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投稿コメント一覧 (245コメント)

  • NHKの正月時代劇「風雲児たち」と題して、解体新書を訳した蘭医たちの苦労を描いたドラマがよかった。
    その中の一つとして、田沼意次の描き方もよかった。田沼についての最新の評価を踏まえた描き方をしていた。

    それよりも 面白かったのは、「本能寺の変」古舘伊知郎実況中継だった。(笑)
    初め まったく期待していなかったが、見始めると 意外や意外、引き込まれた。

  • 真田丸 第10回「妙手」

    「真田安房守 そろそろ死んでもらいましょう。」本多正信の言。
    なかなか迫力があるね。

    その前の場面で、上杉との共謀により、真田が上杉の虚空蔵山城を攻めて敗退すると見せかける。
    まあ、こんなことができるのかと思ったが、上杉の置かれている苦しい状況を地図入りで解説されると、
    真田の説得工作が上杉を動かすことがありえるかもしれないと思わせられた。

    ただ、ドラマだから、信繁が上杉の本拠地に乗り込んで上杉景勝を説得するというのは、いかにもドラマチックだが、
    実際に こういう工作を行うとすれば、もっと泥臭いことが複数の関係者を絡めて行われはずだ。
    そういう描き方をすれば もっとリアリティを感じられたはずだ。

    まあ、しかし 大方安心して見ていられるね。最近の大河は、史実から大きく外れているように見えることからすれば、真田丸は 今のところ そういう不安はなさそうだ。
    それと、大名や国衆の間での駆け引きがかなり細かく描かれ、しかも地図入りで解説されるのでリアリティを感じさせる。
    矢沢頼綱、こういう聞きなれない武将の名前が出てくるので面白い。
    真田幸隆の弟にあたるそうだ。真田家の重臣として明治まで続いたというから、(幸村)の側ではなく兄の信之の側に付いたということなんでしょう。

  • 世代間ドラマ

    複数の世代にわたって話が展開していく構成が猛威を振るったのは、1970年代後半から80年代のアメリカのテレビかな。 その草分けが 「ルーツ」(1977)だ。親子三代の黒人奴隷を描いた。
    1980年代には、 アメリカの作家 シドニーシェルダンの原作が人気を集めたが、「ゲームの達人」という世代間ものがテレビドラマ化され、1984年に日本でも放映された。
    シドニーシェルダンのものではないが、 私が記憶しているので 「センティネル」というテレビドラマがあった。
    おそらくアメリカの1840年代のビーバー狩りの男から話が始まり、その息子、またその息子へと話が流れていく。
    「センティネル」という題名でネット検索したが、引っかからなかった。
    世代間ものとしては、やはりアメリカの作品で「警察署長」という傑作がある。これは、1985年にはNHKで放映された。
    1920年代から1960年代へ 三代の警察署長を軸にして推理ドラマが進行する。

    これらのアメリカにおける世代にまたがるドラマの特徴は、世代ごとに視点を移していくことだ。
    たとえば、ドラマに登場する主人公の子供が成人すれば、主役は完全に その子供になる。そのことによって、初めの主役は脇役化される。さらに、孫の世代が主役化されれば、その前の世代はさらに脇役化されていく。

    こういうドラマ構成が 1980年代にアメリカのテレビで一世を風靡した。

    それからすると、「女城主 直虎」は主役の移行という点では不完全だ。もちろん そういうことを狙ったドラマではなく、あくまでも 主役は直虎だ。 だから、そもそも主役の移動が不完全だという批判が場違いだということになる。

    大河ドラマで 世代ごとに主役の視点を移行させる形式をとったのは 「葵徳川三代」(2000)だ。ただし、これも
    世代ごとの分量の配分ということでいえば、秀忠に偏りすぎているということからすると、三世代ドラマというには不完全な感じが残る。

