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投稿コメント一覧 (13351コメント)

  • >>No. 584450

    デジカメのジャンク品
    30個とか50個とか100円いかでうってるで
    10年前当時価格にすれば、100まんえんくらいはするだろ

  • よ、そこの若い人たち
    バナナが昔よりまずくなったのはいったが
    カルピスもまずくなった。
    かわいそうだないまのわかいひとは

  • >>No. 584441

    落とした信用は取り戻すのは容易ではない。まず法のレベルを20年前のレベル以上にもどすことだろ。すなわち、例えば、補修部品の保持期間をメーカーの事情に任す。決めないから、以前の生産終了から15年以上の期間にすると明示することだろう。この改悪で日本製は、デジカメなど壊れやすいとか以外のネットで叩かれ日本製の製品全般にも言えることとなりうれなくなった。東芝の液晶テレビなどは、数年でラジオテレビになり10数万もしたテレビが補修部品の保持期間を過ぎていますので修理不可ですとさーびすにいわれやむなくすてなければならないじたいになるなどになった。50万以上した出始めの10年まえのテレビなど是もゴミにされた。是が世界で展開され、日本の製品は壊れやすく修理もできないと評判が立ちとっぷのざからひきずりおろされた。生産物責任法の施行は政府の企業の保護のためのほうだったが企業体質を横柄なものにした威力をなくさせた。伸長ばかり大きくし経営の能力をなくさせた。
    日本では、サービスセンターに製品の故障をいって、ネットでしらべたら、ら字を煮なる例が数多く出ているだろ、発売2年ごからでているだろ。修理の以来も受け付けているだろ東芝はこの故障を知らないのかリコールだろうというと、そういう故障例は聞いていません。はじめてですとまったくとりあわない。ソニーにシテもそうだった。スズキもそうだった。真摯にユーザーに向き合うことはなくなった。三菱の冷蔵でもネットで出ている故障があり当初そうだったが無償修理をして帰った。 あの生産物責任法は廃棄すべき。ユーザー側にたったほうにすべき。それらの体質が壊れやすいものを作っても法によって責任逃れをさせやすくしたもの。それらが製品の質をさげた。ネットオークションで落札したマキタの製品も数年しかたっていないのに、スイッチを入れてつかおうとしたらハウジングの中のブラスチックケースが粉々に割れて使えなくなった。韓国や中国製のほうが日本製よりも壊れにくいのではないのか。日本製は以前に比べて壊れやすくなったきがする。買い替えさせるためにしゅうりもさせないようにされている。日本製は、れこーだーやプレーヤー、PCの光学ドライブも使えなくなるものが多い。意図的なのか。
    あ、パナいいようだ。オークションでもパナの製品はジャンクも少なく高い。Aスースや韓国製、エーサー等は日本製と同じか高い

  • 今の北朝鮮って、ねとうよらのしゅちょうそのまんま
    戦前の日本ソックリだろ

  • オランダ公文書館の検証したという記録より。主観を交えて検証されている可能性が散見され証拠能力は低い

    1938年3月4日付け陸軍省兵務局課起案(陸支密第745号)の「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」によると「将来是等ノ募集等ニ当タリテハ派遣軍ニ於テ統制シ・・・其実施ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシテ・・・」とそれぞれの軍に慰安所の設置及び管理の責任を示している。慰安所或いは慰安婦に関する規則の文書は、スマトラから分離した後(実施は1943年5月)のマレー半島の馬来軍政監部軍政規定集第3号で1943年11月11日付けで部内一般に通達している。この「慰安施設及旅館営業取締規定」には映画館、バー、レストラン、ホテル、慰安所といったい案施設に関する税金の徴収を含む細々とした経営管理から、芸妓、酌婦の雇用契約規則にいたる点まで網羅してある。このことは軍再編成の前後に何らかの問題があったとも考えられるが、基本的考えは再編成の前の軍政から引き継がれたものと考えられる、故に分離したといえどもスマトラの第25軍も同様の考えを持っていたとも考えられる。しかし、現在までの調査からスマトラの第25軍は文書化された規則は出していないようである。ジャワ第16軍の慰安所設定や監理に関する規則も文書として発表されていないようであるが

