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投稿コメント一覧 (22コメント)


  • 徐勝

    徐勝(ソ・スン、??、1945年-)は、立命館大学コリア研究センター長、法学部教授。専門は、比較人権法、東アジアの法と人権、現代大韓民国の法と政治。

    京都府生まれ。京都市立堀川高等学校を経て、1968年東京教育大学卒。韓国国立ソウル大学校大学院に留学中の1971年、帰国者である事からスパイとして国家保安法違反容疑でKCIAに逮捕され(学園浸透スパイ事件)、政治犯として19年間を獄中で過ごす。

    1990年釈放。米国・カリフォルニア大学バークレー校客員研究員などを経て1998年から現職。

    当時、共に逮捕された人権運動家の徐俊植、作家で東京経済大学助教授の徐京植は共に実弟。

    一方、元朝鮮総聯新潟県連副委員長・張明秀は『徐勝──「英雄」にされた北朝鮮のスパイ』(宝島社、1994年)という本を著し、徐勝は「スパイ活動をでっち上げられた良心の囚人」ではなく、実際に北朝鮮のためにスパイ活動を行っていたと証言。証拠も見つかっている。

    http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%BE%90%E5%8B%9D

  • ○「北朝鮮と「連帯」する狂気の日教組、教研集会」
      http://www.geocities.co.jp/WallStreet/1289/nk150127.html
    ○「日教組 北朝鮮と癒着」
      http://www.kit.hi-ho.ne.jp/kokumin-shinbun/1504049shady.html
    ○「日教組幹部による北朝鮮礼賛集」
      http://haniwa82.hp.infoseek.co.jp/meigen/n-korea.html
    ○「槙枝元日教組委員長が北朝鮮から勲章」
      http://tgm1.pta-koho.jp/hyousi/kizi/k501211a.html


    ↓過去の話じゃなくて、今年の話。

    日本教職員チュチェ思想研究会、朝鮮総連中央を訪問
    http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/01/0601j0912-00002.htm

    朝鮮初級学校分会と福岡市教組との交流会~「いつまでも変わらぬ連帯を」福岡市教組、激励文手渡す
    http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/01/0601j1024-00001.htm

    「世界に誇れる教育だ 日本の学校にないものを感じる」-日本学校の教員が朝鮮学校を訪問
    http://www1.korea-np.co.jp/sinboj/j-2006/03/0603j1108-00002.htm


    立命館出身の失踪者
    http://www.tsujidenoriko.info/index.html
    http://www.tsujidenoriko.info/profile/profile.html

  • 愛知県疑惑 



    信用組合愛知商銀の元理事長、韓国籍、権田桐一こと権東鉉ら3人を 組織犯罪処罰法違反(犯罪収益収受)の疑いで逮捕


    何と、韓国政・府も主犯グループ


    権東鉉容疑者(76)は愛知の有名なパチンコグループ会長という話しも。
    権田容疑者は昨秋まで信用組合愛知商銀の理事長のほか、在日韓国人信用組合協会の会長にも就いていたという。



    吉原のソープ・ランドを違法経営容疑 


    愛知県疑惑 何と韓国政府も主犯グループ

    吉原のソープ・ランドを違法経営容疑 元信組理事長を逮捕

    http://sankei.jp.msn.com/affairs/news/130111/crm13011112490010-n1.htm


    逮捕されたのは信用組合愛知商銀の元理事長の韓国籍、権田桐一こと権東鉉(クォン・トンヒョン)容疑者(76)、長女の野口京子こと権京子(クォン・キョンジャ)容疑者(54)。 会社員の閔泳鏑(ミン・ヨンジュク)容疑者(63)。

    信用組合愛知商銀の元理事長の権田桐一こと権東鉉容疑者(76)は妻や長女名義で設立した会社に愛知商銀から融資させ、吉原のソープを買収し経営既得権を購入。 権東鉉容疑者(76)は、4期12年勤めた理事長を2012年9月一身上の都合で辞任。 そして2013年1月に逮捕。

     他ニュースや動画によると、ソープ・ランドは2012年10月に摘発されていて、映った店は「オレンジクラブ」。 権東鉉容疑者(76)が買収し実質的に経営していたのは、吉原のオレンジグループらしい。

  • 衝撃事件の核心

    権田桐一こと権東鉉

    趣味はゴルフと金儲け…在日韓国人界の"重鎮"信組前理事長の裏の顔は「ソープ王」だった

    権容疑者の原点は、パチンコ店の一店員から経営者にまで上り詰めた約40年前にさかのぼる。

    捜査関係者によると、独立開業したパチンコ店グループ「キング観光」の店舗数を中部地方で急激に拡大。
    その実績を買われて約20年前に愛知商銀の理事、平成12年には理事長となり、 20年には在日韓国人系の信用組合を束ねる「在日韓国人信用組合協会」の会長にも就いた。

     捜査関係者によると、警視庁が目を付けたのは、権容疑者らが買収したソープ・ランド店の実質的な経営者だった。権容疑者らが手に入れた8店舗のうち7店舗は、吉原地区で最大級のソープ・ランドグループを経営していた「オレンジグループ」のものだった。

     早朝割引などで朝から行列ができるほどの人気を集めていたグループ。 同課が調べたところ、運営会社の「サン・ワールドホールディングス」が売上金を一つの口座に集約し、そこから従業員の給与などを支払っていることが分かった。複数の店舗をサン社が統括して経営していたことになるが、都公安委員会にはサン社での届け出はなかった。

    このため、警視庁は昨年10月、サン社会長らを売春防止法違反(売春場所提供業)で逮捕。家賃などの名目でサン社から売春の売上金の一部を受け取っていたとして、権容疑者らの逮捕にこぎつけた。
    http://tokumei10.blogspot.jp/2013/01/blog-post_5146.html

    http://www.kccj.org/admin/kannews/kccj_files/1326442313_11.JPG

  • ユナイテッド キングダム=UKとは、連合王国という意味です!





