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投稿コメント一覧 (35コメント)

  • >>No. 10251

    こんばんは。

    この図柄は前にどこかで見たことがあります。議論沸騰ですね。

    私は水色と金色に見えるのですが、やはり翳っているので、明るいところで見たら、どんな風に見えるのかなと、想像してしまう色合いです。つまりもっと明るいところでないと判別できないと感じてしまう色合いです。
    色って本質的なものではなくて、反射してくる色なのですから、光のどの要素が跳ね返ってきているのによって、決まってしまうものですから、それぞれの見方があっていいんじゃないかと。

    正解なんてないと思います。あえて言えば翳った色。失礼いたしました。

  • >>No. 10225

    とても青空が鮮やかな日だったので、このような詩を書きました。







    心に青空が飼えたら。
    心の中には青空が暮らしていて、いつも好きなだけ青空を覗いてみることができたら。
    いつもその青空をのぞき込みながら生きて行くのに。
    心の中の青空が住んでいたら、その青空の中に頬うずめて憩っているのに。
    本当の空に青空が見えない日には、心の青空を引き出して、
    心の引き出しの中から引き出して、
    心を真っ青にし、青空の水しぶきを浴びてみるのに。

    心の中に青空があったら、いつも会えると思うけど。
    明日また晴れたら、青空をそっとポケットにしまいこんで夕連れ道を帰ろう。
    心の中にしまった青空。 心の中に飼い続ける青空。
    いつもいつも僕の心と体のどこかに青空が住んでいて、
    いつでも会える、いつでも会える。
    心の中に青空をしまったまま、とんでゆけ。歩いて行け。
    君の背中から押す力は、みんな青空の中から引き出された力。
    心の中に飼い続ける青空。
    そっとそっと想い傾けるだけで、心のどこかから青空が現れてきたら。
    僕の僕の、大切な大切な青空。
    振り返るたび、向こうからも振り返って励ましてもくれそうな青空。
    心の中の青空と、頭上に聳える青空がお互い向かいあって、
    微笑み交わしたら、それほどうれしいことはないような気がする。











               ~~~~~おやすみい~~~~~~~

  • >>No. 10217

    こちらこそ~~~~~。


    今はこの言葉を胸に置いて、慰められる気分です。

    自分の心は自分だけが知っています。自分を捨てちゃいけないこと。

    それは他者を捨てることにもつながることですものね。

    捨てる、見捨てるという心の行為は、どこから生まれてくるのかなとも思います。

    突き詰めて言えば、何かに対する侮蔑、それはもちろん生まれもって持っている生来的なものではないでしょう。

    生きてくる過程で、どこかで身につけてしまった、心の行為。

    そんなとき、自分の醜さや、人の醜さを感じます。

    動植物はそういうものを持っていなくっていいなあ、と思ったりもします。

    また想ったことを書きました。昨日今日と私の住んでいるところも、いい天気でした。

    まるで春が来たような。あったりまえなんですが・・・。!!!

  • >>No. 10215

    こんにちは。

    「どんなにみっともないと思っても、みじめでも現在の自分を捨てるな。」

    いい言葉ですね。私も遅ればせながら、その言葉に打たれます。頭(こうべ)が垂れる思いです。

    心の在り方を律して、たった今、やり直すことができることなんですね。

    私の場合はまず、自己逃避、現実逃避をやめることかな。

    全く、初歩的な普通の大人だったらできることなんでしょうね。

    偶然、2,3日前に実感したことが、つばめさんのこの言葉の中に書き盛られていました。

    思わず書き込んでいます。

  • >>No. 10204

    こんばんは。政治のこともよく知らないのですが、世界は3極ぐらいに別れていた方がいいと思うのです。ただの2極だと、是か非かになるし、1極に至っては異なる体制、意見がなくなってしまう。つまり世界は統一されていなくってもいいんじゃないかと思うことです。バランスをとっていくこと。
    経済発展をしていない国を踏み台にして、帝国主義が成り立ってきただけのことなのに。
    もちろん、某国の拉致は許されることではありませんが、その某国を利用している側もありますね。

    選挙の時の死票ってなんでしょうね。死票を淡々と積み重ねるように、選挙に参加しているのですが、死票も積み重なれば何らかの意味を為さなくてはいけないのじゃないかと、ふと思います。

    でもこれは、つばめさんの詩ですよね。思わずつまらないことを書いちゃった。お役人は、下の下って思いますよ。
    まさか、つばめさまは、そっちの方ではありませんよね。(だったら、ごめんなさい)

