ここから本文です

投稿コメント一覧 (783コメント)

  • >>No. 38586

    >>38585.38586
    dynさんへ

    >侵略に対して威嚇になる

    使用できなけば威嚇にもならないのでは。「アグニV」にしても同様かと。(いざという時に使用できなけば抑止が成立しませんので)

  • >>No. 38565

    >>38565
    my_さんへ

    > 核兵器をやれば自分らの国も確実に滅ぶ。
    こういう究極の兵器ができたことで、第3次世界大戦は今のところ
    生じてはいないんだな。

    ?核抑止論のことかと思われますが、抑止可能(故に第3次大戦は起きていない)なのは、その核が使用される可能性を否定しないからなのでは。使用できない核なら抑止は成立しませんので。ですから、

    ?使えない核を持つことにどのような意味があるのでしょうか。

    と伺った次第です。

  • >>No. 38573

    >>38573
    kunさんへ

    >人間というか全ての生き物は生存競争で合い争うのが「自然」でしょ。

    kunさん、確か、人は只の動物ではない、とされていたかと。(29869参)

  • >>37046
    hitoさんへ

    >裁判は迅速に進めないとなりません。
    誤解もへったくれもありません。
    通常は、裏で相手側の切り崩し工作をするのが普通です。
    証人への切り崩し工作、民事だと、仮処分の申請等、保全措置を施しておかないと後手を踏むことになります。

    そういうことに双方が了解されているならば、そこに問題(不満)は生じないのでは。ようは双方了解され勝負するボクシング(スポーツ)と同じかと。

    私がこだわるのは、「強制」かどうかです。「対話」の対義語は「強制」、と捉えていますので。

  • >>No. 37067

    >>37067
    dynさんへ(初めまして)

    >使えないことに意味があるんだよ

    ?使えない核を持つことにどのような意味があるのでしょうか。

  • >>No. 37044

    >>37044
    my_さんへ

    >それでも核をその妨害を何とか排除して持つべきだ。と思考する。

    核を持とうとされる方に伺いたいのですが、それだと、
    北朝鮮に限らず、どの国も(自衛の為として)核を持つことを容認せざるを得なくなると思うのですが。。。(更には、自らを守るために個人が核を含む武器を所有することも否定できなくなる)


    >使用できない。と言う発想ではなく現実に核を持っている国に対しては、
    相手国は攻撃をためらう。これが決定的。

    ?「攻撃をためらう」ということは、「使用できない」(攻撃できない)とどう異なるのでしょうか。(同じように思います)


    >もちろん日本政府は対中に関しては、一方的に対峙するのは愚の骨頂。
    と言いえるなあ。

    異論はありません.

  • >>No. 37045

    >>37045
    hitoさんへ

    ・誤解の解消
    ・不満の解消

    > 刑事事件にこんなのは意味ないですよ。
    控訴、上告手続きがそのためにあります。

    双方了解による裁判ではなく、片側の了解が得られない強制裁判では問題解決(不満の解消)にはならない。としているのですが。。。

    裁判「司法の判断を仰ぐ」って双方の了解なしに強制的に起こされるものばかりではありませんよね。(双方了解による裁判を、強制でなく、対話によって得られるものとしています)

  • >>No. 37043

    >>37043
    my_さんへ

    >要は人類と言うのはそういう生き物なんだろう。それに理由とかうんぬんより現実に起こっている。それで十分証明されているんじゃねえ。世界史を見てみればいついかなる時代でも世界のどこかで戦争や紛争が起こっている。

    現実並びに歴史(今まではそうである)は、「この先も対話不能」(これからもそうである)の理由にはならないかと。

    「明日も日が昇る」といえるのは、「今までそうである」という事実「データ」のみからではありませんよね。(地動説というそのデータが現れる仕組みの理解ゆえに、同じ現象が過去から現在まで繰り返され、なおこの先も繰り返されることに「だからか」と納得できるわけです)

  • >>36598
    大器さんへ(初めまして。横から失礼します)

    >国家が戦争の手段に訴える事自体が悪なのか。

    個人が腕力に訴える事はどうなのでしょうか。
    (暴力は悪とされ否定されるのが一般的かと)



