ここから本文です

投稿コメント一覧 (2099コメント)

  • >>No. 37375

    >残された者にとっては、忙しいことは良いことです。

    鼻の穴に脱脂綿を詰め込んだ・・仏さんの顔を拝んできました。・・従妹の嗚咽は止まらない・・

    万葉歌人が歌ったように「神社(もり)に神酒(みわ)すえ祈祷(いのれ)ども」、死者は還らぬ。だが、還らぬと知っているからこそ祈るのだ、と歌人が言っているのも忘れまい。神に祈るのと、神の姿を創り出すのとは、彼には、まったく同じ事(ワザ)なのであった。死者は去るのではない。還って来ないのだ。というのは、死者は生者に烈しい悲しみを残さなければ、この世を去る事が出来ない、という意味だ。---中略ーーー「御国にて上古、ただ死ぬればよみの国へ行く物とのみ思いて、かなしむより外のこころなく」と門人等に言う時、彼の念頭を離れなかったのは、悲しみに徹するという一種の無心に秘められている、汲み尽くし難い意味合だったのである。死を嘆き悲しむ心の動揺は、やがて、感慨の形を取って安定するであろう。この間の一種の沈黙を見守る事を、彼は想っていた。 (小林秀雄著「本居宣長」)

  • 今夜は縁者の通夜です。 

    このところ、私の廻りでも・・旅立つ人がやたら多いように思えるのは、気のせいかなー

    残された者にとっては、忙しいことは良いことです。

    ・・さて、そろそろ出かけて行かなくちゃ・・

    2018/01/14 16:30

  • この議論の初めに、しまとりさんの【神道の神と、旧約の神は、全く異なるものですか?】 (No. 37080)という設問に、「異なります」とわたしが応じて、その理由に一神教であることと契約神であることをあげましたが・・そもそも、神との契約を絶対に守ることが信仰であるヘブライズムの世界と、日本の神道や仏教(特に浄土教)のように、神や仏の前に無になって身を投げ出すことが信心・信仰であるとする世界とは・・そもそもその成り立ちも構造も異なっていることを私は主張してきたのであります。(^-^)

    キリスト教も、元々はそのヘブライズムから生まれた宗教ですので、その契約という基本構造はNew Testamentという通り、それは契約の更新であって、これの構造は変わりません。ですから「私の愛するイエス様」という媚態でもって神の前に身を投げ出す、一見敬虔な信者に見える方が、結果的に棄教した数例を私も見て来ております。それは自分が理解してきたものとは違う・・一神教という深い井戸の奥底を・・覗いたためでしょうね・・そうならぬよう、契約一神教の基本の基本を知っていただきたく、この一文をしたためたのですが・・どうでしょうね・・契約!!なんとも理解するに難しい概念ではありますが・・。

  • では何故「絶対に守る」のか・・それはヤハウェが契約神であって、熱情の神であり・嫉む神だからです。一神教では「神が絶対」とよく言いますが・・これは神との契約が絶対という意味で、人と人との約束や話し合い、つまり人間の間での契約で神との契約を破ることは絶対に許されないという事なんです。これは遺言書でも同じでしょ?子が親の遺言を話し合いで変えることは許されない。その原理を最初に挙げた出エジプト記の【Sefer habberith 契約の書】でも書いています。

    【わたしが、今日命じることを守りなさい。見よ、わたしはあなたの前から、アモリ人、カナン人、ヘト人、ペリジ人、ヒビ人、エブス人を追い出す。よく注意して、あなたがこれから入って行く土地の住民と契約を結ばないようにしなさい。】(同34:11~12)

    これは人が人と結ぶ契約のことを、イスラエル人と他民族との契約を結ぶことに模しているだけです。結局これは契約を結ぶ対象はヤハウェのみであって、人と人が契約を結ぶことを禁じることの条文なんです。

