ここから本文です

投稿コメント一覧 (775コメント)

  • >>36598
    大器さんへ(初めまして。横から失礼します)

    >国家が戦争の手段に訴える事自体が悪なのか。

    個人が腕力に訴える事はどうなのでしょうか。
    (暴力は悪とされ否定されるのが一般的かと)



    >正当な国家の暴力を否定すれば、他国の国家権力によって個人の感情をも否定されることがわからないのか。

    個人(人権)が否定されるのはなにも他国の国家権力とは限らず、自国権力による人権侵害もありますし、個人による人権侵害もあります。

    個人の暴力を否定することは、他国の国家権力による暴力も否定することになっています。(国家意思は個人が思わなければ成立しませんので)


    > 戦うことを忌避する国、国家権力は、その国民にとっては敵なのではないか。

    こちらの正当性で他者を殺すことができる社会においては、他者の正当性によってこちらが殺されるのであり、私はそういう社会は求めていません。

    他者の正当性によって一方的に殺されない社会を求めています。(当然こちらも一方的に他者を殺すことができない社会となりますが)

  • >>No. 36430

    >>36430
    hitoさんへ

    > 既に、ヨイヨイさんは私に対して、「対話した方が得になること」を示していませんし、示せていません(苦笑)

    それは、今までは、対話不能とされるhitoさんの理由が、---闘争本能をもちながら生きてきたのは事実---36178 だったからです。それへの反論をしてきたのであり、今回示された別の理由「好条件が確保できない」(対話すると損をする)への対応はこれからと思っていたのですが。。。とりあえず以下2点、対話することで得になる(しないと損をする)ことを示しておきます。

    ・誤解の解消
    ・不満の解消


    >原告、被告双方の意見は出尽くしたので、判決を求める

    片側による強制裁判ではなく、双方それ(判決に従う)で了解の意思確認ができれば、これも対話による解決事例かと。

  • >>No. 36425

    >>36425
    my_さんへ

    >戦争の本質がさっぱりわかってないような感じがする。

    何とされているのでしょうか?
    私は、「腕力(物理的力)の正当化」と捉えています。


    >こちらも早急に日本は核保有をすべきだと思っている。

    先にも触れましたが、使用できないのでは意味がないのでは?


    >武力を持たないで話し合いで何とかなる
    なんて思考していたことがいかに愚かなことだったかわかるだろう。

    腕力で相手を押さえつけても問題解消にはなりませんので(押さえつけられた方の不満は解消されない)。
    問題解消の手段は対話しかないように思います。(不可能とされる理由は、回復の見込みがない言語にかかわる脳の機能障害でなければ、この先も対話不能の理由にはならないように思います)

  • >>No. 36424

    >>36424
    my_さんへ

    > 要は世界的核戦争は人類の滅亡を意味する。

    核による報復が人類の滅亡を意味する(故に報復できない)のなら、核抑止論は‘張子の虎’かと。


    >こちらはテロなど報復の連鎖とか、各国内で起きている人権侵害は根絶などできない。今後も続くだろうと思っている。人類の歴史はそういう歴史だからなあ。

    その根拠を伺っているのですが。。。

    そういう歴史(いままではそうなっている)は、この先もそうなる(なくせない)理由にはならないのでは?

  • >>36189
    hitoさんへ

    >対話は一つの手段ですが、絶対的なものではないです。
    要は、双方が共に穏便に対話を要望しているときにのみ有効となります。

    hitoさん以下にて、hitoさんが「対話不能」とされる理由として、

    > 基本的に、対話そのものの裏には、互いに自らのほうが好条件になるような意図をもっています。
    それが確保できないと確実に判断できれば、対話などはしません(時間とコストの無駄だからです)

    とされていますよね。
    もしそれが理由ならば、私は、対話した方が得になること(しないと損になること)を示すことになると思います。(対話しないとより状況が悪化する可能性がわかれば、穏便な対話も可能かと)


    >現実の世界では、相手の喉元へ匕首を突きつけて、対話をすることもあります。
    これも立派な対話ですが、第三者にはその過程が見えていないことが多い(爆笑)
    にこやかに写っている双方の写真の裏では、片方は後ろから銃を突きつけられていることもあるかもしれないわけです。
    ヨイヨイさんの論理では、それでも立派な対話と言えるのでしょうね

