかったといえないでしょうか?

    生命体というものは環境の中から選択した、あらゆる物質とエネルギーを取り入れて 生命を維持するエネルギー反応系であるといえます

    環境から取り入れる(重力、気圧、温熱、光波など)もの、
    動物が行動する事で発生するもの、生体力学など、
    ミトコンドリアの細胞呼吸による代謝エネルギーなど、

    これらが 複雑に取り込まれた中で生命は発生し、進化したのでは無いでしょうか?

    それゆえ微生物、植物、動物、地球上に存在する全ての生き物が 全て共存の関係にあることを体系付ける事により 確認できると思います

    これは原始時代にすでに「精霊」と言う存在で多くの原始信仰の原点になったものと同じ結論に至ります

    つまり、近代科学によって認識・検証されたことは、すでに古代人はそのことを「自然の摂理」として理解していたということになります

    違うのは科学者は自然界の謎の背後に「物理学的法則」を当て込んで、古代人は「精霊」を見いだしていたということで、同じ「認識回路」になっています


    DNAは安定した遺伝情報ですが、その前の段階を言うならば、
    無機質が化学反応により有機質に変化し、RNAが細胞膜を作り出し、その膜の中でアミノ酸が作られ、たんぱく質が作られ 複製を作っていく段階で、より安定したDNAに情報が引き継がれていくと思われるのですが、、

    ここから先の段階として、エネルギーの取り込み方により、多様性が生じていくのでしょう
    遺伝子にスイッチが入ったり、変異したりと、このバランスにより生命は変化して行きます

    それ故、現在私が考えている「微生物」を主流にした病気への対策が、結果的に生命体に大きな変化を起こすという結論に至ったわけです

    そこには「エネルギー」の存在が不可欠なのです

    それ故、野菜も無農薬だけではダメで、生命エネルギーの大きなものを 作り出す必要があります

    話しが飛躍しましたが、とても納得できる投稿でしたので、コメントさせていただきました

  • とても痛々しいのですが、このようなデーターもあります

    http://kangaeru.s59.xrea.com/nikushin.htm

    北九州市在住の保護司の方との交流があるのですが、
    少年犯罪の根っこには、境遇が大きく影響しているという事です

    親が子供に対する愛情が不足している場合、むしろ他人の手で育てられた方が親を客観的にみれるのでしょう

    「おやっさん」と呼ばれている70代の知人に紹介された数人の若者たちは、10代の頃、親と引き離された為に犯罪を犯さずに済んだと自分の半生を語っていました

    資源の少ない日本では、人材こそが国の宝として、他人でもその生育期に関わることで、多くの解決策があるのでは?と思います

    紹介された若者たちは現在40代になっていますが、仕事を通じて交流をすることで、擬似家族のような 不思議な関係が出来上がっています

    血のつながりで生じた 憎しみ=言葉を変えると愛情 を、上手くコントロールできて、「生んでくれたこと」に感謝以外の感情を入れなくとも大丈夫なように、他人の愛情が必要な時もあるのでしょう

    人との絆は、血のつながりを越えるということだと思います

  • おっしゃる事は良くわかるのですが、視点を変えて考えてみましょう

    尊属殺人は直系間での事件をさしますね

    しかし、昔の日本の方が、今よりももっと多かったというデーターがあります

    http://kangaeru.s59.xrea.com/G-sonzokusatu.htm

    親を殺すという事件に限ったデータですが、今の人口の7割程しかない時代ですから驚くべき数字だと思います

    これは「人としてのあり方」を問う前に、人々が血族同士、いかに親密であったかということの表れではないかとも言えませんでしょうか?

    「愛情の深さ」は「憎悪の深さ」に通じ、甘えが一気に真逆の殺意にも通じているのでは無いでしょうか?