    このドラマ形式が面白いのは、脇役化された世代の存在感が逆に強く感じられることだ。初めの主役の子供が、あるいは孫が活躍すればするほど、そのときにはほとんど影の薄くなっている 初めの主役が存在感が強く感じられるのは、 面白い感覚だ。

  • 真田丸 第九回「駆引」と 女城主「直虎」最終回

    本能寺の変を報を受けて、三河に戻った徳川が、甲斐や信濃に入っていくところで、
    「真田丸」との接点が生じる、ということだな。
    徳川と北条の和睦、 これは真田昌幸の目算を大きく狂わせた。

    その陰に 井伊万千代の働きがあったということか。

  • 真田丸 第九回「駆引」

    佐助、藤井隆が演じている。
    「真田太平記」(1985年)にも忍びの佐助が出ていた。忍者群の描写は、「真田太平記」のほうが豊富で多彩だ。
    忍者同士の暗闘が描かれていた。
    女の忍びでお江というのがいて、これを遥くららが演じた。

    「真田丸」で 黒木華が演じているお梅は お江のような忍びではないが、共通する点がある。幸村が愛した女ということと、どちらも身分違いということだな。

  • 瀬名姫というと、山岡壮八の「徳川家康」を思い出してしまうのだが、
    悪女として描かれた。
    山岡壮八は 女を類型化して描くのがうまい。瀬名姫を夜叉のごとく描いた。
    それに対して 生母のお於大の方は天女だ。 夜叉と天女、わかりやすい。
    善なる家康の前に立ちはだかる夜叉のごとくの瀬名姫だから、それが成敗されるのは 観ている者にスカッとした感覚をもたらしたかもしれない。
    山岡壮八は、物語作家として巧みだ。
    大河ドラマ「徳川家康」(1983年)を、機会があれば全編見てみたいものだ。

    「女城主直虎」における お於大の方は天女ではなく厳しい母だ。家を守るためには 長子を犠牲にする覚悟を家康に迫った。
    このお於大の方を演じているのが栗原小巻だとは まったく気がつかなかった。(笑)

    三田佳子や浅丘ルリ子とともに、初期の大河ドラマを支えた栗原小巻

  • タイトルが「悪女について」となっている。

    このドラマを見てきて、瀬名姫が悪女だと思う視聴者はあまりいないのではないか。
    このドラマから受ける瀬名姫のイメージは、
    悪女というよりも、多少利己的で高慢な女性ということか。母親の佐那の薄幸さも重なり、生き残るために、また野心的に生きてきた。

    この「悪女について」というタイトルには、瀬名姫が 悪女としてのイメージが一般的に定着しているということを前提に、それとは違う瀬名姫を出そうという意図があるのでしょうが、果たして成功しているだろうか。
    というのは、歴史上の人物としての瀬名姫を知っている視聴者は 元々そんなに多くないだろうし、 また山岡壮八などの「徳川家康」の物語で描かれている瀬名姫の悪女ぶりに馴染んでいる視聴者がそれほど多くいるとは思われない。

    たとえば、「忠臣蔵」の吉良上野介に対して、吉良は こういういい面をあったと描くことによって異化効果があるとすれば、それは吉良の憎々しい悪役ぶりがイメージとして大衆に定着しているからだ。
    同じような効果が、瀬名姫に望めるだろうか。

    それに、吉良上野介にしても、もしかしたら 憎たらしい吉良をあまり知らない世代が増えている可能性があるので、
    吉良の「いいひとぶり」をドラマで出しても、かつてのような異化効果はないかもしれない。
    吉良はそれほど悪くないというのを違和感なしに そのまま受け入れてしまうかもしれない。

    従来の定着したイメージとは異なる人物像を打ち出そうということで ずっとドラマ作りをやっていれば、
    当然 従来のイメージが忘れられていくので、異化効果も薄まってしまうだろう。

    例えば、「忠臣蔵」を素材とするいくつものドラマで、吉良もいい面もあったんですと 何十年にも渡って繰り返し描いていれば、今度はそれがスタンダードなものとして定着し異化効果がなくなるということだ。

