ここから本文です

投稿コメント一覧 (4061コメント)

  • >>No. 249643

    方形周溝墓群の中に、前方後方型周溝墓が出現する遺跡です。

    山岸良二『方形周溝墓』ニューサイエンス社 考古学ライブラリー8の34ページです。
    ---------------------------------------------
    関東における高塚古墳造営前夜に、この種の古墳祖型を彷彿させる周溝墓が出現してきたことは今後へ様々な波紋を起こすと思われる。
    ---------------------------------------------
    と書いています。

    画像中央に前方後方型周溝墓が見えます。周りは方形周溝墓群ですね。同類は千葉県の神門(こうど)4号墳が有名ですね。

    この本は、今から40年ほど前の出版ですから、その後おそらくは全国的に同類の周溝墓が検出されているんじゃないかと思います。

    しかも、これが前方後方墳につながると見られますから、前方後方墳の年代的古さから考えて、弥生時代から古墳時代への変遷を考える上で、かなり重要な視点かと思います。

  • >>No. 249659

    あ、レスは短里への態度を明確に示してからにしてね。

    そうそう、横綱稀勢の里がとうとう今日引退したね。キミもドウダイ?短里説の土俵で相撲を取るのは、もうムリだと思うよ。

    まあ、それでもキミには一つ覚えが残されている。キューシューオーチョー!キューシューオーチョー!キューシューオーチョー!ってね(爆)

  • >>No. 249658

    〈承前〉

    キミのアホさ加減がよく出ている個所。
    ---------------------------------------------
    倭國が滅びて100年後。な~んの反論にもならん年代です。
    ---------------------------------------------

    じゃ、「倭國が滅びて」1世紀半後に成立した『旧唐書』はどうなるの?ってな話よ。801年の『通典』を私が出してきたんで、キミはとっさに頭にあった『隋書』が同時代史という意識から、『通典』の「倭國が滅びて100年後」というフレーズが浮かんだ。それで口に出してしまった。

    自分が、「九州王朝を否定するのは無理」という根拠の一つに「旧唐書に「倭と日本は別の国」とはっきり書かれていること」というのを直近で述べていたことも忘れてね。

    浅薄な知識で反論しようとすると、こんなポカをやる。「天誅君大先生」も散々この件については注意していたはずなのにね。tousyoubohiさんが口にした「学習しない奴」ってのは、まさしくキミのことじゃん(爆)

    ねねね、『舊唐書』は根拠になるけど、それよりずっと新しい『通典』は根拠にならないって?根拠よろしく(爆)

  • >>No. 249658

    >『通典』成立は801年。『旧唐書』成立の約1世紀半前 → ゆえに、・・・
    >ゆえに何だか知らんが、それはオマエのアホロンリで、ワシの論理ではない

    はい、サイちゃんのオトボケ劇場で~す(^o^)

    #249618 cyber_ek 1月15日 22:58(字数制限のため抜粋)
    ---------------------------------------------
    >>249615

    》九州王朝など成り立たない。

    しかし、旧唐書に「倭と日本は別の国」とはっきり書かれていることをはじめ、(稲荷山以外の)あらゆる証拠が九州=倭であることを示しているのだから、九州王朝を否定するのは無理。
    ---------------------------------------------

    「旧唐書に「倭と日本は別の国」とはっきり書かれていること」が「九州王朝を否定するのは無理」という根拠の一つだよね?

    それで私のレス、249629(最新)ハイエナのパパ 1月15日 23:40
    ---------------------------------------------
    『通典』巻第一百八十五 辺防一 東夷一 倭 「倭一名日本」

    『通典』成立は801年。『旧唐書』成立の約1世紀半前。画像参照。
    ---------------------------------------------

    それに対するキミの、
    ---------------------------------------------
    倭國が滅びて100年後。な~んの反論にもならん年代です。
    ---------------------------------------------

    私のレス。
    ---------------------------------------------
    じゃ、『旧唐書』が成立したのは「倭國が滅びて」何年後(爆)
    ---------------------------------------------

    キミのアホレス。
    ---------------------------------------------
    ゆえに何だか知らんが、それはオマエのアホロンリで、ワシの論理ではない
    ---------------------------------------------

  • >>No. 249658

    さいちゃん、短里の話はもう諦めたってことでいいのね?白旗あげたってことで、、、?だって、何の返答も出来ない。

    キミ、そんな煮え切らない態度でよくまあ平然としていられるねぇ、、、

    一応、催促だけはしておこう(^o^)