    外国で尊属殺人が少ないのは 自立心を重んじ、家から子供を外に出し、親子といえども一定の距離を保っている分、愛情と憎しみの「振れ幅」も少ないのだと思います

    一方で他者に対する殺人は、外国の方が多いといえます

    日本は近しい人たちがより密接に生活し、血族同士の繋がりが深い分「可愛さ余って憎さ百倍」とか「逆鱗に触れた瞬間、身内に対する甘えから自制が働かない」ことで 魔が差す瞬間を迎えるのではないでしょうか、、

    近所付き合いが少なくなった 孤立した家族にとっては、愛情も憎しみも 家族同士に向かうものだという事を理解した上で、
    親も子も程よい距離感を忘れず、他人が関わる部分を持たないとこれからも増える傾向にあると思います

    お釈迦様は5つの大罪を上げて、その中でも「子供が親を殺す事」に対して説いておられます
    尊属殺人のなかでも、「親殺し」は許されない重罪といえます

    戦前の教育に「教育勅語」が必要だったのは
    「父母に孝行をつくし、兄弟仲良くし 夫婦は仲むつまじく・・・」と、教育を通じて 現状を憂慮しての事ではないでしょうか?

    これから介護の問題などを巡り、ますます不幸な出来事が起こりやすい環境になってくると思います

    親子の距離感を含めて、深刻さを感じている人々が追い詰められる事のないように、お節介な他人のかかわりが 必要になってくると思います

  • 人は神なり 仏なり、、

    どちらも常に現世を生きる人々と切り離せない存在で、ころ良く共存する世界観が、江戸時代までの風潮でした

    近代社会になり、「神道」と「仏教」は 大きく切り離され
    人々は自問自答しました
    「純粋な信仰心があるか?」と云われたら、わからないという答え=無宗教となってしまったのでは無いでしょうか?

    もともと「いいころ加減」が日本を支えていました
    極端に「教義」に忠実な宗教観があったわけではない日本人は、新興宗教と云われるオウム事件以来、怖れてしまい「無宗教です」という分野に自分を入れることで、大切な事を忘れてしまったといえます

    それは宗教家と云われる人々の責任もあるでしょうが、信仰は一人ひとりのものですから、考えてみる必要があると感じます

    除夜の鐘を聞いて、神社に参るという風習の意味を考えると、実にそれは理にかなった行為だといえます

    中道というのは、どの分野にも当てはまるものですから、、
    手を合わせて祈る行為こそ、自己吟味といえます

  • 人々がまだ自然に対して 畏敬の念を持っていた時代、手を合わせる習慣や、神と仏を分離せず、神仏習合の時代には それぞれが「お互いさま」の精神で 謙虚さや感謝が生まれていました

    開国と同時に 明治政府は廃仏毀釈を推し進め、人々の心の中にあった神仏まで分離してしまいました
    これも、西欧諸国の思う壺だった事でしょう

    天皇を神とする為に、仏はずっと押し下がった状態といえます

    太平洋戦争の戦後処理の中で、「神風」の精神が若い世代に植え付けられることに恐れを感じたGHQは 次世代の教育の分野にどんどん踏み込んで、子供たちに対してますます神仏分離の精神を植えつけました
    「政教分離」を楯にして 宗教色を一掃した教育です

    日本家屋は神棚と仏壇が仲良く共存する作りになっています
    世界的にも珍しい宗教観があり、ころ良く共存する事で 争う事はありませんでした
    伊勢神宮の天照も大日如来と表裏一体であるという事は、仏教を学んだ人ならば 周知の事でしょう

    チョコレートや食料を与えながら、長年に渡り、平和に処理されてはいますが、人々の心の中から、
    「手を合わせる」とか「思いやる」とか「感謝する」とか、
    「耐える」とか、そういう慈悲の心を持った人々が激減し
    「権利」を主張するだけの人々が増加したのは 事実です

    アイデンティティーの崩壊は 侵略の中でも「こころ」「スピリッツ」に踏み込んでいますので、現在日本が抱えている諸問題の根源にもなっていますね

    しかし、災害や困難に際した時、遺伝子が目覚め、人々は助け合う事で生き残る事が出来ています

    人口が減少し、大量の外国人労働者が日本に入ってくる中で、平和ボケしているといわれている日本人は、果たしてしっかりと未来への備えが出来ているでしょうか?

