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投稿コメント一覧 (761コメント)

  • >>35936
    hitoさんへ(横です)

    >戦争というか…どういう形であれ、最低限の戦闘は避けられません。
    それは「人間の性」ですね。
    非暴力、非武装は妄想の産物だと思っています。
    あなたは、人間を辞めますか?
    これに尽きると思いますね(苦笑)

    ?。私は、暴力を肯定することを「人間をやめること」と捉えています。
    何でhitoさんは、暴力を「人間の性」とされ、避けられないことと肯定されるのでしょうか?(私は理性によって暴力を否とすることは可能とする立場です)

  • >>35119
    hitoさんへ

    >余談ですが、殺人事件の裁判員を経験したいと思っているのですが

    私は(現死刑制度を疑問視していますので)勘弁願いたいです。


    >>私が死刑になること(自分の命を捧げる)でhito氏の命を奪える
    >そういう被告はいないと思っていますが(笑)

    死刑覚悟で殺人を犯す事例は「死刑覚悟」で検索していただければ「奈良小1女児殺害事件」などヒットできます。

    また、「自爆テロ」(自分の命と引き換えに他者の命を奪う)って「そういう被告」かと。

    あと、気になった書き込みありましたので、横いたしました。

  • >>35118
    hitoさんへ

    >死刑にしろ、終身刑にしろ、「更生させる」という考え方は既にないことはお分かりになると思います。

    ?。死刑や終身刑が更正を否定していることに異論はありませんが、更正可能か否かは、死刑(や終身刑)になったからか否か、で判断されるのではありませんよね。(死刑判決や終身刑判決が下される以前に個々の脳内で判断されるものかと)

    私はそこ(なんで更生「そのための対話」を不能と判断するのか)を問題視しています。


    >被害者や遺族に対する贖罪しかなくなりますね。

    (加害者が、被害者や遺族の要求を受けいれることが「贖罪」とされるのならば)
    殺人(己の行為)を正当化する加害者にはその「贖罪」はなされないのでは。(被害者や遺族の要求「贖罪」が成されるためには、その加害者の正当化論理「理屈」を問題にできてこそなのであり、それが出来るのは強制ではなく対話できてこそかと)

  • >>35117
    hitoさんへ(つづき)

    >要はどこまでいっても、犯罪者に対する身勝手な保護措置にしかならないですよ。 死刑制度にしろ終身刑にしろ、犯罪者の更生という観点は既にないわけで、

    私は死刑制度「強制」を正当化し支持する人を「身勝手」と捉えています。(犯罪者を保護救済することを「身勝手」とは考えていません)


    >> 他者の「私が死刑になること(自分の命を捧げる)でhito氏の命を奪える」との理屈(平等原則)
    >その時点でも、その理屈(平等原則は)は否定されるのではないですか?

    ?。否定されないとして、---他者の「私が死刑になること(自分の命を捧げる)でhito氏の命を奪える」---を説明したつもりなののですが。。。

    なぜ、hitoさんの原則では「否定(hitoさんを殺したいものは、自らの命を引き換えとして捧げてもhitoさんの命を奪えない)」となるのか、説明(反論)していただければと思います。

  • >>35117
    hitoさんへ

    > 100歩譲って相手が自分の命を捨てる覚悟で、私の命を奪う決断をすれば、それを防ぐことはできません(苦笑)
    自分にとっては不条理の死となります。
    >ストーカーがその気になれば、命を防ぐことはできないのですよ。
    ストーカー規制法があっても無理です

    ?。防ぐことができないとされることを何で「不条理(了解できない)」とされるのでしょうか。(例えば、現状防ぐことができない地震や津波等の自然現象をhitoさんは「不条理」とはされませんよね)

    防ぐことができない、とhitoさん御自身が了解されているのならば、hitoさんは、死刑(自爆)を覚悟した殺人者・ストーカーが人を殺すことを(地震・津波同様)容認せざるを得なくなります。それがhitoさんが持ち出された--「人の命を奪えば、自分の命をもって償う。それが、原則」--34024からの論理的帰結かと。


