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投稿コメント一覧 (3641コメント)

  • >>No. 2055

    古事記は、神話という名の我国歴史上最大のウソでしょう。その他ご存知のように、歴史は時の権力者が気にいる様に書かれているというのが通り相場です。
    また聖書、コーランや仏典もかなりの部分ウソの歴史書でしよう。これらの書物からウソを完全に消せたとすると、どの宗教も本来同じものになるのではないか、と小生は思っています。
    ただいわゆる宗教の中核としての神秘体験は、そもそも言葉に表せるものでないのでしょうが。

  • >>No. 2051

    足を踏んだ方は忘れても、踏まれた方は忘れない。これは国家間でも言えるのでしょう。
    特に戦前の日本も今の北鮮も全体主義的な国家は自国の行ったことを絶対化します。たとえそれが拉致などという一般的には全く非道なことでも正当化し、また自国のことはさて置き他国からの被害は絶対に許さない体質があると言えます。
    つまり国の体制によって正義は全く違っているわけです。
    ですが、正義は違っても利害は万国共通ということは言えるでしょう。
    そんなとこから、小生、拉致問題は道理動議ではなく、互いにウィンウィンの結果になる利害の判断でやるしかないと思います。

  • >>No. 2046

    北鮮が拉致被害者の身柄を確保しているという証拠は確かにありませんが、脱北者などの伝聞から、そうらしいということでしょう。

  • >>No. 2046

    北鮮が拉致被害者を解放しないのは、拉致被害者で深く同国の秘密を知った人が解放後秘密を公表することを嫌っているためでないでしょうか?
    また北鮮が欲しい経済支援は、韓国と中国が豊かになぁた現在、別に日本からでなくてもいいのですよね。

  • >>No. 2042

    仰ること、正論です。
    我国で天皇が処刑されずまた皇位が歴史上途絶えなかったのは、基本的には穏健な海洋民族の性格によるものでしょう。この性格は世界の歴史では珍しく我国に宦官制度がなかった(中国からこれだけは受け入れなかった)ことにも現れていると思われます。この点、皇帝の処刑や廃位をためらわす、宦官制度を有した中国とはかなり異なっています。
    そう言えば、衣服に赤や緑の原色を好む中国人に対して日本人は中間色を好みますよね。

  • >>No. 2039

    まあ、天皇に関してはtypさんの考えが真っ当だと分かった上で、敢えて別の視点を考えてるのです。
    我国の天皇制を他国の王政などと比較しますと、他国の王は、簡単に処刑あるいな廃位されているのに対し、我国の天皇はせいぜい島流しで、また、全歴史を通じて天皇制はそのものが廃止されたことはないわけです。
    この辺りをどう評価するかです。三島由紀夫は、だから我国はあくまで天皇中心主義で行くべきと主張したわけです。まあtypさんは大反対でしょうが。

  • >>No. 2038

    戦後天皇が人間宣言をした時、学生等が天皇が大便をするしないについて真剣に議論したという記録してが残っています。今となってはバカバカしい話ですが、当時は極めて真面目で、ことほど左様に現人神としての天皇が国民意識に定着していたわけです。
    もし仮に日本の指導層が知的に優れていて、
    彼らの国家像実現のために天皇を担いでいたとすれば、政党間の争いによる衆愚政治よりましな政治が行われたと言えなくもなく、まあこの辺は難しいところです。

  • >>No. 2036

    typさんの指摘された日本人の特性を論じるのは極めて多面的な分析が必要ですが、ここでは小生が思いついた一面の見方だけ紹介しました。悪しからず。

  • >>No. 2035

    旧日本軍に精神至上主義のあったことは確かでしょう。明治以来、日本の知識人には合理主義や民主主義的思考の出来る人材例えば美濃部達吉氏などもいました。実は大正期あたりまでは同氏のような思考の知識人が主流だったわけです。
    ところが昭和初期の日本の経済苦境や政治腐敗を背景として、軍部が台頭、しかも軍部の中の、天皇を現人神として統治主体とする皇道派が統制派を押さえて実権を握ったため、八紘一宇や大和魂など精神至上の皇国思想を軍部が国民に蔓延させることになってしまいました。
    過去に従軍した旧日本兵の経験談などをみると、合理的に考えれば全くバカバカしい訓練や戦闘等が行われたのは確かなようです。
    勿論そのバカバカしさを分かっていた者もいたでしょう。しかし軍隊の性格上、基本的に速やかな上意下達が求められるため、内部での民主的議論が嫌われたことから、いわば正論はなかなか言えない状況があつたと言えるでしょう。

