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投稿コメント一覧 (270コメント)

  • 西郷どんスペシャル(2)「いざ革命へ!西郷と4人の男たち」

    幕末に活躍した人物を四人について、その知名度ランキングを出していた。
    誰が 最もよく知られているのか。人気度ランキングとは異なる。
    つまり、どの人物を好きかという問いではなく、どの人物を知っているかという問いに対するアンケートだ。
    坂本龍馬、勝海舟、岩倉具視、桂小五郎 の順番だったと思うが、
    桂小五郎が岩倉具視よりも下にきているのが目を引いた。
    まあしかし、岩倉具視を知っている一般人が そう多いとは思われない。その岩倉よりも桂小五郎が下に来ているというのが不思議な感じだ。 桂五郎を知らないのは、今の20代は 「鞍馬天狗」になじみがないからか。(笑)

    まあ、おそらく、岩倉よりも桂の方が知名度ランキングが下というのはあまり意味がなくて、知られていないということでは、どちらも似たり寄ったりですよ、ということなんだろう。

    歴史時代劇、もしくは「鞍馬天狗」のような歴史活劇において桂小五郎がヒローであった時代があった。
    「杉作、日本の夜明けは近い!」(笑) ただし、この台詞、原作にはないようだ。

    桂小五郎が知名度が低いという点については えっ!? という感じはあるが、 多くの人が岩倉具視を知らなくても 別に驚きはないだろう。
    しかし、岩倉はお札の肖像になっていたことがあるし、歴史学者の磯田氏が述べていたように、幕府を倒すのに岩倉の貢献は大であった。
    岩倉具視のような策謀家は一般受けしないし、何よりもドラマ化しにくい。そのため、この男の業績が十分に認識されているとは言い難い。

    真田丸 第15回「秀吉」

    真田信繫にとって初めての大阪城。大阪城の威容に圧倒されたようだ。そして、秀吉との出会い。
    ともあれ、
    秀吉、淀君、石田三成、加藤清正、福島正則 といった
    太閤記のメインキャストが勢揃いした回だった。

  • 西郷どん 第25回「生かされた命」
    幕末ものであって、西郷隆盛を主人公としないドラマでは、西郷が初めて登場するのは だいたい禁門の変(1864年)だろう。
    坂本龍馬や勝海舟、高杉晋作などが主役となるような歴史ドラマでは、京都御所の門を背にして、突如として西郷の指揮する薩摩兵が大砲を据えて長州と対峙するシーンが 出てくる。 これが あの西郷か、となる。
    どの歴史上の人物を主人公にするかで西郷の見え方が異なるが、西郷が脇役のドラマでは、
    禁門の変で薩摩兵を指揮する西郷は 実に厳めしく、怖い存在として映る。 その西郷も、その少し前に 島流しにあっていたとは、視聴者は知らない。大河ドラマ「八重の桜」や「花燃ゆ」でも、京都御所での戦闘を指揮する西郷の毅然とした姿があったが、その少し前に島流しにあっていたとは視聴者は気づかない。

    実際の歴史の表舞台においても、西郷隆盛が登場するのは禁門の変からであり、その点でドラマでの現れ方と一致している。

    1864年
    2月 吉之助、島から鹿児島に戻る
    8月 禁門の変
    吉之助、坂本龍馬と初めて会う

  • 西郷どん 第24回「地の果てにて」

    一橋慶喜が島津久光を、兄と比較して田舎者呼ばわりする、まあないだろうな。(笑)
    よほどの理由がない限り、 家来たちのいるところで あそこまで大名の殿さまをこき下ろすのは不自然だろう。
    何よりも武家は名誉を重んじる。恥をかかせられるのは死を意味するのに等しい。

    話の流れからすると、慶喜が 西郷のことに触れたことが、西郷の沖永良部島遠流の一因になったことを匂わせている。
    まあ、これもないだろう。第一、慶喜が西郷のことに触れるいわれはない。
    以前 廓(くるわ)界隈でふたりがよく会っていたということ自体がありえず、このドラマの作り話だ。
    こういう描き方は、歴史ドラマとしての「西郷どん」を安っぽくしている。