             通常、UKとはイギリスを指しますが・・・



     

                       日韓も、連合王国だったのです!!






    1895年(明治28年)に、日本と清国との間で結ばれた下関条約で、清の属国だった朝鮮は清国から独立ができました。

    戦争に勝った国とは、敗戦国との講和条約の最初の条文には、自国が最も欲することを書き込みます。

    日清戦争の戦勝国である日本が、下関条約(日清講和条約)の第一条にした文言とは、清国からの領土や賠償金ではありません。

    下関条約の第一条は、「清国ハ朝鮮国ノ完全無欠ナル独立自主ノ国タルコトヲ確認ス」という文言で、日本が最も求めたのは朝鮮の清国からの独立でした。


    欧米列強の脅威にさらされていた日本は、朝鮮には独立国家の成立を願いました。

    しかし、一人歩きの出来ない朝鮮は、清国からの独立から、わずか10年後に日本の保護国になりました。

    1905年(明治38年)11月17日、日本と韓国は、「第二次日韓協約」を締結しました。

    韓国は、第二次日韓協約の交渉の際、「大韓帝国の皇帝である高宗が強迫された」・「韓国駐箚軍(日本軍)が王宮前広場で演習を行った」・「皇帝の署名と調印がない」など、協約は違法だと主張しています。

    韓国駐箚軍が王宮前広場で演習などを行った日には、李完用学部大臣の邸宅が焼き討ちされる等の状況でした。

    日本は、テロ防止の目的から「宮殿を警護」しただけですから、これは高宗への脅迫ではありません。

    また、条約に署名と調印をする者とは、国際法では皇帝でなくても特命全権大使や外務大臣でも合法です。

    韓国側の外部大臣と日本側の駐韓公使が署名調印した、第二次日韓協約は違法ではありません。

    第二次日韓協約により、日本は、韓国の外交を監理指揮するとされて、大韓帝国は日本の保護国になりました。

    1910年(明治43年)8月22日(調印日:公布29日)、日本と韓国は、「日韓併合条約」(韓国併合ニ関スル条約)を締結しました。


    「日韓併合条約」により韓国は、日本国朝鮮地方になり、朝鮮人は日本国民になりました。

    韓国は「強制併合」と主張していますが、日韓併合は、ロシアなどに侵略されそうな危機的状況だった韓国側が自ら求めたものです。

    日本と韓国は、国際法に則った併合条約を、欧米列強諸国の承認の下に締結しています。

    日本が朝鮮半島を植民地にする気があれば、わざわざ韓国の承認を得る必要はなく、武力制圧すればよいので、ここまで平和的な併合は世界にも類を見ない事です。

    韓国は、「韓国併合条約には純宗皇帝の署名がなく、署名した李完用総理大臣への全権委任状も強制で無効な条約」と主張しています。

    日本側が李完用総理大臣へ強制した事実はありませんし、条約に署名と調印をする者とは、国際法では皇帝でなくても特命全権大使でも合法です。


    韓日合邦は、イギリスのイングランドとスコットランドの合邦・合併をモデルに進められたのであります。中世、バラ戦争で有名な血で血を洗う抗争を繰り広げたイングランドとスコットランドであります。
    近年、スコットランド議会は、スコットランドのイギリス連合王国からの独立の是非を問う住民投票について、盛んに議論しています。


    <余談>
    ゴルフやテニスでは、全英オープンというのがありますが。サッカーやラグビーでは全英代表、全英選抜等一切ありません。(オリンピックの時は別か?)1998年、イングランドとスコットランドがそれぞれサッカーフランスワールドカップに出場しましたが、イングランドの人たちはスコットランドを、スコットランドの人たちはイングランドを絶対に応援しません。これが、ごく普通の関係なのです。

    これが下関条約の原本です。
    第一条、第二条に注目してください。 ↓

  • ★富坂警察署襲撃事件(1946年1月3日)

     1945年12月30日、警視庁富坂警察署は管内で発生していた連続拳銃強盗事件の容疑者として在日朝鮮人3人を逮捕した。当時の富坂警察署は戦災で焼失しており、小石川国民学校の校舎を間借りしている状態であったため、3人の容疑者は警視庁本部と大塚警察署の留置場にそれぞれ留置されていた。
    翌1946年1月2日、容疑者のひとりを富坂警察署へ護送して取り調べた後、署内の留置場に留置した。

    1946年1月3日正午、春日町交差点において多くの不審者を乗せたトラック2台が富坂警察署方面へ向かうのを、交通整理にあたっていた警察官が発見、直ちに署に連絡した。連絡を受けてまもなく、例のトラックが富坂警察署に到着、警察官の制止を振り切って約80人の朝鮮人が署内に乱入し、留置中の在日朝鮮人の即時釈放を要求した。
    危険を察知した警部が警察電話を通じて、警備隊の応援を要請したところ、在日朝鮮人20人が電話室に乱入し占拠した。これにより外部との連絡が絶たれた。

    交渉にあたった署長は「朝鮮人は留置していない」と突っぱねたが、情報が漏れていたらしく、在日朝鮮人たちが留置場を探し始めた。これを阻止しようとした警察官に対して殴る蹴るの暴行を加えて負傷者を続出させた。