    3日やったら、辞められないのは坊主と〇食とお役人かもしれませんね。

    変な事書いちゃったかも。

                        ~~~おやすみいいい~~~

  • >>No. 10201

    こんばんは。さっそく書き込みありがとう。

    見方が変わるっていうより、見え方が変わるって感じです。見方が変わるってことは、自分の事情、自分の主観(あるいは偏見か、偏った見方など)によって変わる。つまりこちらの都合で見方を変えているような意味合い。
    見え方が変わるってこともこちらの事情で変わるわけなんだろうけど、相手を動かそうとしていない、こちら側の主観的な見方で相すいませんが、違う角度から見ることもできるようになりました。広角度で見れるようになりましたと言うような意味で、相手を遇しているようなことです。大袈裟な言い方をすれば、あなたのお陰で広い見方ができるようになりましよと、言っているような気持ちです。


    つばめさまへ。誰から誰への返信か、わからなくなってしまいそう。

  • こんばんは。明日から、また寒くなるそうですね。私んところはそんなにも影響を受けないところだと思うんですが、5度以下になると寒いよね。4℃で息が白くなるってきいたことがある。
    あれ、何話してるんだろ。

    とりとめもなく、独り言。世の中にはいろんな人がいるね。長く生きてきて、だいたい大雑把ではあるけれど、
    人というもの存在がなんとなく理解できてきたような気もしていたんだけれど、全く何も見えていなかった自分を今日、発見した気持ちです。人に対していろんなアンテナを張るせこい私ですが、まだまだ旧式のアンテナだったみたい。

    孔子でも言ってそうな心境。突然書き出して何のことか、わからないよね。ごめんなさい。
    自分がある程度理解していると思ってた人がある日、突然見え方が変わったなんて経験はありませんか。

    いい意味でも悪い意味でも。周りにいる人に対してはそれなりに理解していると思っていることが多くってだいたい想像していた通りの行動や、言葉が現れる。

    時には理解の枠を飛び越えている人もいるけど。

    ああ、何を書いているのかな。私は海に近くの海に面した街に生まれ、またその生まれ故郷に帰ってきているんです。

    でも窓は東の方に向いていて、そこからはのどやかな田園風景が広がり、その向こうには雪を頂いた山が連なっています。地方の小都市です。

    掲示板っていうのは、心と心がどんと、いきなりぶつかり合う(いい意味でも悪い意味でも)そんな場所ですよね。

    格闘家の住む街のような。私、ずっと前にあった「空白の穴」だったっけ、そんなタイトルのトピ主の、もりぃさんて方がおられたんですが、つばめさん同様、とても印象的でした。

    何だか言われた言葉が自分の中のどこかにひびいてくるんだけど、その場所がよくわからないっていうような感じでした。

    何だか、また、独り言のような。(笑)

  • >>No. 10197

    海辺の街に住んでいるのはご存知だったんですね。オイラが言ったのかな。

    生まれ育った街に十数年前に帰ってきました。私、向かい合う人に対してそれぞれのイメージが勝手に妄想的に生まれていて、その架空の人物に向かって話しているのを感じます。人間って、どこかに自分を投影したものをまさぐりながら、話していくものでしょう。
    今でも、自分と同じ色を、他の人もその色で感じているかどうかを知ることは不可能なので、青を青として、他の人も感じているのかあと素朴に考えることがあります。
    ましてや抽象的な事や、観念的なことは、もうお話にならないくらい、かけ離れているかもしれませんね。
    でもだからこそ、人間はそれぞれ話し合ったり、交流することを求めるんでしょうね。

    何だか、今日は生意気なことを言ってる。えがたん小僧でした。

  • >>No. 10193

    こんばんは。

    今日は、元気でもないです。でもつばめさんの言葉が聞ければ、この世に思い残すことがないくらい、元気になれそうです。(お調子ものですね)。


    このごろは老体に鞭うって、はいつくばって生きている感じです。
    生命の残り火をささやかに燃やして、つましく、生きています。


    たまには、私の恥ずかしいブログにでも遊びにきてください。相言葉は、egalite詩集です。
    あは、知っていたっけ。


    つばめさんは、人と交流するのが、どんな形であれ、好きなんですね。そんな気がいたします。
    とことん、結論を求めて歩いてくような、求道者みたいな感じかな。

    ではまた、お邪魔いたします。

  • つばめさん、ごめんなさい。昨日の夜、投稿、書き込もうとして今日はどうかなと思って、

    ただ、「。」だけを置沁みたら、入ってた。

    掲示板の様相が随分変わったんだね。すっかり浦島さん状態だ。

    元気そうだったね。まとめて、その人の発言も一気にまとめて、

    掲載してしまうようになってしまっていたんだね。

    でも、今度は書き込めるのかな???