    で、この「聖書における契約」の理解がなぜ日本人にとって難しいかというと、これは日本にはなかった上下契約であるというところからであろうと思われます。
    契約には通常、①上下契約②相互契約③履行契約④保護契約があるそうですが、日本にはこの①の上下契約がなかったと。ヨーロッパでは騎士が主君(王)と契約を結んで仕えています。このことは、それぞれの契約が矛盾しなければ複数の王から封土を与えられる騎士が存在してもおかしくないということにもなります。ヨーロッパの忠臣とは結んだ契約に忠実な臣のことをいうのであって、忠誠義務は内容が特定されていて無制限ではないのです。この点、赤穂藩の大石内蔵助は忠臣ではありましたが、殿様である浅野内匠頭と契約を結んでいるわけでもないし、契約を死んでも絶対に守るという発想があったわけでもありません、それなしでも忠であり続けました。
    ・・・つまり、聖書の「神と人との契約」とは、日本にはなかったこの上下契約であったという事です。

  • >>No. 37214

    >これの意味がわからないのですが。
    親の遺言とは、聖書においての、なんに当たるのですか?


    シナイ契約のことです。すなわち「モーセの十戒」(出エジプト記20:1~17)といわれるもの、それに続く「セーフェル・ハッベリース Sefer habberith 契約の書」(同20:22~23:33)と言われるものです。

    親の遺言はその内容を変更できないという意味において絶対契約です・・その意味で使っています。もちろんシナイ契約の前にはノア契約・アブラハム契約がありますし、シナイ契約の後にもシケム契約(ヨシュア記24章)、ナタン契約(サムエル記7:11~16)、ヨシア契約(列王記下23:3)等々と、内容の変更はできないにしても旧約聖書には【契約の更新】という概念はあって、たとえば預言者エレミヤの「見よ、わたしがイスラエルの家、ユダの家と新しい契約を結ぶ日が来るーー中略ーー しかし、来るべき日に、わたしがイスラエルの家と結ぶ契約はこれであるーー中略ーーすなわち、わたしの律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す。わたしは彼らの神となり、彼らはわたしの民となる。」(エレミヤ書31:31~)という言には【新しい契約】という、後にキリスト教がカノン(正典)とした新約聖書へと繋がる思想への胎動がみられます。蛇足ですが、なぜそう言えるかというと「律法を彼らの胸の中に授け、彼らの心にそれを記す」という言葉に、行為義認から信仰義認へという思想が予見できるからです。

    ですから新・旧約聖書を通して・・聖書とは契約の更改史であって、その内容は「契約書」に他ならないんですよ。何故その契約書が、宗教書でもあり信仰の書にもなり得るかというと・・前にも(No37087で)あなたに言ったように、信仰の意味が日本人とユダヤ人ではいささか異なるからなんですよ。
    【しかし反面から言えば、それだからこそ絶対者なる神との契約を絶対に守る・・そしてその守ることが信仰(フェイス)すなわち神への忠誠(フェイス)なんですね。つまり日本人の仏教や神道における信仰・信心といった言葉の意味とユダヤ人の信仰の意味とが根本からかなり違う】
    ということです。この↑引用文では絶対という言葉がカブって、下手な日本語になっていますが、この投稿の最上に書いた「遺言が絶対契約」だという事のトートロジーでもあるんです。

  • >>No. 37153

    >例に上がったアインシュタインは、アシュケナジムで、カソリックで育っていますよね?
    つまり、ユダヤ系だからといってユダヤ教で育っているわけではない。どうも遺伝子の関係で
    アシュケナジムはIQが高いという、学者達もおりますよね・・・

    >それと・・・ユダヤ人というのは人種的にセム族ですよね。ところがアインシュタインにせよ、現在のイスラエルのユダヤ人にせよ、コーカサス系に見える人たちが大多数ですよね。

    >モーセの時代のユダヤ人たちとは随分人種的に異なっているような感じがしますが、いかがでしょうか?