    在日朝鮮人はついに留置場を発見、中にいた容疑者を連れ出し、「署長は、朝鮮人は留置していないと我々を欺いた」と署長を責めた後、富坂警察署の前を通りかかったトラックを奪って逃走した。犯人は検挙されていない。

    ★長崎警察署襲撃事件(1946年5月13日)

     長崎市西浜町の長崎自由市場では、物価統制令違反のヤミ物資が公然と販売され、それに並行して暴力行為も頻発していた。

    1946年5月13日午前10時30分、280人の警官隊が一斉取締を開始し、日本人150人、朝鮮人26人、中国人6人を検挙、長崎警察署に連行した。その直後、在日本朝鮮人連盟や中国人団体が長崎警察署に押しかけ、被疑者の即時釈放を要求したが、署長は取調前の釈放はできないと拒否した。

    午後2時30分頃、朝鮮人や中国人など総勢約200人がバッドや鉄棒を持って長崎警察署を包囲・襲撃した。これにより警察官1人が死亡、10人が重軽傷を負った。その後、余勢をかって東浜町派出所や港町派出所も襲撃し、警察官に対し暴行を加えている。
    捜査の結果、中国人7人は進駐軍に引き渡され、朝鮮人60人は検察に送致された。

  • ★大阿仁村事件(1945年10月22日)

     秋田県北秋田郡阿仁合町(現在の阿仁町)の阿仁鉱山で働いていた朝鮮人12名は、1945年10月22日午前9時頃、約16キロ山奥の同郡大阿仁町(現在の阿仁町)の集落へ行き、共同管理の栗林に侵入し、栗を拾っていた所を村人に発見され、注意したところ乱闘となり、村人3名が重傷を負った。午後1時になると、約40名の朝鮮人が来襲したので、警察と警防団は直ちに現場に急行し鎮圧した。

    ★生田警察署襲撃事件(1945年12月24日、1946年1月9日)

     兵庫県生田警察署では、岡山市内で発生した七人組の拳銃強盗犯人を追って神戸に出張した岡山県警察部の捜査員に協力した。

    その後1945年12月24日午後9時、「岡山の刑事を出せ!」と叫ぶ50人以上の朝鮮人の集団が署内に乱入して、拳銃・日本刀・匕首を突きつけて署員を軟禁状態に置き、署内を探し始めた。岡山県の捜査員たちは署からの脱出に成功したが、暴徒は電話線を切断し、外部の連絡を絶たせた。急を聞いた進駐軍憲兵がジープで駆けつけたため、ようやく事態を収拾させることができた。

    また翌年1月9日、生田署が三宮ガード下で賭博団を検挙すると、30~40名の朝鮮人たちが再度署内に乱入し、検挙者を奪還しようとしたが、生田署はこの暴徒を制圧し、進駐軍憲兵と協力して首謀者とみられる3名を検挙した。

    ★直江津駅リンチ殺人事件(1945年12月29日)

     新潟発大阪行の列車が国鉄(現:JR)信越本線黒井駅に到着した。3人組の在日朝鮮人の男が列車に乗車しようとしたが、満員のため乗車することが出来なかった。そこで列車の窓ガラスを叩き割り無理やり乗車しようとしたところ、ある乗客に阻まれたため、已む無くデッキにぶら下がり次の直江津駅まで行く破目になった。

    直江津駅に到着すると「朝鮮人に向かって生意気だ!ホームに降りろ!殺してやる!」と叫び、その乗客を引きずり降ろした。3人組は駅の備品であるパイプやスコップを持ち出して乗客に襲い掛かり、メッタ打ちにした。乗客は頭や左眼などに十数か所の傷を負い、絶命した。

  • ★富山駅前派出所襲撃事件(1946年8月5日)

    富山駅において闇米取り締りを実施し、朝鮮人3人を検挙した。しかし、それを見ていた朝鮮人2人が妨害し、3人を逃走させた。

    そのため自治隊員2人を公務執行妨害罪で逮捕し、富山駅前派出所に連行したところ、朝鮮人約30人が包囲し険悪な雰囲気となった。署に救援を頼んだが、その前に大乱闘となった。

    その直後に、救援隊が駆けつけて朝鮮人たちを実力で排除した。この乱闘で警察官1人が負傷した。

    ★坂町事件(1946年9月22日)

    1946年(昭和21年)9月22日に、新潟県岩船郡保内村(現・村上市)で発生した事件。
    午前0時50分頃、村上警察署の署員8人が坂町駅に赴き、ヤミ米の取締に当たった。署員が現れるや、約50人の朝鮮人・中国人は一斉に姿をかくした。

    警察官がホーム上に置き去りにされたヤミ米を押収しようとすると、「殴れ!」「叩け!」の叫び声を合図に襲いかかって来た。警察官が応戦している最中に列車が到着し、列車内から朝鮮人20人が下車し加勢、警察官に暴行を加えた後、発車間際の列車に乗り込み逃走した。

    この日の午後になり、「また、ヤミ米を運搬しようとしている」との情報が入った。警察官 10人が現場に向かい取り締まろうとしたところ、約50人の朝鮮人・中国人が襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加えた。

    金屋村警防団は警察官の応援に駆けつけたが、逆に鳶口や木刀を取り上げられて、彼等の武器にされる始末であった。その後、撤退命令が出たので、警察官等は一旦引き上げた。

    その後、進駐軍の新潟軍政部の係官が現地に到着し、朝鮮人・中国人に対して「日本に在住している限り、日本の法律に服さなければならないこと」、「警察官のヤミ米取締を拒むことは、連合国の指令に反するものであること」を言い渡した。