    元々 瀬名姫の悪女ぶりは さほど定着していないので、「瀬名姫は 本当は悪女ではなかったんです」と言っても、「それが何なの」と受け流されるのが落ちだろう。

  • 真田丸 第九回「駆引」

    長野里美がなかなかおもしろい。

    大泉洋が くそ真面目な面持ちで真剣に話せば、妻の長野里美がそれとは無関係に器の中のご飯が固くて掬い取れないと
    繰り返しぼやいている。
    Twin Peaksツインピークスという 1990年代に一世を風靡したアメリカの連続ドラマを思い出す。
    そのなかで 丸太を抱きかかえるおばさんというのが出てくる。 丸太を常に抱きかかえている。
    このこと自体ちょっと異様なのだが、 さらに異様なのは 周囲のひとたちは それが当たりまえのように接していることだ。
    普通な感覚では異様な光景が 異様としては処理されないのが 見ているものに不思議な感覚をもたらす。
    長野里美の振る舞いは ずれているのだが、大泉洋や周囲の人々からは 別に問題にされず、
    当たり前のように受け流されている。

  • 真田丸 第八回「調略」

    遠くの地にあって、家康が、北条と上杉の兵力が引いた裏には昌幸の策動があると読み取った。
    なんで家康がそんな推理が出来るのか、推測の根拠が示されていない。
    その当時、報道機関もなく、情報が多量に流通していたわけではなく、 遠い地にある弱小領国の昌幸の
    動きを どうやって家康が知ることができるのか。

    まあ、ドラマのことだから、そんなに目くじらを立ててもしょうがない。それくらいは大目に見るか。

    それはともかく、自分の中では、過去10年間の大河ドラマの中で、「真田丸」けつこう面白い。

  • 真田丸 第八回「調略」

    調略によって、春日昌元を裏切らせ、さらにそれを露見させる。その結果、春日昌元は磔による処刑。
    人情が入り込めば、自分の方がやられる。冷酷な生存競争。
    真田昌幸が目論んだとおりに事が進む。こんなにうまくいくか。(笑)

    まあ、ドラマだからしようがないのだけど、あまりに話が出来すぎていると感じることが多々ある。
    上野(こうず)と信濃に侵攻した北条、 それに対抗すべく出てきた上杉。
    その二つを手玉に取り、どちにも退散させる。 手品のような真田昌幸の謀略。

  • 直正が小姓として登用してもらうには、「まず草履取りから始めよ」 というときに、直正を納得させるために、「秀吉も信長の草履取りから出世した」という話が出ていた。草履取りでも一生懸命やれば、藤吉郎、つまり秀吉のように 偉くなれるということなんでしょう。

    寒い日、藤吉郎が信長の草履を懐に入れて温めたという有名なエピソード。 実は、これは江戸初期の作り話で、当時の人々は この話が何を暗示しているのか よく分かっていた。
    信長と藤吉郎のただならぬ関係を この話が示しているのは、当時の人々にとって常識だった。

    この話が一筋縄でいかないのは、だからといって、信長と藤吉郎が そのような親密な関係にあったと 人々が
    思っていたわけではないということだ。
    信長と藤吉郎の この草履かんする逸話を、彼らは 徳川の将軍と側用人(そばようにん)の関係にダブらせて 聞いていた。

    この大河ドラマで、作者が もしも草履取りの話に潜む このような意味合いを念頭に入れているとすれば、
    かなり周到な遊びを仕掛けているという感じがする。

    話はそれる。
    殿様の小姓に横恋慕した若侍が、その小姓と駆け落ちし、そのことを知った殿が激怒して追っ手を差し向けるという話は、かつて歌舞伎の出し物の定番の一つだった。それは、昭和初期まで人気演目だったようだ。