    真田丸 第14回「大阪」

    石川数正、真田信尹にそそのかされ、秀吉のもとに走る。
    まあ、作り話だろう
    ただ、真田の物語で、真田信尹にこれだけ光が当たったことは 余りないのではないか。

    1584年 真田信尹、徳川家に仕える
    1585年 上田合戦

  • 西郷どん 第23回「寺田屋騒動」
    1)
    大久保と岩倉具視が初めて接触したのはいつごろか。久光が藩兵1000人を率いて京に入ったことが切っ掛けだとされる。とすれば、寺田屋騒動の前だ。1862年5月頃になる。それは、今回は描かれなかった。
    実は、幕末の政争の行方を決めるうえで、大久保と岩倉具視の出会いほど重要なものはなかった。
    大久保と西郷の組み合わせに引けを取らないほど決定的に重要なのが 大久保と岩倉具視の組み合わせだ。
    2)
    海江田というのが出ている。司馬遼太郎の「花神」では、海江田信義という名前で、村田蔵六と対立し、いささか悪役の感がある。蔵六暗殺に関与したことを臭わせている。
    3)
    島津久光が帝(みかど)の詔(みことのり)を頂いて舞い上がる様(さま)は、「八重の桜」にあった、会津容保(かたもり)が孝明天皇から天杯と緋の御衣を賜って大いに恐縮するシーンと重なる。
    この時、薩摩と会津は反尊王攘夷派として近い立場にあつたということだな。

    1862年 5月  寺田屋事件
    1864年 7月  池田屋事件
    この二つの事件を並べてみる。 一方が薩摩が係わり、他方は会津が係わっている。
    共通するのは、尊王攘夷派への弾圧だ。 背景にあるのは、尊王攘夷と公武合体の間の路線対立とも言える。
    孝明天皇は公武合体を支持し、岩倉具視の活動もあり 1862年2年に和宮降嫁が実現した。

    ここで興味深いのは、孝明帝が なぜを尊王攘夷派を嫌うのかということだ。だって、尊王攘夷というのは、「朝廷を貴(たっと)びます、欧米の勢力を打ち払いましょう」ということで、孝明帝の考えとぴったりだ。(笑) それが、なぜ 嫌うのか。 それは、尊王攘夷派が倒幕の意志を含んでいるからで、孝明帝からすると 徳川幕府による現秩序を揺るすことに不安を持っていたのだろう。 
    思想(=価値観)と政治的動きが一致するとは限らないということ。素朴な人は、考え方が同じなら支持してくれるだろうと信じがちだが、そこに政治的な要素が加われば、必ずもしもそういかなくなるときがある。

  • 西郷どん 第22回「偉大な兄 地ごろな弟」

    最近ではめずらしく、やっと幕末の歴史ドラマらしい回だった。(笑)
    かつての幕末物は だいたいこんな感じだったと思う。

    寺田屋で 西郷が有馬新七の翻意を促すために 自分の刀を渡して、俺を斬って行け と言った場面は迫力があった。
    かなり前の回で、島津斉彬と父の斉興(鹿賀丈史 演)との間で、ピストルでの命のやり取りがあったが、いかにも嘘っぽかった。それに比べれば真実味があった。

    尊王攘夷は 倒幕の意志を含んでおり、いわば急進改革。 
    それにたいして、久光の公武合体は、幕府を含めた雄藩による連合政権体のようなものだ。

  • 西郷どん 第21回「別れの唄」

    大久保正助が主君の手紙をもって島に来たというのは、作り話なんだろう。大久保みずから わざわざ舟に乗って来るはずがない。(笑) 

    西郷に関する主な出来事の時系列
    1828年    西郷吉之助、誕生
    1848年    お由良騒動
      -50年  
    1851年    島津斉彬(渡辺謙 演) 藩主となる
    1854年    吉之助、斉彬の江戸参勤に同行
    1858年 8月  島津斉彬  没
    1859年 9月  島津斉興(鹿賀丈史 演) 没
       12月  吉之助、奄美大島に隠れ住む
    1860年      桜田門外の変
    1862年 1月  奄美大島を出る
    5月  寺田屋事件
        6月  吉之助、沖永良部島遠流
    9月    生麦事件
    1863年 3月    薩英戦争
    1864年 2月 島から鹿児島に戻る
        8月 禁門の変
           吉之助、坂本龍馬と初めて会う
    1866年 1月  薩長同盟締結

