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投稿コメント一覧 (2264コメント)

  • ・・・勝負は下駄を履くまで分からない・・・

    今、アメリカではMLB、正しくはALBだが、ワールドシリーズも佳境に入り、観客の一喜一憂の様が痛々しい。大詰めに入ってからの選手たちはリラックスできず、天王山のプレッシャーなのか、お粗末なプレーが目立つ。きっと近視眼的個人主義の賜物なんだろう。チームが勝利する為に自分は今どうすればいいのかには興味は無く実に場当たり的。

    勝利してから騒いでも遅くは無いのに我々日本人から見ると実にお粗末な精神性を露呈する。試合の前後にそれぞれ一時間ばかり座禅を組ませたら随分変わるだろうにと思う。テニスではセリーナ・ウイリアムズ選手と大坂なおみ選手の決勝戦でウイリアムズ選手が常軌を逸した言動に走ったが几帳面な主審はルール通りの判定を下した。

    彼女が乱れるのは一個性だから大した問題ではないが、観客席から主審の正しい判定に対して大ブーイングが起こった事にはこの目を疑うほどにビックリしたものだ。観客の思考回路はまさにカノ国民の縮図なのだろう。己の利益が何にもまして優先される資本主義社会の成れの果て、死後の世界にいったい何を携えてお帰りになるのやら。

  • ・・・勢いよく流れる水は澱まない・・・

    人体の大半は水で出来ている。その水が流れを外れ溜まるなら次第に澱み始め、
    怠けものの細菌たちが処を得んとばかりに集まってきてその水は腐敗し始める。

  • ・・・解脱目的の荒行は無意味である・・・

    そう仰るカリスマ事業家がいらっしゃる。荒行の代表的な行に冬場の滝に打たれるという行があり、興味を持っていたので、何でだろう?と考え、色々と調べてみたが解らなかった。軟弱な心を鍛える目的なら効果はあるだろう。初めてスーパー銭湯に出かけた頃、水風呂の存在を知り、試してはみたものの耐えら切れず5秒程で飛び出していた。

    しかし何度も通う内に自身の軟弱さに腹が立ち、ヨーシ挑戦してやろうじゃないか!と、恐る恐る入水して耐え忍んでいると、不思議なことに入水30秒くらいで辛さは消え、そのまま1分を超えた頃には、体感的に常温になっていた。
    勿論のこと、寒風に曝され身体を水温に馴染ませない滝行とはまるで違うが、心臓麻痺で死亡では絵にならない。

    話を戻すが、社会に役立たない荒行は短距離競争の新記録樹立で喜んでいる関係者と大差ないように思う。足の速い警察官が瞬時にして犯人を逮捕したなら評価に値するし、消防士が火災現場から速やかに罹災者を救出すればやはり評価でき、又、応援したくもなる。他の人々を救うために苦行に立ち向かう時にして初めて氏神様は加担する。

    常に他者を労わり助けようと言動する優しい心の持ち主は、率先して氏神様の思いを満たしているので、大過どころか常の幸福感が得られ、幸せな人生が送れる。やり続けるなら非凡な能力を与えられることを実感でき、その表情は豊かかつ美しくなり、誰からも好かれ尊敬されるというオマケまでついてくる。

  • ・・・人間は神の子だという・・・

    なのに神の子は出来損ないであり罪深い存在なのだと宣う。そして絶対的全能神である神に縋れという。我々日本人には理解しがたい説教だ。それを真に受けた大の大人たちは罪の許しを請いにシゲシゲと施設に通う様は異様である。大人年齢に達しているにも関わらず親に頼るなボケ!と我は思う。

    神道的に解するなら、神の子人間にはそれぞれに自由意志が与えられていて、物事の是非を個々の内に問えば良いのであり判断を誤るなら、それなりの不都合が発生する仕組みになっているが為、何らムジュカシイ問題ではないのである。東洋には気学という学問があるが、それは量子力学を学ぶことでその粗方を知る事が出来る。

    有機物は無機物を従え、無機物は有機物に従う法則を知るなら、無機物は大切な使用人であり大切に扱えば主への協力を惜しまない。フライアウトや三振を喫しヘルメットを地面に叩きつけバットをへし折る選手が目立つ半面、適時打を放てば小躍りし、天を仰いではしゃぐ不勉強な大人年齢の救いがたい神の子達に、ついつい小鼻が震える。

  • ・・・逆さメガネとバカの壁・・・

    という養老孟子先生の二冊の書があった。
    バカの壁とは形而下界を形成する内壁の事であり、
    逆さメガネとは実相界からではなく仮想界から物事を観るメガネの事だったのだろう。