  • >>No. 72645

    付録A

     以下はこの報告に用いられた情報を得るために尋問を受けた20人の朝鮮;人「慰安婦」と日本人民間人2人の名前である。朝鮮;人名は音読みで表記してい る。

        名  年齢   住 所
     1 「S」 21歳 慶尚南道晋州
     2 「K」 28歳 慶尚南道三千浦〔以下略〕
     3 「P」 26歳 慶尚南道晋州
     4 「C」 21歳 慶尚北道大邱
     5 「C」 27歳 慶尚南道晋州
     6 「K」 25歳 慶尚北道大邱
     7 「K」 19歳 慶尚北道大邱
     8 「K」 25歳 慶尚南道釜山
     9 「K」 21歳 慶尚南道クンボク
                 (ママ)
     10 「K」 22歳 慶尚南道大邱
     11 「K」 26歳 慶尚南道晋州
     12 「P」 27歳 慶尚南道晋州
                 (ママ)
     13 「C」 21歳 慶尚南道慶山郡〔以下略〕
     14 「K」 21歳 慶尚南道咸陽〔以下略〕
     15 「Y」 31歳 平安南道平壌
     16 「O」 20歳 平安南道平壌
     17 「K」 20歳 京畿道京城
     18 「H」 21歳 京畿道京城
     19 「O」 20歳 慶尚北道大邱
     20 「K」 21歳 全羅南道光州
    日本人民間人
     1  キタムラトミコ 38歳 京畿道京城
     2  キタムラエイブン 41歳 京畿道京城

    引用終わり

  • >>No. 72644

    宣  伝

      慰安婦たちは、使用されていた反日宣伝リーフレットのことは、ほとんど何も知らなかった。慰安婦たちは兵士が手にしていたリーフレットを2、3見たことは あったが、それは日本語で書かれていたし、兵士は彼女たちを相手にそれについて決して話そうとはしなかったので、内容を理解できた慰安婦はほとんどいな かった。一人の慰安婦が丸山大佐についてのリーフレット(それはどうやらミッチナ駐屯部隊へのアピールだったようであるが)のことうを覚えていたが、しか し、彼女はそれを信じなかった。兵士がリーフレットのことを話しあっているのを聞いた慰安婦も何人かいたが、彼女たちたまたま耳にしたからといって、具体 的な話を聞くことはなかった。しかし、興味深い点としては、ある将校が「日本はこの戦争に勝てない」との見解を述べたことが注目される。

    要  望

     慰安婦のなかで、ミッチナで使用された拡声器による放送を聞いた者は誰もいなかったようだが、彼女たちは、兵士が「ラジオ放送」のことを話しているのを 確かに聞いた。
      彼女たちは、「慰安婦」が捕虜になったことを報じるリーフレットは使用しないでくれ、と要望した。彼女たちが捕虜になったことを軍が知ったら、たぶん他の 慰安婦の生命が危険になるからである。しかし、慰安婦たちは、自分たちが捕虜になったという事実を報じるリーフレットを朝鮮で計画されていると盂家に活用 するのは名案であろうと、確かに考えたのである。

    付録A

     以下はこの報告に用いられた情報を得るために尋問を受けた20人の朝鮮;人「慰安婦」と日本人民間人2人の名前である。朝鮮;人名は音読みで表記してい る。

  • >>No. 72643

    これに反して、日本兵は、一度に一発、それも間違いなく命中すると判断したときにのみ撃つように命令されていた。」 


      ミッチナ周辺に配備されていた兵士たちは、敵が西滑走路に攻撃をかける前に別の場所に急派され、北部および西部における連合国軍の攻撃を食い止めようとし た。主として第114連隊所属の約400名が取り残された。明らかに、丸山大佐は、ミッチナが攻撃されるとは思っていなかったのである。その後、第56歩 兵団の水上少将がニ箇連隊〔小隊〕以上の増援部隊を率いて来たものの、それをもってしても、ミッチナを防衛することはできなかった。
     慰安婦たち の一致した言によれば、連合国軍による爆撃は度肝を抜くほど熾烈であり、そのため、彼女たちは最後の時期の大部分を蛸壺〔避難壕〕のなかで過ごしたそうで ある。そのような状況のなかで仕事を続けた慰安婦も1、2名いた。慰安所が爆撃され、慰安婦数名が負傷して死亡した。