    ドラマでこれから起こる有名な生麦事件。 久光が藩兵を率いて江戸に入ったが、薩摩への途次に起こった。そのとき西郷は島流しにあっていて 現場にいなかったことが上記の時系列からわかる。大久保一蔵は行列の中にいた。

  • 西郷どん 第20回「正助の黒い石」

    大久保正助の屋敷の門の前で、お由羅の方が籠(かご)から出たところで、正助の妻に、
    「お久しぶりねぇー」。(笑)
    このドラマ、時々 こういう遊びを何気なく入れてくれるね。

    家臣の妻に対してならば、 「久しぶりであった」で十分なわけだが、
    わざわざ 「お久しぶりねぇー」と小柳ルミ子に言わせるところが このドラマなりの遊び感覚が感じられる。

    熊吉がお由羅の立ち姿を見て 「美しい」、一呼吸おいて「着物が」。
    じろっと熊吉の顔を睨むお由羅。(笑)

    前の「お久しぶりねぇー」と、このシーンは連動している。
    「お久しぶりねぇー」で歌手小柳ルミ子を視聴者に思い起こせ、次に 美しいのは「着物」と言われたところで、
    時の流れを感じさせる。とすれば、高等な遊びだ(笑)

  • 西郷どん 第19回「愛加那」

    村人と共に松明を持って代官所へ走る愛加那。
    松明を振り回す二階堂ふみ、動作に切れがある。

    だいたい 若い女優で演技がうまくても、走ったりとか、素早く激しい動きをさせると、途端に動作に 緩慢なものを感じさせることが多いのだけどね。
    「真田丸」で真田信繁の最初の妻を演じた黒木華、第13回「決戦」であっちへ行ったり こっちへ走ったりとか 比較的動きのある演技をしていたが、動作に切れがない。アクションを得意とする女優でなければ、普通はこんなもんでしょ。

    真田丸 第13回「決戦」

    徳川の兵8000を迎え撃つ上田城の真田。1585年の出来事だそうだ。
    平岩親吉という名の武将が出ていた。徳川の家臣。
    おそらく徳川家康のドラマでも なかなか馴染みのない名前ですが、家康に非常に近い家来の一人。鳥居とか大久保などはよく出てくる名前だが、平岩親吉は一般に知られていない。 家康の側近としての重要度からすると、ほかの者たちに劣らないにもかかわらず有名でないのは、江戸期も含めた後世の戯作者や作家たちのアンテナに引っかからなかったからだろう。

  • 西郷どん 第18回「流人 菊池源吾」

    斉彬(渡辺謙)が西洋式の船の建造や大砲のみに関心を向けていたわけではなく、藩の稼ぐ力をどうつけるかも考えていたことが前の方の回で触れられていて、それなりにバランスのとれた描き方している。たしか、薩摩切子を斉彬が手にもって 吉之助に説明しているシーンがなかったか。
    19世紀、近代国家が植民地を獲得し 搾取することで資本の蓄積を行ったことはある。
    薩摩-奄美を含めた琉球の関係も、資本主義成立過程に見られる搾取構造と見ることもできる。
    植民地化された地域のみならず、 本国でも搾取構造はあった。明治初期における製糸工場を舞台にした女工哀史、19世紀半ばの英国では 子供たちが工場で酷使された。

    この奄美での話の展開からすると、明治政府による近代化を推進する大久保利通に反発する西郷隆盛という構図にもっていきたいのか。 実際には、そう単純な話ではない。というのは、日本の近代化は 西郷という存在を抜きにしては始まらなかったという側面があるからだ。その意味では、西郷というのは両義的だ。日本の近代化を推進する役目を果たしておいて、同時に憂慮する姿勢をとった。