    軍政部のお墨付きが出たことで、警察は断固とした取締りが可能になり、12人が検挙された。

    ★1946年9月29日には坂町事件を報道した新潟日報が朝鮮人に襲撃される新潟日報社襲撃事件が起きた。

  • ★浜松抗争事件

     1948年(昭和23年)4月に静岡県浜松市で発生した抗争事件。“浜松大戦争”とも呼ばれた。
    戦後、市内の国際マーケットは在日朝鮮人が押さえていたが、闇市は的屋の関東霊岸島桝屋一家分家(服部)が押さえていた。県議会議員となった服部治助の跡を継いでいたのが「小野組」小野近義であった。

    在日朝鮮人らは、在日本朝鮮人連盟の威光を背景に、地元の自治体警察であった浜松市警察の介入を許さず、禁制品を公然と売り捌いていた。小野組の方は比較的合法な物品しか売っていなかったため、客足が奪われることになり、小野組は朝鮮人に反感をもっていた。

    1948年3月には、浜松市警の巡査が賭博の現行犯で朝鮮人を逮捕しようとしたところ、返り討ちにあって負傷する事件が発生。小野組は、その巡査を救出して近くの病院に収容、病院周辺を警護して朝鮮人の来襲を阻止するなど、一触即発の事態を迎えつつあった。

    4月4日夕方、朝鮮人が小野組組長宅を襲撃したことで、朝鮮人・小野組・浜松市警の三つ巴の抗争が勃発した。小野組は直ちに報復すべく会合を開いたが、朝鮮人はその会合場所を襲い銃撃した。

    浜松市警も抗争を鎮圧するために出動したが、朝鮮人は伝馬町交差点でこれを迎えうち、警察との間で銃撃戦となった。5日以降の数日間の戦闘で死者数人・負傷者約300人を出した。浜松市警は岐阜軍政部にMPの出動を要請し、400人のMPが浜松に派遣されたことで漸く沈静化した。

    この事件により、増長していた朝鮮人の評判は地に落ち、逆に小野組は浜松市民有志から50万円の見舞金が送られた。同年8月4日、静岡地方裁判所浜松支部は17人に懲役6ヶ月~4年を言い渡した。

  • ★評定河原事件(1948年10月11日~12日)

     1948年9月9日、平壌の最高人民会議は、朝鮮民主主義人民共和国(以下、北朝鮮と表記)の成立を内外に宣言した。在日朝鮮人もこれに呼応し、祝賀大会を日本各地で開き、北朝鮮の建国を祝った。

    仙台でも、10月11日と10月12日に評定河原グラウンドで在日本朝鮮人連盟と在日朝鮮民主青年同盟の主催による祝賀大会を開催することになったが、日本を占領統治していたGHQは、北朝鮮国旗の掲揚を禁止していた。

    1948年10月12日は運動会が開かれた。国旗掲揚の代わりに国旗を頭上に捧げ持って行進したため、米軍の憲兵が行進の中止を命じた。その後、運動会は再開され、16時30分頃に閉会式が開かれた。

    その中で、北朝鮮国旗を持った一団がデモ行進をし、米軍憲兵の制止を無視し行進を続けたため、米軍憲兵は国旗を押収し、参加者4人を検挙した。その後の米軍憲兵隊の捜査で、更に2人が検挙された。

    ★宇部事件(1948年12月9日)

     約200名の朝鮮人が宇部市民会館に参集し生活擁護人民大会を開催していた際に、在日本朝鮮人連盟山口県本部委員長(当時手配中)を進駐軍憲兵および警察隊が逮捕した。大会参加者は集団的に同被疑者を奪還しようとして警察側と衝突し、双方に多数の負傷者が出る騒ぎとなったが、警察側の発砲によって鎮圧された。

    ★益田事件(1949年1月25日)

     島根県美濃郡益田町(現在の益田市)の朝鮮人集落において密輸入物資が隠匿されているとの密告に基づき、進駐軍島根軍政部将校2名と経済調査官2名が同行して、令状なしで摘発に乗り出したが、「令状のない捜査は違法である」と拒否されたため、警察官10名が応援して違反物資を押収したが、約100名の朝鮮人に奪還された。

    翌日、被疑者9名を検挙したが、夜に入って約200名が警察署に押しかけて被疑者の釈放を要求し、署内に侵入しようとしたために、警察官と乱闘になり48名が検挙された。

    ☆1949年4月8日、GHQの意向で在日本朝鮮人連盟が解散させられる。

    ★枝川事件(1949年4月6~13日)

     1948年12月2日、月島警察署は管内で発生した被害総額260万円にも及ぶ集団窃盗事件の容疑者2人を逮捕した。

    取調べの結果、主犯が朝鮮人で今なお逃走中であることが判明、懸命の捜査が年が明けても続けられた。そして1949年4月6日に、主犯が東京都江東区枝川(朝鮮人地区として有名)に潜伏していることを突き止め、同日午後に捜査員3人が検挙に向かった。

    1949年4月6日午後6時頃、3人の捜査員は主犯を発見、逮捕しようとした。しかし主犯は別人を主張、周りの朝鮮人数人も捜査員を見ていたため、任意同行に切り替えた。そして、屋外に出ようとしたところ、主犯は捜査員を突き飛ばし、裸足のまま逃走した。

    捜査員は拳銃を3発威嚇発砲して制止しようとしたが、逃走を続けたため、遂に主犯に向けて発砲した。そしてなんとか逮捕することができたが、主犯はその際に負傷した。

    それを見ていた約40人の朝鮮人が「仲間を殺したやつは殺してしまえ」と捜査員2人に襲い掛かり、殴る蹴るの暴行を加え重軽傷を負わせた上に在日朝鮮人連盟の施設に連行した(後に2人とも脱出に成功する)。