    退却および捕獲

      「慰安婦たち」が退却してから、最後に捕虜になるまでの経緯は、彼女たちの記憶ではいささか曖昧であり、混乱していた。いろいろな報告によると、次のよう なことが起こったようである。すなわち、7月31日の夜、3つの慰安所(バクシンロウはキンスイに合併されていた)の「慰安婦」のほか、家族や従業員を含 む63名の一行が小型船でイラワジ川を渡り始めた。彼らは、最後にはワインマウ近くのある場所に上陸した。彼らは8月4日までそこにいたが、しかし、一度 もワインマウには入らなかった。彼らはそこから、一団の兵士たちのあとについて行ったが、8月7日に至って、敵との小規模な戦闘が起こり、一行はばらばら になってしまった。慰安婦たちは3時間経ったら兵士のあとを追って来るように命じられた。彼女たちは命令どおりにあとを追ったが、結局は、とある川の岸に 着いたものの、そこには兵士の影も渡河の手段もなかった。彼女たちは、付近の民家にずっといたが、8月10日、イギリス軍将校率いるカチン族の兵士たちに よって捕えられた。彼女たちはミッチナに、その後はレドの捕虜収容所に連行され、そこでこの報告の基礎となる尋問が行なわれた。

    宣  伝

  • >>No. 72642

    兵士たちの反応

     慰安婦の一人によれば、平均的な日本軍人は、「慰安所」にいる ところを見られるのをきまり悪がり、彼女が言うには、「慰安所が大入り満員で、並んで順番を待たなければならない場合には、たいてい恥ずかしがる」そうで ある。しかし、結婚申し込みの事例はたくさんあり、実際に結婚が成立した例もいくつかあった。
     すべての慰安婦の一致した意見では、彼女たちのと ころへやって来る将校と兵士のなかで最も始末が悪いのは、酒に酔っていて、しかも、翌日戦前に向かうことになっている連中であった。しかし、同様に彼女た ちが口を揃えて言うには、日本の軍人は、たとえどんなに酔っていても、彼女たちを相手にして軍事にかかわる事柄や秘密について話すことは決してなかった慰 安婦たちが何か軍事上の事柄についての話を始めても、将校も下士官や兵士もしゃべろうとしないどころか、「そのような、女にふさわしくないことを話題にす るな、といつも叱ったし、そのような事柄については丸山大佐でさえ、酒に酔っているときでも決して話さなかった」。
     しばしば兵士たちは、故郷か らの雑誌、手紙、新聞を受け取るのがどれほど楽しみであるかを語った。彼らは、缶詰、雑誌、石鹸、ハンカチーフ、歯ブラシ、小さな人形、口紅、下駄などが いっぱい入った「慰問袋」を受け取ったという話もした。口紅や下駄は、どう考えても女性向きのものであり、慰安婦たちには、故郷の人びとがなぜそのような 品物を送ってくるのか理解できなかった。彼女たちは、送り主にしてみれば、自分自身つまり「本来の女性」を心に描くことしかできなかったのであろうと推測 した。

    軍事情勢に対する反応

     慰安婦たちは、彼女たちが退却し捕虜になる時点まで、さらにはその時点においても、ミッチナ周辺の軍事情勢については、ほとんど何も知らなかったようで ある。しかし、注目に値する若干の情報がある。

     「ミッチナおよび同地の滑走路に対する最初の攻撃で、約200名の日本兵が戦死し、同市の防衛要員は200名程度になった。弾薬量はきわめて少なかっ た。」
      「丸山大佐は部下を散開させた。その後数日間、敵は、いたる所で当てずっぽうに射撃していた。これという特定の対象を標的にしているようには思われなかっ たから、むだ撃ちであった。

