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投稿コメント一覧 (9871コメント)

  • 陽沈む【国】日本 ?
     
    戦後の日本は 「家電や車といった加工産業」 で成功を収め、世界第二位の経済大国になりました。
    これを見ていた発展途上国は、日本の政策を真似て経済成長を遂げています。
     
    供給国や地域は増えても、消費国は増えていません。
    過剰生産は 「薄利多売」 に走り、供給国は苦しくなります。
     
    この状況を打開するには、新エネルギーや人工知能の開発が必要です。

  • 米中貿易戦争は【ナゼ】起きたのか ?
     
    中国政府は多くの人材を米国に送り込み、最先端の技術を学ばせています。
    優れた技術を体得した人物には、高給で中国国内の企業に受入れ、産業の技術向上を図っています。
     
    こうした政策は、欧米先進国にとっては 「脅威」 です。
    これまでの中国は安い労働力が売りでしたが、今後は技術を高めて 「高付加価値化」 を狙うと見て間違いないでしょう。

  • 資金力と【アイデア】の社会 ?
     
    過去における経済成長は、科学技術の発展によるものでしたが、電気や車や医療といった、単独の技術によるものでした。
     
    だが今後の技術は、互いが様々に絡み合う複雑なものになります。
    それだけに莫大な研究開発費と、柔軟な発想を持った優れた技術者が、多数必要になります。
     
    さらにAIの進化は、人々の予想を超えるとてつもないテクノロジーを生み出すでしょう。
    こうした国際社会では、国家予算の配分の仕方によって、豊かな国を築けるか、それとも衰退するかの分かれ目になるでしょう。
     
    米国やEUそして中国は、こうした社会を見据えています。
    日本は完全に 「目標」 を見誤ったといって良いでしょう。
     
    かつて 「大艦巨砲主義」 にとらわれて、大和や武蔵といった役立たずの戦艦に、貴重な国税を費やしたと同じ 「轍」 を踏もうとしています。
     
    当時必要だったのは、制海権ではなく制空権だったハズです。

  • 核廃絶を【唱えても】実現は困難です ?
     
    原爆は残虐だから禁止しようといっても、核兵器は無くならないに違いない。
    それではナゼ核兵器を持つかを、考えれば答えはおのずから出てきます。
     
    通常兵器でも、核兵器でも 「残虐性」 に変わりはありません。
    つまり基本は、暴力による問題解決を 「禁止」 するしかありません。

  • 無知な【政治家】は国賊に値する ?
     
    世界のエネルギー技術そして人工知能技術は、社会を劇的に変えるでしょう。
    私たちは 「働き収入を得て」 生活をしています。
     
    つまり労働の対価で 「生計」 を立てているのです。
    では労働が無くなれば、人々の生活はどうなるのでしょうか?
     
    過去の常識が通用しない時代が、訪れようとしています。

  • 60【日本國者 倭國之別種也 以其國在日邊 故以日本為名】
     
    『旧唐書』 倭國・日本國伝
    原文【日本國者 倭國之別種也 以其國在日邊 故以日本為名】
    日本國の人々は、倭國とは別の種類なり。
    その國は日の出の方角に在る。
    故に日本 (ひのもと/日下) と名づける。
     
    『新唐書』 卷二百二十 列傳第一百四十五 東夷 日本
    原文【咸亨元年 遣使賀平高麗 後稍習夏音惡倭名更號日本 使者自言國近日所出以爲名 或云日本乃小國爲倭所并故冒其號 使者不以情故疑焉】
    咸亨元年( 670年 )
    高麗の平定を祝うために、使いを遣わした。
    後に夏音(漢文)を習得し、倭名を憎み日本と改号す。
    使者が自ら語るには、国は日の出の方角にある事から、これを国名と為す。
    日本(日下ひのもと)は倭の一部の小国(宗主国:大和のこと)したがって、倭と同一に記述したのでは矛盾を生じる。
    使者の話を信じた。
     
    元明天皇 (在位期間:707年8月18日 - 715年10月3日)
    【倭 (卑字)】に通じるとして【倭】と同音の【和】の字に【大】をつけて【大和 (やまと)】と書くよう定めたとあります 。
     