  • 西郷どん 第17回「西郷入水」

    歴史とは皮肉なものだ。
    藩主であったときの斉興(鹿賀丈史)によって財政再建が果たされ、その果実によって幕末の動乱に薩摩が強力な兵を動かすことを可能とし、とくに それを指揮した西郷吉之助が明治維新最大の功労者として歴史に名を留めることとなった。
    つまりは、斉興(鹿賀丈史)が業績がなければ、西郷の活躍もありえなかったことになる。
    いかに歴史上の出来事が有機的に結びついているかということだが、だから 誰が悪くて 誰が善いかなどということは
    単純に決められないということだ。

    篤姫が歴史ドラマで比較的重要な役どころを演じるのは、大河ドラマ「篤姫」は当然のこととして、それを除けば、この「西郷どん」以外にないのではないか。 成功した大河ドラマ「篤姫」が残した遺産をうまく使っているね。大河ドラマ「篤姫」で見たエピソードが、この「西郷どん」に巧みに盛り込まれていると感じた。
    本来 篤姫というのは 歴史上の人物としては無名に近い。それが、主人公となった大河ドラマで有名人化した。歴史上の人物すべてが有名になるわけではなく、実在したとしてかぎりなく「脇役的な」人物の場合、それが有名になるのは、ある時代の小説やドラマに「たまたま」取り上げられ、さらに脚光を浴びるかどうかによる部分が大きい。

    斉興(鹿賀丈史)が 息子である久光の兵を率いて遠征する構想を否定し、さらに「お前に斉彬(渡辺謙)と同じことができるのか」、出来るはずがないという意味のことを憎々しげに言う場面。 つまりは、「お前は能力的に兄の斉彬(渡辺謙)よりも劣っている」と父親に言われたも同然だ。
    これは、のちの吉之助と久光の関係を描く伏線になるのだろう。史実と「されるもの」によれば、吉之助が久光と対面したときに、斉彬(渡辺謙)の構想を実現しようとする久光を「田舎者」とこき下ろしたとされる。
    怒りをかった吉之助が再び流罪となる原因の一つとなった。吉之助からすれば、敬愛する亡き殿 斉彬(渡辺謙)の真似事をする久光に軽蔑の念が生じたのだろう。久光からすれば、優秀な兄との比較で父から受けた蔑(さげす)みと同じ蔑みを臣下から受けたことになり、西郷吉之助に対する根深い恨みの元となった。

  • 西郷どん 第16回「斉彬の遺言」

    西洋列強と互角に渡り合うには 日本全国が協力しなければならないという意味のことを何回か 斉彬が言ってましたが、
    要は、公武合体のこと。つまりは、幕府も朝廷も、薩摩のような外様も 協力し合ってやっていこうということ。
    それにたいして、井伊直弼は、開国通商という点では斉彬と共通しているが、どこが主導するかで対立している。
    直弼は幕府主導に固執し、外様が中央の政治に口出しすることを拒否する。
    これが 将軍継嗣をめぐっての争いへと顕在化した。
    一方、将軍継嗣問題で 吉之助と月照らが密接に協力し合っているが、吉之助の主である斉彬と、月照らが 完全に考え方が一致しているかというと、そうでもないような気がする。
    月照らは勤皇であり、それは攘夷につながっていく必然性をこの時期 有していた。斉彬に攘夷の考えはあまり見られない。直弼に攘夷の考えがないのと同程度に、斉彬にもない。ということからすれば、斉彬と直弼は思想的に案外近いところにいた。

  • 西郷どん 第15回「殿の死」

    京へ藩兵を引き連れて遠征する斉彬の構想、これを吉之助が献策したように描かれていた。
    それは、どうかな。 ドラマの主人公だからということで、西郷を 色々な歴史的事柄に紐づけしたいのだろうな。

    それはともかくとして、
    公武合体にしろ、京や江戸に藩兵を引き連れていくにしろ、その考えは 久光に引き継がれた。つまり、久光は、
    斉彬の構想を否定せずに、むしろその推進に動いたということになる。

  • 西郷どん 第14回「慶喜の本気」

    遊郭で 一橋慶喜と吉之助が いろいろなやり取りをしているが、史実的にはありえないな。
    井伊直弼が 吉之助を自分のところに来させて、直に茶を馳走して言葉を交わす、まずないだろう。
    直弼の手先として動く長野守善が 吉之助の周囲をうろつく、というのはありえる。
    吉之助と井伊直弼の接点は、せいぜい そこまでだろう。
    ---------------------
    「鳴門秘帖」をNHK BSでやるんだな。 
    http://www.nhk.or.jp/jidaigeki/naruto/
    吉川英治の小説で、伝奇時代ものとしての傑作。