    もう1人の捜査員は、事態の重大性を察知し、近くの民家の電話を借りて枝川地区を所轄する深川警察署と月島警察署に通報した。

    まもなく深川警察署と月島警察署の応援部隊が在日朝鮮人連盟の枝川支部に急行したが、激しい抵抗にあい、警察側に負傷者を続出させたが、アメリカ軍憲兵隊が来ると急に態度を軟化させた。

    4月13日に一斉捜査が行われ、容疑者5人が逮捕された。4月19日までに更に10人が逮捕された。

  • ★台東会館事件(1950年3月20日)

     在日本朝鮮人連盟は、結成以来日本共産党の尖兵として日本各地で暴動を起こし続けてきたが、1949年9月8日、団体等規正令の「暴力主義的団体」として解散を命じられ、その資産は没収されることになった。

    3月10日東京都の係官は会館を引き渡すよう命じたが、旧朝連はそれを無視したばかりか、投石を行い抵抗した。そのため、この日の接収は一旦取りやめになり、3月20日に再度接収を行うことになった。

    3月20日午前7時、係官が台東会館に入ろうとしたが妨害を受けた。そして、警戒に当たっていた警察官に向かって、石や唐辛子粉を投げつけて抵抗した。そのため警察は強行突入を断行し、朝鮮人119人を検挙した。

    ★1950年5月、在日本朝鮮留学生同盟では、北朝鮮派と韓国派との内部抗争によって死傷者がでる事件が起きた。

    ★1950年1月、祖国防衛隊が結成される。

     1950年1月より、外国人登録証の更新及び未登録者(密入国者等)の強制送還が行われることになり、それに対抗するために結成された。同年4月には、上部組織として「朝鮮祖国防衛委員会中央本部」が設けられた。

    ★連島町事件(1950年8月15日)

     岡山県浅口郡連島町(現在の岡山県倉敷市)で、朝鮮解放5周年を祝って約700名の朝鮮人が集まり、集会を強行したため、制止しようとした警察と乱闘になり8名を検挙した。この事件で警察官15名が負傷した。

  • ★王子朝鮮人学校事件(1951年3月7日)

    1951年2月23日、蒲田警察署は占領目的阻害行為処罰令違反容疑で、東京都立朝鮮人中高等学校(今の東京朝鮮中高級学校)の生徒1人を検挙した。捜査の結果、当時のGHQが禁止していた「新朝鮮」「前進」「朝鮮女性」等のいわゆる反占領軍的な印刷物を作成していたことが判明し、2月28日に同校を家宅捜査し、証拠物件を押収した。

    しかし、翌日3月1日は三・一独立運動記念日であったため、朝鮮人たちは「不当弾圧」と激昂し、所轄の王子警察署に300人、隣の板橋警察署に400人、赤羽警察署に40人が押しかけて抗議した。

    そして3月7日に「真相発表大会」と称する集会を学校内で開催、抗議デモを行うことになった。
    当日最終的に2000人が集まった。

    学校外にいた群集が警察隊に対し、投石や唐辛子粉の噴霧など抵抗したため、ある警察官が付近の民家の2階から写真を撮ろうとした。しかしそれを見た群集が民家に乱入、その警察官に暴行を加え、カメラを破壊した。

    応援に来ていた蔵前警察署員が救出しようとしたが、逆に返り討ちにあい、重軽傷を負わされた上、拳銃や警棒などが奪われた。

    警視庁は、遂に群集を強制的に解散させることを決断、警官隊が校内に突入しようとした。群集は煉瓦や石を投げつけるなど強硬に抵抗したが、午後2時50分までに全員を校外に排除した。
    警察はこの事件で28人が重軽傷を負った。

    ★神奈川朝鮮学校事件(1951年6月13日)

     横浜市神奈川区にある青木小学校分校において、神奈川県朝鮮人学校PTA連合運動会が開かれていたが、参加者の一人が警備をしていた警察官に対して暴力をふるったため、公務執行妨害で検挙しようとしたところ、これを妨害しようとして大乱闘となった。これにより、双方ともに数名の負傷者を出した。

    運動会終了後、約500名の在日朝鮮人が横浜市警察本部に殺到し、玄関前でスクラムを組んで奇声をあげた。 そのため、横浜市警は約1000名の警察官を動員し、公安条例違反容疑で28名を検挙した。

  • ★下里村役場集団恐喝事件?(1951年10月22日)

     昭和26年(1951年)10月22日、兵庫県加西郡下里村(現在の兵庫県加西市)において、在日朝鮮人約200名が、「生活保護」「強制送還反対」の陳情をするために下里村役場に押しかけた。そして村役場職員を吊るし上げ、椅子を振り上げる等の暴挙に出たので、国家地方警察兵庫県本部は暴行脅迫・恐喝容疑で15名を検挙した。

    ★福岡事件(1951年11月21日)

     「強制追放反対」を叫ぶ朝鮮人約1500名が、福岡市大浜新校地と西公園に分散して集合し、そのうち新校地の一隊が同市千代町へ向かってデモ行進したため、それを阻止しようとした警官隊と乱闘となり、16名が検挙された。その後、解散に見せかけて、新校地に再結集し集会を開いた。警官隊が解散を命じたが応じなかったので、再度乱闘となり5名を検挙した。

    ★東成警察署催涙ガス投擲事件 (1951年12月1日)