    >つまり、そういう輩(自分の命を捧げるつもりで相手の命を奪う)は始めから存在していないことになります。

    ?。死刑を覚悟し殺人を犯した事例はあるのでは。hitoさんも「殆どない」とされ、ある事例(例外)があることを否定されていませんよね。


    >そもそも、死刑制度は、昔の仇討ができなくなってしまったからでしょう。 無制限に、私的制裁(殺人)を認めれば国家社会はその機能を失い、成立しません。

    ?。今の死刑制度は、「仇討ち」ではありませんよね。(hitoさんも「 無制限に、私的制裁(殺人)を認めれば国家社会はその機能を失い、成立しません」とされている)

    よって、現死刑制度は、仇討ち「私的制裁」ができないから(その代わりとして)生まれたものではないのでは。(「私的制裁」を認めない故に生まれたものかと)

    でも、その「私的制裁」を認めることになるのがhitoさんの原則(「私が死刑になること(自分の命を捧げる)でhito氏の命を奪える」)なのでは。と指摘している次第です。

    つづく

  • >35114
    kunさんへ

    >そもそも理由以前に人を殺すのはあらゆるケースで絶対いけないというスタンスだったのでは?

    ある事実「ある人の命が奪われた」を是とするのではなく「絶対いけない(避けられたのでは)」と問題にすることは、その理由を考慮しないことではありません。(避けるためには、その事実(ある行為・出来事)が生じた理由「システム」を知ることが必要ですから)

    そもそも、その行為をした人を責めることができるのは、「その行為をしないこと(避けること)も可能だったのにしなかった」からであり、避けることができない人ではないからです。避けることができないこと(不可能なこと)ならば、責めることができず、罰することもできません。

    よって、「絶対いけない」とする(ある出来事を「二度と同じ様な事が起きないように」と否定排除する)ことと、それをしたものを「死刑」にする(した人を否定排除する)ことは、同じことではないのです。


    >>私は報復の連鎖を防ぐために(力による強制ではなく)「対話」を主張しています。
    >あなたはブレイビクを説得できる自信があるのだろうか。
    欺瞞に満ちた移民政策が続いてる限り、出所したら確実にまた同じ事をするでしょう。

    自信(可能性100%)があるからするのではなく、理解しあえる可能性がある(可能性0%ではない)から、報復を防げる可能性0%の「力による強制」ではなく、「対話」を求める立場です。

  • >>35113
    kunさんへ

    >だから一つの宗教でさえも時代を経ると様々な解釈が生まれ分派してゆき、しまいには殺し合いになるケースは今でもあるのに理屈だけで解決とかできない。

    ?。上記(殺し合いの事例)は、異なる立場(分派を求める相手)を、理性「論理(理屈)」で理解しようとしない感情からの対立事例なのでは。。。今現在、分派した各宗派は、すべて殺し合いをしているわけではありませんよね(感情オンリーではなく、理性で異なる立場を捉える故かと)

  • >>35111
    kunさんへ

    >>私がどうするかに関係なく、受け入れている他者がいるのであり、
    >サカキバラ君は正体がばれるたびに引っ越さざるを得ないようですが、

    ?。kunさんの理屈では、正体がばれたら引っ越しもできないのでは。。。
    (正体がばれない状況、よって引っ越しができる状況が生まれるのは、私のような「関わり合う相手の身元調査をせずに受け入れる」ものがいるからかと)


    >ところが猿でも酒を与えれば飲んだりするそうですが、悪酔いしたらきっぱり飲まなくなるという話を見た事があります。酒の害をなかなか絶てない人間のほうが程度が低い。

    個体差があるのであり、すべての猿が悪酔いし酒におぼれなくなるのではないのでは。

    いずれにせよ、kunさんも「酒の害」とされているように、人間社会は酒におぼれること(理性を失うこと)を是とはしていないかと。

  • >>34830
    kunさんへ(ヨコです)

    >全ての法律は最終的に「実力組織」による強制があってこそという理屈がいつまでもわからないのか

    強制「実力組織」では違反を防げていないのが現実・事実なのでは。

    法律が機能する(違反することなく守られる)のは、その法律を了解するからであり、了解できないものへは機能しません。

  • >>No. 34533

    >>34533
    kunさんへ

    >第一、殺人犯は死刑じゃないと納得できないという遺族だらけなのに無意味すぎる話。

    被害者(遺族)の声には、「なんで殺されたのか」「再びこのようなことが起きないように」もあるのであり、それらはどうでもよく「死刑じゃないと納得できない」だらけではないのでは?