  • >>No. 72641

    報酬および生活状態

     「慰安所の楼主」は、それぞれの慰安婦 が、契約を結んだ時点でどの程度の債務額を負っていたかによって差はあるものの、慰安婦の稼ぎの総額の50ないし60パーセントを受け取っていた。これ は、慰安婦が普通の月で総額1500円程度の稼ぎを得ていたことを意味する。慰安婦は、「楼主」に750円を渡していたのである。多くの「楼主」は、食 料、その他の物品の代金として慰安婦たちに多額の請求をしていたため、彼女たちは生活困難に陥った。
     1943年の後期に、軍は、借金を返済し終わった特定の慰安婦には帰国を認める胸の指示を出した。その結果、一部の慰安婦は朝鮮に帰ることを許された。
      さらにまた、尋問が明らかにしているところによれば、これらの慰安婦の健康状態は良好であった。彼女たちは、あらゆるタイプの避妊具を十分に支給されてお り、また、兵士たちも、軍から支給された避妊具を自分のほうからもって来る場合が多かった。慰安婦は衛生に関して、彼女たち自身についても客についても気 配りすように十分な訓練を受けていた。日本軍の正規の軍医が慰安所を週に一度訪れたが、罹患していると認められた慰安婦はすべて処置を施され、隔離された のち、最終的には病院に送られた。軍そのものの中でも、まったく同じ処置が施されたが、興味深いこととしては、兵士は入院してもその期間の給与をもらえな くなることはなかったという点が注目される。

    日本の軍人に対する反応

     慰安婦と日本軍将兵との関係において、およそ重要 な人物としては、二人の名前が尋問から浮かび上がっただけである。それは、ミッチナ駐屯部隊指揮官の丸山大佐と、増援部隊を率いて来た水上少将であった。 両者の性格は正反対であった。前者は、冷酷かつ利己的な嫌悪すべき人物で、部下に対してまったく思いやりがなかったが、後者は、人格のすぐれた心のやさし い人物であり、またりっぱな軍人で、彼のもとで仕事をする人たちに対してこの上ない思いやりをもっていた。大佐は慰安所の常連であったのに対し、後者が慰 安所にやって来たという話は聞かなかった。ミッチナの陥落と同時に丸山大佐は脱出してしまったものと思われるが、水上将軍のほうは、部下を撤退させること ができなかったという理由から自決した。

  • >>No. 72640

    料金制度

      慰安婦の営業条件は軍によって規制され、慰安所の利用どの高い地域では、規則は厳格に実施された。利用度の高い地域では、軍は料金、利用優先順位、および 特定地域で作戦を実施している各部隊のための利用時間割り当て制を設ける必要があると考えた。尋問によれば普通の料金は次のとおりであった。



    1 兵 午前10時~午後5時 1円50銭 20分~30分

    2 下士官 午後5時~午後9時 3円 30分~40分

    3 将校 午後9時~午前0時 5円 30分~40分


     以上は中部ビルマにおける平均的料金であった。将校は20円で泊まることも認められていた。ミッチナでは、丸山大佐は料金を値切って相場の半分近くまで 引き下げた。

    利用日割り当て表

      兵士たちは、慰安所が混んでいるとしばしば不満を訴えた。規定時間外利用については、軍がきわめて厳しい態度をとっていたので、多くの場合、彼らは用を足 さずに引き揚げなければならなかった。この問題を解決するため、軍は各部隊のために特定日を設けた。その日の要員として、通常当該部隊員二名が、隊員の確 認のために慰安所に配置された。秩序を保つため、監視任務の憲兵も見まわった。第18師団がメイミョーに駐留したさい、各部隊のために「キョウエイ」慰安 所が使用した利用日割表は、次のとおりである。

    日曜日――第18師団司令部。
    月曜日――騎兵隊
    火曜日――工兵隊
    水曜日――休業日、定例健康診断
    木曜日――衛生隊
    金曜日――山砲兵隊
    土曜日――輜重隊
    将校は週に夜7回利用することが認められていた。慰安婦たちは、日割表どおりでも利用度がきわめて高いので、すべての客を相手にすることはできず、その 結果、多くの兵士の間に険悪な感情を生みだすことになるとの不満をもらしていた。
      兵士たちは慰安所にやって来て、料金を支払い、厚紙でこしらえた約2インチ四方の利用券を買ったが、それには左側に料金額、右側に慰安所の名称が書かれて いた。次に、それぞれの兵士の所属と階級が確認され、そののちに兵士は「列をつくって順番を待った」。慰安婦は接客を断る権利を認められていた。接客拒否 は、客が泥酔している場合にしばしば起こることであった。

  • >>No. 72639

    彼女たちは、ここ からビルマの諸地方に、通常は日本軍駐屯地の近くにあるかなりの規模の都会に配属された。結局、これらの集団のうちの四つがミッチナ付近に到達した。それ らの集団は、キョウエイ、キンスイ、バクシンロウ、モモヤであった。キョウエイ慰安所は「マルヤマクラブ」と呼ばれていたが、ミッチナ駐屯部隊長の丸山大 佐が、彼の名前に似た名称であることに異議を唱えたため、慰安婦たちが到着したさいに改称された。