     1951年11月10日、泥酔中の朝鮮人を警察が保護したが、容態が急変して同日夜に死亡した。乗っていた自転車が転倒して肝臓が破裂したことが原因であった。
    ところが、朝鮮人側は警察官の暴行により死亡したとデマを流し、約30名の朝鮮人が東成警察署へ抗議に訪れ、署員の制止を聞かずに署内に乱入しようとしたので、これを阻止すると、催涙ガス瓶を投げ入れたり、投石してガラス窓を破壊したので、被疑者3名を検挙した。

    ★半田一宮事件(1951年12月3日~11日)

     1951年12月3日、愛知県の半田税務署に密造酒取締の件で朝鮮人が押しかけ、署長以下数名を監禁した。一方、一宮税務署管内でも密造酒取締に対して、約100名の朝鮮人が捜査の妨害をした。

    そのため、半田・一宮両市警及び国警愛知県本部は12月8日に一斉強制捜査を行い、容疑者27名を検挙した。

    12月11日、これに抗議する朝鮮人約150名が半田市役所に押しかけて、庁舎内に乱入して警備の警察官ともみ合いになった。また名古屋市港区役所にも約70名が押しかけ、区長が乗っている乗用車を取り囲み、バックミラーや方向指示器を破壊した。他にも一宮税務署、一宮市警、名古屋市役所及び千種、北、瑞穂、南の各区役所にも押しかけた。

  • ★軍需品製造工場襲撃事件(1951年12月16日)

    東成警察署催涙ガス投擲事件で死亡した朝鮮人の追悼式に参加した朝鮮人約110名は、3班に分かれて、大阪市内四ヶ所の親子爆弾製造工場(民団系)を襲撃し、製品や窓ガラスを破壊したり、従業員に暴行を加えたりした。

    ★日野事件(1951年12月18日)

     朝鮮人約50名が、自転車隊を編成し、白襷をかけ、「強制送還反対」のプラカードを掲げ、メガホンやスピーカーを所持し、強制送還反対を叫びつつ滋賀県内を無届デモ行進をした。

    警察は公安条例違反として再三中止を警告したが応じなかったので、滋賀県蒲生郡日野町において実力行使に出たが、石や薪などを持って抵抗したり、拳銃を奪い取るなどして反抗した。これにより、警察側に25名の重軽傷者を出したので、拳銃を発砲してこれを鎮圧した。35名が検挙された。

    ★木造地区警察署襲撃事件(1952年2月21日~23日)

     1952年2月21日に国家地方警察青森県本部所属の木造地区警察署で傷害容疑の朝鮮人2名を逮捕したが、朝鮮人数十人が検挙者の即時釈放を要求して連日署に押しかけた。
    23日になると、約70名が署内に侵入しようし、警備の警察官と揉み合いになり、警察署の玄関のガラス戸が破壊された。

    ★姫路事件(1952年2月28日)

     兵庫県姫路市において、民団広畑分団長ほか3名の民団員宅に旧朝連系約20名が覆面して押しかけ、器物を破壊して逃走した。また同時刻に姫路市内の交番4ヶ所に5~30名の朝鮮人が押しかけて、警察官を軟禁し、多数の威力を示して脅迫した事件である。捜査の結果21名を検挙し、竹槍等の凶器を押収した。

    ★八坂神社事件(1952年3月1日)

     三・一事件記念の名目で集まった約70名の朝鮮人デモ隊が、大阪市東成区の八坂神社境内に突入しようとしたため、大阪警視庁機動隊と大乱闘となり、朝鮮人側に十数名の負傷者を出して解散した。一時間後、いったん解散させられたデモ隊40名は近くの朝鮮人集落の広場でジグザクデモ行進を始めたので、東成署員約50名が現場に急行、解散させた。この事件で6名が検挙された。

  • 歴史認識の鎖国化を嘆く!!





               チンイルパ=親日派のレッテルを貼られても・・・





                         なおも、史実を弁ず!!





    1990年代から2000年代にかけて、「民族史観」を誇張が多いとして批判したり、「民族史観」とは異なる見解が韓国内からも提示されるようになっています。

    金完燮(キム・ワンソプ、1963年 - )韓国人評論家・作家・教育家・言論人。光州生まれ。サレジオ高校-ソウル大学中退。光州事件の市民軍に参加した、熱烈な韓国民主化運動の闘士。韓国が民主化されて後、オーストラリアに移住するが、そこで劇的に対日観が変わった!!!

    金完燮は、当時の朝鮮は腐敗した李朝の統治により混乱の極みにあった非常に貧しい国であり、日本が野望を持って進出するような富も文化もなかった、としています。彼によれば近代日本の歩みは列強、特に当時極東へ進出しつつあったロシアとの長きにわたる戦いであり、日清戦争から日露戦争そして韓国併合に至る一連の出来事は全て日本の独立を守るための行為であった、と。

    当初日本は、福沢諭吉の門下生の金・玉均を始めとする日本で文明に触れた朝鮮人を通して、朝鮮が清から独立し近代国家となって日本にとっての同盟国となることを望んでいた。しかしながら朝鮮人自身の手で朝鮮を改革しようとする試みは頓挫し、福沢諭吉が脱亜論を著したように方針を転換。日本自らの手で清、そしてロシアから朝鮮半島を守り、朝鮮を近代化する道を選んだ、と。

    その後日本は朝鮮を「日本化」することによって教養ある日本人を増大させることによる国力の増加を目指し、積極的にインフラへ投資した。朝鮮が自分たちで独立を保ち、近代化を成し遂げることが出来れば併合されることもなかったであろうし、日本によるこれらの植民地政策がなければ近代化することもなかったであろう、として韓国における歴史教育を批判しています。

    これらの言動・著作から彼は親日派とされ、苛烈な弾圧を受け、ほぼ、社会的に抹殺状態であります。

  • 論理の整合性は、どうでもいい!!