    脅迫されていわされている言説は、自由意思に基づく当人のものではありませんよね。その言説は脅迫している他者の言説ですから当人との対話になっていません。


    > 私も現在私的な紛争を抱えています。
    始めは対話主体で進めていた話ですが、相手がその裏で軍備の増強をしていました(笑)

    hitoさんがなさる対話は、私の言う対話とは異るように思いますので。

  • >>36186
    hitoさんへ

    >ヨイヨイさんが希望するような人間にマインドコントロールが可能と考えること自体、私には賛成できません。

    ?。hitoさんは他人になにかお願いをしてそれをしてくれたなら、その他人をマインドコントロールした、とされるのでしょうか。(そんな捉え方をされるのなら他人の要求には一切従わなくなってしまうのでは)


    > 方法論としては、人間を生まれた時から強制的に一定価値観方向へ洗脳していくことくらいしかないでしょうね

    価値観はどう得られるかを考えると(皆が同じ体験を一生していくことは不可能でしょうから)それは無理なように思います。

  • >>No. 36183

    >>36183
    hitoさんへ

    >>今までそうだったという事実(歴史)は、これからもそうである根拠にはならないのでは。
    >別にそれが将来変わることは否定していませんが

    では、---闘争本能をもちながら生きてきたのは事実---36178 は、「この先も対話不能」とされる根拠にはならない、ということで。


    >逆に太古から繰り返されていることが、未だに変えられないシステムとはなんですか?

    紛争や犯罪が起きるシステム、とhitoさんがされていることに異論はありません。


    >誰が悪い、法律が悪い…そういうレベルの話しではないです。

    私もそのつもりはないのですが。。。


    >つまり、理屈とおりにはいかない、理屈とおりにはもっていけない、原因があるわけです。

    (先にも触れていますが)理屈が間違っている、と私は捉えています。


    >それができないから、太古の昔から未だに紛争、戦争、殺人…がなくならないわけです。

    できるのにしなかったから、という捉え方も可能かと。


    >それができると考えているのは、ヨイヨイさんの個人レベルのお話でしょう。

    私は、世の中に起きている問題はすべて(個人の脳内現象なのであり)個人に還元可能と考えていますので。


    >コントロールできるなら、早くコントロールしてくださいよ!!!!

    私が関われる生活範囲の中で、どなたと対話せよ、と?


    >ただ、紛争、戦争、殺人…を暴力行為(自然な行為、理性)と捉えれば、それは不要です。

    ?自然な行為って、思考せずに本能的になされる行為であり、あれこれ考えたうえでなされる理性による行為とは異なるのでは。


    > 逆に質問です。
    単純に暴力を否定する国民5割、暴力を肯定する国民5割の国家があるとして、その国家はどのような方向性へ向かうのでしょうか?

    暴力を否定する国民は暴力を肯定する国民を強制することはできませんので、(採決の結果を知って考えに変化がないならば)その五割の国民による暴力が行使されることになるかと。

  • >>No. 36182

    >>36182
    my_さんへ

    >>なんでmy_さんも、(hito氏同様)対話の可能性を否定され、戦争(暴力)を人間の性(避けることはできない)と肯定されるのでしょうか?
    >そこに対話などあったのか?

    なかった事実があることは、それが必然である理由にはならないかと。


    >では、WW1、WW2と続いた世界的大戦争のあと、今なぜ局地的紛争があっても世界的大戦争が生じていないのか?
    それは、対話の可能性を否定され、戦争(暴力)を人間の性(避けることはできない)と肯定される。なんていう愚にもつかない精神論なんてどうでも良いんだな。何だと思います?

    何とされているのでしょうか(「核」とされているようですが)。いずれにせよ、それで世界的大戦を防げても、テロなど報復の連鎖とか、各国内で起きている人権侵害は防げてないわけですよね。

    私は、世界的大戦のみを防ごうとして対話を主張しているわけではありません。

  • >>36181
    hitoさんへ

    >ヨイヨイさんの話は理屈をこねて、いつもその延長線上で解決しようとしていますよ。
    そして、その通りに説明できなくなると、また理屈を修正して、どうしてもその理屈の中で証明しようとしている。

    それが理屈による起きている事柄の理解の方法かと。科学ってそれまでの理屈で説明できない事象を見つけたら、その理屈を修正したり、別の理屈で起きている事柄を何とか説明しようとしますよね。

    >現実は、その通りに行きません。

    ならば、その理屈が間違っているということであり、理屈で理解することが不可能になるわけではないのでは。


    >システムを知っていても、防げないものは防げないのです。
    それは物理的なものであったり、コスト的なものあったり、いろいろな要因によるものです。

    それを何で「不条理」(容認できず問題だ)とされるのでしょうか?
    (私は地震や津波が起きることを「不条理」とはせず容認し、問題とはしていません)


    >犯罪も同じですが、人々に犯罪の予防的措置を講ずることは可能ですが、人権問題が絡んできます。昔の、ロボトミー手術も同じでしょうね。

    ?防げない犯罪事例があるとされているのでしょうか。ならばその事例については非難することができず、犯罪として責め罰することはできないと思いますが。。。


    >対話って?
    そもそも、犯罪は、犯罪者が対話を避けて暴力に訴えたからではないのですか?

