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投稿コメント一覧 (351コメント)

  • 皆様もお気付きのように、当スレッドには只今大きな嵐(荒らし)が吹き荒れております。
    この者の申していることの真偽はさておき、この種の仮にも文化的なスレッドにおいて、ここまで狼藉を働かれては最早続行不能と判断致し、本日をもちまして終了することと致しました。
    今後私と致しましては、このスレッドには一切関知いたしません。また以前から御投稿の方への返信もこれを致しませんので、ご了解いただきたく存じます。

    なお、私自身の名誉のために少し弁明しておきますと、「私が他の書家を誹謗中傷する」とありますが、これは短絡的な見方で、私はあくまで批評をしたにすぎないのであります。
    私の書いたものを全部お読みになれば、つぶさに御理解いただけようかと思いますが、実際には褒めているものも沢山あり、その意味でも私は公正に是々非々の対応で臨んできたつもりであります。
    それが一部思慮不足の人々、あるいは私に敵対心を持つ者の偏狭な判断により、私の書いたもの全てを「誹謗中傷」のひと言で括られてはまことに心外であるということを、是非この際に伝えておきたいと思った次第であります。

  • このサイトの主旨とは無関係と思われる御投稿は、これを御遠慮願っておきます。
    文字、書に纏わる話題であるならば、基本的にどなた様の御投稿でも拒否するものではありません。

  • あのね桑峡さん、拘る場所というかポイントが違うのですよ。あなたの問題にする箇所は私に言わせれば枝葉末節で、たわいのない問題なんです。
    私が字を見て、能書か否かを決めるポイントのひとつに、趯(てき)があり、特に唐楷書に共通する趯(てき)を上手く書ける書家は現役では殆ど存在しないといっても過言ではなく、そういう形でなければならないという理想的なハネが知識として理解できている者すらなかなか居りません。もちろん、筆耕屋など論外です。
    もちろんそれだけで立派な文字は出来ませんが、いちばん重要な部分です。
    また、明日にでも趯(てき)の特集をやりましょう。

    「深」に関しては、私のは4画目の真下には書けていないが、九成宮はほぼ真下になっている。と言っても、同じ文字がいくつも出てきて、それが全て同じ形ではない。それで良いと思います。 筆耕屋の深など調べなければ即答できないが、私の字よりはもっと内側に書いていると思う。この画は素人であればあるほど内側、つまりワカンムリの中央に六、七画とも書いてしまうと思いますよ。

    あ、それと臨書もものによってはやる意味がないものも沢山ありますね。その理由はまたいずれ展開します。本日はこれで終わります

  • これが現代日本の代表的筆耕職人の典型的な楷書のプロトタイプ。
    筆耕屋というのは明治時代から居る、字を生業にする人の意。 江戸時代は書家、侍、絵師、僧侶などが兼業でやっていた。明治、大正、昭和の戦前までは比較的高度な手本しかなく、よって基礎訓練も今日よりはまともに出来ていた。それが戦後世の中が多様化し、面白おかしいものも出回り、専門家と称する輩たちの怠惰も相まって見るも無残に下落した。現在筆耕屋を名乗る者たちのなかには、九成宮や雁塔聖教序を知っている者は皆無だろうと思われる。これらを知らないようでは、一事が万事、てんでお話しにならない。

    この字、以前載せた近藤露石や私の字との区別が、一般素人に付くかどうか心配。

    桑峡さん、これ見てお前の字とどっこいどっこいと言うんじゃないよ。言いそうだな?