  •     眠れぬ夜のさざ波の音。
        海岸にいて、敷き詰めた砂利のような波打ち際にいて、
        さざ波を聞いている。
        穏やかな朝に。
        その日には日付がない。
        ただ脳裡に浮かぶ波打ち際に穏やかな波が打ち寄せ
        引き寄せしている。
        脳裡にぽっかりと浮かぶその光景の中に、
        まざまざと身を乗り出し、その画面に浸っていたい気持ち。
        その映像そのものが波打ち寄せてきていて、
        この夜の淵で柔らかく受け止めている。
        浸っていたい。浸っていたい。
        懇願するくらいに。


        海岸は自分を慰め、自分を癒してくれるものだった。
        あのたゆたう波を見ていると、その揺曳に心洗われるものを感じた。
        今の枯渇した心を励ましてくれるのは、あの海岸線かもしれない。
        あの断崖から見下ろす洋々たる大海のうねりに身を任していると
        一種、太古からのリズムに引き込まれていくようだった、かつて。
        頭の中で、波頭が白く砕け岸にうち来る様が自然と
        自分に呼びかけてくるように思い浮かぶ。
        明日、冬の凍てつく海を見に行きたくなった。
        頭に思い浮かぶのはどうしても晴天の日の真っ青な海。
        しかしこうした初冬の荒れた海も色調を変えただけで
        同じものを訴えてくるような気がする。
        沖合から夥しく打ち寄せてくる数限りない波。
        盛り上がり、砕けて、また波頭を立てて岸に向かってくる。
        壮大な交響曲がそこに奏でられているような錯覚を持つ。
        全面に開ける荘厳な音楽。海の叫び。・・・・・・





  • >>No. 10122

    心の中にさみしい山と悲しい山がそびえているならば、
    その両方の山に登って秋を見晴らし、両方の山を抱きかかえてやりたい。
    両方の山を抱きかかえて、いっしょに秋に遊びに行こうよと囁きかけたい。
    悲しい山もうれしい山もさみしい山もこの腕の中に抱きかかえられて空を見上げてる。
    心の中にそびえるいくつかの山。
    過ぎ去った夏の山、冬の山。
    頂きはまだ雪を抱えて、蒼穹を眺めまわしているような気がする。
    ああ、私の山の持ち主はどこへ行ったのとの想いを詰めながら。
    腕の中で唱和するいくつもの山の歌声。
    それは哀愁にも似ているし、郷愁にも似ていて、私を驚きで満たす。
    心の中のさみしい山ももうすぐ紅葉をむかえ、悲しい山は白く立ちつくす。
    心の点がそのどの山の中腹に置かれるのか自分でも予想がつかないまま、
    過ぎ去った山の数々だけは、はっきりと私の地図を描き、私の等高線を描き、
    私の水平線を取り囲んでいる。
    明日窓から見える山は、私が抱きかかえる前に私を抱きつくしているかもしれない。



    つばめさま。突然うかがいました。台風も過ぎ去り、ようやく秋の実りの豊かさを感じる季節となってきました。
    私の詩はインスピレーション(イメージ)抜きにはまとまらないのですが、ここのトピでのことやつばめさんのイメージ、言葉つきなどから、私なりのインスピレーションで書かせていただきました。
    私はアカデミックな話はできないんですが、感ずる心だけは持っているつもりです。
    またおうかがいしますね。

  • つばめさま。お久です。

    いくつかの歌、爽快に感じます。そのお心に去来する閃光を、お互い芳醇なものとして受け止め続けられたらいいね!