    また日下 (ひのもと) の草加を【日本 (ひのもと) 草加】に改め、この日本を【やまと】と読んでいます。
    漢代には【倭 (やまと) 奴 (の) 國】あるいは【邪馬臺 (やまと) 國】と名乗り、魏代には【邪馬壹 (やまと) 國】と名乗っています。
     
    九州の【倭】と畿内の【倭】が同時に誕生したとは考えられません。
    したがって九州の【倭 (やまと)】が畿内の【大和 (やまと)】に発展したと考えるべきでしょう。

  • 59【光武陵四面百歩 不得使民耕牧樵採】
     
    『三國志』魏書巻三 明帝紀
    原文【光武陵四面百歩 不得使民耕牧樵採】
    光武帝の陵は四面とも百歩。
    人民が耕したり薪を採取することを禁ず。
     
    【漢光武帝陵 ( 中国観光案内 )】
    漢の光武帝陵は現存しています。
    陵園は正方形を呈していて、面積は6.6万平方メートルをしめる。
     
    墓は陵園の真ん中に位置し、地固めした土丘の形で、高さ17.83メートル、周囲487メートルです。
    一歩の長さは1.2メートルですから四辺(一面は120メートル)百歩の長さは480メートルになります。
     
    明帝紀に記載されている陵墓と同じ面積です。
    古代中国では、一辺を一面と記載しています。
    したがって【方】を一辺と訳すのは間違いです。
     
    四面とは四辺のことです。
    そして方とは【円周】を表す数詞です。

  • 58【吏卒中國人多侵陵之 故率數歳壹反 元帝時 遂罷棄之】
     
    原文【南至投馬國水行二十日】
    原文【南至邪馬壹國女王之所都水行十日陸行一月】

    『漢書』 卷二十八下 地理志第八下 粤地条
    原文【吏卒中國人多侵陵之 故率數歳壹反 元帝時 遂罷棄之】
    中国の官吏および兵卒たちは、多くの儋耳郡および朱崖郡の陵墓を荒らした。
    故に儋耳郡および朱崖郡の率 (最高軍事指揮官) は数年間というもの、一斉 (壹) に陵墓を荒らした中国に背 (そむ) いた。
    元帝の時、ついにこれ (儋耳郡・朱崖郡) を放棄した。
     
    この文章に使用されている【壹】の意味は【一斉】あるいは【一同】です。
    また【壹拜率善中郎將印綬 (率善中郎將の印綬を賜り、一斉に拝礼す)】とあります。
     
    魏志倭人伝では【壹】と【一】が併記されていますが、これは双方の意味が異なるためです。
    数字には【一】を使用し、一斉や一同あるいは皆で (こぞって) などの際は【壹】を使用しています。
     
    したがって【壹】を【いち】と読むのは間違いです。
    中国語の辞書に【壹】の読みは【と】あるいは【とん】とあります。
     
    邪馬壹の読みは【やまと】で【やまいち】と読むのは間違いです。
    中国の辞書に【壹】は形声文字とあります。
     
    宋の時代以前の漢字 (形声文字) は、旁 (つくり) は【声符 (漢字の読み)】を表し、それ以外は【字義 (漢字の意味)】を表したとあります。
    【壹】の旁は【豆】です、したがって声符は【と】です。
     
    そして冠の【士】は【選ばれた人物】さらに【冖】は【集団を束ねる】という意味があります。
    倭の宗主国【邪馬壹 (やまと)】に適した名称になっています。
     
    原文【又有侏儒國在其南人長三四尺】
    また侏儒國が有る。
    人々の身長は三四尺 (1m前後)。
     
    漢字 (中国語) 【侏儒 (しゅゆ)】の意味は【小人 (こびと)】です。
    1m前後の身長しかない人々を【侏儒】と言ったとすれば、倭人は【漢字】の意味を、かなり理解していたと思われます。

  • 57【南至投馬國水行二十日】
     
    奴國の南の投馬國までは【水行二十日】で至る、さらにその南にある邪馬壹國、女王の住まう都までは【水行十日陸行一月】で至る、と記載されています。
    帯方郡から不彌國までは【合計里数 (10,700里)】と記載されています。
     