  • >>No. 807

    毎度毎度難癖の桑峡さんだから慣れっこになってしまったが、本来的には無茶苦茶無礼な話しだぞ。
    あんたは誰の字を見ても、「気になる箇所が何箇所かある」というのが口癖のようだな。以前にも、自分なら九成宮醴泉銘のここを修正するとか書いていたが、恥ずかしいからそういうことはあまり言わないほうがよろしい。あんたの字を欧陽詢が添削するのならいいんですがね、逆だよ逆。これ見てる人が笑ってるよ。

    いいですか! どんな名人大家のものでもケチを付ける気になれば、いくらでもある。それを難癖という。
    しかしあんた、他の者には甘い論評してるじゃないの。たとえば素人相手に冗談にせよ「もう大師の域ですね」とか最近では「鶴」という人にも「すばらしい、潤滑が見事ですね」とか、尻がむずむずしてくるよ。あんなの誰にでも書けるじゃないの。その隣にあんたの粗雑な作品が貼ってあるだけに、余計鶴の草書が引き立ってるだけ。

    指摘にあった「之」はちょっとオーバーに長くした。なぜなら、九成宮は終画がどう考えても短い。それに不恰好。本当は孔子廟堂碑がベスト。で、楷書の極則といわれる九成宮のくせに下手を書きやがってという気持ちからの反動かもしれない。

    筆耕屋には九成宮の「深」の字は無理とあるが、誰が筆耕? あんたはそもそも筆耕屋の字を熟知していないからそういうことを言うんだ。以前にも、職人さんの字が上手い云々と書いていて、私に咎められたことがあったろ?忘れたか? 筆耕屋の字の癖というか実力が認識できていないから、そういう失言をするんだよ。
    ま、あんたは子供の頃にちょっと楷書を齧っただけで、そのまま審査員になったり人に教える立場になったので
    自分でも分かっているようでその実、分かっていないんだ。そういうのを、「見て知りそ、知りてな見そ」という。柳宗悦の言葉だ、覚えておくといいよ。
    あとで筆耕屋の字の代表的なものを乗せるので、穴があくほど見てみなさい。
    そういうのをよく観察すれば、私の字と筆耕屋の字の区別が付くようになると思う。同時に一般書家と私の差もおのずと分かろうかというもの。
    たとえば泰麓や天来ほどの巨匠でも九成宮の臨書など、驚くほど下手。いちどひと通り載せる。
    それと、誰が観ているかわからないようなこの場に載せるという行為は、よほどの自信があるか、馬鹿かのどちらかだよ。

  • 久しぶりに楷書を書いてみた。九成宮をベースに少し和風で書いた。

  • 東京地裁、高裁。
    誰が揮毫したのか調べていないが、書道の盛んな頃の大家の手になる字であろう。ところどころ難はあるが、現在の連中よりは良い字だ。

  • 千葉県館山 地裁。
    まったく下手糞である。恥ずかしいレベル。

  • 山形県新庄市、地裁。
    これは、看板職人の字である。もし書家が書いたというなら、その書家は看板屋並みと思っておけ。しかし、昨夜載せたトモチャンの書いた看板よりは幾分良い。

  • 大阪地裁、高裁。
    プロが書いたものだが、大したものではない。この程度なら昔の看板職人のなかにも書ける者がごろごろ居た。
    大阪なら地元に隷書の名人花田峰堂がいたはずなのに。

  • 昨夜は少しHigh tensionになっていたようだ。というのは、7月から片方の耳が完全に聴こえなくなっていたのが、治療の甲斐あってかすっかり治り、まだ、耳鳴りは少し残るも辛抱できる範囲ゆえ、気分が高揚したからなのかもしれない。ターゲットの連中には少し申し訳ない気もしないでもない。しかし本心を言えば全然書き足らない、一人に本一冊書けるぐらいの資料は用意してある。しかも、それが5人や10人ではきかないのであるが、他にやりたいことのほうが多いので手を付けていないだけなのである。
    さて、本日はテレビでもよく見る裁判所の看板を取り上げてみる。
    最初に敬意を表して最高裁の看板。写真が悪いので論評し辛いが、プロの字である。地味でありながらも奥深い味わいを漂わせているように感じる。字を判定できるほど写真を拡大すればドットが出てきて判定不能。今度傍でじっくり観察してから詳細を論評することにする。