    ですから、なんで対話を避けるに至ったのかを考え理解しようとするのです(相手あってのことですよね)。それを知るための対話です。

  • >>36180
    hitoさんへ

    > 時系列でおかしいですよ。
    仇討を認めないようにするためには、第三者が代わりに間に入るしか方法がありません。

    ?。私は、その間に入った第三者とは、私的制裁「仇討ち」を認めない者、と捉えているのですが。。。代わりに(「代わりにこちらで殺すから」と)間に入ったのではなく、止めるために(「どうするかはこちらで決めるから」と)間に入った、と。


    >で、ヨイヨイさんは、その国家が行う死刑制度を私的制裁と言っているにすぎません。
    死刑制度のみが私的制裁であって、死刑以外の刑罰は私的制裁ではないと言われているわけですよ。
    死刑は、あくまでも刑罰の中の一つであって、それのみを対象として私的制裁とするのはおかしいと思いますよ。

    ?。わたしは 死刑制度のみを私的制裁としているつもりはないのですが、、、というか、死刑制度にしろ他の刑罰にしろ、公権力による制裁は私的制裁ではない(被害者「私人」の望み通りになるとは限らない)としています。

    で、hitoさんはそれ(被害者「私人」の望み通りにならない)を不満に思い「(現死刑制度は私的制裁の代わりになっていなくて)おかしい」とされているようですから、(私ではなく)hitoさんが私的制裁の代用品として死刑制度を求めておられるのでは。と伺った次第です。

  • >>No. 35954

    >>35954
    my_さんへ(初めまして)

    >理性によらないと暴力は否定できない。

    ?。それって、理性によって暴力を否定することは可能(私が主張していること)。ということなのでは。


    >さらに戦争の本質は、戦争当事国間の交渉がまるで不可能になった時に解決する
    ための最終手段だ。

    対話(交渉)不能と判断したとき戦争(暴力をふるう)になることに異論はありません。が、

    私はその「対話不能」とされる根拠(判断理由)に疑いを持っています。
    (私は、他者と問題が起きても対話は可能であり戦争(暴力)を避けることは可能との立場です)

    ですから、私は、対話不能と判断すること(人)を問題にして問い掛けしてきています。(なんで対話不能とされるのですか。と)


    改めてmy_さんへも伺います。

    なんでmy_さんも、(hito氏同様)対話の可能性を否定され、戦争(暴力)を人間の性(避けることはできない)と肯定されるのでしょうか?

  • >>No. 35958

    >>35958
    hitoさんへ

    >人間は考えることもできるし、一定の自制もできる動物でもあるが、その本能だけはどうしようもないということです。

    そう結論されている根拠を、

    >太古の昔から人間はどのように生きていたのか?
    考えれば自明でしょう(苦笑)
    闘争本能をもちながら生きてきたのは事実。

    とされているのでしょうか?

    今までそうだったという事実(歴史)は、これからもそうである根拠にはならないのでは。(その事実が永遠に繰り返されるという仕組み「システム」の説明が必要かと)


    >闘争本能を持たない人間は新人類かも?

    本能(暴力行為)を抑えること(コントロール)ができればよいのでは。

    私は、「生命システム(本能)」に影響を与えることができる別のシステムとして、誰もが持っている「精神システム(理性)」を捉えています。(人って脳「精神システム」の進化が他の生物より大きい生き物かと)


    >100歩譲って、個人が自制によって劣位性を求めても、集団、国家としてそうなるか?というとまず無理です(笑)

    (「優位性/劣位性」のお話は「差別化」として理解していますが)
    これって、個人が暴力を否定できても、国家は無理。というお話しなのでしょうか? ならば理由を聞きたく思います。

    私は個人が思わなけれは国家もできない。と考えていますので。

  • >>No. 35956

    >>35956
    hitoさんへ(つづき)