    >正当な国家の暴力を否定すれば、他国の国家権力によって個人の感情をも否定されることがわからないのか。

    個人(人権)が否定されるのはなにも他国の国家権力とは限らず、自国権力による人権侵害もありますし、個人による人権侵害もあります。

    個人の暴力を否定することは、他国の国家権力による暴力も否定することになっています。(国家意思は個人が思わなければ成立しませんので)


    > 戦うことを忌避する国、国家権力は、その国民にとっては敵なのではないか。

    こちらの正当性で他者を殺すことができる社会においては、他者の正当性によってこちらが殺されるのであり、私はそういう社会は求めていません。

    他者の正当性によって一方的に殺されない社会を求めています。(当然こちらも一方的に他者を殺すことができない社会となりますが)

  • >>No. 36430

    >>36430
    hitoさんへ

    > 既に、ヨイヨイさんは私に対して、「対話した方が得になること」を示していませんし、示せていません(苦笑)

    それは、今までは、対話不能とされるhitoさんの理由が、---闘争本能をもちながら生きてきたのは事実---36178 だったからです。それへの反論をしてきたのであり、今回示された別の理由「好条件が確保できない」(対話すると損をする)への対応はこれからと思っていたのですが。。。とりあえず以下2点、対話することで得になる(しないと損をする)ことを示しておきます。

    ・誤解の解消
    ・不満の解消


    >原告、被告双方の意見は出尽くしたので、判決を求める

    片側による強制裁判ではなく、双方それ(判決に従う)で了解の意思確認ができれば、これも対話による解決事例かと。

  • >>No. 36425

    >>36425
    my_さんへ

    >戦争の本質がさっぱりわかってないような感じがする。

    何とされているのでしょうか?
    私は、「腕力(物理的力)の正当化」と捉えています。


    >こちらも早急に日本は核保有をすべきだと思っている。

    先にも触れましたが、使用できないのでは意味がないのでは?


    >武力を持たないで話し合いで何とかなる
    なんて思考していたことがいかに愚かなことだったかわかるだろう。

    腕力で相手を押さえつけても問題解消にはなりませんので(押さえつけられた方の不満は解消されない)。
    問題解消の手段は対話しかないように思います。(不可能とされる理由は、回復の見込みがない言語にかかわる脳の機能障害でなければ、この先も対話不能の理由にはならないように思います)

  • >>No. 36424

    >>36424
    my_さんへ

    > 要は世界的核戦争は人類の滅亡を意味する。

    核による報復が人類の滅亡を意味する(故に報復できない)のなら、核抑止論は‘張子の虎’かと。


    >こちらはテロなど報復の連鎖とか、各国内で起きている人権侵害は根絶などできない。今後も続くだろうと思っている。人類の歴史はそういう歴史だからなあ。

    その根拠を伺っているのですが。。。

    そういう歴史(いままではそうなっている)は、この先もそうなる(なくせない)理由にはならないのでは?

  • >>36189
    hitoさんへ

    >対話は一つの手段ですが、絶対的なものではないです。
    要は、双方が共に穏便に対話を要望しているときにのみ有効となります。

    hitoさん以下にて、hitoさんが「対話不能」とされる理由として、

    > 基本的に、対話そのものの裏には、互いに自らのほうが好条件になるような意図をもっています。
    それが確保できないと確実に判断できれば、対話などはしません(時間とコストの無駄だからです)

    とされていますよね。
    もしそれが理由ならば、私は、対話した方が得になること(しないと損になること)を示すことになると思います。(対話しないとより状況が悪化する可能性がわかれば、穏便な対話も可能かと)


    >現実の世界では、相手の喉元へ匕首を突きつけて、対話をすることもあります。
    これも立派な対話ですが、第三者にはその過程が見えていないことが多い(爆笑)
    にこやかに写っている双方の写真の裏では、片方は後ろから銃を突きつけられていることもあるかもしれないわけです。
    ヨイヨイさんの論理では、それでも立派な対話と言えるのでしょうね

    脅迫されていわされている言説は、自由意思に基づく当人のものではありませんよね。その言説は脅迫している他者の言説ですから当人との対話になっていません。


    > 私も現在私的な紛争を抱えています。
    始めは対話主体で進めていた話ですが、相手がその裏で軍備の増強をしていました(笑)

    hitoさんがなさる対話は、私の言う対話とは異るように思いますので。

  • >>36186
    hitoさんへ

    >ヨイヨイさんが希望するような人間にマインドコントロールが可能と考えること自体、私には賛成できません。

    ?。hitoさんは他人になにかお願いをしてそれをしてくれたなら、その他人をマインドコントロールした、とされるのでしょうか。(そんな捉え方をされるのなら他人の要求には一切従わなくなってしまうのでは)