  • ・・・神性に目覚める・・・

    自分は肉体そのモノであり、それ以外の何モノでもない。そして神仏の存在は全くの空想であり、そんなモノは、この世に存在しないと信じ込んでいる者の多くは、その唯一無二であるはずの肉体をすら疎かに扱っている。物事を肉体の頭だけで考え判断を下し続けるなら結果的にロクなことがない事例は五万とある。

    ボタンの掛け違いはその都度不都合を生じさせ、やがては精神科のお世話になる。肉体が全てであるはずが、非肉体である精神の治療を求める矛盾。生体内の神秘をしっかり学ぶなら、肉体は人智を遥かに超えた奇跡で出来ている事に気付ける。形而下界という未熟な夢の世界は形而上界を学ぶことで十分に理解できるだろう。

  • ・・・子供に必要な両親・・・

    肉体の両親は肉体をもって解り安く我が子を導くことができる。賢い父は己が背にて導き、賢い母はそれらを上手にフォローする。子供は自主的に物事が判断でき、立派な大人へと成長する。しかし多くの不勉強な親たちは幼い精神の自我を押し付け神の子をいじくり廻す。

    神には当に隠匿という形でしか我が子を導けないジレンマがある。子供は肉体の親が未熟である事に気付くならサッサと独立するべきであり、心素直であれば、自然な導きに由って離脱できるようになっている。離脱できない原因は縋りたいという依存心にある。

  • ・・・神はいずこに坐すか・・・

    宗教者の多くは己の外に神が存在すると考えるようだ。己の外に神を見出したと宣う宗教者も偶にいるが、それは己の思いの現象化であり、己の心が汚れているなら正しい現象とはならない。「初めに言葉あり、言葉は神と共にあり」という。己自身が神である事に気付くなら己の口から神の言葉を発すれば良いのだ。穢れなき素直な心を持って。

  • ・・・人間に不可能は無い・・・

    正木和三工学博士はそう仰った。個々に希望するこの世的物質を追い求める前に、先ず今の不自由を解消する事が先決だ。悩み苦しみを取り去るために、我れは一体ナ二モノであるかを追求する必要がある。信仰と科学を絡み合わせ徹底的に己れの実相を追求することで、いちいち他人を検索する苦労は無くなる。他人の所業は己れを顧みる為のモノ。

    人は鏡であり万象もまた鏡である。観る対象が汚れているのは、己れの汚れが写し出されている証拠であり、己れを綺麗にすれば対象も又綺麗になる。己が心を綺麗にする手っ取り早い方法は現象を綺麗に掃除することであり、宗教的には鎮守さまのお手伝いをする事になり、科学的にはその環境は自然を取り戻す。自然に一切の病なし。

  • ・・・如何にすれば個性的な魅力を引き出せるのか・・・

    風采の上がらぬ一人の男がいる。彼は際立って美しい一人の女性に思いを寄せていた。ある時、その思いを友人に明かすと、友人は驚いたように「彼女は君の事を大好きだと言っていたぜ!」と。その言葉を聞くまでの彼の塞いだ表情は一変し、笑み満面、輝くような表情に変わっていた。いったい誰が彼を変えたのか?誰でもない彼自身である。

    「良い男には良い女が斜めになって寄って来る」という諺がある。飛びっきり良い女を同伴させる男に何故か醜男が
    多い。それを見るにつけ、男は顔じゃないんだ!と思う。他人を気にする暇があれば他人には真似のできない己れの個性的魅力に気付くことだ。チンケな了見ではイケメンであってもすぐに飽きられる。

  • ・・・不平不満を云わぬ草花・・・

    早朝歩きを続けているとオヤ?と思うことがままある。擁壁の隙間から小さな草が伸び可愛らしい花をつけている。老眼鏡でよくよく観察していてハッと気づいた整然とした美しさ。それに引き換え人間という万物の霊長は、その環境に不満を持つ。どこが万物の霊長なんだろうと反省する。

  • ・・・神に助けを乞うてもその願いは届かない・・・

    なぜなら人は全て自分で自分を助ける能力を既に与えられているからである。
    神も仏もあるものか!と思っている人ほど窮地に立たされると「神様」と口走る。
    無限の能力を与えられているにも関わらず神を助けようともしない無知が病いの原因だ。