    無宗教と云われる多くの日本人が介護するよりも、信仰心溢れるアジアの人々に看取られたいと思う高齢者が増えているそうです

    矛盾していますね
    今後 介護が必要な世代こそ 我が子世代を「無宗教」という立ち位置に育ててしまった「ツケ」を自らが受ける事になるでしょう

    最小単位の社会である「家族の崩壊」こそが、勝戦国の狙いだったとしたら、日本は見事に長い時間をかけて 大きな代償を払っているといえます

    そう思うと、多くのシステムが壊れ始めている事は、これも自然の摂理と思わざる得ません

  • 江戸時代が大好きで、いろいろな視点から資料を集めたり、江戸の文化や風習に触れたりしていますが、人口に関する危惧も江戸時代にもありましたね

    江戸時代の中期から明治にかけては、人口は減少するか横ばい状態でした
    ひとたび大きな飢饉に見舞われると 人口は大幅に減少しています

    その際 現代のようにリストラや改革を余儀なくされ、人々は今以上に将来に対する不安があったことでしょう

    幕府は3度の大きな改革を行い 人々は生き残る為に「努力」と「智恵」を出し合い、それまでにない方法で「助け合う」ことを余儀なくされました

    人口減少期にこそ、仕事の仕方や商品の作り方、お客さまとの関係などを大きく見直し 驚くべき「逸品」が誕生するのだと思います

    現在に残っている「伝統工芸」「特産品」は、こういう厳しい時代に人々が工夫をした事で生まれたものです

    限りなく成長する経済はありえないと思っていますから、生きていく為に、少し後退したように見えても、人と人の距離は 実は近くなっていくと思います

    震災の時、挨拶を交わしたこともない人と、避難所で生活を一緒にするとき、不思議な連帯感が生まれて 助けあう暗黙のルールも出来て、人々は苦難を味わっていましたが、孤立はしていませんでした

    人口が増え続けることが良いことばかりでは無いでしょう

    江戸の絵図をみると 町中に「物売り」がひしめいています
    どちらさんも必死で お客さまを飽きさせません

    宵越しのカネは無くとも、「てやんで~」と明日吹く風に任せる生き方をしてきた「粋さ」は 見習いたいものです

    ごまめの歯軋りをしながら、買ってくれる人を探し探し、売り歩く時代や 御用聞きの時代が再来すると、嫌でも人との会話が成立してきます

    しかし それにしても江戸時代と違うのは、庶民と云われる人々の中にこれほどの格差はありませんでした

    急激な変化は人々の意識をも変化させ それが消費を落ち込ませ
    気分まで暗くしている事は間違いないですね

    不安材料ばかりに囚われず、生きている今日を 豊かにたのしみましょう・・・と、本日も頑張りました(笑

  • 植物を育む土壌の力=地力は、何で判断するかという専門的なお話をわかりやすく説明すると、

    物理性(土壌粒子の形状や粘度など)と化学性(水溶性の化学物質がどれ程溶けているか)、微生物性(有機質をどれほど含んでいるか)の3点のバランスの良い、重なり具合で決定していきます

    地力は腐食性が高ければ高いほど大きく、一般に言う肥えた土はきのこ類が生えてくるようであれば、完璧に地力が高い土といえますね

    それ故、この地力を高める為にさらに日本の土壌に不足しているカルシウムを充分与え、マグネシウムやカリウムなどのミネラルと整えるだけで、余計な事をしなければ植物は化学肥料を使ったり消毒をしなくとも、どんどん成長して行きます

    日本の農業は戦前まで、家畜の生糞や人糞で行ってきました
    原始的に見える農法が実は、実に自然に逆らわない環境に優しい農業だったといえます

    連作障害をなくすために、大豆を栽培すると「根粒菌」の働きで微生物性がUPし土壌が改良に貢献します

    体の免疫力と同様に、土に任せておけば自然とバランスを保ち、地力は増します
    現代農法は人間の作った化学物質こそが、バランスを崩す原因そのものになっているという矛盾したばかげた事を行っているわけです