    ********

    えぇ、モーセの時代とはずいぶん違っていることでしょうね。
    ダビデ・ソロモンの栄華の時代を過ぎてからは、まず北王国がアッシリアに滅ぼされ、北のサマリアでは民族的にも宗教的にも混交がみられます。その後、南のユダ王国も新バビロニアによって支配階級の人々がバビロニアに捕囚され、下層民の残ったユダの地は荒れ放題、この時にも血の混交はあったでしょう。何より1世紀にローマ帝国に滅ぼされてからは、世界中へディアスポラの民となって、そこから1800数十年間の時を経て帰還したのですから、それぞれの地で血の混交は相当にあったことは容易に推測できます。

    面白いのは、ユスティニアス帝がシナイ山の麓に聖カタリナ僧院を建てる時、建設用奴隷として多くのルーマニア人をこの地に送ったそうです。建築終了後、彼らは契約牧畜民となったんですが・・やがてイスラムの侵入があって、この地は悉くアラブ化し、このルーマニア人たちもその中に埋没して、今では消息不明だそうです・・^^が、よく考えてみれば、今その周辺にいる(僧院と取引している?)ベトウィンは・・その子孫かも知れないではありませんか。彼らは、今は普通のアラブ人と思われており、本人もそう信じているでしょうが、血統的に辿っていけばルーマニア人なんですね、おそらく。^^;・・そういうと彼らは怒るでしょうが。まぁ人間を血統で、つまり民族的な血だけで辿っても無意味でしょう。あくまでも文化史的に辿らなければ人間としての意味がないのでは・・と思う今日この頃。(^^;)

  • >>No. 37152

    >ご縁で、両部神道系の室内もので月に一度3時間、10回ほどしました。
    辛かったのは3日前から肉や乳製品の禁止。前の日から断食と食事制限が大変でした。

    ******

    あぁ、帰神行というのは室内ものでしたか・・。

    「細い穴からあちらの世界へ」が何を暗喩しているかは判りませんが、ミステリアスですね。

    両部神道系というからには・・密教の理趣経に関連ですかね。

  • >>No. 37151

    > >ええ、時々酔っぱらって電話してきます。

    > なんとなく、想像できますわ^^ 親父がなんだで、貧乏になってしもた・・

    > 障害者(? どこにも障害ないやろが!)やのに、世間は冷たい・・

    > かーちゃんが うるさい・・・猫が どうのこうの・・・

    > そんな話と 違います?

    *******

    まぁ、大方そんな話ですが・・一点だけ違います。

    (? どこにも障害ないやろが!) ← これです。

    ネットで知り合った人たちと私が積極的に会うようになったのは、最初にタイミソさんとリアルであったことが切っ掛けです。

    「この人・・どうやって生きてきたんやろ?」

    その時の↑見たまんまの印象です。

    バーチャル画面での【障害】という文字なぞ、何も伝え得ないという事がよーく判りました。

  • >>No. 37118

    >帰神行の経験のある者として横から失礼します。

    わたしは神道の行のことはよく知らないのですが、この帰神行というのは滝行のことですか?

    >日本神話は中国思想を関係ないという方もいますが、神道という言辞が道教の言葉でもあり、
    日本神道は中国思想と没交渉ではあり得ず、陰陽思想の影響は強いと思います。

    たしかに、記紀・・特に日本書紀の記述方には中国の影響はあると思いますが、神道自体には北方シャーマン系からの影響もあるんではないかとの感触があります。まぁ古神道ですが・・

  • >>No. 37147

    >本当に、有難うございました^^で、鯛ミソさん 元気?

    ええ、時々酔っぱらって電話してきます。

    ヨッたらしつこい、しつこい・・電話代は向こう持ちだから、切るまで聴いてはやりますが・・^^

  • >>No. 37117

    >お忙しくさせてはいけないと私の投稿(No.37098 )を削除したのですが

    えぇ?そうだったんですか~。削除には気が付きませんでした。忙しいも何も、カキコしたい時はするし、したくない時はしないし、自由に掲示板を使わさせて貰っています。お忙しくさせてはいけないなどと・・そんな心使いをして頂いて、こちらが恐縮です。(^^;)