                         うそ、捏造も問題ない!!



              うそも方便という言葉があるだろう!!



          倫理的に後進的な人間に対する教育的措置には、必要なんだ!!!




    反日は韓国のアイデンティティと不可分な関係があり、反日と無縁な韓国人はいない、と鄭大均首都大学教授は述べている。

    韓国の過激な反日感情は自然に発生した感情ではない。「反日国家」韓国では、日本は「悪い国」だという情報だけが与えられ、人々が自然に「反日型人間」になるように仕組まれた「反日システム」という社会構造が形成されている。そこから利益を得ている人々(北朝鮮や日韓の左派など)がシステムを維持強化している、と崔碩栄は述べている。

    韓国は世界で最も日本非難論が活発で、韓国マスコミは日本非難なら何でもありで、極端な比喩による感情的論評を書き、反日報道ではデッチ上げなど内容が誤報と分かっても訂正はほとんどない。これは「反日病」だ、と黒田勝弘は述べている。

    韓国にはタリバンのテロと本質的に同じ反日原理主義が根付いている。小中華思想からの日本人への蔑視感情がそのエネルギーの原動力になっている。韓国人の歪んだ歴史認識は、嘘を嘘と認めない彼らの文化から生まれたものであり、理性や論理を超越したところで仮想現実の構築に勤しんでいる。反日という宗教の原理主義が情報テロリズムという形態を取って日本に襲い掛かっている、と西村幸祐は述べている。

    「韓国の常軌を逸した「侮日・卑日」ブーム」は、「「夷」たる日本への根深い蔑視」という「精神的な先祖返り」が背景にある。韓国は、自分たちは精神文化では日本よりはるかに上だと考え、日本人は倫理性が低いので倫理性が高い韓国人が日本人のために「戦犯国家」日本を叱ってやっているのだ、という態度を取っている。

    「2006年秋に韓国の最高指導者の1人から「韓国はもう、中国に逆らえない。だから日本も中国に逆らってはいけない」と厳しい口調で言われた」が、「「自分が中国に服しているのに、そうしない奴がいる」と考える韓国人は、中国人以上に日本に対し不快感を持つ」。

    「韓国では論理の整合性は重要視されません。ケンカする時には相手を攻撃しまくるべきであり、自分の行いがどうであるかは関係ないのです」。「韓国人は中国の朝貢国であったことに誇りを持っている。それを恥ずかしいなどとは思っていない」。韓国は、「「もっとも忠実に中国に仕えることで、世界の安定に大きく寄与してきた」という意識が根強いのです。この場合、「世界」は「中華世界」、つまり「華夷秩序」を指します」、と鈴置高史は述べている。

    韓国人は、日本は格下で「礼・文化を知らない「夷」、野蛮人だと軽んじ」、「そういう連中には、礼を欠こうが、多少だまそうが」、「何を言ってもいい、してもいい、とまた考え始めた」。 韓国は、「日本の植民地支配から脱した」ことに正統性を置いているため、「植民地化以前の「朝貢の時代」も美化して語られがち」、と岡本隆司は述べている。

    韓国は、日本に対して執拗に過去史を追及し「謝罪と反省」を求めてきたが、中国とは1992年の国交正常化以来、首脳会談で過去史が問題になったことはない。中国は朝鮮戦争で北朝鮮を支持して軍事介入した南北分断固定化の元凶であるのに、韓国政府もマスコミも識者も誰も中国の戦争責任、侵略責任を語ろうとはしない。

    「韓国は中国が侵略戦争責任を追及しても応じないと分かっているので黙っているのだ。とすると結果的に日本のように応じると限りなく追及される?」「経済や政治など実利のためには中国と仲良くし、ご機嫌をうかがわなければならないからだ。」と黒田勝弘は述べている。

    韓国は、米中の間で上手に立ちまわって生き残るために、潜在的覇権国である中国には敵対せず、自分だけ「いい子」になり、日本を中国や米国と対立させて、日本を「バック・キャッチャー」(「悪い子」、負担を引き受けざるを得ない国)にして、中国の脅威を日本に向けさせようとしている、と鈴置高史と木村幹は述べている。

    反日とは一種のレイシズムである、と鄭大均首都大学教授は述べている。

  • 史実???





             そんなものは関係ない!!




                史実など、どうでもいい!!





               必要なのは、政治のための歴史認識だ!!!





    「論理ではなく日本国を弾劾することが目的」





    大日本帝国統治時代に様々な近代化が行われたことを認めつつも、資本主義の萌芽は李氏朝鮮の時代に既に存在しており、大日本帝国による統治はそれらの萌芽を破壊することで、結果的には近代化を阻害したとする資本主義萌芽論が、1950年代に北朝鮮で唱えられました。これはのち1960年代から1970年代に日本に紹介され、1980年代には韓国へ日本を経由して伝わりました。

    近年、李栄薫らは李氏朝鮮時代の資料を調査し、李氏朝鮮時代の末期に朝鮮経済が急速に崩壊したことを主張し、近代化萌芽論を強く否定しました。またハーバード大学の朝鮮史教授カーター・J・エッカートは、資本主義萌芽論を「論理ではなく日本国を弾劾することが目的」とし、韓国の資本主義は日本の植民地化の中で生まれ、戦後の韓国の資本主義や工業化も、大日本帝国の近代化政策を模したものであると明言しています。またエッカートは大日本帝国による統治そのものについて朴正煕政権との類似性などを挙げ、軍事独裁の一形態であり、韓国の資本家に独裁政権への依存体質をもたらす原因になったとも述べています。