    これは抗がん剤による治療と同じ事です

    「共生」する生物同士の力を信じて、手を加えすぎないで作物を栽培する事により、生命エネルギーの高い植物が収穫できます

    植物の生体防御反応=ファイトアレキシンを引き出せるようにすると「害虫」が植物に寄り付かなくなります

    よって殺虫剤や消毒剤も不要ということです

    隣の畑で、化学薬品を使っても、すぐさま中和剤を葉面散布する事で、農薬は検出されない野菜が作れます


    無農薬野菜には虫が来るという常識が、覆るということになります


    これをこころある農家の方々に、説明しながら取り入れてもらっているという訳です


    朝鮮人参に関しては、根の部分に薬効があるのですが、岩の間に根を張る朝鮮人参の根の部分には、過酷な環境の中で如何にして養分を取るかという植物の必死さが伝わり「根酸」という元気を出す成分が蓄えられます
    効果が大になる理由といえますね

  • >おお! 友よ

    と、呼びかけてくださり、本当に嬉しく思います

    掲示板でお会いしてからもう何年になりますでしょうか、やがて10年?
    数ヶ月のブランクがあっても、お互い大病を患いながらも「友」
    つまり「ソウルメイト」ともいえる存在であることを嬉しく思います

    黒猫さんは、とても辛口で本当の事をズバリ言ってくださるので
    その「情」に甘えて、奮起し、起き上がることが出来ています

    身体的理由や仕事上の都合で、なかなか書き込み出来ませんが
    今後ともよろしくお願い致します

  • ご紹介くださった詩は、多くの人々を勇気付けてきた事でしょう

    とりわけ、「夢」を持った人々にとって
    不可能の理由に「老い」を入れる必要性を感じないからです

    あと五年、あと五年で、私が描いていた「夢」がある程度完成する、いや完成させるという意気込みを持つ中で「青春」の捕らえ方の大らかさに 感動を覚えます

    若い頃と意気込みは変わらないのに、年齢を重ねたことによる体験から来る「学習」は、閃きの質を変えてくれました

    つまり、人の素晴らしい意見を取り入れながら、独創的な発想を生み出すという事です

    これはシステムを作る為に、かなりの時短になります

    困難にあえば会うほど、解決方法を生み出す過程が楽しみで、
    これは老いによる「余裕」というか、「麻痺」というか、多少の壁でも諦めないのは、明らかに年齢による「図太さ」から来ていると感じます

    感動も然り、
    この美しい夕陽を、あと何回みる事が出来るのだろうと思うだけで、愛しい気持ちが湧き起こり、時の大切さと生きているという実感を持つ事で、若い頃に負けない感動を覚えます

    それ故、若い頃よりも、今こそが青春と言えるかもしれません

    記憶の中で、若い頃の春の時代を重ねながらパラレルワールドを生きているかのような、ワクワク感を味わえる事も嬉しい事ですね

  • もうすぐこの地では田植えの準備に入ります
    種籾を蒔き、苗作りの後、田んぼの土作りです

    この数年の異常気象により、畑の作物にも大きな変化が起きています
    目まぐるしい気象の変化に植物が順応していくのが大変なのです
    それ故に、近代農法ではなく、原始的な農法がむしろ収穫時に大きな差が出ることがわかりました

    「回帰」という節目の時がやってきたというイメージです
    人間ばかりでなく、植物の世界も原点に戻るべき時が来たようです
    植物と昆虫と共生しながらお互いの折り合うところで 自然に任せるやり方です

    そうすると、経費は5分の一になり、収穫は2倍に増えるので
    経営が改善される事になります

    今年から本格的に「原始的農法」をやってもらう事になりました

    これからますます、食糧不足になっていくであろう日本に於いて
    「原点に帰ろう~」という呼びかけが必要になっていきます
    化学物質を使わず地力を増していく事で、病になる人々も減少すると確信しています