    > 自分としては他人を勝手に「死刑」にして置きながら、自分は嫌だとか「はあ?」としか思えません。

    殺人に至るには何かしら理由がありますよね。
    その理由を考慮することなく上記はどうかと思います。


    >報復感情を抑えきれずに。という話。
    >未来のノルウェー人は将来再犯で大量殺人が起きて若い刑事にならずに済むだろうか。

    私は報復の連鎖を防ぐために(力による強制ではなく)「対話」を主張しています。

    p.s.
    気になった書き込み(34830)がありましたのでヨコしました。

  • >>No. 34532

    >>34532
    kunさんへ(つづき)

    >人を説得したければ理屈でなく感情に訴えよ、

    感情に訴えて共感を得ることは同じ立場(賛同)に導く手法であり、異なる立場を理解し認める(否定排除はしない)手法ではありません。(感情に訴えて共感を得ようとする手法は、価値の多様性「異なる立場」を認めることができない手法かと)

    感情に訴えても共感・賛同を得れず対立する相手を理解するには、理性(理屈「論理」)しかないのでは。


    > 夢を持っても現実に備えなくては。

    その夢「理想」をkunさんは不可能(実現可能性は0%)とされたから、「(夢を追うのではなく)現実に備えなくては。」とされているのでは。

    不可能ではないならば、その実現を目指し、その実現への障害となるkunさんが求める現実対応を求ず拒否することは、何らおかしなことではありません。

  • >>No. 34532

    >>34532
    kunさんへ

    > 一応知能は持っていて大多数の人と会話はできるぐらいの基本同じロジック・思考能力は持っているって解釈して了解します。

    対話(会話)できる基本的なもの(普遍的に備わっているもの)は誰もが持っている。(それがないからという理由で「対話不能」とすることはできない)とkunさんもされている。ということで了解です。


    >がまだ返答がない話がありますね。サカキバラ君、名古屋の聖母、佐世保の弁護士の娘。これらが隣人になったとして引っ越さずにいられますか?あなたでも無理なら全国民が無理で社会に受け入れられる事はなく、死刑にならなくてもまともな人生を歩めません。いくら同じ部分があったとしても意味がありません。

    返答済みかと。よって繰り返しになりますが、私がどうするかに関係なく、受け入れている他者がいるのであり、よって犯罪者であっても他者と対話し生活できているのが現実・事実なのでは。(ちなみに、私は、隣人が犯罪者かどうか身元調査するつもりはありませんし、実際していません。私が引っ越しする場合も、隣人が犯罪者かどうかではなく、他の理由からです)


    >酒飲んで新皮質部分が機能低下すればドンドン動物に近づく。勉強してない頭弱い不良とか猿山のボスの地位争いみたいな事をする。

    そうなることを(避けることはできないこととして)是とするのではなく、そう(野生化「弱肉強食」に)ならないために、飲酒量をコントロールしようとし、猿では得ることができない知識を得ようと勉強するのでは。(その為の基本的なもの「理性」は誰もが持っている)

    つづく

  • >>No. 34527

    >>34527
    hitoさんへ

    >>>人の命を奪えば、自分の命をもって償う。それが、原則だと思います。
    >>それ(hitoさんの言われる平等原則)だと「私の命をあげるからあなたの命をおくれ」に反論できないのでは?(自分の命を捧げることができる人は他者の命を奪えることになってしまいます)
    >理由があれば、当然自分の命をあげますよ。

    ?。伺いたかったことは、hitoさんが御自身の命を自ら捧げることができるか否かではなく、hitoさんを殺したい他者の命と引き換えにhitoさんの命が強制的に奪われることの是非です。

    他者の「私が死刑になること(自分の命を捧げる)でhito氏の命を奪える」との理屈(平等原則)で、その他者によってhitoさんは殺される。それを拒否できないのがhitoさんの原則「人の命を奪えば、自分の命をもって償う」ということなのでは、と指摘した次第です。

  • >>No. 34046

    >>34046
    kunさんへ

    >殺人は絶対許せないなら殺人を犯した犯人は絶対許せないんじゃないですか?