    これに対しカリフォルニア大学のステファン・ハガードは、エッカートの議論は具体例に乏しいと批判しています。しかしハガードの研究においても、戦後の韓国の経済成長は日本統治期から引き継いだ金融システムと権威主義的国家構造による効率的な外資利用によるものだとしており、韓国の内在的発展性の重要性を弱めていると主張する韓国人もいます。

    ほか韓国においても、その後の実証的研究の進展により、若い研究者からはこの資本主義萌芽論は採用されなくなってきています。

  • アノニマスが暴いた、北朝鮮の秘密工作員のうち
    何人かの、在日っぽい奴ら

    chohyonjin,19590328
    davidkwang,19730405
    hanjieon,19610708
    hansong,19680714
    hogwangsung,19800824
    hwangheebok,19740301
    kimcholsam,19720225
    kimganggon,19710213
    kimjungil,19750707
    kwonjongsu,19810708
    leedongyoon,19641118
    leewookeun,19590307
    liihodong,19630216
    lijianjun,19820803
    namsongan,19620415
    namzuhyen,19701109
    pakchinbin,19470916
    pakhwasong,19720620
    pakjinbin,19470916
    paksongju,19761113
    quanheison,19770129
    ryangmunsik,19540113
    shinjongbom,19490308
    鄭文策,19321225

    下から5番目
    “paksongju,19761113”

    アレックスパク君、これ、君のことだろう!!!

  • アノニマスが暴いた北朝鮮秘密工作員!!

    これが、第四弾だああーーー!!!

    そのTKのHPのリンク
    http://www.heyariku.com/link.html の
    一番下、探偵事務所(トラストジャパン)ってなんで探偵社?と思って検索した。

    その探偵社の事調べたら、
    悪質な業者で被害者と思われる書き込み発見w

    >探偵は悪質な仕事に過ぎません。私も被害者です。別居した旦那が依頼した
    >探偵事務所(トラストジャパン)という在日朝鮮人の悪質な探偵事務所です。
    >ここの代表取締役が、全ての依頼に悪質な手口を使って、建物内に不法侵入し
    >自宅ベランダから部屋の中を盗撮したり、ゴミを漁って個人情報を盗み取り、
    >アップで写真を撮り、バラまいています。私は盗撮された写真を自宅に送られてきて、
    >それを見たとたんに精神的に病んでしまい、入院しました。その後も外出ができなくなり、自宅に引きこもるようになり、仕事にも行けなくなりました。
    >トラストジャパンの代表取締役の木下孝元は絶対に許さない。訴えます。この人達はできる仕事がなく、こんな可哀想な仕事しかできません。
    >とてもこの世の生き物とは思えません。
    >依頼した旦那も一生許す事はできない。
    >自宅周辺のあらゆる建物内に不法侵入している探偵は実に悪質な犯罪者。



    yunscale,M,???,yunscale@k8.dion.ne.jp,ってこいつか
    お問い合わせ大阪朝鮮高級学校
    〒578-0984 東大阪市菱江2-18-26
    TEL0729-63-3481/FAX0729-63-3183
    ●吹奏楽部 顧問 尹忠新(ユン)
    090-7552-1945 E-mail:yunscale@k8.dion.ne.jp


    PAKCB,M,PAKCHINBIN,aob@dance.ne.jp,19470916,8,1094805195,16dde3f82d9b328992eacc06bd5c50fc
    こいつは

    フリガナ イリョウホウジンシャダン アオバシンリョウショ
    正式名称(医療法上届出正式名称) 医療法人社団青葉診療所
    英語表記(ローマ字表記)(略称・通称) Aoba Shinryoujo
    医療機関の開設者
    フリガナ パク チンビン
    開設者氏名(法人開設の場合は法人名) 朴 鎮彬
    医療機関の管理者
    フリガナ パク チンビン
    管理者氏名 朴 鎮彬
    医療機関の所在地
    郵便番号 625-0051
    住所フリガナ マイヅルシユキナガヒガシマチ
    住所(ビル名まで) 舞鶴市行永東町26-6
    住所英語表記(ローマ字表記) 26-6 Yukinaga Higasi-mati Maizuru-city
    案内用電話番号・ファクシミリ番号
    電話番号(昼) 0773-63-7756
    こいつかな?
    16:31:18.84 ID:JYZVnMI6i

  • ただいま血税垂れ流し中です!!



                あしからずご承知のほど



                      お願い申し上げます!!




    ■在日がいままで要求してきた内容

    ○:実現済み。△:実現中。×:要求中。

    ○1.公文書への通名使用可(在日隠蔽権獲得)

    ○2.永住資格(非権利)

    ○3.犯罪防止指紋捺印廃止

    ○4.所得税・相続税・資産税等税制優遇

    ○5.生活保護優遇

    ○6.永住資格所有者の優先帰化

    ○7.民族学校卒業者の大検免除

    ○8.外国籍のまま公務員就職

    ○9.公務員就職の一般職制限撤廃

    ○10.大学センター試験へ韓国語の導入

    ○11. 朝鮮大学校卒業者の司法試験1次試験免除
    重要 朝鮮大学校卒業者の司法試験一次試験免除
    http://www.korea-u.ac.jp/news/040923.htm
    △12. 民族学校卒業者の無審査公私高校受験資格

    ×13.在日外国人地方参政権

    ×14. 公務員就職の管理職制限撤廃(これは9と同じか?)

    △15. 掛け金無しで年金受給可能

    重要 外国人学校補助金制度
    http://www.hoshusokuhou.com/archives/28510990.html
    これだけの多額の税が中華、韓国、朝鮮学校に使われている

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