    >「不条理」の話も、社会の矛盾の一面にすぎません。
    社会では、「Aならば必ずしもBにはならない」ことがほとんどです

    ?。社会に起きている事実を矛盾「不条理」とするのは、その事実が起きるシステム(仕組み)を知らないからなのでは。

    (地震や津波が起きるシステムを理解することができないならば、地震や津波が起きることを「不条理」となります)

    私は、矛盾(や「不条理」)は、人の脳内現象なのであり、脳外に起きている事実には矛盾はない。との立場です。


    >更生する可能性があるかどうか?
    これは誰にもわからないことですが、もし、更生せずに重大な再犯を犯した場合どうするのか?

    hitoさんの言われている「更正」って、こちら(hitoさん側)の価値観を押しつけ強制することなのでは。

    私が求め主張する対話って、こちらとは異なる価値観を理解するためであり、更正(こちらの価値観の押し付け)させるためにするものではありません。

    理解することによって、理解していない場合とは異なる対応が成されるのであり、それによって、再犯を防ぐことが可能としています。

  • >>No. 35956

    >>35956
    hitoさんへ

    > 前回の投稿はかなり前なので、殆ど忘れていました(苦笑)

    ごめんなさい。いつも遅レスになります。


    > 結論から先に言いますと、根本的に価値観の相違ではないかと思います。

    その価値観の異なるもの(対立相手)への対応方法(対話するのか、対話を拒否し腕力を振るうのか)を私はhitoさんとの争点としているのであり、価値観が異なること(対立し問題が起きる)は了解しているのであり争点とはしていません。


    > 私は、「仇討」の話もしていたはずですが、そこには触れていませんよね。
    つまり、犯罪遺族が犯罪者に報復することも保護救済してあげないとならなくなりますよ。
    報復しても、報復した人の罪を問えません(笑)
    当然殺人事件に対しては報復殺人となると思いますが…
    それを認めることができなくなったから、国家が代わりに行うにすぎません。

    ?。hitoさん、---無制限に、私的制裁(殺人)を認めれば国家社会はその機能を失い、成立しません。---35117とされていたかと。

    わたしはそこに同意し、(触れてないのではなくそこに触れて)現死刑制度は私的制裁の代わりではないのでは、という指摘をいたしました。

    私的制裁の代わりならば、加害者を弁護できる現裁判制度など必要ありませんし、被害者(私人)の望み通りに国家(公人)が動くのであり、公権力の私物化となりますので。

    hitoさんは、国家が(私的制裁の)代わりに制裁「仇討ち」を行うことを求めておらえるようですが、それは、無制限に私的制裁が行われること(公権力の私物化)とどう違うのでしょうか?(同じなのでは、と私は捉えています)

    つづく

  • >>35936
    hitoさんへ(横です)

    >戦争というか…どういう形であれ、最低限の戦闘は避けられません。
    それは「人間の性」ですね。
    非暴力、非武装は妄想の産物だと思っています。
    あなたは、人間を辞めますか?
    これに尽きると思いますね(苦笑)

    ?。私は、暴力を肯定することを「人間をやめること」と捉えています。
    何でhitoさんは、暴力を「人間の性」とされ、避けられないことと肯定されるのでしょうか?(私は理性によって暴力を否とすることは可能とする立場です)

  • >>35119
    hitoさんへ

    >余談ですが、殺人事件の裁判員を経験したいと思っているのですが

    私は(現死刑制度を疑問視していますので)勘弁願いたいです。


    >>私が死刑になること(自分の命を捧げる)でhito氏の命を奪える
    >そういう被告はいないと思っていますが(笑)

    死刑覚悟で殺人を犯す事例は「死刑覚悟」で検索していただければ「奈良小1女児殺害事件」などヒットできます。

    また、「自爆テロ」(自分の命と引き換えに他者の命を奪う)って「そういう被告」かと。

    あと、気になった書き込みありましたので、横いたしました。

  • >>35118
    hitoさんへ

    >死刑にしろ、終身刑にしろ、「更生させる」という考え方は既にないことはお分かりになると思います。

    ?。死刑や終身刑が更正を否定していることに異論はありませんが、更正可能か否かは、死刑(や終身刑)になったからか否か、で判断されるのではありませんよね。(死刑判決や終身刑判決が下される以前に個々の脳内で判断されるものかと)

    私はそこ(なんで更生「そのための対話」を不能と判断するのか)を問題視しています。


    >被害者や遺族に対する贖罪しかなくなりますね。

    (加害者が、被害者や遺族の要求を受けいれることが「贖罪」とされるのならば)
    殺人(己の行為)を正当化する加害者にはその「贖罪」はなされないのでは。(被害者や遺族の要求「贖罪」が成されるためには、その加害者の正当化論理「理屈」を問題にできてこそなのであり、それが出来るのは強制ではなく対話できてこそかと)