    >ヒッタイトの大王トゥドハリヤ4世とタルフンタッシャ王クルンタの間にかわされた条約の青銅タブレットが残っているそうで、紀元前1235年だそうです。

    このタブレットの存在は私も全く知りませんでした。それに紀元前1235年・・ムムム、ラムセス2世、モーセ・・途端にこの名が浮かびました。

    貴重な情報、ありがとうございました。(^-^)

  • >>No. 37122

    >この世に生み出された私たちは、両親と個々の契約を交わしたのではなく、一方的な恵まれ方によって、産んでもらえたものなのです。

    聖書の契約(testament)はそれと時間軸が逆でしてね【遺言】の意味を持つんですよ。

    遺言書では指示されるものが、遺言書の内容を変更することができないでしょ?・・そりゃあ死んだ親の遺言を子供が勝手に変更できんですわね・・(笑)

  • >>No. 37130

    > ユダヤ人に天才が多いというのは、アブラハム契約にしてもモーセの出エジプト(どちらも最重要?)にしても、慣れ親しんだ故郷・共同体の「外」にでる運動でしょう。他の宗教文化にはなかなかない。共同体や伝統の「内」に回帰してしまう。日本でもヨーロッパでも中国でも。

    ========

    なるほど「外にでる運動」ですか・・ユダヤ人はそれに加えてディアスポラの民ですからね。革新的なんでしょうね、外に出るってこと自体が。そこから新しい発想が生まれると・・。

    むかしポリネシア人の大航海について書いたことがありますが、彼らも革新的な人々ですね、はるかかなたに島が存在するかどうかも判らない時に、よくもハワイやイースター島まで渡って行ったことかと。

    わたし流の保守主義の定義は「今日も食えた、明日も食えるであろう、ならば生活規範を変えまい」です。すると99パーセントが保守主義者になりますが。(^-^)

  • >>No. 37127

    >つかぬ事をお尋ねしますが、テルゼさんが 貴方がh、h²だと主張しています。
    私は、そうじゃないと思ってます。
    そこで、よければ 白黒が、はっきりする事実 お話しして頂けませんか?
    よろしく 御願いします m(__)m

    これについては先日、オリさんへのレスで答えていますから、そちらをご覧ください。

    https://textream.yahoo.co.jp/message/552019920/2bfa4rfia4dfa1a22bfa4rd0a4ada1a22bfa4r4qa4fa4ada4bfa4ab/1/37076

    そのリンクで書いているように【悪魔の証明】つまり、事実の証明「~~はあった」に対し、消極的事実「~~はなかった」ということ・・この、ないことを証明する困難さがあります。
    それでも、リンク内では①~⑤までの事例をあげていますが、ネットというバーチャル世界ではその事例がはたして本人達(h氏と私)に該当するものであるかどうかも確認の仕様がありません・・なにしろ書かれたものに署名・捺印があるわけでもナシ・・皆さん匿名で投稿しているのですから。つまり公文書でないのは勿論(私人の名義で作成される文書を私文書というのなら)その私文書でもありません、名義がないのですから。という事は、掲示板の投稿文というのは、会社の便所の壁に取締役への告発文を誰かが貼り付けたような・・怪文書と同等のものという事になりますナ。便所の落書きとはよく言ったものです。
    要するに、掲示板の中で私が何を書いたとしても、匿名であるかぎり他人様にそれが私である・または私でナイ、ことを証明することは不可なんです・・それが匿名・無記名投稿の掲示板というものではないですか。

    まぁ、せっかく丁寧に問い合わせてもらったのですから、その④と⑤についての証明らしきものを画像に出しておきます。私は市の健康診断を毎年6月に受けており、そこに3年間の記録が残っています。④で私の身長は170センチ、⑤で血圧が100前後の低血圧と書きましたが画像でご確認ください。そうだな・・診断書はお前のものか?と言われると処置なしですが、それでしたら昔愚氏のトピで私ととりさんが並んで撮った写真を彼女がUPしたことがありますので、それで確認して下さい。彼女は女性としては比較的大柄で、160㎝台の中程ですので私と比較してみて下さい。

