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投稿コメント一覧 (19コメント)

  • >>No. 7210

    ちょっとお聞きします。

    小室哲哉さんが引退宣言されました。
    日本の音楽界の頂点におられた人です。
    でも、あるときから転落していって、とうとう引退です。

    人間は、小室さんに限らず、真面目に生きていた女性が通り魔に襲われて亡くなることもありますよね。
    仏教的には、どれも縁起や因縁でそうなっているのでしょうけど
    悪い人がのうのうとリッチに生きていることもこの世の中多いです。
    真面目一筋の人が大地震で亡くなることも多いです。

    どのような縁起や因縁でそうなっているのでしょうか?

  • >>No. 2464

    すごく不思議なんですが
    小室哲哉さんて、すごくいい人ではないかもしれないですけど
    そんなに悪い人でもないような気がします。

    仏教的に見て、なぜ、頂上にあった有能な人が、こんなに不幸になってしまうのでしょうか?
    あの、例のなんとかさんという観念的なことばかりいってる人に聞いてみたい気がするんです。

    この世は不条理なことが多いような気もします。

  • >>No. 2447

    赤い実さん
    こんばんは。

    この前はお声をかけていただきありがとうございました。

    小室哲哉さん、絵に描いたような、頂上からの転落ですね。
    著作権料は前妻に差し押さえられていたと思います。

    もじ、前妻への慰謝料を払い終えているとすれば
    これからは著作権料も入ってくるかもしれませんが
    まだまだ大きな借金があるかもしれませんので、難しいかも・・・ですね。

  • >>No. 721

    ありがとうございます。
    すごく参考になりました。

    私は果物好きでカリウムの多い果物をいっぱい食べますが、ほどほどのほうがいいようですね。
    量を考えて、ごま油もフルーツも食べることにします。

  • 皆さん、ありがとうございました。

    ちょっとこれから友達と食事の約束をしていますので出かけます。

    また、疑問なところがありましたら教えてください。

  • >>No. 6920

    ご親切にお声をかけていただきまして
    わたしこそ、ありがとうございました。

  • >>No. 6913

    そうですか。
    易経の思想なのですか。

  • >>No. 6910

    そうなんですね。
    それは知りませんでした。
    すみません。

  • >>No. 6911

    ありがとうございます。

    そうなんですね。
    どうも、ご本人が現実に即して言われているように思えず
    全くの観念論のようにしか見えませんでしたので・・・

    失礼しました。

  • >>No. 6908

    はじめまして。

    仏教につきましてはあまり知りません。

    無我とか縁起ということばは日常会話レベルでは聞くことがありますが
    イメージは湧きません。

  • >>No. 6903

    >桜そのものの存在はありません(無我)。
    桜は、桜以外のあらゆるものによって、はじめて存在できます(縁起の存在)。<

    桜は別に、桜以外のあらゆるものによってはじめて存在できるわけではなく、
    桜の根づいている土、十分な水、日光、があれば存在できますね。
    日本の桜の一本の木は、エーゲ海のプランクトンのひとつがなくても存在できますよね?
    南極のペンギンがいなくても存在できますよね。
    どうして、日本の1本の桜の木が、それ以外のあらゆるものがないと存在できないのですか?


    桜そのものの存在がないと言っても、春になれば桜の花を見て楽しみますよね?
    桜という名前があり、桜の花を見に行こうとするでしょう?
    桜が周囲のものがあって存在できていたとしても、桜の存在そのものは厳然としてありますよね?
    それは、Y和弘さんが勤めている会社や周囲の人たちのおかげで生活できたとしても
    Y和弘さんの存在そのものは厳然としてあるではないですか。

  • >>No. 6903

    言葉はきついですが、非常に危険な観念論に陥っておられるのではないでしょうか。そういう気がします。
    まず、自分の信じる理論があって、現実を無理矢理、自分の信じる理論に押し込んでいるような感じがします。

    >違う音のぶつかり合いによって調和しています<

    音楽のひとつひとつの音を【ぶつかり合い】と見てしまうのはどうでしょうか。
    オーケストラなどはどの楽器の音も全体に調和しており、どの音もぶつかり合っているとは思えません。
    ピアノソナタ曲を例にとればもっとわかりやすいですが、音は調和して流れており、戦っていると見るのは無理があります。

    >「戦い」も、「他者との戦い」と「自己との戦い」の相互依存にあります<

    戦いは対立軸の平和と相互依存だったのではないですか。
    また、「他者との戦い」と「自己との戦い」が相互依存にあるとのことですが
    現実を見ると、自分だけが正しくて他者を攻撃ばかりする人にとって
    「他者との戦い」はあっても「自己との戦い」はない人も多くいます。
    片方だけがあるのであれば相互依存とは言えないのではないですか?

    >「戦い」にも、それが「有る」「無し」の対立(戦い)の和合(調和)があります<

    完全に観念論に陥っているように思います。
    現実にどのようなことが、【「有る」「無し」の対立の和合】になるのでしょうか。
    具体的に挙げていただけませんか。

    >戦いの一切が消滅し無くなれば、戦いと相互依存の関係にある平和も無くなります<

    これも全く現実を無視した観念論です。それでは戦いもなく平和もなくなった状態とはいったいどのような状態なのですか?具体的に言っていただけますか?

    >平和がなければ戦いもありせん<

    現実問題として、どういうことか具体的に言っていただけますか?
    戦いがない時を平和といい、平和がない時に戦いがあると思っています。
    【平和がなければ戦いがない】とはどういうことですか?