  • 西郷どん 第13回「変わらない友」

    西郷の後ろ盾の島津斉彬が急死すると 西郷吉之助は活躍の場を失うと同時に、島津久光によって針の筵に座らせられることになる。吉之助は 島津久光に毛嫌いされるわけだが、その久光にうまく取り入った大久保利通のことは、前回 描かれていた。 斉彬の急死を境にして、後ろ盾を失った吉之助と 久光の信頼を得ることに成功した正助の立場は逆転したかのようだ。結果的に、その大久保が 島流しにあった吉之助を引き上げることになる。

    吉之助と正助の実力者への接近の仕方が異なることに注目。
    吉之助は斉彬を深く敬愛している。それに対して、正助が久光を尊敬しているようには感じられない。出世のためには、尊敬できる相手でなくても、信頼を得るために行動できるのが大久保利通ということになる。 その点、吉之助は正助ほど柔軟ではないということなのか。

  • 真田丸 第12回「人質」

    「これをもって真田は徳川を縁を切る。」と昌行。
    人質となって上杉に行った源二郎の働きで、真田は上杉の信頼を得た。それよって、徳川に立ち向かう条件を整えた。

  • 西郷どん 第12回「運の強き姫君」

    大河ドラマ「篤姫」では、篤姫が嫁いだ将軍家定は、実は能力的に劣っていなかった、バカのふりをしているだけだ、 という筋書きだった。将軍たるものがなぜそんなことを装う必要があるのか、どういう理由を設定しようが、ストーリーにいささか無理があるなと感じた。今回は 公方さまは心身共に病んでいて、別にそれを装っているのではないという素直な描き方をしてほしいものだ。

    「西郷どん」もすでに第12回だが、12回に達すると それなりの分量を見たという感じになる。
    一回の分量を正味40分とすると 40 x 12回 = 480分。 つまり、12回というのは、時間でいうと 8時間に相当する。
    8時間というと、 映画だと3部作相当 になるだろう。
     
    映画「ゴッドファーザー」第一作目 177分、第二作目 200分、第三作目 161分。 合計 538分。
    私は、週末の映画館で、「ゴッドファーザー」第一作と第二作を続けてみたことがあるが、時間数にして377分、
    約6時間に相当する。 まだ若かったが、最後の方になると 意識が朦朧としてくるね。(笑)
    とにかく長い、というのが実感。  まとめて見るもんじゃない、少なくとも映画館では。
    さらに話が脱線するが、池袋に文芸坐という名画座館があった。当時、換気があまりよくなかった。
    長時間見ていて 意識が朦朧とするような感じになったのは、そのせいかもしれない(笑)。

    「西郷どん」もすでに第12回、ずっしりと重い分量だ。

  • 西郷どん 第11回「斉彬暗殺」

    長野主膳、滅多にドラマには出ない歴史上の人物だが、だったら村山たか も出してほしいもんだ。(笑)
    井伊直弼の愛人であった高山たかは 桜田門外の変のあと、直弼に反感を持つ者たちによって三条河原に晒されたが、明治9年まで生き延びたということだ。

    検索すると、長野主膳は これまで五つの大河ドラマに登場している。新しいものでは「花燃ゆ」や「篤姫」に出ているということだが、記憶にない。印象に残っていない。

  • 西郷どん 第10回「篤姫はどこへ」

    それにしても、幾島役が南野陽子か、かつてのアイドルだが。
    男女の秘め事の絵図を示すのは、大河ドラマ「篤姫」でもあったな。(笑) 
    ただし、大河ドラマ「篤姫」では、大奥に上がってからのこと。
    将軍を初めて寝所に迎える夜、その前に 年寄りだったかが絵図を示すといった場面があった。初夜の直前なので、こっちのほうが生々しいか。(笑)

