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投稿コメント一覧 (19389コメント)

  • 授業中の子どもたちを空から重さ7・7キロの“凶器”が襲った。沖縄県宜野湾市の普天間第二小学校運動場に13日、米軍のCH53E大型輸送ヘリの窓が落下。体育の授業を受けていた2年生と4年生計54人の児童からは十数メートルの距離だった。避難した後に泣き出す子も。あわや直撃の事態に直面した児童らはおびえた表情で「怖かった」と口をそろえた。迎えに駆け付けた保護者らは「信じられない」「基地をなくして」と恐怖と怒りをあらわにした。(沖縄タイムス)

  • 元横綱日馬富士関の暴行問題で、日本相撲協会と、被害に遭った平幕貴ノ岩の師匠の貴乃花親方(元横綱)が、またもすれ違った。協会の危機管理委による貴ノ岩への事情聴取を13日に予定していたが実現せず。貴乃花親方は前日12日に、検察の処分が出るまで協力しない意向を、文書で伝えていたことも判明した。20日の臨時理事会では、貴ノ岩への聴取がないまま危機管理委は調査報告を行い、巡業中の報告を怠った貴乃花親方らへの処分も検討する見通し。このままでは20日も対立は避けられない。(日刊スポーツ)

  • 仙台藩の藩境警備に由来する山中の集落で「超限界集落」化が進んでいた宮城県七ケ宿町稲子(いねご)の住人が、1世帯1人だけになった。昨年は3世帯4人が暮らしたが、高齢の3人が今年、相次いで町中心部の特別養護老人ホームに入居。残る1人も冬の間は山を下り、無人となる。

  • みなさん
    こんばんは♪
    お元気ですか。
    私は、今日も、絵描きと散歩でした。
    ときどき、テレビ番組を視聴します。
    夜は、語学の勉強です。

  • 私の身体とフトコロは、寒いです。
    でも、元気で生きています。
    私は、バカだから、
    物事を真剣に考える事が、出来ません。

  • No.17652

    スイス

    2017/12/10 13:14

    スイス

  • 2017/12/10 13:13

    スイスのベルン市

  • 2017/12/10 13:12

    スイスの首都ベルン

  • No.17649

    スイス

    2017/12/10 13:11

    スイス

  • No.17643

    スイス

    2017/12/09 22:34

    スイス

  • 今年も、多くの有名人が、あの世へ行きました。
    人生、いろいろです。
    人の運命も、いろいろです。

  • このトピックは、
    かって、隆盛を極めたが、
    いまや、閑古鳥が鳴いています。

  • たった1%の希望 支持率崖っぷち、「小池フィーバー」見る影もなし
    12/9(土) 7:55配信
    産経新聞

     希望の党が崖っぷちに立たされている。世論調査の支持率は軒並み低空飛行が続き、8日に事実上閉会した特別国会でもほとんど見せ場を作ることができなかった。小池百合子前代表(東京都知事)という「看板」を失った後の展望はなお描けていない。(松本学)

                      ◇

     「正直、さまざまな反省がある。この反省をしっかり踏まえて、来年の通常国会はパワーアップして臨んでいきたい」

     希望の党の玉木雄一郎代表は8日の両院議員総会で、殊勝な言葉を連ねて特別国会を振り返った。

     実際、希望の党を取り巻く状況は極めて厳しい。多くの世論調査で支持率は下落の一途をたどり、2、3両日のJNN(TBS系)の調査では1・0%(前回比2・4ポイント減)という衝撃的なデータが示された。「小池フィーバー」で一時的に高まった期待値は見る影もない。

     ジリ貧状態のなか、頼みの綱は他の野党との連携だ。玉木氏は8日、国会内で記者団に、他党との統一会派結成について「選択肢としてはあり得る」との認識を示した。民進党などを念頭に置いた発言とみられる。

  • 元プロ野球監督・野村克也氏(82)の妻でタレントの野村沙知代さん(享年85)が8日午後4時9分、都内の病院で死去した。沙知代さんとバトルを繰り広げ、法廷闘争まで及んだ女優・浅香光代(89)が同日、東京・浅草の自宅で取材に応じ、「アタシよか長生きすると思ってたのに、人間って分からない。こうなったら仏になりましたから、安らかにと手を合わせるしかないです」と悼んだ。
     浅香は沙知代さんとの舌鋒バトルを繰り広げ、“ミッチーVSサッチー騒動”と連日、ワイドショーなどをにぎわせた。沙知代さんからは名誉毀損で訴えられ、敗訴。裁判は2004年に二審も沙知代さんが勝訴する形で終結したが、その後、会うことはなかったという。

  • この地球世界が、キナ臭くなって来ました。
    地球上のどこかで、戦争が勃発している。
    戦争とは、人間が人間を殺す大規模殺人事件です。
    エルサレムは、どうなるのだろうか。

  • 野村夫人の生い立ち

    1932年(昭和7年)、福島県白河(西白河郡西郷村)に生まれた。しばらくすると東京・荒川区に転居、父は都バスの運転手であったが、太平洋戦争(大東亜戦争)の激化に伴う疎開として、再び故郷の福島に戻った。