  •        私たちはいつも生まれている、この瞬間も。

           私たちはいつも産声をあげている、この瞬間さえも。

           そして世界に眼を向けて、その新鮮な眼差しで風物を眺めている。

           私たちは今この瞬間がもらった命だということを知らない。

           今生まれ続けていることを知らない。

           この瞬間宇宙からやってきて

           世界に向かって花ひらいている時なのだということを知らない。

           時間は今を語るもの。たった今を語るもの。

           どんなときにも世界の訪れを告げているもの。

           私たちは今生まれている。

           今、世界に向かっておぎゃあと産声を上げたばかり。

           たった今ここにやってきて世界を眺めまわしている。

           このもらい続けてる命。

           この光を浴び続けてる命。

           今を感じるとき、すべてが合唱しているのがわかる。







          ※あれれ、さっき書いたもの、どこかへ行っちゃったのかな。

           お久しぶりです。梅雨の合間です。

  • >>No. 1035









         ちょっと改行まちがえたんまま、投稿しちゃいましたんこぶ。(笑)






       ・・

  • >>No. 1028

     









           地が紅葉に染まり、夏の色を忘れはじめた頃。

           夏を愛おしむ洞穴では、季節と季節が静かにお話をしていました。

           もう何度も巡り合いましたね。

           私たちの間には、寒冷前線も移動性高気圧も横たわっていず、

           ただ時の移り変わりを緞帳にして、幕間が轢かれているだけなんですものね。

           夏は夏の形見として秋を置いていき、秋は秋の形見として冬に託していく。

           そんな季節の生業ですものね。

           秋はおいてきた夏のことが忘れられません。

           冬も夏の間のせせらぎのことを忘れられません。

           岩と岩の間からしみ出す清水。

           秋は深い紅葉の色づきの奥で、夏の華やかさを慕っています。

           冬は巡り合えないかもしれない春の瑞々しさを

           例えようもなく、歓喜の慕情に感じ入っています。

           ああ、私にも青春があったのだと、ああ、私にも若葉は囁いていたのだと。

           秋は紅葉の繁れる林の中で、どんぐりの実を割るように

           春と夏のはじけた妖艶な祭りを想い出しています。








         






     
       ※ 久しぶりですねえ。

         今日は、空晴れて全くの小春日和です。

         えがたん地方気象台りより。お元気そうですね。・・・・

         ・・

  • >>No. 879

     
    誰もいない海と誰もいない恋



     



         誰もいない海と誰もいない恋。

         昔、海を見ていて心が静まりかえる時があった。

         海が海水で満たされているように、

         空気の中に充溢を感じていた。

         漲っていた。




         恋も憎しみも ひたむきな海に向かって行うこと。

         誰もいない海の向こうには 誰もいない恋があり、

         誰もいない恋のそばには、静かな海が立っている。

         この海を知らない時には 孤独の海も恋の海も希望の海も知らない。

         陸に向かって視線を泳がせているだけ。

         そこは私の泳げる海ではないのに。

         そこは私の向かう陸ではないのに。




         誰もいない恋を誰もいない海でしたい。

         振り返れば海ばかり。振り向けば海ばかり。

         誰もいない海で恋したい。誰もいない海で

         ただひとり。







        ※  こんばんは。

           この詩は「つばめ」さまのことを考えながら書こうと

           思って書いていたら、何だかうまく言えなかったかも・・・・。

           あ~あ、本当はおしゃべりで余計なことを

           言い過ぎてしまう私なのですが、

            ・・・・・・・・。

           言葉に飢えたり、発言に飢えてたりしてまする。

           智に働けば・・・・ってなほど高尚ではないのですが。

           心情のほとばしりの泉を、探しているんでしょうね。

           海さま、つばめさま、ふ~にゃんさま。よろしくでした。

  •  ・







     自己。自分自身でいることの地平線の彼方、彼方まで。

     この地上に生きている限り、地平線の彼方、彼方まで自分でありたい。

     水平線の彼方、彼方まで自己の峰が手足を伸ばしているように。

     自己の中に沈潜することによって生まれてくる何か。

     自己という泉から湧き出してくるもの、その水を飲み干しながら。

     生きていくという旅はそんなに遠い旅ではない。

     せめて隣近所の家を訪ねて歩くみたいなものだ。





     大空に手を広げ、ああ、ご近所さん万歳と叫んでみよう。

     そうしたら私の家の界隈の2、3人が飛び出してきて、

     おお、おお、はっぴいにゅういやあと言って、万国旗を振り回すに違いない。

     その周りは見渡す限りの地平線、その中をるるしく太陽が昇る。



         









        ※  その後、みなさまお元気ですか。 ・・・・・・・

     

  • >>No. 591

     












           詩を書いて、生きて
           僕のしたことはそれだけ。
           三十五才の石の上にすわって
           ただ涙ぐんだだけ。


           光と風と、むなしさのすべてを
           心にかいくぐらせながら
           僕のしたことはそれだけ。


           夕陽がおち、風が流れても
           僕のしたことはそれだけ。
           生きて、書いて、そしてまた生きただけ。









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