    話が、さらにそれる。
    1963年の映画で「武士道残酷物語」という名作があるが、若き中村錦之助が小姓を務めていて、藩主の目に留まり、お手付きとなる。その小姓、なんと藩主の側室との関係が疑われて、局部を切り取られるという羅切(らぎり)の刑に処せられる。 よくも、こういうグロテスクな映画が作れたな。(笑) さすがヌーベルバーグ盛んな1960年代だ。
    この作品、ベルリン映画祭で金熊賞を受賞している。

  • 真田丸 第七回「奪回」

    このドラマでは、
    政治空間と生活空間がそれぞれ独立したように描かれるが、また当然 両者は重なる。
    政治空間は男性が主役で、生活空間では女性たちが主たるブレヤーだ。

    真田の面々やそのほかの武将たちが策をこらし、権謀術数に明け暮れれば、
    それに軽いジャブを入れてくるのが女性たちの軽妙なやり取りだ。
    それによって男たちの重々しい真面目「くささ」が 滑稽なものとして浮き彫りにされる。

    木曽義昌と、人質にとられてきた草笛光子演じる「とり」とのやりとりが、それをよく表している。
    歴史ドラマは、権力闘争が展開される政治空間が主だが、それが女性たちによって いとも簡単に
    打っちゃられることがある。生活空間の風が 政治空間に吹き込む。

    政治空間が主であったように思われていたのが、それが瞬間的に転倒したような感覚にさらされる。

  • 真田丸 第七回「奪回」

    地図がしばしば表示される。たとえぱ、滝川一益が信濃から上野(こうずけ)から脱出を図り、木曾 義昌に行く手を阻まれるところで、地図が出てくる。これにより、地政学的観点を得やすくさせ、各地の勢力争いを図式的に示す効果を発揮している。

  • spin-off(スピンオフ) というのは、辞書的には、「副産物」を意味する。
    さらに、「〔テレビ番組などの〕スピンオフ◆脇役などを務めていた役者などを主役として作る番組などを指す。」と定義されている。
    スピンオフといえば、Star Wars(スターウォーズ)シリーズが豊富だ。スピンオフの部分は活字として展開されていて、
    映画化されていない。 

    わたしは、「軍師官兵衛」を「太閤記」のスピンオフのような感じで見ていた。秀吉を主役とする「太閤記」では、黒田官兵衛はわき役だが、それを主役としたドラマは スピンオフ的に見ようと思えば見られなくもない。
    とすれば、「女城主直虎」は「徳川家康」のスピンオフになるかもしれない。
    「真田丸」は、「太閤記」、もしくは「徳川家康」のどちらに対しても スピンオフ的でありえる。

    ただし、ある作品をスピンオフとして見るかどうかは、あくまで本人の感じ方しだいだ。

  • 真田丸 第七回「奪回」

    人質についてのやり取りが細かい。言うまでもなく、これまでの歴史ドラマでも 人質が描かれているが、真田丸は ことのほか 細かい。人質の価値というの難しい。 それは、中世と近世では人間観がことなるからだ。
    中世は、人間は集団に依拠する程度が高く、個人は集団に埋め込まれている。人間が個としての意識に芽生えるのは近世になってからだ。とすると、その当時の人々の 人質の命の感じ方というのは、現代の常識ではなかなか想像しがたいものがあるだろう。

  • 真田丸 第六回「迷走」
    草刈正雄演ずる昌幸が 信繁に次のように述べるシーンがある。
    「力が欲しいのう、北条や上杉、織田と対等に渡り合える力が。」
    真田が そのような力を得るには、理屈の上では 信濃をまとめることによって それが可能となる。信濃が 周囲の大国の草刈り場になってきたのは、信濃を統一できる強力な武将が出なかったからとも言える。
    その点では、「軍師官兵衛」の播磨と同じ状況だ。
    同時に、政治力学的には、周囲を大国に囲まれているがゆえに、つねに大国による干渉を招き、信濃をまとめるのが困難だったのだろう。大国同士の軋轢は、時に 信濃や播磨のような「緩衝地帯」を産み出す。一度 この「緩衝地帯」化されると、そこから抜け出すのは困難だったろう。