  • >>No. 793

    言った手前、責任とって速書きの手紙を載せる。
    これはちょっと速く書きすぎたかなと思うが、あなたのは遅すぎるのだよ。これを思うと、木村知石は凄かった。
    どんなに速く書いても、すべて堂に入っていた。ひきかえ、いまの書家はホントに下手糞だ。
    これ、どれぐらいの書家が読んでるかは知らないが、みんなもっと稽古せよ。ホントに下手だよお前らは・・・

  • もう一人、石川九楊が京大出身なので思い出したのが、同じく京大出身の書家である高木厚人。
    この人は杉岡華邨に師事した仮名書家である。現在は大東文化大教授のかたわら日展会員として活躍、次の巨匠として嘱望されている。が、字はとんでもなく悪筆。石飛博光と共著でNHKから出ている本があるが、そのなかで二人が手紙手本を書いている頁がかなりあり、石飛のほうはそこそこ書けているのだが、高木は仮名書家のくせにその仮名で石飛に大差をつけられているのだ。それは観る者が見れば大人と子供の差よりまだ大きい。仮名がこんなだから、漢字は言わずもがな、天地の差とはこのこと。
    私は、石飛博光が特別に上手いとは思わないが、それに天地の差をつけられるようではホントに素人だよ、高木クン。

  • 石川ついでに石川九楊氏のことを少し。
    実は写真も沢山あるのだが、営業妨害とか肖像権とかなんとかで訴えられても面倒なので、文だけにしておく。
    この人は書家というより、中田勇次郎とか春名好重のように書道学者として生きたほうがよいだろう。あるいは、一般書家からも異口同音に「書というよりグラフィックデザイン」と揶揄されているように、グラフィックデザイナーと名乗ったほうがよいのではないか。それほど彼の「字」は観る機会がない。唯一著書で雁塔の臨書などを目にすることができるのであるが、率直に言ってこの程度の字なら素人でも5年やれば書けると思われる。
    他に、彼が大学の講義で黒板に書いている字の写真を持っているが、こちらのほうが古典の臨書より普段の本当の実力がよく分かるというもの。それで判断すれば、彼の字は素人の域を出ていないとしか私には見えない。

  • 同じく芳雲氏のものだが、
    しかし、これはあまり褒められたものではない。
    ペンの草書だが、少しぎこちない。スピードも無い。もっと速くなめらかに書かなくてはならない。

  • あまり貶してばかりでは、私が人を褒めたことのない奴と思われても心外なので、間にひとつ清涼剤として掲載する。しかしながら、世間の者は洞察力が不足しているから難儀だ。よく私のことを、「あいつは人を褒めたことがない」と言う者が多いのには閉口する。

    この画像は石川芳雲氏。れっきとした書の大家だが、筆耕をやらせても上手い稀有な存在である。現役書家の中ではいちばん字が上手いのではないだろうか。もっとも他はヘナチョコばかりだが・・・・

  • この看板、稲田朋美書。いくらなんでも、これは日本の恥! なにより中国に恥ずかしい。

  • まあこれをどう観るかは自由ですが、実は私は仮名も多少はやっておりまして、その経験から言いますと、作品としては日比野五鳳の「ひよこ」、また杉岡華邨の一連の作品あたりが最高峰かもしれませんが、基礎力などを加味しますと忘れてならないのが尾上紫舟、岡山高蔭、多田親愛、田中親美、安藤聖空等々が浮かんできます。萱沼貞石はそれら仮名の巨人と肩を並べる実力者だと考えます。最近は私と同じようなことを言う人がちょくちょく出てきており、それで通常10円で取引されるような本が70,000円もの高値で売れるのです。

    余談かもしれませんが、有名仮名書家の仮名単体(いろは歌)を特集した本を持っておりますが、戦後仮名書家で基本がよく鍛錬できているのは聖空。日比野五鳳や宮本竹逕、桑田笹舟などは可哀想なぐらい下手糞。このなかの何人かは息子も大家として扱われており、そいつらはもっと下手かもしれない。
    この「いろは歌」は漢字でいえばまさに楷書ですからね。真面目な話し、ホントに憂います。

  • 藤原敦忠の歌一首
    これなどは、寸松庵色紙と比べても劣っていないと思います。

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