    > 方法論としては、人間を生まれた時から強制的に一定価値観方向へ洗脳していくことくらいしかないでしょうね

    価値観はどう得られるかを考えると(皆が同じ体験を一生していくことは不可能でしょうから)それは無理なように思います。

  • >>No. 36183

    >>36183
    hitoさんへ

    >>今までそうだったという事実(歴史)は、これからもそうである根拠にはならないのでは。
    >別にそれが将来変わることは否定していませんが

    では、---闘争本能をもちながら生きてきたのは事実---36178 は、「この先も対話不能」とされる根拠にはならない、ということで。


    >逆に太古から繰り返されていることが、未だに変えられないシステムとはなんですか?

    紛争や犯罪が起きるシステム、とhitoさんがされていることに異論はありません。


    >誰が悪い、法律が悪い…そういうレベルの話しではないです。

    私もそのつもりはないのですが。。。


    >つまり、理屈とおりにはいかない、理屈とおりにはもっていけない、原因があるわけです。

    (先にも触れていますが)理屈が間違っている、と私は捉えています。


    >それができないから、太古の昔から未だに紛争、戦争、殺人…がなくならないわけです。

    できるのにしなかったから、という捉え方も可能かと。


    >それができると考えているのは、ヨイヨイさんの個人レベルのお話でしょう。

    私は、世の中に起きている問題はすべて(個人の脳内現象なのであり)個人に還元可能と考えていますので。


    >コントロールできるなら、早くコントロールしてくださいよ!!!!

    私が関われる生活範囲の中で、どなたと対話せよ、と?


    >ただ、紛争、戦争、殺人…を暴力行為(自然な行為、理性)と捉えれば、それは不要です。

    ?自然な行為って、思考せずに本能的になされる行為であり、あれこれ考えたうえでなされる理性による行為とは異なるのでは。


    > 逆に質問です。
    単純に暴力を否定する国民5割、暴力を肯定する国民5割の国家があるとして、その国家はどのような方向性へ向かうのでしょうか?

    暴力を否定する国民は暴力を肯定する国民を強制することはできませんので、(採決の結果を知って考えに変化がないならば)その五割の国民による暴力が行使されることになるかと。

  • >>No. 36182

    >>36182
    my_さんへ

    >>なんでmy_さんも、(hito氏同様)対話の可能性を否定され、戦争(暴力)を人間の性(避けることはできない)と肯定されるのでしょうか?
    >そこに対話などあったのか?

    なかった事実があることは、それが必然である理由にはならないかと。


    >では、WW1、WW2と続いた世界的大戦争のあと、今なぜ局地的紛争があっても世界的大戦争が生じていないのか?
    それは、対話の可能性を否定され、戦争(暴力)を人間の性(避けることはできない)と肯定される。なんていう愚にもつかない精神論なんてどうでも良いんだな。何だと思います?

    何とされているのでしょうか(「核」とされているようですが)。いずれにせよ、それで世界的大戦を防げても、テロなど報復の連鎖とか、各国内で起きている人権侵害は防げてないわけですよね。

    私は、世界的大戦のみを防ごうとして対話を主張しているわけではありません。

  • >>36181
    hitoさんへ

    >ヨイヨイさんの話は理屈をこねて、いつもその延長線上で解決しようとしていますよ。
    そして、その通りに説明できなくなると、また理屈を修正して、どうしてもその理屈の中で証明しようとしている。

    それが理屈による起きている事柄の理解の方法かと。科学ってそれまでの理屈で説明できない事象を見つけたら、その理屈を修正したり、別の理屈で起きている事柄を何とか説明しようとしますよね。

    >現実は、その通りに行きません。

    ならば、その理屈が間違っているということであり、理屈で理解することが不可能になるわけではないのでは。


    >システムを知っていても、防げないものは防げないのです。
    それは物理的なものであったり、コスト的なものあったり、いろいろな要因によるものです。

    それを何で「不条理」(容認できず問題だ)とされるのでしょうか?
    (私は地震や津波が起きることを「不条理」とはせず容認し、問題とはしていません)


    >犯罪も同じですが、人々に犯罪の予防的措置を講ずることは可能ですが、人権問題が絡んできます。昔の、ロボトミー手術も同じでしょうね。

    ?防げない犯罪事例があるとされているのでしょうか。ならばその事例については非難することができず、犯罪として責め罰することはできないと思いますが。。。


    >対話って?
    そもそも、犯罪は、犯罪者が対話を避けて暴力に訴えたからではないのですか?