  • この地の近くに、小野小町が生まれたという温泉街があります

    何でも産湯を使ったという遊水地があり 時折車で通過するのですが 伝説ですので真偽の程はわかりません

         思いつつ 寝ればや人の 見えつらむ
             夢と知りせば さめざらましを (小町)

    美女だったという小町の歌は 常に恋する乙女心に溢れています

    花の色は うつりにけりな いたづらに・・・と、自身の美貌の変化を嘆いているようにも感じられますが、

    美女でなくとも、老いは誰にでも訪れるものですね
    身体的な変化だけでなく、精神的な感性の衰えも然りでしょう

    でも、自然界を眺めても同じように、避けられないものであるのだから、世の理を変える事など出来ないのだからこそ、
    せめて自分の内なる世界での「自分」は、衰えない魂磨きが出来たら最高ですね

    そういうことを思いながら、日々生きております

  • 一昨日、珍しくTVをみていましたら、人類の誕生についての番組がありました

    その中で、ネアンデルタール人はなぜ滅びたのか?
    ホモサピエンスはなぜ過酷な環境の中で生き延びて、現在のような社会を作り出せたのかというものでした

    結論から言えば、「宗教」「信仰」を持ったことが生き延びた原因だとのことです

    つまり、他者と連携し集団を作り、自然現象に対して畏敬の念を持ち、共に祈り、祈祷し、祭りを行い、、

    孤立した生き方ではなく、集団で相手を思いやり助け合う事で
    弱いもの同士が生き延びる為の智恵を出し合っていったとのこと、

    つまり「思いやりのこころ」が育まれると、共生の道が開け
    争いが減り、生き残ることが出来るとのことですから
    これは何も原始時代に限らず
    昨今の世界情勢の中でも、学ぶべき基本的な精神でしょうね

  • こんばんは!
    すっかりご無沙汰してしまいまして、申し訳ございません
    不在中、沢山の書き込み頂き お礼を申し上げます
    毎日 拝読だけはさせていただいておりました

    でもスレッドも現実社会と同様、出入りはしても声を上げねば生存の確認が取れませんね
    生きてますよ~♪


    独り暮らしの高齢者の孤独死が社会問題となり 地域での声かけなど広がりつつあるようですね

    しかしご紹介のケースのように、家庭内での孤独死は 他人が手を出しにくい環境にある為、難しい問題ですね

    家族といえども「個室」を持ち、一家団欒の食卓を囲む習慣がない家庭も多い事でしょう

    肉親としての「情」が薄い社会になったということなのか、同居していてこのような状況とは、理解不能です

    日本家屋は「家」制度を貫く上で、実に合理的な作りになっていました
    仏間、床の間、縁側、座敷、土間、玄関、さらに納戸、、
    使い方により自由な空間を作り出せるし、暮らす人々にプライバシーは少ないかもしれませんが、孤独になりたくても出来ない間取りなのですね

    それが個室重視の密閉された空間が出来ると、同居人の生活音も届かない 一見快適に思えますが、殺伐とした空間にもなるのでしょう

    このような社会現象は、家族の絆という最終的な「救い」となるべきものが、厄介な「しがらみ」「お荷物」と捕らえられてしまい、ますます増えていく事でしょう

    2030年には日本人の3人に1人が、65歳以上になります
    子供がいてもいなくても、それぞれ自分の終焉について深刻な問題を抱えていくことを覚悟しなければなりません