  • ・・・嫁、嫁ぐ・・・

    戦前と戦後では花嫁の表情は随分と異なる。嫁ぐという字は家の女と書き、働き手を求める処に嫁入りするケースがほとんどだったように記憶する。屋外での挙式が増えた今、花嫁の表情は実に晴れやかだ。そして無二の幸せである今、その口からでる言葉(幸せになろうね)。今の幸せに酔いながらも未来の幸せを求める。

    そして待ち受ける現実の今を憂いて「こんなはずじゃなかった!」健康なる時も病める時も互いを慈しみ合い助け合うと誓った?なんて記憶の片隅にも残っていない。この物質界の幻を追い続け、あの時の幸せだった笑顔は消え失せる。根であり幹である心の存在に気付けず花や実を求め続けついには朽ち果てる。昔の嫁は心の大切さを知っていた。

  • ・・・人間はその誰しもが神通力(天才)を有している・・・

    催眠術もプラシーボ効果も、必ず言葉を使う。被験者は施術者の言葉を真に受け信じるからこそ効果は表れるが、それは決して施術者の能力なのではなく、被験者の能力(神通力)である。アナタが彼らの言葉を信じなければ、効果は無いことで証明できる。アホだ!バカだ!無能だ!とバカ親は子供の神性に蓋をし、子供がそれを信じ込むことで親の希望通り出来損ないの子供のまま大人年齢に至るのジャ。

  • ・・・人間界には在るが霊界には無いとされる時間差・・・

    疑問が湧き、答を求めるも直ぐには見つからない。物質界である今世には因果というモノがあるが、陰質な意味にとらえられがちだが、原因と結果の字を簡約しただけであり、単に正解を求められて回答を誤れば不都合が生じるだけの法則で、正しい答えを見つければ良いだけの話である。人間界で考える時間が与えられたお陰で賢くなれる。

  • ・・・遺伝子は身体の設計図・・・

    人の身体細胞の遺伝子をいじくる研究グループがあるそうだが甚だしい無駄である。各自の遺伝子スイッチは本人の意思決定で如何様にも変え得るからであり、無意識的に「できる!」と思うなら「出来る」にスイッチが入り、抵抗なく出来てしまう。サッカー選手のゴールしかり野球選手のホームランしかりである。

    しかし、日ごろの非凡な練習の積み重ねが無ければ顕在意識上、自信が持てず、潜在意識力に届かない。兎にも角にも弛まぬ非凡な練習努力と、俺には出来る!絶対に成し遂げる!の強烈な信念が必要であり、弱気では無理である。基本を学ぶためにはコーチの指導を受け入れるも、自分の形は自分で造り上げるものである。

  • >>No. 6240

    ・・・追伸・・・

    憑依霊は煙草の煙を嫌うように思う。過去に愛煙家が憑依を受けたケースを知らない。
    電気のビリビリ感で憑依霊が飛び出す事はウイックランド医学博士が立証済みである。
    毎朝の水浴びや、一九(いちく)会の背中をたたき続ける行も同様であろう。

  • ・・・公用車で喫煙・・・

    こんな事が、まるで事件のようにテレビで報道される病んだ社会。受動喫煙がどうだこうだと騒ぐ病い。食品添加物や処方されるお薬に比較すれば千分の一、万分の一の問題だと推し量る。喫煙は心を鎮める特効薬であり、世界中の指導者たちが愛用していた。どうも落ち着かれると困る理由があるようだ。

  • ・・・形而上学と形而下学・・・

    自分的にイメージするに、後者の形而下学は今世での人間物質社会の約束ごとであり、形而上学は絶対的宇宙法則になる。形而下学は今世、この世限りのものだが、実相ではなく夢幻の世界だと学習努力を軽んじると卒業証書は与えられず、退学処分となり、またぞろ異なった形で地上界へ戻される(輪廻転生)。

  • ・・・信仰方向を常に顧みる・・・

    アインシュタイン博士も、信仰は科学的根拠と二人三脚でなければ云々と言っておられたように記憶する。神仏は己が奥底にのみ存在することを念頭に置くなら、心(肚)を定めなければならない事に気付ける。人間である宗教指導者の方々だってその大半は我々と五十歩百歩であり、ほんの少し先を行っている程度だと接していて感じる。

    救われたい、今の苦しみから逃れたい、の、一心で施設へ通うよりも、大人なら、自分が住む地域の産土の神がお喜びになる活動に時間を使った方が遥かに効果がある。鎮守の神は常にその地域の平和と発展を望んでおられる八百万の神の一員でありそのご慈愛に心から感謝し、お手伝いする者に不幸を与える訳がない事を実感できる。

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