  • >>No. 37110

    訂正

    >そしてその嚆矢となるものが俗に「モーセの十戒」といわれるシナイ契約です。

    これは嚆矢という言葉を使い間違いしました・・シナイ契約の前にもアブラハム契約もありますしノア契約もありますから。嚆矢を削除して読んでください。

  • そういう余人が思いつかないような同型の発想がユダヤ人にはとても多い・・。
    一つの考え方として・・これは、全員一致は無効との話題を取り上げた時の「ユダヤ的弁証法」という思考方法(一つの例として律法を守れば守るほど律法から遠ざかるといったような思考方法があります)が大いに関係しているんではないか、と思っています。まぁその前提として、律法を徹底的に頭に叩き込むユダヤ人の児童教育にも勿論その原因はあるでしょうが。結局、ユダヤ人の発想そのものに私が最初から言っているユニークさがあるんですね・・。ああ今日は書き過ぎたか、シンデレラの時間です。おやすみなさい。(^-^)

  • すなわちそのオリエント宗主権条約は・・

    ①大皇帝の自己紹介
    ②過去の歴史的関係と与えた恩恵
    ③契約条項
    ④証人または証拠
    ⑤契約を守った場合の祝福、破った場合の呪い

    となっております。
    一方シナイ契約では、申命記5章~8章がこれととほとんど同型です。すなわち、
    ①神の自己紹介「わたしは主、あなたの神、」があって、
    ②過去の歴史的関係と与えた恩恵では「あなたをエジプトの国、奴隷の家から導き出した神である。 」と続きます。
    ③ついで契約条項の第一条「あなたには、わたしをおいてほかに神があってはならない。」は宗主権条約では「私のほかだれも大皇帝としてはならない」です。
    ④証人または証拠は「それを二枚の石の板の上に書いてわたしに授けられた。 」であり、
    ⑤契約を守った場合の祝福、破った場合の呪いは「今日、わたしが命じる戒めをすべて忠実に守りなさい。そうすれば、あなたたちは命を得、その数は増え、主が先祖に誓われた土地に入って、それを取ることができるーー中略ーーもしあなたが、あなたの神、主を忘れて他の神々に従い、それに仕えて、ひれ伏すようなことがあれば、わたしは、今日、あなたたちに証言する。あなたたちは必ず滅びる。 」にあたるでしょう。

    こうしてみると、確かにその影響があるのは否定できないと私も思いますが、こういう国際条約がなぜ宗教に取り入れられて、神との契約を絶対化する宗教が生まれてきたのか・・この観点からはやはり永遠のナゾは残るようです。

    それから最後に・・やはり「神と人との契約」の不可思議さに戻ります。
    ユダヤ人に何故ノーベル賞受賞者が多いのか?という問いを、どこかの掲示板で以前フローラさんが質されたことを記憶していますが・・そのことにも関係するかとも思いますので書きますが・・天才とはそれまで全く無関係と思われていた二つの言葉(概念)を結び付けて新しい世界を切り開くことのできる人だ・・という金言を聞いたことがあります。これにあたるのが契約一神教の始祖モーセではないかと私は思います。何の関係もないと思われる「神」と「契約」という言葉を結び付けたのですから・・。これはモーセの天才性がなせるワザではないでしょうか。そういえば。同じユダヤ人であるアインシュタインも「質量」と「エネルギー」を結び付けましたね。やはり天才です。

  • 【天地万物に大元高祖あり。御名を天之御中主神と申す。始なく又終もなく天上に座し、天地万物を生ずべき徳を蘊(おん)し、為事(なすこと)もなく寂然として万有を主宰し給う。次に、高皇産霊神、神皇産霊神あり。天之御中主神の神徳を持ち別けて、天を生じ、地を生じ、人を生じ、神を生じ、天地万有を主宰そ給うと・・。】

    天之御中主神とういう一神が、その「神徳を持ち別け」る二神と・・つまりこの三位一体論的な三神によって「天を生じ、地を生じ、人を生じ、神を生じ」たが、その生じた神は三神、つまり三位一体の神による被造物であって三神と同格ではない、といったところか・・そこらあたり(神が神を生む)がヘブライズムから少し外れ、なにやらギリシャ神話を思わせるようで興味深いですが、まぁとにかく創造神的な面貌は窺わせます。