    「血縁」だけでなく、自分の気の会う人々とグループホームとして共同生活をするのも 対策のひとつかもしれません

    そうそう、、
    昨日、面白い話を聞きました

    「老後を楽しく過ごすには、教養と教育が大切です」
    とラジオから声が流れてきたそうです

    随分と難しいなぁ、、と思っていたら、実は・・・

    「老後を楽しく過ごすには、今日用と今日行くが大切です」
    だそうです

    今日、用事がある、と、今日行くところがある だそうです

    黒ネコさんは毎日、神社とスーパーといろいろ、用事も行く所もあり、ご多忙のようです

    安心しました、、

    もも

  • 手仕事をしていると、どうしても行き詰る地点が必ず生じてきます

    あれこれ智恵を絞っているつもりでも、なかなか描く理想にたどり着かず、必死で考えます
    そして、突然ひらめくのです

    これで解決する!
    「これこそ神のお告げか?」と思うほど喜ばしくて「ヤッター!」と
    歓声を上げて喜び、仕事の効率がUPしたと喜んでいると、、

    数日後、同じような事を試みている人の存在をしり、大発見だと思っていたものが、プチ発見になってしまいます

    このように、似た様な環境にあれば、人は学習を繰り返し、創意工夫の結果 同じような事を生み出すのでしょう

    伝承された文明・文化もあるでしょうが、そこに根付くには 環境に順応した独自のスタイルに変化していく事でしょう

    ヤナの思い出としては
    栃木県在住の頃、烏山のヤナには良く行きました
    川の流れが速く、ヤナに掛かる川魚も勢いがありました
    20代の頃のことです
    懐かしいですね~

    https://www.city.nasukarasuyama.lg.jp/index.cfm/9,0,42,104,html

  • >>No. 17121

    ヒヨドリがみかん畑を襲う所を目撃したそうですが、空から舞い降りるのではなく、コンバットみたいに大群で地を這って来るそうです

    網などに引っかからないようにでしょうか、ぞろぞろと隣の畑からやってくると聞きました

    皮は食べないで、ごっそりと中身だけ食べるとのこと

    「生きる為」に鳥も考えるのでしょう

  • >>No. 17120

    友人にみかん農家の方がおられます

    「鳥も美味しいものが判る様で、、」という前置きをされて
    収穫前の美味しいみかんを選んでいるのではないかと思うほど
    完熟した実から、つついていくとのことです

    味覚が他の動物ほど発達していなくとも、何かのセンサーが働き
    甘いものはカロリーが高いので、エネルギー源となる為に食べているのでは無いでしょうか?

    糖分が判るなら、蜜が甘いから食べているのではなく、生命維持の為に効率良く、高カロリーが判るのでは?と拝察しています

  • >>No. 17117

    「スカンポ」という植物にご記憶ございませんか?
    イタドリのことですが、ギシギシとも呼ばれていますね

    酸味があって、今から思うと美味しい植物ではありませんでしたが、
    山菜として食べるより、遊びながらかじっていたようです

    歌もあったようで、私はこの歌には全く記憶がありません
      http://www.mahoroba.ne.jp/~gonbe007/hog/shouka/sukanpo.html

    今で言うと「薬膳」だったのですね

  • 花の蜜を吸う鳥がいるのは事実のようですね

    視点を鳥から植物の側に立って 考えると面白いことが判ります
    植物は実をつけるため、受粉しなければなりません
    多くは昆虫や風にその役割をしてもらうのですが、春に咲く 特に木々の花はとても苦労します

    まだ寒の戻りがある為、昆虫の数が少ないし、風が上手く吹いてくれない場合、鳥にその役割をしてもらう為、
    鳥を引き付けつ為の蜜を出すのでしょう

    鳥も、蜜だけでなく花の中にいる昆虫を食べたり、花びらをついばんだりと 生きるのに必死ですね

    でもヒヨドリやメジロ以外の鳥、スズメなどは花びらを散らして遊んでいるだけではないでしょうか?

    甘い蜜で鳥を呼び込む植物は、寒い時期に咲く花が多いですね

    鳥にしても餌の少ないこの時期、植物とお互い「共生」の関係にあるのでしょう

    鳥の力を借りる植物を「鳥媒花」と云います
    椿や梅、桜、山茶花など、花の少ない時期に花を咲かせていますね

    鳥は基本的に昆虫や果実が餌です
    あくまでも蜜は餌の少ない時期だけではないでしょうか?

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