    >桜と土、桜と空気、桜と水、桜と日光が対立し<

    対立はしてないですよね。調和しています。
    また、前に書いたように、桜は日光に依存していても日光は桜には依存してないですよね?
    それでは相互依存にはなりませんよね?

  • >>No. 6892

    お返事ありがとうございます。

    >それぞれの音が戦いながら調和していませんか<

    オーケストラの曲を聴いて、ひとつひとつの音が戦っていると感じますか?
    [戦う]という言葉に意味を考えていますと、すべて、あるものがあるものに勝ちたいために争うのだと思います。
    しかし、音楽の場合、トロンボーンの音が第一ヴァイオリンの音に勝ちたいと思って戦っていたら、その音楽は壊れてしまい、トロンボーンの人は交響楽団をクビになってしまいます。
    オーケストラのどの音も全体に調和するような強弱で演奏します。

    二元対立を調和させるのは望ましい方向だと思いますが
    すべてのものごとが対立軸と相互依存している、という説であれば
    例えば、【平和】と対立軸の【争い】が相互依存していれば
    争いが消滅した平和はないことになります。

    >個と全体、桜と桜でないもの、ライオンとライオンでないもの……と言語が一組ずつの連鎖からなっています<

    桜と桜でないものは、全部対立しているわけではなく、全部調和しているわけでもないですね。
    桜は、土や空気や水や日光によって生きていますが、虫や細菌などによって蝕まれることがあります。桜に肥料をあげる人間もいれば、桜を切って枯らしてしまう人間もいます。
    桜は日光に依存しているかもしれませんが、日光は桜に依存していないです。
    桜と桜以外のものが二元対立し、二元対立したものが相互依存しているという世界観は成り立たないように思いますが・・・

  • >>No. 6835

    お返事ありがとうございます。

    >指を加えていて、何もしないで調和は訪れません<

    それは、調和(平和)への努力や意志が必要というだけのことであって、調和の対立軸である戦いや争いを必要とするわけではないですよね。

    >動きのない調和だけの世界に生命はなく、世界の終わり、死の世界でしょう。<

    なぜ、調和に動きがないと言われるのでしょうか。調和に生命がないと言われるのでしょうか。
    モーツァルトの音楽は調和そのものですが躍動しています。
    むしろ、躍動し生命に溢れたものが調和ではないでしょうか。
    もし、オーケストラの中で音痴の人や音楽を破壊しようとするがいれば、音楽に不調和が生まれます。
    しかし、モーツァルトの音楽はそのような不調和と相互依存しているわけではなく
    音痴の人を必要としているわけではなくそのままで調和し躍動しているものです。

    調和や平和が戦いや争いと相互依存している、というのは全くの間違いではないでしょうか。
    争いがない状態を平和というのであって、平和がない状態を争いというのです。
    すべてのものごとは対立軸と相互依存しているというのが、Y和弘さんのお考えのようですが
    それは根本的に間違いではないでしょうか。

    ヘーゲルはテーゼにアンチテーゼを立ててアウフヘーベンすることを説きましたが
    決して、テーゼがアンチテーゼと相互依存しているなどとは言っていません。
    もし、相互依存しているのであれば、
    平和は対立軸である争いと相互依存し、対立軸がなければ成り立たないことになりますから
    永遠に争いのない平和はない、ということになります。

  • >>No. 6798

    調和、あるいは平和は、戦いのない、争いのない状態を指します。

    しかし、Y和弘さんのお考えは
    戦いと調和は相互依存である、ということです。
    相互依存である限り、戦いがなくなったら調和もなくなるわけです。
    この理論だと、真の平和、調和、すなわち戦いや争いがなくなった状態ー
    は絶対に訪れないことになります。

    Y和弘さんのお考えでは、救いがないことになりますが・・・

  • >>No. 6793

    お返事、ありがとうございます。
    ちょっとわからないところを挙げさせてください。

    調和(平和)に関していえば
    >戦いと調和が相互依存している<
    というのが、Y和弘さんの基本のお考えだと思います。

    戦いと調和が相互依存しているのであれば
    戦いなくして調和はなく、調和なくして戦いはない、となります。
    つまり、調和があるところ、相互依存として戦いが必ず存在する、ということですね?

    >愛する能力を発揮するところに〈真の調和〉がある<
    と言われますが
    真の調和も、縁起でないものはないということで、必ず戦いと相互依存しているのですよね?
    そうであれば
    >個人が個人としてしっかりした人間にならないかぎり調和のある世界は訪れない<
    と言われますが
    相互依存が真理なのであれば
    いくら個人がしっかりとした人間になったとしても、戦いのない調和は訪れないのではないですか?

  • >>No. 716

    いつもありがとうございます。

    少しお聞きしたいのですが
    ゴマが身体にいいことはわかるのですが
    なかなか量を取れません。

    ゴマ油であれば、どの料理でもいくらでも使えますので
    ゴマを食べる代わりにゴマ油でゴマの栄養分は取れますでしょうか?

  • >>No. 6756

    ちょっといいでしょうか?

    >戦いにも共存(調和)にも実体がなく、相互依存の縁起生であるからではないのでしょうか。
    >戦いがあって調和がある。

    戦いと調和が相互依存しているのであれば
    永久に戦いはなくならず、調和の世界が訪れることはないということですね。
    また、調和があるところ必ず戦いがあるということですね。
    それでは調和を目指すことが戦いをも引き連れてくることになり
    目指さない方がいいということになりませんか?

  • 20代後半の女です。
    お金をためて、やっとバイオプトロン買いました。
    私にはものすごく高価なものでしたが、思い切りました。

    いまのところあまり効果を実感できていませんが
    バイオぷとrpんをお使いの方のご意見をお聞きしたいです。

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