  • 真田丸 第六回「迷走」

    森 長可(ながよし)という名前が出てきた。織田方の武将で、本能寺の変を受けて、侵攻していた北信濃から逃げるようにして退却しているシーン。国衆の出浦盛清が森一行の脱出を手助けしている。そこに安土から逃げて来た信繁らが出くわす。

    この森 長可という武将、有名ではなく、このドラマではチラッとしか出てこないが、秀吉と家康が対陣した小牧長久手の戦で すくなからず名前が出てくる。

    出浦盛清が信繁に言った言葉。「われらは目先の損得では動かないと」と言い、さらに 「素っ破は戦では死なない。素っ破が死ぬときは、信用を失った時だ」
    なかなか 印象的な言葉だ。というのは、昌幸の言動と対比されているからだ。

  • 真田丸 第五回「窮地」

    信長が本能寺で倒れて、真田昌幸と信之の議論が真に迫っていた。
    草刈正雄演ずる昌幸は 織田家を離反すると すでに決めているのに対して、長男の信之は 織田家の家臣として留まるべきと主張した。

    ここに、リスクをどうとるのかの考え方の違いが出ている。それ以上に、生き方というか あるいは性格の違いが リスク感覚の差を生んでいるのだろう。
    昌幸は 高リスク高リターンを狙っている。長子の信之は 安定を重視し、それゆえに低リスクを志向する。

  • 真田丸 第五回「窮地」

    本能寺の変の後、信長が死んだかどうかについての 徳川家康一行の会話がいい。
    家康が、信長が生存している可能性を考えて京に戻ることを主張すると、本多忠勝が 光秀のことだから 打ち漏らすことは万に一つもないと反論する。 けっこう リアリティがある。
    伊賀越えの場面で、落ち武者狩りの野盗の中を 半蔵を先頭に突破しよと 「刀を振り回しながら」突っ走る家康一行。 こういう メチャメチャに刀を振り回しているところも リアリティを感じさせる。穴山梅雪が 腰痛を訴えて伊賀越えから脱落することを申し出る。ここのやり取りもいい。

    だれが信用できて、誰が信用されないのか、そこが ドライに描かれている。
    表面的に信用しているように見せて、実は信用していないとか。

    徳川一行は 穴山梅雪を一応仲間のように扱っているが、あまり信用していない。 穴山も 徳川を信用していない。
    こういうドライな描き方に感心する。

    つまりは、仲間であっても、そこには信用度の差異があり、中心にいる家康を仲間が幾重にも囲んでいる図を想像すると、中心から外側に向かって信用度が落ちていく。穴山梅雪は、もっとも外周に位置した。

    同じことが、真田昌幸と その周囲の人々の関係でも言える。

  • 井伊にとって 今川は圧政的でひどかったが、三河の松平は 圧政からの解放者だという描き方になっている。
    実際は、落ち目の今川を見捨てて、新興勢力の徳川にすり寄ったというのが本当の所ではなかったのか。

    生き延びたのは 井伊だけではなかった。
    今川家は当主の氏真が殺されずに、生き延びた。徳川の世では、旗本になり、明治にまで辿り着いている。
    井伊とは異なり、今川家が 歴史の表舞台に登場することはなかったでしょうが、そうした中で 赤穂事件で名の知られることとなった吉良家がある。
    吉良は 今川の遠縁に当たるという。吉良が帝(みかど)からの使者のもてなしに関して枢要な役目を負っていたのは、今川が京と縁が深かったという事情が背景にある。
    もしも今川家が氏真の代で滅亡していたら 吉良家も幕府の中に座を占めることはなかったはずだから、赤穂事件もなかったかもしれない。

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