    性  向

     尋問により判明したところでは、平均的な朝鮮;人慰安婦は25歳くらいで、無教育、幼稚、気まぐれ、そして、わがままである。慰安婦は、日本的基準から いっても白人的基準からいっても、美人ではない。 とかく自己中心的で、自分のことばかり話したがる。見知らぬ人の前では、もの静かでとりすました態度を見せるが、「女の手練手管を心得ている」。自分の 「職業」が嫌いだといっており、仕事のことについても家族のことについても話したがらない。捕虜としてミッチナやレドのアメリカ兵から親切な扱いを受けた ために、アメリカ兵のほうが日本兵よりも人情深いと感じている。慰安婦は中国兵とインド兵を怖がっている。

    生活および労働の状況

      ミッチナでは慰安婦たちは、通常、個室のある二階建ての大規模家屋(普通は学校の校舎)に宿泊していた。それぞれの慰安婦は、そこで寝起きし、業を営ん だ。彼女たちは、日本軍から一定の食料を買っていた。ビルマでの彼女たちの暮らしぶりは、ほかの場所と比べれば贅沢ともいえるほどであった。この点はビル マ生活2年目についてとくにいえることであった。食料・物資の配給量は多くなかったが、欲しい物品を購入するお金はたっぷりもらっていたので、彼女たちの 暮らし向きはよかった。彼女たちは、故郷から慰問袋をもらった兵士がくれるいろいろな贈り物に加えて、それを補う衣類、靴、紙巻きタバコ、化粧品を買うこ とができた。
     彼女たちは、ビルマ滞在中、将兵と一緒にスポーツ行事に参加して楽しく過ごし、また、ピクニック、演奏会、夕食会に出席した。彼女たちは蓄音機をもって いたし、都会では買い物に出かけることが許された。

  • >>No. 72638

    この報告は、1944年8月10日ごろ、ビルマのミッチナ陥落後の掃討作戦において捕らえられた20名の朝鮮;人「慰安婦」と2名の日本の民間人に対す る尋問から得た情報に基づくものである。
     この報告は、これら朝鮮;人「慰安婦」を徴集するために日本軍が用いた方法、慰安婦の生活および労働の条件、日本軍兵士に対する慰安婦の関係と反応、軍 事情勢についての慰安婦の理解程度を示している。
      「慰安婦」とは、将兵のために日本軍に所属している売春婦、つまり「従軍売春婦」にほかならない。「慰安婦」という用語は、日本軍特有のものである。この 報告以外にも、日本軍にとって戦闘の必要のある場所ではどこにでも「慰安婦」が存在してきたことを示す報告がある。しかし、この報告は、日本軍によって徴 集され、かつ、ビルマ駐留日本軍に所属している朝鮮;人「慰安婦」だけについて述べるものである。日本は、1942年にこれらの女性およそ703名を海上 輸送したと伝えられている。

    徴  集

     1942年5月初旬、日本の周旋業者たちが、日本軍によって新たに征服された東南 アジア諸地域における「慰安役務」に就く朝鮮;人女性を徴集するため、朝鮮に到着した。この「役務」の性格は明示されなかったが、それは病院にいる負傷兵 を見舞い、包帯を巻いてやり、そして一般的に言えば、将兵を喜ばせることにかかわる仕事であると考えられていた。これらの周旋業者が用いる誘いのことば は、多額の金銭と、家族の負債を返済する好機、それに、楽な仕事と新天地――シンガポール――における新生活という将来性であった。このような偽りの説明 を信じて、多くの女性が海外勤務に応募し、2、3百円の前渡金を受け取った。
     これらの女性のうちには、「地上で最も古い職業」に以前からかか わっていた者も若干いたが、大部分は売春について無知、無教育であった。彼女たちが結んだ契約は、家族の借金返済に充てるために前渡された金額に応じて 6ヵ月から1年にわたり、彼女たちを軍の規則と「慰安所の楼主」のための役務に束縛した。
     これらの女性およそ800人が、このようにして徴集さ れ、1942年8月20日ごろ、「慰安所の楼主」に連れられてラングーンに上陸した。彼女たちは、8人ないし22人の集団でやって来た。