    キミのバヤイは、一向に〝ファクト〟が出てきません!
    --------------------
    古田は「90m~75m」としさらに「75mに近い値」と『追い込んで』いますね。
    --------------------
    について尋ねても、返答をはぐらせるばかりで、じぇんじぇん答えられません。どうしてでしょうか?こんな簡単な質問にも答えられないのは、古田さんの名前を口にする資格もありましぇん。

    あと、「赤壁の論理」における川幅の件とか、そのたの諸質問への回答ヨロ(^o^)

  • >>No. 249656

    若干修正:

    じゃ、『旧唐書』が成立したのは「倭國が滅びて」何年後(爆)
      ↓
    じゃ、『旧唐書』が成立したのは「倭國が滅びて」何年後?(爆)

  • >>No. 249642

    ちょっとつまみ食いでレスを(^o^)

    >》『通典』成立は801年。

    >倭國が滅びて100年後。な~んの反論にもならん年代です。

    じゃ、『旧唐書』が成立したのは「倭國が滅びて」何年後(爆)

    ※サイちゃん、このチョーシで爆笑ネタ乱発ヨロ(爆)

  • 〔過去レス発掘〕「九州王朝トピ」#45259 ハイエナのパパ 2014年10月22日 23:57 for ganguro_grass_hopper
    ---------------------------------------------
    >>45258

    >我ながら、いい歳してガキでお恥ずかしい限りですがw

    私もです~。

    ここにも古田説を支持しているらしき人物が二三いらっしゃいますが、共通するのは、史料に基づかない発言を垂れ流す・・・ということですね。

    辞書すら引こうとしないし、こちらが辞書を用いると、辞書は特殊な例を挙げてるんだ・・・みたいな抗弁をします。

    あきれ果てて、なんて反論すればいいのか?戸惑うこともしばしばですね。

    それでは、今夜はこれにて・・・(^ー^*)/
    ---------------------------------------------

  • >>No. 249637

    大権現様、
    >その非対称性
    についても、お忘れなく(^^)

  • >>No. 249646

    >私がいちいちボコボコに叩く

    ぷっ(^○^)

    >私は「お仕事」と割り切ってやってます

    それにしちゃ、貧相な「お仕事」だね。もっとエネルギッシュにバシバシ書いてみれば?

    キミは自分で自分のことを〝頭がいい〟と思ってるんだろ?だったら、どんどん連発で書き込みヨロ(^○^)

    あ、宿題を済ませてからね(^○^)

  • >>No. 249644

    >学習しない奴を相手にするのは、疲れるような、うんざりのような

    お気持ちはよくわかります。

  • >>No. 249643

    >方部の役割については諸説あるからネ♪

    墓道が変化したものとか、祭壇説とか、それこそ方檀説とかですね。あと、副葬墓説でしたっけ。方部にも別の埋葬主体があるってケースですね。

    平面プラン的には、方形周溝墓の墓道の発達したものだというのが頷けるんですが、それにしては巨大化したものだとも思いますしね。箸墓の場合は祭壇説じゃなかったですかね、今のところ主な見解は。

    そうそう、スロープ説ってのもありました。円部の墳頂に埋葬施設や屍体を運ぶ際のスロープですね。箸墓の等高線図を見ると、そのように窺われる凸部があります。

    ご案内の赤色立体地図でも分かるかと思いますので、ご確認いただければと思います。

    他にありましたっけ?

  • >>No. 249642

    サイちゃん、ナニ別の餌に食いついてんの?宿題はドーシたの?

    短里についてはサジ投げたってことか?再三の催促にもまるきり返事がない。

    なら、潔く短里について語ることから撤退したらどうなんだい?そんなおそまつなノーミソは知識じゃ話にならん。

    自分で「根拠」だと言いながら、「根拠」出せないってことなのか?「何かを主張するなら、根拠が要るのだ」はドーシた?

  • >>No. 249639

    >あのさ、人に質問ばかりしてないで

    相手が何を考えているのか理解できないときは、相手に尋ねるというのは当然かと思いますが・・・。

    >ちったぁ自分で考えて、
    >鬼道と天円地方との関わりについて考察してみたら?

    そのうち、、、ですね。ここが閉店すれば時間にもゆとりができるでしょうから、いろいろ積み残しの個人的テーマも片付けていきたいと思っています。

    確か、漢魏洛陽故城にも南北に円丘方丘の遺構があったんじゃなかったですかね。「武帝紀」から調べ直さないといけないかと、、、

  • 〔過去レス発掘〕「九州王朝トピ」#45023 ハイエナのパパ 2014年10月17日 22:24
    ////////////////////////////////////////////////////////
    >>44999

    wakereturnさん、こんばんは(^^)

    >サイちゃんが生徒指導する立場にあるというのはウソ臭く感じています

    ま、事実だとしても「指導」された生徒たちが、なんだか可哀想な気もしますね~(-_-;)

    >パパさん、突っ込みどころ満載の古田本をご教示願えないでしょうか?