    許さない手段って、「死刑」とは限らないのでは。

    己が納得できるまで責め問い続けること(被害者に問われることから加害者は解放されない)もその手段かと。


    > 死刑はそもそも建前として憎しみの解消でなく、再犯の根絶による更なる人権侵害を防ぐのが目的でしょう。

    kunさんも、そう「再犯の根絶」なのでしょうか?
    (kunさんが死刑を求め支持する理由は、憎しみ「被害者感情」の解消や、hito氏が指摘された「命を奪ったら命をもって償うべき」という等価平等論からではない)

    p.s.
    すみません。映画「セブン」は存じません。

  • >>No. 34042

    >>34042
    hitoさんへ(初めまして)

    > 人の命を奪えば、自分の命をもって償う。
    それが、原則だと思います。

    それ(hitoさんの言われる平等原則)だと「私の命をあげるからあなたの命をおくれ」に反論できないのでは?(自分の命を捧げることができる人は他者の命を奪えることになってしまいます)

  • >>No. 34045

    >>34045
    kunさんへ

    >>身元引受人でなくても、その人の存在(並びに、その犯罪者を支えようとする人を支持し)を認めることはできます。
    >では先ず通称サカキバラ(方角)君でも支援したらどうですか?

    犯罪者支援のために私が納めている税金が使わることを私は支持し了解しています。


    > 社会に戻っても、どこに行っても受け入れられず

    であれば亡くなっているのでは。。。
    そうではなく今も生きている(生活できている)のなら、受け入れてくれる人がいるということかと。


    >あなたなら助ける事ができますか?

    そうして(「受け入れるな」ではなく)受け入れてくれる人を認めることがその犯罪者の助けになっているのでは。


    以上お答えしましたが、以下、

    ・---kunさんは、思想信条(価値観)が異なることをもって、普遍的なものはないとされているようですが、価値観が異なることはその価値観を生んだ論理が異なることではありません。(その価値観を生んだ脳の思考原理「形式論理」は普遍的なものと私は捉えています)---34036

    ・---kunさんと私との上記に関する対立点は、本能があるかないかではなく、只の動物ではない人は、その本能を(理性によって)コントロールできる生き物か否か、かと。より正確にいえば、本能「生命システム」に影響を与えることができる別のシステムを人は持っているか否か、です。---34038(kunさんも「(人は)只の動物ではない」とされている)

    上記2点への疑問異論反論はない(了解して頂ける)ということでよろしいのでしょうか。

  • >>No. 33761

    >>33761
    kunさんへ

    > 自殺者は生きてる苦痛が生存本能を上回ったからで本能がないわけではない。

    ?。上記に異論はありませんが、
    私は、人が只の動物とは異なり、本能(kunさんがいわれた「自己保存、自己増殖」)を上回ることを得れることをもって、人には「本能がない」とはしていないのですが、、、

    kunさんと私との上記に関する対立点は、本能があるかないかではなく、只の動物ではない人は、その本能を(理性によって)コントロールできる生き物か否か、かと。より正確にいえば、本能「生命システム」に影響を与えることができる別のシステムを人は持っているか否か、です。(そもそも本能「生命システム」がないならば、それをコントロールする為の理性「精神システム」も生まれませんから)

    ですから以下にしても

    >2次ばかりで楽しんでる人も性欲がないわけではない。

    との反論ですが、私は、「人には性欲はない」とはしていません。

    避妊行為「sexすれど子を作らず」を私は、kunさんのいう「自己増殖」(私のいう「生命システム」)に抗うことが可能な「精神システム」(本能に影響を与えることができる別のシステムの存在)によってなされていることを指摘した次第です。(本能「生命システム」に影響を与えることができる別のシステム「理性」の存在を持ち出すことは、本能「生命システム」の存在を否定していることではありません。両方存在しているとしています)