    この生い立ちについて野村本人は、「東京の田園調布出身で、皇族の出である」「伊藤博文の家系」などと自称し、周囲に言いふらしまわっていたこともある。しかし、実弟の伊東信義によれば、幼少時から虚言癖があったという。また、万引きの常習犯でもあり度々警察沙汰を起こしていたと語っている。

    野村の学歴は東京都荒川区立第二瑞光国民学校(現在の荒川区立第二瑞光小学校、つまり中等学校)で修了し、その後は旧制福島県立白河高等女学校(現在の福島県立白河旭高等学校)に入学しようとするも、進学を断念し白河市の電電公社に電話交換手として就職。しかし、この仕事をしていた時にミスコンに伊東芳枝名義で出場し、「ミス白河」に抜擢され優勝した事をきっかけに地元新聞に写真入りで紹介されているという。これを機に電話交換手の職を退職し、東京へと舞い戻り、しばらくは実家と音信不通の日々を送るようになる。

    終戦後の数年間には、東京・新橋の第一ホテルで皿洗いのアルバイトなどをしつつ、進駐アメリカ人兵士相手の「パンパン」として身を立てていたという]。一方この時期、野村の自著によれば、野村はニューヨーク市にあるコロンビア大学"精神心理学部"を卒業し、同時通訳者になっていたとされている。

    その後しばらくしてから、家族に手紙を送ったり、妹や信義を第一ホテルに呼び寄せては米兵からもらったチョコレートやコーラを与えたり、後には妹や信義の学費の援助もするなど、家族関係は悪くなかった。東京での住まいや生活の子細、パンパンをしていることなどは家族に明かさなかったというが、信義によれば、野村の服装や化粧、持ち物、更にその収入を見ればパンパンをしていることは明らかであり、米兵に肩を抱かれてホテルの周りを闊歩する沙知代に遭遇することもあったという。

  • プロ野球の元監督・野村克也氏の夫人でタレントの野村沙知代さんが8日、亡くなった。85歳だった。所属事務所によると、この日午後4時9分に都内の病院で死去した。
     沙知代さんは福島県出身で、克也氏とは1978年に結婚。二人の間の第一子・克則氏もプロ野球選手に育てた。沙知代さんは克也氏と結婚前から野球場に姿を現すなど、積極的な外交術を展開。タレントとなってからも、「サッチー」と呼ばれ、毒舌風の語り口で存在感を示してきた。

     克也氏は南海、ヤクルト、阪神、社会人シダックス、楽天の監督を歴任。その間は沙知代さんとの“二人三脚”ぶりも注目された。また阪神監督3年目の2001年秋には沙知代さんが脱税容疑で逮捕された翌日に同監督を辞任していた。

  • 昭和天皇の戦争宣言書

    <現代語訳文>

    神々のご加護を保有し、万世一系の皇位を継ぐ大日本帝国天皇は、忠実で勇敢な汝ら臣民にはっきりと示す。

    私はここに、米国及び英国に対して宣戦を布告する。私の陸海軍将兵は、全力を奮って交戦に従事し、

    私のすべての政府関係者はつとめに励んで職務に身をささげ、私の国民はおのおのその本分をつくし、

    一億の心をひとつにして国家の総力を挙げこの戦争の目的を達成するために手ちがいのないようにせよ。

    そもそも、東アジアの安定を確保して、世界の平和に寄与する事は、大いなる明治天皇と、

    その偉大さを受け継がれた大正天皇が構想されたことで、遠大なはかりごととして、

    私が常に心がけている事である。そして、各国との交流を篤くし、万国の共栄の喜びをともにすることは、

    帝国の外交の要としているところである。今や、不幸にして、米英両国と争いを開始するにいたった。

    まことにやむをえない事態となった。このような事態は、私の本意ではない。 中華民国政府は、

    以前より我が帝国の真意を理解せず、みだりに闘争を起こし、東アジアの平和を乱し、ついに帝国に

    武器をとらせる事態にいたらしめ、もう四年以上経過している。

    以下略

  • 昭和16年(1941)12月8日

    昭和16年(1941)12月8日、日本海軍がハワイ・真珠湾のアメリカ軍基地を奇襲攻撃しました。
    アメリカ太平洋艦隊の主力が、僅か数時間で壊滅した事実もさることながら、その攻撃が、複数の空母(航空母艦)から発艦した航空機によって、整然と行なわれるという前代未聞の戦法に世界の軍関係者は瞠目し、戦慄したのです。その立役者こそが、日本海軍が生んだ空母機動部隊でした。

    日本海軍といえば、その象徴として、戦艦大和や零戦(零式艦上戦闘機)を想起する人は多いでしょう。しかしもう一つ、世界に誇るべき存在がありました。 それが開戦当時、世界最強を謳われた第一航空艦隊、すなわち空母機動部隊です。

    とはいえ、昭和の初めまで、日本は航空分野で欧米に大きく後れをとっていました。にもかかわらず、日本海軍が補助艦艇としか認識されていなかった空母に着目し、航空機を対艦攻撃に用いる発想ができたのは、なぜか? 実は、そのヒントを示した人物がいました。日露戦争時の連合艦隊首席参謀として知られる秋山真之です。

  • 今日は、とても、悲しい日です。

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