    一橋擁立では、別の人物を将軍に推す井伊直弼と対立する島津斉彬だが、要は権力闘争。
    自分の推す人物が将軍になれば、幕府の実権に加わることができる。外様の薩摩としては願ったり叶ったりだ。
    斉彬も直弼も、開国通商ということでは 大きく食い違いがあるわけではない。
    しかし、志向する政策が同じだからといって その間に権力闘争が起きないということではない。

    たしか、前回、直弼の開国通商が速すぎると言って憤る島津斉彬のシーンがあった。
    開国通商という方向性は同じだが、その速度が違うということだ。 とにかく相違を見つけて反対するのは 権力闘争にはよくある。
    お前の政策に同意するが、それをお前がやることに同意できないというのが 本音だ。

  • 真田丸 第11回「祝言」

    真田信繁と梅の祝言の場面、 咄嗟に 映画「ゴッドファーザー」と思い起こした。
    たしか 「ゴッドファーザー」は結婚の祝宴のシーンから始まっていた。
    この映画では、いかにも幸せな家庭の営みの場面と、その裏での熾烈なマフィアの抗争のシーンが重ね合わせに進行する。抗争は一族における粛清にまで発展する。最後の場面で、マイケルに対して妻のケイが、兄弟たちに手をかけたのは あなたではないかと聞いたところで、マイケルは 自分はやっていないと言ったところに この映画のすごみを感じさせた。

    それとの比較でいうと、真田丸では、祝言と並行して、その裏で 昌行、信之、出浦昌相による 室賀正武の粛清が実行されたが、そこにたまたま居合わせた きりが 祝言の場に駆け込んで その殺戮のことをぶちまける。

    映画「ゴッドファーザー」のような尖った作り方は NHKの大河ではできないということだな。

    きりが 室賀正武が成敗されるのを目撃してショックを受けるが、しばらくして祝言の場に駆け込んで、何があったかをぶちまけたことで、熾烈な権力抗争に ほんわかしたホームドラマが侵入してきたような感じを受けた。

    信之が きりをじろっと見つめて、「いいか、他言すな!」ときつく言い渡す。きりは、おびえたように
    なんどもうなづく。 というような描き方をして欲しかった。

    西郷どん 第9回「江戸のヒー様」

    遊郭で絵を描いていたのが一橋慶喜であった とわかり 驚く吉之助。
    歴史的人物の出会いのさせ方として、まともな歴史小説家ならば やらない描き方だが、歴史とは関係ない
    小説家や脚本家がよくも悪しきもやりそうな手だ。
    まともな歴史小説家の書くようなドラマを作っていたら 今時の視聴者は振り向いてくれないということもあるでしょう。 まあ、大河ドラマに 「伝統的な」歴史ドラマを期待していれば つねに失望させられることになる。(笑)

  • 西郷どん 第八回「不吉な嫁」

    離縁の理由を父親に吐露したのでは、吉之助が優しすぎるからだという。「私が嫁として居続ければ、夫が江戸に行けないから」別れるという、まあ 恋愛ドラマ的な展開になっている。
    多少深読みすれば、貧乏であることや、不吉な嫁という迷信にまつわる可能性の方が、離縁の本当の理由だと 作者は思っている。しかし、ここは 皆様の「大河ドラマ」といとうことで、きれいな人情噺にしてみた。
    そういう作者の意図が透けて見えるように わざわざ作っているような感じもするが、そこまでの仕掛け的な遊びはやっていないかもしれない。

    歴史ドラマならば、貧乏であることや、不吉な嫁という迷信にまつわることを理由とした離縁で十分だが、
    そこで終わらせないでしまった。それよりも、優しすぎるくらいの やさしい「吉之助」を印象付けることを選んだ。

    斉彬が 黒船来航を 中央政治での発言力を得るための好機と見ているように描いているのが面白い。
    そのための工作として篤姫の出番だ。

    薩摩のような外様大名が 幕府権力に食い込む切っ掛けとして、老中阿部正弘の政策がひとつある。
    それまで譜代で行っていた国防政策を 薩摩のような外様にまで広げた。それが、結果的に 薩摩が中央政治に介入するきっかけを与えることになった。
    そのような隙を逃さなかった 斉彬が巧みであったともいえる。

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