    お奨めはもちんん、第1書である『「邪馬台国」はなかった』でしょうね。続いて第2書の『失われた九州王朝』。第3書の『盗まれた神話』については、頷ける問題提起もありますんで、あんまりやり玉には挙げていません。

    wakereturnさんのような専門家にお奨めなのが、第4書『邪馬壹国の論理』ですね。これは論文集みたいなもので、いろんな古代史家たちとの論争が取り上げられています。残念なことに、古田氏の相手方の論文を直接読むことがなかなか難しいケースもあります。それでも、古田氏が述べている事柄を史料に当たって調べてみると、“そりゃ、ねぇーべ”と言いたくなるような点も少なくありません。“建安十九年の軍議”の件もそうですね。

    >パパさんが突っ込んだ方が話がはやいかな

    これまで12年くらい、ここで古田説批判をやって来ましたんで、別の方からの見方も読んでみたいんですね。その点、ごましおさんの奮闘は非常に参考になります。

    >それ以外の個所を指摘するとしどろもどろの返信しか返ってこない。
    >サイ坊は絶対に史料など見てないですよね。

    「史料」どころか、古田本すらマトモに読んでないようで・・・(-_-;)


    >私などは馬鹿呼ばわりですよ

    私には「クソ野郎」です。

    >相手を馬鹿といって威嚇すれば何とかなると思っているところが、哀れをさそいます

    激しく同感です!


    >基本史料はネットにアップされているのになぜ彼は確認しないのでしょうね

    それだけの脳力が無いんでしょう。

    >それでいて「あらゆる証拠」と豪語しているサイ坊は本当に哀れですね

    まさしく・・・(-_-;)
    //////////////////////////////////////////////////////

  • >>No. 249637

    >この返事を読むと前方後円墳が美しいと読んで良いよね?

    もちろんです。箸墓も前方後円墳の一つですから。

    >全然!発想がちょっとやらしいし♪

    そう思うマインドのほうが「やらしいし♪」

    >寺沢の円天地方の思想とする方がダイナミックと思うゾ

    あの、「天円地方」だと思いますが、、、しかし、「天円地方」というのは中国の思想でしょ?ならば、中国の文献からの裏付けが必要でしょう。『晉書』武帝紀の記事を山尾氏は取り上げましたが、のちに撤回していますので、何らかの難があったのでしょう。

    >ひょっこりひょうたん島じゃあるまいし、とても美しいかたちとは言えないな♪

    これも個人の感性の問題ですね。三品彰英氏と松本清張氏は前方後円墳の墳形は、ひょうたんを横から見た形だと言っているとか(前掲書14ページ)。

    他にもいろいろと瓢、卵について谷川氏は書いていますので、お読みになると面白いかも。

    >あのさ、肝心な箸墓がないゾ

    箸墓は探訪しましたが、ご承知のように墳丘は鬱蒼たる木々に覆われていて墳丘の全容を窺い知ることは出来ませんでした。ですので、赤色立体地図をご案内しました。

    >私がおかしな格好だとするのは、その非対称性にあるんだ

    え?箸墓が「非対称」なんですか?何を見てそう思ったんですか?

    >塚と呼ぶにはどっちつかずと判断するからなんだ

    すると、どういう姿形なら「塚と呼ぶ」ことができると?

    >ただ円天地方の思想を具現化しているとするなら為政者の思いを感じることが出来る

    あの方部は「天円地方」の方とするには台形にすぎると思いますが。

    >だが、その思想と鬼道とがマッチしないので卑弥呼の墓足り得ないであろう

    意味がよくわかりません。鬼道と天円地方との関わりについて、もう少し説明していただければと思います。

  • >>No. 249633

    壺模倣説について補足です。

    長崎県島原半島に、割と有名な原山支石墓群というのがあります。ここは「はらやま」とよみます。九州に多い「バル」「ハル」ではないんですよね。年代は縄文とされます。

    そのうちの1基に支石の下に埋葬主体として小児甕棺を伴うものがあります。大人の支石墓には甕棺を伴っていないんですね。小児だけです。ということは、幼くして亡くなったわが子の〝再生〟を願って、甕棺すなわち再生の壺、すなわち瓢に遺骸を納めたのではないか?そう思ったんですね。

    後に弥生時代になって、九州北半で甕棺が大盛行しますが、これまた死者の再生を願ったものではないか。甕棺の中には、合わせ口甕棺というものがありますが、これはまさしく瓢箪を想起させます。