  • >>No. 72619

    勉強しろよ。お前らの法学和親だろ
    ねとうよ
    あれだね、慰安婦の証言の中に出てくる、ミッチナ駐屯部隊には、正逆に書かれている、丸山大佐と 増援部隊を率いていた水上少将がいるが、慰安婦等の多数の証言に寄れば丸山大佐って言うのは、強欲で、慰安所に入りびたりの女好きでこ狡賢くて、ケチで、下品で小心者と書かれている。それにひきかえ、水上少将は部下思いの、部下が撤収するまで部隊を指揮し居残り、多くの部下を救えなかったと自決してなくなった聖人君子、キリスト、仏様のような軍人として証言されえいる。百田やネトウヨが尊敬しすきなのは、マルヤマ大佐だろう。マルヤマクラブと慰安所が呼ばれるくらいだった。丸山大佐なら日本敗戦まじか、危険を察知してさっさと舞台を捨てに本へ逃げ帰り、しばらく身を潜めたあと、じょうきょうをみはからって、何食わぬ顔で、どさくさにまぎれ猫糞して隠し持っていた金を使い石油で大もうけしようと官僚の穴をけって海賊と呼ばれた男に変身した。 現在両名の支持率を採れば、マルヤマ大佐60%、水上大佐5%だろな。 ネトウヨは北朝鮮も尊敬しているだろな。欧米に屈せず戦いの姿勢を崩さない指導者のいる国としてそんけいするんだろうな。それに引き換え、金に目がくらみ日本は恥ずかしく、アメリカの金魚の糞に成り下がっている今のにほんとしょうらいはけいべつするんだろうな。

    慰安所は一般人の利用はさせなかった。


    アメリカ戦時情報局心理作戦班
    日本人捕虜尋問報告 第49号 1944年10月1日

    アメリカ陸軍インド・ビルマ戦域軍所属
    アメリカ戦時情報局心理作戦班
    APO689


          日本人捕虜尋問報告 第49号

    尋問場所 レド捕虜収容所
    尋問期間 1944年8月20日~9月10日
    報告年月日 1944年10月1日
    報告者 T/3 アレックス・ヨリチ


    捕虜 朝鮮;人慰安婦20名
    捕獲年月日 1944年8月10日
    収容所到着年月日 1944年8月15日


    はじめに

     この報告は、1944年8月10日ごろ、ビルマのミッチナ陥落後の掃討作戦において捕らえられた20名の朝鮮;人「慰安婦」と2名の日本の民間人に対す る尋問から得た情報に基づくものである。

  • 財務省の数字では信用できん。金持ちや大企業は海外の銀行口座にも多額の現金や金塊を隠し持っていると思うんだがそれがどのくらいあるんだろうかとやつにいったのだが。
    政権が交代したら、たんす預金や、隠し金を無効にするデノミをするっていう手もあるだろ。はたんするよりましかもしれん。お札、金の総入れ替え。

    マイナンバーよりいいのではないのか。何でこんなのやったのか。安倍や官僚は
    マイナンバーで呼ばれても1000人いてもじぶんのなんばーときづくひとは0だろ。自己管理はできないマイナンバー。AIが忖度までできるようになったという。顔認識もできるという。筆跡官邸もできるようになるだろ。マイナンバーよりこちらのほうが確実で使える。個人特定トウロクには。データをどこからでも取れる。あほちゃうか。官僚は 名と誕生日だけでもほぼ所得は統一できる。世界に一つしかない。
    病院の会計で、番号を呼ばれるが、返事をしない出てこない人がよくいる。職員は名前を連呼し始める。個人情報保護法ってなんなんだ

  • >>No. 584281

    かかしは・・・
    なんばしとるとかね

    ネトウヨはお前と同じで同じところを先に進ませずおなじことばかりいちゃもんつけとうだけたい

  • >>No. 584250

    お前どこかずれてるんじゃないかかね。
    1000兆円の海外にある日本の債権の話だがね。日本国の国債の借金じゃなか

  • >>No. 72593

    事実だろ。ざまーみろ
    くらえ~~~ねとうよ くずだろか
    だははははははははははあははははっはははははh

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