    >究極の平和の鍵
    >結局自己愛は誰でもあるがそれの拡大をしていくことだ。
    他人の為に死んでいくとは拡大の表れだ。

    言われてる「拡大」(己にとって必要な人々をどこまで広げることができるのか)ができるのは、本能「生命システム」(生理的・肉体的反応)ではなく、理性「精神システム」(あれこれ思考すること)によってかと。

  • >>No. 33760

    >>33760
    kunさんへ(つづき)

    >先ずはあなたが身元引き受け人になってからの話という事で言ったのです。

    その理屈では、自衛隊を認めるならば、先ずはあなたが自衛隊員になってから、となってしまいます。

    自衛隊員でなくとも自衛隊の存在を(支持し)認めることができるのと同様、身元引受人でなくても、その人の存在(並びに、その犯罪者を支えようとする人を支持し)を認めることはできます。

  • >>No. 33760

    >>33760
    kunさんへ

    > 全ての人の人権が平等であるべきだが、その人権を重大に損なってるのが他ならぬ犯罪者。
    死刑廃止論者は「国家による殺人だから認められない」というが日本の死刑囚は全員殺人犯。
    その忌むべき殺人を行って他人の人権を全く回復不可能にして究極に損なってる人達。
    つまり論外。

    死刑が、国家によって殺人を犯した人の人権を回復不能にしていることは否定できない事実なのでは。(なんでkunさんは、個・私人による人権侵害「人の命を奪うこと」を許さないのに、国家・公人による人権侵害「人の命を奪うこと」を許すのでしょうか?)

    繰り返しで申し訳ありませんが、「全ての人の人権が平等であるべき」とされているkunさんなのに、なんで他者の人権を侵害をした人(犯罪者)の人権と、そうではない一般人の人権は異なる(犯罪者の人権など「論外」)とされているのでしょうか?(私は「論外」とはせずに、「平等」としています)


    >>「形式論理」(脳がしている思考原理)
    >何かモノを考えてるって言っても、同じ論理である保証なんてないでしょう。

    ?。同じ論理(現状例外が認められない普遍的なもの)として「形式論理」を提示しているのですが。。。

    kunさんは、思想信条(価値観)が異なることをもって、普遍的なものはないとされているようですが、価値観が異なることはその価値観を生んだ論理が異なることではありません。(その価値観を生んだ脳の思考原理「形式論理」は普遍的なものと私は捉えています)

    ようは、結論を得るために設定する前提が同じならば、前提から結論を導く論理自体は人皆同じであり、例外なく皆同じ結論になるということです。設定する前提(知っている事柄)が相手と異なるから(その相手とは)結論が異なるのであり、論理「脳の思考原理(システム)」が異なっているからではない。

    ということで、こちらの前提とは異なる相手の前提を知ることによって、異なる結論になっていることを(相手とは異なる己の価値観は脇において、相手と同じ「論理」によって)非難することなく了解することができるのです。(前提が異なることを知らずに自分と同じ前提と決めつけてしまうから、理解できないまま非難し対立、決裂してしまう)と私は捉えています。

    (つづく)

  • >>No. 33574

    >>33574
    kunさんへ(つづき)

    >欲の一番の基本は生物の定義そのもの「自己保存、更には自己増殖を図ろうとするもの」。

    (以前30009にて上記に対する私の立場をお答えしています。に対するkunさんからの反論はなかったように思います)

    kunさんは、自殺「自決」する人や、子を作らない人がいる現実をどう捉え理解されているのでしょうか?(kunさんの上記主張とは矛盾する出来事かと)

    もし言われている通りなら、特攻隊(自己犠牲)もありえないのでは。。。

    (遺伝子「本能」に盲目的に従う生物にとっては言われているとおりかと思いますが、遺伝子「本能」に抗うことができる生物「人」にとっては「自己保存、自己増殖」は、普遍的なことではありません。と私は捉えています)

    確か、kunさんも、私の「人は、本能のままに生きる生命体ではないのでは」に対し、---それじゃ全く只の動物で人間という定義から外れるのは明白でしょ---29869と答えられ、人は、本能「欲」のままに生きる只の動物とは異なる。されていたかと。

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