    では何故、不彌國の南の投馬國あるいは、さらに南の邪馬壹國へは【日月数】で記載したのでしょうか?
    この理由は、魏帝の詔書を正しく理解できれば解ります。
     
    原文【悉可以示汝國中人使知國家哀汝】
    我が国家は、汝を哀れに想っている。
    もって使者を遣わし汝の国中の人々に、贈り物の悉くを示す。
     
    ”汝を哀れに想う”とは【汝の働きに感動している】という意味です。
    魏帝がなぜ卑弥呼の働きに感動したかといえば、魏の敵【公孫氏】征伐に倭が協力したからです。
     
    この事は、三国志の魏書巻三【明帝紀】に記載されています。
    公孫氏征伐の褒美として、卑弥呼は親魏倭王の称号や様々な贈物を賜っています。
     
    こうした贈物を倭の全国民に示すことで、魏は倭の取込みに成功したと思われます。
    つまり【水行二十日】【水行十日陸行一月】は、二萬餘戸の【奴國】五萬餘戸の【投馬國】七萬餘戸の【邪馬壹國】の人々に、贈物を示しながら移動した日数を表しています。

  • 56【女王國東渡海千餘里復有國 皆倭種】
     
    原文【女王國東渡海千餘里復有國 皆倭種】
    女王國から海を渡って東 (実際は東北) へ千餘里行った地域に複数の國が在る。
    すべて倭人と同種 (弥生人) の人々が住む。
     
    原文【又有侏儒國在其南人長三四尺 去女王四千餘里】
    倭種の國の南 (実際は東南) には、身長が1m前後の人々の住む侏儒國が在る。
    女王國からの距離は四千餘里になる。
     
    原文【又有裸國黒齒國 復在其東南船行一年可至】
    また裸 (ら:奈良) 國そして黒齒 (かち:河内) 國が女王國の東南 (実際は東) に在る。
    女王國から裸 (奈良) 國そして黒齒 (河内) 國まで、船で約1年で至る。
     
    中国の辞書に【復】の意味は【原点復帰】とあり、また【黒】は形声文字とあります。
    したがって【黒】の読みは、旁の炎から【か】になります。
     
    さらに中国語の【齒】の読みは【ち】です。
    すると【黒齒】の読みは【かち】になりますが、おそらく【河内】の事だと思います。
     
    また【黒齒】【侏儒 (しゅゆ)】は漢字 (中国語) ではなく倭字です。
    たとえば往復を【おうふく】と読みますが、中国では【往】の読みは【わん】です
     
    漢字で書かれているからと言って、必ずしも中国語の発音とは限りません。

  • 55【飛ぶ鳥(水鳥)の明日香】
     
    飛ぶ鳥 (水鳥) の明日香】と【日ノ本 (日の下) の草加】の類似性について説明しましょう。
    古代日本の地名の多くは、その地域の特徴から付けられています。
     
    したがって似たような地形だと同じ地名になります。
    たとえば魏志倭 人伝でも【奴國 (野原の国)】が二つ記載されていますが、似たような地形だったと思われます。
     
    そこで他の【明日香】と区別するために【水鳥(飛鳥)の多い明日香】と呼び、また【草加(草深い地域)】も同様に【日下(日の出の方向)の草加】と呼んだようです。
    つまり明日香は、水鳥 (飛鳥) の多い【湿地帯】だったのです。
     
    奈良県大和の以前の地名は【草加】と有ります。
    そこで九州から見て東 (日の出) の方向に在る【奈良県大和】を【日ノ本 (ひのもと/日の下) の草加 (くさか)】と呼んだようです。
     
    【飛ぶ鳥 (水鳥) の明日香】あるいは【日ノ本 (日の下) の草加】の【飛鳥】あるいは【日下】を【あすか】あるいは【くさか】と読むのは、この為と言われています。
    後になって【日下 (ひのもと)】は【日本 (ひのもと)】になりました。
     
    つまり【飛鳥】も【日下】も、もとは地名を表す枕詞 (まくらことば) だったのです。
    また古代日本人は【倭】も【日本】も【やまと】と読んでいます。
     
    たとえば古事記では【倭建命】と書き、日本書紀や先代旧事本紀では【日本武尊】と記載されていますが、いずれも読みは【ヤマト タケル のミコト】です。
    漢委奴國王を【カンのワのナのコクオウ】と訳した人は、倭建命を【ワのタケルのミコト】あるいは、日本武尊を【ニホンのタケルのミコト】と読むのでしょうネ。

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