  • >>35117
    hitoさんへ(つづき)

    >要はどこまでいっても、犯罪者に対する身勝手な保護措置にしかならないですよ。 死刑制度にしろ終身刑にしろ、犯罪者の更生という観点は既にないわけで、

    私は死刑制度「強制」を正当化し支持する人を「身勝手」と捉えています。(犯罪者を保護救済することを「身勝手」とは考えていません)


    >> 他者の「私が死刑になること(自分の命を捧げる)でhito氏の命を奪える」との理屈(平等原則)
    >その時点でも、その理屈(平等原則は)は否定されるのではないですか?

    ?。否定されないとして、---他者の「私が死刑になること(自分の命を捧げる)でhito氏の命を奪える」---を説明したつもりなののですが。。。

    なぜ、hitoさんの原則では「否定(hitoさんを殺したいものは、自らの命を引き換えとして捧げてもhitoさんの命を奪えない)」となるのか、説明(反論)していただければと思います。

  • >>35117
    hitoさんへ

    > 100歩譲って相手が自分の命を捨てる覚悟で、私の命を奪う決断をすれば、それを防ぐことはできません(苦笑)
    自分にとっては不条理の死となります。
    >ストーカーがその気になれば、命を防ぐことはできないのですよ。
    ストーカー規制法があっても無理です

    ?。防ぐことができないとされることを何で「不条理(了解できない)」とされるのでしょうか。(例えば、現状防ぐことができない地震や津波等の自然現象をhitoさんは「不条理」とはされませんよね)

    防ぐことができない、とhitoさん御自身が了解されているのならば、hitoさんは、死刑(自爆)を覚悟した殺人者・ストーカーが人を殺すことを(地震・津波同様)容認せざるを得なくなります。それがhitoさんが持ち出された--「人の命を奪えば、自分の命をもって償う。それが、原則」--34024からの論理的帰結かと。


    >つまり、そういう輩(自分の命を捧げるつもりで相手の命を奪う)は始めから存在していないことになります。

    ?。死刑を覚悟し殺人を犯した事例はあるのでは。hitoさんも「殆どない」とされ、ある事例(例外)があることを否定されていませんよね。


    >そもそも、死刑制度は、昔の仇討ができなくなってしまったからでしょう。 無制限に、私的制裁(殺人)を認めれば国家社会はその機能を失い、成立しません。

    ?。今の死刑制度は、「仇討ち」ではありませんよね。(hitoさんも「 無制限に、私的制裁(殺人)を認めれば国家社会はその機能を失い、成立しません」とされている)

    よって、現死刑制度は、仇討ち「私的制裁」ができないから(その代わりとして)生まれたものではないのでは。(「私的制裁」を認めない故に生まれたものかと)

    でも、その「私的制裁」を認めることになるのがhitoさんの原則(「私が死刑になること(自分の命を捧げる)でhito氏の命を奪える」)なのでは。と指摘している次第です。

    つづく

  • >35114
    kunさんへ

    >そもそも理由以前に人を殺すのはあらゆるケースで絶対いけないというスタンスだったのでは?

    ある事実「ある人の命が奪われた」を是とするのではなく「絶対いけない(避けられたのでは)」と問題にすることは、その理由を考慮しないことではありません。(避けるためには、その事実(ある行為・出来事)が生じた理由「システム」を知ることが必要ですから)

    そもそも、その行為をした人を責めることができるのは、「その行為をしないこと(避けること)も可能だったのにしなかった」からであり、避けることができない人ではないからです。避けることができないこと(不可能なこと)ならば、責めることができず、罰することもできません。

    よって、「絶対いけない」とする(ある出来事を「二度と同じ様な事が起きないように」と否定排除する)ことと、それをしたものを「死刑」にする(した人を否定排除する)ことは、同じことではないのです。


    >>私は報復の連鎖を防ぐために(力による強制ではなく)「対話」を主張しています。
    >あなたはブレイビクを説得できる自信があるのだろうか。
    欺瞞に満ちた移民政策が続いてる限り、出所したら確実にまた同じ事をするでしょう。

    自信(可能性100%)があるからするのではなく、理解しあえる可能性がある(可能性0%ではない)から、報復を防げる可能性0%の「力による強制」ではなく、「対話」を求める立場です。

本文はここまでです このページの先頭へ