    しかし、一方では死者の再生を願わないかのような風習のあった可能性もありますよね。死者の甦りを忌むかのような、、、岡山県楯築遺跡の直弧文とか。

    前方後円墳の起源説のうち、丘尾切断説とか円丘方丘連接説とか、可能性が皆無とまでは言いませんが、なんか無機的でイヤですね。あんな巨大なものを膨大なエネルギーを費やして築造するのですから、そこには何かニンゲンの情念のようなものがあったと考えたいとは思います。

  • >>No. 249633

    〈承前〉

    そこで探訪した古墳のうち、記憶に残っている美しい古墳を取り敢えず拾い上げてみます。

    ・佐賀・船塚古墳
    ・佐賀・銚子塚古墳
    ・熊本・岩原双子塚古墳
    ・大分・亀塚古墳
    ・宮崎・松本塚古墳
    ・宮崎・持田古墳群計塚(はかりづか)
    ・宮崎・生目1号墳

    もう数十年も前のことで、近年では古墳も観光化のためか復元して〝美しく〟なっているのも結構ありそうですが、まだ実見はしていません。

    次に写真で見たものを挙げます。

    一番美しく魅了されるのが、土師ニサンザイ古墳ですね。他には神戸市の五色塚古墳、群馬県の太田天神山古墳とか書き始めたらキリがありません。大和・河内の巨大古墳は、いずれも墳形がよく保たれており、美しいものが多いですね。大和でいえば葛城地域の巣山古墳や新木山古墳も美しい。

    就中、箸墓古墳は赤色立体地図で公開されていますので、その〝美貌〟が如実にわかります。「赤色立体地図 箸墓」でGoogle画像検索するとヒットしますので、ぜひご覧ください。

    土師ニサンザイ古墳についてはいろいろ画像もありますが、手元にあるものでは森浩一さんの『古墳』(保育者カラーブックス)49ページのが一番キレイだと思うのでUpします。版権があるのでクレームが来るかもしれませんが、この美しさはぜひご覧頂きたいと思いますので、Upします。

    古墳の話を始めると、止まらなくなりますので、一旦ここいらで休みを入れます。

  • >>No. 249633

    東照大権現様、おはです(*^_^*)

    >美しい前方後円墳と言うなら、その美しさを形容してみたら?

    うひゃ~~~(*^_^*) 私のいちばーん好きな範疇の話ですね(*^_^*) じゃ、イキマスヨ!

    まず、個人的意見から申し述べます。あれは人体の四肢を取り除いた形じゃないかと思うんですね。あ、これは感覚的なものですからね。そいで、円部の中央に埋葬施設があるのは子宮を意識した。屍体を石室に埋納することが子宮回帰を意味する。人は死して母の胎内に回帰する!ロマンチックでしょ?

    それで、墳丘の形はもうひとつ想起させるものがあります。それは、瓢ですね。ひょうたんです。長崎県東彼杵町にも「ひさご塚」という小型の前方後円墳があります。県本土では数少ない前方後円墳の一つです。近年まで県本土では最大の前方後円墳かと見られていたんですが、雲仙市瑞穂町の守山大塚古墳が前方後円墳であると確認されてからは、こちらのほうが大きいので、〝最大〟は返上ということになりますが。

    全国的にも〝瓢箪山〟と名前のつく古墳があったんじゃなかったですかね?

    それで、墳形が瓢箪を模したものという考えにどういう意味があるかといえば、瓢箪は〝再生の器〟なんですね。これについては民俗学者の谷川健一氏が『古代史ノオト』の中の「ひさごとたまご」の中で指摘しています。その15ページで谷川氏は「前方後円墳はじつにこの「ひさご」を模した形だと私は思うのである。」と書いています。また、『三国遺事』には新羅の始祖説話の中に卵生神話があるんですが、「その卵はまるで瓢のようであったとある。」と述べています。朝鮮に多い朴姓は瓢という意味だとも述べてあるとします。

    また22ページでは、「ひさごが生命を産み出す容器であるというデータは日本の民俗の中では希薄である。だがしかし、韓国の民俗にはこのように鮮烈であることにおどろきを禁じ得なかった。」とも述べています。

    始祖伝説や再生の話と、前方後円墳の墳形とを連想して考えるのは興味深いものがありますし、ロマンもあります。

    また、他には〝壺模倣説〟もありますね。これは原田大六が、確か『卑弥呼の墓』の中で取り上げていました。

    しかし、起源説はいろいろあっても、そんな理屈よりも実際にこの目で見た墳形の美しさは、それらの理屈を超越したものがあると思います。

    〈つづく〉

  • >>No. 249626

    お休み前のプレゼントをあげるけど、宿題が終わってから読んでね。じゃ、オヤスミダ(^ー^*)/ ~~~

本文はここまでです このページの先頭へ