    したがって、これによれば、「天之御中主神」には唯一神、創造神、永遠に存在する神、といった神格は窺われます・・。しかし最重要な一点が抜けております。それは・・この平田神道には「天之御中主神」と各個人が契約をしたという考え方が皆無なのです。つまりモーセにはあった契約神という考え方が全くないのです。そこがなぜ抜けたのか、平田が密かに読んだという「唐本聖書」なるものを調べてみたい誘惑におそわれますが、おそらく神と人の契約という概念が日本人にはなんとしても受け入れがたいものであった、あの平田にしても・・その理由としては、そうではなかったかと私は勝手な推測をしております。

    とにかくこの「神と人が契約する」ことは聖書の大前提なのです。新約聖書・旧約聖書の約は文字通り新しい契約・旧い契約の約なのですから。そしてその嚆矢となるものが俗に「モーセの十戒」といわれるシナイ契約です。ちなみに契約という言葉はヘブライ語で「ベリート」、ギリシャ語では、「ディアテーケー」、ラテン語では「テスタメントウム」といい、そこから「テスタメント」という英語になっています。

    で、最初の「永遠のナゾ」に戻って・・なぜ「モーセの十戒」があの形になったのか、そのヒントになる一つの学説を紹介しておきます。メンデンホールという学者なんですが、彼は当時のオリエントで覇を唱えたヒッタイトの大皇帝とそれに従属している小王との上下契約に着目し、その形式がシナイ契約ときわめて類似していることを指摘しています。

  • >>No. 37098

    >おっしゃる通りイクナートンの場合は、従来あった多神の中からひとつ「アテン」を選び唯一神の体をとったと思います。イスラエリの一神ですが、当時のユダヤ人たちは、エールやバール、またまたアーシラト等を信仰していた、それが、突然すべてを合体したオールマイティの神が登場したとはなりませんか?< 

    そう、突然なんですね・・ですから何故モーセの前にbe動詞を二つ並べたオールマイティの神が登場し、イスラエル人がその一神教を信じるようになったかは、前のリンク内で言ったように・・永遠のナゾでしょうね。

    ちょっと整理↓すると・・実は、要点は後段のほうです。契約一神教のうち【契約】の方です。

    ******

    【アメンホテプ4世の一神教とモーセの一神教には決定的な相違点があります。
    前者は、カセノシズム(交替一神教)による一神教化現象ですが・・そしてそれなら別に珍しくない文化現象ですが・・後者にはそれが全くみられないということです。
    多くの多神教で、さまざまの神々の能力が“主神”へと集約していって一神教化する現象は、意外に多く見られる事です。しかしモーセの一神教にはその痕跡が全く見られないのです。

    そしてもう一点、モーセの宗教の決定的な特異さは、契約一神教であるという事です。

    一神教であること自体は、上記に言うように、そんなに驚く事ではないのですが、契約・・この神と人が契約するという考え方が、途方もなく特異なのです】

    ******

    ここ↑で言うように、一神教化現象の場合は・・是非はともかくとして「社会進化説」で説明がつきます。それは「あらゆる宗教は一神教へと進化していく」という、アーリア人右派が考えそうな19世紀の学説です。(もちろん、私はこれ嫌いなんですが。)・・しかし、神と人とが契約する・・こちらの方がなんとも説明のつきようもない異様なことなんです。そう今、特異から異様に言葉がレベルアップしましたが、^^;日本人には確かに異様に思えて、どうも馴染めない考え方です。

    まず一神教化現象の方から言えば・・日本の神道は八百万の神々と言われていますが、江戸期の国学者、平田篤胤では相当に一神教化しているふしが見られます。もっとも彼、密かに「唐本聖書」つまりイエズス会が漢訳した中国語聖書を読んでいたそうです。

本文はここまでです このページの先頭へ