    ですから、なんで対話を避けるに至ったのかを考え理解しようとするのです(相手あってのことですよね)。それを知るための対話です。

  • >>36180
    hitoさんへ

    > 時系列でおかしいですよ。
    仇討を認めないようにするためには、第三者が代わりに間に入るしか方法がありません。

    ?。私は、その間に入った第三者とは、私的制裁「仇討ち」を認めない者、と捉えているのですが。。。代わりに(「代わりにこちらで殺すから」と)間に入ったのではなく、止めるために(「どうするかはこちらで決めるから」と)間に入った、と。


    >で、ヨイヨイさんは、その国家が行う死刑制度を私的制裁と言っているにすぎません。
    死刑制度のみが私的制裁であって、死刑以外の刑罰は私的制裁ではないと言われているわけですよ。
    死刑は、あくまでも刑罰の中の一つであって、それのみを対象として私的制裁とするのはおかしいと思いますよ。

    ?。わたしは 死刑制度のみを私的制裁としているつもりはないのですが、、、というか、死刑制度にしろ他の刑罰にしろ、公権力による制裁は私的制裁ではない(被害者「私人」の望み通りになるとは限らない)としています。

    で、hitoさんはそれ(被害者「私人」の望み通りにならない)を不満に思い「(現死刑制度は私的制裁の代わりになっていなくて)おかしい」とされているようですから、(私ではなく)hitoさんが私的制裁の代用品として死刑制度を求めておられるのでは。と伺った次第です。

  • >>No. 35954

    >>35954
    my_さんへ(初めまして)

    >理性によらないと暴力は否定できない。

    ?。それって、理性によって暴力を否定することは可能(私が主張していること)。ということなのでは。


    >さらに戦争の本質は、戦争当事国間の交渉がまるで不可能になった時に解決する
    ための最終手段だ。

    対話(交渉)不能と判断したとき戦争(暴力をふるう)になることに異論はありません。が、

    私はその「対話不能」とされる根拠(判断理由)に疑いを持っています。
    (私は、他者と問題が起きても対話は可能であり戦争(暴力)を避けることは可能との立場です)

    ですから、私は、対話不能と判断すること(人)を問題にして問い掛けしてきています。(なんで対話不能とされるのですか。と)


    改めてmy_さんへも伺います。

    なんでmy_さんも、(hito氏同様)対話の可能性を否定され、戦争(暴力)を人間の性(避けることはできない)と肯定されるのでしょうか?

  • >>No. 35958

    >>35958
    hitoさんへ

    >人間は考えることもできるし、一定の自制もできる動物でもあるが、その本能だけはどうしようもないということです。

    そう結論されている根拠を、

    >太古の昔から人間はどのように生きていたのか?
    考えれば自明でしょう(苦笑)
    闘争本能をもちながら生きてきたのは事実。

    とされているのでしょうか?

    今までそうだったという事実(歴史)は、これからもそうである根拠にはならないのでは。(その事実が永遠に繰り返されるという仕組み「システム」の説明が必要かと)


    >闘争本能を持たない人間は新人類かも?

    本能(暴力行為)を抑えること(コントロール)ができればよいのでは。

    私は、「生命システム(本能)」に影響を与えることができる別のシステムとして、誰もが持っている「精神システム(理性)」を捉えています。(人って脳「精神システム」の進化が他の生物より大きい生き物かと)


    >100歩譲って、個人が自制によって劣位性を求めても、集団、国家としてそうなるか?というとまず無理です(笑)

    (「優位性/劣位性」のお話は「差別化」として理解していますが)
    これって、個人が暴力を否定できても、国家は無理。というお話しなのでしょうか? ならば理由を聞きたく思います。

    私は個人が思わなけれは国家もできない。と考えていますので。

本文はここまでです このページの先頭へ