  • >>No. 850

    一般に技術の進歩は生産の拡大をもたらし、生産物の増大は一般人の消費意欲を刺激します。消費意欲拡大は、物財分配の格差への不満をかきたてます。結果、社会階層間の軋轢が社会の不安定化を招く、という技術進歩による負の連鎖の構図があり得ます。
    この論法を突き詰めると、貧困の共有による絶対平和社会実現の毛沢東主義がベストとなるでしょう。
    毛沢東主義は既に過去のものというのはたやすいですが、それを100パーセントの確信をもって言えるのは、今後中国の改革開放路線が不可逆的に定着してからでしょう。

  • >>No. 2031

    あ、これゲノムの方に投稿すべき内容かも知れません。悪しからず。

  • >>No. 2030

    そうですねえ。
    小生の基本的な認識として、歴史は後退することがある、というのがあります。言われる様な技術の進歩が必ずしも歴史の進歩に繋がらないかも知れないと。
    まあ、それ以前に歴史の進歩とは何かということがあります。単に平和な社会の実現を歴史の進歩だとすると、技術の進歩は歴史の進歩に繋がらないのではないかとも思っています。

  • >>No. 2028

    あらゆる組織において、上役の指示より組織に関わるルールが優先するということは当然のことですが、森友や加計関係の組織に限らず、殆どの組織でルールより上司の指示が優先しているというのが実態でしょう。その実態が極端な形で現れたのが今回の日大アメフト事件と思われます。
    現実の組織の現場では、例え上役がルール違反の指示をしても、それをルール違反として拒否出来る裏付けとしての機関が確立しているところは少なく、また仮にそんな機関があったとしても機能しないのが実態と言えるでしょう。
    いわば、コンプライアンス遵守はお題目だけたという組織が殆どと思われます。その裏にはコンプライアンス遵守は、組織の利益と相反する場合が多いためでしょう。
    この辺りの問題を掘り下げ、会社法の改正を始めとして抜本的な見直しが必要と思われます。

  • >>No. 2025

    何れ年の数え方は、決めの問題なので、数え方を決めるのに大きなエネルギーを費やすのはバカらしいことです。
    世界の標準に合わせるのが、年の数え方を国で決めるのとpcシステム変更にエネルギーを費やさない最も良い方法でしょう。
    何事によらず、投じるコストとその結果のバランス、つまりコストパフォーマンスを考えるべきと考えます。

  • >>No. 2023

    古くは、大和朝廷成立以前は、日本列島内の各部族がそれぞれに年の数え方かあったはずです。国際化が進んだ今日、年の数え方も世界で統一すべきですが、我国元号を日本以外の国が受け入れるとは思えない以上、殆どの国が認めている西暦を受け入れるしかありません。
    将来人類が常時宇宙で活動する様になると、宇宙標準時が必要になるでしょう。
    我国の歴史に基づく数え方にあくまで拘る人は、紀元何年と元号を自室に貼って慈しめばいいでしょう。それは個人の自由です。

  • >>No. 845

    このips細胞利用の技術が本格利用される様になるのは結構なことですが、利用当初は特にかなり高額な治療になるでしょうねえ。
    将来この技術に健康保険が利用できるようになれば、高齢者にとってはかなり朗報です。介護保険の方は現在、掛金ばかり取られて利用出来ない高齢者が多いようですが。

  • >>No. 842

    アルツハイマー病の原因はDNA欠損でしたか。アルツハイマー型認知症克服だけで、国の介護費用など健康保険費用総額の大幅な削減になります。国の健康保険総額増大にかかる問題も、DNA研究の推進で数十年後には明るい見通しが立つのかも知れませんね。
    我家が将来"アルツハイム"になることも防げるかも(笑)。

  • >>No. 2020

    思い出しました。江戸時代我国では、諸行即修行、つまり結果を問わず努力は全て人格の養成に効ありとする哲学を石田梅岩なる哲学者が生み出し、これがそれ以降の国民生活に影響を与えたと考えられます。近年でも殆ど客の来ない夜間まで店ん開けている店があるのは、その影響によるものでしょう。これに反して、欧州で長く君臨して来たキリスト教、中でもカソリックは、ローマ帝国の繁栄の跡、労働は生産物を増やすが森林の伐採等環境にも悪いことを知り、むしろ朝に祈り夕べに祈り祈り中心の暮らしを人々に勧めたのでした。

  • >>No. 2018

    その文章のとおり、太平洋戦に至る日本は特に狂った精神主義にハマっていたと思われます。
    そんな精神主義の権化日本陸軍の装備が全て合理主義欧米のデッドコピーだったのですから、何とも皮肉なものです。
    太平洋戦では、日本は最後までそのデッドコピー装備だけで行くべきだったので、タケヤリなど笑止千万だつたのですがねえ。
    戦後西洋の経営学を学んだ日本企業が、ドタンバになると、八甲田山死の彷徨的な玉砕の精神主義が出てきます。これ、洋才を学んだはずの日本が、和魂はそのままだったということでしょうかねえ。

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